白寿を目指す抗衰老ライフへの誘い

慣れ親しんだ新容器野菜養液栽培に別れを告げ、新たに取組んだ老人の終末課題の経過発信を続けさせて頂きます。

―ミカンの美味しい季節の陳皮つくり!―

2016年12月05日 | 日記

12月に入ると、地域毎での冬らしい安定した天候が続くようになりますが、晩秋から冬に掛けて多く出回るようになる冬ミカンの美味しい季節の到来でもあります。

その冬ミカン、昔からリンゴと並んで、この時期の美味しい果物であり、冬野菜と共に栄養的に多く摂取することが冬の健康管理の源です。 

しかし、昨今は、小人数の核家族や一人暮らしが増えて野菜や果物の消費単位量が減って居り、纏めて買い求める数量が少なくなったせいでしょうか、昔のように箱詰めされた段ボールミカンが店頭に積み上げられる姿を見掛けるのも少なくなりました。それだけ皆さんが冬ミカンを昔ほどは食べなくなったと言う事などでしょう。

 

―美味しいミカンの季節到来!-WebImagesより

其の冬ミカン、一般に温州ミカンと呼ばれ居り、古くから日本で栽培されてきた果物ですが、其のルーツ、今一つはっきりしていません。

拙宅には温州みかんでは無い、樹齢60年を超えるミカンの古木があり、今年も沢山の実を付けています。

それが古くから日本国内で栽培されていた柑橘の一種の柑子(コウジ)と言われ、8世紀頃に中国から渡来したとも言われる(一説には「タチバナ」の変種)であり、昔は埼玉県の寄居町の風布で作られていた在来種の風布みかん」と呼ばれているミカンです。

その果実、温州ミカンよりも糖度が低くて酸味が強く、種は多く食用にはとてもならないミカンであり、唯、樹勢が強く、耐寒性に優れている為「ウンシュウミカン」の露地栽培が難しい寒冷地でも育つので、東京でも十分育つと言われてわざわざ苗を一本購入し、庭に植えたのです。

―今年も多くの実を付けた拙宅の柑子(コウジ)ミカンー

その柑子(コウジ)ミカンとは違う温州ミカンについての和歌山大学経済学部非常勤講師の方の書かれたネット記事を見つけました。

温州ミカンのルーツを探る話であり、大変興味を持って読ませて頂きました。其の一部を参考までに、下記にコピペさせて頂きす。

 今、日本、世界には数百種類ほどのみかん科の果樹つまり柑橘があるという。その中でも日本人に一番身近で親しみのあるのが ‘みかん’の愛称で通用している「温州みかん」である。そして、その本場とされているのが和歌山県の有田であり「有田みかん」である。

みかんが市場価値をもってから400年余りが経過し、有田地方の農業といえば「みかん栽培」が大宗を占め、天下に冠たる特産品となっている。400年の歴史の間では品種改良等があったとはいえ今も変わらぬ消費需要があることは、日本の産業史でも特異な存在であろう。
さて、そのみかんは、’98年から新たな脚光を浴びている。それは「健康食品」であることが再認識されたからである。「みかん」にはビタミンCが豊富であり、体内の浄化を進め、活力源となるペクチンやクエン酸が多く含まれる。更にカロチン、カリウム、カルシウム、リン、糖質、蛋白質も含有され、健康保持に大変良い果物である。

そのみかんが更に世界的に脚光を浴びる事となった。’98年5月にみかん類の成分研究をしていた農林水産省果樹試験場かんきつ部が「温州みかんの果肉には、ガン抑制物質が含まれる」というニュースを発表したからである。温州みかんの果肉に含まれる色素「ベータ(β)・クリプトキサンチン」にガンを抑制する作用があることを発見したのである。
その物質の含有量は輸入オレンジの100倍という。そのことから、みかんを一日2~3個食べることによって、ガンの予防効果が期待できるとの事である。

アメリカでは最近、オレンジに代わり日本の温州みかんが消費を伸ばしている。みかんは大きさが手頃、ナイフ無しでテレビを見ながらでも手を汚さずに食べられる。そして、ガン抑制の効果があるということです。・・・

 

―和歌山の温州みかんのパンフー

その「温州みかん」の名は、文献では1833年の「南海包譜」に記され、1848年の岡村氏の桂園橘譜に紹介されている。天保年間(1830年から1843年)にかけて完成した「紀伊続風土記」巻之九十五物産第三の項に 「温州橘」が有田で栽培されていたことの記述がある。これは「温州蜜柑」のことであろう。しかし、「温州みかん」の名は誰がつけたのかは不明である。

名付けた当時の人たちは、自分たちのミカンの多くは、中国浙江省の温州地方から入ってきている。今回発見されたミカンも温州地方からのミカンのお陰であると。そこでミカンの産地で名高い「温州」の名前が冠せられたのではなかろうか。だから紛らわしいが、温州みかんは、必ずしも「原産地」を意味するものではないと言える。

