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旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

織姫神社と呑龍さまと桜の酒と 東武伊勢崎線を完乗!

2025-05-28 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

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旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

15km/hの時速制限がかかる半径100mの急カーブを抜けて、区間準急が隅田川橋梁を渡る。
十分な加速を得る間もなく、最初の停車駅とうきょうスカイツリー(旧業平橋)駅は目の前だ。
アサヒビールタワーの琥珀色したビールジョッキが、初夏の陽に煌めいている。

昭和初期を代表するアール・デコ様式の浅草駅は、屋上に時計台を載せて威容を誇る。
日光や鬼怒川温泉に向かう特急が始発するこの駅は、朝から観光客や訪日外国人で溢れている。
その賑わいを横目に、呑み人は1番線からの各駅停車に乗り込んで、きょうは伊勢崎線で呑む。

最初の停車駅で東京スカイツリーを見上げる。
朝の太陽と重なって、634mの電波塔は青いシルエットになって天を衝いている。

早朝の何本はを除いて、浅草始発や東京メトロから乗り入れる10両編成は久喜止まり。
多くの乗客がホーム反対側の館林行きに乗り換える。編成は6両に減って車内は混み合う。
乗客の一定数は東南アジアの若者だ。友人を訪ねるだろうか?
この先の沿線の町は、製造業の担い手としてブラジルや東南アジアからの労働者が多い。

浅草駅で求めた「ふらっと両毛 東武フリーパス」は、3日間有効で2,440円とお得感がある。
先ずはフリーエリア最初の駅 茂林寺前で下車して、徒歩7〜8分で分福茶釜の茂林寺を訪ねる。

曹洞宗の名刹は1426年開山と歴史は古い。総門から赤門へと続く参道には21体の狸像が並んでいる。
呑み人が気に入ったのは、頭や尻尾それに足をはやした茶釜と酒瓶を抱えた大狸、何故に玉袋が大きい?

館林から先へ行く列車は4両編成となり、さらにローカル色が濃くなっていく。
この8000系という車両は、昭和の世から走り続けている東武の現役最古参という存在だ。

足利は清和源氏・足利氏発祥の地として歴史がある。近代においては織物業で栄えた町だ。
それではと、足利市駅から渡瀬川を渡って、名所を早回りで観て歩く。

足利学校は平安時代初期に創設されたとされる中世の高等教育機関、
フランシスコ・ザビエルは「坂東のアカデミア」とヨーロッパへ伝えた。

その裏手にある鑁阿寺(ばんなじ)は、真言宗大日派の本山であるが、もともとは足利氏の館。
境内をめぐらせた土塁と堀、四方に設置した門、鎌倉期の武士の館の面影を残している。

市街地の西のこんもりとした山の中腹、朱塗りの美しい神殿は織姫神社、なんともロマンチックだ。
機織をつかさどる天御鉾命(あめのみほこのみこと)と、織女 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の
二神をご祭神とする神社は、産業振興と縁結びの神様として知られている。
恋人の聖地となった朱塗りの神殿には、この日もカップルや女性がお詣りの列を成している。

森高千里が歌った「渡瀬橋」を渡って再び足利市駅、8000系の3両編成が高架ホームに入って来る。
新人駅員が先輩の指導を得ながらホームの安全確認をする姿は、この時期ならではの鉄道風景だ。

駅を3つ数えると、伊勢崎線・小泉線・桐生線がX字に交わる要衝太田駅。
北口にはこの地の英雄で、鎌倉幕府を倒す為に挙兵した新田義貞の像が建っている。
同じ清和源氏で、最後は敵対した足利尊氏ゆかりの足利に対抗しているかの様にも見える。

旧帝国陸軍に「一〇〇式重爆撃機」なる機があった。愛称を「呑龍」と云う。
SUBARU の前身である中島飛行機が、ここ太田で製作した。
呑龍なんで勇ましい名前は、呑み人の愛称にもしたいくらいだけど、由来はここ大光院。
地元の人からは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれている。

浅草と両毛地方を結ぶ「特急りょうもう」は1日25往復走っている。
でもその殆どは桐生線に入線して赤城方面に向かってしまうから、
伊勢崎線は本線格でありながら、相変わらず3両編成の各駅停車でガタゴトと先を進める。

田園風景と時々姿を現す大規模な工場、関東平野のローカルな夕暮れ風景を3両編成は走る。
新伊勢崎手前から高架に駆け上がると、右手から湘南色の両毛線が寄ってきて、肩を並べてテープを切る。
17:50、この時間だから、足速に階段を降りていく乗客の殆どは高校生だ。

太田まで戻ってきた。高架駅壁面の駅名サインは、すでに赤ちょうちんを点すように煌めいている。
今宵はこの街で呑む。北関東を代表する企業城下町だから、酒場を探すに事欠かないだろう。

90年代の終わり頃、2度ほどこの街にある支店を訪ねたことがある。
大規模再開発前のこの辺りは、違法風俗店が全盛でちょっと異様な街並みだった。
「ここはラスベガスか?」と軽口を叩くほどギラギラしていた覚えがある。



左右に広場のような歩道を取った南一番街を歩いて4ブロック、大箱の海鮮居酒屋の暖簾をくぐる。
キンキンに冷えたジョッキで “SUPER DRY”、思わず「ぷはぁ」と声に出そうだ。

4種盛りの桶を抱えて、酒は置賜の “米鶴”、洒落た陶器ににごり酒が溢れる。
桜色のラベルに霞と見紛ううすにごりが如何にも春らしい、辛口かつ爽やかなキレ味が美味しい。

これはしたり、“十一政宗” は初めましてかも知れない。栃木は矢板の蔵元の酒だって。
さくらの花の天然吟香酵母で醸し上げたと云うから。これも春を感じる酒ってことか。
口あたりまろやかだけど、キレの良い純米酒。さくらの香り?気付かなかったなぁ全然。

アテは “揚げ出し豆腐” ってか、“あさり” がたっぷりと、一品で二度美味しい秀逸な椀なのだ。

「ふらっと両毛 東武フリーパス」で、いやぁ意外と知らない北関東を乗って呑んだ3日間、
最後は “さくら” を感じる二銘柄に酔った伊勢崎線の旅でした。
さてっと、復路は最終の「特急りょうもう」で、舟でも漕ぎながら帰りましょうか。

東武伊勢崎線 浅草〜伊勢崎 114.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
たそがれ / オフコース 1985


分福茶釜と青竹手打のラーメンと開華のワンカップと 東武佐野線を完乗!

2025-05-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

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にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

浅草から複線(北千住〜北越谷は複々線)で延びてきた伊勢崎線は、館林から三叉の単線に分かれる。
今週はネプチューンの槍の右の穂先、1番線の2両編成に乗車して佐野線を旅する。

お伽噺「分福茶釜」の舞台茂林寺があるから、駅前ではたぬきが迎えてくれる。
母さん狸が団扇を持っているのは、この町が熊谷の向こうを張るほど暑い所だからか。

渡瀬川を渡ると、2両編成は一面の田圃地帯を走って行く。
JR両毛線を越えるために、ずいぶん無理筋な半円を描いて、佐野駅までは概ね15分。

佐野駅はJR線と並んだコンパクトな橋上駅、駅前の噴水におしどりの夫婦が羽を休める。
両線の乗換客でごった返しているのは、2つ隣駅のフラワーパークで大藤が見ごろだからでしょう。

金色の甍が煌めくのは天台宗の惣宗寺、一般には佐野厄除け大師と通称される。
護摩を焚く香りが漂い、勤行の音が響いてきます。

門前で「大師庵」といえば誰もが蕎麦処と思うけれど、ここは「佐野ラーメン」の老舗。
店頭では佐野のソールフード “いもフライ” を販売している。

少し早いお昼だけれど “餃子” を一皿焼いてもらう。ビールは缶だけれどこれはご愛嬌か。
肉汁がジュワっと沁みだす家庭的な餃子が、キンと冷えた一番搾りとお供に旨いね。

青竹打ちの平麺が特徴、煮玉子をトッピングして “佐野ラーメン” をいただく。
つるつるとした光沢のあるコシの強い中太麺を啜る。鶏ガラスープを絡めて美味しい。

さてお腹が膨れたところで再びの佐野駅、旅の後半を進める葛生行き2両編成がホームに入ってくる。
話は逸れるが、最初に佐野線を乗った10年前、確か電車は3両編成だった。乗客が減っているんですね。

どんぶりを被って、いもフライ串を差しているのは「さのまる」というキャラクター。
沿線の第一酒造が醸す "開華" のワンカップにもお目見えしている。
何駅めかで先頭車両はボクだけになったからカポッと、青々とした麦畑を見ながらの一杯が旨い。

辿り着いた葛生駅は旅客ホームこそ1面1線だけど留置線が3線ある。
さらに奥の太陽光発電所の敷地を含めて、20本の線路が敷かれていた。
かつては石灰、セメントを積み出す一大ターミナルだった訳だ。

静かな終着駅、GWだから若いご夫婦が幼子を連れて降り立つ。
やがてお爺ちゃんの車がやってきて笑顔のお迎え、微笑ましい光景を眺めて佐野線の旅は終わる。

緩やかなカーブを描いて、叢の中を線路跡がさらに延びている。
その先に見えるのはセメント工場、貨物輸送の衰退を実感して、ちょっと寂しい関東平野の縁だ。

東武佐野線 館林~葛生 22.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
翼の折れたエンジェル / 中村あゆみ 1985  


躑躅とブラジル料理とチリワインと 東武小泉線を完乗!

