旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

アクセス特急とハイビスカスの翼と雨宿りの大衆酒場と 成田空港線・北総線を完乗!

2024-03-23 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

オレンジのラインを纏い、シャープで精悍な3100系が、120km/hと120km/hですれ違った。
“アクセス特急” は成田空港と羽田空港を1時間50分で結んでいる。

5つのホームに忙しなく電車が発着する京成高砂駅も、入り口はとっても地味な下町風情の駅なのだ。
この町には夕刻、呑みに帰ってくることにして、今日は北総鉄道北総線と京成成田空港線を乗りたい。

青砥からの複々線を中川にかかるガーダーを響かせて3700系電車が近づいてくる。これは京成電鉄の車両。
京成高砂から成田空港の鉄道は複雑で、4つの鉄道会社が第3種鉄道事業者として線路等の施設を所有し、
北総鉄道と京成電鉄が、第1種または第2種鉄道事業者として路線を運営している。

さらに京成高砂から印旛日本医大の間は両線がダブっていると言うのだから、もう素人には何のことやら。
ややこしい仕組みを理解しようとしていると、各駅停車は新鎌ヶ谷駅に滑り込み、少々停車すると云う。

少し伸びでもしようかとホームに降り立つと、注意を喚起するチャイムが鳴り出した。
轟音が近づいてくる。っと振り向く暇もなく160km/hの猛スピードで真打 “スカイライナー” が飛び去る。

白井駅に途中下車した。豊かな自然が残る閑静な住宅街が広がってる。
この静かな住宅街を歩いて、ちらほらと梨畑が見えてくる辺りに目的の食堂がある。

地産の野菜をふんだんに使った惣菜サラダーと酎ハイレモンを一杯。
菜の花のお浸し、なすと厚揚げの煮物、かぼちゃサラダ、どれも美味しいアテになる。
そして “ピリ辛味噌うどん”、これがまた良い。思わず二杯目のジョッキーを注文してしまうのだ。

満腹を抱えて乗り込む2番手ランナーは、北総鉄道所有の愛称C-flyer 9100形、これもまた斬新なデザイン。
各車両の車端部にはクロスシートがあるから、空いている平日の日中なら車中酒ができるかもです。

時計塔とドーム屋根が印象的な駅舎は印旛日本医大駅、北総鉄道北総線の終着駅である。
千葉ニュータウンに位置するこの駅舎のデザインテーマは「都市と田園の共生」なんだそうだ。

多くの列車がこの駅で折り返すから、次の成田空港行きまでは40分の待ち合わせ。
ショルダーバックに忍ばせていた新書で時間を潰すうちに、オレンジのラインの8両編成が駆け込んでくる。

印旛日本医大から先は京成成田空港線の単独路線。水鳥が遊ぶ印旛沼を眺めて、成田空港までは所要15分。
成田空港駅のきっぷ売り場はJRも京成も長蛇の列、この辺りが訪日旅行の最初のボトルネックだろうか。

折角だからと展望デッキに上ってみた。赤い翼に混じってハワイアン航空のA330が駐機中。
ハイビスカスを飾ったPualaniさんの横顔に、久しぶりにハワイで羽根を伸ばしたいと思うのだ。

京成高砂まで戻ってきた。突然降り出した大粒の雨に追われて、今宵は南口の大衆酒場に駆け込む。
カウンター6席、テーブル4卓の完全なるローカルな店、ジョッキまで冷やした生ビールのレベルは高い。

コロッケのような分厚い “ハムカツ” がジューシーで美味い。ボクの好きな “たぬきとうふ” は箸休めに。
並びに座ったご常連お二人の消防団談義を聞きながら、“白ホッピー” を軽く2度ステアする。

ナカをお代わりしたら “豚バラ生姜漬け焼き” を焼いてもらう。これがまた絶品。
っと雨雲レーダーを眺めていたら、10分後にちょっとだけ雨が止みそうだ。この機会は逃せない。
雨宿りの大衆酒場で〆る今宵も渋めな北総線と成田空港線の呑み鉄の旅なのだ。

京成電鉄 成田空港線 京成高砂〜成田空港 51.4km 完乗
北総鉄道 北総線 京成高砂〜印旛日本医大 32.3Km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Voyager / 松任谷由実 1984


成田山新勝寺と北ウイングとシャリキンと 京成本線を完乗!

2024-03-16 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

大きな弧を描いて青砥駅に京成成田行きの快速特急が進入してくる。
スカイライナーのルートを成田空港線に譲って、この快速特急が京成本線の花形だ。

ソメイヨシノに先行して、上野公園前に寒桜が満開だ。
アジア系、欧米系を問わず、相変わらず外国人が多い。映える日本の桜を背景に自撮りに興じている。

コツコツと階段を登っていくと、本来この公園の主役である西郷隆盛が佇んでいる。
こんな穏やかに晴れた休日には、美術館でも巡って、テラスで珈琲を楽しむのも良いかもしれない。

京成上野駅は西郷隆盛の足元に2面4線のホームを持っている。
2番ホームから滑り出したスカイライナー41号の後を追って、快速佐倉行きで京成本線を呑む旅は始まる。

轟音を響かせて江戸川橋梁を渡ると、3700系の8両編成は千葉県に入る。
車窓に見える河川敷の球場には、少年たちが明日の大谷翔平をめざして白球を追いかけている。

京成佐倉に降りたのは初めてかもしれない。駅を背に道路は佐倉城址に向かって登り坂だ。
佐倉城址公園も桜の名所ではあるが、開花まではあと1週間は必要ではないだろうか。
代わりに土塁と生垣の通りに旧佐倉藩士の武家屋敷を訪ねる。凛とした雰囲気が良い。

駅への帰り道で「房州屋本店」という老舗の蕎麦屋さんを見つけて先ずは一杯。
冷酒を舐めながら、山葵をきかせて “そば豆腐” をいただく。そばの実の食感が楽しくもある。 

なめこ汁を従えて “舟せいろ” が登場する。
おろし、なめこ、わさび、と薬味を変えつつ舟形のせいろ一枚を楽しむ。美味しい午後だ。

旅の後半は3000系の8両編成、今度のは快速の成田空港行きだ。
とは云え次の目的地である京成成田まではわずかに10分と少々、それでも成田山には寄らない訳にいかない。

“長命泉” の蔵元を冷やかし、川豊本店から漂う蒲焼の香りを振り切って、成田山の門前に辿り着く。
那羅延金剛(ならえんこんごう)と密迹金剛(みっしゃくこんごう)が睨みを利かす仁王門には真紅の大提灯、
訪日外国人観光客が喜びそうな大提灯には「魚がし」の文字、築地の魚河岸講の奉納出そうだ。

階段を登り切ると、弘法大師が自ら彫ったとされる御本尊不動明王を納めた大本堂、
そして西からの薄日に照らされて、十六羅漢を彫りめぐらせた三重塔の朱が美しい。

アンカーの快速成田空港行きは都営浅草線から乗り入れる5500形、
地下鉄車両とは思えないスタイリッシュなフェイスは、歌舞伎の隈取りを現代風にアレンジしたのだそうだ。

京成成田から成田空港間は1978年の開港に合わせて開通した。
呑み人も仕事柄ここへはずいぶん通った。40余年を経ても変わりなくグリーンのサインは輝いている。

映画のシーンのように すべてを捨ててく airplane
北ウイング 彼のもとへ 今夜ひとり 旅立つ

海外渡航が特別なものであった時代、昭和な呑み人には染み付いた中森明菜の曲だ。
実際、旅人の数だけドラマがあり、その舞台であるのが北ウイングだと思う。

第2ターミナルから無機質な通路を延々と歩くと、東成田という忘れ去られたような薄暗い地下駅に辿り着く。
ここは開業当時の成田空港駅、この駅を起点に芝山千代田駅までを芝山鉄道が、京成成田へ東成田線が走る。