その「温州みかん」は鹿児島県出水郡長島(現東町)が原産地である。中国浙江省や黄岩県から伝来していた 「早桔」か「慢桔」または「天台山桔」類のミカンが、長島で『偶発実生』したもので、時期は《江戸初期》のころ発現したものであろうと結論された」としている。

その後、昭和11年(1936年)に、鹿児島県果樹試験場技師岡田康雄氏が、出水郡東長島村鷹巣(現東町)山崎司氏の畑地において、樹齢300年以上と推定される温州みかんの古木(岡田氏はその樹は接ぎ木しているので先代があったと思われるとの記録を残している)を発見し、田中博士の推論の正確なことを実証した。

また、岡田氏は出水郡下で樹齢100年、120年、150年の古木も同時に発見しており、それらと対比して樹齢300年と推定している。その木は幹周180センチ、樹高7メートルの巨木であったが、原木は惜しくも太平洋戦争で枯死した。しかし、その側に原木から接ぎ木した三代目(岡田氏の発見した古木は2代目)が育っているという。
なお、田中博士は偶発実生の温州みかんの原木は中国からの早桔、慢桔、天台山桔であろうとしていたが、最近にいたって農林水産省果樹試験場カンキツ部でのDNA鑑定では「クネンボ(九年母)」に遺伝子が似ているという研究がある

 

―【九年母】―

九年母(クネンボ)(室町時代伝来)はインドシナ原産で、南中国から沖縄を経てわが国に伝来し、紀州みかんや柑子とともに江戸時代までの日本の主流品種であった。果実は温州蜜柑に似て、扁球形で大果、糖、酸ともに高く種が多い。独特の臭気があり、人により好き嫌いあるミカンである。現在は経済栽培されていない。
 さて、突然変異に発現した「温州みかん」は当時、肥後の国天草郡西仲島(鹿児島県長島となり 現鹿児島県出水郡東町)であったことから「なかじま蜜柑」や「長島蜜柑」と呼ばれていた。その後は「唐みかん」や「李夫人(リウリン)」とも呼ばれる。

「温州みかん」が文献に登場するのは、1833年の南海包譜に「李夫人、一名温州蜜柑」との記述がある(日本マンダリンセンター調べ)。次に嘉永元年(1848年)に書かれた、岡村尚謙の「桂園橘譜」に「温州みかん」が写生図で紹介されており、これが温州みかんの正確な記録を載せた最初とされている。これを明治の碩学者田中芳男、池田定之等の諸氏が採用し、その後農務省を中心として此の名が広く用いられようになり、『温州みかん』に統一されたという。

天保2年(1830年)P・F・フォン・シーボルトは長島みかん(温州みかん)を初めて欧米に紹介している。続いて明治9年(1876年)G・R・ホールが温州みかんの苗木を初めて米国に輸出した。この苗木は薩摩から出荷されたので「サツマ・マンダリン」(Satsuma Mandarin)が英文名となっている。 

 

今年もたわわに実を付けている近隣の温州みかんの宮川早生―

以上ですが、今では気候的に東京でも 「温州みかん」は充分育つようになり、自宅周辺を愛犬の散歩ついでに見て回ると、庭先に黄色い実をたわわに付けたミカンの木を多く見掛けます。

 拙宅にも、樹齢20年程になる温州みかん 「宮川早生」が一本あるのですが、孫娘の誕生記念に出生地の東京練馬区から支給されたものであり、今では10数キロのミカンが毎年収穫できます。

 温州みかんは日本の気候風土に適しは果樹であり、すこぶる丈夫で放って置いても良く育つのであり、基本的な手入れのポイントさえ押さえて置けば簡単に栽培できますし、自家消費に足る収量もその味も、スーパー等での一般向けの市販品よりも、美味しいミカンの収穫が充分楽しめます。

 

ヒヨドリは狩猟鳥になっている農害鳥―Wikipediaより

唯、拙宅の悩みの種は、ミカンの完熟期を狙って決まって来襲するヒヨドリであり、放って置くと次々と完熟果からミカンに穴を明けて食い散らかしするのです。

其の対策、完熟迄待たずに実が適度に色付いたらヒヨドリの襲撃の前に収穫して仕舞い、屋内貯蔵で酸味が抜けて甘みが乗るまで待つ事です。

 

―今年の柑子(コウジ)ミカンのアップ写真―

其のヒヨドリ、憎らしい程ミカンの美味しい味を知っているのであり、今年も亦、たわわに実を付けている「風布みかん」には目も呉れず、近寄る事すらしないのです。

其のヒヨドリにも嫌われる柑子(コウジ)ミカン、当然無農薬、無肥料の放任栽培であり、今年も亦、自然の儘の剥いだ皮を乾燥して、陳皮作りに利用するしかありません。

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