2025-05-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

東武鉄道の大動脈である伊勢崎線は、館林からはいよいよローカル色が色濃くなる。
複線の鉄路は牧畜のフォークのように3方向に単線が分岐していくのだが、
そのうちの1本の小泉線は、切欠きの4番ホームから短い2両編成が始発する。

実は館林という町のことはよく知らない。今回は少し歩いてみようと思う。
館林駅の駅舎は昭和12年築の洋館風、丸みを帯びた窓、白壁に青い屋根がなかなか洒落ている。

館林は1950年、徳川四天王の榊原康政が入城して立藩した館林城の城下町。
城跡には市役所、文化会館、図書館のほか向井千秋さんの記念館が建っている。
堀の役割を果たしたであろう鶴生田川には「こいのぼりの里まつり」の数千匹の鯉のぼりが泳いでいる。

城沼に臨むつつじが岡公園では、100余品種、約1万株のツツジが咲き誇る「つつじまつり」が開催中、
残念ながらすでに見ごろ過ぎ、次回はきっと4月中旬に訪ねたいものだ。

さて、4番線を発った2両編成の10000型は、ゴトゴトと平坦な関東平野に敷かれた単線を行く。
車内はというと、東南アジア系、ブラジル系の若者が乗客の半分以上を占めている。
これ決して大袈裟ではない。日本人の成人や家族連れはマイカーで動くだろうから
勢い公共交通機関の風景はこうなることは自明だと思うのだ。

館林駅から20分、2両編成は車止めに行く手を塞がれる。ここが西小泉駅。
周辺にはSUBARU群馬製作所、パナソニック群馬工場と、ちょと半端ではない大規模な工場がある。
なるほど車内がエスニックな雰囲気であることが理解できるのだ。

呑み鉄というゲームを始めてまもなく、小泉線を乗ったのは10年前だから、ずいぶん久しぶり。
レトロな駅舎がコンパクトなプレハブに代わっていたのにはちょっとビックリ。
新駅舎はブラジル国旗の黄色と緑色の配色で、ここまで配慮する必要があるの?と疑問でもある。

一方でこの店が黄色や緑色なのは納得感も好感もある。
そして10年前と同様、あちらの大衆食堂的「レストラン ブラジル」で昼の一杯に興じたい。

ジョッキーまで凍らせたキンキンの生ビールは、これからの季節には嬉しい。
この “プロベンサウ” ってのはマリネ風のポテトフライ、ニンニクが効いてこれは美味い。
それに “コシーニャ” は、ポテトと鶏肉のコロッケ、これもいける。

“リングイッサ・カラブレーザ” は、激辛チョリソーソーセージ、オニオンの甘みと絡んで美味しい。
BBQに登場しそうな一品は、ブラジル定番のアテだそうだ。
それではとチリのカベルネ・ソーヴィニヨンをデキャンタで注文する。
重厚感のあるフルボディがこのスパイシーな料理に合うね。

さていい感じに飲んでもう少しと思わない訳ではないけれど、小泉線は1時間に1本だから駅へと戻る。
再びエスニックな雰囲気に紛れて2駅戻ると、今度は東小泉駅に降り立つ。

どっちが本線か支線なのかは知らないけれど、小泉線は館林から西小泉を結ぶ線と、
途中の東小泉から太田を結ぶ線が存在する。ということで仕上げはここから太田へ抜けないといけない。

やはり2両編成の10000型は、館林〜西小泉の列車との連絡を待って、太田に向かって出発する。
列車は運用上、小泉線から太田を経て桐生線を赤城まで走る。やはり日中は1時間に1本なのだ。

2駅10分の付加的な旅はアッという間で、電車は高架に上がると伊勢崎線と合流する。
3面6線の長く広々としたホームは、東京や大阪のターミナル駅にも引けを取らない立派な構造だ。

人口22万人超の群馬県第三の太田市は、零戦の中島飛行機、富士重工の企業城下町として発展した。
北口に降り立つと両社を継ぐSUBARU群馬製作所本工場が威容を誇っている。
太田(上野国新田荘)の偉人新田義貞に、遥々酒を呑みにきたことを告げて、この旅を終えよう。

東武小泉線 館林〜西小泉 12.0km 完乗
      東小泉〜太田  6.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
常夏娘 / 小泉今日子 1985


飛鳥山の桜とスカイツリーと七賢と 都電荒川線を完乗!

2025-04-05 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

4月最初の週末、荒川自然公園の桜並木が満開でしたね。
えんじ色のモダンレトロな7700形がモーターを唸らせて荒川二丁目停留場に飛び込んでくる。
今回は文字通り「東京さくらトラム」となった荒川線に乗って呑む。

大隈記念講堂は一大学の施設を超えて、この街の風景になくてはならないピースだ。
大隈通りの商店や食堂には、決まって「祝・卒業」やら「入学おめでとう」の短冊が貼られている。

この通りが新目白通りにぶつかった交差点、中央分離帯に早稲田停留場がある。
西へと延びる軌道に並行する神田川でも「早稲田さくらまつり」が賑やかだ。

明治から昭和初期の東京市電をモチーフにした9000形が思案橋に向けて走り出す。
前面の3枚窓、丸い一つ目の前照灯、戸袋の丸窓、黄色に塗って走らせたら楽しいだろう。

高戸橋で明治通りにぶつかると軌道は北へ転じる。停留場を3つ数えて雑司ヶ谷で降りる。
鬼子母神堂と法明寺の間の桜並木、露店が並んでご近所さんが花見に興じる。いいねこういうの。

いかにも都営っぽいグリーンのラインにイチョウのマーク、8500形が恐る恐る大塚への勾配を降りていく。
この辺りは池袋オフィスを訪ねた際に、美味いランチを探して彷徨うエリアだ。

専用軌道から明治通りとの併用軌道に飛び出すと、そこは江戸時代からの桜の名所「飛鳥山公園」だ。
飛鳥山公園歩道橋には、桜と都電のコラボを狙うアマチュアカメラマンの砲列が並ぶ。
それではボクもと、桜を散らした某信金のラッピング電車と桜満開の丘をパチリ。

徳川8代将軍・吉宗が2,700本の桜を植え、庶民に開放てからの桜の名所。
現在は約600本のソメイヨシノやサトザクラが爛漫と咲き誇って、たくさんの花見客でにぎわいをみせる。

眩しいオレンジ色の8800形が飛鳥山の裾野を舐めるように王子へと降って行く。
この飛鳥大坂の急勾配は66.7‰というから、廃線となった信越本線の碓氷峠と同じだ。

王子から3つ目が荒川車庫前停留場、ここで乗務員交代が行われるので少し長い停車となる。
全30余両の寝ぐらである荒川電車営業所には、カラフルな電車たちが束の間の休息をしている。

これぞ都電という黄色に真紅のラインは5500形、車庫に隣接する都電おもいで広場で見ることができる。
この車両は1系統と言って、品川駅前~上野駅前を走っていたそうだ。

ひとつ先の停留場は荒川遊園地前、電車を降りて300mほど北へ向かうとカラフルな観覧車が見えてくる。
知らなかったけれど、この老舗遊園地は公営なんですね。歓声を上げて駆けまわる子ども達が微笑ましい。

京成本線を潜った軌道は荒川自然公園に沿って南へ向かう。っと突然車窓に桜並木が現れる。
薄いピンクの桜の花びらが西陽を浴びて、さらにその色を濃くしている様にも見える。キレイだ。

軌道が緩いカーブを描くと荒川区役所前停留場、正面に東京スカイツリーが見えてくるとゴールは近い。

赤い尾灯を灯した電車はガタゴトとポイントを渡って折り返しの早稲田行き、
偶然にも最初に乗ったレトロな9000形がアンカーとなって、旅は三ノ輪橋停留場で終わるのだ。

今宵の一杯は5つ戻って町屋駅前、ここは期待通りの下町風情の街並み。
ほんのりとあかりが灯る大衆酒場甲州屋、紅で抜いた「大」の文字が印象的な暖簾を潜る。
幸いカウンターの一席を占めることができたけど、10分後には予約客らで席は埋め尽くされる。

たまには瓶ビール、ちょっぴり贅沢にYEBISUをグラスに注ぐ。お通しは “ポテサラ” だ。
アテは “ホタルイカ酢味噌”、ゴマをふるとこれがまた美味しいね。

奥さんが目の前で開いて揚げてくれた “アジフライ”、ふっくらと肉厚でなかなかの逸品。
ここのところ食したアジフライの中では一番だなぁ。感動モノの美味さだ。

大将が柳刃を軽やかに滑らせて、キレイな赤をガラス皿に盛って “マグロ刺し” が登場。
店の名前からすると山梨にご縁があるのだろうか、然らば日本酒は “七賢” を択ぼう。
定番の純米吟醸は切れのいい果実味と程よい酸味がいい。あっ白身の魚の方が良かったかな。

おすすめの黒板からもう一品は “米なす田楽”、ここのは割としっかり焼くんだね。
たっぷりの果肉に甘味のある田楽味噌が絡んで美味しい。
この濃ぉい味には生酛がいいと “大七” を択ぶ。しっかりとした旨味、豊潤な甘みの純米生原酒が旨い。

爛漫の桜を愛でた「東京さくらトラム」の旅は、大衆酒場の酒肴に舌鼓を打って、町屋に終わるのだ。

都電荒川線 早稲田〜三ノ輪橋 12.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
あの娘とスキャンダル / チェッカーズ  1985


銀杏並木と咲き遅れた河津桜と庭のうぐいすと 東急新横浜線を完乗!

