旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

天燈と旧い炭鉱の町と台湾啤酒と 平渓線を完乗!

2024-06-29 | 呑み鉄放浪記 番外編

基隆河に沿った谷間の十分車站で、瑞芳ゆきDRC1000型気動車が下り列車とのタブレット交換を待っている。
どことなく、日本国中のローカル線を走っていた旧国鉄の気動車に面持ちが似ている。
ステンレスのボディーに橙と黄で少し派手目に化粧した気動車で、今回は平渓線を呑んで乗る。

平渓線の起点は三貂嶺(さんちょうれい)車站、基隆河の崖上の駅は、旧保津峡駅に似ているだろか。
台北からここまでは、区間車(普通列車)に乗ってちょうど1時間ほどの距離になる。
平渓線で遊ぶのなら、台北からの「平渓線/深澳雙支線一日週遊券」72元を求めるといい。

花蓮方面に向かう特急列車が爆走する本線から分岐して、平渓線はガタゴトと基隆河を遡る。
谷間をうねうねと延びていく鉄路は、日本でよく見るローカル線の風景と変わらないけど、
覆い被さってくる樹木が、ここが北回帰線が通る南国であることを感じさせる。
ちょっとした日帰り旅に人気のローカル線だから、3両編成の気動車はラッシュ並みの乗客で溢れている。

沿線で最も乗降客が多い十分(シーフェン)車站、どうやら乗客のほとんどはこの駅で降りてしまうらしい。
ここは平渓線で唯一交換ができる駅だから、上り列車を待って、ゆったり10分ほど停車する。

平渓線はもともと、日本統治時代に炭田開発を目的として民間企業が敷設した。
その後、台湾総督府鉄道が買収し、台湾鉄路となって今に至っている。

十分老街は線路沿いに屋台や土産屋を連ね、列車がやってくる直前まで線路上に観光客が溢れている。
商店街の軒をかすめるようして、ディゼルカーが警笛を響かせながら走り抜けるのがこの町の風景だ。

列車が行き過ぎると、線路上からは次々に天燈(ランタン)が夏空に舞い上がる。
健康は赤、恋愛は橙、金運は黄といった感じに、ランタンの色によって叶う願い事が違うそうだ。
大きく両手を広げて、目の前のご夫婦は、願い事いっぱいに4色のランタンを放っていた。

十分老街を漫ろ歩く。町はずれにこの国のどこにでもありそうな道教寺院がある。
独特な線香の匂いが漂ってくるし、なにより赤を基調とした建物は見逃しようがない。

場末の食堂を覗いた。たしか「十分牛肉麺」といった。
あとでWebで検索したけれど、必ずしも評判の良い店ではなさそうだ。まぁボクは気にならない。
とにかくクーラーが効いた店で、冷たいビールにありつきたい。

“水餃子” に薄口の醤油をかけて、“台湾啤酒” の相手をさせる。
看板のはずの牛肉麺は品切れで、択んだのは “海鮮麺”。汗をかいた身体に塩味は案外いいかも知れない。

再びの十分車站、満員の観光客を吐き出して、ガラんとした気動車で旅の後半をゆく。


<新北市政府観光旅遊局のページより>

十分〜大華の間で車窓に見える「十分瀑布」は、吊り橋を渡るハイキングコースで訪ねることができる。
「台湾のナイアガラ」と呼ばれるのは甚だ大袈裟だけど、幅40m落差20mはそれなりに迫力がある。
20年ほど前に一度歩いているのだけれど、今回はもくもくと湧き上がる黒雲に怖気付いて予定変更。

案の定、終点まで20分の旅の半分、窓の外はバケツをひっくり返したような雨のスクリーン。
デビュー当時は優等列車に使用されたDRC1000型、ロングシートに変更されているけどなぜか革張り。
広い窓枠は車中酒派には嬉しい仕様、っというわけでプシュッと “台湾啤酒CLASSIC” を開ける。
この苦味のあるCLASSICは、日本統治時代製造された「高砂ビール」の味を引き継いでいる。

嘘のように土砂降りの雨が上がった頃、3両編成の気動車は終点の菁桐(ジントン)車站に到着。
かつて石炭輸送で賑わった構内には、何本かの引き込み線と洗炭場が残っていて、往時を偲ばせる。

