goo blog サービス終了のお知らせ 

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

鯖湖湯と二八そばとはなもも色の電車と 飯坂線を完乗!

2025-08-11 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

ガタゴトと1番ホームに2両編成が入ってきた。大きく「いい電」のヘッドマークを付けている。
フロントのカラーリングは葡萄色と桃色だろうか。
今日は車窓に果樹畑を眺めながら、東北の古湯をめざして福島交通飯坂線を旅する。

駅ビルの狭間で起点駅の風格もなければ旅情もない福島駅だけれど、
むしろ600m先の曽根田駅は開業当時の姿にお色直しをして風格がある。
駅舎には自家焙煎コーヒーと手作りケーキの瀟洒なカフェが入っていて、
地元のマダムたちがちょっと贅沢な時間を過ごしている。って雰囲気かな。

2両編成のいい電は、県道3号線に沿って北上していく。
この1000系電車は2017年以降東急東横線からやってきた。
面影が感じられないのは、全てが中間車両を改造をしたものであるかららしい。

路線延長半ばの桜水駅には車両基地が併設されている。
側線に並んでいる顔ぶれを見ると、すでに全てがこの1000系に置き換わっているようだ。

そしてありましたよ1編成、赤とアイボリーの伝統的なカラーに塗られた車両が。
都会的なシルバー基調もいいけれど、福島交通らしいこの電車がいいね。

運転席への入口には温泉暖簾がかかっている。若い車掌氏がのれんを潜って出入りする光景は微笑ましい。

2両編成のいい電が、ガーダーを鳴らして小川鉄橋を渡るころには温泉街が見えてくる。

終点の飯坂温泉駅、線路は1本で両側にホームがあって、降車ホームと乗車ホームを区別している。
東京モノレールの浜松町のような、都会的センスと効率的な運用を感じさせる。

ホームは半地下のようになっていて、階段を上がると駅舎がある。
「ようこそ!飯坂温泉へ」の広告柱はグルメ情報が満載だ。

そしてこの地にも寄っていたのは、日本史上最高の俳諧師のご一行様だ。
ところが苫屋のような宿に泊まったご一行、蚤と蚊に悩まされたようで、好意的な感想を記していない。

温泉街には8つの共同浴場がある。鯖湖湯(さばこゆ)は日本最古の木造建築共同浴場らしい。
平成の世になって、湯船は御影石に改築されたけど、ヒバ材の香りに包まれて至福の時を過ごせる。

だなんてとんでもない。何せ泉温は51.0度だから水遊び否熱湯遊びが精一杯。
意を決して肩まで浸かる。湯舟の中で動いたら熱くて耐えられそうもないので、じっと固まる。
いいところ30秒、オヤジの肌も福島の「はなもも」のように染まるのだ。

鯖湖湯の近く、小さな旅館の勝手口に「蕎麦」の暖簾が掛かっているから、つい吸い込まれる。
メディアにも取り上げられているらしい古民家風の内装の「二八更科蕎麦 そばひろ」なのだ。

火照った身体にキンキンに冷えた “一番搾り” を流し込んで、一息ついた気になる。
アテは “酒つまみ三種” を択んで、あれっ小鉢が四つ、まぁ良い。

そして “冷しラジ玉そば” が登場、薬味に任せてほどよいコシの二八をズズッと啜る。んっいいね。
半ばしたらラジウム温泉玉子を割ってマイルドに、最後のつゆまで愉しんで、美味しい。

いい電の「1日フリーきっぷ」は、共同浴場入浴券がついて1,000円のお得なきっぷ。
熱い湯に浸かって、冷たいビールを呷って、美味い蕎麦を啜って、いい休日になったね。
さてっ新幹線に乗車する前に “円盤餃子” でもう一杯やりましょうか。

福島交通 飯坂線 福島〜飯坂温泉 9.2km 完乗!

<40年前に街で流れたJ-POP>
夏ざかりほの字組 / Toshi & Naoko 1985


秋田おばこと“なんばこ”と出羽の富士と 鳥海山ろく線を完乗!

2025-08-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

由利本荘駅の4番ホームにカラフルな2連の気動車が停まっている。
10:55発の「まごころ列車」は、秋田おばこ姿のアテンダントが迎えてくれる。

閑散とした駅前とは不釣り合いな白亜の橋上駅が、由利高原鉄道の起点になっている。
羽越本線の旅からちょっと寄り道して、鳥海山ろく線を乗って呑む。

2連の気動車は子吉川と絡みながら内陸へと進む。
鳥海山に発したこの川は、本庄平野に穀倉地帯を形成しつつ日本海に注ぐ。

折り畳みのテーブりを広げたら、“鳥海山” の清澄辛口本醸造のスクリューキャップを切る。
アテは郷土のお菓子 “なんばこ”、米粉を練って揚げた伝統的なお菓子だ。
この辛口の酒と、仄かに甘いお菓子の絶妙なハーモニーを楽しみながら列車はゆく。

路線の半ばの前郷駅では上り列車と交換する。
かつて日本中の鉄道で見られた懐かしいタブレットの引き渡し風景を見ることができる。
由利高原鉄道、津軽鉄道そしてくま川鉄道の3路線のみに残る非常に貴重な風景だ。

鳥海山ろく線は旧国鉄の赤時ローカル線矢島線を転換した。旧国鉄にはこんな盲腸線がずいぶんあった。
戦前に敷かれた国鉄矢島線は、おそらくは米や木材の搬出手段であったと想像される。 

「まごころ列車」の先頭のオレンジの車両「なかよしこよし」は、
良質な木のおもちゃに溢れて、子どもたちの歓声が聞こえる。
後方のブルーの車両は、この季節「たなばた列車」に仕上がっている。
トンネル内ではイルミネーションが煌めいて、これも子どもたちに人気だ。

左右から里山が迫って平地が狭まると、鉄路は緩やかなカーブを繰り返して終点に向かう。

旧矢島線は内陸の院内まで結ぶ予定だったいわゆる未成線、
結局、矢島から先は工事再開されることなく、鳥海山ろく線はここ矢島で車止めが行手を塞ぐ。

時計台を載せた瀟洒な矢島駅は、秋田杉をふんだんに使った温もりある雰囲気で、
吹き抜けの広々とした待合室、観光案内所、売店を持ち、本社を併設した立派な駅だ。

由利本荘市に合併前の旧矢島町、当時の人口は6,000人弱、この小さな町に酒蔵が2軒。
一つは文政年間創業の天寿酒造、車内で呑んできた “鳥海山” はこの蔵の酒だ。

今一つは “出羽の富士” の佐藤酒造店、こちらは明治の創業で蔵元としては新しい方かも知れない。
いずれにしても、米どころであり、雪深く清浄な気候風土なこの地は、酒造りに適しているようだ。

午前中は雲に隠れていた霊峰鳥海山が姿を現した。
二つの蔵が銘柄を名乗るのに、この山以上のものはないね。それほどに秀麗で雄大な山容だ。

この景色は「栄食堂」の窓辺から。この店、営業しているのかも怪しく感じる外観だけど、
店内のテーブルと小上がりの卓を数えたら、かつては大きな商いをされていたと思われる。

スーパードライを開ける。ジョッキがキリン生なのはご愛嬌だ。
壁一面に無数の品書きが貼ってある。その数130種だって、ほんとうに商売になるの?
目移りするこれど、暑さにやられているから “やっこ”、ごま油が効いているのかな、これ美味しい。

網戸を通ってくる風に人心地ついたから、“餃子” を焼いてもらった。
ニラがたっぷりで、モチモチした食感の一皿だ。こんなのもキライではない。
そして “出羽の富士” を冷やで一杯、地元の親父さんの晩酌の酒だ。

ガラスの器に氷を敷いて、無造作に盛られた大盛りの麺とたっぷりのきゅうりの細切り。
〆に “そうめん” をズズッと一口啜るごとに涼を感じる。
あっ、チリリンと風鈴がなって、祖母の家で過ごしているような鳥海山麓の午後だ。

由利高原鉄道 鳥海山ろく線 羽後本荘~矢島 23.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
早春物語 / 原田知世 1985


皇大神宮と伊勢うどんとやまいし純米と 近鉄山田線・鳥羽線・志摩線を完乗!

