今朝ですか、とうとう今夏初の?最低気温が20度を切りました。午前6時に19.1度を記録したようです。でも午前5時では20.0度でした。 たしかに今朝方はもうすっかり秋の気配でした。寒いとまでは言えませんが、空気の涼しいこと、否が応でも夏が終わった、秋が来た、と思わせます。
実はその時私の心の中で何を思ったと思いますか? ああ、もう鮎釣りはお仕舞だ、と。もう鮎釣りをやめようか、鮎釣りの道具や仕掛け等を仕舞ってしまおうか、と。
でもお昼過ぎには外は明るく、眩しく夏の気配が漂い、陽射しも暑く感じるようになりました。まだ早い!鮎釣りを止めるのは!と考え直した次第です。どこまで愚かなニンゲンなのか。だからニンゲンなのか。それニンゲンなのだ?
(きのうと同じ釣り人のようです。ガラガケで掛かるのでしょうか?)
でも朝方の河原の様子はすっかり変わっています。ここ3日間ほとんどセミの鳴き声は聞こえません。対岸の崖の上の大木からも聞こえません。 より正直に言えば、きのう散歩の帰り道でクルミの木で力無く鳴くミンミンゼミが1匹いました。最後の雌を呼ぶ鳴き声なのか。
しかし、きょうの午前家の居間にいるとき、近くの木で何となんとナントツクツクホーシが鳴き始めました。 いやあ嬉しかったですね。しかもワンセットだけではなく、一回鳴き止んでからもまた鳴いてくれました。ツーセットのツクツクの鳴き声を聞きました。まだ居たんだ、もう少し長生きしてくれ!と祈りたい気持ちで聞きました。
午後からの夏を思わせる天気、気温でセミたちは元気を取り戻すかもしれません。そうあってほしいですね。
少し前に、塚本晋也監督作品「野火」を紹介しましたが、彼をしてこの作品を完成させた原動力は、もう実際に戦争にいった人たち、戦争を経験した兵士たちが居なくなってしまうという危機感でした。彼らが少しでも生きている間に話しを聞いて書き留めておこう、という気持ちでそれを作品に昇華させたわけです。
以下は朝日新聞の「声欄」から引用させていただきます。
岩手県の戸蒔さん(83歳)の投書から。『 80歳を過ぎ、「生きていても、だれの役にも立っていないなあ」と思うことが増えた。91歳で逝った夫の新盆を済ませてからは、なお、そう思った。 でもこの8月、幾たびかの黙禱を重ね、木がついた。戦争を体験した者が子どもや孫に、戦争を知らない人たちに、戦争は二度と繰り返してはいけないと伝える役目がある、ということに。 』(八月三十一日)
東京都の石井さん(84歳)は連歌で訴えています。『 八月の今年も来たり十五日 屍の山三百幾万 密林にいまだ白骨野ざらしに お国のためと兵士は哀れ 神国が戦に敗れそのあとに なんにもせずにハイ民主主義 』という連歌のあとに、『最も大事なことは、政府・日本軍のどの部署のだれにどんな責任があったのか、徹底的に解明することだった。・・・。いわば他人任せ(極東国際軍事裁判のこと)であいまいにしたまま、戦後を過ごしてきた。。その連続の上に、今日の日本がある。』(八月三十一日)
9月3日の神奈川県の横山さん(66歳)の投書です。『 戦争を持ち込んでくるのはいつも政府だ。この日(8月15日のこと)は、政治家こそが不戦を誓う日ではないのか。・・・。戦争をする政府に税金を払いたくはない。だが納税者が、政府に徴兵された時代があった。本来は納税者が雇用者であり、政治家は被雇用者なのだ。税金は平和のために使われるべきであり、政治家には戦争を回避し、平和構築に努める責任がある。 』
河原はセミの時代が終わり、虫の、昆虫の時代となっています。