読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

家電製品

2007-11-30 22:11:49 | 新聞
 今朝の新聞に、
うちエコ!省エネ製品に買いかえよう。
という全面広告があった。
みんなで入ろう「チーム・マイナス6%」
だと。
 この広告の写真に載ってる古いエアコン、お義母さんちのとおんなじだ!古いエアコンってすごく電気代がかかると書いてある。最近は、むやみと古い家電製品は、修理して使うより買いかえた方が安上がりについて、地球にもやさしいらしい。

 そういえば2、3年前のことだが、お義母さんのところの古い冷蔵庫を買いかえたら電気代が半分になったことがあった。使っていたのは20年以上昔の冷蔵庫で、捨てるのがもったいないからといって、保存食品やビールなどを入れておく専用の冷蔵庫として納屋に置いて使っていたのだった。差し込み口がよく抜けて、差すたびに火花が散るので私は怖くてさわれなかった。それをお義父さんに言おうものなら自分でコードをちょん切って修理しかねないから、お義母さんの方に「危ないですよ」と言ったのだけど、全然気にせず使っていた。私はさすがに心配になったから、独断で電気店に行って同じ大きさの冷蔵庫を買い、そして古いほうは引き取ってもらった。お義母さんは「まあ、もったいない」と言ったけど、その後2か月たってから、「電気代が半分になってる!」と驚いて報告に来たのだった。検針が間違っていやしないかと検針員に確認したし、中国電力に電話もしたそうだ。そうしたら、今まで使っていた古い冷蔵庫がものすごく電力を食っていたことが判明したのだと。
 
 だいたいお義母さんのとこは電気製品をあんまり使わない家だ。夏でも滅多にクーラーはかけないし、電子レンジもないし、テレビもあんまり見ない。そんな家で20何年か前の冷蔵庫が他の電気製品全部合わせたくらい電力を食っていたのかと思うと、すごく悔しかったらしい。「もう、古いものは全部捨てよう。」と言って、「反転するときピカッとあやしい光が走る二槽式洗濯機」とか、「不気味なうなり声を発する扇風機(これも20年もの)」とか、「目とのどが痛くなる石油ファンヒーター」とか、「ゴミ捨て場で拾ってきて再生と録画をそれぞれ担当している二台のビデオテープレコーダー」とか、その他もろもろを一挙に処分したのだった。

 でも、まだエアコンが残っていましたがな。

 それにしても、20年とはよく寿命があったものだ。うちの家電製品なんか10年目を境に次から次へと故障してきたところを見ると、どうやら家電は10年の寿命をめどに作られているのだという気がする。修理に出して出来ないことはないのだが、買いかえた方が結局お得だったりする。去年は、洗濯機を二度も修理して結局あきらめて買いかえたし、石油ファンヒーターの修理代が新しいのを買っておつりがくるほど高かったりしたので、私の「直して使う」というポリシーも修正しなくてはいけなくなってきた。

 してみると、知事とか総理とかそういう人も、もしかすると次々と新しい人に入れ替えた方が、結局はエネルギー効率がよかったりするのかもしれないなあ。

シンクロニシティ その2

2007-11-29 22:12:27 | 新聞
 こちらは盗聴とかじゃなくて本当に偶然の一致。
2006年5月7日 日経新聞文化面のエッセイ、藤原智美「不注意にも深い嘆息」
 著者は、川崎市の路上で天然記念物のオオサンショウウオが見つかって保護され、飼い主の男が書類送検されたという事件を聞いて、無性にオオサンショウウオを見たくなる。そこで上野動物園へ出かけてゆき、両生類館で身動きしない彼らを観察するのだが、そのうち井伏鱒二『山椒魚』を思い出す。
 亀井勝一郎は新潮文庫の解説で、この作品にこめられているのは「畏怖であり、自虐であり、悔恨であり、狼狽であり、また傲慢でもあったろう」と書いている。そこには、人間のもつ負の感情がほとんどすべて詰まっている。けれど最後に、蛙から「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と許しを受けることで、読み手の心は突き動かされる。そのときぼくらは、畏怖、自虐、悔恨、狼狽、傲慢として存在するオオサンショウウオの側に、わが身を置きかえているのだ。
 たしかに彼らは、その奥深い一角にひとつの情感をかかえているようにみえる。そいつと対面したとき、いったい何を考えているのか、問いかけたくなるという人は少なくないはずだ。何か重大で深遠な思想を秘めているのではないかと思わせるような、超然とした風格と雰囲気が備わっている。


 その朝、私はエッセイを読んだ後、「山椒魚」ってどんな小説だったっけなと考えながら寝室に掃除機をかけていた。そして夫のベッド脇をふと見ると、サイドボードに本が伏せてあって、それがなんと!文芸春秋社「現代日本文学館29 井伏鱒二」であった。

 夫はこの全集を少し前、人に貰ったのだった。買いはしたもののほとんど読むことなく長らく段ボールに入れて物置に放置していた人が、持て余して捨てようとしたところを貰い受けて帰ったらしい。ほとんど開かれたことのない本は中はきれいだけども外側はゴキブリのフンらしきシミなどがついていて汚く、私はいやだと言ったのに夫は物を捨てるのが嫌いなのだ。湿気てカビだらけだった下の方を除いてあとはきれいに汚れを拭き取り、それを本棚に入れるために、私の新聞の切り抜き帳を捨てようとしたから一悶着あった。お互い相手が本棚に入れようとしているものがゴミに見えるのだ。結局そのために新しく本棚を買うことになった。(廃棄寸前の文学全集のためというのだから引き合わない。)やっと片付いてほっとしたところで、最初に手に取ったのが井伏鱒二だったらしい。なにせ井伏鱒二は郷土の作家だから。

 開いてあったのは「屋根の上のサワン」。傷ついた鳥を手当して「サワン」と名づけ、自分の手元に置いておこうとするが、渡り鳥であるサワンは仲間の声に引かれてある晩飛び立ってしまうというお話。寂しさが身に沁みて私は嫌いだ。
 ぱらぱらっとめくって「山椒魚」のところを出してみると、後は掃除をほっぽらかして読みふけってしまった。
 山椒魚はうっかりしているうちに太りすぎて岩屋から出ることができなくなる。
彼は背中や尻尾や腹に、ついに苔が生えてしまったと信じた。彼は深い嘆息をもらしたが、あたかも一つの決心がついたかのごとく呟いた。
「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ。」
 しかし、彼に何一つとしてうまい考えがある道理はなかった。

 彼は岩屋の入り口に顔をくっつけて外の景色を眺める。そしてメダカのことを笑ったりするのだ。

彼らのうちのある一ぴきが誤って左によろめくと、他の多くのものは他のものに後れまいとして一せいに左によろめいた。もしある一ぴきが藻の茎に邪魔されて右によろめかなければならなかったとすれば、他の多くの小魚たちはことごとく、ここを先途と右によろめいた。それゆえ、彼らのうちのある一ぴきだけが、他の多くの仲間から自由に遁走して行くことははなはだ困難であるらしかった。
 山椒魚はこれらの小魚たちを眺めながら、彼らを嘲笑してしまった。
「なんという不自由千万な奴らであろう!」

だけどお前は引きこもりで外に出ることさえ不可能じゃないか!どちらが不自由なのか?
山椒魚は泣く。
「ああ神様、あなたはなさけないことをなさいます。たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯この穴倉に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。私は今にも気が狂いそうです。」
 諸君は、発狂した山椒魚を見たことはないであろうが、この山椒魚にいくらかその傾向がなかったとは誰がいえよう。諸君は、この山椒魚を嘲笑してはいけない。すでに彼が飽きるほど暗黒の浴槽につかりすぎて、もはやがまんがならないでいるのを了解してやらなければならない。いかなる瘋癲病者も、自分の幽閉されている部屋から解放してもらいたいと絶えず願っているではないか。最も人間嫌いな囚人でさえも、これと同じことを欲しているではないか。


 悲嘆にくれているものを、いつまでもその状態に置いとくのは、よしわるしである。山椒魚はよくない性質を帯びてきたらしかった。そしてある日のこと、岩屋の窓からまぎれこんだ一ぴきの蛙を外にでることができないようにした。


「一生涯ここに閉じ込めてやる!」
 悪党の呪い言葉はある期間だけでも効験がある。蛙は注意深い足どりで凹みにはいった。そして彼は、これで大丈夫たと信じたので、凹みから顔だけ表わして次のように言った。
「俺は平気だ。」
「出て来い!」
と山椒魚は呶鳴った。そうして彼らは激しい口論をはじめたのである。
「出て行こうと行くまいと、こちらの勝手だ。」
「よろしい、いつまでも勝手にしろ。」
「お前は莫迦だ。」
「お前は莫迦だ。」
 彼らは、かかる言葉を幾度となく繰り返した。翌日も、その翌日も、同じ言葉で自分を主張し通していたわけである。


ああ、これって、私のことじゃないか?藤原智美氏はどういう意図で「山椒魚」を引き合いに出したのだろう。エッセイの終わりの方に、日本丸という船が出てくる。この船は半世紀にわたり航海した後、役目を終えて横浜のみなとみらいに係留され、今は一般公開されている。著者は心配する。その後、横浜ベイブリッジができたのだが、この船はメインマストが高すぎて橋桁をくぐれないのではないか?「それではまるで岩屋の山椒魚ではないか。」と。しかし気になったので著者が調べてみたところ計算上はかろうじてくぐれることになるらしい。
なんだかホッとした。日本丸は岩屋の山椒魚ではなかった。もしそうだったら、ほんとうに哀れなことになる。
 ぼくがオオサンショウウオにたいして感じるシンパシーのようなものの正体は、この哀れさにあるのだろうか?それとも幼形という生命の核のようなものが、皮をかぶらないまま現前に生きているという不可解さに魅せられるのか?来年も上野に足をむけてしまいそうで、岩屋に潜む彼のごとく、ぼくもついため息をもらす。

 私もため息をついた。山椒魚と蛙は二年間ののしり合った末に共倒れになってしまうのだ。身につまされる話だ。
 私は、自分の顔に苔でも生えていはしまいかと鏡を見に行き、それからまるで今初めて見るように家の中を見回したのだった。