2025-07-12 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

伊勢中川19:41発、急行 五十鈴川行きで賢島までの伊勢志摩の旅は始まる。
奈良周辺でずいぶん時間を費やしたから、山田線に乗車するのは陽が落ちてからだ。

地方都市あるあるなのだが、松阪駅前は子どもを迎えに来るクルマで身動きが取れない。
ホテルに荷物を置いたら酒場を探しに出る。商店街はシャッターが降りて、居酒屋だけが煌々としている。

奥行きがある「一円相」は長いカウンターと、背後にテーブル席と小上がりを並べる。
冷えた生ビールを呷る、“冷やしトマト” に食卓塩を振っていると、“とり天タルタル” が追いかけてきた。

50〜60席は満席でかつかなり混沌としている。カウンターには御同輩や出張族にカップル、
テーブルや小上がりでは女子会の黄色い声、やんちゃなお兄さんの奇声が飛び交う。

品書きに “やまいし” を見つけた。鈴鹿山系の麓、湯の山温泉の辺りに蔵がある。
赤ラベルは穏やかでさっぱりした純米酒、アテに “キハダマグロ刺身” を抓む。 

“播州一献” を択ぶ。夏辛と謳った純米酒は軽やかでドライな酒だ。
こりこりとジューシーな “せせり網焼きポンズ” が美味しい。
濃厚な味の料理をさっぱりと流し込む夏辛といい相性だと思う。

快晴の翌日、松阪駅から旅を再開する。伊勢神宮に詣でたいので朝早い出発となる。
反対側のホームからは、大阪行き名古屋行きの特急が忙しなく発車していく。

朝のラッシュ時まで運用する長い編成をくねらせて、急行 鳥羽行きがやってきた。
外宮門前の伊勢市駅までは15分ほどの乗車になる。この季節、電車の冷房にホッとするね。

伊勢市駅前には豊受⼤神宮(外宮)の参道鳥居が立っている。この鳥居をくぐって石畳の参道を辿る。

神馬牽参なる神事に遭遇した。菊の御紋の衣装をつけて、神馬が御正宮にお参りする。
毎月1,11,21日の朝8時、参拝者が見護る中、皇室から贈られた白馬が玉砂利を静々と行く。

参道の若草堂で朝食に “伊勢うどん” をいただく。
かなりご年配の女将さんがお一人で営んでいる。そして黄ばんだ伝票が泣かせるね。
たまり醤油をベースにしたタレで太くて柔らかい麺を啜る。途中で玉子を割るとまた美味しい。

連接バス神都ライナーに乗車すると10分で内宮前に到着する。
宇治橋で五十鈴川を渡り、玉砂利を踏み締めると、身が引き締まるような気持ちになる。

皇大神宮(内宮)は日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りする。
遠く正宮を拝して二拝二拍手一拝、感謝とおかげさまの心を捧げる。

おかげ横丁は特産品や伊勢土産の店、郷土料理の店が連なって賑わいを見せる。
旧くは古市遊郭、現在ではおかげ横丁が、参詣後のお楽しみと言うところだろうか。

先を急ごう。伊勢中川から延びてきた山田線は、宇治山田で鳥羽線と名称を変える。
さらに鳥羽からは志摩線と称するのだが、これは歴史的背景と加算運賃制度によるものらしい。

鳥羽線は山際を駆けて、池の浦駅で初めて海に出会う。
入江の桟橋で微かに揺れている「鳥羽丸」は商船学校の練習船だ。

鳥羽駅前の噴水ではイルカが跳ねている。
湾内のイルカ島では、イルカやアシカなど海の生きものたち触れ合うことができる。

鉄路は再び志摩線と名称を変え、短い2編成が実際の終点である賢島までの25キロを駆ける。

青い伊勢湾は島々を抱えてキラキラと美しい。2つ3つと遊覧船が遊んでいる。

一転して太平洋に繋がる英虞湾にはエメラルドグリーン、車窓にこの海が広がると賢島だ。

各駅停車の2両編成は控えめに端っこの5番ホームに到着した。
1〜3番線には「しまかぜ」とか「伊勢志摩ライナー」とか大阪名古屋から来た特急が並んでいる。
南国を感じさせる空気を大きく吸い込んで、のんびりした改札口を通るのだ。

賢島エスパーニャクルーズの「エスペランサ号」が入江に揺れている。
大航海時代のカラック船をモチーフにした真紅の船体が美しい。

この美しい船を眺める筏上のさざ波食堂、テラス席で “カールスバーグ” を飲めばリゾート気分だ。
ヒラメ、めじな、はまち、まぐろを並べて “本日の海鮮丼”、わさび醤油とゴマだれを駆使して美味しい。

まとまった休みが取れた週末、京都から奈良を経て伊勢志摩まで乗って呑んで来た。
今回も旨い酒肴、風景、人情に出会って上々の旅になったと思う。
さてっと、名古屋までは呑み鉄の軛を解いて特急に乗ろう。もちろん呑みながらね。

近鉄山田線 伊勢中川〜宇治山田 28.3km 完乗
近鉄鳥羽線 宇治山田〜鳥羽 13.2km 完乗
近鉄志摩線 鳥羽〜賢島 24.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
悲しみにさよなら / 安全地帯 1985


大聖歓喜天と盧舎那仏と千代大和と 近鉄難波線・奈良線を完乗!

2025-07-06 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

天平時代に高貴な色とされた紫檀メタリックをあしらって「あをによし」が現れた大和西大寺。
こんな観光特急に乗車して、上質な空間でワインでも飲みながら、奈良への旅に出たいものだ。
しかしながらボクの呑み鉄の旅は、有料特急の使用をNGにしているから、
この週末はローカル列車で大阪から奈良まで旅をする。

旅の始まりは大阪難波駅、近鉄難波線は難波と上本町を結ぶたった2.0kmの路線なのだけれど、
阪神なんば線と近鉄大阪線を繋げることで、神戸〜大阪〜奈良のアーバンネットワークを成立させている。

道頓堀界隈は、朝も早くから洋の東西から押し寄せている外国人観光客で溢れている。
握りこぶし型の「大阪関西万博2025」のモニュメントが「かに道楽」のズワイガニと共演して
彼らにとって、ばえるスポットになっているようだ。

ボクとしてはむしろ赤提灯や石畳、割烹などが並ぶ、なにわ情緒を漂わせる法善寺横丁が好きだ。
緑の苔むしたお不動さんに水を掛け「今日も美味しいお酒が飲めますように」と手を合わせる。

ラッシュの余韻が残る大阪難波駅に快速急行・奈良行きが入線してくる。
このアイボリーの9820系10両編成は神戸三宮を発って、このあと大阪を抜けて奈良まで駆け抜ける。

奈良線は正式には布施が起点で、上本町〜布施間は大阪線を走ることになる。
真っ直ぐ東に走ってきた快速急行は、花園ラグビー場を左手に見ると生駒の山塊にぶつかって、
鉄路が北へ90度進路を転じると、最急勾配35.7‰を超える急勾配をぐいぐい登っていく。
列車が大きく標高を上げると、あべのハルカスなどの大阪市内の高層ビルを見渡す。

石切駅を過ぎると再び向きを東に転じて新生駒トンネル(3,494 m)に飛び込む。
この長大なトンネルを抜けると、快速急行は山間のターミナル生駒駅に滑り込むのだ。

生駒では時間を割いて途中下車、生駒ケーブルも法律上の鉄道だから乗っておかないといけない。
先ずは生駒駅に隣接する鳥居前駅から通称宝山寺線に乗車するのだ。
双眼鏡で景色を覗いた三毛猫を模した「ミケ」が標高差146mの宝山寺線を登って行く。

寳山寺の本尊は不動明王。鎮守神として大聖歓喜天を聖天堂に祀っていることから生駒聖天とも呼ばれる。
商売の仏神だから、旧くから大阪商人の信仰が厚いと云われている。

ところで宝山寺駅からは「観光生駒」と描かれたレトロなゲートを潜って、風情ある石段を登る。
左右にひしめく旅館は、営業しているかいないか分からないけれど、風俗営業許可店であって、
今でも密やかに営業している何軒かでは、大人の遊びができるのだと聞く。

天空の大人の街からは、さらに通称山上線に乗車して生駒山頂をめざす。
バースデーケーキを模した「スイート」が煌びやかに登って行く。生駒の町並みがさらに小さくなる。

終点は生駒山上遊園地になっているから、なるほど山上線の乗客は親子連れが占めている。
もちろん子ども向けの施設だけど、これからの季節のサマータイム営業時間は、
避暑と夜景を楽しむデートスポットとしてもお勧めかも知れない。

生駒に戻って、今度は各駅停車・奈良行きに乗車する。
やはり9820系10両編成なのだけれど、こちらは大阪・関西万博オリジナルデザインのラッピングトレイン、
公式ロゴマークや「ミャクミャク」がデザインされていて、万博の開催を盛り上げている。

生駒駅を発った列車は、ただひたすらに真っ直ぐに、奈良をめざして急勾配を下っていく。
終点を目前に、ボクは大和西大寺で二度目の途中下車、ここは京都線・橿原線と交錯するジャンクションだ。

歩くこと20分、平城宮跡歴史公園をめざす。当然に汗が吹き出してくる。
復原された朱雀門と近鉄電車をカメラに収めようと思ったけれど、なかなか上手に撮れない。
それにしてもマルーンレッドとシルキーホワイトの塗装は、建造物とよく調和していると思う。

快速急行は先ほど訪ねた朱雀門を掠めると、地下区間の闇に包まれ、ほどなく近鉄奈良駅に到着する。
終着駅の降車客は、ざっと見て3〜4割が外国人、ここでも旺盛なインバウンド需要を体感する。

