きょうは朝7時過ぎから川へ行ってみました。
予報通り今日はあったかいです。もうすぐ午後3時になりますが、目下の最高気温は15.1度です。午後0時31分の記録です。そして、最低気温は午前6時57分の2.1度でした。
2階の私のパソコンのそばの書類や本等の棚、きのうの夜はものの見事に崩れ落ちまして、きょう午前中から午後までかかって何とか復旧しました。ついでにたくさんのものとおさらばもしました。こういう時でないと捨てられないというか、諦められないですから。
いやあ、それにしても昨夜の大きな揺れには参りました。きのうは午後10時30分過ぎに布団に入りました。妻さんも11時前には布団に入りました。きょうも何ごともなかった、無事終えることができたと感謝したわけではないですが、それがだめだったのか、夜11時7分ですか、一気に大きな揺れに見舞われました。
今までの地震ですと、最初は緩やかにゆっくりと揺れ始め、徐々に強く大きくなっていくものですが、昨夜は一気に大きな揺れに襲われたという感じです。地震には敏感となっていますので、ガバッと上半身を起こしました。
妻さんは慌てて泣き叫び、パニック状態です。10年前もそうだったです。まあ、誰だって地震は嫌ですよ、恐いですよ、できれば経験したくないですよ。でも火山列島の日本は自身から逃れることはできません。宿命ですね。
でも、いくらそう思ったって、地震は怖いです。昨夜は一気に強い揺れに襲われ、しかも徐々に強くなっていく感じで、すぐにこれはやばいぞ!もしかして倒壊するかも?なんて思いながら、妻さんをなだめつつ布団に入ったままです。上半身は起こして。
どちらかというと縦揺れに近い揺れかなと思いつつ、揺れに耐えていました。目の前の箪笥の上のものは布団に落ちてくるし、三角コーナーに掛けていた洋服とかも落ちてきます。やばい、やばいと思いながら、早く止んでくれとただじっとしているしかなかったです。
10年前の地震の時は1階にいました。徐々に徐々に揺れは大きくなっていきます。巨大な波に大きな周期でもまれている感じでした。それがいつまでたっても止むことがなく、あの時はもうこれはダメだな、家がつぶれてしまうかもしれないと思いつつ柱によりかかったままでした。
パニックになった妻さんはうちは掘りごたつでしたので、こたつの下に潜り込ませました。立ち上がって外に逃げようとか、逃げられるように出口を確保しよう、という行動はとりませんでした。とれなかったのかなあ。動けなかった。
ただ、1階よりは2階にいた方が、家がつぶれても助かる確率は高くなるだろうなとは思っていました。昨夜は上半身を起こして布団に入ったまま、地震の揺れが収まるのをただじっと待つだけでした。
ありがたかったのは、揺れが長くはなかったことですね。助かりました。ゆれが小さくなってから、起きだして2階と1階の各部屋の状態をチェックしました。小さい揺れはやみません。その結果は、思ったよりも棚等から物が落ちてきていたということです。
でもその割には壊れたものは少なかったのでまあよかったかな。そうそう、起きたらすぐにテレビをつけました。やはり全体の状況等を把握したいものです。さいわい停電にはなりませんでした。
そういえば、10年前はほとんどの家庭で停電・断水し、ガスが止まりました。でも今回はそういうことはこの周辺ではありませんでした。
一日経って、仙台ではあまり余震は感じなくなりました。福島県は多いようですが。マグニチュード7.3、震源は福島県沖、震源の深さは55キロですか。震源が深かったので、津波は起きなかったようです。
M7.3で直下型の地震だったらと思うとぞっとしますね。恐ろしい限りです。阪神淡路の大震災や熊本大地震のことを思うと、胸がつまります。さぞかし恐ろしかったことでしょうし、寝ながら自宅が潰れてしまったりしたらと思うともう身の毛がよだちます。本当につらいことを経験したのですね。
10年前のことを思い出すと、本震は3月11日ですが、その前の9日にも大きな地震がありました。これが宮城県沖地震かと思ったものです。まさかそれから三日後にM9の地震が来るとは・・・・。そして4月7日にも大きな余震が来ましたね。
今回の地震も10年前の地震の余震とみられるとかいっていましたが、自然界は想像を絶しますね、恐ろしい面もあるものです。いったいいつになったら収束するのか。
日中はほとんど揺れを感じなかったので、夜が怖いです。穏やかに過ぎ去りますように・・・・。