2025-03-22 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

厳ついフェイスで疾走して来るのは相模鉄道の20000系。
田園調布あたりをこのヨコハマネイビーブルーが闊歩しているのは、東急・相鉄双方の新横浜線を介して
東横線と相鉄本線・いずみの線が相互直通運転をしているからなのだ。

2度目の東急線の呑み潰しの旅、締めくくりは新横浜線、というかこの路線の存在を忘れていた。

1番ホームに進入してきた急行湘南台行き、この紅いシャープなラインは東急5050系、
日吉から新綱島を経て新横浜までは5.8km、仕上げの短い旅が始まります。

ところで日吉は言わずと知れた慶應義塾の街、銀杏並木越しの駅ビルはまるでキャンパスの一部の様です。

日吉駅で東横線と分岐した新横浜線は、35‰の急勾配で地下に潜ると、ほぼ東横線の真下を南進して、
紅いラインの5050系は最高時速100kmで地下空間を駆け抜け、あっさりと新横浜に滑り込みます。

JR横浜線、市営地下鉄ブルーラインに加えて、今では2つの新横浜線が乗り入れているから、
新横浜から新幹線に乗る利便性がずいぶん向上したのではないだろうか。

Fマリノス通りから鳥山川沿いの緑地公園に出る。小さな野球場で少年たちが砂埃を舞い上げる。
っと1本だけ咲き遅れた河津桜がピンクの花びらを満開にして、行き来する人の目を惹いているね。

「さんかくはし」を渡ると日産スタジアム(横浜国際総合競技場)が見えてくる。
東ゲートにはメッシュのオベリクス林立する。日が暮れてライトアップされたらキレイだろう。

ビル街の只中の「シンヨコ商店」は、週末は11:00から呑めるんだから嬉しい。

「とりあえず生ビール」と言ったら、西島秀俊の小言が聞こえそうだけど、先ずはこれから。
あては “桜えびと新玉葱のかき揚げ”、桜えびの食感と新玉葱の甘味を噛み締めて美味しい。

今日は九州の蔵を択ぶ。壱岐の “横山五十” は山田錦を醸した純米大吟醸、って甘ぁ。
ワイングラスに注いで食前酒ならいいだろうか?とにかく呑み人には甘すぎる。
藍の器に “生まぐろ” の赤がキレイでしょう。山葵をたっぷりのせて、甘口の酒を楽しもう。

“名古屋コーチン鶏天” が登場、これまたジューシーで旨味があって、よき酒の友になるね。
黒いラベルにパープルの絵と文字が印象的な福岡の “庭のうぐいす”、純米吟醸中汲みは濃醇だけどキレがある。

新横浜から のぞみ に乗っても福岡までは4時間半、壱岐まではさらにジェットフォイルに乗船しないと。
いつかは玄界灘のイカやブリ、希少な壱岐牛を食べに行きたいけれど、
とりあえずは新横浜の止まり木で、九州の酒を愉しむ経済合理性を感じて、東急線の呑み潰しは了るのです。

東急新横浜線 日吉〜新横浜 5.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
タッチ / 岩崎良美 1985


玉電とSNOOPYと真っ昼間の餃子×ビールと 東急田園都市線を完乗!

2025-03-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

副都心渋谷と中央林間を結ぶ田園都市線は、東横線と並んで東急の本線格といえる。
R246の地下から抜け出すと、大井町線を従えて堂々の複々線が二子橋梁で多摩川を渡っていく。
今回は田園都市線に乗って、西へと小さな旅をしている。

副都心線の開通で渋谷の地下は賑やかになったと思う。
渋谷スクランブルスクエア前にポッカリと開いた地下空間への入口、ゲートの路線案内がカラフルだ。

B3階の1番線に降りると見慣れぬ黄色い電車が止まっている。乗務員交代するこの駅の停車時間は長い。
「南町田グランベリーパーク号」と云うらしい。この後寄ってみよう。
スヌーピーと仲間たちが電車に乗っている様子が描かれており、心弾むワクワク感を演出していると云う。

新鋭2020系は堂々の10連、準急の中央林間行きが溝の口駅にはいってきた。
先にも触れた通り、多摩川〜溝の口間は大井町線が乗り入れる複々線区間になっていて、
すれ違ったり追い越したり車窓はとても賑やか、男の子たちのテンションが上がっているね。

早いお昼を町中華で呑む。「芳蘭」はR246が南武線を跨ぐ陸橋下のような場所にある。
老夫婦で切り盛りする店は、単品はちょっと単価高めだけど、リーズナブルなランチメニューがある。

真っ昼間の町中華だから、ここは王道として “餃子” に “ビール” でいきたい。
狐に焼き色がついた餃子は、この手の店にありがちな、具だくさんのもちもちタイプ。
ジュワっと滲み出る肉汁を味わって、苦味走ったラガーで流す。美味いね。

ビールを楽しむうちに “五目そば” が登場、これも具だくさん、大きな焼豚の存在感が半端ない。
レンゲですくってスープを味わう。優しい味だ。
割り箸を駆使して野菜やら焼豚を抓んだり、麺を啜ったり、この五目そばってのは楽しいね。

さて、昼呑み後の腹ごなしにもう少し郊外まで歩く。めざしたのは国の登録有形文化財「久地円筒分水」だ。
多摩川から取水された二ヶ領用水はここ久地へ導かれ、ここから四つの堀に分水されていた。
これ江戸時代の話し、正確な分水ができずに水争いが絶えなかったことは想像に難くない。
昭和16年に造られた久地円筒分水は、二ヶ領用水を円筒の円周比により四つ堀に分水し正確に供給を始めた。
この知恵と技術もさることながら、この遺構の機能美がまた素晴らしい。

東急の車両にフェイスは似ているけど、パープルに化粧しているのは東京メトロの18000系。
溝の口からの二番手は各駅停車の中央林間行きだ。

次なる途中下車は宮崎台駅、各駅停車しか停まらない駅だけれど、ここに「電車とバスの博物館」がある。
小さな子ども連れの来訪者に混ざって、この小さな博物館を訪ねるのは訳がある。
田園都市線の前身である玉川線のデハ200形を見ることができるからだ。

玉川線(通称:玉電)は1969年まで渋谷から二子玉川園まで走っていた。
R246に敷かれた軌道を走っていたと云うから、路面電車みたいな感じだったろうか。
デハ200形は当時としては画期的な超低床構造の2両連接車、下ぶくれの顔が愛嬌があるなぁと思う。

続いて宮崎台からの三番手は橙が眩しい東武の50000系、急行の中央林間行き。
始発駅は久喜か南栗橋か、いずれにせよその距離90キロ超、所要2時間超の長い旅の途中だ。

溝の口を発った田園都市線は、起伏の多い多摩丘陵に突入する。
溝の口隧道を皮切りに、駅間に必ずあるのでは?と云うくらいたくさんのトンネル、切り通し、
半径の小さなカーブ、谷を渡る高架が連続し、車窓は目まぐるしく変わるのだ。

橙色の急行は南町田グランベリーパーク駅に滑り込む。そんな駅あったっけ?
東急が手掛ける「グランベリーモール」の最寄駅であることから改称されたらしい。
2019年に完成した新駅舎は、まるでモールの一部のような、明るく開放的で洒落た空間に仕上がっている。

モールには SNOOPY MUSEUM TOKYO、大欠伸のスヌーピーの口に次から次に女の子たちが吸い込まれる。
なるほど、渋谷駅で見たスヌーピーと仲間たちを描いた黄色い電車は、このモールのプロモーションなのだ。

MUSEUM を見渡すカフェのテラス席にご同輩らしき人物を見つけた。これっ何と云うキャラクターなの?
この日は寒かったから彼は独りぼっち。スヌーピーを撮っているのか、それとも自撮りしているのだろうか。

もう日が暮れそうだけど、ここまで来たらこの旅の終点まではもう一息、否あとふた駅。
つきみ野駅を通過して住宅地の中にぽっかり開いた四角いトンネルに吸い込まれて地下線に入る。
東武から出張してきた橙の10両編成は、ほどなく終点の中央林間駅へ到着するのだ。

冬枯れの田園都市線の旅、住宅街を突き進むこの路線は、なかなか見どころも見出せず単調な旅になった。
それでもJR線と交差する溝の口や長津田、いやいや中央林間にだって酒場が見つかるかもしれない。
ちょっと宿題を残して、今回は町中華の昼呑みでお茶を濁した田園都市線の旅なのだ。

東急田園都市線 渋谷〜中央林間 31.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
卒業-GRADUATION- / 菊池桃子 1985


ブレーメンの音楽隊と紅梅と春純米と 東急東横線を完乗!

