思考の踏み込み

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それ以前2

2013-12-03 11:44:39 | 
ー 我々が自らの意思とは別に、明確に感じているもう一つの "意思" がある。

「本能」と呼ばれてきたものがそれに近い。 ーその大本を辿っていくと、遺伝子の性質にたどり着くのではないだろうか?

つまりより優れたものを、より強いものを、という直線的な膨張の仕組みである。
その仕組み自体は環境が変わってもなおそれに対応する可能性を常に有しているという点で、これ以上ない仕組みといえよう。

だが、その仕組みを作ったのがもし
"神" だとしたら、その仕事は完全だろうか?
産めよ増えよといっておいて、増えるだけ増えたら自ら海へ身投げするネズミのように、繁栄の先に "神" が人間に与えるのは数の上での淘汰だけなのだろうか?



しかし、あるいは神の仕事はやはり完全なのかもしれない。
あえてやり残しをつくることでそれを補完させる使命を我々にあたえているのかもしれない。

我々が生きていることも、人類が誕生した意味もそんなことは考える必要はないと思っていた。

意味や意義がなければ生きられないことは結局は人間の利己でしかないからだ。生きることはもっと自由なはずだ。

しかし、この広い宇宙でなぜ自我と知性を持った人類が生まれる必要があったのか、いや、人類だけがなぜそれを持っているのか。

もしかするとやはり我々にはなんらかの使命が託されているのだろうか?



それとも自我も知性も、象の鼻や、亀の甲羅の如く、単に生命の内容のある一方向への発露に過ぎないのか?


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