フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

300円の攻防 本当にあった変な話

2009年09月24日 23時38分13秒 | 日々の出来事・雑記

 今日、仕事中に車に乗っていたら、路地の真ん中におばさんが立っていた。
 
 危ないから徐行して近づくと、なにやら言っている。
窓を開けて話を聞く。

 「300円貸してください」とおばさん。
 
 ああいう時というのは面白いもので別に話なんて全く聞く必要もないのにおもわず聞いてしまう。

 
 「どうして300円貸して欲しいのですか」と私。

 
 「急に生理になったのですが、生理用品がないので」 

  私は力なく笑う。そして、「今、お金持ってないから・・・スイマセン」と言い残し車を走らせる。
 
 何でだろう。車を運転しながら軽い罪悪感を感じていた。
 実はほんとうのところ、300円あげようかどうか一瞬迷ったのだ。
 300円というのは、なかなか微妙な金額だ。だまされたとしても、それほど痛い金額ではない。
 それより本当に困っていたとしたら悪いことしたなぁという気持ちのほうが強かった。

 すこし話がかわるが、インドに旅行に行くと、物乞いとの戦いになるという。物乞いが非常に多い。いちいちお金をやっていたらいくらあっても足りない。中には悪い組織がいて身寄りのない子供を集め、手足を切断したり、変な方向に曲げたりして同情をかうように仕向ける。インドはヒンズー教の考え方により物乞いが職業化しいる。

 これに対し、中国は物乞いはいないとはいわないが、インドよりはるかに少ない。中国人は物乞いはせず、その代わり、その辺に落ちている石でも草でも何でも売りつけようとする。たくましい。その労働によって収入を得ようとする根性は評価に値する。物乞いは富の再分配以外、何も生み出さないし、なんら社会のためにならない。それに人の善意を食い物にしている。

 そう考えると、300円あげなくて正解だったのかな。どうなんだろうか。

 

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マキャベリ 政略論から

2009年09月24日 00時02分01秒 | 社会・政治・思想哲学

 衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。

 運命は変転しても、彼らは毅然とした精神を保ちつづけているので、他人の眼には、運命もこの人々にはなんの影響も与えないのではないかとさえ、見えるほどだ。

 反対に、弱い人間にとっての運命の変転は、表にあらわれてしまう。

 好転に恵まれたときは有頂天になり、まるで自分個人の力量のためであるかのように得意がる。

 そして周囲には耐え難い存在になった挙句に憎まれる。

 ところが、ほどなく運にかげりがさしはじめるや、とたん沈み込んでしまい、卑屈な人間に変わり果てる。

 ・・・・ 一個人にいえるこのことは、国家についても適用可能なことである。

 ただし、国家の場合は、精神上のことだけで論じているのでは不十分だ。

 逆境に立っても動じないですむような、制度作りが必要になってくるのである。

 

 マキャヴェリ 「政略論」 

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