2025-02-22 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

季節が逆戻りした冬の澄んだ青空、渋谷の摩天楼を背景に元町中華街行きの8両編成が疾走してくる。
2度目の東急線の呑み潰しも終わりが見えてきた。今日は基幹路線である東横線を旅する。

ただでさえ谷底の街である渋谷、副都心線の開通で渋谷駅は地下5階まで潜ってしまった。
彩り豊かなスクランブルスクエア前のゲートをくぐってエスカレーターを降りると、
明治通りの直下に2面4線が姿を現すのだ。

35‰の急勾配を駆け上って5050系が地上に姿を現すと代官山、後に見えるのは清掃工場の煙突。
代官山を通過するとすぐに渋谷トンネルを潜る。、複線の間に千代田線が姿を見せると中目黒、
ホームの下に目黒川が流れている。1か月も経たないうちに桜が満開になるでしょう。

祐天寺に途中下車して、地名が由来する明顕山祐天寺を訪ねる。
寺の歴史は案外浅くて、建立は享保年間、吉宗の時代だそうだ。

仏舎利殿の正面は累伝説を題材として描かれた大絵馬で、なかなか見ごたえがある。

帰り道、真っ赤な郵便ポストをエクステリアの様にして SIDEWALK COFFEE YUTENJI がある。
木造平屋建て民家風の店、軒先のベンチには犬の散歩中のご夫婦、パンが主食のお国の方、陽だまりがいいね。

ふっとこの空間に身を置いてみたいと思ってふらり。
厚手のカップに “エスプレッソ” を満たして、油紙に “サーモンのバケット” を包んでブランチタイム。
サーモンの甘味とオニオンの辛味を感じながらバケットを齧る。コーヒーの苦味が心地よい。

目黒線が合流して田園調布からは複々線、横浜高速鉄道Y500系が多摩川駅に滑り込む。
さっき乗ってきた東急の車両と顔つきが似ていると思ったら、2形式は共通設計の姉妹車なのだそうだ。

多摩川を眺めようと亀甲山(かめのこやま)に登る。ここからは富士山も鮮やかに見える。
女神様(木花咲耶姫命)を御祭神とする多摩川浅間神社の社紋は桜、
3人の皇子をお産みになったいう故事から、家庭円満・安産・子安の神として崇敬されている。

にわかにお囃子が聞こえてきた。振り返ると神楽殿で奉納の練習が始まったようだ。
神楽殿の前にはクルマ状のみくじ掛けが二つ、「桜みくじ」がひと足早く満開を迎えているね。

眼下には穏やかに多摩川が流れていく。真紅のラインを引いた東横線がステンレスの車体を煌めかせ、
さっきまで聞こえていた野球少年達の声をかきかき消すように、轟音を立てて渡っていくのだ。

元住吉駅前の商店街はグリム童話の一編にあやかって「ブレーメン通り商店街」という。
駅前にはドイツ・ブレーメン市の商店街から、友好の証として送られた「ブレーメン音楽隊像」がある。
向かい側の雑居ビルの壁面でも動物たちが音楽を奏でていて、なかなか賑やかで微笑ましい商店街だ。

この駅には元住吉検車区が併設されている。45編成が留置できるというからかなり大きな規模。
ぐるっと南側の県道に回り込むと、金網越しにすっぴんの彼女たちに会える。

大倉山直下、切り通しの緩いカーブを上り下りの5050系がすれ違い、真紅のラインが流れていく。
大倉山公園では先週まで、春を告げる恒例行事「大倉山観梅会」が開かれていたから、もしやと思い途中下車。

狙いは当たった。祭りは閉じたとは云え、46種約220本の梅の木はまだ満開を誇っている。
潔いほどの白梅、鮮やかな紅梅、清楚な薄紅が香りをまとって揺れている様が美しく芳しい。

勾配を下るためか、町が出来てから鉄道が敷かれたのか、菊名から先の東横線は細やかなカーブを繰り返す。
東白楽を過ぎると、真紅のラインは地下に吸い込まれ、反町を経て横浜駅に滑り込む。
かつて桜木町まで延びていた東横線は、みなとみらい線の開業に伴い、この先横浜高速鉄道にバトンを託す。

夕陽が駅ビルをオレンジに染めて、ちょうど良い頃合いに横浜に着いた。
それにしても相も変わらず横浜駅周辺の賑やかさは半端でない。

運河のような帷子川(かたびらがわ)を渡って今村商店、11:30に開店する人気店はフルハウス。
それでもお一人様が案外入り易いことは経験で知っている。10分待たないうちに奥の二人掛けに案内される。

 

ここの生ビールは “マルエフ”、ガッキーに癒された気分でグッと呷る。いや今は芳根京子さんですね。
アテの “作りたてポテサラ” が温かい、おふくろの味だね。これはなかなか味な一品だ。

今宵は加賀の酒で酔うと “手取川” を注文、アテは “かに味噌”、勝手に北陸のズワイガニをイメージしてる。
瑞々しい味わいの「春」純米辛口は、ラベルに菜の花が咲いて、春霞のような薄にごりが旨い。

“創作おまかせ五本” がテーブルを賑わせて、こんな濃口のアテには、酸味のある山廃の原酒がいい。
“菊姫” は白山市鶴来の酒、北陸鉄道を乗った時に訪ねたね。新酒らしい荒々しさとフレッシュ感を感じる。

居ながらに加賀の旨酒を堪能する横浜の夜は更けて、東横線の旅を終えるのだ。

東急東横線 渋谷〜横浜 24.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Youngbloods / 佐野元春 1985


うしでんしゃと鮭ハラス焼きと会津中将と 東急こどもの国線を完乗!

2025-02-15 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

夕暮れの長津田駅、7番ホームに「うしでんしゃ」が入ってきた。牛歩よろしくゆっくりと。
この町で一杯やる前に、この短い支線を乗り潰しておきたい。

青空の下、みどりの牧場で牛さんたちが草を食んでいる。
車両の床には足跡まで付いていて、なんとも長閑な雰囲気を醸し出している。

さて乗客はというと、さすがにこの時間は親子連れの姿はなく、
家路を急ぐサラリーマンと、重い部活のバックを背負った中高生が多いね。

戦時中、旧陸軍田奈弾薬庫への引込線として敷設された鉄路は、こどもの国へのアクセス線に転身した。
日没後、淡い暖色に浮かび上がる駅舎は、童話の中に出てくる建物の様に見える。

長津田駅の北口にはロータリーが整備され、その再開発に外れて孤高の居酒屋がある。
ちょっと気になるね。「みちのく」だって、どんな肴を出してくれるのだろう。

地酒の品書きはその名の通り東北のラインナップ、半分は会津の酒が並んでいる。
品定めをする間に “一番搾り” をいただく。アテは “生春菊とツナのサラダ” を抓む。

“鮭ハラス” を焼いてもらう。たっぷり脂がのった塩焼きにレモンを絞る。
大根おろしをちょんとのせて、口に運ぶと蕩ける様に美味しい。

酒は会津で攻めることにした。まずは「夢の香」を醸した “会津中将” の純米吟醸を。
すっきりした香りのやや辛が、ハラスの脂をスーっと流していい組み合わせだね。

“にら玉豆腐” には七味は振った方が良いだろうか。
これ絶対にあったか御飯に合うやつですね。であれば酒の肴にも。燗酒の方が良い?
これに合わせる “冩樂” の純米酒も「夢の香」を醸した酒、こちらはほのかに酸味を感じる。美味い。

会津の酒を堪能したこどもの国線の呑み鉄旅、肴はもう少し郷土料理的なのが欲しかったね。
それでも類さんが満足した店は、十分に美味しい雰囲気のある酒場でした。

東急こどもの国線 長津田~こどもの国 3.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
卒業 / 斉藤由貴 1985


紅梅と招き猫と赤鬼と 東急世田谷線を完乗!