シンクロニシティ その1

2007-11-29 22:12:15 | 日記
 私には偶然の一致(シンクロニシティ)ということがよくある。昨日の引用をしていて思い出したのだが、「M2:ナショナリズムの作法」(2007年4月9日初版 インフォバーン)「耐震強度偽装に見る日本の構造問題!」の章の最後に「ゾンビとしての生をいかに生くべきか」というのがあった。
宮崎 最近、『ショーン・オブ・ザ・デッド』というイギリスのゾンビ映画を観たの。これはいかにも英国的なアイロニーが効いた傑作ですよ。一軒家にいい年した三人の男が住んでいる。全員独身で自堕落。パブに入り浸り、ゲームやオタクDJなど低レヴェルの満足に甘んじている。要するに「下流」なのよ。そこにゾンビが襲ってきて、大騒ぎになるんだけど、この映画のアイロニーの極限は、ゾンビになっても、なる前と同じように自堕落にゲームをやっているというラストシーン。つまり「ゾンビになってもならなくても、これじゃ同じ」っていう強烈なメッセージが込められているんですね。だけど「ゾンビとして死んだように生きる」というのはある種のラディカリズムでもある。

と言い、宮台氏が、
宮台 仲正昌樹に怒られるけど「生き生きしたゾンビ」がいいな。夢を追うのは悪くない。人間の夢もあるしゾンビの夢もある。それでいい。夢を追わない人生もある。「みなが人間の夢を追え」って共産主義社会か。「頭を使うものと体を使う者の一致」(=ポストフォード主義)を構想する者に踊らされるだけ。

と言う。
 
 宮台氏は、戦後教育の平等概念は最初「機会の平等」つまり貧乏人の子でも教育を受けて競争ゲームに参加できるが、競争に負けたら降りるということだったのに、それが「馬鹿左翼」のせいで「結果の平等」に傾斜してきて、「愛に基づく設計」を志すエリートの足を引っ張るという浅ましい田吾作社会になってしまったと嘆く。宮崎氏も、そんな「デッドウォーター」が官僚制をじわじわ侵食し腐朽させているのであって、「耐震強度偽装問題は、それが表面化した一角に過ぎない。」という。「みんなが平等に競争に参加できるが、競争に負けたら潔く降りて、あとは能力のあるものに任せる」社会でなくてはだめなのだと。

 私は、「ゾンビのように生きるかあ。そういう選択肢もあるかもな。」と思ったらなんだか急にゾンビ映画が観たくなってきた。そこで娘にDVDを借りて来てくれるように頼んだのだが、「なんだかよくわからなくって・・・」と言い訳しながら借りて来たのが「ゾンビドッグ」
「これ、犬のゾンビじゃないの!おまけにほんとのゾンビじゃなくてキチガイ男の妄想じゃないの?私は本物のゾンビが見たかったのに。・・・ダメじゃん。」
 
 でも、その憂鬱な映画を観ながら考えたのだが、仕事も私生活もうまくいかずに酒に溺れ、車ではねた犬がゾンビと化して主人公の脳に語りかけ、仕事も恋愛もその犬に支配され、言われるがままに人を殺す・・・などという異様に情けないストーリーは並のゾンビ映画よりもはるかに怖く、私にふさわしいかもしれない。
 「やっぱり、恐ろしいからゾンビ映画はもういいわ。」と言っていたところ、息子のために取っている朝日新聞社の「しゃかぽん」7号(2007年5月2日)に「ゾンビが本当にいる国があるの?」という記事が載っているのを見つけてびっくりした。最近、ゾンビが流行っているのか?
伝説その1 ブームとなった1冊の本
 1920年代にハイチを旅したウィリアム・シーブルックは、1年間ブードゥー教の信者と一緒に暮らし、その時の体験を本にしました。ほんの中には、配置滞在中に目撃したという「ゾンビ」にまつわる話があり、その内容が話題となってアメリカでゾンビ・ブームが巻き起こりました。

 ほーほーほー・・・。
 ヨーロッパ人の侵略、植民地化、軍事独裁政権、クーデター、とハイチには苦難の歴史があり、今もなお経済的低迷と貧困にあえいでいる。ゾンビ伝説も、意志や感情を奪われ、死んでからもなお奴隷として働かされることへの恐怖からきているのではないかと「タコロン星人」は言うのだった。

 このような偶然の一致が私にはよくあって、その大半は朝日新聞の記事に由来している。よほど朝日と縁があるのだろう。一時は家に盗聴器が仕掛けてあるのではないかと疑い、簡易盗聴発見器を買ったくらいだったが何も反応しなかった。もっともこのような簡易装置には引っかからないものもあるらしいので、確かに調べたいのならセキュリティー対策専門の会社に頼むべきなのだろうが、けっこう費用が数十万くらいかかるらしくばかばかしいし、そもそも疑いの原因が新聞記事では誰も相手にはしてくれない。

昨日のつづき

2007-11-28 16:05:24 | Weblog
 えーと、今朝のNHKで言っていたけど、今政治家がい一番知りたがっている世論は「もし民主党が問責決議を提出して国会の解散、総選挙へとなだれ込んだとき、国民は自民、民主のどちらを支持するか」ということらしい。自民党も民主党も「世論の動向を見極めて」というセリフをしばしば口にしている。うーん、最近私は2ちゃんねるのニュース速報板を見ていないからなんとも言えません。というより知らんがなー。
 今の状況だったら仮に総選挙になったとしても、最後の3日で逆転サヨナラホームランみたいな極めて流動的な雰囲気が漂っている。「新テロ特措法」などはほとんどの国民は「どーでもいい」と思っていて、要するに生活が今よりよくなるかどうかという一点だけを考えているので「消費税」と「年金」が焦点だろうなあ。年金制度の維持のために消費税を引き上げるにしても官僚があれで、天下り構造があのまんまじゃ絶対に納得しない。「自分たちだけうまい汁を吸いやがって・・・」
 で、私はっていうと、まあ太田さんが政権を刷新しなくては官民癒着に政治家も一枚噛んでいる構図自体を変えられないとおっしゃっているのでまあ、民主党を支持します。
 だけど私みたいなわけのわからん主婦の意見を参考にするようじゃ日本の政治も低レベル過ぎ。ああ、民度が低いから低レベルに合わせざるをえないのか。

宮台真司×宮崎哲弥「M2:ナショナリズムの作法」(インフォバーンバーン)を読み返していたらやっぱり過激だなあ。

「耐震強度偽装に見る日本の構造問題!」(月刊サイゾー2006年1月)

宮台 日本のコーポラティズムが、ヴァルネラブルな(突っ込まれやすい)不公正な制度や慣行に満ちているからね。コーポラティズムにはネオリベ的優勝劣敗を回避する重要な機能がありながら絶えず手を入れないと不公正な既得権益を温存しがちな面もあってさ。日本人が自分たちで「絶えず手を入れることができないなら、「消費者利益がないがしろにされている」というアメリカの主張に反論できないし、消費者が諸手を挙げて賛成しちゃう。一口でいえば、自分たちの国がどういう問題を抱えるがゆえに、今こういったことが起きているのかをわきまえていないのが問題なの。僕らに戦略的能力があれば、対アメリカ的にヴァルネラブルにならないように、自分たちでいち早く「旦那衆の不公正」を排し、優勝劣敗にならないプラットフォームを護持するしかない。
宮崎 そういう捉え方がベストですね。だけど、世間はそうじゃない。反米保守や反米左翼の連中の低劣な「感情政治」に使われているだけでしょう。相変わらす、戦略的な振る舞いができていない。
宮台 アメリカは自国利益を追求する戦略的行動を取っているだけさ。全然悪くない。日本も対抗して戦略的行動を展開すりゃいいだけ。それができずに突っ込まれて腹を見せているのは、馬鹿だからだよ。処方箋は何か。戦略的能力を身につけよ。要は産経新聞的なヘタレ右翼が問題なんだ。「国益上、米国依存は不可避」とほざくヘタレ右翼は、米国依存が不可避たらざるを得ない状況が、米国が時間をかけて実現したプラットフォームの帰結であるのを知らない。プラットフォーム自体の選択が「戦略」。戦後の保守本流とは、プラットフォーム見直しを企図する、戦略的な立場のことを指す。最近は保守本流の気概を智恵はどこえやら。プラットフォームを自明と見做す産経的なケツ舐め右翼だらけ。その点、読売のナベツネはいいね。

注:コーポラティズム 国家の政策決定に、有力企業や団体の参加を求める政治システム。利益追求による対立を緩和することが目的。協調組合主義
 ふーん。現在のプラットフォームが自明のものでなく、選択可能性があるという立場で戦略的な政治決定を行わなきゃいけないのですね。コーポラティズムはアメリカ的な弱肉強食型経済から自国の利益を守り地域共同体を保持する役割も果たすけど、とかく談合や官民の癒着につながって既得権益を持つ層が他者を排除しがちになるので、常に公正に働くよう監視しつづけなくてはならないと。

 ということで防衛省の汚職問題の帰結は気になります。
つづき
「次期総裁最右翼は安部か福田か」

宮崎 保守本流が事実上潰えた年が、ちょうど自由民主党の結党50周年に当たったというのは何やら象徴的ですね。ただ、自民党が小泉「純」化路線で一枚岩になったかといえば、そうではなくて、むしろ自重で亀裂が入り始めている。(中略)それはさておき、いま宮台さんの指摘された保守本流の思潮を受けるのは福田康夫さんですね。
宮台 父親の福田赳夫は保守本流でなく素朴親米派に属するけれど、福田康夫はある時期から中国コネクションを積極的に作り、外交的フリーハンドを増やす方向で行動展開している。福田康夫の国家イメージは、昔ながらの保守本流的国家に、アメリカ流の建築家的国家を混ぜたもの。建築家的国家とは、犯罪や逸脱を取り締まる「古い警察国家」じゃなく、マトモな人間が減っても快不快に行動が収まるようなアーキテクチャを設計する「新しい警察国家」。彼ながらバランスのとれた外交をすると思う。アメリカを怒らせることなく、時間をかけつつプラットフォームの取り替えに向けた布石を打てる。それもまたアーキテクテャの設計なんだね。
宮崎 もし、中国との関係を修復、安定させたいのであれば福田康夫でしょうね。但し、自民党の体質は、ある程度、元に戻っちゃう可能性が高い。反動というか、揺り戻しというか。(略)
宮台 ちなみに次は増税内閣だよ。今までのセオリーだと、増税内閣はアンポピュラーになって倒れる。だから福田康夫は「次は安部内閣で、短命に終わらせた後に自分が」という算段でしょう。ところが最近「増税やむなし」の世論が多数になった。小泉内閣が免疫化してきた結果です。そうなると安倍短命内閣の次を狙う福田康夫の戦略が上手くいくかどうか。少し前までは可能に見えたけど。