白く塗った木造の壁に瓦をのせて、駅舎は1929年に建てられた日本式木造家屋。
周囲はノスタルジックな商店街になっている。本当はもう少し旧い炭鉱の町を歩きたいところだけれど、
そんな商店街の雑貨屋で3本目の “台湾啤酒” を求めて、折り返しの瑞芳ゆきに乗車するのだ。

平渓線 三貂嶺〜菁桐 12.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
STARSHIP / アルフィー 1984


ノミビトは朝、空港で

2024-06-26 | 日記・エッセイ・コラム

土砂降りの午前8時、更新したての真新しい旅券を片手に、羽田空港第2ターミナル。
少々早めの夏休みか、久しぶりの海外渡航は一都市滞在の5日間。予定は全く立てていない。
行った先で酒場を放浪するか、呑み鉄の旅をするか、まぁ単車には乗らないと思うけど。
ちょい贅沢に5つ星ホテルだから、プールサイドでのんびり過ごしても良い。とにかく自由なのだ。

とはいえ、呑むことは外せないから、ナッツとチーズに、朝からラウンジでプレモル生ビール。
喉が潤ったら、“大七箕輪門” 注いで、“焼き鮭” を箸で崩しながら山田錦の純米大吟醸を愉しむ。
搭乗前からやるべき事、いや呑むべきものは呑んでおかないと。

さて、いったい呑み人はどこに降機するのだろう。
容赦なく照りつける市街地の国際空港にはこんなオブジェがあったのでパチリ。

首都を貫く大河の河口の町には、こんな南欧風の小径があったり。

ミーハーにもこんなスイーツに舌鼓を打ったりするのもまた楽しい。

比較的新しい街並みには、こんな今どきのオブジェがあって、観光客やカップルが写真を撮っている。

さて、呑み人が紛れ込んだのはどこの街か、旅慣れた貴兄にはお分かりでしょうか。
スイーツで分かっちゃうかもしれませんね。
いずれ、何らかのレポートをしますね。それでは行ってきます。

<40年前に街で流れたJ-POP>
モリスンは朝、空港で / 佐野元春 1983


風を感じて! 奥多摩周遊道路とZと気ままにREFLECTION

2024-06-22 | 単車でGO!

もう朝とは言えない時間に階下に降りるる。そっと黒いシルクのシーツを少し捲ってみる。
「あらっ、ずいぶん久しぶりね」っと少し険がある。こういう時は逆らわない方がいい。
確かに春以来、酒呑みの鉄道旅ばかりが先行して、この季節まで一緒に出かけることはなかったから。

シーツを足首のあたりまで剥いでしまう。
覆い被さるように跨ると、骨ばった右手で優しく左手を包む。恋人繋ぎってやつだ。
少しだけ手首を手前にひねると、小刻みな鼓動が大きくなる。いつも通りだ。

奥多摩大橋を渡ると、ふたりが走る道はいよいよ渓谷の景色になってくる。
内緒だけれど、まったく思いつきのツーリングは、青梅街道を走らせてここまでやってきた。

しなやかな脚にブラウンのタイトスカートを纏い、さりげなくシャンパンゴールドのアンクレット。
上品なオレンジのトップスに案外ボリューミーな上半身を包むコーディネートはいつもの通りだ。

鳩ノ巣渓谷あたりだろうか、何艇かのカヌーが白い飛沫を滑っていった。
「知らないうちに季節が過ぎたみたいね。すっかり夏なのね」って、まだご機嫌は斜めなのだろうか。

ランチは沢井の「豆らく」にウインカーを出した。
渓谷の吊り橋の下をキラキラと清流が流れ、広葉樹の緑から初夏の日が溢れる。
渓谷を渡る風に髪をとかれ、「ステキなところね」と呟く。
だんだんペースを引き寄せただろうか。鉄道旅では何度か訪れたけど。ふたりで来たのは初めてだ。

鳩ノ巣あたりから、バイクの隊列に前とを塞がれて走ってきたけれど、
小河内ダムまで駆け上がるころ、ようやく二人きりになる。鼓動が伝わってくる。
夏に向かって水を湛えた奥多摩湖は深いエメラルド、山肌から新緑が覆い被さって、東山魁夷の世界だ。

深山橋から三頭橋を渡って奥多摩周遊道路へと進む。ここは都心からも近い関東屈指のワインディングだ。
三頭橋(530m)から風張峠(1,146m)まで一気に駆け上がる爽快感から、多くの走り屋たちが集まってくる。