2025-02-08 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

静かな住宅街をメタリックに輝くモーニングブルーの車両が、モーターの唸りをあげて走っていく。
ところで2月22日は「猫の日」らしい。それを知ってか知らずか呑み人は、
招き猫が描かれた「世田谷散策きっぷ」を握りしめ、世田谷線の旅をしている。

下町風情が色濃い下高井戸、駅に隣接した京王線の踏切が絶えずカンカンと鳴っている。
八王子方面への1番線を降りると正面に、小さな世田谷線の乗場が見えてくる。

下高井戸駅を「幸福の招き猫電車」が飛び出してきた。
10編成ある300系電車で、この車両に乗り合わせるのは、ある意味幸福なのかも知れない。
小さな子どもが「あっ猫の電車!」と指をさして、お母さんを見上げる姿が微笑ましい。

赤堤通り辺りからの下り勾配をバーントオレンジが下ってくる。
降車客の波に押し出されて山下駅に下車、なるほどここは小田急線(豪徳寺駅)との乗換駅か。

小田急線のひと駅分を歩いて羽根木公園まで足を延ばす。
ちょうど「世田谷梅まつり」が開催中で、紅、白、薄紅と600本の梅が咲き誇っている。

梅の香りに送られて山下駅に戻る。
まだ続く下り勾配を幸福の招き猫電車でひと駅、今度は宮の坂駅で途中下車。

この駅には旧玉電デハ80形が静態保存されている。
大正生まれの彼女は玉川線や下高井戸線で走ったのち、江ノ電にお嫁入りして海辺を走ったらしい。
1990年に現役を引退して、懐かしい世田谷に戻ってきたお婆ちゃんなのだ。

大谿山豪徳寺は彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺で、曹洞宗の寺院だ。
仏殿正面に篆額には「弎世佛」と描かれている。現在・過去・未来の三世を意味するそうで、
なるほど阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像が安置されている。

立派な三重塔だけど案外新しいもので、落慶は平成の世になってからだ。
この塔はちょっと変わっていて、二層目には招福猫児観音像が安置されているのだ。

鷹狩り帰りの殿様が、門前の猫に手招きされ寺に立ち寄ることで、突然の突然の雷雨を回避した。
これが豪徳寺と井伊家の縁なる故事で、豪德寺は井伊直孝に支援され再興したそうだ。

福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられている。
奉納所にずらり並んだ招き猫がフォトジェニックとして話題を呼び、人気のスポットとなっている豪徳寺だ。

下高井戸から南下してきた世田谷線は90度、上町駅進路を東に転じる。
突然っと、対向のブルーイッシュラベンダーが、急カーブの先から現れた。

唯一駅舎を持った上町駅は検車区を併設している。全10編成のねぐらってわけだ。
この日は運用から外れているチェリーレッドとカラフルなSDGsトレインが並んでいる。

ある意味世田谷線最大の名所は若林踏切だと思う。
都内の大動脈である環状七号線(都道318号)に唯一残った踏切なのである。
とは云え、この踏切は交通信号によって制御され遮断機はなく、最大限に交通量に配慮している。

キャロットタワーに併設した三軒茶屋駅、たった1本の線路にクラシックブルーのが終着した。
駅はアーチ状の天井、赤レンガ、丸い電灯、レトロモダンな雰囲気を醸している。 
共に「玉電」として走った二子玉川園行きの本線は、田園都市線となって地下深く潜ってしまった。

世田谷通りから路地に入って「銘酒居酒屋赤鬼」を訪ねる。
今宵も予約で満席だけれど、1時間少々の時間制限でカウンターの一角でダウンジャケットを脱ぐ。

先ずは “白穂乃香” で喉を潤しながら、銘酒リストを眺めて品定め。
ここは山形の “十四代” を始め、津々浦々の銘酒を生酒中心に取り揃えた日本酒専門の居酒屋だ。
この間のアテは “ぬか漬け入りポテトサラダ”、これビールによく合う。へしこソース付きが嬉しい。

一杯めは十四代の本醸造 “本丸”、トロッとした口当たりのバニラの様な香りが楽しめる。
本来、辛口を好む呑み人なんだけど、これは旨い、そして飲みやすい酒だ。

そして赤鬼名物の “こんにゃくの刺身”、玉こんにゃくを薄くスライスして、だし醤油と生姜でいただく。
たぶん芋本来の甘味と、独特の弾力ある食感を楽しみながら、これは逸品だと思う。

山形つながりで二杯めは西村山郡の “あら玉”、生酒谷地のあらばしりは出羽燦々を醸して柔らかな味わい。
本マグロ、ソイ、ハマチ、ホタテ、厚手の陶器に並んで彩りが鮮やかだ。
刺しちょこの醤油は九州のそれの様に、濃口で甘味を感じて美味しい。拘っているね。

“中トロの串焼き” を焼いてもらった。これもなかなか美味いアテだ。
県境に跨がる “鳥海山” だけど、この酒は越えて秋田県の天寿酒造の酒、由利高原鉄道で訪ねたね。
オリ引きしないままの生原酒は、薄にごりの爽やかで豊潤な味を楽しんでいるうち、そろそろ1時間。

マフラーを巻いたら、スタッフの温かい声に送られ、後ろ髪を引かれる思いで引戸を開ける。
雪が散らつく予想もあった寒い猫の日、美味しい心地よい店に出会った世田谷線の旅だ。

東急世田谷線 下高井戸〜三軒茶屋 5.0km 完乗 

<40年前に街で流れたJ-POP>
卒業 / 尾崎豊 1985


戸越GINZAと御嶽神社と春の霞と 東急池上線を完乗!

2025-02-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

JR線を見下ろす4階に部分に池上線の五反田駅がある。
山手線の内側への延伸を狙った構造ではあるが、計画はついぞ実現しなかった。
高架下を目黒川が流れて、桜の頃はさぞかしキレイだろうなと思う。

目黒川を跨いだ1000系の3両編成は、加速をする間もなく大崎広小路駅、その次が戸越銀座駅だ。
1.3kmに400の商店が軒を連ねる戸越銀座商店街、その中ほどで踏切を鳴らして短い電車が絵になる。

大井町線とクロスする旗の台駅、多摩産の木材でリニューアルしたホームは温もりに溢れている。

木造のホーム上屋、上屋と一体化した白いペンキ塗りの木製ベンチ、
一方で昔ながらの旧い駅が多いのも池上線の風景だ。西島三重子の曲の情景が目に浮かぶ。
そんな洗足池駅に現代っ子の7000系が入ってきた。

洗足池に流れこむ川はない。大小の湧水を集めて周囲1.2kmのこの池はある。
辺りには広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた美しい景勝地の片鱗が窺える。
自然豊かな環境だから、飛来する冬の水鳥は多いけれど、スワンが浮かんでいるとは思わなかったね。

呑川を渡って雪が谷大塚駅に飛び込んできたのは「青ガエル」リバイバル塗装。
ある年代以上の方には懐かしい色だと思う。

左に大きくカーブして行く本線に並んで、雪が谷検車区が24編成分の電留線を広げている。
こうして見ると、池上線(多摩川線)の顔ぶれは、なかなかどうして華やかだ。

池上線が東海道新幹線を跨ぐ辺りに在るのが御嶽山駅。
「おんたけさん」という駅名には信州人としては反応せざるを得ない。当然に途中下車になる。

案の定というか駅の北側に御嶽神社が鎮座していた。
天保年間、この村にあった小社に木曾御嶽山で修業をした一山行者が来社して以来信者を増やし、
やがて大きな社殿を建立すると、関東一円から御嶽信仰の信者が多く訪れるようになったそうだ。

武蔵野台地と、幾つもの川が削った谷底が入り組んだ地形をアップダウンしながら
7000系3両編成が池上駅に滑り込んでくる。もともと池上線の前身である池上電気鉄道は、
池上本門寺の参詣客輸送を目的に開業したから、この路線の中心駅と云って良い。

仏具屋や花屋、くず餅屋などが並ぶ本門寺通りを抜けると、呑川対岸の崖上に大本山の仁王門が見える。
加藤清正が寄進した九十六段の石段からなる此経難持坂(しきょうなんじざか)を登り切ると池上本門寺。
仁王門をくぐった先の大堂はかなりの大きさだ。日蓮聖人の御尊像(祖師像)を安置する。

右手に目を向けて、徳川秀忠公が建立寄進した五重塔は、関東に現存する最古の五重塔なのだそうだ。
さらに本殿裏、小堀遠州造園の松涛園は、西郷隆盛と勝海舟の江戸城明け渡し会見の舞台でもある。

今宵の一杯はこの門前町でも良かったのだけれど、やはり酒飲みのワンダーランド蒲田に向かいたい。
ということで2駅4分のラストスパート、アンカーの7000系は頭端式ホームの蒲田駅に終着する。