旅の終わりに、芝山千代田から京成成田間を乗り通す。
時間にしてわずか10分の旅、芝山千代田での乗客はエアカーゴ関係にお勤めの方が多いようだ。

市役所通りを跨ぐ開運橋の袂に「寅屋本店」の赤提灯が揺れている。今宵は昭和レトロな大衆酒場で呑みたい。
ここのビールは “赤星” の大瓶、泣けてくるねぇ。磨かれて角がすり減ったカウンターで一人酒だ。

 

“刺身3点盛り” は、マグロ、真鯛、はまち。良いところを切っている、侮れない一皿だ。
傍に春の苦味を纏って “菜の花の辛子酢味噌”、大人のアテって感じだね。これは美味い。

熱々の餡をかけて “蓮根のはさみ揚げ” をいただく。隣の親父さんが食べていたのに倣ってみる。
餡に焼けそうな口に “シャリキンホッピー” を流し込んで美味しい。
そう、キンミヤのシャリキンが飲めるこの店は、すでに呑み人お気に入りの一軒なのだ。

京成本線 京成上野〜成田空港 69.3km 完乗
京成東成田線 京成成田〜東成田 7.1km 完乗
芝山鉄道    東成田〜芝山千代田 2.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
北ウイング / 中森明菜 1984


亥鼻城と千葉寺とモツ焼きの大衆酒場と 京成千葉線・千原線を完乗! 

2024-02-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

前照灯を煌めかせて、外房線と並走して3500系の4両編成がやってきた。
京成線は千葉中央駅を境に千葉線と千原線が走っている。この駅を降りたら昼呑みを楽しみたい。

日暮里で成田空港行き快速特急に飛び乗って30分、京成津田沼までやって来た。千葉線はここから分岐する。
歴史的には成田へ向かう本線より先に開通し、戦前は海水浴や潮干狩りの行楽客で賑わったという。

行き先表示に「千葉中央」を光らせて、5番ホームに新京成の8800形電車が入ってきた。
日中は新京成線の車両が千葉線に乗り入れて、松戸〜千葉中央間を直通運転している。

千葉にお城があった?
県庁東側の猪鼻山は北側を都川が洗い、西側は断崖となった天険の要害、平安時代に千葉氏が居館を構えた。
ここを亥鼻城(いのはなじょう)というが、歴史的にはあまり意味のない模擬天守と千葉常胤像が建っている。

亥鼻公園の最寄りは千葉中央駅、千葉線の終点であり、新京成の車両が乗り入れるのもここまで。

かつて千葉の花街であった蓮池から西に外れた辺りに昼飲みの大衆酒場が暖簾を揚げている。
どうやらキンミヤ焼酎が飲めるらしい。もつ煮・モツ焼きの「まるは」に、もつNGの呑み人が突入する。

なんだか遠慮がちに光量を落とした店内なのだが、すでにご同輩たちで8割方の席が埋まっている。
カウンターの最奥に席を占めて見回すと、いやいや結構若いカップルも杯を重ねているね。
まずはキリンラガーを、それからお急ぎの “マカロニサラダ” と “まぐろ納豆” で始める。

揚げ物は “とうもろこしかき揚げ天” と “紅しょうが天” を択んだ。
この色合いの対称と、甘さと酸っぱさの対称が楽しい。そして推しの “徳島産生すだちサワー” が爽やかだ。

三杯目は徳島から紀淡海峡を渡って “紀州梅サワー” をいただく。あと “ねぎま” を2本ね。
昼下がりの街で一杯を楽しんで小3枚、いい感じだね。立体マスクを耳に掛けたら千原線に乗ろう。

千原線はもともと第三セクターの千葉急行電鉄の路線を京成電鉄が引き継いでいる。

Z世代の3000形電車が6両編成で入って来た。
京成津田沼から10分毎の電車の半分は千葉中央止まりだから、この先は20分に1本と少しだけ寂しくなる。

近代的な装いの千葉寺駅に降りてみる。千葉寺って?ちょっとした好奇心なのだ。

千葉寺(せんようじ)と読む。駅からは徒歩10分、緩やかに坂を登っていくと、突如として仁王門が現れた。
709年(和銅2年)、この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、その後千葉氏の勅願所となった。

千葉寺には、江戸時代に「千葉笑」という奇習があった。
面や頬かむりで仮装した民衆が大晦日に集い、権力者の不正などを罵り合い、笑って年を越すのだと言う。

千葉寺や 隅に子どもも むり笑い とは小林一茶。 

鉄路は、おゆみ野・ちはら台のニュータウンの端をかすめて、終着駅にわずかな乗客を降ろす。
その先、小湊鉄道の海士有木まで至ると言ういつ叶うとも分からない夢に向かって、少しだけ南に延びている。

京成電鉄 千葉線 京成津田沼〜千葉中央 12.9km 完乗
京成電鉄 千原線 千葉中央〜ちはら台  10.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
星空のディスタンス / THE ALFEE 1984


木根川橋とせんべろの聖地とトマトのおでんと 京成押上線を完乗!

2024-02-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

精悍なマスクの3700系がホーンを響かせて疾走する。都営浅草線を越えて長駆久里浜まで駆け抜ける。
晴れ渡った連休初日は、先週に引き続き、京成電鉄の短い旅を楽しみたい。

北十間川にその姿を映して銀の尖塔が空を突く。
押上線は東京ソラマチの地下から、住宅や町工場が密集する下町を掻き分け、青砥で京成本線に連絡する。

羽田空港と成田空港を結ぶルートを担う押上線、多くの特急・快速が途中駅に止まらずに爆走する。
成田空港行きのアクセス特急を1本やり過ごして、ボクは青砥行き各駅停車に乗り込むのだ。

ひとつ目の京成曳舟駅を越えたあたりで擦れ違った羽田空港行きは、京浜急行の紅い1000系電車だ。

木根川橋から 水道路抜けた 白髭神社の 縁日は🎵って、さだまさしが歌っていた。
昭和な呑み人にはストライクゾーンの曲、歌詞の情景を探し求めて四ツ木駅に途中下車してみた。

白髭神社、区立中川中学校、木根川薬師、銭湯を巡って下町散歩。
歌詞が描かれた頃にはなかった東京スカイツリーと木根川橋の夕景を切り取る。

その木根川橋を下流に見て、赤と青のラインを引いた8両編成が、轟音を立てて荒川を渡る。
やがて各駅停車は “せんべろの聖地” 京成立石に滑り込む。

宇ち多゛栄寿司、ミツワと名店が並ぶ仲見世通りだけど、“もつ” が食べられないボクはすごすごと退却。
線路脇の小道を四ツ木方面に戻ると、橙の暖簾が揺れているのが目的のおでんの店「二毛作」なのだ。

ちょっと立石っぽくないムードの店は、コの字カウンターに選りすぐりの日本酒を並べて午後2時に開く。
暖簾を潜って人差し指を示すと、端からふたつ目の席を案内される。隣は韓国から留学してきた男の子。
なんでこんなに詰めさせられるの?と思ったけれど、10分もしなういちに18席がぎっしりと埋まるのだ。

最近のCMは芳根京子さんに代わりましたね、まずはマルエフを一杯。
高知県は宿毛に揚がったウスバハギ、ミズダコ、ぶり、かつお、を並べて “刺盛” が美味しい。

隣の男の子に倣って、白身魚のすり身を揚げた “下町フライ” にレモンを絞る。
9号酵母で醸した “るみ子の酒” は、すっきりとした特別純米酒、三重県は伊賀の酒だね。

おでんは “とまと” と “ロールきゃべつ”。お店の代名詞的な “とまと” が、いい味を出している。
青ラベルの “いずみ橋” は山田錦の純米吟醸酒、口当たりの良い辛旨口は、出汁が利いたおでんによく合う。

“せんべろの聖地” 京成立石を後にした各駅停車は、住宅や町工場を見下ろす高架を駆け上がる。
夕暮れの茜の中、左から京成本線が近づいて来ると、短い押上線の旅は終わるのだ。

京成電鉄 押上線 押上〜青砥 5.7km 完乗

木根川橋 / さだまさし 1979


帝釈天と老舗の葛餅と剣菱の小瓶と 京成金町線を完乗!