これは小泉政権期間中に書かれているのだ。そのとおりに進んでいる。

宮台 「増税やむなし」が国民世論になるのは当然ね。小泉首相がラディカルな構造改革をやりそうだから、「切り捨てるものを切り捨てた以上は、増税やむなし」と。実際、総選挙大勝利後の権力集中があればこそ、小泉首相は、道路特定財源一般財源化、公務員改革こと天下り禁止、政府系金融機関一本化を実施できる。現にやるでしょう。現にやるなら、僕らとしても小泉批判はあり得ない。むしろ「小泉さん、壊してくれてありがとう、壊れた後は僕らが作ります」しかない。
宮崎 面白いのは、そのつもりで増税一本槍路線を打ち出した谷垣禎一財務大臣、与謝野馨経済財政担当大臣が、閣内においても、党内においても徹底的に叩かれていることだね。竹中平蔵総務大臣、中川秀直政調会長が批判の急先鋒で、それに安倍官房長官、武部勤幹事長がバックアップしている。新内閣発足直後から谷垣バッシングは始まっていますからね。内閣不統一もいいとこなんですが(笑)増税を軸として、小泉後継をめぐる政争がもう始動しているという印象ですね。
 まあ竹中氏らが唱える「歳出削減、政府資産改革なくして増税なし」という路線は財政論的にいっても正しいんだけど、しかし増税のシステムは構築しておかなければならない。たとえば、間接税(消費税)に関しては、ヨーロッパ並みに税率10%以上に上げることもやむを得ないが、ならば逆進性(逆累進性)の是正もヨーロッパ並みにすべきで、食品や水、新聞の代金、住宅建設費なども非課税もしくは軽税率とするのが筋でしょう。
宮台 一つ加えると、逆累進性の排除による弱者救済に加え、高額所得者に含まれるハイソ階級の護持も重要だぜ。ヨーロッパでは高額所得者の課税率は非常に低いが、日本は逆。政府税調や経済財政諮問会議は、固定資産税や相続税を上げて土地の流動性を高める方向。これで宅地の建ぺい率を上げれば、多くの国民の持家幻想を充足させられる。それはそれで公正だが、エリート階層を下支えする社会経済的基盤を空洞化させる可能性がある。パリのオートクチュールで一着数千万円の服をデザインしてる僕の知り合いが、日本人の客が少なくなり、中国人の客ばかり増えたと言っている。そんな状態では日本は欧州の社交界に入れなくなる。これは政治学的観点からいうと大問題だよ。

宮台氏はエリート層の維持、再興を唱えている。大企業や高額所得者から税金を取りすぎるとみんな海外に逃避してしまって国は空洞化するぞと。税制については私はよくわからないが、このあいだの「たかじん」の特別ゲストみたいに相続税で全部とるみたいなことを言われると、「田んぼどうすんの?うちの家建ってる土地どうすんの」と思うので反対。消費税については「どーせ上げるんだから早く上げた方が財政的な効果が高いんでしょ?一気に10%くらいいったら?」と思う。私はクレジットカードの分割払いもめったにしないのだ。一括先払いが一番安上がりについてポイントもたまってお得なのだ。
あと、おもしろかったのは「富田メモへの反応にみる左右両派の民度の低さ」で、
宮崎 しかし、保守派の天皇や皇族の言説に対するプリンシパルは、どこにあるんでしょうかね?今回、政治利用の禁止や中立性の原則を遵守せよと言い募っている輩の中には、女性天皇問題が議論の的になっていたときには、三笠宮寛仁親王の発言を錦旗のごとくに振り翳した者がいます。そして、原理原則にもとづいて、三笠宮親王に「発言はもう控えては?」と諌言した朝日新聞社説を「不敬」だの「言論封じ」だのと吊し上げにした。今度はその舌の根も乾かぬうちに、「天皇発言の政治利用はやめよ」「富田メモは公開を控えるべきだった」などと矛盾したことを平気で言い立てる。これぞ、田吾作根性の極地でしょう。富田メモ公表は、当然だったとおもいますがね。
宮台 当然。富田メモへの反応は、近代ナショナリズムとどんな距離にあるかがわかるリトマス試験紙だね。朝日新聞の「象徴としての天皇の言葉は重い」というリアクションは、リベラルが実は・・・・。
宮崎 天皇主義者だった!

 私、天皇制とかどうでもいいし、ひとんちのことに口出ししない方がいいと思うんだけど、そーかー、やっぱり朝日の論説委員を叩く「週刊新潮」って田吾作だったのかー。読者層が田吾作のじじいかよ。朝日新聞も田吾作って言われてるけどな。
宮台 それがお前らの民度だっつーの。自分らの民度に再帰的(意識的)に関われよ。しかし、我々が再帰化するにはいい契機だ。「理想の我々」と「現実の我々」の距離を的確に測るべし。それこそ真の近代主義者なり。周囲に前近代的な田吾作しかいない時。真の近代主義者なら近代主義を噴き上げるか?ありえん。田吾作水準のゲームに再帰的に棹さしつつ、近代主義の方向に誘導するよ。明治政府の開明派みたいにね。万歳突撃から一夜にして平和主義者に転じる国。江藤淳が言う通り、振る舞いは変わっても、人は変わらない。問題は、開明派が教学派に追放されたような「ネタのベタ化」をどう抑止するか。つまり再帰性維持の工夫さ。振る舞いの作法も変えられないくせに、ベタに「近代主義の原則に反する」って昨日までの朝日みたいに叫ぶの?我々が真に近代主義の作法を習得しているなら、メモなんて出ようが出まいが関係ないぜ。


ということで、犬が散歩をせがんで泣いているのでおわり。

ミドルマン

2007-11-27 23:49:02 | Weblog
 おとといの夏目房之介「マンガはなぜ面白いのか」で思い出したが、宮崎哲弥「1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド」(新潮社)にはマンガ「小さなお茶会」が二度出てくる。
「夫婦をする」ことは、もはや趣味なのである。結婚も育児も人生の必須項目ではない
 猫十字社のマンガ「小さなお茶会」(完全版全四巻 白泉社文庫)は、夫婦猫の何気ない日常を軽妙に描きながら、やがて生の深淵へと読者を誘う。何度も読み返しているが、その度夫婦という趣味を充実させる知恵を授けられる。私の理想の結婚のかたちである。
 

 結婚してよかったか。熟(こな)れた既婚者として答えるならば断然YES。私は三十過ぎまで、結婚をリアルに検討したことがなかった。猫十字社「小さなお茶会」(完全版全四巻 白泉社文庫)のような夫婦関係に憧れながら、到底現実の「ものではあるまいと思い込んでいた。

 これを読んだのが「マンガはなぜ面白いのか」の後だったので思わず笑ってしまった。宮崎哲弥氏はテレビでもしょっちゅう「妻が」「妻が」と言及されるのでよほど幸せな結婚生活を送っておられるようだ。

 ところで宮台真司の本で言及されていたが、現代ではメディアからの情報がそのまんま個人に伝わるのではなく、オピニオンリーダーの意見を介して意思決定がなされ、世論が形成がされていくのだそうだ。これを「コミュニケーションの二段の流れ」という。(E.カッツ・P.F.ラザースフェル『パーソナル・インフルエンス―オピニオン・リーダーと人びとの意思決定』)この場合のオピニオンリーダーとは、昔ならば横町の御隠居さんとか村長さんとか組合長さんとか学校の先生とか、そういった実生活で直接かかわっている人たちだったのだろうけど、最近ではそんな直接的なコミュニケーションが減ってきたせいもあって、わかりにくい情報を噛み砕いてやさしく伝えてくれるニュースのキャスターやワイドショーのコメンテイター、あるいは評論家などがより重要性を増してきていると思う。そういった意味で私が注目しているのが宮崎哲弥氏だ。露出度からしても情報収集力からしてもそこいらのワイドショーのコメンテイターとは違っている。

 検索をかけると「コミュニケーション二段の流れ」で宮台ブログの該当部分が出てきた。
2003年10月17日より

 ここで宮台氏は「ミドルマン」と言っている。
 わかりやすくいえば、こうなります。専門家がなにか言っている。例えは大学の知識人が何か言っている。彼らの言うことは難しくて大衆には分かりにくい。専門家には概して万人に分かるようにしゃべる力がない。だから大衆は、専門家の言うことを理解できぬまま、単純な図式に押し流される。
 だとすれば、専門家がしゃべる難しいことを、一般大衆が聞いてもわかるように、しかも大きな誤りを含まないように、かみ砕いて、イメージ化して、伝える。そういう責務を負う存在が、ミドルマンだ、とラザースフェルトは五○年前にいっています。
 私はこのことをいつも思い出します。リサーチャーとはまさにミドルマンなのです。専門家の言う難しいことをすべて完全に理解した上で、一般大衆に分かるように、かみ砕いて、イメージ化する仕事をするのが、リサーチャーだからです。

 宮台氏は日本にはリサーチャーのような役割をする人がいないと言っている。だから一般人は生の情報を聞いても理解できず「誰が悪い」といったような単純な二項対立図式に逃げ込むのだ。

 同じところに「ディズニーランド的多層社会」についての記述があった!
 私は以前「グッド・シェパード」で宮台氏がそのような社会を目指すべきと言っているように書いてしまったが間違っていた。アホだ!宮台氏は、そのような深層が見通せない不透明な社会にならないためには、各レイヤーの全体が見通せるようなシステム、具体的にはヨーロッパのようにレイヤーごとの行政単位をおいてそれを常にオープンにしておくことが必要だと言っているのだった。「ディズニーランド?いーじゃん。エリートは勝手にやってよ。」と思っていた私はヘタレのネオコン支持者ということになるのか!
 ディズニーランド的世界は、どこがまずいのか。それをまずいと言える数少ないロジックが、正統性論なのです。ちなみに、正当性とは正しいことであり、正統性とは自発的な服従契機の存在です。正統性は正当性を含みます。じゃあ、具体的に何がまずいのか。ヨーロッパで展開しているスローライフの安全保障思想をヒントにして言えば、こうなります。
 よさげに見えるディズニーランドは、アーキテクチャーが見えないところに問題がある。見えないところで誰かが不当な権益を維持しているかもしれない。見えないところで環境に──子孫に──負荷をかけているかもしれない。見えないところで他者──南側諸国──に負荷をかけているかもしれない。見えないところに、炸裂した場合に誰も収拾できないリスクがあるかもしれない。そんなシステムは公共性を欠き、自発的に受容しがたい。
 ここから代替的なシステムが構想されます。社会システムのアーキテクチャーを、デプスが深くなりすぎないようにし、全体を見通したいと思う者たちのアクセシビリティー(接近可能性)やコネクティビティー(接触可能性)をオープンに確保し続け、いつでもオルタナティブなオプションを提案できるようにする。それがEU思想の背後にある、エネルギー安全保障・食料安全保障・IT安全保障・文化的安全保障の発想だといえます。

 
 