ガード下に立ち飲み屋が並ぶくいだおれ横丁、それに続くバーボンロードを冷やかして歩くと、
昭和な民家風が気になる。仰ぐ看板には「立飲み集会所 日本酒人」だって、入るよね、ここ。

っで今宵はビール抜きにして、秋田の酒で攻めることにする。肴は海のモノと決めた。
“春霞” は大曲に近い美郷町の酒、酒米美郷錦で醸した純米はやわらかい甘みを感じる食中酒。
アテは “紅鮭海苔チーズ ホイル焼き”、これは美味い。海苔とチーズが塩っぱい紅鮭といい感じだ。

秋田だからね。“いぶりがっこ” を箸休めに置いて、ふた皿めの “タコ刺し” は薄切りが瑞々しい。
“純米ど辛” は白神山地の酒、日本酒度+15の超辛口の酵母は「セクスィー山本酵母」だって、遊んでるね。

品書きの文字通り “大きいカキフライ”、カラっと揚がってしっかり旨味があって、レモンを絞って美味しい。
三杯めの “刈穂” は大仙市神宮寺の蔵、山杯純米生原酒番外品って重々しいこの酒は日本酒度+22。
これは効くね。重厚な旨味とハードなキレ、カキフライにかける中濃にも負けない。いい出会いだ。

それこそ短い距離ながら濃厚な池上線の呑み旅は、秋田の旨酒にほろッと酔って終わるのだ。

東急池上線 五反田〜蒲田 10.9km 完乗

池上線 / 西島三重子


目黒不動尊と花椒の香りと信州亀齢と 東急目黒線を完乗!

2025-01-25 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

多摩川を渡った急行が、キーンキーンと車輪とレールを擦らせて、急カーブに弧を描いてくる。
かつて目蒲線として親しまれた路線は、東京メトロとの直通運転と東横線複々線化事業により
目黒線と多摩川線に分断された。この休日は田園調布から目黒まで、城南の小さな旅をしてみたい。

都内有数の高級住宅街の田園調布が旅のスタート地点。
洋館風の旧駅舎は、複々線化事業により駅は地下化された後、2000年に復元されている。

田園調布駅を発った目黒線は、地上に飛び出すや大きな左カーブで東横線から離れて行く。
グリーンのラインを帯びた車両は東京メトロの9000系、行先表示版には赤羽岩淵の文字。

地下鉄と相互乗り入れする目黒線は行先が、赤羽(南北線)、浦和(埼玉高速鉄道)、高島平(三田線)と多彩だ。
隣の4番ホーム(東横線)の、池袋(新都心線)、川越(東武東上線)、所沢(西武線)と合わせると、
もうとんでもない混沌の中にある。「目黒(or渋谷)に出たいだけなのに」と高齢者の戸惑いが聞こえそうだ。

奥沢駅の手前で最初にすれ違った食パンは、東京都交通局の新鋭6000系。
ラインカラーの青を纏ったこの車両は、2022年にグッドデザイン賞を受賞している。

最初の停車駅である奥沢駅は車庫を併設し、6本の車両が留置できるようになっている。

斜め後方から大井町線が割り込んでくると、3000系8連の急行は大岡山駅に飛び込んで行く。
連続立体交差化事業が進んだ目黒線はまるで地下鉄の様、大岡山も地下駅になっている。

活気のある大岡山北口商店街を行く。風景が商業地から住宅街に変わって、雰囲気のある蕎麦処を見つけた。

そば屋の技とは思えないほど、一番搾りが見事な泡がちで登場する。それともグラス形状のなせる技か?
板わさ、かまぼこの天ぷら、鴨のくんせい、卵焼きが並んで、蕎麦前セット(1400円)が嬉しい。

さらに一酒一肴を欲張って “揚げ茄子肉味噌がけ”、花椒が香る一品は中華にも似て、なかなかの美味。
酒は信州上田の “信州亀齢”、美山錦の純米吟醸は穏やかな香りのフレッシュな酒だ。
北国街道上田宿の町並みの中にある岡崎酒造、杜氏さんは確か女性だったと思う。

そして刻み海苔を散らして “ざる” を一枚、かなりコシの強いやつを辛めのつゆでズズッと啜る。
美味いね。休日の真っ昼間にそば屋で一杯、贅沢で粋を気取った呑み鉄の旅なのだ。

大岡山から急行に乗車すると次は武蔵小山、所要時間はわずかに3分、この駅もまた土の中だ。

武蔵小山商店街「パルム」は800mのアーケードと250店舗を有する。
休日の午後はビックリするほどの人,人,人。大阪の心斎橋に負けないくらいの賑わいなのだ。

ところで武蔵小山には「清水湯」という銭湯があって、お昼から湯に浸かれる。
いわゆる東京の黒湯と、さらに深い地層から湧く黄金の湯の2種類の湯が楽しめる。また今度訪ねたい。

武蔵小山では各駅停車が4番ホームに退避して、3番ホームに急行が追いかけてきて先行する。
でっボクが各駅停車に乗るのは不動前駅に途中下車したいから。4番手は東京都交通局の6300系。

不動前駅を降りてL字の小さな商店街を抜けてかむろ坂通りを渡る。あとはゆるりゆるりと坂道を登る。
八つ目やが焼く香ばしいうなぎの香りが漂うと、正面にこんもりとした杜、目黒不動尊瀧泉寺だ。

護摩祈願の声を聞きながら手を合わせたら、東急目黒線の旅も終わりが近い。

最後はやっぱり東急の車両が良いね。3本ほど見逃すと5080系の赤羽岩淵行きがやってきた。
ほどなく目黒川を渡ると、赤いラインの各駅停車は地下に潜って目黒に到着する。
少し長めの停車で乗務員が交代する。ひとりボクはホームに残って赤羽岩淵行きを見送るのだ。

東急目黒線 田園調布〜目黒 6.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
天使のウィンク / 松田聖子 1985


等々力渓谷と九品仏とジムハイボールと 東急大井町線を完乗!

2025-01-18 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

轟音を立てて大井町行きの9000系5両編成が多摩川橋梁を渡ってくる。
大井町線は二子玉川〜大井町を結ぶ路線だけれど、田園都市線の複々線化で溝の口まで足を延ばした格好だ。
車両フロントのラインは、路線カラーのオレンジからイエローにグラデーションしている。

人気の街二子玉は、駅の東側にもショッピングセンターが開業して発展著しい。
沿線住民は渋谷まで出なくても、ショッピング、食事、レジャーも高いクオリティで楽しめそうだ。
それでは早速3番ホームに上って、この週末は大井町線に乗って呑む。

まずは二つ目の等々力駅で途中下車、ホームに上がるのに踏切を渡るという、昔ながらの私鉄の駅。

谷沢川が武蔵野台地を深く削って多摩川に流れ落ちる。
その等々力渓谷を観ようと途中下車したけれど、現在は立ち入り禁止なんだね。
仕方なしに「超」が付く高級住宅街を抜けて等々力不動尊へ回り込む。

お不動様に手を合わせたら渓谷の茶屋で一服。わしゃ “抹茶あんみつ” を所望ぢぁ。
前々から甘味にもチャレンジしようと思っていたから、今日はちょっとウォーミングアップ。

6分間隔で各駅停車が行き交う中、ときおり急行が割ってはいる。6000系はスタイリッシュな流線型だ。

さらに二つ進めて九品仏駅、その名前が気になって途中下車。駅舎は踏切にはさまれている。
アルファロメオかな?クラッシックなスポーツカーと赤いコラボレーション。

駅から北へ石畳の参道が延びている。どうやら九品仏浄真寺が駅名の由来だ。
九躰(九品)の阿弥陀佛をご安置しているから「九品仏」なのだそうだ。

龍護殿(本堂)には御本尊の釈迦牟尼仏がこれでもかと云うくらい輝いている。
ちょうどお宮参り?の赤ちゃんと若いご夫婦がご祈願を受けていた。どうかお健やかに。

その一つ先が自由が丘、言わずと知れた「住みたい街」の上位に常連する洗練された街並みだ。
もちろん呑み人とは縁遠い。ん10年前に日吉に通う高校の同級生を訪ねて以来だと思う。

自由が丘を出た9000系5両編成、案外激しくアップダウンを繰り返す。
改めて東京が武蔵野台地の上にあって、幾つもの川が削った谷底が入り組んでいることを実感する。

池上線と交差する旗の台は、7つの商店街を有する下町風情の街。ランドマークの大学病院が聳える。
暮らすには便利そうだし、雰囲気のある酒場もありそうだ。ゆっくり歩いてみたい街だね。

折角なのでアンカーには急行を指名する。終点まではわずかに5分の乗車だ。
熊本藩細川家の下屋敷だった戸越公園を掠め、東海道新幹線を潜るとほどなく大井町に到着、終点だ。

東小路だの平和小路だの横丁には酒場が軒を連ね、夜の帳が下りれば大井町はワンダーランドだ。
でも今宵は横丁に背を向けてイトーヨーカ堂裏の老舗を訪ねる。
まだ16:00過ぎだけど人気店には席待ちの人、でもそこはお一人様だから、カウンターの一席に尻をねじ込む。

