"線"とは点の延長であり、即ちそれは時間の経過を意味している。
当然そこには速度があり、速度を決定する力が存在する。
力もまた質の差があり、波もみてとれる。
かくて同じ様な線であっても、鋭さや柔らかさ、しなやかさや力強さといった内容の違いが出る。
またこの"力"を実際に表現するには、迷いのない心が必要であるし、その心を持つために鍛えられた身体と、それに伴った技術が要求される。
これは描線に限ったことではない。
構造物の曲線美を作り出すこととて同じであろう。
古来、名刀と呼ばれてきた大業物たちの反りやツバ元の曲線の美しさ、あるいは二天宮本武蔵の「古木鳴鵙図」における枯れ木の線の鋭さ。
ー これらは女性美への憧憬という構造など遥かに超越している。
そもそも機能美というも、そこに秘せられるは線が内包している"力"を有しているところにある。
静止している中にもそこに機能性を感じれば我々は美を想う。
もちろん、命そのもの、形ある事象全てを美しいと観ることも人間の心の豊かさにあっては可能なことだが、ここでは対象としていることは、例えば四肢の短いポニーよりサラブレッドの方に美を感じる我々の心理のことである。
早く走るという機能性だけを観ればサラブレッドの美しさは他を圧しているといえる。
(武田信玄の騎馬隊がサラブレッドをみたら、美しさより弱々しさを感じるかもしれないが)
ただ、ここでいえることは比率の問題である。
当然そこには速度があり、速度を決定する力が存在する。
力もまた質の差があり、波もみてとれる。
かくて同じ様な線であっても、鋭さや柔らかさ、しなやかさや力強さといった内容の違いが出る。
またこの"力"を実際に表現するには、迷いのない心が必要であるし、その心を持つために鍛えられた身体と、それに伴った技術が要求される。
これは描線に限ったことではない。
構造物の曲線美を作り出すこととて同じであろう。
古来、名刀と呼ばれてきた大業物たちの反りやツバ元の曲線の美しさ、あるいは二天宮本武蔵の「古木鳴鵙図」における枯れ木の線の鋭さ。
ー これらは女性美への憧憬という構造など遥かに超越している。
そもそも機能美というも、そこに秘せられるは線が内包している"力"を有しているところにある。
静止している中にもそこに機能性を感じれば我々は美を想う。
もちろん、命そのもの、形ある事象全てを美しいと観ることも人間の心の豊かさにあっては可能なことだが、ここでは対象としていることは、例えば四肢の短いポニーよりサラブレッドの方に美を感じる我々の心理のことである。
早く走るという機能性だけを観ればサラブレッドの美しさは他を圧しているといえる。
(武田信玄の騎馬隊がサラブレッドをみたら、美しさより弱々しさを感じるかもしれないが)
ただ、ここでいえることは比率の問題である。