 20年くらい前からだけど、政治家の発言や失言にどうもテレビ番組、特にNHK特集が関係しているように思うことがときどきあった。「アメリカ人は額に汗して働く勤勉さを忘れている」だとか「イギリスを模範とした影の内閣」だとか・・・。その度に「あーあ、こういうことをNHK特集見てない人がいきなり聞いたら誤解するだろうが。」と思ったものだ。政治家自身が誤解しているようなところもあって、どうしてそう恣意的に解釈するのか首をひねったこともあった。そのころはテレビの影響といっても政治家が見るのはNHKくらいのものだったのだろうが、今では数々の討論番組に政治家が生出演したり、その常連が大臣に登用されたりするのだからテレビの影響力もすごいものだ。
 
 だけどそれにしても、実際にはほんの狭いエリアのメディア、テレビとか一部の大新聞だけがピンポンのように意見をやりとりしながら各種の世論を形成していっているように見える。だから、ここ2~3年、ろくにネットを見ていなかったが別に困らなかった。メディアのごく狭い範囲内を監視しているだけでほとんどの情報は手に入れられる。ただし、テレビを見た人がそれをどうとらえるかということに関しては、インターネットの掲示板を見るしかない。最近では、あきらかにメディアや政治家もインターネット上で反応を見ながら発言をしているようだ。だから最近では「この人がこのように言ったのはどこら辺を見て言っているのか」を考えながら真意を推し量らなくてはならない。もうちょっとしたら賢い誰かが意図的に情報操作をしたり、世論を誘導したりするようになるかもしれない。あるいは真意を隠して大衆向け宣伝で目くらましをしてくる悪徳政治家がでてくるかもしれない。そうなったら、その裏をかくことができるだろうか。私にはできないから沈黙する。
 
 ネット上で宮崎哲弥氏について検索したらこういうのが出てきたが、M2を読む限り宮崎氏はブッシュを支持したことなどいないと思う。仮にどこかでそのような発言をしていたとしても、非常にシニックな意味合いでだったと思うのだ。この件に関しても、石原・宮台対談にしても表面的な言葉だけで誤解しているようなブログが見られる。やっぱりちゃんと本を読まなくちゃ。(私も自戒をこめて)

 もう少ししたら、ネット上のカリスマブロガ―が重要なオピニオンリーダーになって選挙の結果を左右するようになる日がくるのだろうか?多分6~7年くらい後にはそうなっているだろうな。今はまだ少し早いようだけど。
 ITプラス」より「マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか」(ガ島流ネット社会学)
ガ島通信の人だー。いやー、既存のメディアなくしてネットのコミュニケーションも成り立たないと思うんだけどなあ。

ギレルモ・デル・トロ監督「パンズ・ラビリンス」

2007-11-26 22:54:06 | 映画
 マイナーな映画ばかりやっているミニシアターで「パンズ・ラビリンス」を観てきた。物語の舞台は1944年のスペイン。内戦終結後も山奥に立てこもってフランコ将軍の軍隊と戦うゲリラを制圧するため駐屯しているビダル大尉のところに母親とともに向かう少女は、途中の山道で不思議な石塚を見つける。・・・あとは公式サイトのストーリー参照。
 
 ホラーファンタジーとかいろいろな見方がされているけど、私が注目したのはこの道端の石塚とか、駐屯地のそばにある不思議な遺跡だ。きっとキリスト教が普及する以前の土着信仰で使われた場所だったのだと思われる。アイルランドのドルイド教の遺跡にちょっと似ている。もっともそれは映画の中のことで、スペインにそのような遺跡があるのかどうかは知らない。スペインといえば中世の宗教裁判が最も苛烈をきわめたところではないか。そんなものがごろごろ転がっているとは考えにくい。
 それからオフェリアがパンからもらうマンドラゴラの根。これもハリーポッターでおなじみの小道具で、魔法使いがまじないに使うものだ。ファシストの軍人である義父のもとでこんなものを使ったりするのだから危険すぎる。もう、最初からこの子は義父の世界では決して生きていけないのだということが暗示されているようだ。
 
 大尉の方も、オフェリアの母と結婚したのは単に息子が欲しかったからで、愛のためなどではないことが明白だ。オフェリアなんか眼中にない。そして大尉自身が父親から受け継いだ、ある悲痛な思想のようなものを自分の息子に継がせようとしていることが察せられて少しぞっとする。最初は「ちょっと固物そうだけど案外いい人かも」と一瞬思ったが、無実の農夫親子を何の躊躇もなく殺したときには、そんな幻想は吹っ飛んだ。生け捕りにしたゲリラを残忍なやり方で拷問にかける。どうやら拷問のエキスパートらしい。頭もすごく切れる。おそろしい奴だ。宴会で「人間は平等であるなどと間違った考えをもっているやつらに思い知らせてやらなくてはならない。」なんて演説する。この男は殺さなくちゃいけない。母親はなぜこんな男と再婚することにしたのだろう。なぜ、この男が彼女の命などどうでもよくて、ただ息子を産ませるためだけに結婚したとわからないのだろう。それが「大人の現実」ってことか?オフェリアは母親のおなかの弟に向かっておとぎ話を語り、また言い聞かせる。「産まれてくるときにお母さんを苦しめないで」。でも結局マンドラゴラを取り上げられたから母親は死んでしまうのだ。あのファシストのもとに赤ん坊を置いておけないのは明白だ。
 
 映画の中で唯一私が共感したのは下働きの女性メルセデスだ。ゲリラになった弟とその仲間を助けるため敵の陣中に入り込んでいる。勇気があると思う。この女性が危険な仕事をしているのは自由とか思想などのためではなく、ただ肉親や村の人たちへの愛情からであるのだろう。この女性だけがオフェリアをかばい、なぐさめる。共感するものがあるのだ。

 
 なぜかこの映画を見ていたら「ドイツ・青ざめた母」という昔の映画を思い出した。
 第二次大戦前後の話で、ハンスという典型的なドイツ青年とヘレイネという娘が結婚する。ハンスはナチ党員になって出征してゆき、ポーランドかどこかの村を焼き払ったり、妻にそっくりな農婦を撃ち殺したりする。その頃ヘレイネは家で自分のブラウスを縫い、丹念に刺繍をほどこしている。夫が帰省してきたときに着るためだ。ところが殺戮に疲れて殺気立っているハンスは久しぶりに会ったヘレイネに優しく接することなどできない。大事なブラウスを乱暴に引き裂く。
 
 娘が生まれ、空襲で焼け出されたためヘレイネは娘を連れて各地を転々とする。野宿しながら、また列車の連結器に乗って移動しながら、娘に童話を語って聞かせる。「青髭」の物語だ。このおそろしい話を淡々と幼い娘に語って聞かせるヘレイネの姿の美しさが印象的だ。闇市で小商いをしたりがれきの山を素手で片づけたりしているヘレイネはたくましく、どこか生き生きとしている。ところが夫が帰って来てからはだんだん生気を失ってしまう。顔面神経痛ですべての歯を抜いてしまったため、それを恥じてあまりしゃべることもなくなる。その母親を娘は悲しい思いで見ている。
 たとえよそから見て真っ当な夫であったとしても、ヘレイネにとって彼は「青髭」であったのではないかと私は思った。

 「パンズ・ラビリンス」から、一つにはファシズムの恐ろしさが読み取れるのだろうが、私はそこをちょっと補足して「母親から受け継いだもの」を貶めて破壊しようとする勢力の怖さといったようなものを感じた。「母親から受け継いだもの」って、たとえば「おとぎばなし」や「まじない」や「肉親への愛情」などのようなものだ。このようなものを「非合理的」であるとか「くだらない」とか言って消し去ろうとする圧倒的な力に対する恐怖を感じた。オフェリアの物語は現実逃避の夢なのか?私はそうは思わないのだ。きっとこころの奥深くに存在していて、それがなくては生きていけない重要なものなのだと思う。

 で、私にも子どもの頃、母親が繰り返し語ってくれた怖い話があって、ときどきそれがものすごくリアルに感じられることがあるのだけど、どんな話だったかはここでは書かない。

 

夏目房之介「マンガはなぜ面白いのか」

2007-11-25 23:20:52 | 本の感想
 2年くらい前、パソコンのプリンターを複合機に買い換えてからは、自由にコピーができるのがうれしくて、図書館で借りた本からおもしろかった部分をどんどんコピーしていた。ところが最近それらを読み返してみると、なぜコピーしたのかわからないことが多い。全然おもしろくない。つまり、その時おもしろいと思ってわざわざコピーしたのは、自分がそれを読んで考えたことの方がおもしろかったのであって、そちらの方を忘れてしまっている場合は価値がないのだ。ショックだった。この大量の紙の山はなんなのだろう。

 かろうじて、いつ読んでもおもしろいものもあることはある。夏目房之介不肖の孫」(筑摩書房)もそうだ。漱石については鏡子夫人「漱石の思い出」が有名で、素顔がよくわかってよいけども、この本も抱腹絶倒だ。ただし漱石のほうではなく、母方の祖父、三田平凡寺について書かれている部分が。
 三田平凡寺という人は、奇人変人の趣味人だったらしい。病気で耳が不自由だったせいもあるが、資産家の息子だったため、どうやら一生定職に就かず、がらくたの収集などわけのわからないことをやっていた。まさに漱石のいう「高等遊民」だ。この人がすごい変人なのだ。私は、「父方の祖父が漱石で、母方の祖父がこの人じゃあ、平穏で真っ当な人生を歩むというのは至難の業じゃないか?」と思った。
 また、何といっても平凡寺のウンコである。平凡寺は形のいいウンコをひりだすと、それを石膏で型どり、中のウンコをかきだし、ウンコ模型をつくって金粉塗りにして保存した。もっとも、その実作業をするのは戦前は奥さん、戦後は手伝いの女性で、自分じゃやらない。イイ気なもんである。手伝いの女性の証言によれば、平凡寺のウンコはそれはそれは固く、なかなかかきだせなかったという。

金粉塗りのウンコ模型!
 ほかにこの本には、マンガの性的妄想( 快感を極限まで追求する)とかOLがコンビニで買っている商品からセックスライフがわかる(現象学的に見たコンビニ「発情する商品」)とかおもしろいエッセイがたくさん載っていたが、残念ながらそちらの方はコピーを取っていない。

 おっとっと、「マンガはなぜ面白いのか」(NHKライブラリー)についてであった。
 この第1章の「恋愛マンガ学講義」でマンガにおける恋愛観の変化を論じているところが興味深かった。
 恋愛でわりに重要なのは、最初の瞬間に何かを信じちゃうという能力なんです。僕は、恋愛というのはフィクションだと思っています。

・・・・恋愛がフィクションである以上は、それをつむぐ能力が必要になると考えています。われわれは、たぶんどこかでそれを学習し、予行演習しているはずです。マンガかもしれないし、小説かもしれないし、もっと大きなのは自分の両親とかでしょうけれど、そういうものから学習して、恋愛の物語を自分なりにつむいでいく、そういう能力の問題だと思っているんです。
 この両力が壊れちゃったような人もいまして、これは現代では悲惨です。

