昨日3月最後の日は朝方のみぞれ。
今日エイプリルフールにして、20年度のスタートの日。
そして一日中強風が吹き荒れた。
仙台では瞬間最大風速30.1メートルを記録。
帰りは歩いていても両方の頬が冷たくなる。
とんでもない年度末と年度始めでした。
個人的な話ですが、実は昨日無事?定年退職と相成りました。
長いような短いような30余年でしたが、考えてみると働いていた期間は昭和よりは平成の方が長かったのですね。
いつの間にか平成の時代は20年目に入ってしまいました。小渕官房長でしたか年号は「平成」とすると発表したのは。
平成生まれの人が成人を迎えるということになります。う~ん、道理で年をとるはずです。
自分としては「昭和」という激動の時代を生きてきたという感じがとても強いのですが、これは今後何年生きながらえようとも、平成を生きたというよりはやはり基本は昭和を生きてきたと思い続けることでしょう。
極端にいえば、平成は付録、または余生とでもいってもいいと思います。それだけ昭和という時代は自分にとってはそれなりに強烈な時代であったということでしょう。
まだまだ自分にとっての昭和というものを総括はできてはいませんが、死ぬまでには何とか総括してみたいなと思っています。
定年退職の発表から変な方向に話が進んでしまいました。
昨日定年退職を迎えましたが、今日からは別のところで働いています。その意味では、働くということでは継続しているわけですが、勤務条件等は全く変わっています。あくまでも年金が全額支給されるであろう64歳までのつなぎですので致し方ないことですが、働けるだけでも感謝です。
健康には十分注意しながら、勤労の義務を果して生きたい(=いきたい)と思っています。(憲法第27条第1項)
花束や記念品を一杯貰いました。今打ちの中は花だらけです。いいものです。ありがたいことです。感謝感謝です。”非常感謝 fei chang gan xie”です。
この前の日曜日ですか、釣具店に行ったところ、ちょうど鮎竿を伸ばしている髭面の帽子を被った人から名前を呼ばれました。
最初は誰か分からなかったのですが、仙台市内の某鮎釣りクラブの会長でした。大分やつれていたのでどうしたのかと聞いたところ、ガン、肺がんで入院していたとのこと。
丁度私と同じ年なのです。去年秋の健診で肺がんが見つかり、片側の半分を切除し、ガンの転移はないようだが念のためということで、抗癌剤の投与を続けたというのです。
先生はこのガンの状態は軽い方だといったとか、だけど抗癌剤の投与は本当にひどいものだといっていました。1週間は吐き通し、船酔い状態だったといいます。
正式な退院は6月とのことで、何とか宮城県の鮎の解禁には間に合うと言っていましたが、すでに山形県の全河川でのアユ釣りが可能な年券を、仲間に買ってきてもらっているとのことでした。
そういえばタバコが好きで、竿を出しながらもタバコをくわえていたものです。1日に2箱も吸っていたと言います。これでは当たり前、自業自得でしょうか。
これからは「細く長く」5年生存を目指して生きていくということで意見が一致しました。是非ともそうあって欲しいものです。
そんなことがあったものですから、本当に健康は大切、何よりも大事なことと改めて思った次第です。細く長く丁寧に自分の体と付き合って”生きたい”と思います。
写真の説明等は明日にさせていただきます。
これからもよろしくお願いします。