思考の踏み込み

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数の原理5

2013-11-24 21:20:24 | 
宇宙を数学的に表現するとしたら、大まかにいって"秩序"と"無秩序"の二つしかないのではないか?

秩序とは即ち物質を形成する力である。
高次元の物質的な秩序は生命が生まれる可能性を有するであろう。
それは数学が踏み込むべき余地のある世界として捉えていい。

だが無秩序の世界においてさえ、より大極からながめれば、なんらかの秩序が見出せるかもしれない。
確率論が扱う世界や、不確定性原理という数論はそれに近い可能性を感じさせる。

ひょっとすると、"数"がもっている本質は宇宙そのものなのかもしれない。

だが、数字が人の書く文字である以上、その次元の世界までを数式で表すことは不可能かもしれない。

数学はかつて袂を分かった哲学や宗教的思索に歩み寄る必要があるだろう。



河図に曰く ー

"九を戴き、一を踏み、三を左(東)に、七を右(西)にし、二、四を肩とし、六、八を足となし、五は中央に居る。
縦横斜め何れより数うるもその数十五"

ここでいう、1だの2だのは単なる計数ではない。数の本質と向き合い、その性質を表現しているものである。

冒頭に挙げた不思議な数学的現象も何かこの数の本質における大きな原理の顕れなのだろう。

数の原理4

2013-11-24 20:55:35 | 
数の影響力は物質的世界のみにとどまるのではないかと、以前から思っていたが、そもそも物質的世界とそうでないものとの境界線自体どこにあるというのか?

経験的科学においては我々の世界は四次元に限られているが、純粋数学やある種の現代理論物理学では11次元まで扱うという。
しかも潜在的に次元の無限数があり、そのうえ異なる次元の無限の大きさの無限数があるといわれる。



ここまでくると果たして数とはいったい何なのか?
謎が深まるばかりだが、我々の知り得ている数とはほんのわずかに過ぎず、数の本質に迫ることは宇宙そのものをとらえる上で極めて重要なことであると思う。



ー 数は実在の対象ではない。私達はそれを全く経験的ではなく、抽象的な規則に従い取り扱う。数は時空には存在しない。もし"五性"といった、そのような質があるならば、例え全宇宙が五のグループを除く任意の組み合わせで群れを成す対象から出来ていたとしても、五性は実在の質であり続けるだろう。
五性の、そして無限を含むあらゆる他の数の質は宇宙が存在する前から存在した。それは宇宙が終わり果てた後も存在し続けるであろう。
これらの用語で、数を考えたとき、数の深い理解とは永遠で神的なものの深い理解と同じであるということがわかりやすくなる。
人間の中の永遠で神的である全て ー
言い換えると永遠の魂 ー は数と同じ領域に属している。時空を超えた領域である



J.キング氏の上の言葉には数に対する深い洞察がある。


数の原理3

2013-11-24 19:44:53 | 
なぜ数の間の関連性において"ある型"が発生するのか?

古来から多くの追求がなされてきたが、いまだにそれは謎であって神秘にとどまる。

数秘術の類のものはこうした所から生まれてくるのだろうが、数秘術が多く、占いなどに使用されて終わっていることは残念なことといえる。

しかし、魔法陣やダビデの星、洛書などはけして単なる占いの道具ではなく、数、ひいては宇宙の真理に迫ろうとするものといえる。

それは数学の根源的な姿でさえある。



そこでは1はただの1ではないという。
1は1として安らぎたいとは思っておらず、2あるいは他の数になろうと絶えず思っているといわれる。

2はピュタゴラス的体系によれば最初の数とされ、それは陰、陽である。
2の不一致はその不一致を解決する12を生むための6の調和によって抱合される、という。

こうした数の捉え方は本質的な数学の態度でありながら、処理的性格の強い現代数学とはもはや完全に一線を画してしまっている。



数の原理2

2013-11-24 18:35:21 | 
すぐ想像できることは数が物質と強い結びつきを持つものだということである。
地上において6や8という数を持つ(手足や葉、茎など)生物はいても11や13という数でもって生きるものはいないという。



しかし、このことは重力の影響、という点を思えば理解することは容易である。重力という縦の力を分散させるには偶数である方が有利であるからだ。

蜜蜂の巣が力強く整然とした六角形であることも、黄金比(1,61803…)を美しいと感ずる理由も重力その他の条件によるものに過ぎない。



鉱物は元素配列と結びつき方によって姿を変える。

物質を支配しているものは数の原理であり、数学とはその原理を読み解くために生み出されたものであった。

そのようにして生まれたはずの数字の世界において数が一人歩きし出したかのような不可解な現象が起きる。

冒頭の計算列やマイナス計算の概念、無理数や虚数、無限数、、、
あるいは友愛数や社交的数、、

数学者たちが大真面目に"不思議な数"と呼ぶもの(最小の不思議な数は70。諸因数の和が70自体を有り余る74となり非常に珍しい)


そして素数 ー。

ウラムの素数の螺旋模様。
初めて見たときゾッとしたものだ。

あと素数物差し。
欲しい… 。




数の原理

2013-11-24 17:53:14 | 
1の二乗=1
11の二乗=121
111の二乗=12321
1111の二乗=1234321
11111の二乗=123454321

あるいは ー

(0×9)+1=1
(1×9)+2=11
(12×9)+3=111
(123×9)+4=1111
(1234×9)+5=11111
(12345×9)+6=111111

ー 数におけるこうした現象は一体どう理解したら良いだろうか?
数字が文字である以上、人間の作り出したモノには違いない。
そもそも1だの2だのと正確にいえるモノなどこの世に本当にあるのだろうか?

人がいなくなれば数字なんてものは消滅するだろう。
いや、もっといえば生物の存在しない無機質の世界では(本来の宇宙の姿かもしれない) ー つまり感受体の存在しない世界では色や音さえ存在しなくなるだろう。



だが、その世界においてさえ、数の原理は厳然と息づいている。