 最初のある場所で、何かをわっと信じちゃうということ。そのときのわくわく感をずっと持続させたいというのが、恋愛の動機になります。お互いに好きになったら、それをずっと両方で信じられたら、それは永続するわけじゃないですか。みんなそうしたいし、そう思うから結婚しらりするんだけれど、絶対にそうはならないというのがなさけないところで、人間の矛盾です。二人だけで生きているわけじゃないから、いろいろな要素が入ってくるし、本人も変わってくる。ここが恋愛の勘所でしょうね。

 その特殊な男女の場所を永続させるというテーマをもったマンガがあります。ご存じない方が多いかもしれませんが、僕は一度これを論じてみたいなと思っていた。少女マンガで、猫十字社という作家の『小さなお茶会』(78~87年)という作品です。猫の夫婦の話なんです。仲のいい猫夫婦の話を、えんえんと続けていて、僕はじつはわりと好きだったんです。いま思うとニューファミリーとかいわれた時代だったんですけど。完璧なぐらい二人の世界をつくりあげていて、誰も文句がいえない。壊れないんです。三角関係などはほとんどない。これは本当に理想だと思いますよ。
 たとえば、奥さんがベッドの中で目をさます。そうすると隣に旦那がいない。旦那は料理をつくっているわけです。奥さんにとっては理想でしょうな。喜んで待っているわけです。狸寝入りをしながら待っていると、彼が《朝のお茶が入ったよ》と声をかける。日本茶じゃなくて紅茶だっていうのがミソですね。このマンガでは。奥さんが起きて《ミルクをたっぷり入れてペパーミントも入れたミント・ミルクティー》が、並んだカップで出てくる。いってて恥ずかしくなりますけれども、こういうことをぬけぬけと描いたマンガなんですよ。声に出して読むわけじゃないから読めるんだけど。

 この文章が語るような文体であるのは、この本がNHKの講座で話された内容をまとめたものだからだ。この70年代末から80年代というのは江口寿史「すすめ!パイレーツ」鴨川つばめ「マカロニほうれん荘」、あるいは「Dr.スランプ」のペンギン村のように仲間うちの共同体で遊んでいて、それがそのまま楽園になっている。そのユートピア的人間関係が恋愛に置き換えられた典型が「小さなお茶会」なのだとか。
 
 それからそこにべつの異性関係が入り込りこんできて、少し劇的なドラマがうまれてきたのが「タッチ」「めぞん一刻」みたいな三角関係のラブコメ。80年代にはやたらとこの手の「すれ違い」「三角関係」がテーマのマンガがはやったのだとしてこれを分析してあって、その後が岡崎京子。
 そういった、人間が抱えてしまう恋愛の矛盾ということに関して、現在の日本のマンガはどこまできたか。というようなところで、岡崎京子あたりが出てくる。岡崎京子「リバーズ・エッジ」(93~94年)という作品があります。どういう話かというと、ちょっと荒れ果てた感じの川っぷちにある高校に同性愛の少年がいる。だけど、それを隠さなければいけないから、女の子と一応つきあっているんだけど、当然愛情がなくてその女の子を傷つけていく。・・・・・
 彼の秘密というものが話の中であきらかにされるわけですが、それは河原の中に埋められた死体なんです。もう白骨化した、誰ともしれない死体です。それを自分だけが知っているということが、彼を安心させているんですね。
 他にもいろいろな話があるんだけれど、彼とつきあっていると思っていた女の子は、彼の態度によってだんだん狂わされていくんです。結局、一種の強迫神経症のようになったあげくに焼身自殺してしまう。
 自殺したあとに、その少年は、こんなふうにいう。
《生きている時の田島さんは(つまり焼身自殺した彼女ですが)全然好きじゃなかった》
《自分のことばっか喋ってて どんかんで一緒にいるといつもイライラしてた》
《でも・・・黒こげになってしまった田島さんは・・・死んでしまった田島さんはすごく好きだよ》
 この少年の中で、対人関係というのがどこかで致命的に壊れちゃっているんです。まともな人間関係が成り立たない中で、死者に対して初めて安定した関係がとれる。河原の死体というのがいわば、彼の生活の中で自分をつなぎとめる何か、定点観測の定点のようになっているというふうに描かれています。
 これを恋愛マンガとしてもし読めば、こういう場所で恋愛というのは可能なんだろうか、というのが岡崎京子の視点なんじゃないかと思います。こういう人間関係の壊れ方をしてしまう時代に、恋愛って可能なんだろうか、っていうことになると思います。同性愛の男の子にとっては、生きた他人との関係が壊れていて、恋愛も、三角関係もありえないんです。いってみれば、自分だけの世界と共同的な集団の世界が、一対一の関係の世界を抜きにして、直接ナマで向き合っているような気がします。

 いやー、岡崎京子のマンガって、以前はちっともわからなかったけど、最近はすごくリアルに感じられます。たしかに世界は殺伐としていて人間は壊れていますよ。

 も一つ岡崎京子でとりあげられているのが「好き?好き?大好き?」(95年)(R・D・レインの詩「好き?好き?大好き?」をもとに構成したマンガ)
 これは何かというと、男と女がいちゃつきながら。えんえんとセリフと交わすんです。たとえば女の子が、
《好き?好き?大好き?》
ときくんです。男は、
《うん 好き 好き 大好き》
と答える。
《何よりも かによりも?》
と女がきくと、男は、
《うん 何よりも かによりも》
と答える。女が、
《世界全体より もっと?》
ときくと、男は、
《うん 世界全体より もっと》
と答える。えんえんこういうやりとりが続くんです。
・・・・・・・・
 はっきりいって、ふつう日本の男の子は、えんえんこんなこといわれたらうんざりしますね。もしうんざりしないとしたら、よっぽど惚れているんですよ。だから、こういう瞬間はありうるんだけれど、逆にそういう瞬間は危ないんだよということです。このあと黒いコマに、彼女の内面の言葉が出てくる。
《答えないで わたしのいうことなんかに やめて 無視して これ以上 わたしを危険にさらすことはやめて お願いだから 「だまれ」って言って》
 つまり、甘い言葉をささやいて、いちゃいちゃしているにもかかわらず、じつはどんどん崖っぷちに立っているマンガなんです。対話の繰り返しの中の嘘と誠実のあやうさと不安みたいなものがとっても面白いマンガです。ここでもトーンと人物はズレている。こんな恋愛的日常の中でも、いつも僕らはズレを内包しているし、いまの時代はそれがわりとはっきり意識されている。そんな場所で恋愛なんかできないじゃないか。できたとしてもこういう形でしかできないじゃないか、という感じが岡崎マンガの描いた世界だと思います。

 ふーん、岡崎京子って天才ですね。時代を感知する能力ときたら・・・。

呪い

2007-11-24 11:24:24 | 日記
 子供向けの「アメリカ西部開拓史」(三省堂)という絵本を見ていたら、白人に追い詰められたアメリカインディアンたちが居留地に向けてとぼとぼと歩いている絵が載っていた。「インディアン戦争」というタイトルだ。
インディアンの一隊が、自分たちの土地を離れて居留地へ出発する。首長ジョゼフが最後に降服したとき、インディアンみんなに向かってこう話した。「聞け、首長たちよ。私は疲れはてた。私の心は病み、悲しみに満ちている。太陽が照っている今この時から、私は永久に戦いを放棄する」。

 ジョセフはネズ・パース族の首長で、クリスチャンでもあった。ネズ・パース族が移住した居留地から金が出るということで、合衆国政府は最初の約束を反故にして土地を返せと要求した。次の移住地は広さが10分の1程度しかない遠い土地(アイダホ)であるため彼らは当然拒否する。合衆国は騎兵隊を送り反乱を鎮圧しようとしたがネズ・パース族は戦いながら逃げる。インディアンに比較的寛容なカナダに向かって1550キロの道のりを移動した。そして、あともう少しのところで総動員された軍隊に包囲され、飢えと寒さで疲れ果てて投降したのだった。
土地を奪われ、居留地へ向かったインディアンたちの悲劇は「涙の旅」とか「ロング・ウォーク」と呼ばれている。
この絵本には当時の宗教的な流行であった「ゴーストダンス」も出てくる。
インディアンは、ゴーストダンスが白人を消し去ってくれると信じていた。1890年のウーンテッド・ニーの大虐殺で300人ものスー族が殺されて、ゴーストダンスにはききめがないとわかった。

 私は、そこのところを読んでがっかりした。金に目がくらんで人の土地をむりやり奪い、傍若無人に略奪や殺人を繰り返す白人。それに対してなすすべもなく祈り、ダンスを踊っていただけなのに皆殺しにされてしまったのか。インディアンの呪いもきかないのだなあ。こんな人もいる。ショーニー族族長テクムシ。
COWBOY PICTURE and legendary old WEST より 赤い人「インディアン」最後の戦士たち
「われわれから大地を奪った者こそ呪われよ。われわれの先祖は墓の中から、われわれが奴隷の身分に身を落としてしまったこと、そして卑怯者となってしまったことを非難している。死者たちの嘆き声がひゅうひゅうと音をたてて吹きすさぶ風の中から聞こえてくる。その涙はうめき悲しむ大空から落ちてくる。白人どもこそほろびうせよ」

テクムシとかテカムセとか表記されている、ショーニー族の酋長にして呪術師だった人らしい。アメリカ先住民族は悲惨な末路をたどって大半が死に絶えてしまったが、呪ったはずのアメリカはその後ますます繁栄し、今にいたるまで世界のあちこちで戦争をして人を殺しまくっているのだ。

 2006年3月31日日経新聞「春秋」より
 米英軍は砂嵐に悩まされながらバグダッドに向け北進を続けていた。わずか三年前だが、もっと昔に感じる。クウェートを占領したイラク軍を排除した湾岸戦争となると、記憶はさらに遠のく。日本の大学生にはほとんど歴史に近い。
▼当事者にはそうではない。十五年前の今ごろ、解放されたばかりのクウェート人たちはイラク軍による破壊に茫然自失だった。思いは今に続く。先日閉幕した東京国際劇場祭で上演された「カリラ・ワ・ディムナ」は八世紀にイラクで起きたアッバース革命をクウェート人の視点から描く。それは現代史に重なる。
▼紅一点の登場人物アシアが最後に呪いの言葉を残す。「トルコ人、キリスト教徒、ユダヤ人が壮麗な金の戦車を駆って、アルマンスールの子孫を街路中に引きずり回しますように。イラクがあるマンスールに従うのであれば、イラクに繁栄なきことを。この日より永久に、この地が暴君だけを生み出しますことを」