ご多分に漏れず、まずは “生ビール”、お通しは申し訳程度の大根とこんにゃくを煮たやつ。
ここのマスターは威勢がいい。何くれと声をかけてくれる。勧められるままに “寒ぶり刺し” を択ぶ。
ちょっと水っぽい、解凍したてか。最近のボクは筆が意地悪だ。でも甘みがあって美味しいね。

二杯目は “ハイサワーハイッピー”、ほんのりビターで爽やかで、たぶん初めて呑む。
でっアテは “生いわし梅天ぷら” これ絶品です。まさに人気店の面目躍如だね。美味しい。
ほんとは日本酒にしたいところだけれど、地酒のラインナップはない。

そして “ジムハイボール”、オリジナルグラスでのサーブされるとなんだか良い気分になる。
この手の酒場のアテには、スコッチよりバーボンが絶対に合うと思う。
もうひと皿は “宇都宮餃子” どこが? でも焼きたてのカリカリが美味しい。ごちそう様です。

さてと、次回は再び蒲田か、あるいは目黒か五反田か。東急線の飲み鉄の旅はまだ続きます。

東急大井町線 二子玉川〜大井町 10.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
熱視線 / 安全地帯 1985


桜みくじと昭和な暮らしとおつかれちゃん鳥万と 東急多摩川線を完乗!

2025-01-11 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

多摩川駅の地下ホームから這い出てきたのは「いけたまハッピートレイン」の3両編成。
池上線のラインカラー「ピンク」と、多摩川線の「えんじ」を大小さまざまな水玉模様で表現して、
「見るだけでワクワクしハッピーになってほしい」という願いをこめてのデザインだそうだ。

振り返ると小高い丘があって、木花咲耶姫命をお祀りする多摩川浅間神社が鎮座する。
初詣の時季を経て「桜みくじ」を結ぶくるまが、それこそ満開の桜のように華やかになっている。

この神社は多摩川を見下ろし、丹沢の山々から富士山まで見渡すことができる。
最近では映画「シン・ゴジラ」で、ゴジラの首都侵略を阻止する多摩川絶対防衛ラインを守る
「タバ作戦」の自衛隊前衛指揮所が置かれたという。ある意味ここはゴジラの聖地でもある。

東急多摩川線の短い旅は多摩川駅の地下ホームから始まる。
かつて目蒲線として親しまれた路線は、東京メトロとの直通運転と東横線複々線化事業により
目黒線と多摩川線に分断された。そしてこの駅では多摩川線だけ地下でひとりぼっちなのだ。

多摩川駅を発った電車はまず沼部駅に停車する。どのみち短い旅だからと降りてしまう。
古いレールと木材を組み合わせたホームの柱、屋根、壁は、東京に居ながらにして、ローカル線の旅情を醸す。

沼部駅のすぐ先では、東海道新幹線が多摩川線を跨ぎ、その勢いで多摩川を越えていく。
駅から高台への坂道を登る。さらに東海道新幹線を越えるのが美富士橋、きっと富士見の名所なのだろう。
のぞみ号の赤いテールランプが次から次に西へと流れて行く。

Googieマップの青い光点を眺めていたら、面白そうなのを見つけた。
下丸子駅から歩いて7〜8分「昭和のくらし博物館」は週末だけ開館している。
昭和26年建築の庶民の住宅(旧小泉家住宅)を家財道具ごと保存した小さな博物館がおもしろい。

狭い台所、ちゃぶ台、コタツ、子ども部屋、ボクの世代には共感できるものがある。
鏡台とか足踏みミシンとか、たぶん母親の嫁入り道具だと思うけれど、我が家にもあったなぁ。

先を急ごう。多摩川線は古参(といってもアラフォーだが)の1000系を中心に運用している。
赤のライン、緑のライン、ピンク×エンジ、と化粧のパターンがいくつかあって、華やかだ。
そして流線型の7000系が変化球として投げ込まれる。撮り鉄を目的とするなら、面白い路線だと思う。

木造モルタルでトタン屋根、隣接する踏切がカンカン鳴って、野口五郎の「私鉄沿線」というか
そんな昭和な駅舎を、まだ低空飛行の冬の陽が陰影をつくってノスタルジーを強調する。

規模の大小はあるけれど、どの駅に降りても商店街がある。
武蔵新田駅を降りて周囲をうろうろしていたら、珍しい量り売りの酒屋を見つけた。
店内にタンクを置いて生原酒を提供している。オリジナルボトルも用意して、なかなか楽しいお店だ。

すっかり陽は落ちた。
グリーンを引いた1000系車両は、緩やかなカーブで環八を越えると、ラスト1000mの直線を駆ける。
さらに左から池上線の複線が近づいて来て、頭端式ホームの蒲田駅に並んでゴールテープを切るのだ。

蒲田駅は東急プラザの2階にホームを持っていて駅舎としての姿はない。
それでもビルの1階部分をアーチ状にして、ターミナル感を演出しているセンスが良いね。

一番街すずらん通りに紛れ込んで、老舗の大衆酒場を訪ねる。
ボクの前に6名グループの席待ち、この時間じゃ入れないよ、この手のお店。
それに男性陣はノリノリだけど、女の子2人は「もっとキレイなお店の方が•••」言いたげ出し。
それでは、おひとり様なので、先に行かせてもらいます。お言葉に甘えて。

冷えた “スーパードライ” をグラスに注ぐ。大瓶が490円也、この値段はこの店の看板でもある。
白板に好物の “まぐろぶつ” を見つけたから、アテはこれから始めよう。

御同輩がずらりと並んだカウンター、一人ひとりのテリトリーは網のようなモノで狭く仕切られて、
まるで養鶏場のトリの様にして呑んでいる自分が笑える。
ずらっと貼られた短冊は、どれも300〜400円台と何を択んでも財布には優しい。

次なる一品は “なすみそ炒め”、味の濃ぉい一品だから2杯目はサッパリと “レモンサワー” を注文。
別に “カットレモン” を求めてジョッキーに沈める。こうでないと決まりが悪い。
店員さんに愛想はないけれど、ジョッキーの『おつかれちゃん』には癒されるなぁ。

ちょっと呑み足りずに3杯目の “ウイスキーハイボール” を。ここのはブラックニッカ。
もう一品は “厚揚煮おろし”、また濃口を択んじゃったけど、ハイボールとは案外いい相性だと思う。

ここまでの会計は小2枚、せんべろとは言えないけれど、なかなかのコストパフォーマンスだ。
始めてしまった2巡目の東急電鉄線の呑み鉄旅。
お洒落な街々を繋ぐイメージの東急線だけど、蒲田、大井町、五反田などディープな街も控えている。
どんな店の暖簾をくぐるのか、楽しみな数ヶ月ではある。ごちそうさまです。

東急多摩川線 多摩川〜蒲田 5.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Romanticが止まらない / C-C-B 1985


蛇の樹と土方歳三と澤乃井と 多摩都市モノレール線を完乗!

2025-01-04 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

鮮やかなオレンジを纏った4両編成、多摩都市モノレールの1000系電車が音もなく滑り出した。
この休日は多摩丘陵を縦断して、立川辺りで一杯やろうと思っている。

旅を始める多摩センターには白亜の城がある。
キャラクター達との時間を過ごすため、女の子が次々に親御さんに手を引かれて訪れる。

「蛇の樹」は、フランスの女性彫刻家ニキ・ド・サンファルの作品。
瀬戸内海の直島などでアート活動を行うベネッセは、東京本部ビル前もアートで飾っている。

まるで木の枝をイモムシが這うように、1000系電車が最徐行で進入してくる。
ならばこれまた白亜の多摩センター駅は繭に見立てる所であるが、呑み人には板わさにも見える。

多摩丘陵を縦断するモノレール線の前半は、ジェットコースターよろしくアップダウンが激しい。
大栗川の谷から57.5‰の急勾配で尾根を駆け上がると、帝京、明星、中央と大学のビル群が車窓を流れる。
沿線唯一の多摩丘陵トンネルを潜ると下り勾配に転じて多摩動物公園駅に滑り込む。

長いエスカレーターを下って小径を進むと多摩動物公園の正門ゲート。
大きなアフリカ象のオブジェの出迎えに、子ども達もインバウンド客もテンションを上げて写真撮影中だ。

カンガルーが飛び跳ね、エミューが駆け、賑やかなオーストラリア園の最奥部に人気者が居る。
まあほとんど昼寝状態の人気者、時折小さな伸びと欠伸を見せては、観客を沸かせているね。

連続するS字カーブに4両編成をうねらせて、1000系電車が下界へと降りていく。
左手に一瞬キラッとお不動様の五重塔の相輪(そうりん)が目を射ると高幡不動駅だ。

高幡山明王院金剛寺は関東三大不動の一つに数えられ、高幡不動尊として親しまれている。
境内には露店を賑やかに並べて、初詣の参詣者が引も切らない。

ここ高幡山金剛寺が新選組土方歳三の菩提寺だというのは、今回訪ねるまで知らなかった。
額に「誠」を巻いて凛々しい隊士姿の青銅が、朱と金の五重塔とコラージュして映えているね。
彼に見えるのは五稜郭以来だろうか、彼の地では乗馬鞭を携えた洋装であった気がする。

土方歳三の生家は万願寺あたりと聞いて、ひとつ先の万願寺駅に途中下車してみた。
生家跡は小さな資料館になっているのだけれど、生憎っと休館日で残念。

ところでこの駅には鉄道むすめ「万願寺さき」が勤務しているのだが、刺又を持っているのは何故だろう?