2024-02-03 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

旧水戸街道の高架道路をくぐって、赤いラインの4両編成が京成金町駅に入ってきた。
節分の休日は真っ青な冬晴れ、それではと、金町線の短い旅をしようと下町の駅に降り立った。

京成金町駅は雑居ビルの1階にぽっかりと改札口の穴を開けている。
JR金町駅を背にして駅前広場を見渡しても、案内表示なしでは容易に見つかりそうにない。

わずか2.5kmの路線の唯一の中間駅だけが複線になっていて、上り下りの電車が交換する。
この短い金町線ではあるけれど、4両編成で車掌が乗務しているから、相当の乗降客があるのだろう。

その賑わいの背景の一つがこの中間駅にあるのは間違いがない。
柴又駅の案内板にはお馴染みのシルエットが描かれている。そう、柴又駅はフーテンの寅さんのふるさとだ。

帝釈天参道で上下姿の一団に出会す。ここで初めて今日が節分であることに気づいた。
ちょうど二回目の節分会の時間に当たって、参道は初詣のような人出になっている。

 唐破風と千鳥破風を飾った楼門(二天門)が見えてきた。
寺男の源公(佐藤蛾次郎)が掃き掃除をする静謐な帝釈天の雰囲気はなく、今日の境内は善男善女が埋め尽くす。
やがて豆まきが始まると老いも若きも歓声をあげる。一際大きなまき手は、元関脇旭天鵬だ。

帰りの参道で髙木屋老舗に潜り込む。雰囲気だけは味わいたい。
熱いお茶にホッとひと息ついたら、黒蜜と黄な粉をたっぷりかけて “くずもち” を味わう。
っと柱の振り子時計が鐘を四つ鳴らした。そろそろ飲みに行っても良い頃だろうか。

夕暮れの柴又駅、“寅さん” と一緒に旅に出る。とは言っても京成高砂駅まではわずかに2分。
寅さんの視線の先には、エプロン姿の “さくら” が弱々しい冬の夕陽を浴びて立っているね。

測ったように上り下りの電車が交換する。やや高砂方面からの入線が早い。
家路に向かう降客と、帝釈天を訪ねた乗客を入れ替えて、4両編成はそれぞれ高砂と金町をめざす。

鉄路の東側では江戸川が音もなく東京湾へと流れていく。
呑み人が土手に登った頃、泥だらけのユニホーム姿の野球少年たちが、自転車で流れを描いていた。

赤いラインの4両編成は、左手に電車庫が見えると、するすると高架に上って行き止まりの5番線に終着する。
吐き出された4両たっぷりの乗客は、整然と京成本線ホームへのスロープを下っていった。

カンカンカンと警報音を響かせる開かずの踏切をやり過ごして、暖簾が掛かったばかりの高砂家へ。
魚や野菜が並ぶ奥行きのあるカウンターに丸イスを並べて、なかなか趣のある店なのだ。

やっぱり “生ビール” で始める。“まぐろ納豆” はブツではなく切り身でちょっとびっくり。
トンカツのように揚げた “ハムカツ” はボリュームたっぷり、辛子とマヨネーズをブレンドして美味しい。
二杯目からは “ホッピー黒” を。この店はカウンターのお母さんが作ってくれる。

小鍋で煮てくれる “肉豆腐” は、胡麻油が効いてなかなかの逸品、汁まで美味しい。
お酒は “剣菱” の一択、サンデシ瓶なのは店の女の子が注いでくれるから、ちょっとご機嫌だね。

ローカル線の雰囲気たっぷりに金町線に乗って、柴又を訪ねるのは、ちょっと遠出をした気分になる。
ガタゴトと行き交う電車の音を聞きながら、下町情緒の酒場で杯を重ねて、金町線の旅が楽しい。

京成電鉄 金町線 京成金町〜京成高砂 2.5km 完乗

男はつらいよ / 渥美清


真紅のトーチと灘五郷と福寿の酒と 阪神電鉄本線を完乗!

2024-01-27 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

出張が明けた週末は、冷たい風が吹き荒ぶものの、雲ひとつない青空が広がっている。
今日は阪神電車に乗って、灘五郷のいずれかを訪ねて一杯飲りたい。

特急専用の2番線に停車しているのは「阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン」だって。
名作野球マンガのキャラクターや、甲子園球場の歴史を辿る数々の写真で電車を彩る。

水島新司氏の「ドカベン」が彩るのが1号車、岩城が吠え、殿馬が舞っている。
11:10、幸運にもこの希少な列車に遭遇して、ボクの阪神電車の旅は始まる。

特急の最初の停車駅は尼崎。速度を落とした車窓には、車両基地越しに天守閣が見えてくる。
尼崎城は大坂の役後、戸田氏によって築城され、明治の廃城令まで大阪湾に浮かぶようにあった。
現在の復元天守は2018年に落成した。まだ新たしい白壁が冬の陽を浴びて眩しい。

急行に乗り換えて3つ目、武庫川橋りょう上に設置された武庫川駅のホームは底冷えがする。
川の土手を降りたところに武庫川線が発着する1面2線の島式ホームがある。

わずか1.7kmの武庫川線は1944年、紫電改など海軍の航空機を製造した川西航空機への輸送を目的に建設された。
武庫川西岸の築堤沿いに走る深緑の「甲子園号」は、武庫川団地の通勤通学を担っている。

武庫川に戻ったら再び急行電車に飛び乗って、2つ目の特急停車駅、甲子園へと駒を進める。
呑み人の母校は在学中に春の選抜大会に出場している。応援に行った頃は蔦に覆われていたのだが。

甲子園駅に滑り込んできたのは「日本一特別ラッピングトレイン」って、これまたラッキーな邂逅なのだ。

大阪難波方面から神戸三宮まで走るこの車両はそろそろ運行終了かも、関心のある方はお早めにどうぞ。

芦屋から住吉にかけて、鉄路は神戸市の都市計画事業によって高架化が成った。
急行用の1000系電車はスラブ軌道を、それこそ滑るように快適に飛ばして行くのだ。

6つ目の特急停車駅は御影。日本一の酒どころ灘は五つの郷から成っている。
なかでも御影郷は菊正宗だの白鶴だのコマーシャルでもお馴染みの大きな蔵が並ぶのだ。

“福寿” という、なんとも縁起のいい酒蔵、神戸酒心館も御影郷に杉玉を吊るしている。
門をくぐって左手、木造の酒蔵に「蔵の料亭 さかばやし」がある。

フレッシュな純米吟醸をワイングラスに注いでもらったら、旬魚の四種盛りをアテに一杯。
お姐さんにわがままを言って、ランチの膳を小出しにして貰うのだ。

煮物にお浸し、それに自家製豆腐の小鉢を並べて、緑のラベルは純米酒。
すっきりとした切れ味の辛口は、出汁がきいた料理には相性がいいね。

8000系の特急電車が岩屋駅から地下区間に潜り込むと旅の終わりも近い。

神戸の中心市街地のターミナルは三宮、JRと阪急は高架駅、阪神電車の神戸三宮は地下駅になっている。
5社6路線の駅は互いに「さんちか」で繋がる。イメージのせいか、街ゆく人たちはお洒落な人が多いような。

この旅のアンカーは山陽電鉄5000系、特急は大阪梅田から山陽姫路まで直通運転をしている。
阪神電鉄本線の終点は元町、その先山陽電鉄の起点西代まで繋ぐのは神戸高速線になる。

元町を降りたらビル風が吹く街並みを潮の香りがする方へ足を進める。
お色直しを終えた真紅のトーチが、夕陽を浴びて輝いている。旅の終わりの西代まではあと少しだ。

 阪神電鉄本線 大阪梅田〜元町 32.1km 完乗
      神戸高速線 元町〜西代 5.0km 完乗
武庫川線 武庫川〜武庫川団地前 1.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
誘惑 / 井上陽水 1983


太陽の塔と豊川まどか嬢と大阪の粉もんと 大阪モノレール線・彩都線を完乗!