 「カリラ・ワ・ディムナ」は中東で有名な動物寓話を下敷きにした演劇で、新進気鋭の劇作家スレイマン・アルバーサームの脚本だ。1000年以上前の宗教闘争が現在の中東の政治的混迷につながっているとは根が深すぎて恐ろしい話だ。ウィキペディアより「アブー・ムスリム」

 それにしても、こちらの方は女の呪いが成就したような空恐ろしさを感じるが、いったい呪いの有効性とはなんだろうかとつらつら考えた。アメリカインディアンは、一族滅亡に際してあんなに必死に祈ったのに白人をやっつけられなかったのはなぜかと考えていて、ふと思ったのは言葉の問題だった。きっと白人たちには言葉が通じなかったのだ。「インディアンの呪い」なんてばかばかしいから効くとも思っていなかったのだろう。そんな野蛮な考え方をする未開人は攻め滅ぼして当然だとも思っていたのだろう。だから呪いが罹らなかったのだ。なんせ呪いは「言葉の力」によるのだから。呪いはそれを信じていない人には効かない。

 では、今だれかが呪いをかけるとしたら有効だろうか?
もちろん。「言葉の力」なるものが流行しているし、「ババアが国を滅ぼす」とおっしゃった有名政治家もいらっしゃる。私はほんと感心したのだ。口先三寸で、なんと国の滅びを方向づけていらっしゃるではないか。石原都知事はある討論番組で「この国は成熟しきって腐って落ちる寸前の果物のようだ」とおっしゃった。そうか、これから日本は長い黄昏の時を歩むのだ。ああ、目に浮かぶようだ。多分、石原氏の予言はあたっているのだろう。なにせ社会学者がみとめる「すごい感染力」をお持ちなのだから。
 そして、「たかじんのとんでも委員会」なんかしょっちゅう「呪い」を連発している。よほど「呪い」が好きなのだと見える。あれだけ視聴率がある番組なのだ。きっとよく呪いが効くだろうよ。

山本権兵衛と山本満喜子

2007-11-23 21:06:19 | Weblog
 有名人の孫といえば、見田宗介「社会学入門」(岩波新書)を読んでいたときのこと、こんな一節があった。
 メキシコのスーパーマーケットで会ったタンゴダンサーで、山本満喜子さんという人がいるんですが、大正時代の総理大臣の山本権兵衛という人の孫で、その人がなぜメキシコにいるかというと、駆け落ちをしたのです。ナチスの海軍将校と大恋愛をして、ドイツはそのころ日本と同盟を結んでいましたが、ヒトラーは内心有色人種を劣等なものと思っているから、腹心の将校が日本人と結婚するのを許さない。そこで将校は潜水艦を一隻盗んで(!)アルゼンチンにわたって合流する。そこで男の子が生まれますが、その将校とは離婚して、一人で子供を育てることになる。アルゼンチンにたくさんあるタンゴ学校の事務員として働くのですが、見ていると自分も踊りたくて仕方がない。夜みんなが帰った後のホールで、昼間事務員として見ておいて練習を一人でやって、結局抜群にうまくなってしまう。いく時と仕事と学生と一人三役を異郷でやりながら、世界的なダンサーになる。キューバのカストロとゲバラにもとてもかわいがられて、ツーショットの写真などたくさん見せてくれました。

 山本満喜子さんって調べてみたら1993年7月24日に75歳でなくなっているが、中南米研究家としてたいへん有名な人だったらしい。キューバと国交がなかったころの渡航窓口として日本人の案内をしたりキューバ支援の呼びかけ人になったりした記録が残っている。
「昭和から平成までの歴史年表」より平成5年のページ
1993/07/24,平成5/07/24
山本満喜子がメキシコのアカプルコで孤独のうちに没。75歳(誕生:大正6(1917)/11/03)。中南米研究家でカストロ・キューバ国家評議会議長らと親交があり、ゾルゲ事件発覚に関わったといわれる。

「鍼を送る会」のサイトより「キューバの鍼灸」
 1970年キューバは世界の若者、労働者に向けてキューバ経済の主幹である砂糖キビ刈りのボランティアを呼びかけた。砂糖生産一千万トンが目標である。キューバ国民あげての運動に対し国交のない米国から約900名、ロシア、チェコスロバキア、東ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、朝鮮民主主義人民共和国、西欧各国、そして私たち日本からは山本満喜子さんを団長とする老若男女50名がはせ参じた。7月26日までに852万トンを達成したが残念ながら目標には及ばなかった。しかし、私たちにとって同じ理念に向かって参加し、働いた経験は遠く、淡く、そして静かに深く心に残っている。キューバ人や世界の体制の違った国の人々と共に働き交流したことは若い精神を大いに刺激しその後の生活規範ともなっている。


 山本満喜子さんのことを読んで、はたと膝を打って思い出したのが朝日新聞 be on Saturday「愛の旅人」 シリーズの「海は甦る」山本権兵衛と登紀子(2005年10月29日)
 山本権兵衛は日本海軍の組織改革を断行した人物として有名で、首相にも二度就任している。その明治、大正時代の有名政治家であった人が、若き海軍少尉時代に、茶屋の女中をしていた娘と駆け落ちをしたという逸話がこれに載っていたのだ。山本権兵衛の生涯をたどるTBSドラマ「海は蘇る」(77年)の一シーンにもなった。主演は仲代達矢、許嫁の娘登紀子つまり後の夫人は吉永小百合が演じた。権兵衛28歳、登紀子18歳。
 明治の元勲で奥さんが元芸者(伊藤博文)などという人もいるから、お茶屋奉公をしていた貧しい家の娘であってもちっともかまわないとは思うけど、駆け落ちとは少々ドラマチックだ。しかも、孫娘がドイツ将校と駆け落ちとは、偶然の一致というよりもそのような既成の概念に縛られない奔放な性格が家系に受け継がれているのではないかと少し疑った。
 しかし、新聞の記事によれば、山本権兵衛夫婦は生涯仲むつまじく連れ添い、一度も言い争いなどしたことがなかったとか。登紀子も夫にふさわしい妻になれるよう礼儀作法、教養を身につけようと苦労したらしい。アスパラクラブを検索しても、こんな以前の記事は出てこないから引用しておこう。
 登紀子の没後、手文庫から巻物が見つかった。55年前、モンツ伯の薫陶を受けて帰国した夫が結婚式を控え、贈ってくれた7カ条の誓約書だった。
一 礼儀を正ふし信義を重んじ質素を旨とすることを目的とすべき事
一 夫婦むつまじく生涯たがいにふわ(不和)を生ぜざる事
 妻のため、権兵衛は漢字にふりがなをつけた。「生涯」の2文字には「いつまでも」とルビをふっている。

 この記事から推測される権兵衛は、ドイツ仕込みのダンディーなフェミニスト。家族思いのやさしい父親。かつ、質素で古風な軍人気質。酒もたばこもたしなまず、晩年まで、布団の上げ下ろしや自室の掃除から、服や靴下の繕いまで、人の手を煩わさなかったとあるから自由奔放などという言葉からはほど遠い。


 で、何がいいたいのかと言えば、私はごく最近まで、ネットの有名人である「切込隊長」こと山本一郎氏のことをほんとに山本権兵衛のひ孫あたりだと思い込んでいたのだ。しかし、山本氏が以前ブログに、名家の御曹司である友人が貧しいインド系の娘と結婚してしまったできごとを述べたあと、「貧しい家の娘と結婚すれば上流階級から締め出され、それまでの交友関係の半分は失ってしまう。しかも親戚一同の嘲笑つき」と書いていたことを思い出して首をひねったのだった。(どこに書いてあるかは憶えていない。たぶん2004年の後半あたり。)山本氏がいくら銀のスプーンをくわえて生まれてきたにしても、一族のうち二人までが「お金も家柄も関係ない。ただこの人と添い遂げたい」という一心で駆け落ちをした血筋の人がいう言葉ではないんじゃないか?
 その疑問が解けたのは、つい最近「まとめサイト」なるものを見つけてからだ。
キャッチミーイフユーキャン
切込隊長がしつこく経歴やお金のことについて追及を受けていたことは日経新聞の記事にも載っていたので知っていたが、まとめサイトまでできていたとは。

 これを読む限りでは、本人は山本権兵衛と関係があるとは一言も言ってない。周囲が半ば冗談でそのようにこじつけていたのだった。どおりでキャラが違うはずだ。しかし、まとめサイトを読んでいてなんだか悲しくなってきた。ネットにはちょっと私などには手に負えないような悪意のある人たちがたくさんいて、執念深く情報を集めているのだから、何から何まで本当のことを書くわけにいかないのは当然だと思うのだ。むしろちょっとばかし嘘を交えてそれをネタにしてふざけても、それを嘘つきだとかどうこう非難する筋合いは誰にもない。まして、マンションを買ったとか買わないとか、なんでそんなどうでもいいようなことにこだわるのだろうか。いや、弁護するわけではないけど、あさましいというか、これじゃ山本権兵衛の夫人を嘲笑った人たちとまるで同じじゃないか?
 と、ここで切込隊長ブログにトラックバックでも打てばきっとすごくアクセスが増えるのだろうけど、もちろんそんなことはしない。



 それにしてもねえ、私は不思議なのですよ。2年半、ネット上に何も書いていなかったのに、3年以上放置していたYAHOO!フォトの方は3日で、こちらのブログは1週間もたたないうちにテキに見つかってしまったのはどういう仕掛けになっているのだろうか。きっとプロバイダーを変更したからそろそろ復活すると読んで虎視眈眈と見張っていた人たちがいたんだろうなあ。だれか、なにがどうなっているのか教えてくれる人はいないだろうか。

いないだろうなあ。

私は、だれ一人信用できないようなこんな国は滅びてしまえばいいと思う。

福原麟太郎と「奥の細道」

2007-11-22 23:28:57 | 日記
 大学の頃、女子高の国語教師になった先輩のアパートに遊びに行ったことがあった。この人とは波長が合うというのか、毎日長話をしてもちっとも飽きなかったが、さすがに久しぶりだったので楽しくて夜遅くまで話し込んだ。「最近、どんな本を読んだ?」と聞かれ、「また随筆に凝ってます。内田百、寺田虎彦、串田孫一、福原麟太郎・・・」と言うと、「ああ、福原麟太郎ね、私の持ってる国語のクラスに孫がいるわよ。」と言われたのでびっくりした。

