フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

たけし・所 vs とんねるず

2010年10月01日 00時19分54秒 | 日々の出来事・雑記

 テレビをつけたらたけし・所 vs とんねるずのゴルフをやっていた。何気なく見始めたのだが、想像以上に面白かった。最近は、関西勢に押され気味のお笑いだが、東京勢のたけし・所・とんねるずは、私達の年代にとっては一時代を築いてきたスターだ。
 罰ゲームのツービートの漫才は、すごく興味深かった。というのも、たけしがきよしに「適当にホラ吹くから、適当にやって」と真面目な顔をして裏で3秒の打ち合わせをやり、漫才に入ったのだが、面白い内容で素晴らしかった。次から次へとたけしが機関銃のようにホラを吹く。つい笑ってしまう。ただ、あれだけ聞くと天才のように思うが、多分、相当数の場数を踏んできた中で、うける話とうけない話を選別し、うける話のパターンをたけしなりに築き上げてきたのだろう。その後、カートに乗っているとき、「昔は一時間、漫才やらされていたよ」といっていたから、その中であのような形が出来上がってきたのだと思う。だから、打ち合わせ3秒で、すぐに漫才ができるのだ。

 とんねるずも最初は先輩とのゴルフで少し遠慮気味だった。しかし、罰ゲームのわさび入りの寿司をたけしに食べさせられてから闘争本能に火がついたようだ。たけしが寿司にかなりのわさびをいれて食べさせたから、石橋は少し切れた感じだった。私は、若手の中で威張っている石橋より、権力に対して反抗的になっている石橋が好きだ。ああいう時の石橋はすごくパワーがあるし、頼もしい。

 芸能界のことはよく分からないが、若手は先輩と飲みに行って、コネを作って頑張るみたいなやり方をしているのだろうか。もし、そうだとしたらその若手の将来はあまり期待できないように思う。

 先輩を倒して引導を渡すのは圧倒的な才能(もちろん努力も含まれる)である。たけしがドリフターズに引導を渡したように。
 あの世界で仲良くしながら、番組のレギュラーをとっていくことは難しい。たけしも石橋も凄まじい闘争本能である。ゴルフのプレーを見ていると分かる。ただ、そういう考え方自体古いのかもしれない。どういうことかというと、どんどんテレビ離れが進んで、広告収入も少なくなってきている現在、誰かを倒して天下を取るみたいな考えは通用しないのではないかということである。そもそも天下を取る天下自体がなくなりそうだからである。そういうことではなく、みんなで仲良くお笑い自体を盛り上げていこう的な乗りの方がいいのだろうか。
 
 本来、お笑いは、暴力的な緊張感が漂う権威や権力者を滑稽な視点で笑い飛ばし、その緊張感を緩和するためのツールであった。だから、たけしも石橋も強い権力者が現れると生き生きしてくる。しかし、今の日本に権威を持った人や強い権力者がいるだろうか。総理大臣でさえあのざまである。天皇はいい人で暴力的ではないから笑いものにはできない。せせこましい上司なんかを軽く笑いものにしている程度では、たいした芸人は出てこないだろう。
 強力な権力者が現れたとき、大物芸人が現れるのかもしれない。チャップリンがそうだったように。そのように考えると、平和な日本では、これから先、大物芸人は現れそうにない。しかしそれでもいいのかもしれない。緊張感の中から生まれてくる笑いも楽しいが、ほのぼのとした友情の中から生まれてくる笑いだってそれなりに楽しいから(タカアンドトシみたいな)。

コメント
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