2023-12-30 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

冬の陽に煌めくシルバーの車両にスカイブルーのラインをひいて上り下りの電車がすれ違う。
大阪空港行きが軌道けたを跨いで勾配を駆け上がってきた。千里丘陵は思った以上にアップダウンが激しい。

羽田からのボーイングが伊丹に舞い降りて、大阪で呑む旅が始まる。

大阪モノレールは伊丹空港から私鉄各線とクロスして門真市で京阪本線と連絡する。
1997年に漸く伊丹空港まで延びた訳だから、案外若い鉄道路線なのだ。

ピンクのラインの2000系電車は2001年のデビューだから今が働き盛り。
大阪空港を発ったピンクのラインは、阪急宝塚線と連絡する蛍池を支点にS字を描くと、
中国自動車道と一緒になって東へと流れていく。

やがて大阪モノレール線の車窓のハイライトである「太陽の塔」が見えてくる。
ご存知のとおり、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボル、岡本太郎氏のデザインである。
金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」は、半世紀の時を超えて大阪の街を見つめている。

太陽の塔が見下ろす万博記念公園から彩都線が分岐している。
軌道けたが描く曲線美と機能的なポイントの動きは、なかなか美しく見応えがある。

茨木市と箕面市の北部山間部に広がるニュータウン「国際文化公園都市(彩都)」は現在も開発中。
最急勾配50‰を「1970年大阪万博50周年記念号」が登ってくる。シンプルながら美しいデザインだ。

終点の彩都西駅、大阪万博の「青」と関西万博の「赤」のロゴを並べてラッピング電車のドアが開く。
EXPO'70の「ワクワク・ドキドキ感」を車両で想起させ、2025年の関西・大阪万博を盛り上げるそうだ。

シンプルなチャイムが短く鳴って、万博記念公園に最新鋭の3000系電車が入ってきた。
2018年から走り始めた電車は、先輩諸氏と違って曲線的なラインが若々しく斬新だ。

万博記念公園は吹田JCTと隣接している。この先大阪モノレール線は近畿自動車道と並んで南へと流れる。
やがて東海道新幹線を跨いだ3000系は、長い鳥飼大橋で淀川を渡ってラストスパートをかける。

終点の門真市駅では鉄道むすめ 豊川まどか嬢が乗り換えのアテンダントをしている。
なんとこの世界にも総選挙があるそうで、2015年には全国第3位、関西第1位となったそうだ。

ジャンボ酒場は関西圏で90店舗を展開する昼飲みができるたこ焼きチェーン店。
先ずは手っ取り早く、大阪の “粉もん” で一杯やろうと思う。

先ずは “たこ焼き(ポン酢)” をアテに生ビールを呷る。
おかかを散らしマヨネーズで波を描いて、関東モノとは明らかに違う ふわとろ が美味しい。

“イカ焼きそば” はネギ増しでこってり、シャキシャキで美味しい。箸休めは “冷やしトマト” だ。
二杯目は天井から提がるポスターの井川遥さんに誘われて “角ハイボール”。これは断れない。

大阪モノレールでは、JR・私鉄4路線と連絡して南へ9キロ延伸する事業を進めている。
今はまだ車止めが設置されている軌道けたには、折り返し大阪空港行きとなる3000系が停車中だ。
“粉もん” で軽く始めた大阪の乗って呑む旅、まだまだ旨い酒肴を探して彷徨います。

大阪モノレール線 大阪空港〜門真市 21.2km 完乗
彩都線 万博記念公園〜彩都西 6.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
たったひとりのオーディエンス / TULIP 1983


雄山神社とサバへしこと勝駒と 不二越・上滝線を完乗!

2023-11-18 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

岩峅寺駅(いわくらじえき)の3番線に佇む14760形は、富山地方鉄道のオリジナル車両だ。
ホワイトとグレーの塗装にあずき色のラインは雷鳥色と云うらしい。
午後の日を浴びながら不二越・上滝線に乗って呑みたい。

駅からほど近い雄山神社は霊峰立山を御神体とし、伊邪那岐神、天手力雄神を祀る。
山頂が峰本社であるのに対し、ここは前立社壇(まえだてしゃだん)といって立山信仰の拠点だ。
本殿に手を合わせて、この旅が安全でありますように、美味しいお酒が呑めますように。

雷鳥色の2両編成は、雄山神社の境内を抜けるとすぐに常願寺川の鉄橋を渡る。
対岸にある大正13年(1924年)竣工の上滝発電所は国指定登録有形文化財になっている。

14760形は肘掛け付きの転換クロスシートを並べ、座席番号を示すプレート、帽子掛けなどを備えて、
かつて優等列車として運用された名残を感じる。日に焼けた座席のモケットが寂しい。
こんな車両だったら缶ビールかワンカップを持ち込みたかったけど、駅周辺にお店はなかった。

雷鳥色の2両編成は、富山市街地に向けて田園風景の中、常願寺川扇状地を下っていく。
夏草がむしたホーム、ちょっとだけ歪んだ線路、錆びた架線柱、ローカル線の旅情たっぷりだ。

月岡駅で交換する下り電車も14760形、J3カターレ富山のラッピング電車とは3度目の邂逅になる。
やっぱり広告を入れた車両は満遍なく各路線を走らせるんだね。

車窓はいつしか田園風景から住宅地に変化して、雷鳥色の2両編成は少年たちが待つ不二越駅に滑り込む。

市街地の東端を舐めるように、google mapに緩やかな弧を描くと右手に車両基地が見えてきた。
終点の電鉄富山までひと駅を残して、本線と合流する稲荷町が不二越・上滝線の旅の終わりだ。

目の前の大型ショッピングセンターが茶色の瓦を載せた駅舎に影を落としている。
夏日が続いているとは云え、9月も半ばを過ぎて確実に日は短くなっている。

“勝駒” の菰樽を並べているのは新富町にある人気の居酒屋だ。
なかなか予約が取れないから、8時過ぎにアポなし突入、カウンターの最奥に2席を確保した。

先ずはYEBISUの生ビールで乾杯。
先付けの “タコと大根のやわらか煮” が絶品。煮汁の色に染まった大根が美味しそうでしょう。

緑に輝く爽やかなラベルの “羽根屋” は、さらりと飲みやすい特別純米だ。
角氷を敷き詰めたおけに富山湾に上がった鮮魚を抓んで、酒と人情料理「だい人」の夜は始まる。

呑み人は “へしこ” に目がない。米ぬかと鯖の香ばしい香りで2〜3合は飲めそうな気がする。
“千代鶴” は滑川の酒、立山山麓早月川水系の伏流水と富山県産米で醸す小さな蔵だ。
穏やかな香りでスッキリした口当たりの純米吟醸、でも “へしこ” の相手には上品過ぎるかもしれない。

大判でふわふわの “一番だし巻き卵” が登場、箸を入れるとジュワッと出汁が沁み出て美味しい。
“勝駒” は高岡の酒だね。五百万石を醸したキレのよい純米酒をゆるりと愉しむ。
〆に “じゃこおにぎり” を頬張って、富山の山海の恵みを味わいながら夜は更けゆくのだ。

富山地方鉄道・不二越・上滝線 岩峅寺〜稲荷町 15.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
悲しみがとまらない / 杏里 1983


称名滝と志鷹のおにぎりと清酒立山と 富山地方鉄道・立山線を完乗!