奈良を訪ねたエビデンスとして大仏殿を観ておこうと、地上に出たボクは登大路を歩き始める。
最近竣工したのだろうか、県庁東側の奈良公園バスターミナルの施設が素晴らしい。

国立博物館から南大門方面に折れたら、足元に神経を集中させて歩かなければいけない。
それでも季節がら見かける子鹿には目を奪われる。
甘えて母親の陰に隠れたり、時折ぴょこぴょこと冒険に出かけたり。
まだ覚束ない歩き方とつやつやした毛並み、つぶらな瞳が愛くるしい。

華厳経の世界観を表す蓮弁の台座にお座りになって、盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)はとにかく大きい。
天平勝宝の開眼以来、広く世の中に知慧と慈悲の光明を照らし出されている。

盧舎那仏像も凄いけれど、Security Police 広目天と多聞天の迫力が見応えあり。
あっれ増長天と持国天は?、実は大仏さまの後ろ左右の台座に頭部だけが安置されている。
2度の兵火から再建する際に完成をみなかったらしい。

東向商店街から路地を入ると、雑居ビルの2階にカウンター8席のアットホームな居酒屋を見つけた。
一見の呑み人を常連の旦那衆が席を詰めて座らせてくれた。さぁ今宵は奈良の街で酔いたい。
そうは言っても生ビールを一杯、おばんざいの五種盛りを並べて嬉しい。“かぼちゃの煮付け” が美味しい。

“千代大和” は篠峯の銘柄で知られる千代酒造(御所)の酒、県産米で醸した正にの呑み応えのある地酒だ。
カウンターで世話を焼く女将はお母さん、厨房で腕を振るうのは娘さん、というのがこの「一兆」らしい。
“いわしの梅しそチーズ巻き” が登場、これは逸品、娘さんの腕はなかなか素晴らしい。

“こごみの天ぷら” を揚げてもらった。岩塩をちょんちょんと付けて美味しい。
“天下錦” は県境を越えて名張の酒、山田錦で醸した無濾過生原酒は瑞々しくフレッシュな酒だ。

一転して “人喰い岩” は五百万石で100%で仕込んだ切れ味のある辛口酒、これは京丹後の酒だ。
おかかが踊るようにして “焼きうどん” が登場、和風だしが効いた一品はアテとしても優れているね。

関西の呑み鉄の旅、3日目は難波から奈良に抜けて、奈良の旧い商店街で旨い酒肴に巡り合った。
明日はと云うと、天気予報次第なのだけど、伊勢神宮を詣でて呑みたいと思っている。

近鉄難波線 大阪難波〜大阪上本町 2.0km 完乗
近鉄生駒鋼索線 鳥居前〜生駒山上 2.0km 完乗
近鉄奈良線 布施〜近鉄奈良 26.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
サイレンスがいっぱい / 杉山清貴&オメガトライブ 1985


乗換の王寺で山廃仕込の大倉と長瀧の生原酒と 近鉄田原本線・生駒線を完乗!

2025-06-21 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

民家の軒を揺らすように、お馴染みマルーンレッドの8400系3両編成が近づいてきた。
30分に1本、律儀にそして長閑に西田原本と新王子をシャトルしている田原本線だ。

3両編成が折り返す西田原本駅は田原本駅(橿原線)と広場を挟んで50〜60m離れている。
広場には両線の乗換客を狙った一杯呑める露天やらキッチンカーが出ている。

両駅がそれぞれが独立している(連絡線はある)のは、両線のルーツに違いがあるから。
この日の午後呑み潰している田原本線は大和鉄道がその前身だ。

マルーンレッドの3両編成は7駅を数えて約20分で新王寺に終着する。
ここでもローカル線あるあるで、3つの箱から出てくるのは高校生とお年寄りばかりだ。

新王子は頭端式ホームになっている。つまり鉄路は車止めで塞がれている。
やはり駅前広場を挟んで生駒線の王寺駅と向かい合って、線路は繋がっていない。
わざわざJR線をオーバーパスしてきているのに、残念な駅ではある。

案外と王寺には昼呑みできる店が多い。5方面に鉄路が延びる乗換駅でもあるからかな。
それではボクも王寺駅に移動する前に赤ちょうちんに飛び込んでみるのだ。

そしてこの店が嬉しいのは、奈良の地酒が揃っているところでしょう。
この橙のラベルは香芝の “大倉”、山廃仕込みで旨酒を醸している。
この直汲み無濾過生原酒をグラスから升に溢してもらう。トロリとした芳醇な旨味のある酒だ。
アテの “斑鳩豆腐屋の冷奴” はクリームチーズのよう、関東のモノとはだいぶ違うね、美味しい。

“奈良万願寺トウガラシの焼き”、このピリリと辛いやつで何合かいけそうでだね。
二杯目は北葛城郡の “長龍”、この雄町の無濾過生原酒はジューシーでフレッシュだ。

地酒と地産の食材を活かしたアテを楽しんだら、ミョウガを散らして “そうめん” を啜る。
この暑さでバテ気味の身体に、この冷たいのが心地良いね。

今度は大学生に混じって王寺駅の改札を通る。生駒からやってきた1021系は4両編成だ。

旅の後半を往く生駒線は、朝護孫子寺への参詣のために信貴生駒電気鉄道がルーツ。
もともとの枚方まで繋ぐ計画は実現せず、枚方側は京阪交野線として開通している。

ひとつ目の信貴山下で降りてみる。かつてここからは東信貴鋼索線が信貴山をめざした。
駅前にはコ9形という戦前の車両が展示されている。

マルーンレッドの4両編成は、生駒山地東麓に広がる住宅地の中を、ぐいぐい勾配を登っていく。
いつしか鉄路は複線になって、山中のターミナル生駒には約25分で到着する。

王寺での昼呑みを挟んで、田原本線と生駒線の旅を終えた午後。
厳しい支線を潰す旅は、奈良の酒肴を堪能して、案外楽しい旅になったね。

近鉄田原本線 西田原本〜新王寺 10.1km 完乗
近鉄生駒線 王寺〜生駒 12.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Bye Bye My Love / サザンオールスターズ 1985


凍れる音楽と橿原神宮と出世男と 近鉄橿原線・天理線を完乗!

2025-06-15 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 はてなブログにお引越しの皆さま、こちらをお訪ねください。

旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

大阪線と京都線ジャンクションのポイントを渡って、橿原神宮行き急行が1番線に入線する。
クリスタルホワイトのフェイスにオレンジの急行のLEDが煌めいているのは9020系だ。

大阪・京都・橿原神宮・奈良の4方面に鉄路を延ばす大和西大寺から旅に出る。
首都圏在住の呑み人が近鉄を呑み潰すチェレンジは、結構難易度が高いけれど、
まぁ楽しく乗って呑んで食べて行きたいね。まずは橿原線から始めたい。

すでに真夏の陽が照りつける休日、急行最初の停車駅 西ノ京で途中下車しよう。
ご存知の通り、真っ直ぐ南下する橿原線の左手には薬師寺の塔頭が並んでいる。

薬師寺は法相宗の寺院で南都七大寺の一つ、薬師三尊を本尊としている。開基は天武天皇だ。
高田好胤管主以来進めてきた白鳳伽藍復興事業により、堂塔の鮮やかな朱色は平城の時代を甦らせた。

寺が創建されたおよそ1300年前から残る国宝の三重塔(東塔)も大規模修理を終えた。
大小の屋根が織りなすバランスの美しさは「凍れる音楽」とも称せれている。

次の急行停車駅 近鉄郡山は、時間の関係で途中下車を見送り。
郡山城は豊臣秀長の頃、城郭も城下町も100万石に相応しい大規模なものになったという。

続いて平端(ひらはた)で途中下車、ここは天理線の乗換駅
呑み潰しのゲームだから、こうした支線を漏れなく拾っておかなくてはいけない。
分岐のY字が広がった地点に駅があるから、橿原線から少し離れた1番ホームに
天理行き急行が緩いカーブを描いて侵入してきた。

3駅4.5kmの旅だからあっという間の終着駅。天理線は全線複線で、6両編成が15分おきにシャトルし、
日中は京都や難波から直通の急行が走っているのだから、天理市と宗教本部の実力はすごい。

天理教本部や石上神宮方面に向かって延びるアーケード天理本通を歩くと酒蔵がある。
明治10年創業の稲田酒造は、天理産の酒米で “稲天” を醸す、正に地酒の蔵のようだ。

リーチインの中に見つけた純米酒 “黒松稲天” は300mlのスクリューキャップタイプ。
これは良い、ロングシートの中でも呑めるかも知れない。
っと早速バンダナに包んだら、すっきりとして旨みのある酒を復路の電車でいただくのだ。

