思考の踏み込み

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南方熊楠5

2013-11-20 20:01:29 | 
我々の行動心理にも"花を咲かせたい"ということはみてとれる。



目的の設定と達成、あるいは「晴れ舞台」などということなどで内的エネルギーが満たされる現象のことだが、それはエネルギーの循環のシステムが、行動心理に組み込まれているからなのではないだろうか。

この巧妙なシステムは循環するために方向を転換する。
その極まった点が即ち"花"であり、一方では闇と同化する"死"なのであろう。

このシステムはしかし、仏教的な"輪廻"などのような俗っぽい思想とは似て非なるもので、宇宙を動かし、形づくっている大本の"何らかの力"の法則性である。

南方熊楠という、19ヶ国語を解し、尋常ではない頭脳を持った男はまるで富貴とは無縁で自由奔放な、およそ人を人臭いとも思わぬ人生を歩んだ。

その生き方はまるでその宇宙の"何らかの力"がそのまま地上に顕形し、暴れ回ったかのようであり、彼の様な人物を同民族に持ったということを我々日本人はもっと知るべきであろう。

南方熊楠4

2013-11-20 19:43:51 | 
そこは悲しい世界ではない ー むしろ一つの役目を終えた命が安らかに眠るためには"闇"こそ必要なのではないか?
(神道の葬儀では"浄闇"といい夜とり行うという思想がある)

その闇の中で ー 枯葉が土を豊かにしていくように ー 再びある種の力が蓄えられ、一定の凝縮力となったとき、新しい生命の形として光の差す方向をめざしてゆく。
菌類の生態を考えるとそこには生命の循環のシステムの要となるべき構造があるように思われてならない。

しかし、こうして考えてみると以前から不思議だった"花"のことも少しわかってくる。
はじめに"顕花"という言葉にふれたが、いわゆるそれは、植物上の花のことではなく、哲学的な意味における抽象的な謂である。



「百花誰が為に咲く」と古来言われてきたが、"花が咲く"というこの現象はなんの為、やそこに目的があるからではないように思う。

静かで安らかな闇の中で育ったエネルギー(ここでは命)はより成長しようと光を目指す。

光と闇。その循環のシステムにおいて一つのピークをなしているのが即ち"花"なのであろう。