「えっ!孫って、ほんとの孫ですか?」
「そう。私も聞いて最初はびっくりしたけど、考えてみれば福原麟太郎って福山市の出身じゃない。このあたりにご家族が住んでいらしても何の不思議もないわけよ。」
「そういえば・・・・。で、やっぱりその子は国語が得意なんですか?」
「いやー、そうでも・・・。」
「ははあ・・・。そうか!やっぱり英語ですよね、英語が抜群にできるとか?」
「あはははは、・・・かわいい子なんだけどね。」
「そ、そうですか。やっぱり、おじい様があんな有名な方だと、いろいろ苦労があるんでしょうねえ。小さい頃から『家の名に恥じないような行いをしなさい。』とか厳しく言われて・・・。」
「いやいや。ちょうど、教科書に福原麟太郎の文章が載っていてね、そうしたらその子が職員室に来て、『これ、わたしのおじいちゃんよ。』って言ったの。てっきり同姓にかこつけて冗談を言っているのだと思ってたら本当だったからびっくりした。本人は『教科書に載ってるってことは有名な人だったんだね。』って無邪気に喜んでた。それまでおじいちゃんの本を読んだことはないんだって。」
 私はちょっとショックだった。もったいない。もったいなさ過ぎる。私がもし、あんな有名な文学者の孫だったら、親戚中まわって祖父の逸話や手紙や写真を収集し、「わが祖父○○」とか「孫が読む○○の△△△」とか「○○の孫レイちゃんのイングランド旅行記」とかいっぱいあることないこと本に書いて一攫千金大儲け!ゲホッ、ゲホッ・・・・。

 それにしても、福原麟太郎がチャールズ・ラムについて書いたエッセイで、気のふれた姉の面倒を見るために一生独身を通したラムが、年取った時孫たちに囲まれて幸せな余生を送っている自分の姿を夢想する哀切極まりない随筆を紹介しているものがあって、私はそれを読んだとき、ついさめざめと泣いてしまった。そのせいで、てっきり福原氏も家族に恵まれない方ではなかろうかと勝手な推測をしてしまっていたのだが、かわいいお孫さんがいらっしゃったということはほんとに喜ばしいことだった。もう少しおじい様の文章の価値を自覚した方がいいとは思うけど。

 しかし、最近夏目漱石の孫である夏目房之介の本を何冊か読んで、やっぱり文豪の孫というのも結構つらいもんがあるなあと思った。夏目房之介の漫画に関する本は、漱石なんか抜きで文句なしにおもしろいからいいんだけども。


 ところで、その先輩Oさんとは下宿で一年いっしょに暮らしただけだったが、今思えば不思議なくらい飽きもせず、毎日部屋に入り浸って話し込んでいた。多分、お互い適度にぼんやりしていたので気兼ねがいらなかったのだと思う。Oさんのお父さんは国立大学の教授であったが、遠くの大学に転勤になったので家族はみんなそちらに引っ越して、一人置いて行かれたのだった。4年生になるまでずっと自宅通学であったのがいきなり一人暮らしで、自炊に慣れないこと私以上だった。
 
 そう言えば、自分たちがいかにぼんやりであるかということについて話が盛り上がったことが何度かある。
「私は、何年かぶりにレコード店に入ってみたらレコードが全然なくなっていて、全部CDに変わっちゃっていたのにはもー、びっくりした。浦島太郎みたいな気分でした。」と言うと、Oさんは笑い、「さすがに私はそこまでひどくないよ。ちゃんと新聞読んでいたし、毎日レコード店の前を通って見てたし。」と言ったが、
「そういえばねえ、浦島太郎みたいな気分になったことがある。」と話をしてくれた。

 Oさんの趣味は旅行だ。それもユースホステルなど安い宿を自分で探して毎年テーマを決めて行くらしい。」去年のテーマは「奥の細道」の旅だった。
 芭蕉の足跡をたどってできるだけ行ってみようということで、鈍行列車に乗って東北、北陸方面を回り、松島、平泉、立石寺などを鑑賞し、その後象潟で電車を降りた時だ。Oさんは象潟は港町だろうと思っていたのだ。だって「潟」っていうくらいだもの。ところがそこはごく普通のひなびた田舎の駅だ。あわてて「奥の細道」を取り出して読んでみた。
江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸をせむ。酒田の湊より東北の方、山を越え磯を伝ひいさごを踏みて、其の際十里、日影やゝ傾く比、汐風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山かくる。

其の朝、天よく晴れて朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮ぶ。先づ能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上漕ぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念を残す。

松島は笑ふがごとく、象潟は怨むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂をなやますに似たり。
  象潟(きさがた)や雨(あめ)に西施(せいし)がねぶの花(はな)

やっぱり海だ!舟を浮かべたっていうくらいだもの。そこで駅員さんに「あのー、象潟というのはどのあたりですか?」と聞いてみた。駅員さんはきょとんとして、「ここが象潟町ですが。」と答える。Oさんはあせった。「私は、奥の細道の名所旧跡を訪ねる旅をしているのですが、ここに象潟は松島に並ぶ景勝地と書いてあるんです。」と食い下がると、「まあ、昔とは景色が違ってきましたからね。」とあっさり言う。Oさんはますますあせった。「じゃあ、能因島はどこですか?」と尋ねると駅員さんは首をかしげて考えていたが、ちょうどそこを通りかかったおばあさんを呼びとめて聞いてくれた。おばあさんは「ああ、能因島ね。あの道をまっすぐ行って・・・」と親切に教えてくれたのだが、その方向はどうも海の方向とは違っているようで一抹の不安をおぼえた。しかし、せっかくここまで来たのだからと藁にもすがるような思いでひたすらその方向に向かって歩いて行った。道は田んぼの中の農道みたいなところで、行けども行けども青々とした稲の海。もう帰ろうかと思ったとき、小さな山というより丘のようなものが見えた。立札が立っている。まさかと思って近づいてその札を読んでみると、なんとそこが能因島だった。「ここは元は海に浮かぶ島であったが、文化元年の地震で地面が隆起して陸になった。」という趣旨のことが書いてある。
 「いつの間に!」Oさんは肝をつぶした。Oさんの持参した文庫本「奥の細道」にはそんなことは一行も書いてなかったのだった。

 「だからねえ、気をつけないと、知らない間に海が陸になっちゃうのよ。私はショックだったわー。」うーん、それは知らなかった。たいへんだ。
 よい写真がないかと思って探したら、こちらのサイトにあった。「山形日本海紀行2004」


 先輩が「それでね、新聞は取らないとダメよ。」と言うので、それ以来新聞を取ってできるだけ読むようにしている。しかしやっぱり10年に一回くらいは、ふと気がつくとLPがCDに、とか海が隆起して陸に、とかいう驚愕の体験をしてしまうのはつくづく情けないと最近思う。

W太田

2007-11-21 12:26:43 | Weblog
 昨夜、夕飯の後片付けをしていたら、テレビから太田述正氏の声がした気がして、「まさかな・・・」と思っていたら本当に太田述正氏が出ていた。「防衛庁の納入をめぐる口利きに関与した政治家リスト」の件でインタビューを受けておられたのだった。たった二回テレビでお見かけしただけなのに、声を聞いただけで判別できたというのはすごいインパクトがあった人なのだろう。週末開けに仕掛けた「時限爆弾」というのはこのことだったのか。あーあ、日本版CIAの教官という道はなくなったなあ。

YAHOO!ニュース 額賀財務相の接待、口利き疑惑

 太田氏が以前民主党から立候補したわけは、ありとあらゆる政治家が口利きをしてきて、そのほとんどが自民党の政治家であったのだが、民主党(当時)は一人もいなかったからだとおっしゃっている。そして、「いかに民主党がだめであろうと、自民党支配の政権を変えない限り日本はどうにもならない」のだとおっしゃる。
 テレビでは額賀財務大臣も仙台防衛施設局幹部も口をそろえて「記憶にない」と言っていた。「記憶にない」って便利な言葉だなあ。昔リクルート疑惑だとかもう忘れちゃったけどいろいろな疑惑で国会で証言した人たちがみんな「記憶にない」と言っていて、私は「これだけ一生懸命言うのだから、ほんとに忘れちゃってるに違いないよ。私だってよく忘れるし、忙しい人はいちいち憶えていられないんじゃない?」と思ったものだけど、あれはみんな嘘だったと後でわかってめちゃめちゃ腹が立った。考えてみれば太田氏のように鮮明に憶えている人もいるのだから、「記憶がない人」と「ある人」のどちらが信頼できるか言うまでもない。そもそもそんなすぐに忘れるようなボケた人(もしくは、悪いことをたくさんし過ぎていていちいち憶えていられない人)はすぐに大臣やめろよ!

 太田氏はわざわざ官僚の職を投げ打って、腐敗を告発するために野に下った人だ。この人が今、自民党を敵に回して背水の陣で告発してるんだから「知らない。憶えていない」ですむと思うなよ。これは自民党に自浄能力があるかどうかという問題だ。
 もし太田氏が「うそつき」で終わってしまったら、金魚鉢の水が完全に腐っているってことなので、総とっかえしなくちゃいけないというしるしなんだろう。ああ、大変そうだなあ。水槽の水替えって大変なんだ。

 あと、太田さんは、「つまり接待なんてみみっちいことで、企業が天下り先を準備して囲い込んでいるということの方が重大だとおっしゃってるわけですね。」などと司会者に通訳してもらうのではなく、最初に大事なことをぱっぱとおっしゃるようにすれば誤解されることもなく、テレビの討論番組にもっと呼んでもらえるのではないかと思う。


 その後に「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。昨夜は気象学の高藪緑氏。高藪先生の雲の動きに関する研究が地球温暖化予測にも取り入れられたという世界的に有名な方らしい。これかな?
地球シミュレータによる最新の地球温暖化予測計算が完了
地球温暖化に関しては懐疑的な人もいるようだ。
地球温暖化のエセ科学 2007年2月20日 田中 宇
地球温暖化問題の歪曲 2005年8月25日 田中 宇

 番組でも、また太田光が変なことを言っていた。「社会が進歩していろいろな環境問題が生じてきて、それに対する対策がとられても、さらにその対策自体が環境に負荷をかけるものになったりはしないか。」「『沈黙の春』を書いたレイチェル・カーソンは、結局天敵を使ったような農業を推奨しているんだけど、その天敵自体が自然の生態系をこわしたりするんじゃないか。」とか。
 それ、高藪先生の専門じゃないって。天敵を使った農業ってもうやってるし、レイチェル・カーソンの警告によって世論が巻き起こり、農薬はどんどん安全性の高いものに変わっていったし。昔は農薬飲んで自殺する人がいたけど、最近の農薬は飲んでも死なないのよ。

