鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

入学式、学校もスタート

2018-04-09 16:22:20 | 思いつくまま

 

              (午前9時20分過ぎ)

        

 

 きょうも朝方は結構寒く感じましたが、仙台の気温の状態を見る限り、お昼には13.4度になり、午後4時でも11.5度となっています。

         

 

 でも変な天気ですね、曇ったかと思うと晴れてきたり、急に雨が降って来たり、すぐに止んだり。まだこの時期のことを三寒四温といっていいのでしょうか。まるで日米の株価みたいなものです。(一気に大上段に構えて)

      

     

 6日からですか、春の交通安全運動、県民総ぐるみ運動がスタートしていますが、きょうからが学校は本番ですね。午前中の授業でしたが、新年度スタートしましたし、午後からの入学式も無事終わったようです。桜の下での入学式と相成りました。よかったですね。

 

 やはり何と言っても子どもたちには決して交通事故に遭うことなく、健やかに育って欲しいものです。 町内によっては子どもたちの声が聞かれないというところもあるようですが、幸い家に町内は賑やかな子どもたちの声が朝と夕方聞かれます。

 

 考えてみれば、地位kで子どもたちの元気な明るい声が聞こえるということは、それだけでとっても貴重なこととなるのではないでしょうか。子どもたちは存在するだけで価値があるのではないでしょうか。

 

 でも時々新聞報道では、学校の周囲に住んでいる高齢者から子どもたちの声がうるさいという苦情があるということを報じていました。何とも情けないというか利己主義もここまで来たかということで呆れてしまいます。

 

 (カメラを構えたら上流へ飛び立ちました。)

 私はかなり前に何かで読んだ言葉を大切にしています。 それは、 『子ども叱るな来た道じゃ。年寄り嫌うな行く道じゃ』 という言葉ですね。正にその通りです。昔、かって自分たちも子どもであったことをすっかり忘れてしまっている。 今はすっかり押しも押されぬ高齢者となってしまいましたが。

        (分流右岸) 

 騒いで地域にかなり迷惑をかけて大きくなってきたなと、今振り返ってもそう思います。まあ確かにいたずらに対して大きな声で怒鳴ってくれる年寄りもいました。今となってはいい思い出です。叱る人と慈しむ人のバランスがうまくとれていたのかな。

 全ての面において”大らかさ”が失われてきたということでしょうか。不幸なことです。

 

 

 きのう「アユ釣りマガジン2018」のなかの「ライトタックル」で、桒原(くわばら)健さんのことを少し紹介しました。 読んでみると言いことが書かれています。なるほどなと思わせることもあるし、そういう見方もあったのかとハッとさせられたりして面白かったです。

 

 「(サーフブランドは)色展開が豊富で、デザインにも遊び心がある。機能だけではなく、デザインにもしっかりとコンセプトがある。アユタイツはどうかというと、色はほぼ黒で、デザインもメーカーロゴや商品グレードロゴがデカデカと頭からつま先まで、あらゆる場所にプリントされている。これはつまり、全身に有名ブランドのロゴをあしらった服を着て、町を練り歩くようなものだ。そんな恰好で、一般人は町を歩けるだろうか?・・・・。アユ釣りのデザインがいかに若者軽視であるかが分かる。」

 

 「アユ釣りに必要だとされている道具を・・・・。これを覚えるだけでも、初心者はひと夏終わりかねない。これだけアイテムが多く煩雑なのはもちろんだが、これをアユ釣り以外ではほぼ使えないというのがさらに厄介なのだ。」

                       

 そこで断捨離の3つのコンセプトとして、「①対象はアユ釣りをこれから始める初心者。②専用道具を減らし、誰でも持っているもので代用。③そのまま町中でも歩けるということ。」

 その結果は、「①アユベルト→ななめ掛けのバッグを使用 ②アユタイツ→ハーフパンツとコンプレッションタイツを着用 ③上着は普段着ているTシャツかポロシャツの下に速乾性に優れたアンダーウエア ④竿、タモ、ベルト、引き舟、シューズは購入する」となった次第です。

 「もっとも重要なことは、若者は「かっこいいか」、「かわいいか」で物事を決める。それが大前提であるいうことです。」となります。

 「アユ釣りを、これからの若者に受け継いでいくために、アユ釣りもそろそろ変化していかなくてはなりません。」

 我々が当然のこととして受け入れていることが、若者たちをアユ釣り界から遠ざけているのだということになります。常に”変化する”というのではなく、”変化しなければならない”こと、常に疑問をもつことが大切ということになりますか。


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