旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

東海道紀行7 沼津宿~原宿~吉原宿

2018-12-25 | 東海道紀行

 沼津の狩野川河口から田子の浦港まで、駿河湾に沿って続く「千本松原」です。
"東海道を歩く旅" 第7日目の行程は、この松原を辿り、富士の姿を大きくしていく。 

09:55「沼津宿・高田本陣跡」 00:00:00
 火災と戦災で旧い遺構は残っていない沼津宿。
本陣3軒並んでいた本町通りは、シャッター商店街の様相を呈して閑散としていた。 

Navi21 通横町交差点(右折) → <県道160号~163号> → (富士市)東柏原交差点 10.9km

沼津は城下町らしく鉤の手が多い。
5つ目の通横町交差点を折れると、浅間神社を右手に見て、西見附から宿場を抜ける。

旧東海道は西高入口交差点で県道160号から163号に名称を変えるが直進だ。
八幡神社の石垣には「従是東」と刻まれた沼津藩領境榜示石が残る。
領域の境を示すこの榜示石、下半分の「沼津領」は無くなってしまっている。 

 

11:25「松長一里塚」 01:30:00
 ひたすら単調な直線を往く。日本橋から三十一番目、松長一里塚跡には真新しい碑が建つ。 

 

臨済宗妙心寺派の祥雲寺、境内には大松が斜めに聳えている。
樹齢どれくらいになるのだろう。街道を往来する旅人の目についたであろう。
間もなく東海道本線の踏切を渡る(原踏切)と原宿の東木戸(見附)跡になる。

 原宿と云えば白隠禅師が著名。
諸国の行脚修業を重ね京都妙心寺の第一座になった後、故郷は松蔭寺の住職となった。
修行僧を指導するとともに東海道を往来する大名にも教えを説いたと云う。 

11:20「原宿」 01:25:00
 宿場らしい面影が残っていない原宿。原交番東交差点あたりが宿場の中心地だった。 
浅間神社前に高札場があり、向かい側に渡邊本陣と問屋場が並んでいた。
その規模は本陣1、脇本陣1、旅籠25軒とこじんまりとした宿場だったらしい。 

西木戸(見附)跡近くの高嶋酒造は純米酒に拘った酒造りをしている。酒蔵は街道の華だ。
残念ながら日曜祝日はお休みだ。この蔵を最後に原宿を後にする。 

Navi22 東柏原交差点(斜め右) → <県道380号> → 檜交差点 2.2km

 原一本松一里塚跡には小さな碑が建つ、次の沼田新田一里塚は痕跡もない。
東柏原交差点で県道380号と合流する。海岸線(千本松原)通るため千本街道と呼ばれる。
海岸に出てみる何処までも続く松原と砂浜、分かつ堤防が続いている。
田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」って覚えたな。

12:40「六王子神社」 02:45:00
 この辺りに三股淵生贄伝説が残っている。
3つの川の合流点の深い淵に棲んでいた龍に、毎年若い娘を生贄に捧げていた。
旅の巫女が人身御供にされ、残された連れの巫女が悲しみのあまり沼に身を投げたと云う。
あとを追った6名の巫女を祀ったのがこの神社だ。 

Navi23 檜交差点(左折) → <県道170号> → 富士信金吉原南支店 1.8km

13:15「毘沙門天妙法寺」 03:20:00
 高崎、深大寺と並ぶ「日本三大だるま市」のひとつ毘沙門天大祭が開かれる妙法寺。
本尊の毘沙門天は聖徳太子作と伝わる。振り返ると白妙の富士を望む。 

この地は江戸初期の吉原宿、延宝八年(1680年)の大津波で宿並は壊滅した。
2年後、宿場を移転して後、元吉原と呼ばれるようになった。 

Navi24 富士信金吉原南支店(右折) → <県道170号~171号> → 喫茶アドニス 3.5km

津波を避けた東海道は針路を北に転じて富士を正面に進む。ほどなく東海道本線の踏切。

河合橋交差点で県道170号から171号に替わって沼川を渡る。
製紙工場70がひしめく富士市、オレンジ色の煙突と立ち上る白煙がシェアを誇っている。

Navi24-2 鈴与富士支店前Y字路(斜め左)

Navi24-3 吉原駅入口交差点(直進) 100mほどR139と重複

Navi24-4 富士由比バイパス下Y字路(斜め左)

 

13:35「左富士神社」 03:40:00
 吉原宿の移転でこの辺りの旧東海道は北へ向かっている。
よって江戸を発って京へ向かう旅人は進行方向左側に富士を見ることになる。
左富士は名勝となり、広重は吉原宿の情景をこの「左富士」として描いている。 

続いて「名残の松」が左手に見える。広重が描いたうちの一本だろうか。

Navi24-5 平家越え橋東詰Y字路(斜め左)

13:45「平家越え橋」 03:50:00
 治承四年(1180年)の源平富士川の合戦、ここに平家が陣を張った。
水鳥の羽音に源氏の襲来と恐怖し、西へと潰走してしまった平惟盛の大軍勢。
貴族化した平家の醜態を見せたエピソードの地だ。 

 

吉原宿の東木戸跡を過ぎると岳南電車の吉原本町駅、ちょうど電車が出て往った。
駅裏の身代わり地蔵、昔、悪い眼病が流行った時にこの地蔵に願を掛けて完治した。
地蔵の目にはいっぱいの目やにが付いていたと云う話だ。 

14:05「吉原宿」 04:10:00
 吉原宿の宿並みはアーケードの吉原本町商店街になっている。
二度の移転でこの地に拓いた吉原宿は、本陣2、脇本陣3、旅籠60軒の規模であった。 

アーケードを一筋入ると天神社がある。吉原宿を形成する時に町割りの基準となった。 

 

「東海道表富士」は富士山専門のギフトショップ、富士山関連商品や地元の逸品販売する。
海抜0メートルからの富士登山道「村山登山道」の案内をしているそうだ。
「鯛屋旅館」は天和二年(1682年)創業の旅籠、今でもビジネス旅館として営業を続ける。
世紀の大親分清水次郎長、幕末の偉人の一人山岡鉄舟の常宿としても知られる。 

 

Navi25 喫茶アドニス(左折) → <県道22号> → 錦町北交差点 0.8km 

 

東海道が鉤の手に折れる角に「喫茶アドニス」はある。今回の街道めしをここで食す。
ご当地グルメ "富士つけナポリタン" は、トマトソース+鶏ガラのWスープに麺をつける。
もっちり太麺にトロけたチーズが絡んで美味い。息子絶賛。なんだが「呑み鉄放浪記」的。

沼津宿から千本松の駿河湾に沿って白隠禅師の原宿、名勝・左富士を実感して吉原宿へ。
小雨さえ降った沼津、昼過ぎには冬晴れが広がり富士を堪能した4時間10分の行程だった。
次回は富士川を渡って由比、興津あたりをめざす。薩堆峠からの富士山を楽しみだ。

沼津宿~原宿~吉原宿 17.6km 



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