フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

情緒の系図 「恋しい・寂しい」

2010年10月22日 23時02分11秒 | 社会・政治・思想哲学

 九鬼周造の「情緒の系図」をパラパラとめくる。人の情緒を哲学的に考えている。

 とくに、愛に関する情緒に目が止まる。愛は、基本的に嬉しさと関係してる。
 しかし、愛するものの背後に、その消滅を予見するかぎり、愛は純粋にうれしい感情ではなく、悲しみも加わってくる。

 例えば、「恋しい」という感情だ。「恋しい」という感情の裏には常に「寂しい」という感情が控えている。

 「恋しい」とは、一つの片割れが、他の片割れを求めて、完全なものになろうとする感情であり、「寂しい」とは、片割れが片割れとして自覚する感情である。

 人を深く愛すれば愛するほど、相手を求め、完全になりたいという気持ちが強くなる。しかし、いろんな事情でそうなれない場合がある。
 そうなれない場合は、ハートのペンダントの片割れになってしまう。そして、ずーっと片割れのままだ。

 寂しいとはそういうことだ。

 二十歳くらいのときに、ハートの片割れになった経験がある。たぶん、相手のハートの片割れとくっつけたら、完全なものになったかもしれない。まあ、それは誰にもわからないが。
 ただ、たまに、そのことを考えることがある。そして、完全なものになりたかったが、いつも片割れなんだなと自覚してしまう。
 それがここでいう、「恋しい」と「寂しい」なのだろう。

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