戻ってきた平端駅は、京都と橿原神宮や賢島を結ぶ特急の待避駅になっている。
各駅停車が発車を待つ間、ホーム上にチャイムが鳴り響いて、上下線の特急が駆け抜けていく。

次の急行停車駅 田原本のことは別の機会に触れるとして、さらに先は大和八木。
ここもまた、大阪・京都・橿原神宮・名古屋と4方面へのジャンクションになった重要な駅、
この駅は大阪線が橿原線をオーバークロスする構造になっているので、
構内には、京都方向と名古屋方向を結ぶための新ノ口連絡線が設けられている。

大和八木(八木西口)を降りると、江戸時代の旧い町家が保存される今井町を訪ねることができる。
天文年間に本願寺の勢力によって建てられた称念寺が、農民などを門徒化し、
諸国の浪人や商人を集め、周辺に濠と土居を巡らせ、一向宗布教の拠点としたのが始まりだそうだ。
その後は商工業都市として、俗に「今井千軒」とか「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほどに発展した。

白壁の国重要文化財、古民家カフェ、レストランなどが点在し、散策するだけでも楽しい。
中尊坊通りにある “出世男” の河合酒造が呑み人の目的地だ。

ラストスパートする急行は畝傍御陵前に停車した後、橿原神宮前に終着する。
ここでは阿倍野橋から走ってきた南大阪線、それに続く吉野線と逆Yの字に合流して、
鉄路はさらに吉野方面に延びているけど、両線とは軌間が違うため、橿原線の南下はここで止まるのだ。

駅を背に500mも進むと鬱蒼とした杜と大きな鳥居が見えてくる。橿原神宮だ。
表参道から神橋を渡って第二鳥居を潜る。次第に気が引き締まっていくのが解るから不思議だ。

御祭神は神武天皇。日本書紀によると九州高千穂から東に向かった神日本磐余彦火火出見天皇は、
苦難を乗り越え、畝傍山の東南麓に橿原宮を創建し即位したとされるから、ここは建国の聖地になる。

暫し神話の時代に想いを馳せたら、現に戻って旅を締めくくる一杯と行きたい。
生憎っと飲食店のアイドルタイム、駅構内の「きはる」に腰を落ち着ける。

縁起の良い “出世男” の純米を冷えたグラスに注いでもらう。香り豊かな旨口が沁みますね。
アテにこの店ご自慢の “おでん”、“牛すじ” が美味い。あとは “柿の葉すし” をいただく。

蓋を開けてしまった近畿日本鉄道の呑み潰し、さて何日いや何年かかるだろうか。
とはいえ今回の休日。この先どんな旨い酒肴に出会えるか楽しみなのだ。

近鉄橿原線 大和西大寺〜橿原神宮前 23.8km 完乗
近鉄天理線 平端〜天理 4.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
にくまれそうな NEWフェイス / 吉川晃司 1985


青もみじと鞍馬天狗と貴船の川床と 鞍馬線を完乗!

2025-06-07 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

  はてなブログにお引越しの皆さま、こちらをお訪ねください。

旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

青もみじからの木漏れ日を浴びながら、展望列車「きらら」が急勾配を登ってきた。
紅葉をイメージした「メープルレッド」の900系電車に乗って、貴船・鞍馬を訪ねたい。

すべての電車は出町柳始発だけど、鞍馬線は宝ヶ池を起点として叡山本線から分岐する。
駅舎がないこの駅は3面4線で、乗客は構内踏切を渡って長閑にホーム間を移動している。
壁一面が木製ベンチの鞍馬方面行き4番ホームは、開業当時からの風景かも知れない。

一つまた一つ、踏切の警報音がリレーのように近づいてきて、最後にブルーの2両編成が入ってくる。
この800系は「こもれび」編成と言って、沿線の草木や動物が描かれたデザイン電車になっている。

市原~二ノ瀬間は、およそ280本のイロハモミジ、オオモミジが繁る「もみじのトンネル」を抜ける。
初夏の日を浴びて眩しく揺れる瑞々しい「青もみじ」に、車内いっぱいに清涼感が溢れるね。

ブルーの2両編成は急勾配をグイグイ登って、宝ヶ池からは約20分ほどで鞍馬に到着する。
鞍馬線の最大勾配は50‰とかなりの急勾配だが、2両とも動力車の編成は怯むことはない。

終点・鞍馬駅では1.3mの鼻を持った大天狗が迎えてくれる。
大天狗は源義経に厳しい武術の修行をつけ、平家討伐を達せられるよう兵法の秘伝を授けた。

鯖街道を少しだけ登ると、長い階段の先に立派な門が見えてくる。
新緑に「朱」が映える鞍馬寺の仁王門は、パワースポットである鞍馬山の浄域への結界でもある。

本殿金堂には、宇宙の大霊「尊天」を象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊が祀られる。
左右には狛犬ならぬ「阿吽の虎」が睨みをきかす。虎は本尊毘沙門天のお使の神獣だと云う。

 

「氣」を漲らせて下界へ降りてきたら、再びブルーの2両編成と巡り合わせて、ひと駅戻ることにする。

ホームに溢れる乗客(若い女性が多いかな)と入れ違いに、木漏れ日が差す貴船口に降り立つ。

貴船川を遡ること30分余、料理旅館が左右に並び出すと、やがて赤い春日灯篭が並ぶ石段の参道が現れる。
貴船神社は水の神として炎旱や霖雨の時には、朝廷が雨乞い、雨止みの御祈願されたと言う。

貴船神社本宮の御祭神・高龗神(たかおかみのかみ)は水の供給を司る神様、
社殿前の石垣からこんこんと湧き溢れる御神水に、参詣者は「水占みくじ」を浮かべている。
女流歌人・和泉式部が復縁祈願に参詣して見事成就した事から、以来恋の宮として名高い。

その辺りの話に関心が薄れてきたボクは、むしろ川床に降りて涼風に身を委ねることを択ぶ。

岩を打つ水の瀬音に包まれながら、先附と八寸をアテに冷たいビールを呷る。すっと汗が引いていく。
少しだけ白ワインをいただきながら、お造りに箸を伸ばし、ゆるりと陶板で霜降りの牛を焼く、美味いね。

二つのパワースポットを巡った鞍馬線の旅。
心身に漲ったはずの「氣」は、もしかしたら川床の酒ですでに流れてしまったかも知れない。

思いがけずまとまった休暇が取れた週末は、八瀬・貴船・鞍馬辺りを流離っている。
明日は奈良方面に足を延ばすかも知れない。

叡山電鉄・鞍馬線 宝ケ池〜鞍馬 8.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ボーイの季節 / 松田聖子 1985


下鴨神社とデミグラスと濃緑の観光列車 叡山本線を完乗!

2025-06-05 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

  はてなブログにお引越しの皆さま、こちらをお訪ねください。

旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

出町柳駅の1番ホームに観光列車「ひえい」が入って来た。
神聖ささえ感じる濃緑のボディーに、大胆なゴールドの楕円がダイナミックだ。
帰宅する高校生の姿がポツポツ見える時分、叡山本線の旅を始める。

子どもたちが歓声をあげて飛び石を渡る。ドラマやアニメでお馴染みの風景だ。
叡山電車の旅の前に、賀茂川と高野川に挟まれた新緑の鴨川デルタを歩いてみたいと思う。

12万4000平方メートルもの広さを持つ原生林「糺の森(ただすのもり)」は、青もみじの参道が心地よい。
先々週は、紫の藤の房とカキツバタの花で飾りつけた牛車が「葵祭」の雅やかに演出したはずだ。

森の緑の中に見えていた「朱」の点が徐々に大きくなって、東西に回廊を巡らせた立派な楼門に至る。
下鴨神社は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀って
少なくとも2100年の時を超えてこの地にある。

昔ながらの老舗が残る京都の洋食文化は、お茶屋や置屋が集まる花街と大きく関わっているという。
下鴨神社近くにも人気の洋食屋があると聞いて、開店時間に合わせて飛び込んでみることにした。
女性二人連れと母娘の後に並ぶこと10分、1回転目のテーブルを占めることができた、Good job!

