思考の踏み込み

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時空3

2013-11-29 09:56:00 | 
もちろん我々が感ずる時間感覚というものは呼吸や心音、脈といった要素が刺激として ー 触覚や内臓感覚を経て ー 考えられる。

光や音はその生まれる場所を頭で考え、理解しやすい。

だが時間と空間はその発生の大本を中々、日常的な頭では理解し難い。



光や音ですら時間と空間がなければ成り立たないのであるから、宇宙の本質は時間と空間にあるといっても過言ではないかもしれない。

かつて、ギリシアの哲学者が「時間をずっと遡り、発生の瞬間までいったとすると、それ以前はどうなっていたのか?」と、問われこう答えたという。

「世界も時間も神が作った。それ以前はだから時間など無かった ー 」

話術としてはうまいが、本質に迫っている言葉とはいえない。

よく "時が止まる" というが、本当に時が止まったら世界はどうなるだろう。
漫画のように静止状態を維持するだけだろうか。
だがその状態を時が止まった、と本当に言えるのか?
本当に時がとまれば宇宙はどうなるだろうか ー

時は止まっていても、止まっていた "時間" はやはり存在する。
逆に "宇宙" という空間がなくなったらどうか?時間など存在しえないだろうか?
時間と空間がぶつかるなどという仮説は成立しないことははじめからわかっているが、あえてそこからモノを考えると思考は思いのほか発展する。



変則的思考の踏み込みとでもいうべきか ー 時空、もう少し続けてみます。

時空2

2013-11-29 09:39:29 | 
では 「時間」とは何か?
時間もダークマターのようなものか?

もし、そうだと考えれば時間と空間が衝突したという仮説も、多少イメージできる。

我々は視覚を持っている。
そしてさらに触覚と三半規管でもって「空間」 というものを頭で理解する事は比較的たやすい。




だが、「時間」となるとよくわからない。 "気" などよりはるかにその存在を明らかに感じることはできるのに、その本質はぼやけていてなかなか近づけない。

時間は空間がなければ存在しない。だが空間も時間がなければ広がり得ないのである。

単に時間とは人間の感覚と知性が作り出したものだ、といってしまえばそれまでだが、果たしてそうだろうか。

例えば "色" とは何か?となると、光(電磁波) の中の可視光という部分を人間がだいたい七つに区切って見ているもので、それを感受する生体がいなければ本来、色などはない。



といってもこれは的を射ているだろうか?
例えば "痛み" はどうか。
これも生物がいてそこに刺激が加わることで存在する感覚である。

だがその刺激を感ずる能力がないとしても、だからといってでは何の刺激もなかったのか、というと明らかに否 、
である。

そうすると、色も刺激であるし、味も刺激である。
では "時間" も何らかの外的な刺激なのだろうか?

時空

2013-11-29 09:04:04 | 
ビッグバンという現象がある。
いやあったとされている。
それが宇宙の始まりであるという。



ではビッグバンの前はどうなっていたのか、というと誰も答えられない。
仮にこんにちの膨張宇宙論の逆の現象が起こっていてその結果として、ビッグバンが起きたという循環説をいっても、ではそれ自体の始まりは?というとふりだしに戻る。

ー こんな事をいった人がいた。
ビッグバンとは空間と時間が衝突して起きたのではないか ー 。

空間、即ち極限の高密度状態にあるある一点に、"時間" といものがぶつかることで宇宙は始まった、というのである。
全く別の分子と分子が融合して新しい物質を生む科学反応と考えればこれは荒唐無稽な空想ではないかもしれない。

我々は目に見えないものを実感として感ずることはなかなかできない。
例えば "気" というものは何千年の昔からその概念は存在し、日常語にも溢れているにも関わらず、社会の中での地位はけして高いものとはいえない。

だが、「気まずい」とか「気楽」などの感覚は誰でもなんとなく感じていることである。

あるいは近い将来 "気" や "氣功" といったものが科学的に証明されるときが来るかもしれない。

あまりうまいネーミングではないが、暗黒物質 ー ダークマター説の登場などはそれに近づいているものとみてもいいだろう。




かつてガンマ線やX線もそうであったように、人間が "知り得た" としている物質は全宇宙のわずか数%しかないのである。