っと2眼ヘッドライトのフルカウルのスーパースポーツが、甲高いエンジン音で後ろから迫ってきた。
短い直線で左にウインカーを出して先を譲ると、
赤いランプはライダーの膝がアスファルトに触れるほど内倒させて、小さいRを抜けて緑の向こうに消えた。

「案外意気地がないのね」えっ、思いがけず衝撃的な呟き。
あっさり2眼ヘッドライトを先に行かせたことを云っているのか、
それとも出会ってから2年、なかなか進展しない二人の関係を揶揄しているのだろうか。

月夜見第一駐車場から奥多摩・奥秩父の雄大な眺望を楽しむ。
一瞬、雲間から陽が射して、キラリと湖面が輝いた気がした。

「ねっ、ダムがあんなに小さく見えるわ」ライダージャケットの袖を引きながら声が弾けた。
さっきまでのクールでちょっといけずな様子から打って変わった。やれやれ。

この先、白樺の清涼感に包まれて、開放感たっぷりの尾根沿いの道が待っている。
今年はふたりして、どんな景色の中を旅することができるだろうか。本格的な夏がやってくる。

<40年前に街で流れたJ-POP>
気ままにREFLECTION / 杏里 1984


Go!Go!West! 7 駅そば日記 濱そば@大船「冷しねぎだくスタミナそば」

2024-06-19 | 旅のアクセント

この日も茹だるような暑さに、ボクは「季節限定メニュー」のタッチパネルを押した。
択んだのは “冷しねぎだくスタミナそば”、たっぷりの刻みネギとドライにんにくを散らした一品だ。
やや硬めにしてもらった麺にぶっかけ汁を絡めて、シャキシャキのネギと、カリッとにんにくの食感がいい。
半分くらい食したら、ラー油を2滴3滴と垂らす。ちょっとヒリヒリするくらいがおいしい。

ところで入口に『つゆが変わりました』のポスター掲示を見つけた。
なんでも、かつてホームで愛された「大船軒」のつゆの提供を受けたそうだ。
ホームの大船軒に通った諸兄は、シンプルに “ざるそば” を択ぶと、懐かしい味をご賞味いただけそうだ。

大船駅3・4番ホームに在った駅そば「大船軒」が撤退してからすでに6年。
南改札と北改札を繋ぐアトレ大船が整備され、FOOD SQUARE が賑わっている。
駅そばは南口に「いろり庵きらく」北口に「濱そば」と辛うじて改札内に2軒が残った格好だけれど、
この FOOD SQUARE に入ることなく寂しい扱いだ。でもやっぱり駅そばはホームが似合うよね。
ホームに降りたら、昨年リニューアルしたE259系「N'EX」が入線してきた。この夏はきっと大活躍だね。

<40年前に街で流れたJ-POP>
ファースト・デイト / 岡田有希子 1984


Osaka メトロに乗って 萌葱色の電車と大阪城とトンペイ焼きと 長堀鶴見緑地線を完乗!

2024-06-15 | 呑み鉄放浪記 地下鉄編

折り返し大正ゆきとなる萌葱色の70系4両編成が門真南駅にやってきた。
一見すると遊園地の電車?と思うような断面積の小さな車両は、日本初の鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄。
首都圏では大江戸線やグリーンラインにもこれと同じ方式が採用されている。

始発駅の長い通路を歩いて2番出口を這い出ると、正面に銀色にかがやくモスラの卵が現れる。
なみはやドームは、1997年の国民体育大会に合わせて造られた競泳、飛込、スケートなどの競技場だ。

振り向くと駅前ロータリーには、チキンラーメンのひよこちゃんと大阪・関西万博のミャクミャクが、
いかにも大阪らしいコテコテのラッピングバスをすり抜け、階段を降りたら長堀鶴見緑地線の旅を始めよう。

ちょっと可愛らしい萌葱色の電車は、独特なモーター音を微かに響かせて門真南駅を出発する。
っが、席も温まらないうちに、最初の停車駅 鶴見緑地で最初の途中下車。

噴水の飛沫に飛び込んで歓声を上げる子どもたちを横目に風車の丘に登る。
花の万博はご存知? 1990年、バブル期に開催されたこの博覧会は、内外から2,300万人の来場者を集めた。