浅井食堂のランチは、コーヒー・紅茶の代わりにグラスワインを択ぶことができる。
ボクは迷わず赤を注いでもらって、ゆったりと飲みながら料理を待つのも楽しい。
デミグラスソースがたっぷりとかかったハンバーグが、二尾の海老フライを従えて登場。
濃厚なデミグラスと、爽やかな酸味のタルタルを交互に口に運んで美味しい。

お腹を満たしたところで出発進行、行先表示板には「八瀬比叡山口」のLED。

叡山本線は延暦寺参詣ルートとして1925年に開業した。以来比叡山観光の京都側の足となっている。

途中の宝ヶ池駅では、貴船・鞍馬方面へ向かう鞍馬線と分岐する。
乗り換えて来た子たちは中学生だろうか。私学が多い京都では中学生の電車通学も珍しくない。

三宅八幡駅を過ぎると電車は33.3‰の急勾配で山裾を駆け上がる。
樹木や笹が茂る山深い雰囲気の中を複線の鉄路が延び、電車のモーターが唸りを上げる。
っと、新緑に溶け込むようなグリーンの710系が、あっという間にすれ違って行った。

急勾配を上り切ると終点の八瀬比叡山口駅、構内を覆うドーム状の屋根はヨーロッパの終着駅のよう。
大屋根を支える無骨な鉄骨の柱、無数に打たれたリベットの重厚感が時代を感じさせる。
薄暗くもある終着駅に停車する濃緑の電車、車側灯の赤いランプがノスタルジックな雰囲気を醸すね。

駅舎は開業当時のものらしい。無粋な自販機がなければ、さぞかし美しいと思う。
暮れれば淡い橙を灯すであろう丸ランプの下に、右横書きに「驛瀬八」は開業当時の駅名だ。
目の前を流れる高野川を渡ると、叡山ケーブルの八瀬駅があって、これに乗ると比叡山頂まで
連れていってくれるはずだが、比叡山を越える旅はまた次の機会に。

賀茂大橋を背にして数十メートル東へ、雰囲気ある町家の「旬菜 田中でたなか」で今宵の一杯。
厨房と向き合う6席のカウンター、拘りを感じさせる陶器が並んで、ほっと落ち着く雰囲気だ。

“おばんざい” の五種盛りを並べたら、冷えた “マルエフ” を手酌でグラスを満たしながら、
「おつかれ生です」って新垣結衣が注いでくれたら、なんて妄想してみる。
おばんざいは、“なす揚漬” と “小松菜おひたし” が美味しかったなぁ。

重厚な陶器に氷を敷き詰めて “ゆば豆腐のお刺身”、これがまた舌の上で蕩けて美味しい。
東近江は畑酒造の “大治郎” は、滋賀の吟吹雪を醸した酸味のある濃醇なやや辛の酒です。

お品書きに鱧をが並ぶ。「夏は鱧」って言うからね。いや本来祇園祭の季節だからちょっと早いか。
“はもと賀茂なすの揚げだし” を択んで、少し早い京都の夏を味わう。
愛知の “米宗” は山廃仕込みの酒、味が濃い揚げだしのような料理にも上手に付き合ってくれる。 

〆に “ちりめんさんしょう ごはん” を食す。これもまた京都らしいでしょう。
山椒の効きは控えめで、寧ろ甘味が強調される。お茶漬けにでもしましょうか。
「ぶぶ漬けどうどす」っていけずなフレーズを思い出して、思わずニヤけてしまう出町柳の夜だ。

叡山電鉄・叡山本線 出町柳〜八瀬比叡山口 5.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
16 Beat / 杏里 1985 


織姫神社と呑龍さまと桜の酒と 東武伊勢崎線を完乗!

2025-05-28 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

  はてなブログにお引越しの皆さま、こちらをお訪ねください。

旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

15km/hの時速制限がかかる半径100mの急カーブを抜けて、区間準急が隅田川橋梁を渡る。
十分な加速を得る間もなく、最初の停車駅とうきょうスカイツリー(旧業平橋)駅は目の前だ。
アサヒビールタワーの琥珀色したビールジョッキが、初夏の陽に煌めいている。

昭和初期を代表するアール・デコ様式の浅草駅は、屋上に時計台を載せて威容を誇る。
日光や鬼怒川温泉に向かう特急が始発するこの駅は、朝から観光客や訪日外国人で溢れている。
その賑わいを横目に、呑み人は1番線からの各駅停車に乗り込んで、きょうは伊勢崎線で呑む。

最初の停車駅で東京スカイツリーを見上げる。
朝の太陽と重なって、634mの電波塔は青いシルエットになって天を衝いている。

早朝の何本はを除いて、浅草始発や東京メトロから乗り入れる10両編成は久喜止まり。
多くの乗客がホーム反対側の館林行きに乗り換える。編成は6両に減って車内は混み合う。
乗客の一定数は東南アジアの若者だ。友人を訪ねるだろうか?
この先の沿線の町は、製造業の担い手としてブラジルや東南アジアからの労働者が多い。

浅草駅で求めた「ふらっと両毛 東武フリーパス」は、3日間有効で2,440円とお得感がある。
先ずはフリーエリア最初の駅 茂林寺前で下車して、徒歩7〜8分で分福茶釜の茂林寺を訪ねる。

曹洞宗の名刹は1426年開山と歴史は古い。総門から赤門へと続く参道には21体の狸像が並んでいる。
呑み人が気に入ったのは、頭や尻尾それに足をはやした茶釜と酒瓶を抱えた大狸、何故に玉袋が大きい?

館林から先へ行く列車は4両編成となり、さらにローカル色が濃くなっていく。
この8000系という車両は、昭和の世から走り続けている東武の現役最古参という存在だ。

足利は清和源氏・足利氏発祥の地として歴史がある。近代においては織物業で栄えた町だ。
それではと、足利市駅から渡瀬川を渡って、名所を早回りで観て歩く。

足利学校は平安時代初期に創設されたとされる中世の高等教育機関、
フランシスコ・ザビエルは「坂東のアカデミア」とヨーロッパへ伝えた。

その裏手にある鑁阿寺(ばんなじ)は、真言宗大日派の本山であるが、もともとは足利氏の館。
境内をめぐらせた土塁と堀、四方に設置した門、鎌倉期の武士の館の面影を残している。

市街地の西のこんもりとした山の中腹、朱塗りの美しい神殿は織姫神社、なんともロマンチックだ。
機織をつかさどる天御鉾命(あめのみほこのみこと)と、織女 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の
二神をご祭神とする神社は、産業振興と縁結びの神様として知られている。
恋人の聖地となった朱塗りの神殿には、この日もカップルや女性がお詣りの列を成している。

森高千里が歌った「渡瀬橋」を渡って再び足利市駅、8000系の3両編成が高架ホームに入って来る。
新人駅員が先輩の指導を得ながらホームの安全確認をする姿は、この時期ならではの鉄道風景だ。

駅を3つ数えると、伊勢崎線・小泉線・桐生線がX字に交わる要衝太田駅。
北口にはこの地の英雄で、鎌倉幕府を倒す為に挙兵した新田義貞の像が建っている。
同じ清和源氏で、最後は敵対した足利尊氏ゆかりの足利に対抗しているかの様にも見える。

旧帝国陸軍に「一〇〇式重爆撃機」なる機があった。愛称を「呑龍」と云う。
SUBARU の前身である中島飛行機が、ここ太田で製作した。
呑龍なんで勇ましい名前は、呑み人の愛称にもしたいくらいだけど、由来はここ大光院。
地元の人からは「呑龍様(どんりゅうさま)」と親しまれている。

浅草と両毛地方を結ぶ「特急りょうもう」は1日25往復走っている。
でもその殆どは桐生線に入線して赤城方面に向かってしまうから、
伊勢崎線は本線格でありながら、相変わらず3両編成の各駅停車でガタゴトと先を進める。

田園風景と時々姿を現す大規模な工場、関東平野のローカルな夕暮れ風景を3両編成は走る。
新伊勢崎手前から高架に駆け上がると、右手から湘南色の両毛線が寄ってきて、肩を並べてテープを切る。
17:50、この時間だから、足速に階段を降りていく乗客の殆どは高校生だ。

太田まで戻ってきた。高架駅壁面の駅名サインは、すでに赤ちょうちんを点すように煌めいている。
今宵はこの街で呑む。北関東を代表する企業城下町だから、酒場を探すに事欠かないだろう。

90年代の終わり頃、2度ほどこの街にある支店を訪ねたことがある。
大規模再開発前のこの辺りは、違法風俗店が全盛でちょっと異様な街並みだった。
「ここはラスベガスか?」と軽口を叩くほどギラギラしていた覚えがある。



左右に広場のような歩道を取った南一番街を歩いて4ブロック、大箱の海鮮居酒屋の暖簾をくぐる。
キンキンに冷えたジョッキで “SUPER DRY”、思わず「ぷはぁ」と声に出そうだ。

4種盛りの桶を抱えて、酒は置賜の “米鶴”、洒落た陶器ににごり酒が溢れる。
桜色のラベルに霞と見紛ううすにごりが如何にも春らしい、辛口かつ爽やかなキレ味が美味しい。

これはしたり、“十一政宗” は初めましてかも知れない。栃木は矢板の蔵元の酒だって。
さくらの花の天然吟香酵母で醸し上げたと云うから。これも春を感じる酒ってことか。
口あたりまろやかだけど、キレの良い純米酒。さくらの香り?気付かなかったなぁ全然。

アテは “揚げ出し豆腐” ってか、“あさり” がたっぷりと、一品で二度美味しい秀逸な椀なのだ。

「ふらっと両毛 東武フリーパス」で、いやぁ意外と知らない北関東を乗って呑んだ3日間、
最後は “さくら” を感じる二銘柄に酔った伊勢崎線の旅でした。
さてっと、復路は最終の「特急りょうもう」で、舟でも漕ぎながら帰りましょうか。

東武伊勢崎線 浅草〜伊勢崎 114.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
たそがれ / オフコース 1985


分福茶釜と青竹手打のラーメンと開華のワンカップと 東武佐野線を完乗!

