思考の踏み込み

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南方熊楠7

2013-11-21 08:42:29 | 
そもそも合祀令の目的は全ての神社を一定の基準で管理、維持するためであり、それは国家神道の為に過ぎず、本来の神道からははずれたものである。

本来の神道 ー それは八百万の神々を祭る道である。

神道の核をなす天皇家とその皇祖皇霊でさえ、神道の本質の中心部分の外壁でしかない。
従って神道とはけして単なる血族崇拝といったものではないと思う。

ーーー 菌界という、生命の始まりとおわりの場所をのぞき見ていた熊楠には、合祀令の不合理さが痛いほどによくわかったのだろう。

即ち彼は単なる民族学者でも、生物学者でもない。まして近年しきりにいわれている自然保護運動家などという背後に利権のからんだ連中のような中途半端な輩のハシリではけしてない。

熊楠こそは命の本質の最も奥深い所を見つめ続けた人物である。
そこはヤオヨロズの神々の住み給う場所であり、この真実は日本人でなければ理解できないという様なものではないはずである。

我々は南方熊楠という"人間"についてもっと知るべきである。
もっとも ー 熊楠自体が人間であるより、ヤオヨロズの神々の化身のような存在であるが…。

南方熊楠6

2013-11-21 08:16:24 | 
熊楠の功績のもう一つ大きなものとして神社合祀令に対する反対運動と、それに伴った自然保護運動がある。

日本史、というものをみたとき、どんな時代にも必ず重要な局面や危難の時代には回天の英雄があらわれ、正しい方向に歴史を導いてきた。

それが昭和前期に限って何故、国家指導者に人物がいなかったのか?
太平洋戦争の敗因を厳密にたどっていくと、明治39年という年がひとつのターニングポイントになっていることに気付く。

ー つまり、日露戦争勝利への驕りと、賠償金を取れなかったことに対する国民の怒りである。
ここで生まれたエネルギーはやがて軍国主義という姿に変貌し、300万人もの国民の血を見なければ止まれないほどに暴走した。
(ここに陰謀があったという歴史の事実はここではテーマが違うのでふれないが、軍国主義に傾いたという時代の空気はたしかにあった)

果たしてもっと前に方向転換することはできなかったのか?
奇しくも悪名高き"合祀令"が発表されたのも明治39年という年なのである。

「神無月」という言葉があるが、歪んだ国家神道によって、あたかも合祀令以降の日本には神々がいなくなったかの様に破滅への道を歩んでゆく。

ちなみにこの年にニホンオオカミも絶滅したといわれる。
オオカミは古代から日本では大神と名付けるほど神聖視された生物である。
これらはこじつけに過ぎないことだろうか?