風車の丘の花畑は、春の花から夏の花への切り替え期で寂しい風景だったけど、
お隣のバラ園では大阪の街を見下ろして、約400品種のバラたちが咲き誇り、甘い香りに包まれるのだ。

丘を登って降りて、ひと汗かいてから再び萌葱色の4両編成に乗る。
長堀鶴見緑地線は鶴見通りを西進すると、京橋で向きを変えて外堀の外周を舐めるように玉造まで南下する。
っと大阪のシンボルは観とかないといけないね。大阪ビジネスパークで2度目の途中下車。

青屋門を潜って内濠沿いを極楽橋をやり過ごし、御座船乗船所の先まで回り込む。
呑み人は威圧するかのように圧倒的に巨大な石垣を臨める、この角度からの大阪城が好みなのだ。

休日の大阪ビジネスパーク駅は、近未来的で無機質なホームは閑散としている。
タイミングでたった一人きりになると、この世に一人ぼっちでサバイバルしているような妄想に駆られる。

玉造駅で再び進路を西にとった萌葱色の4両編成は、漸くっと路線名の長堀通りの下を行く。
乗客がすっかり入れ替わるかのような降車客の波に押されて心斎橋駅に3度目の途中下車。
心斎橋筋は人が溢れて、真っ直ぐ歩くことも、追い越して行くこともままならない。

ランチは老舗の洋食屋「明治軒」を訪ねる。
名物オムライスを食べに来たのだけれど、“サービスランチ” に変更。
ケチャップソースの “ポークカツ” とタルタルソースをたっぷりの “エビフライ” が美味しい。

長堀通りを西の果てまで走ったら、今度は南へ転じてドーム前千代崎駅、ここでも若者がどっと下車。
んっとバッファローズのファンには見えないから、興味津々、人の流れに紛れ込んでみる。

ビルの影から京セラドーム大阪、案の定人波はこのドームに吸い込まれていく。
SUPER DRY SPECIAL LIVE Organized by ONE OK ROCK だって、オヤジには分からないロックフェス。
冠スポンサーのスーパードライは知っているけどね。

気を取り直して最後のひと区間を乗車して起点の大正駅に到着。
乗り通せば30分の長堀鶴見緑地線、大阪の風景を切り取りつつ半日がかりの旅になった。

陽が落ちたら再び萌葱色の4両編成に乗って長堀橋駅までやってきた。
心斎橋筋から延びてくる鰻谷北通り鰻谷南通りに賑やかに飲食店が連なっている。
呑み人はふらりと丼彩酒楽 由庵(ゆうあん)という店に飛び込んでみた。

空腹を抱えていたので、今宵はいきなりの “トンペイ焼き”、やはり本場ものは食しておきたい。
豚ロースと野菜をたっぷり玉子に包んで、ソースとマヨネーズで描く紋様は芸術的、粉もんの大阪ですね。

順番が逆だけど、刺身は “活ヒラメ昆布〆” をいただく、これが美味い。
大阪の酒はラインナップになかったので、広島は呉の “雨後の月” を択ぶ。
八反錦で醸した超辛口の純米は、軽快な旨味と鋭く切れる後味がいい。

最後にハイボール片手に “串カツ” をおまかせで盛ってもらって、“豚ヘレ” ってのが美味い。

さてとほろ酔いで心斎橋筋方面に戻るのだけれど、ちょっと気になる酒場やら小料理屋が数知れず。
大阪で呑む旅は飽くことがない。次の出張が待ち遠しいのである。

大阪市高速電気軌道 長堀鶴見緑地線 門真南〜大正 15.0km 完乗

やっぱ好きやねん / やしきたかじん


人生のそばから 分上野藪かねこ@浦和

2024-06-12 | 呑み鉄放浪記

浦和駅から歩いて10分と少々、閑静な住宅街に隠れるように、その店は柔らかく行燈を点している。
場所がらフラリと訪ねる店ではないので、今宵めずらしく、あらかじめ席を予約して出かけた。
その店は、ゆるりと蕎麦前を愉しめる、雰囲気のいい空間を用意してくれる。

シャンパンゴールドに煌めく “ハートランド” で始める。お通しの “そば味噌” がなかなかいい。
県産平飼いの “玉子焼き”、先ずはそのまま食べて甘さを感じて、あとはおろし醤油でいただく。
それから “フルーツトマトとタコのおろしポン酢”、さっぱりと夏の一品だ。日本酒が欲しくなってきたね。