2025-05-17 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

  はてなブログにお引越しの皆さま、こちらをお訪ねください。

旅の途中

旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。 街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、 時には単車に跨って。

旅の途中

 

浅草から複線(北千住〜北越谷は複々線)で延びてきた伊勢崎線は、館林から三叉の単線に分かれる。
今週はネプチューンの槍の右の穂先、1番線の2両編成に乗車して佐野線を旅する。

お伽噺「分福茶釜」の舞台茂林寺があるから、駅前ではたぬきが迎えてくれる。
母さん狸が団扇を持っているのは、この町が熊谷の向こうを張るほど暑い所だからか。

渡瀬川を渡ると、2両編成は一面の田圃地帯を走って行く。
JR両毛線を越えるために、ずいぶん無理筋な半円を描いて、佐野駅までは概ね15分。

佐野駅はJR線と並んだコンパクトな橋上駅、駅前の噴水におしどりの夫婦が羽を休める。
両線の乗換客でごった返しているのは、2つ隣駅のフラワーパークで大藤が見ごろだからでしょう。

金色の甍が煌めくのは天台宗の惣宗寺、一般には佐野厄除け大師と通称される。
護摩を焚く香りが漂い、勤行の音が響いてきます。

門前で「大師庵」といえば誰もが蕎麦処と思うけれど、ここは「佐野ラーメン」の老舗。
店頭では佐野のソールフード “いもフライ” を販売している。

少し早いお昼だけれど “餃子” を一皿焼いてもらう。ビールは缶だけれどこれはご愛嬌か。
肉汁がジュワっと沁みだす家庭的な餃子が、キンと冷えた一番搾りとお供に旨いね。

青竹打ちの平麺が特徴、煮玉子をトッピングして “佐野ラーメン” をいただく。
つるつるとした光沢のあるコシの強い中太麺を啜る。鶏ガラスープを絡めて美味しい。

さてお腹が膨れたところで再びの佐野駅、旅の後半を進める葛生行き2両編成がホームに入ってくる。
話は逸れるが、最初に佐野線を乗った10年前、確か電車は3両編成だった。乗客が減っているんですね。

どんぶりを被って、いもフライ串を差しているのは「さのまる」というキャラクター。
沿線の第一酒造が醸す "開華" のワンカップにもお目見えしている。
何駅めかで先頭車両はボクだけになったからカポッと、青々とした麦畑を見ながらの一杯が旨い。

辿り着いた葛生駅は旅客ホームこそ1面1線だけど留置線が3線ある。
さらに奥の太陽光発電所の敷地を含めて、20本の線路が敷かれていた。
かつては石灰、セメントを積み出す一大ターミナルだった訳だ。

静かな終着駅、GWだから若いご夫婦が幼子を連れて降り立つ。
やがてお爺ちゃんの車がやってきて笑顔のお迎え、微笑ましい光景を眺めて佐野線の旅は終わる。

緩やかなカーブを描いて、叢の中を線路跡がさらに延びている。
その先に見えるのはセメント工場、貨物輸送の衰退を実感して、ちょっと寂しい関東平野の縁だ。

東武佐野線 館林~葛生 22.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
翼の折れたエンジェル / 中村あゆみ 1985  


躑躅とブラジル料理とチリワインと 東武小泉線を完乗!

2025-05-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

東武鉄道の大動脈である伊勢崎線は、館林からはいよいよローカル色が色濃くなる。
複線の鉄路は牧畜のフォークのように3方向に単線が分岐していくのだが、
そのうちの1本の小泉線は、切欠きの4番ホームから短い2両編成が始発する。

実は館林という町のことはよく知らない。今回は少し歩いてみようと思う。
館林駅の駅舎は昭和12年築の洋館風、丸みを帯びた窓、白壁に青い屋根がなかなか洒落ている。

館林は1950年、徳川四天王の榊原康政が入城して立藩した館林城の城下町。
城跡には市役所、文化会館、図書館のほか向井千秋さんの記念館が建っている。
堀の役割を果たしたであろう鶴生田川には「こいのぼりの里まつり」の数千匹の鯉のぼりが泳いでいる。

城沼に臨むつつじが岡公園では、100余品種、約1万株のツツジが咲き誇る「つつじまつり」が開催中、
残念ながらすでに見ごろ過ぎ、次回はきっと4月中旬に訪ねたいものだ。

さて、4番線を発った2両編成の10000型は、ゴトゴトと平坦な関東平野に敷かれた単線を行く。
車内はというと、東南アジア系、ブラジル系の若者が乗客の半分以上を占めている。
これ決して大袈裟ではない。日本人の成人や家族連れはマイカーで動くだろうから
勢い公共交通機関の風景はこうなることは自明だと思うのだ。

館林駅から20分、2両編成は車止めに行く手を塞がれる。ここが西小泉駅。
周辺にはSUBARU群馬製作所、パナソニック群馬工場と、ちょと半端ではない大規模な工場がある。
なるほど車内がエスニックな雰囲気であることが理解できるのだ。

呑み鉄というゲームを始めてまもなく、小泉線を乗ったのは10年前だから、ずいぶん久しぶり。
レトロな駅舎がコンパクトなプレハブに代わっていたのにはちょっとビックリ。
新駅舎はブラジル国旗の黄色と緑色の配色で、ここまで配慮する必要があるの?と疑問でもある。

一方でこの店が黄色や緑色なのは納得感も好感もある。
そして10年前と同様、あちらの大衆食堂的「レストラン ブラジル」で昼の一杯に興じたい。

ジョッキーまで凍らせたキンキンの生ビールは、これからの季節には嬉しい。
この “プロベンサウ” ってのはマリネ風のポテトフライ、ニンニクが効いてこれは美味い。
それに “コシーニャ” は、ポテトと鶏肉のコロッケ、これもいける。

“リングイッサ・カラブレーザ” は、激辛チョリソーソーセージ、オニオンの甘みと絡んで美味しい。
BBQに登場しそうな一品は、ブラジル定番のアテだそうだ。
それではとチリのカベルネ・ソーヴィニヨンをデキャンタで注文する。
重厚感のあるフルボディがこのスパイシーな料理に合うね。

さていい感じに飲んでもう少しと思わない訳ではないけれど、小泉線は1時間に1本だから駅へと戻る。
再びエスニックな雰囲気に紛れて2駅戻ると、今度は東小泉駅に降り立つ。

どっちが本線か支線なのかは知らないけれど、小泉線は館林から西小泉を結ぶ線と、
途中の東小泉から太田を結ぶ線が存在する。ということで仕上げはここから太田へ抜けないといけない。

やはり2両編成の10000型は、館林〜西小泉の列車との連絡を待って、太田に向かって出発する。
列車は運用上、小泉線から太田を経て桐生線を赤城まで走る。やはり日中は1時間に1本なのだ。

2駅10分の付加的な旅はアッという間で、電車は高架に上がると伊勢崎線と合流する。
3面6線の長く広々としたホームは、東京や大阪のターミナル駅にも引けを取らない立派な構造だ。

人口22万人超の群馬県第三の太田市は、零戦の中島飛行機、富士重工の企業城下町として発展した。
北口に降り立つと両社を継ぐSUBARU群馬製作所本工場が威容を誇っている。
太田(上野国新田荘)の偉人新田義貞に、遥々酒を呑みにきたことを告げて、この旅を終えよう。

東武小泉線 館林〜西小泉 12.0km 完乗
      東小泉〜太田  6.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
常夏娘 / 小泉今日子 1985


飛鳥山の桜とスカイツリーと七賢と 都電荒川線を完乗!

2025-04-05 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

4月最初の週末、荒川自然公園の桜並木が満開でしたね。
えんじ色のモダンレトロな7700形がモーターを唸らせて荒川二丁目停留場に飛び込んでくる。
今回は文字通り「東京さくらトラム」となった荒川線に乗って呑む。

大隈記念講堂は一大学の施設を超えて、この街の風景になくてはならないピースだ。
大隈通りの商店や食堂には、決まって「祝・卒業」やら「入学おめでとう」の短冊が貼られている。

この通りが新目白通りにぶつかった交差点、中央分離帯に早稲田停留場がある。
西へと延びる軌道に並行する神田川でも「早稲田さくらまつり」が賑やかだ。

明治から昭和初期の東京市電をモチーフにした9000形が思案橋に向けて走り出す。
前面の3枚窓、丸い一つ目の前照灯、戸袋の丸窓、黄色に塗って走らせたら楽しいだろう。

高戸橋で明治通りにぶつかると軌道は北へ転じる。停留場を3つ数えて雑司ヶ谷で降りる。
鬼子母神堂と法明寺の間の桜並木、露店が並んでご近所さんが花見に興じる。いいねこういうの。

いかにも都営っぽいグリーンのラインにイチョウのマーク、8500形が恐る恐る大塚への勾配を降りていく。
この辺りは池袋オフィスを訪ねた際に、美味いランチを探して彷徨うエリアだ。

