思考の踏み込み

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

南方熊楠3

2013-11-19 09:10:15 | 
生命が肉体的にも霊的にも一つの求心力によって"凝って"できた存在だとするならば、"死"とはその"力"の減退による分散のベクトルのことだといえよう。
この分散、分解のベクトルと同じ構造を生業としているのがまさしく菌界の住人たちである。

それは単に生物の体が土に還る手助けをするというだけの意味には留まらないのではないか?
我々が命として完全に消滅する前に菌界を通過しているのかもしれない。

心身が分かつことができない以上、物質的に菌界の処理にあずかれば、心もまたそこで分解されていくのではないか?
火葬であれ分解という現象は同じとして見れる。
昔から、死後の世界を様々に人間はイメージしてきたが、菌界こそまさにその世界の一つではないだろうか?

菌界の住人達が光を好まないように、やはりその世界は暗い闇に包まれていることだろう。
しかしそれは、けして悲しい世界ではない様に思う。



南方熊楠2

2013-11-19 08:25:23 | 
熊楠は粘菌(カビの仲間)は生と死を一つに持っているような生き物だ ーといい、生死の現象を追求した。

霊感の強かった彼はそこから霊魂の問題にまで踏込み、主要な研究テーマの一つにもしているが、自分が菌界に興味を抱いていたのも、この生と死の狭間を司る世界だと思うからである。

かつてある科学者は動物とも植物ともつかないこの不思議な生物群をみて他の惑星から地球に落ちてきた生命の原型ではないかと言っている。



また古神道研究のなかにもカビとは加美 ーカミに通じ、菌類の形態、いわゆるキノコの形 ーは男根や脳などと共通点がありこれまた生命のファーストモデルではないかとみる説がある。

さて、生と死の狭間と言ったが生と死を分かつことなど本来できることではない。
現代生理学と医学的見地からは三つの生体反射がなくなった段階をもって"死"と規定し、法制化している。

しかし、一般的なその死の段階から脊椎が完全に死を迎えるまでには14日間はかかるという。
そこで仏教でいう49日や神道における50日などの喪があるのだろうが、ここまでくると命とはたして何か?
さらには熊楠の様に霊魂とは? ーというテーマに入らざるを得ない。

ただここでそのテーマに触れるつもりはないが、生と死の狭間に於いて作用しているある種の力学的な構造について考えてみたい。

南方熊楠1

2013-11-19 08:00:11 | 
怪人、南方熊楠という人物の生涯とその研究の数々からは多くのことを考えさせられる。
彼がまた、あの時代に生まれ活躍したことの意味も我々は考えてみるべきであろう。



さて、まずは彼の主要な研究対象であった菌類について触れたい。

菌界 ー この不思議な闇の世界には以前から興味があった。

熊楠の時代では"顕花植物"に対して"陰花植物"として呼ばれ植物界に分類されていたようだ。(この"顕花"というテーマにはのちに触れたい)
が、今日の分子遺伝学などの研究によると、動物界、植物界とは異なり、生物界において独立した三つ目の界(kingdom)としてとらえられている。

学術的には真菌、細菌や変形菌、キノコやカビ、酵母などの"生物"の総称を菌類と呼ぶ。
外部の有機物を利用する従属栄養生物である ー とされる。
ここで菌類に関して学問的な論理を展開するつもりはないが、現代生物学の世界が菌界を独自の生物群として規定したことはおもしろい。