2023-11-11 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

レッドとオレンジがグラデーションしたラインの17480系、オールステンレスの都会的な電車でしょう。
東急大井町線から嫁いできた2両編成は、特急扱いで寺田駅の4番ホームに入ってきた。

本線と立山線が分岐する寺田駅は、Yの字をした2面2線×2の変わった構造になっている。
昭和6年(1931年)の開業時より使用されている木造駅舎は、駅名表札が「驛田寺」と右書きで表記されている。

まだ真夏日が続いている頃、本線と分岐した立山線に乗って常願寺川扇状地の東の端をまっすぐ南へと走る。
午前の陽射しにシルエットになったゴツゴツした岩峰は、クライマー憧れの剱岳だと思う。

扇状地の豊な田園地帯をひた走るレッドとオレンジのラインは、線路の微妙な歪みに大げさに揺れる。
線路の両脇にはススキの花穂が揺れて、ゆく夏くる秋を感じさせる。

岩峅寺(いわくらじ)駅で交換するマリンブルーはJ3カターレ富山のラッピング電車。
昨日の本線呑み鉄旅で、電鉄魚津から新黒部の間、この電車に揺られた。

扇状地の要に位置する岩峅寺を過ぎると、レッドとオレンジのラインは徐々に進路を東に変えていく。
左右から山肌が迫り谷を深めていく常願寺川を眺めながら “立山” をマイ猪口に注ぐ。
ブルーのラベルはキレのよい爽快感とコクを併せ持った特別純米酒だ。

深い緑の谷間に山小屋風のリゾートホテルが見えてきた。
ガタゴトとガーダーを響かせて常願寺橋りょうを渡ると終点の立山駅だ。

午前中のお祭りのような騒ぎが過ぎ去った立山駅、それでもケーブルカーの切符は3時間先まで取れない。
黒部立山アルペンルートの最初の関門である「立山ケーブルカー」は法律上は鉄道路線。
呑み鉄というゲームのプレーヤーとしては、乗らないといけない1.3kmなのだ。

この3時間を使ってちょっと寄り道、ワンコインの称名滝探勝バスが絶景へと誘ってくれる。
とは言うものの、バス終点からは30分のだらだらとして登り坂。汗が噴き出す。

落差350mは日本一という「称名滝」が目の前に現れた。
青空の裂け目から噴き出したような怒涛の雪解け水が、4段の滝を流れ落ちて滝つぼで飛沫をあげる。

立山駅に戻ったら「おにぎりの志鷹」で “山菜そば” を啜る。とろろ昆布が入るのが富山流か。
ふわふわの “おにぎり” を頬張りながら、温かいそばが美味しい。

ようやく乗れた13:50発のケーブルカー、クライマーや観光客に紛れて短い旅に出る。

立山駅と美女平の間は1.3km、標高差がおよそ500mをだから、植生が変化していく様が興味深い。

中間の複線区間で急坂を降りる2号機とすれ違った。この時間帯の立山方面行きは満員の乗客だ。
柱状節理の岩肌を左手に見ながら、ケーブルカーはつるべ式に繋いだ車両がバランスをとって上り下りする。

わずかに7分の旅でケーブルカーは美女平に到着した。
乗客の波は足速に引き続き室堂へと登るバスへと流れて、ぽつんとホームに残るのはボクだけだ。
今ごろの称名滝や美女平は、きっと紅や黄に輝く紅葉が盛りだろう。

富山地方鉄道・立山線 寺田〜立山 24.2km 完乗
立山ケーブルカー  立山〜美女平  1.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
蒼いフォトグラフ / 松田聖子 1983


トロッコ電車とホタルイカ釜飯と幻の瀧と 黒部峡谷鉄道を完乗!

2023-10-28 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

重連のEDR形がマッチ箱のようなトロッコを連ね、橙の長大編成同士が行き違う。
機関車に「宇奈月ゆ」と金文字のヘッドマークが誇らしい。

黒部峡谷の入口に建つ山岳リゾートホテル風の宇奈月駅から、トロッコ電車の旅は始まる。
ますの寿司と缶ビールを買い込んだら、人波に流されて足早にホームへと進む。

クリームとマルーンに塗られたレトロ調は、ちょっぴりゆったりとしたリラックス車両。
開閉可能とは云え窓付きの車両は、こんな暑い日には風通しが悪くてミスチョイス。
ところが復路は夏の雷雨に見舞われて、この車両で事なきを得たから分からないものだ。

宇奈月駅を発ったマッチ箱たちは直ぐに真紅の新山彦橋を渡る。
渓流からの高さは約40m。ゴーっと列車が鉄橋を鳴らす音がやまびこのように響く。

続いて現れるエメラルドグリーンの「うなづき湖」は宇奈月ダムの完成で生まれた比較的新しい人工湖。
ところで車窓を案内するナレーションは室井滋さん。一緒に旅してくれる彼女は富山県出身だそうだ。

プシュッと “アルト” を開ける。ホップの苦味が効いた黒褐色のビールが美味しい。
宇奈月麦酒は地産の大麦と黒部川の伏流水で醸したまさに地ビールだね。
アテに抓んだ “ますの寿司” は炙ったやつが美味。これは良いね。

鷲羽岳に源を発した黒部川は、切り立った深いV字峡を刻んで、3,000mの標高差をたった85kmで下り切る。
車窓の手つかずの大自然と絶景の渓谷美は、案外トンネルやスノーシェッドが続いて、シャッターが難しい。

宇奈月からゆるりと1時間20分、橙のマッチ箱たちは黒部川に絡みながら、20キロを道のりを走る。
本来電源開発のための資材運搬用だったトロッコ電車は、多くの観光客を乗せて欅平に終着した。

さて、欅平での2時間をどう過ごす?。河原展望台で足湯に浸かって猿飛峡をめざすか、
人喰岩を抜けて名剣橋を渡り祖母谷温泉(ばばだにおんせん)をめざすか、呑み人は後者を択ぶ。

黒部川の本流にかかる朱色の奥鐘橋を渡る。高さ34mからの景色はなかなか迫力がある。
でも、祖母谷温泉までの片道40分はただ汗をかくだけだったかなぁ。
途中の名剣温泉で蕎麦をいただくか、河原展望台で足湯に浸かるのが正解だったかも知れない。

宇奈月駅の近くに釜飯やおでんが人気メニューの食事処「河鹿」がある。
もちろん富山の地酒もあるだろうからと、開店の17:00に飛び込むのだ。

大きなおでん鍋を前にしたカウンターに座ったら、先ずはスーパードライを注文。
冷たいゴールドの液体が喉を鳴らして、んっ美味い。アテは “昆布巻きかまぼこ” だ。

“白海老の唐揚げ” を抓みながらおでんの具を品定めする。これってなかなか楽しい時間なのだ。
サーバーと一体になった冷蔵庫から “幻の瀧” を注文、黒部川が富山湾に注ぐ生地(いくじ)の酒だ。

たまご、焼き豆腐、車麩、つぶ貝を青磁に盛って、富山らしい “おでん” が登場。
洒落た一合徳利から純米吟醸を注いでキュッと一口、米の旨みを感じるスッキリした酒が旨い。

甘みのある油揚げと絡んで三つ葉を散らした “ホタルイカ釜飯” が登場する。
このホクホクを噛み締めながら、黒部峡谷鉄道で呑む休日は、温泉の町で更けていくのだ。

黒部峡谷鉄道 宇奈月〜欅平 20.1km 完乗!

