旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

東海道紀行12 掛川宿~袋井宿~見付宿

2019-04-07 | 東海道紀行

10:40「掛川宿」 00:00:00
 「東海の名城」と謳われた掛川城は、嘉永7年(1854年)安政の東海大地震で大半が損壊。
140年ぶりに木造で再建された三層の天守閣、白漆喰塗り籠めの真っ白な姿が美しい。
"東海道を歩く旅" 第12日目は、桜咲く掛川城下から天竜川をめざす。

掛川城に初めて天守閣を造り、城下の整備を行ったのは山内一豊。
内助の功の代名詞とも言えるその妻・千代、二人のレリーフが、街道筋の銀行の壁を飾る。
二人が戦国時代を駆け抜け、土佐24万石の大名となる「功名が辻」は大河ドラマになった。

その先、円満寺の表門は、掛川城の城内門「蕗の門」を移築したものだ。

Navi62-8 hair right(右折) 500m

Navi63 二瀬川交差点(左折) → <県道415号> → 大池橋交差点 0.6km

Navi64 大池橋交差点(左折) → <県道253号> → 川井交差点 9.3km

11:20「大池一里塚」 00:40:00
 大池橋西詰は火伏の神で有名な秋葉権現への参道との追分になっている。
秋葉山までは九里余、往時はここに青銅鳥居と常夜燈が在ったと云う。
広重の掛川宿図は、橋から見た秋葉山遠望を描いている。
さて、東海道は天竜浜名湖線ガードを潜って、日本橋から五十九番目の大池一里塚跡へ。 

Navi64-2 沢田IC北交差点(左折) 90m

Navi64-3 中山板金工業所(右折)

11:45「間の宿原川」 01:05:00
 善光寺橋を渡ると間の宿原川、金西寺に供える薬師餅を商う茶屋が軒を連ねていた。
この辺りは松並木が姿を現し、ここが街道であったことを物語っている。 

Navi64-4 同心橋東交差点(右折) 300mをR1と重複 

Navi64-5 同心橋西詰(左折) 

原野谷川を同心橋で渡ると名栗の立場跡、この先も松並木が続く。
同心橋の云われは、大名行列の随行の同心達がこの川原で食事をしたことに由る。 

12:20「久津部一里塚」 01:40:00
 久津部一里塚跡は日本橋から六十里目、袋井東小学校の敷地内に在る。 

 

医王山油山寺は、眼病平癒に利益のある寺、目の霊山として信仰を集めている。
掛川から袋井の間には何本かの油山参道が分岐し、路傍に道標を見ることができる。 

Navi64-6 新谷交差点(左折) 市道を40m

Navi64-7 白畑ふとん店(右折) 市道を350m

県道253号が415号に上書きされる新谷交差点付近は、街道の痕跡が消える。
交差点から南へひと辻、白畑ふとん店角にマップがあるので参考になる。
その先、秋葉山常夜燈鞘堂がなかなか風格がある。
古くから秋葉信仰が盛んな遠州では、集落毎に秋葉灯籠が建てられ、火が焚かれた。 

Navi64-8 袋井商工会議所裏(左折) 市道を70m

Navi64-9 袋井市役所南交差点(右折) 市道を60m

12:50「袋井宿」 02:10:00
 袋井市役所南交差点あたりが東見付跡、「これより袋井宿」の案内板が立つ。
江戸を発っても、京都を発っても、27番目の宿場は『どまん中』を強調している。 

Navi64-10 東海道どまん中茶屋(斜め左) 市道を60m 静橋北交差点で県道253号に戻る

本陣3、脇本陣0、旅籠50軒の袋井宿。
開設は宿駅制開始から遅れること15年、元和2年(1615年)のことだ。
遺構は残っていないが、東本陣跡に冠木門が復元され、雰囲気を演出している。 

広重は袋井のはずれの田園を描いている。
大木の木陰を利用した葭簀がけの茶屋で、駕籠かきと飛脚がのんびりと一服している。
背景にはのどかな田園風景が広がっている。 

京方の見付跡は御幸橋東詰。復元された高札場、土塁、常夜燈に見送られ、袋井宿を出る。

Navi65 川井交差点(直進) → <県道413号> → 加茂川交差点 6.3km

Navi65-2 松橋西詰(斜め右) 旧道を500m

      

13:25~14:15「木原一里塚」 02:45:00
 松橋を渡ると、右手に500mほど旧道を歩く。木原一里塚は南塚が復元されている。
ここ木原畷は三方原合戦の前哨戦が繰り広げられた古戦場でもある。
遠江に侵攻した武田信玄が陣を張り、ここで徳川家康の偵察隊と衝突している。 

 

道路端に「手打うどん」の幟を発見。袋井宿で食べ損ね、腹を空かして歩いてきた。
先ずはビールとコーラでお疲れさま。厚切りの "板わさ" に小さな喜びを感じるね。 
花冷えの街道めしは、熱々の "味噌煮込み" をいただく。具だくさんの鍋で空腹を満たす。 

Navi65-3 三ヶ野橋西詰(斜め左) 階段を降りて旧道を550m

Navi65-4 江戸の古道標識(左折) 旧道を1.5kmで県道413号に戻る

見付宿を目前にした大日堂の高台、この丘陵に立ば、太田川から遠く袋井まで一望できる。
先ほど通過した木原畷の武田軍を物見する本多平八郎のしたり顔が目に浮かぶ。

Navi65-5 富士見町東交差点(斜め右)

15:20「愛宕神社・阿多古一里塚」 03:50:00
東海道は一旦県道413号に戻るが、直ぐに富士見町東交差点で市道に入る。
600mほどで愛宕神社、長い石段を上がると社殿の裏手には阿多古一里塚の南塚が残る。 

振り返ると見付宿の全容を見渡すことができる。東海道は緩やかな弧を描いている。

愛宕神社の石段下には東木戸が在った。今ではモニュメントが建っている。
さて「見付」の名称だが、上方を発った旅人が初めて富士山を見つけた所だからとか。 

15:30「見付宿」 04:00:00
 見付宿に旧い遺構は殆ど残っていない。ランドマークは北本陣跡至近の旧見付学校だ。
明治8年建造の木造擬洋風小学校校舎は現存する日本最古で、国の史跡に指定されている。 

見付宿の規模は本陣2、脇本陣1、旅籠56軒。脇本陣大三河屋跡に薬医門を残す。
その先、見付西大通との交差点で左折するのだが、真直ぐ進むのは姫街道。
浜名湖北岸を迂回し御油宿に至る道は、新居関所の「女改め」を嫌う女性が好んだ。 

Navi65-6 見付宿場通×見付西大通交差点(左折)

Navi66 加茂川交差点(直進) → <県道56号> → ABホテル磐田 1.4km
Navi66-2 石川雅大法律事務所前(斜め左) 旧道を240m 

15:55「磐田駅前」 04:25:00
 西木戸を抜け、府八幡宮を通って、ジュビロの水色がはためく磐田駅前が今日のゴール。
東海道は駅前を右折、この先一里進めると天竜川に達する。広重も天竜川の渡しを描く。
掛川城下を発った東海道を歩く第12日目、松並木残る田園風景を「どまん中」袋井宿へ。
古戦場を抜けて、愛宕神社から見下ろす見付宿まで所要4時間25分。次回は浜松を抜ける。

掛川宿~袋井宿~見付宿(JR磐田駅前) 17.4km 



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