万願寺駅を発った1000系電車は、一旦進行方向を北西に変えて多摩川に並行すると、
まもなく中央フリーウェイが西へと流れる。日が暮れたらテールランプの帯がキレイだろう。

そして都道を真っ二つに割るように立日橋を渡る。眼下をゆったりと流れる多摩川、上流の山々が青く連なる。

沿線最大のターミナル立川には、立川南、立川北と2つの駅を設置して乗降客を捌いている。
両駅の間に横たわるJRのヤードを跨いで来た電車には動物たちのラッピング、これって当たり?

立川北駅を出た1000系電車は真っ直ぐ北上する。右手には昭和記念公園、そして陸自立川駐屯地。
広大な立飛の敷地を横切ると、芋窪街道(都道43号)の上をラストスパートだ。

玉川上水駅で西武線と連絡して、立川北駅から七つを数えて1000系電車は上北台駅でその旅を終える。
なんとも中途半端な旅の終わりで、軌道もバッサリと切られたように途切れ、仮設っぽい車止めが行手を塞ぐ。
正面の低い丘陵を越えれば、水を湛えた多摩湖の風景に出会えるはずだ。

多摩都市モノレールには北へ南へ延伸計画がある。
北への計画は、ここ上北台から西へ転じて、新青梅街道を箱根ヶ崎まで結ぼうという計画で、
2024年7月、約7km延伸の軌道事業特許を国土交通相に申請している。
将来もう一度、この路線の呑み旅をするかも知れないね。

さすがにターミナル駅立川の周辺には、昼から呑める酒場が複数存在する。
駅前ロータリーに面したオフィスビルの地階に潜ると、老舗の「酒亭 玉河」があるのだ。
この店、定食メニューも豊富で小上がりの席もあるから、伊勢丹の食堂の感覚で来店する家族連れもある。
それゆえ店員さんからは、お食事ですか?お酒は飲まれますか?と問われる。もちろん呑みます。

品書きに “赤星” があったら、迷わず択ぶことにしている。渋いでしょう。
アテは “マグロぶつ”、少量だけど良いところを切っている。中トロって感じかな。

今回はホッピーへの展開と思っていたけれと、意外と地酒のラインナップがあった。
先ずは福生の “嘉泉” ね。口当り柔らかでしっかりとした後口の特別純米は絶好の食中酒。
アテの “メゴチの天ぷら” は塩でいただくのが良い。野菜天もいくつか添えられて、なかなか美味しい。

〆に温かいのを想像した “なめこ豆腐” は冷製、それでも刻み海苔を散らして酒の供としては上々の一品。
ご存知青梅の “澤乃井” をグラスから升に溢して、きれの良い定番酒 “大辛口” を合わせて旨い。

今年初めての呑み鉄旅、多摩の酒を味わったら「くるりん」に見送られて、そろそろ日は暮れて行くのです。

多摩都市モノレール線 多摩センター〜上北台 16.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
YOU GOTTA CHANCE / 吉川晃司  1985


虹色の電車と大宮八幡宮と焼き鳥は塩で 京王井の頭線を完乗!

2024-12-28 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

神泉トンネルを抜けたサーモンピンクが、駒場東大前に向けて武蔵野台地を駆け上がってくる。
前照灯を煌めかせて、グリーンに白く抜いた急行のLED表示も誇らしげに、5両編成が通過していった。

井の頭線の起点は『大人発信基地』渋谷マークシティイーストの2階部分に広がっている。
呑み人の知っている渋谷駅からすると、ずいぶんと洗練されていて隔世の感があるなぁ。
この休日は学生時代にお世話になった井の頭線を、途中下車しながら小さな旅をしたい。

アイボリーホワイトの5両編成が急行の後を追うように1番線を発つと、直ぐに渋谷トンネルに飛び込む。
暗闇を抜けると一瞬の明かり区間を挟んで神泉駅、ここはすでに神泉トンネルの中。
ボクの知っているこの駅、前寄りか後寄りか2両がホームにかからなかった覚えがあるのだが、
今は全てのドアが開くんだね、いやぁ旧い話で申し訳ありません。

渋谷から6分、アイボリーホワイトは小田急線と交差する下北沢駅に滑り込む。
「若者の街」「サブカルチャーの街」など、通称に事欠くことがない「シモキタ」は若者を魅了してきた。

そんな文化の発信基地の一つが「本多劇場」で、この日も開場待ちの観客が列を作っていた。

ちょっと中心街から外れて「ザ・スズナリ」は、それこそ昭和な匂いがプンプンする小劇場。
階下の「鈴なり横丁」で一度呑んでみたい気もするけれど、オヤジはお呼びで無いかも知れないね。

さらに下北沢から5分、オレンジベージュが滑り込む明大前駅、頭上を京王線が横切っている。
続く永福町駅は路線延長のちょうど半ば、この駅では渋谷行きも吉祥寺行きも急行の通過待ちがある。

コンコースのガラス面には「#永遠に幸せな町」なるほど良いフレーズだね。途中下車したくなる。

駅から15分、大宮八幡宮まで歩いてみる。学生時代、善福寺川緑地を歩いて何度か訪ねたなぁ。
応神天皇が主祭神の八幡宮は、前九年の役を鎮めた源頼義が、その凱旋の帰路に創建したという。

4年間暮らした浜田山を発車したライトブルーは、緩やかに左カーブしながら環八を跨ぐ高架を上がる。
ここに聳える杉並清掃工場の煙突は、風呂なし6畳のアパートからも存在感があった。

高架を降りた5両編成は富士見ヶ丘駅に滑り込む。
隣接する検車区は井の頭線のレインボーカラー29編成145両の塒だ。3色並んだ姿がなかなかキレイだ。

終点を目前に井の頭公園駅にも途中下車したい。
知らないうちに瀟洒な駅舎に建て替わって、閑静な住宅地によく似合っているね。

井の頭公園が白鳥の飛来地とは知らなかった。ざっと数えて30羽が狭い池尻に集まって、
優雅なイメージとは裏腹に、バチャバチャとけたたましく外輪が水面を叩いている。

5両編成のライトブルーは神田川を渡ると、緩やかなカーブと勾配で吉祥寺駅への高架を上っていく。
乗り通せば各駅停車でさえ僅か30分、油圧ダンパの車止めに行く手を塞がれ、短い旅は呆気なく終わった。

キラリナ京王吉祥寺というらしい。新しい駅ビルは壁面緑化を施して、見る人の目に優しい。
井の頭通りに並行した末広通りは、老若男女が溢れ出して、賑わいを醸している。さぁ呑みに行こうか。

吉祥寺駅前交差点に立ったらその店はすぐに見つかる。
真っ昼間から赤ちょうちんが灯り、間口からは濛々と白い煙を吐いている。
「いせや総本店」は昭和3年創業の老舗であり、吉田類酒場放浪記のオープニング店の店でもある。

混んでいる店であっても、おひとり様は案外入り易い。ほどなくカウンターに席を占める。
冷たい “生ビール” と 名物の大ぶりな “手作りシューマイ” で始める。辛子をたっぷりつけて美味しい。 

皮が厚めで素朴な “冷やしトマト” が良い。昭和っぽいよね。これっ箸休めに最高。
二杯目は “レモンサワー”、これがかなり酸っぱくて焼き鳥にはピッタリだと思う。

相変わらず焼き台から煙と匂いが襲いかかってきて目が痛い。でもなんだか楽しいね。
目を瞬きながら “ひなどり”、“つくね”、“ネギ” を焼いてもらう。ボクは圧倒的に塩が好きだ。
お代わりは “梅酒ロック” を、やっぱり酸っぱいのが焼き鳥には合いそうだ。

井の頭線とその沿線は、呑み人にとっては懐かしさと新しい発見が相まって、とても楽しい旅となった。
それにしてもダウンジャケットもニット帽も、犬が付いて来そうなくらい焼き鳥の匂いに塗れたね。
帰り道にボクとお乗り合わせた方には、寛大な心でお許しをいただきたい。

京王井の頭線 渋谷〜吉祥寺 12.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ハートのイアリング / 松田聖子 1984