<40年前に街で流れたJ-POP>
ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ 1983


蜃気楼の海とアルペン特急と剱岳と 富山地方鉄道・本線を完乗!

2023-10-21 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

轟音をたてて布施川橋りょうを渡るのは、宇奈月温泉発、立山行きの “特急アルペン2号”。
何処かでお会いしましたっけ、そう西武鉄道を走っていたレッドアローの車両だ。

まだ真夏日が続いている頃のお話、早朝、ホテルのベットを抜け出して富山駅にやって来た。
まだ灯っている「電鉄富山駅」のサインが新幹線ホームのガラス壁面に映り込んでいる。

週末の富山06:40発の普通111列車は、“特急アルペン” の送り込みで、特急車両で運用される。
懐かしのレッドアローで、富山地鉄本線で呑む旅に出る。

いかにも水戸岡鋭治氏らしい車両は、木をふんだんに使ったインテリアで温かみと高級感に溢れている。
外向きのカウンター席に座ったり、コンパートメントシートに座ったり、空いているから自由自在だ。

カポッと “剱岳”。コクのある特別本醸造と、なとりの “チータラ・ピスタチオ” がいい感じだ。
車窓を流れる、時間が止まったかのような、週末の田園風景を眺めながらの一杯なのだ。

せっかくのラグジュアリーな観光列車だけど、ワンカップも空いたことだし、電鉄魚津で降りてしまう。
せっかくの富山だから、海も眺めておきたい。

どこまでも穏やかに碧い富山湾、左手で腰を抱き込むように能登半島が伸びている。
ここは蜃気楼展望の丘、3〜6月には幻想的な蜃気楼を鑑賞できるベストスポットだ。

少々南に歩を進めると魚津漁港が掘り込まれている。
漁船が出払った長閑な港には、カモメに混ざってサギも舞い遊んでいる。

不釣り合いなと云ったら失礼だこど、洒落たミントグリーンのレストランがある。
漁協直営の「魚津丸食堂」で静かな海を眺めながら、キリンラガーをグラスに注ぐ。

富山湾で獲れた旬の海の幸を、刺身にして、フライにして、満足なブランチが楽しい。

富山湾や清らかな水をイメージした青は、J3に所属するカターレ富山のチームカラー。
このカターレ富山をラッピングした14760形は富山地方鉄道のオリジナル車両。
鉄道友の会より贈られるローレル賞を受賞した車両はすでに不惑を迎えている。

河原の丸石を積み上げたホームにプレハブの待合室をちょこんと載せた長屋駅。
この旧い駅には対照的な真新しい広告版が立っている。「振り向けばギンバン」だって。

っで、振り向くと田圃の中に銀盤酒造、実はここ、朝っぱらの車中酒 “剱岳” の蔵元なのだ。
酒蔵の前では、黒部川扇状地湧水群の一つ「箱根清水(はこねしょうず)」が湧く。なるほど納得だ。

長屋駅のひとつ先は新黒部駅。たぶん富山地方鉄道では、最も新しい駅ではないだろうか。
新黒部駅は北陸新幹線を降りた乗客を宇奈月温泉へと誘うのだ。

県道を挟んで反対側の巨大な構造物は黒部宇奈月温泉駅、暫し “はくたか” でやってくる連れを待つ。
駅前広場には黒部川流域の電源開発のために活躍したED8号電気機関車と客車が展示されている。

富山地鉄本線の旅のアンカーKU21列車がやって来た。
オレンジとレッドのツートンに鳩マーク、まさに京阪特急だね。関西から来た方、懐かしいんじゃないかな。

左手に黒部川を見て、京阪特急は関西では経験しないような急勾配を、甲高い金属音をたてて走る。
特急扱いのKU21列車は、所要17分、ノンストップで宇奈月温泉まで登り切った。
何人かのご同輩が京阪特急にシャッターを切る終着駅。ほら、やっぱり懐かしいでしょう。

山小屋風の駅舎の階段を降りると温泉噴水、がっ迂闊に手を出してはいけない。これかなり熱い。
思いがけず西武特急と京阪特急に乗った富山地鉄本線の旅は、温泉噴水の洗礼を受けてここに終わる。
さてと、缶ビールを買い込んだら、次は黒部峡谷鉄道で呑む旅が始まるのだ。

富山地方鉄道・本線 電鉄富山〜宇奈月温泉 53.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
瞳はダイアモンド〜Diamond Eyes〜 / 松田聖子 1983


積翠城と鶏ちゃん焼きと三千盛と 越美南線を完乗!

2023-10-14 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

長良川鉄道の看板列車「ながら」が北濃に向けて出発して行った。ディーゼルの匂いが残り香のよう。
深紅に輝くこの「清流レストラン」には一度は乗って食べて呑んでみたいものだ。

峠を歩いて越えてきた訳ではないけれど、ここは越美南線の終点北濃駅。
きょうは越美北線の旅を引き取って、長良川鉄道で呑んで旅する休日だ。

北濃駅に迎えにきてくれた600形は昨年デビューしたピチピチの新潟美人(新潟トランシス社製)だ。
旧国鉄の急行色に着飾った姿が旅情を誘う。

越美南線はその総延長のほとんどを清流長良川に沿って走る。風光明媚な景色が流れる車窓が楽しい。
ガリ釣りが解禁になって、清流には腰まで浸かった名人たちが鮎竿を操っている。

清流と一緒に流れて45分、新潟美人は郡上踊りと清流と名水の城下町に差し掛かる。

木造平屋建ての郡上八幡駅は昭和4年の開業当時のもの。
ちょっとモダンで愛らしい駅舎に、ガス灯、バス停、郵便ポストそれに電話ボックス。んっいいね。

宮が瀬橋から長敬寺へ向かう本町・鍛冶屋町・職人町の古い町並みを歩く。
間口2問と狭く奥に深い造りはどこか京都に似ている。大火を経験した町並みは隣家との境に袖壁をもつ。
風に揺れる郡上踊の提灯の向こうに白亜の天守閣が見える。

郡上八幡城(積翠城)は市街地の北東にそびえる八幡山にある。
天守は大垣城をモデルとした模擬天守だそうだから、史実を反映していないものなのだろう。
それでも1933年(昭和8年)に建てられた木造4層だから、すでに立派な文化財かも知れない。

噴き出る汗を拭いつ宮が瀬橋まで戻る。こうした旅で得た教訓、観光地でのお昼は開店時間に飛び込め!
11:00、吉田川を見下ろす「そばの平甚」に収まる。オーダーする頃には店内は満席だ。
陶のグラスに冷たい “黒ラベル” を注いでグッと呷る。美味いね。アテは “そばの実おろし” これが良い。

ほどなく “飛騨牛ランチ” が登場。清らかな水で打った二八も食べたいし、飛騨牛丼も食べたい。
ビールのアテに出汁が染みた飛騨牛を抓んだら、冷たい蕎麦を出汁にさっとくぐらせてズズッと啜る。
いやぁ美味いな、ささやかに幸せだなぁ。

店を出て小さな路地を下ると、古い町並みに並行して流れる小駄良川が飛沫をあげて吉田川に注いでいる。
なんとも涼やかで良いね。しばらく清水橋の日陰に入ってこの飛沫を浴びていたい。

「宗祇水(そうぎすい)」は水の町郡上八幡のシンボル。
この湧水は室町時代にこの地を訪れた連歌師 宗祇の名に由来する。
今宵は「宗祇水神祭」らしい、湧水に奉献酒を冷やして準備は万端だ。