爽やかな空色のラベルは、白隠政宗の “誉富士 純米酒 夏”、ちゃんと夏酒を揃えてくれるのが嬉しい。
さっぱりドライに仕上がった食中酒に、アテは “賀茂茄子と香り豚のみぞれ煮” が美味しい。

アスパラ、谷中生姜、新玉葱、新ごぼう、ヤングコーンを並べて “夏野菜の天ぷら” は抹茶塩で。
山形の “米鶴” は純米吟醸 直汲み無濾過生、出羽燦々で醸した華やかな酒、これは夏野菜に合うね。

頃合いで、〆の “辛味大根おろしそば” が登場する。
薄い紫をした(かなりの)辛味大根をそばの上に盛ったら、それを全体に流すように汁をぶっかける。
おっかなびっくり、それでも大胆に箸でつかんでズズッと啜る。かっ辛い、でも堪らない。
夏酒に夏のアテと辛味蕎麦、梅雨空を吹き飛ばす爽やかな宵の口なのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
愛・おぼえていますか / 飯島真理 1984


Osaka メトロに乗って 縹色の電車と青い夏酒と大阪恋物語 四つ橋線を完乗!

2024-06-08 | 呑み鉄放浪記 地下鉄編

プァ〜ンと低い警笛を鳴らして、縹色(はなだいろ)を引いた23系6連の電車が西梅田を発車する。
形式は違えど、御堂筋線や谷町線の電車と顔がよく似ている。

四つ橋線の起点となる西梅田は、東隣りを走る御堂筋線の梅田と比べて落ち着いた雰囲気がある。
それは四つ橋筋を挟んで向かい合うヒルトンプラザが醸し出しているのかも知れない。

ヒルトン大阪脇のC-30を降りると、ハイソな地下街にコテコテな西梅田駅がぽっかり口を開けている。

改札を抜けて階段でさらに降りると、無機質なプラットホームに、ちょうど住之江公園ゆきが入ってきた。
ということで、今回は10キロ少々、ちょっと短い四つ橋線を旅する。

本町で途中下車して心斎橋筋商店街の「味万本店」を訪ねる。
いつの間にか出張の旅に伺うようになったこの店、ふんわりお揚げの “きつねうどん” が美味しい。

中央線、御堂筋線と連絡する本町は乗降客が多い。お腹を満たして旅を再開、でも乗るのはたった一区間。

四つ橋筋や四つ橋線の語源となったのは、もちろん「四ツ橋」ということになる。
長堀川と西横堀川が十字に交差したこの地に、ロの字型に4つの橋が架けられていたという。
江戸期、4つの橋とその下の堀川を、物資を積んだ舟が行き交う光景は、名所に相応しいものだったろう。

四ツ橋を出た縹色のラインは、なんばを掠め、唐突に臙脂色の電車と並走すると大国町。
どうやら御堂筋線が四つ橋線を内側に挟み込む配置になっていて、同一方向同士の列車の乗換えが便利だ。
東京で言うと赤坂見附の丸の内線と銀座線の同じようだね。

四つ橋線の6両編成は、なんばから先は乗客を減らしつつ、片手分の指を折ったころ住之江公園に終着する。
おやおやリュックを背負った子どもたちが降りてきたけれど、この辺りに遊べるところがあるのだろうか。
住之江公園でBBQか、それとも南港からフェリーで家族旅行か。笑顔と歓声に癒される。

地上に這い出ると電車が潜ってきた新なにわ筋の東側はこんもりした森のように見える。
広大な住之江公園の一角は大阪護国神社になっていて、日章旗と旭日旗が翻っていた。

西側の巨大なスタンドは BOAT RACE 住之江、橙色や黄色が咲き誇る花壇に沿って進んでみる。
この日はレースは無いようだけど、多くのファンが腕組みをして大きなスクリーンに集中しているのだ。

開店時間に合わせて「喜世」を訪ねる。マンション1階の落ち着いた感じのお店だ。
お通しの “つぶ貝煮” を穿り出していると、“本マグロ” の皿が登場。この赤がキレイだ。

今宵は獣たちの夏酒シリーズを勝手に開催する。先ずは出荷されたばかりの “春鹿の夏しか”。
吟醸香が華やかで、喉越し爽やかな純米吟醸は、花冷えくらいで呑みたい。
っで、ふた皿めは “茄子と合鴨揚げ出し”、青磁の器になす田楽、合鴨をのせたら、とろり出汁あんかけ、
青ネギを散らして美しい。これって料亭の一品って感じでしょう。

