旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行15 軽井沢宿~沓掛宿~追分宿~御代田一里塚

2012-08-11 | 中山道紀行

「軽井沢宿」 12:20
 第15日目は賑わう旧軽井沢ロータリーからスタート。ここは軽井沢宿の京方枡形だ。
避暑の高原リゾートとはいえ気温は28°C、でも吹き抜ける風は爽やかなのだ。

瀟洒なレストランが点在する別荘地、針葉樹の並木道には街道の名残はない。
R18と合流する離山付近でやっと道祖神が現れる。

「沓掛宿」 14:05
 R18としなの鉄道を渡って1km、小川の流れる道を緩やかに下ると湯川にぶつかる。
この辺りが宮之前一里塚、湯川の上流方向に数100m上ると長倉神社でR18に合流する。
ここからが沓掛宿、中軽井沢駅前になる。

戦後火事で焼けてしまった沓掛宿には昔の面影はない。
脇本陣満寿屋跡の旅館も営業をしているのか訝るほど荒れてる。
駅前から右に分岐するR146、「右くさつみち」は温泉リゾートへと誘う道標だ。

沓掛宿(中軽井沢)を抜けると街道はR18の南側を並行。
のどかな風景の古宿の集落、かつては中馬・中牛宿と云う輸送の中継基地として賑わった。
多くの馬頭観音・庚申塔・道祖神などが点在しています。

R18バイパスとの三叉路を過ぎて間の宿・借宿、左手に分岐する通称「女人街道」は、
取締り厳しい碓氷の関所を避けた女性の旅人が、和美峠を経て下仁田に抜ける裏街道だ。

借宿も古宿同様に中馬中牛で大いに稼いだ集落だ。
格子を有する古い家並みや馬頭観音も相当に立派なもので往時を偲ばせる。
借宿を過ぎると再びR18と合流して1kmほど西進すると標高1,000mのピーク。
ここから街道は佐久平に向かって下りはじめる。

追分宿に入る手前には追分一里塚。
多くが崩壊してしまった街道筋の一里塚にあって、南塚北塚一対が良く保存されている。

   

「追分宿」 16:40
 追分宿は中山道と北国街道の分岐点、宿場は大いに賑わったそうだ。
その様子は浅間神社隣の追分宿郷土資料館で知ることができる。
元禄年間で、本陣1、脇本陣2、旅籠71、茶屋18、商家28、戸数152で人口は900人弱。
女性が男性を200人上回るのは飯盛女をたくさん抱えていたから。宿場の賑わいを表す。

郷土資料館の先には、晩年をこの地で過ごした堀辰雄文学記念館がある。
記念館の入口には本陣の裏門が移築されている。「風立ちぬ」季節も間もなくだ。

追分宿は緩やかなカーブを切りながら下って行く。静かな家並みだが見所に事欠かない。
旧脇本陣の油屋旅館、広大な敷地の旧本陣土屋家、高札場、江戸期の建物も何軒かある。

諏訪神社・泉洞寺と街道に欠かせない社寺を見て、西の外れに枡形茶屋つがる屋が残る。

 宿を出ると追分宿の分去れ、常夜灯や石仏が立っている。
右は善光寺を経て越後高田へ至る北国街道。加賀前田家の参勤交代、佐渡御用金の道だ。
左はもちろん京都へと向かう中山道。
常夜灯には「さらしなは右、みよしのは左にて、月と花とを追分の宿」と彫られている。
月見の名所更科(千曲市)と花見の名所(奈良吉野山)を行き先に引いた詩情豊かな案内だ。

高崎から寄り添ってきたR18を左に離れ、静かな林と畑の中を佐久平に向かって下る。
本来振り返ると雄大な浅間山を仰ぎ見るはずだが、今日は一日雲に隠れたまま。
狩人は『右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道』と追分宿の分去れの情景を
「コスモス街道」に歌ったけど、やはりコスモスたちが高原の風に揺れている。

「御代田一里塚」 17:50
 しなの鉄道御代田駅近くには、御代田一里塚が残る。ここが第15日目のゴール。
軽井沢宿から沓掛宿、追分宿を経て御代田一里塚まで11.8km。
資料館などに寄りながら約5時間30分、高原の涼風に吹かれた行程でした。

風立ちぬ / 松田聖子

コスモス街道 / 狩人



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