ヘッドライトが煌めいて、13:27発の美濃太田行きがやって来た。
深紅の500形502号は観光列車「ながら」仕様、オールロングシートだけどね。

「ながら」は相変わらず長良川とランデブー、数えたのが確かなら8つの鉄橋がこの川を跨ぐ。
途中、色とりどりのカヌーやカヤックを追い越して濃尾平野をめざす。

大矢駅では臙脂色の下り列車と行き違い、1両と1両が千鳥式に向き合って、片田舎の長閑な交換風景なのだ。

深紅の「ながら」は、梅山駅で長良川に別れを告げる。
せきてらす前駅で90度の転針をすると中山道太田宿へと向かう。

中山道51番目の太田宿は飛騨街道と郡上街道が分岐してX字を描く交通の要衝。
鉄路も高山本線に越美南線が合流し太多線が分岐する。現代でも要衝であることに変わりはない。

夕暮れから激しい雷雨に見舞われた。稲妻が閃光してドカンドカンと付近に落雷する。
それでも間隙をついて駅前の雑居ビルに飛び込む。ローカルな酒場で地酒を愉しみたい。
とりあえずの生ビールにアテは “久田見油揚げ”、分厚い三角の油揚は食べ応えあり。生姜醤油で美味しい。

高山本線で飛騨川を遡ると2つ目の中川辺に白扇酒造がある。
“花美蔵 岐阜九蔵” は風格のある濃厚な酒だ。たっぷりのおかかと黄身を落とした “まぐろ納豆” が嬉しい。

岐阜ケンミンのソウルフード “鶏ちゃん焼き” は、漬け込んだ鶏肉と野菜たちにニンニクが効いて美味しい。
二杯目は多治見の “三千盛”、本来刺身や繊細な料理にあう大吟醸だけど、この辛口は濃い料理にも負けない。

越前と美濃を結ぶ幻の越美線の旅を終えて、岐阜の地酒でほろ酔いになっている。外はいまだに雷鳴が轟く。
ヤンキーな兄さん姉さんに囲まれ、紫煙の煙に燻されて、美濃太田の夜はふけゆくのだ。

長良川鉄道・越美南線 北濃〜美濃太田 72.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
GOOD BYE青春 / 長渕剛 1983


霧ヶ城と女城主と大正ロマンの町並みと 明知鉄道を完乗!

2023-09-23 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

山間の交換駅で待っていた上り列車は「三つ葉のクローバーイエロー」のデザイン。
飛騨で生まれたファブリックブランド Bibbidi Bobbidi Fabric のラッピング列車が可愛らしい。

恵那にやってきたのは何年ぶりだろう。
どうやら2014年の桜のころ、馬籠宿から落合宿、中津川宿を経て大井宿(恵那)まで歩いている。
朝の凛とした空気の中、まだ雪を残した恵那山が美しかったのを思い出す。

8両編成が行き交う中央本線を横目に、明知鉄道はもちろん単行のディーゼルカー。
橙にクリームのラインを引いた100形は2016年の新潟生まれ、美濃の水には慣れただろうか。

チリリンと風鈴の音が聞こえてきそうな涼しげなヘッドマークをつけて、
今どきの若い娘(ディーゼルカー)は案外静かに走り出すのだ。

玉に瑕なのはオールロングシート、旅情という趣を大切にしてもらいたいものだ。
それでも呑み人は、高校生が降り切ったら、プシュッとラガーを開けてしまう。

一度は訪ねてみたい「極楽」は、朱の待合室に金色の觔斗雲(きんとうん)を載せ、中には阿弥陀様?
後光が挿したようなモニュメントがあって、あっベンチも觔斗雲だね。

やがて橙のディーゼルカーは岩村駅に到着する。すでに疎な乗客も半分はここで下車してしまう。

岩村町(すでに恵那市と合併している)は人口約5,000人、江戸時代には岩村藩が置かれた城下町だ。
永野芽郁さんがヒロインの連続テレビ小説「半分、青い。」の舞台といえばお分かりいただけるだろうか。

駅から岩村城跡へ続く1.3kmの本通り沿いに広がる旧家に商家、路地へ入ると見かけるナマコ壁、
江戸から明治の面影を残す旧い町並みに、ゆったりとして穏やかな暮らしを感じることができる。
町並みの中 “女城主” の岩村醸造さんは1787年(天明7年)創業の蔵、“あま酒ソフトクリーム” をいただいた。

 

ナマコ壁の路地を抜けたあたり、紫に染めた暖簾の食堂で一息。
冷やでいただくのは “女城主” の特別本醸造、なるほどまろやかで旨味のある酒だね。
アテの “枝豆” は茹でたてに塩をふって登場、これは嬉しい一品だ。

いつまでも暑いから、旅先のお昼はなんとなく蕎麦になる率が高い。いや年齢のせいでもあるか?
片田舎の蕎麦屋さんと言ったら失礼だけど、こちらの天ぷらは素晴らしく美味しい。
地の野菜をカラッと揚げて塩だけでいただくといい。これも酒がすすむアテになる。

本通りを上り詰めて岩村城(霧ヶ城)に辿り着く。とはいえここは登城口にすぎない。
標高717m、高低差180mの天嶮の地形に張りついた要害堅固な山城へは、さらに登らないといけない。
吹き出す汗と列車の時間を言い訳に引き返す太鼓櫓、今夕は薪能が演じられるという。

本通りを下り切ったころ、ほどなくさっきと同じ橙が1両で入線してきた。

なかなか出発しないと思ったら、大袈裟に車体を揺らして上りの恵那行きがやってきた。
ようやくシグナルに青が点って、明知鉄道の後半の旅をゆく。

いよいよ勾配もキツくなり、エンジンの音も心なしか低くなったようだ。
っと “女城主” のカップ柚子酒を開ける。シャーベット状態で買ったのにすでに温い。
くすぐる柚子の香り、ほどよい揺れに身をまかせたら、終点までの20分はあっという間だ。

小さなピークを越えて橙の単行ディーゼルカーが山を降り始める。やがて夕暮れ迫る明智駅だ。
駅舎にはこれまで様々走らせたイベント列車のヘッドマークが並んでいる。

かつて蚕糸産業が盛んだった明智町(現在は恵那市)は、建物や風景その町並み大正時代の風情が残っている。
かつての村役場は明治39年の建築というから、なるほどちょっとモダンな大正はこんな感じか。
旧明智郵便局(逓信資料館)も漆喰、腰板張を青くペンキ塗りして雰囲気を醸し出している。

静かな盆地と濃尾平野を隔てる低山に夕日が沈んで、25キロ50分の短い明知鉄道の旅は終わる。
江戸から明治そして大正の町並みを訪ね歩いて、なんだかずいぶん長く旅をしたような気分なのだ。

明知鉄道 恵那〜明智 25.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
さらば・・夏 / 田原俊彦 1983


神磯の鳥居と海鮮丼と月の光と 大洗鹿島線を完乗!

