フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

実存としてのエロティシズム

2009年10月24日 01時25分44秒 | 社会・政治・思想哲学

 若い時はあまり変態的な人はいない。しかし、おっさんになってくるとだんだん変態が増えてくる。
 私は、
性的パワーが弱いから、だんだん変態的思考になっていくのではないかと思っている。
 
 エロには二種類ある。
 一つは、単に本能としての性欲。
 もう一つは実存的、観念的なエロティシズム(端的に変態)だ。
 性欲が弱くなってくると、後者の力を借りなくてはならない。
 ちょっと説明する。

  ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に面白いテキストがある。

 長男のドミートリイが国境警備隊にいたところ、上官の中佐の娘で美しく気位の高いエカテリーナに強く惹かれるが、相手は高嶺の花である。ところがドミートリイはふとしたところから、この中佐が公金横領をして発覚しそうになっていることを知り、彼にある奇怪な考えが浮かぶ。ドミートリイに父親から財産放棄の手切れ金として六千ルーブルが入ったのだが、中佐の姉娘アガフィーヤに彼はこう示唆する。
「カテリーナをこっそり僕のところによこしたらどうです。僕はちょうど金を送ってもらったところだから、四千ルーブル気前よく差し上げてもいいし、神にかけて秘密は守りますよ」と。
 アガフィーヤはこの卑劣な提案に激怒する。しかし、彼の思惑通り中佐の家族は切羽詰り、ある日エカテリーナがドミートリイの部屋を訪れる。

 「俺は頭から足の先まで彼女を眺め回した。お前、あの人を見たことがあるだろう。まさしく美人だ。ところが、あのときの彼女の美しさは、また違うんだ。あの瞬間の美しさは、彼女が高雅なのに俺のほうは卑劣漢であり、彼女がおおらかな心で父のためにわが身を犠牲にしようとする崇高さに包まれているのに、俺のほうは南京虫にすぎない、ということからきていたんだよ。しかも、彼女のすべてが、心も体もひっくるめてすべてが、南京虫であり、卑劣漢である、そんな俺しだいでどうにでもなるんだからな。身体の線まではっきりわかったっけ。正直に言うと、その考えが、ムカデのような俺の心をしっかりとらえてしまったために、悩ましさだけで心が危うく融けて流れるところだったよ」 

  この箇所を最初読んだとき、あまりにもエロすぎて、ムラムラとする気持ちを抑えられなくなってしまった。

 エロティシズムの本質は、崇高な美徳のように侵犯してはいけない高貴なものを、下劣な男の視線までおとしめることによる、その「落差」にある。
 だから、コスプレは、スチュワーデスとか婦人警官とか比較的地位が高くて聖職的なもののほうが興奮する。
 ロリコンも基本的に子供はいたずらしてはいけないという決まりがあり、その禁止のハードルが高いからこそ、興奮するわけだ。

 
 生物学的にいっても、若くて身体的に強いときは、遺伝子を残そうという本能があるから、シンプルに性欲が強い。
 しかし、年食って性欲が弱くなってくると、観念的な力が無くてはアレが立たなくなる。変態的な力が必要となる。
 
 日本の性風俗が発達していることと、欧米に比べ性欲が弱いこと(夫婦間のセックス回数が世界最低レベル)は、無関係ではない。 

 

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