ディズニー作品のなかでは、擬人化された動物たちは、すべて白い手ぶくろをつけていなければならない。ミッキーもミニーも、犬のグーフィーも、牝牛クララベルも、悪役の義足のピートも、みな白い手ぶくろをはめている。ただし、ミッキーが飼っている犬のプルートーなど、擬人化されないで、そのままものを言わない動物として登場するときには、その必要はない。その場合の動物は動物なのであって、言葉も話さないかわりに、靴もはかず、服を着ることもない。すなわち、ディズニー世界にあっては、動物たちが昇格して人間化する条件としては、白い手ぶくろが不可欠なのである。かくして、ミッキーマウスは、入浴中でも海で泳ぐときでも、手ぶくろを脱ぐことはない。
動物を擬人化するのは、動物と人間とを分けて考えるキリスト教的発想だなぁと思う。
合理的な理性を中心に世界を組み立てるとそういう発想になるのだろうか。動物と人間とを分けて考えること自体ややこしい。
ややこしいついでに擬態語を擬人化したややこしい文章。
ぽっこりとぽっちゃりががっぷりと組み合い相撲をとっていたところ、ほっそりとげっそりがびっくりして止めに入りました。
ぽっこりはゆっくりとほっそりに言いました。「僕はぽっちゃりとたっぷり相撲の練習をしていたんだよ。邪魔をしないでくださいな」
「それはスイマセンでした。では、しっかり練習をしてください。ぷっくりさん」とほっそりはうっかり、ぽっこりをぷっくりと言ってしまった。
ぽっこりは頬をぷっくりふくらませて「ぷっくりと間違えられるなんてがっかりだよ」といった。
げっそりは、意味がさっぱり分からず、もっとゆっくり話してくれよと思いながら、げんなりしていた。