専用軌道から明治通りとの併用軌道に飛び出すと、そこは江戸時代からの桜の名所「飛鳥山公園」だ。
飛鳥山公園歩道橋には、桜と都電のコラボを狙うアマチュアカメラマンの砲列が並ぶ。
それではボクもと、桜を散らした某信金のラッピング電車と桜満開の丘をパチリ。

徳川8代将軍・吉宗が2,700本の桜を植え、庶民に開放てからの桜の名所。
現在は約600本のソメイヨシノやサトザクラが爛漫と咲き誇って、たくさんの花見客でにぎわいをみせる。

眩しいオレンジ色の8800形が飛鳥山の裾野を舐めるように王子へと降って行く。
この飛鳥大坂の急勾配は66.7‰というから、廃線となった信越本線の碓氷峠と同じだ。

王子から3つ目が荒川車庫前停留場、ここで乗務員交代が行われるので少し長い停車となる。
全30余両の寝ぐらである荒川電車営業所には、カラフルな電車たちが束の間の休息をしている。

これぞ都電という黄色に真紅のラインは5500形、車庫に隣接する都電おもいで広場で見ることができる。
この車両は1系統と言って、品川駅前~上野駅前を走っていたそうだ。

ひとつ先の停留場は荒川遊園地前、電車を降りて300mほど北へ向かうとカラフルな観覧車が見えてくる。
知らなかったけれど、この老舗遊園地は公営なんですね。歓声を上げて駆けまわる子ども達が微笑ましい。

京成本線を潜った軌道は荒川自然公園に沿って南へ向かう。っと突然車窓に桜並木が現れる。
薄いピンクの桜の花びらが西陽を浴びて、さらにその色を濃くしている様にも見える。キレイだ。

軌道が緩いカーブを描くと荒川区役所前停留場、正面に東京スカイツリーが見えてくるとゴールは近い。

赤い尾灯を灯した電車はガタゴトとポイントを渡って折り返しの早稲田行き、
偶然にも最初に乗ったレトロな9000形がアンカーとなって、旅は三ノ輪橋停留場で終わるのだ。

今宵の一杯は5つ戻って町屋駅前、ここは期待通りの下町風情の街並み。
ほんのりとあかりが灯る大衆酒場甲州屋、紅で抜いた「大」の文字が印象的な暖簾を潜る。
幸いカウンターの一席を占めることができたけど、10分後には予約客らで席は埋め尽くされる。

たまには瓶ビール、ちょっぴり贅沢にYEBISUをグラスに注ぐ。お通しは “ポテサラ” だ。
アテは “ホタルイカ酢味噌”、ゴマをふるとこれがまた美味しいね。

奥さんが目の前で開いて揚げてくれた “アジフライ”、ふっくらと肉厚でなかなかの逸品。
ここのところ食したアジフライの中では一番だなぁ。感動モノの美味さだ。

大将が柳刃を軽やかに滑らせて、キレイな赤をガラス皿に盛って “マグロ刺し” が登場。
店の名前からすると山梨にご縁があるのだろうか、然らば日本酒は “七賢” を択ぼう。
定番の純米吟醸は切れのいい果実味と程よい酸味がいい。あっ白身の魚の方が良かったかな。

おすすめの黒板からもう一品は “米なす田楽”、ここのは割としっかり焼くんだね。
たっぷりの果肉に甘味のある田楽味噌が絡んで美味しい。
この濃ぉい味には生酛がいいと “大七” を択ぶ。しっかりとした旨味、豊潤な甘みの純米生原酒が旨い。

爛漫の桜を愛でた「東京さくらトラム」の旅は、大衆酒場の酒肴に舌鼓を打って、町屋に終わるのだ。

都電荒川線 早稲田〜三ノ輪橋 12.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
あの娘とスキャンダル / チェッカーズ  1985


銀杏並木と咲き遅れた河津桜と庭のうぐいすと 東急新横浜線を完乗!

2025-03-22 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

厳ついフェイスで疾走して来るのは相模鉄道の20000系。
田園調布あたりをこのヨコハマネイビーブルーが闊歩しているのは、東急・相鉄双方の新横浜線を介して
東横線と相鉄本線・いずみの線が相互直通運転をしているからなのだ。

2度目の東急線の呑み潰しの旅、締めくくりは新横浜線、というかこの路線の存在を忘れていた。

1番ホームに進入してきた急行湘南台行き、この紅いシャープなラインは東急5050系、
日吉から新綱島を経て新横浜までは5.8km、仕上げの短い旅が始まります。

ところで日吉は言わずと知れた慶應義塾の街、銀杏並木越しの駅ビルはまるでキャンパスの一部の様です。

日吉駅で東横線と分岐した新横浜線は、35‰の急勾配で地下に潜ると、ほぼ東横線の真下を南進して、
紅いラインの5050系は最高時速100kmで地下空間を駆け抜け、あっさりと新横浜に滑り込みます。

JR横浜線、市営地下鉄ブルーラインに加えて、今では2つの新横浜線が乗り入れているから、
新横浜から新幹線に乗る利便性がずいぶん向上したのではないだろうか。

Fマリノス通りから鳥山川沿いの緑地公園に出る。小さな野球場で少年たちが砂埃を舞い上げる。
っと1本だけ咲き遅れた河津桜がピンクの花びらを満開にして、行き来する人の目を惹いているね。

「さんかくはし」を渡ると日産スタジアム(横浜国際総合競技場)が見えてくる。
東ゲートにはメッシュのオベリクス林立する。日が暮れてライトアップされたらキレイだろう。

ビル街の只中の「シンヨコ商店」は、週末は11:00から呑めるんだから嬉しい。

「とりあえず生ビール」と言ったら、西島秀俊の小言が聞こえそうだけど、先ずはこれから。
あては “桜えびと新玉葱のかき揚げ”、桜えびの食感と新玉葱の甘味を噛み締めて美味しい。

今日は九州の蔵を択ぶ。壱岐の “横山五十” は山田錦を醸した純米大吟醸、って甘ぁ。
ワイングラスに注いで食前酒ならいいだろうか?とにかく呑み人には甘すぎる。
藍の器に “生まぐろ” の赤がキレイでしょう。山葵をたっぷりのせて、甘口の酒を楽しもう。

“名古屋コーチン鶏天” が登場、これまたジューシーで旨味があって、よき酒の友になるね。
黒いラベルにパープルの絵と文字が印象的な福岡の “庭のうぐいす”、純米吟醸中汲みは濃醇だけどキレがある。

新横浜から のぞみ に乗っても福岡までは4時間半、壱岐まではさらにジェットフォイルに乗船しないと。
いつかは玄界灘のイカやブリ、希少な壱岐牛を食べに行きたいけれど、
とりあえずは新横浜の止まり木で、九州の酒を愉しむ経済合理性を感じて、東急線の呑み潰しは了るのです。

東急新横浜線 日吉〜新横浜 5.8km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
タッチ / 岩崎良美 1985


玉電とSNOOPYと真っ昼間の餃子×ビールと 東急田園都市線を完乗!

2025-03-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

副都心渋谷と中央林間を結ぶ田園都市線は、東横線と並んで東急の本線格といえる。
R246の地下から抜け出すと、大井町線を従えて堂々の複々線が二子橋梁で多摩川を渡っていく。
今回は田園都市線に乗って、西へと小さな旅をしている。

副都心線の開通で渋谷の地下は賑やかになったと思う。
渋谷スクランブルスクエア前にポッカリと開いた地下空間への入口、ゲートの路線案内がカラフルだ。

B3階の1番線に降りると見慣れぬ黄色い電車が止まっている。乗務員交代するこの駅の停車時間は長い。
「南町田グランベリーパーク号」と云うらしい。この後寄ってみよう。
スヌーピーと仲間たちが電車に乗っている様子が描かれており、心弾むワクワク感を演出していると云う。

新鋭2020系は堂々の10連、準急の中央林間行きが溝の口駅にはいってきた。
先にも触れた通り、多摩川〜溝の口間は大井町線が乗り入れる複々線区間になっていて、
すれ違ったり追い越したり車窓はとても賑やか、男の子たちのテンションが上がっているね。

早いお昼を町中華で呑む。「芳蘭」はR246が南武線を跨ぐ陸橋下のような場所にある。
老夫婦で切り盛りする店は、単品はちょっと単価高めだけど、リーズナブルなランチメニューがある。

真っ昼間の町中華だから、ここは王道として “餃子” に “ビール” でいきたい。
狐に焼き色がついた餃子は、この手の店にありがちな、具だくさんのもちもちタイプ。
ジュワっと滲み出る肉汁を味わって、苦味走ったラガーで流す。美味いね。

ビールを楽しむうちに “五目そば” が登場、これも具だくさん、大きな焼豚の存在感が半端ない。
レンゲですくってスープを味わう。優しい味だ。
割り箸を駆使して野菜やら焼豚を抓んだり、麺を啜ったり、この五目そばってのは楽しいね。