二杯目の “千歳鶴 夏ひぐま” を升に溢してもらう。この瞬間この感じが嬉しい。
北海道産のきたしずくで醸したやはり純米吟醸は爽快辛口の酒、これも美味い。
アテは酒のイメージに合わせて “子持ちししゃも焼き”、北のクマたちも齧っているだろうか。

涼しげなペンギンのラベルは京丹後の酒 “Ice Breaker”、清涼感のある爽やかな香りの無濾過生原酒。
ロックで飲んでも美味しいと言うから、今度試してみたい。
〆の煮麺は醤油味のだし汁に、鶏肉、うずら、シイタケをのせて、これも料亭クオリティ。旨い。

縹色の電車に乗って、青色ラベルの夏酒を愉しんで、美味しい初夏の四つ橋線の旅は暮れるのです。

大阪市高速電気軌道 四つ橋線 西梅田〜住之江公園 11.4km 完乗

大阪恋物語 / やしきたかじん


ときに週末は特急電車で 八州亭@川越

2024-06-05 | 日記・エッセイ・コラム

観光後進県と言われる埼玉県だけど、単車や鉄道で訪ねる秩父や長瀞それに川越はいつも賑やかだ。
B級グルメやアニメの聖地、乏しい観光資源を補うように、地域や行政が尖って頑張っているからだろうか。
ところが東京との交通利便性が良いばかりに、宿泊は東京で取ったり、そもそも日帰り客が多かったり、
落ちるお金で観光の優劣を測ったら、やはり埼玉は厳しいだろうか。

たまには特急もいいかなっと、高田馬場から乗ったレッドアローでわずかに45分。
小江戸川越はやはり近すぎる。呑み人にとっても昼呑みのディスティネーションなのだ。
レトロな町並みの漫ろ歩きもそこそこに、明治8年(1875年)に創業した旧鏡山酒造の蔵でちょっと一杯。

“海鮮サラダ” を肴に “鏡山” の純米吟醸は玉栄を醸した華やかな香を楽しめる酒だ。
ところで蔵元の小江戸鏡山酒造は、閉じてしまった鏡山酒造を復刻させた若い蔵。
やはり城下町にして酒蔵の一つも無いのは寂しいからね。

濃厚な川越三元豚の “豚角煮” には、やはり濃厚な味わいの純米酒で対抗する。
箸を入れるとほろほろ崩れるほどふんわり煮込んだ角煮を肴に、コクのあるそして酸味を感じる純米酒が旨い。
続いて登場したのが “天麩羅” だから、この純米をもう一合。ちょい呑みのつもりが腰が落ち着いていく。

粋な蕎麦前とは言えないくらい酒は頂いたけど、やはりせいろの一枚も手繰りたい。
択んだのは “とろろ蕎麦”、オクラを浮かべて夏っぽい。二八にたっぷり絡めてズズッと啜る。美味しい。

浴衣姿の男女もちらほら、歩道から溢れる観光客は思い思いにレトロな町並みやスイーツを楽しんで歩く。
呑みにきただけのボクは駅へと戻るだけ。まだ陽は高いけど、今日はこれでお終いだね。ご馳走様でした。

<40年前に街で流れたJ-POP>
If you / 角松敏生


時の鐘と六軒町一丁目商店と去年の恋 西武新宿線を完乗!

2024-06-01 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

「急行」のLEDも誇らしく、副都心の高層ビル群を背負って、堂々10連の30000系が高田馬場に滑り込む。
4月に池袋線・秩父線で芝桜を観に行ってから3か月、二度目の西武鉄道呑み潰しを新宿線で締める。

新宿線の三叉の槍は、歌舞伎町の入り口で存在感のあるPePe新宿プリンスホテルに突き刺さっている。
青が散る一時期、この沿線で暮らすことがあった呑み人は、何度か初電でアパートに帰った覚えがある。

起点の西武新宿駅から10分、レモンイエローの各駅停車は緩いカーブの新井薬師駅に停車する。
あの頃、友人の下宿をよく訪ねたけれど、実は薬師さまに詣でたことはない。長年の不義理を解消したい。

