長浜はもと今浜といい、佐々木高氏(ささきたかうじ)が室町時代の初め頃に出城を築いたのが長浜城の元と伝えられているそうです。「姉川の合戦」の後、羽柴秀吉はその功績により湖北三郡を与えられ、天正二年(1574)頃ここの地名を長浜と改め、城を築いて数年間居城としました。秀吉の家臣の山内一豊も五年程、在城したことがあるそうです。
江戸時代になり、慶長十一年(1606)徳川家康の家臣である内藤信成が入城し、その子信正が摂津高槻に移るに至り廃城となりました。時に元和元年(1615)の事だそうです。建物や石垣の大半は、彦根城の築城に際してリサイクル資材として使用されたといわれています。
ちなみに現在のこの城は鉄筋コンクリート造で、昭和五十七年八月三十一日に竣工しました。中は歴史博物館になっていて、入場料大人400円子供(小中学生)100円です。
(追記)手前に写っている古ぼけた石は石垣の根石(基礎となる石)で、長浜城の発掘調査の際に見つけられ展示されているものです。
江戸時代になり、慶長十一年(1606)徳川家康の家臣である内藤信成が入城し、その子信正が摂津高槻に移るに至り廃城となりました。時に元和元年(1615)の事だそうです。建物や石垣の大半は、彦根城の築城に際してリサイクル資材として使用されたといわれています。
ちなみに現在のこの城は鉄筋コンクリート造で、昭和五十七年八月三十一日に竣工しました。中は歴史博物館になっていて、入場料大人400円子供(小中学生)100円です。
(追記)手前に写っている古ぼけた石は石垣の根石(基礎となる石)で、長浜城の発掘調査の際に見つけられ展示されているものです。