昨日夜の大きな地震、驚きよりもショック、衝撃でした。何で4週間も経ってから、余震もかなり落ち着いてきた感じだったのに・・・。
もうこのところ早寝早起きが習慣となっているので、昨日も10時30分過ぎには布団に入りました。 まさか、地震で飛び起きることになるなんて思いもよらず。妻は私よりも先にお寝んねしました。
寝てから50分過ぎ、突然突き上げられるような強い振動。背中から飛び上がるような感じ。ガバッと飛び起きたものの、なす術もなく上半身を起こした状態で、周りを見回す、このところ地震恐怖症になってしまった妻はもう泣き叫ぶ始末。抱いて落ち着かせようとしますが、縦揺れから横揺れの地震のエネルギーに振り回されるのみ。
ちきしょう、何でこんなに次から次と大きな地震が襲うのか!!妻を落ち着かせながら、悔しさと怒りの気持ち、そして恐怖心で自然を呪い、揺れに身を任せるのみ。何とちっぽけな存在であることか。ただただ、おびえて震えているのみ。子どもは風呂に入っていた。風呂場での大きな地震は、そうでないときよりもかなり恐怖が増すはず。とっても恐かっただろうと思う。
でも、救いは3月11日ほど激しい揺れは長くはなかったこと。決して短くはなかったけれど、本震と比べたらかなり短い。これは助かった。
何とか揺れも収まり始めて、ふとんから立ち上がり、電気をつけ、テレビもつけ、懐中電灯を探して2階をチェックしてから1階へ行き、状況確認。そしたら停電となる。またロウソク生活かと思ったところ、電気がつく。嬉しかった。その後消えることはなかった。1階、2階とも部屋の状況は、3月のときよりはましであった。金魚の水が飛び散ってかなり少なくなっていた。今魚だってびっくりしたろうと思います。同じ生物として、大丈夫だったかと連帯意識を感じますが、おかしいですか。
二つのタンスが動いていました。タンスの上のこまごまとしたものは箱に収納していたので、飛び散ることはなかった。机の上のものは落下しているがこれは想定内。
家の中はとりあえずは大丈夫と判断し、テレビで地震の様子をみる。震源地は宮城県沖で、M7.4、仙台市宮城野区で震度6強、青葉区は6弱とか。外からはサイレンの音が聞こえてくる。職場は大丈夫か、すぐに着替えて、大丈夫だろうと判断して自転車ではなく車で職場へ、懐中電灯や鍵をもって。 職場に近付くにつれて、暗くなる。電気がついてない、信号も止まっている。
いつもは明るい電気がついている二台の自販機も停電につき暗いまま。非常灯のみ作動してついていた。敷地内の9つの街灯も暗いまま。 (また揺れている。) 鍵を開け、セコムを解除して、中に入る。事務室内はほとんどの机の引出しが外に出ている。でも、キャビネットやテレビの倒壊はなく一安心。懐中電灯を持って、建物内を調べて歩く。事務室以外は大したことはないと判断し、鍵を掛け、セコムをセットして(停電だったが、セットできた。)帰途につく。
帰宅してテレビを少し見てから、服を着たまま布団に入る。ラジオを点けっ放しにして。当然なかなか眠れませんでした。
幸い今回も我家は停電することもなく、水道・ガスも使える状態でした。停電は午前10時過ぎくらいまで続いたでしょうか。職場の周りは停電ですので、マンション等は水道も使えないところもありました。午前中水汲みにきたのは4組くらいですか。ケータイの充電に来た人もいました、一人のみ。
東北地方全体(6県)で400万戸も停電したようで、考えてみればすごいことですよね。水は絶対なくてはならないものですが、電気もあるのとないのとでは雲泥の差です。
今回の余震は、1978年に起きた宮城県沖地震と震源地や規模等はよく似ているのですが、精査してみないとわからないとは大学の先生の話しです。もう勘弁して欲しいですよね。3月11日の本震が宮城県沖地震を吸収してくれるか、4月7日の地震が想定されている宮城県沖地震であってほしいものです。
津波が押し寄せなくて本当に良かった。