フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

六義園、護国寺、雑司が谷霊園、夏目漱石の墓

2009年09月20日 18時52分49秒 | 日々の出来事・雑記

 今日は天気もよかったので、散歩に出かけた。まずは六義園。

 

      

 

 六義園は駒込の駅から歩いて5分くらいのところにある。三菱財閥の岩崎弥太郎が東京都に寄付した庭園である。都内にこんな素晴らしい場所があったのかと驚いた。入場料は300円であるが、これだけの景観を眺められるなら安いものだ。
 もし気持ちが高ぶったり、落ち着かなかったり、静かに考え事をしたいときはお勧めする。ここにいたら爽快な気分になるだろう。

 

  

 

  

 

 藤代峠という小高い丘があって、そこから撮った写真(左下)。本当に美しい景色だった。これだけの景観を保つためには相当の費用がかかるだろう。さすがの三菱財閥もきつかったに違いない。

 

 近くに旧古河邸があったので、行ってみた。

 

  
 
 
 ここで、携帯の電池がなくなりかけて写真が一つしか取れなかった。しかし、ここもなかなかの庭園だった。

 

 少し歩いて護国寺に行く。

 

 


 護国寺の本堂の中に入る。なかなか素晴らしい。
 本来は、写真を撮ってはいけないらしいが、釈迦の像があまりにすごかったのでこっそりとってしまった。修行のあと、げっそりした釈迦だ。悲壮感が漂ってすごい。たしか、このあと死にそうになったお釈迦様が、スジャータという女の子からミルクを飲ましてもらい一命をとりとめたというお話があったと思ったが。どうだったか。
 本堂の正面にある像もみな素晴らしかった。しかし写真は撮れず。というか電池が切れそうで電源が入れれない。

 

 少し歩いて雑司が谷霊園に行く。

 

  

 

 彼岸だし、雑司が谷霊園に夏目漱石のお墓があるとのことだったので、墓参りに行く。さすが夏目先生だ。結構人が墓参りに来ていた。

 

 都内もていねいに回るとまだまだ知らない場所がたくさんある。携帯の電池をきちんと充電していれば、まだまだ面白い写真が取れたのに、残念だ。雑司が谷には土猫がいた。写真を撮りたかったなぁ。

 

 

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仏教の「無記」という考え方

2009年09月20日 09時38分11秒 | 社会・政治・思想哲学

 恐山で禅僧をしている南直哉氏の本を読んでいたら、恐山のイタコと仏教の無記の思想は、基本的に相容れない考え方だとの発言があった。
 たしかにそうだろうなぁと思う。
 
 「無記」とは、形而上学的な問題について、判断を示さず沈黙を守ることである
 簡単に言えば、死後の世界とか宇宙の果てなどの答えられない問題については答えないという態度である。なぜなら、仏教の目的は実際に存在する苦しみを取り除くことにあり、そのような問題(形而上学的な)に答えても、なんら苦しみは解決しないからである。

 ちなみに、形而上学(けいじじょうがく)とは、感覚ないし経験を超えた世界が存在するとし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由や物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。

 古代インド人は輪廻転生を信じており、釈迦はこの考え方に否定的だったと言われている。しかし後世の仏教界は輪廻転生という考え方を受け入れていく。
 この無記と輪廻転生は矛盾する。しかし、仏教の目的は苦しみを取り除くことにある。だから、輪廻転生を信じることによって、もし今の苦しみが取り除けるなら、理論の正しさを犠牲にしても、否定はしない、ということなのだろう。

 

 

 

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