さて、昼呑み後の腹ごなしにもう少し郊外まで歩く。めざしたのは国の登録有形文化財「久地円筒分水」だ。
多摩川から取水された二ヶ領用水はここ久地へ導かれ、ここから四つの堀に分水されていた。
これ江戸時代の話し、正確な分水ができずに水争いが絶えなかったことは想像に難くない。
昭和16年に造られた久地円筒分水は、二ヶ領用水を円筒の円周比により四つ堀に分水し正確に供給を始めた。
この知恵と技術もさることながら、この遺構の機能美がまた素晴らしい。

東急の車両にフェイスは似ているけど、パープルに化粧しているのは東京メトロの18000系。
溝の口からの二番手は各駅停車の中央林間行きだ。

次なる途中下車は宮崎台駅、各駅停車しか停まらない駅だけれど、ここに「電車とバスの博物館」がある。
小さな子ども連れの来訪者に混ざって、この小さな博物館を訪ねるのは訳がある。
田園都市線の前身である玉川線のデハ200形を見ることができるからだ。

玉川線(通称:玉電)は1969年まで渋谷から二子玉川園まで走っていた。
R246に敷かれた軌道を走っていたと云うから、路面電車みたいな感じだったろうか。
デハ200形は当時としては画期的な超低床構造の2両連接車、下ぶくれの顔が愛嬌があるなぁと思う。

続いて宮崎台からの三番手は橙が眩しい東武の50000系、急行の中央林間行き。
始発駅は久喜か南栗橋か、いずれにせよその距離90キロ超、所要2時間超の長い旅の途中だ。

溝の口を発った田園都市線は、起伏の多い多摩丘陵に突入する。
溝の口隧道を皮切りに、駅間に必ずあるのでは?と云うくらいたくさんのトンネル、切り通し、
半径の小さなカーブ、谷を渡る高架が連続し、車窓は目まぐるしく変わるのだ。

橙色の急行は南町田グランベリーパーク駅に滑り込む。そんな駅あったっけ?
東急が手掛ける「グランベリーモール」の最寄駅であることから改称されたらしい。
2019年に完成した新駅舎は、まるでモールの一部のような、明るく開放的で洒落た空間に仕上がっている。

モールには SNOOPY MUSEUM TOKYO、大欠伸のスヌーピーの口に次から次に女の子たちが吸い込まれる。
なるほど、渋谷駅で見たスヌーピーと仲間たちを描いた黄色い電車は、このモールのプロモーションなのだ。

MUSEUM を見渡すカフェのテラス席にご同輩らしき人物を見つけた。これっ何と云うキャラクターなの?
この日は寒かったから彼は独りぼっち。スヌーピーを撮っているのか、それとも自撮りしているのだろうか。

もう日が暮れそうだけど、ここまで来たらこの旅の終点まではもう一息、否あとふた駅。
つきみ野駅を通過して住宅地の中にぽっかり開いた四角いトンネルに吸い込まれて地下線に入る。
東武から出張してきた橙の10両編成は、ほどなく終点の中央林間駅へ到着するのだ。

冬枯れの田園都市線の旅、住宅街を突き進むこの路線は、なかなか見どころも見出せず単調な旅になった。
それでもJR線と交差する溝の口や長津田、いやいや中央林間にだって酒場が見つかるかもしれない。
ちょっと宿題を残して、今回は町中華の昼呑みでお茶を濁した田園都市線の旅なのだ。

東急田園都市線 渋谷〜中央林間 31.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
卒業-GRADUATION- / 菊池桃子 1985


ブレーメンの音楽隊と紅梅と春純米と 東急東横線を完乗!

2025-02-22 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

季節が逆戻りした冬の澄んだ青空、渋谷の摩天楼を背景に元町中華街行きの8両編成が疾走してくる。
2度目の東急線の呑み潰しも終わりが見えてきた。今日は基幹路線である東横線を旅する。

ただでさえ谷底の街である渋谷、副都心線の開通で渋谷駅は地下5階まで潜ってしまった。
彩り豊かなスクランブルスクエア前のゲートをくぐってエスカレーターを降りると、
明治通りの直下に2面4線が姿を現すのだ。

35‰の急勾配を駆け上って5050系が地上に姿を現すと代官山、後に見えるのは清掃工場の煙突。
代官山を通過するとすぐに渋谷トンネルを潜る。、複線の間に千代田線が姿を見せると中目黒、
ホームの下に目黒川が流れている。1か月も経たないうちに桜が満開になるでしょう。

祐天寺に途中下車して、地名が由来する明顕山祐天寺を訪ねる。
寺の歴史は案外浅くて、建立は享保年間、吉宗の時代だそうだ。

仏舎利殿の正面は累伝説を題材として描かれた大絵馬で、なかなか見ごたえがある。

帰り道、真っ赤な郵便ポストをエクステリアの様にして SIDEWALK COFFEE YUTENJI がある。
木造平屋建て民家風の店、軒先のベンチには犬の散歩中のご夫婦、パンが主食のお国の方、陽だまりがいいね。

ふっとこの空間に身を置いてみたいと思ってふらり。
厚手のカップに “エスプレッソ” を満たして、油紙に “サーモンのバケット” を包んでブランチタイム。
サーモンの甘味とオニオンの辛味を感じながらバケットを齧る。コーヒーの苦味が心地よい。

目黒線が合流して田園調布からは複々線、横浜高速鉄道Y500系が多摩川駅に滑り込む。
さっき乗ってきた東急の車両と顔つきが似ていると思ったら、2形式は共通設計の姉妹車なのだそうだ。

多摩川を眺めようと亀甲山(かめのこやま)に登る。ここからは富士山も鮮やかに見える。
女神様(木花咲耶姫命)を御祭神とする多摩川浅間神社の社紋は桜、
3人の皇子をお産みになったいう故事から、家庭円満・安産・子安の神として崇敬されている。

にわかにお囃子が聞こえてきた。振り返ると神楽殿で奉納の練習が始まったようだ。
神楽殿の前にはクルマ状のみくじ掛けが二つ、「桜みくじ」がひと足早く満開を迎えているね。

眼下には穏やかに多摩川が流れていく。真紅のラインを引いた東横線がステンレスの車体を煌めかせ、
さっきまで聞こえていた野球少年達の声をかきかき消すように、轟音を立てて渡っていくのだ。

元住吉駅前の商店街はグリム童話の一編にあやかって「ブレーメン通り商店街」という。
駅前にはドイツ・ブレーメン市の商店街から、友好の証として送られた「ブレーメン音楽隊像」がある。
向かい側の雑居ビルの壁面でも動物たちが音楽を奏でていて、なかなか賑やかで微笑ましい商店街だ。

この駅には元住吉検車区が併設されている。45編成が留置できるというからかなり大きな規模。
ぐるっと南側の県道に回り込むと、金網越しにすっぴんの彼女たちに会える。

大倉山直下、切り通しの緩いカーブを上り下りの5050系がすれ違い、真紅のラインが流れていく。
大倉山公園では先週まで、春を告げる恒例行事「大倉山観梅会」が開かれていたから、もしやと思い途中下車。

狙いは当たった。祭りは閉じたとは云え、46種約220本の梅の木はまだ満開を誇っている。
潔いほどの白梅、鮮やかな紅梅、清楚な薄紅が香りをまとって揺れている様が美しく芳しい。

勾配を下るためか、町が出来てから鉄道が敷かれたのか、菊名から先の東横線は細やかなカーブを繰り返す。
東白楽を過ぎると、真紅のラインは地下に吸い込まれ、反町を経て横浜駅に滑り込む。
かつて桜木町まで延びていた東横線は、みなとみらい線の開業に伴い、この先横浜高速鉄道にバトンを託す。

夕陽が駅ビルをオレンジに染めて、ちょうど良い頃合いに横浜に着いた。
それにしても相も変わらず横浜駅周辺の賑やかさは半端でない。

運河のような帷子川(かたびらがわ)を渡って今村商店、11:30に開店する人気店はフルハウス。
それでもお一人様が案外入り易いことは経験で知っている。10分待たないうちに奥の二人掛けに案内される。

 

ここの生ビールは “マルエフ”、ガッキーに癒された気分でグッと呷る。いや今は芳根京子さんですね。
アテの “作りたてポテサラ” が温かい、おふくろの味だね。これはなかなか味な一品だ。

今宵は加賀の酒で酔うと “手取川” を注文、アテは “かに味噌”、勝手に北陸のズワイガニをイメージしてる。
瑞々しい味わいの「春」純米辛口は、ラベルに菜の花が咲いて、春霞のような薄にごりが旨い。

“創作おまかせ五本” がテーブルを賑わせて、こんな濃口のアテには、酸味のある山廃の原酒がいい。
“菊姫” は白山市鶴来の酒、北陸鉄道を乗った時に訪ねたね。新酒らしい荒々しさとフレッシュ感を感じる。

居ながらに加賀の旨酒を堪能する横浜の夜は更けて、東横線の旅を終えるのだ。

東急東横線 渋谷〜横浜 24.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
Youngbloods / 佐野元春 1985