緑の木漏れ日の中に赤い提燈が印象的な山門を潜って新井薬師梅照院に詣でる。
新田氏に縁ある御本尊は、薬師如来・如意輪観音の二仏一体の尊像と言われ、秘仏となっている。

四半世紀を超えてようやく薬師さまを詣でた後、門前そばならぬ門前の町中華に迷い込む。
玉ちゃんの声に誘われた気もするが、それはさすがに空耳か。

老夫婦が営む店は昼前なのに席が埋まった繁盛ぶり、料理にはどれも美味いに決まっている。っと思う。
シュポンと小母ちゃんが “クラシックラガー” を抜いてくれた。先ずは喉がなるほどに一杯を呷る。
一皿めの “ピータン豆腐” の濃厚とサッパリの共演を味わいつつ、苦味走ったラガーを楽しむのだ。

どうもここ萬来軒の名物メニューらしい “麻婆餃子” を択ぶ。当たりだ。この共演も素晴らしい。
濃厚なひと皿にはさっぱりと “レモンサワー” を合わせて、薬師さまのお陰で美味しい酒肴に巡り合った。

新宿線の旅は続く。ボクが乗るのは相変わらずレモンイエローの各駅停車だ。
この駅は鷺ノ宮だったろうか。乗務員もホッと一息の急行の通過待ち。
このシチュエーションには決まって原田知世の曲を思い出す。
彼の住む町を訪ね指を折って駅を数える彼女、急行の通過待ちがいつももどかしかった。と去年の恋の詩だ。

東村山も所沢も最近呑んだから今回は通過して、やがてレモンイエローの各駅停車は航空公園駅に着く。

駅舎で時を刻む CITIZEN の針は飛行機のプロペラをモチーフにしていて、なかなか秀逸なデザインだ。

振り返る東口駅前広場には、戦後初の国産旅客機 YS11 がエアーニッポンの塗装そのままに展示されている。

所沢航空記念公園は、1911年に開設された日本で最初の飛行場「所沢飛行場」の跡地に整備された。
この「日本の航空発祥の地」に、航空自衛隊入間基地に所属した C46-1A輸送機(天馬) が煌めいている。

所沢からの緩い勾配を駆け上がってきたのは、30000系、急行の本川越行き、この旅のアンカーになる。
急行と表示していながら、田無からは各駅に停まるので、終点までは6駅20分の旅になる。

黒漆喰の壁、屋根には大きな鬼瓦、一番街には重厚な造りの商家が連なる。小粋に人力車が疾走していく。
この情緒あふれる蔵造りの町並みをして、川越は「小江戸」と称される。
西武新宿線の終点本川越駅は、この町並みに最も近い駅だ。

そんな小江戸川越のシンボルが「時の鐘」で、最初のものは寛永年間に川越城主の酒井忠勝が建てた。
現在の鐘楼は明治27年、江戸時代の姿そのままに再建した4代目だそうだ。
鐘の音が小江戸の町に響きわたるのは日に4回、でも聴いた覚えはないなぁ、結構訪ねているのだけれど。

18時の鐘を待てずに向かったのは「六軒町一丁目商店」、すでに賑やかに立ち呑み酒場は営業中。
客層はご同輩というよりも若者が多いしスタッフも同様だ。それでも臆せずにカウンターの一角を占める。

元気なお嬢さんが注いでくれた “生ビール” を片手に小声で乾杯、今宵の一人酒を始めよう。
アテの一番手、申し訳程度のキャベツを敷いて “ハムカツ” が登場、分厚いのが二枚、満足の一品だ。

小皿に山盛りなのは “もやしポン酢”、これは少々手こずりそうだ。
むかし学生街の定食屋の「もやし炒め定食」が、正にモヤシだけを炒めた皿にガッカリしたことがある。
気を取り直して “梅水晶” 、これは満足度の高い一品、日本酒が呑みたくなるね。

でもここ最近、少々酒が過ぎていることを自覚しているから “黒ホッピー” を択ぶ。
アテには “炙りチャーシュー”、ジューシーな叉焼をさっと炙ってレタスにマヨネーズ、言うこと無し。

立ち呑みを楽しむ若者に、脈絡もなく力強い何かを感じた今宵、新宿線を最後に西武鉄道の呑み潰しを完了。

西武鉄道 新宿線 西武新宿〜本川越 47.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
どうしてますか / 原田知世 1986