東武鉄道の大動脈である伊勢崎線は、館林からはいよいよローカル色が色濃くなる。
複線の鉄路は牧畜のフォークのように3方向に単線が分岐していくのだが、
そのうちの1本の小泉線は、切欠きの4番ホームから短い2両編成が始発する。
実は館林という町のことはよく知らない。今回は少し歩いてみようと思う。
館林駅の駅舎は昭和12年築の洋館風、丸みを帯びた窓、白壁に青い屋根がなかなか洒落ている。
館林は1950年、徳川四天王の榊原康政が入城して立藩した館林城の城下町。
城跡には市役所、文化会館、図書館のほか向井千秋さんの記念館が建っている。
堀の役割を果たしたであろう鶴生田川には「こいのぼりの里まつり」の数千匹の鯉のぼりが泳いでいる。
城沼に臨むつつじが岡公園では、100余品種、約1万株のツツジが咲き誇る「つつじまつり」が開催中、
残念ながらすでに見ごろ過ぎ、次回はきっと4月中旬に訪ねたいものだ。
さて、4番線を発った2両編成の10000型は、ゴトゴトと平坦な関東平野に敷かれた単線を行く。
車内はというと、東南アジア系、ブラジル系の若者が乗客の半分以上を占めている。
これ決して大袈裟ではない。日本人の成人や家族連れはマイカーで動くだろうから
勢い公共交通機関の風景はこうなることは自明だと思うのだ。
館林駅から20分、2両編成は車止めに行く手を塞がれる。ここが西小泉駅。
周辺にはSUBARU群馬製作所、パナソニック群馬工場と、ちょと半端ではない大規模な工場がある。
なるほど車内がエスニックな雰囲気であることが理解できるのだ。
呑み鉄というゲームを始めてまもなく、小泉線を乗ったのは10年前だから、ずいぶん久しぶり。
レトロな駅舎がコンパクトなプレハブに代わっていたのにはちょっとビックリ。
新駅舎はブラジル国旗の黄色と緑色の配色で、ここまで配慮する必要があるの?と疑問でもある。
一方でこの店が黄色や緑色なのは納得感も好感もある。
そして10年前と同様、あちらの大衆食堂的「レストラン ブラジル」で昼の一杯に興じたい。
ジョッキーまで凍らせたキンキンの生ビールは、これからの季節には嬉しい。
この “プロベンサウ” ってのはマリネ風のポテトフライ、ニンニクが効いてこれは美味い。
それに “コシーニャ” は、ポテトと鶏肉のコロッケ、これもいける。
“リングイッサ・カラブレーザ” は、激辛チョリソーソーセージ、オニオンの甘みと絡んで美味しい。
BBQに登場しそうな一品は、ブラジル定番のアテだそうだ。
それではとチリのカベルネ・ソーヴィニヨンをデキャンタで注文する。
重厚感のあるフルボディがこのスパイシーな料理に合うね。
さていい感じに飲んでもう少しと思わない訳ではないけれど、小泉線は1時間に1本だから駅へと戻る。
再びエスニックな雰囲気に紛れて2駅戻ると、今度は東小泉駅に降り立つ。
どっちが本線か支線なのかは知らないけれど、小泉線は館林から西小泉を結ぶ線と、
途中の東小泉から太田を結ぶ線が存在する。ということで仕上げはここから太田へ抜けないといけない。
やはり2両編成の10000型は、館林〜西小泉の列車との連絡を待って、太田に向かって出発する。
列車は運用上、小泉線から太田を経て桐生線を赤城まで走る。やはり日中は1時間に1本なのだ。
2駅10分の付加的な旅はアッという間で、電車は高架に上がると伊勢崎線と合流する。
3面6線の長く広々としたホームは、東京や大阪のターミナル駅にも引けを取らない立派な構造だ。
人口22万人超の群馬県第三の太田市は、零戦の中島飛行機、富士重工の企業城下町として発展した。
北口に降り立つと両社を継ぐSUBARU群馬製作所本工場が威容を誇っている。
太田(上野国新田荘)の偉人新田義貞に、遥々酒を呑みにきたことを告げて、この旅を終えよう。
東武小泉線 館林〜西小泉 12.0km 完乗
東小泉〜太田 6.4km 完乗
<40年前に街で流れたJ-POP>
常夏娘 / 小泉今日子 1985