坐禅を組んでいるときは、部屋を薄暗くして静かにしているから、外部からの刺激は少なくなる。
刺激が少ないから妄想なんて浮かばないようだが、それは違う。頭の中は妄想だらけである。次から次へと浮かんでくる。私たちはその妄想からストーリー作り出し、感情を生み出してしまう。それが怒りの感情なら最悪である。
この妄想の正体は、記憶である。記憶自体は脈絡はなく断片的である。ストーリーは私たちがつくる。
記憶は、現実に今起っていることではなく、頭の中にある仮想的なものである。
たとえば、むかつく人が頭に浮かんだとする。その人がどんなに頭の中でリアルに思い出されてもそれは幻想にすぎない。現実に存在しているそのむかつく人は、どこか別のところで生活している。
だから、その妄想(記憶)がどんなにむかつくことを言ったとしても、現実のその人とは関係ない。
しかし、私たちは現実には存在しない妄想によって、心を動かされてしまう。
断食を行ったり、幻覚きのこやLSDと摂取すれば、妄想を超えて幻覚が生じてくる。
身体感覚が遮断された脳の世界は、私たちにはコントロールしづらい無意識の世界が広がっている。
このような断片的な無意識とうまく付き合うには、コツがある。
無意識は身体を通して表層に現れる。だから、身体の微妙な変化に敏感であること、それが重要である。
無意識が、自分ではコントロールできない自律神経を暴走させる。自律神経が失調する状態である。
例えば、セックスを抑圧していたとする。そのセックスに関することが、心の奥に隠されて無意識になる。そして、本人もそのことを表面上は忘れる。
しかし、セックスの話題が出た途端、心臓がバクバクし呼吸が乱れる。無意識が、自律神経に働きかけるのである。
だから、その変化に敏感でなければならない。
変化に気づいたら、呼吸を整える。呼吸は、自律神経に直接働きかけられる唯一の方法である。
その体の変化に気づき、呼吸でコントロールする。それをうまくやるために坐禅がある。