短刀 平安城住國路
短刀 平安城住國路
慶長十六年紀の短刀である。國路は國廣の門人であると同時に、三品派とも交流があり、帽子などにその特徴が窺いとれる。初期は國道と銘を切り、次いで國路の路を崩し字に切り、慶長十八年に出羽大掾受領、元和初期に路を楷書に変える。以降の銘は似た切り様だが、作刀年代が長いため変遷がある。ただし、年紀作が少ないため、正確な製作年代を決定するのは難しい。
この短刀はかつて紹介したことがある。良く詰んだ地鉄が流れるように際立ち、浅い湾れに互の目を焼き施した志津写し。地刃が大変綺麗な作であり、沸の美観を追求したものの中でも沸筋の働きが特に活発で古風。
寸法は一尺三分で、寸延び短刀。現代の分類では脇差と表記されるが、この刀の実用の時代にそのような分類はなく、江戸時代初期の特徴から寸延び短刀と考える。
銀座長州屋社長 深海信彦氏のブログを、歴史人のサイトで公開中です
初心者向けの内容ですが、時には名品を紹介しますのでご覧になって下さい
歴史人ブログサイト《日本刀の真実》
短刀 平安城住國路
慶長十六年紀の短刀である。國路は國廣の門人であると同時に、三品派とも交流があり、帽子などにその特徴が窺いとれる。初期は國道と銘を切り、次いで國路の路を崩し字に切り、慶長十八年に出羽大掾受領、元和初期に路を楷書に変える。以降の銘は似た切り様だが、作刀年代が長いため変遷がある。ただし、年紀作が少ないため、正確な製作年代を決定するのは難しい。
この短刀はかつて紹介したことがある。良く詰んだ地鉄が流れるように際立ち、浅い湾れに互の目を焼き施した志津写し。地刃が大変綺麗な作であり、沸の美観を追求したものの中でも沸筋の働きが特に活発で古風。
寸法は一尺三分で、寸延び短刀。現代の分類では脇差と表記されるが、この刀の実用の時代にそのような分類はなく、江戸時代初期の特徴から寸延び短刀と考える。
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