2023-09-09 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

深紅と橙を満載して2両編成の6000形気動車が鹿島サッカースタジアム駅にやってきた。
大洗鹿島線の終着駅は、試合開催日に一部の列車のみが停まる臨時駅になっている。

そろそろ青春18きっぷの残りを持て余しそうな土曜日、常磐線に乗って水戸をめざす。
朝のビールを買い込んでグリーン車に乗ったはいいけど、後10両は土浦で切り離しだって、
えっ、いつからそんな運用になったの?呑み人は少しおかんむりだ。

少し短い水戸駅の8番ホームに8000形の気動車がたった1両、エンジンを響かせている。
描かれているカッパは何だろう。(あとで調べたらJX金属という会社のPR大使らしい)
ボクは「伝染るんです。」という4コマ漫画を思い出してしまう。

水戸を発った “カッパーくん” は暫し常磐線と併走した後高架に上る。
ここまで踏切は2箇所、この先は終点まで連続立体交差になっている。意外と高規格なローカル線だ。

“カッパーくん” の1135Dは途中の大洗止まり、時間にしてわずか15分の旅だ。
たった1両ではあるけれど、乗車率150%くらいの満員の乗客は何処へ何しに行くのだろうか。

真夏の青空を背景に、大洗駅前では青い背を煌めかせて、カジキマグロが跳ね踊っている。
ボクの目的はいたって単純で、美味い海鮮を食べながら一杯やる。って純粋?なものだ。

真っ白な磯浜灯柱が目印の大洗海岸、海水浴もこの週末あたりが最後だろうか。

大洗海岸を見下ろす断崖の上には「大洗磯前神社」が鎮座している。
御祭神が降臨された岩礁を「神磯(かみいそ)」と言って鳥居が建ち、大洗のシンボルといえる。

その御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)、
国造りの神話においてはこの二神が共演する場面が多いようだ。

神が舞い降りた地で醸す “月の井”。やや辛でさっぱりした夏純米をいただく。
傍にイワシの “骨せんべい”、こいつをボリボリやりながら着丼を待つのが愉しい。

店の名前を冠した “海鮮丼” は、なかなか贅沢な丼だった。これに “かに汁” を付けてご満悦。
ご飯の上に “カニのほぐし身” を敷き詰めたら、厚切りの “大トロ” をのせる。
ふんだんに “イクラ” をぶっかけたら、“カニ爪” でマウントをとる。赤のグラデーションがキレイだ。

先ずは小鉢と “大トロ” を肴に夏純米を堪能する。
たっぷりと溶いたわさび醤油を垂らして丼にかかる。口に運ぶほどに赤が溶けあって美味しい。
汁からのぞく “カニ足” をほぐす。御多分に洩れず無口になってしまう。いやそもそも一人だけど。

満足の腹を抱えて大洗駅に戻ってきた。口の中がまだ甘い。美味い酒と丼に至福だ。

13:59発の145Dは、鹿島サッカースタジアムに停車するこの日最初の便、
なのにたった1両はつらいなぁ。ショルダーバックのワンカップに出番はなさそうだ。

夏草を巻き上げて8000形が疾走する。ほぼ直線の高規格線路だから気動車といえども90km/hを超える。
キラキラと輝く北浦を離れると色づき始めた田圃が広がる。遠くに筑波山のシルエットが浮かんでいるね。

大洗から1時間、8000形気動車は満員の乗客を余すところなく吐き出す。
1番線には水戸行きの気動車が入ってきた。この駅で上り下りの列車が交換するようだ。

鹿島サッカースタジアム駅は、JR鹿島線と大洗鹿島線、双方の終点となっている。
実際の運用は大洗鹿島線が、JR線をひと区間乗り入れて、水戸〜鹿島神宮を走っている。

駅からスタジアムまでは、香ばしい匂いと煙がサポーターを誘うキッチンカーの通路を抜ける。
生ビールと牛串で一杯やるのもいいかなぁ。でも呑み人はここでは完全アウェーだ。
深紅のアントラーズサポーターは列を作ってゲートから階段へと続く。むしろアントって感じかな。

後続の149Dが到着すると4つのドアから深紅が溢れ出す。時々混ざる橙はアルビレックス新潟のサポーターだ。
ほぼ空になったこの6000形気動車は、昭和生まれのいささか古い車両だけど転換クロスシート。
気動車のエンジン音と少し大きめの揺れに身を委ね、当間隔で頬を撫でる扇風機に吹かれながら、
良く冷えた生酒をちびりちびり呑んだら愉しいだろうな。でも終点まではあと一駅だ。

鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線 水戸〜鹿島サッカースタジアム 50.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
恋はご多忙申し上げます / 原由子 1983  


マジックタイムの商店街と一白水成と水芭蕉と いづみ野線・新横浜線を完乗!

2023-07-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

いずみ中央駅への勾配を駆け下りてくるのは東急電鉄の5000系電車。
2023.3.18のダイヤ改正で相鉄線⇔東急線が相互乗り入れを開始、相模鉄道は念願の都心乗り入れを実現した。
っで、いずみ野線は様々な鉄道会社の車両が入り乱れて賑やかなことになっている。

かなちゅうの黄色いボディーが存在感を示すのは湘南台駅、なんとも響きが良いね。
1990年代、慶應義塾の湘南キャンパス開設、いずみ野線とブルーラインの延伸で発展した町だ。
きょうは、相模鉄道いずみ野線、新横浜線に乗って呑みたい。

湘南台の地下から這い出た10両編成は、ブルーラインと袂を分かち、ゆめが丘駅へと上ってきた。
この10両編成、東横線からさらに副都心線に乗り入れて池袋をめざす。

チューブで覆われたような近未来的なゆめが丘駅、大型クレーンが何基も立って夢は育ちつつあるようだ。
反対側には広大な空き地が残っていて、昭和な少年達ならバットとグローブを抱えて集まってきそうである。

やがて池袋行きの10両編成は海老名からやってきた相鉄本線とここ二俣川駅で合流する。
本線といずみ野線が、特急と各駅停車が機能的に連絡をとって、日本の鉄道システムは素晴らしい。

本線といずみ野線を束ねて2区間走ると西谷駅。
進入してきた8両編成は、目黒線を経て南北線に直通する赤羽岩淵行き、これまた東急の車両だ。

横浜へ向かう本線と別れ、地下に潜っていく新たに開業した新横浜線を潰す。
ここを走る電車は東急線を介して、副都心線、南北線、三田線、東武東上線、埼玉高速鉄道へと繋がる。
なんだか頭の整理が追いついて行かないね。

「特急」のサイネージも誇らしげに、追いかけてきたのは目黒線を経て三田線に直通する高島平行き。
この8両編成も東急の車両、3000系かな。相模鉄道を走りながら、ここまで東急の電車にしか乗っていない。

羽沢横浜国大駅で埼京線へと乗り入れるJR線を地上に押し上げたら、
電車は東海道新幹線の真下あたりを走って新横浜駅に滑り込む。っとホームで乗務員交代のセレモニー。
新規開業した路線は、新横浜から北が東急新横浜線、南が相模鉄道新横浜線になる。

西陽が眩しい鶴見川沿いを流離うと、キラキラと日産スタジアムが見えてきた。
新横浜線の開通は間違いなくマリノスサポーターにも大きな恩恵を届けていると思う。
それにしても週末の新横浜はどこの飲み屋も満員御礼、そして圧倒的に若者が多い。

マジックタイムの淡いパープルの空に誘われて、呑み人が降り立ったのは鶴ヶ峰商店街。
カンカン、カンカン、踏切の警報音に追われて鮨居酒屋の引き戸を開ける。入口に提がった杉玉がいい。

「とりあえず生ビール」のアテは “赤いのにタヌキ冷奴” だって。揚げ玉を食べラーと和えている?美味いね。

たぶん初めましての “一白水成” は秋田五城目町の酒、八郎潟の辺りだね。華やかな香りの旨酒だ。
“サーモンハラスとアボガド泪ののっけ寿司”、ってちょっとネーミングが調子に乗りすぎ、でも美味い肴だ。

〆に “あさりと干し海老ボンゴレうどん” だけど、これ案外と日本酒に合いそう。
群馬県川場村の “水芭蕉” は、これまた心地よい吟醸香の純米吟醸は料理を選ばない旨酒なのだ。

見知らぬ商店街に紛れ込んで、思えば遠くへ来たもんだ的な感覚に陥る今宵の一杯でした。
新横浜から乗った最終ランナー、そう言えば今日初めて乗る相模鉄道の車両だ。
えっ浦和美園行き。なんだか 横浜F・マリノス vs 浦和レッズ な路線なんだね。

相模鉄道 いずみ野線 湘南台〜二俣川 11.3km 完乗
相模鉄道 新横浜線 西谷〜新横浜 6.3km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
素敵にシンデレラ・コンプレックス / 郷ひろみ 1983