思考の踏み込み

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

謙信3

2013-11-26 08:35:25 | 
謙信個人にもう少し迫ってみるとどうであろうか。

何故かれは生涯不犯をかけてまで、毘沙門天に戦勝を誓い、そして実際いかにして勝利を掴みつづけたのか。



司馬遼太郎は謙信は戦を芸術のように捉えていた、といっている。
たしかに謙信は一武将としてみるより、芸術家としてみた方がしっくりくる部分もある。

だが澄んだ世界観を持つ芸術家にありがちな世間性の無さというものはない。むしろ強い経済力を持ち(交易とそのルートの確保)、戦のときには同盟などの下準備を十分におこなっている。

それでいて例えば武田信玄のような俗っぽさは微塵も感じさせないのだから、いよいよ不可解な存在である。

もし謙信がせめて女好きであったとか、酒が弱いとか、あの武将にだけは勝てなかったとかいった話が一つでもあればまだ近づくことができるのだが…むしろいっそ、俗説の一つにあるように謙信が女性であったなら、ジャンヌダルクのように神懸かった存在として理解しやすいかもしれない。



いずれにしても謙信個人の成立に関しては当時の過酷な謙信を取り巻く環境があったことは間違いない。それは資料を徹底して調べればある程度までは近づけるだろう。

となると、残るのは芸術の題材としての謙信である。
いうならば、駿河湾から見る富士山のように、定型化されつくし、のび切った美というか、よほどなにかきらめく一点を与えなければ難しいだろう。

といって芸術の対象にはなり得ないかというとそんなことはなく、謙信の一歩、一挙手が即芸術のような所があるといっても過言ではない。
世の芸術家の方々に期待したい。