 思い出したのは、また「爆笑問題のピープル」(幻冬舎)中沢新一との対談。
田中―結局、日本人って文化とか芸術に対して反応が遅いじゃないですか。それがよくないんですかね?
中沢―いや、自信がないんだ。自分がこれがいいと思ったら、それをとことんやればいいんですよ。ヨーロッパ人がどう言うか、アメリカ人がどう言うか、そんなこと知ったこっちゃないやと、自信を持ってやる破天荒なところがなかったんですよ。他人のことを気にしすぎなんだよね。
太田―だから本当に自信がないなあと思うんですよね。いま『もののけ姫』って流行っているじゃないですか。あの映画のテーマは自然破壊がどうのこうのとか言われているけど、あれはみんながいまの自分たちの社会はどこか間違っていると思うから流行すると思うんですよね。「これでいいじゃん」という人があんまりいないですよね。環境破壊をしても、けっこう便利になって、いいじゃないかと僕は思っちゃうんですよ。みんなが自分は正しいと思っている状況もすごく怖いことだけど、みんなが自分は間違ってると思っている状況というのも気持ち悪いですよね。

中沢―ただ、映画について書かれたものを読んだ限りで言うなら、あのテーマって1930年代ぐらいまでの人間がいろいろ考えた結果、やっぱり解決しようがない問題なんですよね。その解決を探りながら戦後の歴史はできてるんだけども、要するに自然破壊と技術の発達という問題を、ああいう形で出してくるまでは誰でもできると思うのね。そこまではわかった、共感を得るのもわかる。しかし「じゃあ、どうするんだ?」と言った時に、これが問題で。じゃあ、産業の規模を縮小しようとなったら、いまここで灯いているライトは全部消さなきゃいけないですね。「パーフェクTV!」なんかもなしにしないといけない。

太田―(略)例えばミヒャエル・エンデの『モモ』という童話があって、あれなんかも文明が発達していくと大事な時間が失われていくと、だけど、あれを読み終わった後に、いまの人間の社会とか自分たちの生活を全部否定されちゃたような気がして。「こんなことをやっていたら、いまに人間はしっぺ返しを喰らいます!」みたいなね。そうするとすごく窮屈になって、それで爆発したのがオウムじゃないかと思うんですよね。「じゃあ、そういう世界を全部壊しちゃえ!」という発想になっちゃう。
 だからそれよりも、そんなことはいまさら言われなくてもわかってるわけだから、そのダメな人間をどうやって好きになれるか、ということを考えさせてくれる方がいいような気がするんですよね。
中沢―本当にその通り!


で、上記番組の最後に高藪先生からのメールが紹介されていて、ここの「プロデューサー後記」に引用されているんだけども、高藪先生も「過去の日本に帰ることはできないのだから、なんとか科学技術の進歩で問題を解決していくしかないのでは。」という意味のことをおっしゃっていた。それでまた思いだしたのは、社会学者の宮台真司が「近代社会の矛盾は、近代を徹底することよって解決するしかない」と言っていたことだ。どこに書いてあるか忘れたけど。

それからー、猫出してくればいいってもんじゃないよ!NHKなんだから!

集英社 世界文学全集

2007-11-20 21:45:11 | Weblog
 そう言えば中学2年の頃、父が芥川全集を買ってきて私にくれたことがあった。だから私は芥川の全作品と日記、書簡を読んでいるのだけども、あの本はその後ある事情で開かずの間になってしまった部屋にあって、取り出すことができない。愛読していたシャーロック・ホームズや怪盗ルパンも一緒にそこにある。いつか取り出すことができるだろうか。

 高校の頃、父がまた集英社の世界文学全集を買い揃え始めた。その頃私はいろいろな人の随筆を読むのにハマっていて、ちょうど中野好夫の「英文学夜ばなし」「シェイクスピアの面白さ」を読んだところだったので、全集の中から真っ先にシェイクスピアを手に取った。ちょうど夏休みだった。「真夏の夜の夢」「ベニスの商人」「冬物語」「あらし」ときて、そのあと「ソネット集」を読んだときにはぎょっとした。

 バラが出てきて花の詩かと思ったら、その後に続くのは「蛆虫」「老醜」「墓」「死神」。「どんなにあなたが今美しくとも、時がたてばしわが寄り、目は落ちくぼんで人にはボロ布のように見えるのですよ。そしてやがて死んだあとには、冷たい墓の中で蛆虫があなたの体を這いまわり、あとには何も残らない。」だから今のうちに結婚して子供をつくりなさい。というお説教だ。
 その次には愛の賛歌がくる。
小田島雄志「シェイクスピアのソネット」(文春文庫)より
    18
あなたをなにかにたとえるとしたら夏の一日でしょうか?
だがあなたはもっと美しく、もっとおだやかです。

    24
私の眼は画家となってこの心のタブレットに
あなたの美しいからだを見たままに刻みつけている、

    26
わが愛の君主よ、あなたこそ私が臣下として
心からの忠誠を捧げるにふさわしいかた、

どんな美しいお方だったのか?!
しかしその愛はやがて曇ってくる
    35
ご自分の犯した罪を嘆くのはもうおよしなさい、
バラには刺があり、銀色の泉には泥がひそみ、
太陽や月にはかげらせる雲やむしばむ蝕があり、
かぐわしい蕾には忌まわしい虫が棲むのだから。

    49
愛する人よ、私の愛するものすべてを奪いとるがいい、
それであなたはこれまで以上に財産がふえるだろうか?
あなたがこの恋人を奪う前から私の愛はすべてあなたのものだった。
私の愛ゆえに私の恋人を受け入れたのであれば、
私の恋人をものにしたからといってあなたを責めはしない、

なんのこっちゃ?!「愛する人」は男性だったのか?そして「私」の恋人を奪ったと?
嫉妬、苦痛、猜疑、懇願、自己卑下、哀願、未練、あなたが~すると、あなたが・・・、あなたが、あなたが。
なんと愛とはおそろしいものだろうか。愛も恋も知らなかった私はおそれをなした。
    66
こういうことには倦みはてたので安らかに死にたい、
たとえば貴重な価値が乞食として生まれ、
たとえば無価値な空虚が美々しく飾られ、
たとえば清純な誠意が無惨にそむかれ、
たとえば金ピカの栄誉が場ちがいに与えられ、
たとえば無垢の美徳が乱暴にも淫売あつかいされ、
たとえば正当な完璧さが不当にも侮辱され、
たとえば真の力が無能な権力に無力化され、
たとえば学芸が時の権勢に口をふさがれ、
たとえば知識が識者ぶった無知に支配され、
たとえば素朴な真実がばか呼ばわりされ、
たとえば囚われた善がいばった悪の奴隷にされる、
 こういうことには倦みはてたのであの世に行きたい、
 ただ私が死んで愛する人をひとり残すのがつらい。

ああ、おそろしい。
そして唐突に出現する謎の「ダークレディー」
    130
私の恋人の目は輝く太陽にはくらぶべくもない、
彼女の唇の色より珊瑚のほうがはるかに赤い。
雪が白いとすれば彼女の胸は灰褐色でしかない、

    131
君はそのようにいわゆる黒い女なのに、暴君ぶりは
美貌を鼻にかけて残酷になる女にも劣らない。

どうもあまり美しい人ではなかったようだ。(心映えも)
    144
私には慰めになる人と絶望させる人と、二人の恋人がいる、
二人は守護霊のようにたえず私にささやきかける。
善霊のほうは色の白い実に美しい男であり、
悪霊のほうは色の黒いまことに不吉な女である。
女の悪霊はすぐにも私を地獄にひきずりこもうと、
男の善霊を誘惑して私のそばから引き離す、
そして淫靡な華麗さで彼の純情をかき口説き、
私の聖者を悪魔にまで堕落させようとする。

なんと三角関係のようだ!
しかしなぜ・・・・(以下省略)

 シェイクスピアという人の饒舌と執念深さに辟易した私は、気を取り直して、今度はジェーン・オースティンを手に取った。中野好夫さんが「ジェーン・オースティンは当時の教養小説に比べると読みやすく、ビクトリア朝のレディーたちは長椅子に寝っ転がってお煎餅でもかじりながら読むような感覚で読んでいた。」と書かれていたのを思い出したのだ。全集に入っていたのは「マンスフィールド・パーク」。お煎餅を食べながら寝っ転がって・・・
とはいかなかった。すぐに目がどんよりしてきて眠くなる。次の日も、その次の日も、根性を入れて読み始めたがすぐに寝てしまう。あれは寝っ転がっているうちに寝てしまう本という意味だったのか?どうも腑に落ちない。結局読み終わるのに二週間くらいかかった。遅すぎる。

 納得がいかなかったので新学期が始まって学校に行ったとき、英語の先生に聞いてみた。「ジェーン・オースティンが読みやすいと書いてあったので読んだのですが、もう退屈で、退屈で・・・・」「ははあ、ジェーン・オースティンね。私は、あの人はお金のことばっかり書いているから嫌いです。」「えっ?」私はうろたえた。「お金のことなんか出てきましたか?結婚の話だと思うんですが?」「ええ。結婚の話がつまりお金の話なのです。」「えっ!えーっと、あのかたは今は貧乏な牧師だけれども伯母さまから何百ポンド相続することになっているとか・・・・」「そうそう。」「あのかたは、見た眼はお金持ちそうだけど、何エーカーの土地しか持ってなくて、実情は苦しいとか・・・」「そうそう。」「ははあ。」
 先生が説明されたところによるとこうだった。18世紀の女性たちは相続権を持っていなかった。父親が死んだとき、残されたのが娘ばかりであれば財産は甥にいってしまう。このようにして一挙に貧乏になってしまった姉妹を描いたのが「高慢と偏見」だ。当時の女性の職業は限られており、貴族階級の娘ができるのは他家の家庭教師くらいのものだ。だから、年頃になったらいかにお金持ちの男と結婚するかが大事なのだ。それで一生が決まってしまう。それでわかった。彼女らにとって、結婚は人生の最重要課題だったのだ。幸福の実現はその一点にかかっている。勝つか負けるか、資源の争奪戦だ。ああ、それならばわかる。当時の女性たちがジェーン・オースティンを好んだわけが。はらはら、どきどき、推理小説も目じゃないくらい頭を悩ませながら主人公の恋の行方を見守ったに違いない。そうだったのか・・・。

 後にイギリス映画で「いつか晴れた日に」(1995年 エマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント)や「エマ」(1997年 グィネス・パルトロウ)を観たとき、はじめて私はジェーン・オースティンのおもしろさに目が覚めた。やっぱり映像の力というのはすごいものです。映画の中のレディーたちの、なんと美しいこと。その後原作を読み返してみて、やっと書いてあることが理解できた。

 それにしても、ゲーテとかバルザックとかドストエフスキーとかホーソーンとかツルゲーネフとかエミリー・ブロンテとかプイグとかボルヘスとか・・・どれもこれも読むと私は体調が悪くなっていたのは、やっぱり鉄分が足らなかったのでしょうか。それとも、愛にアレルギーでもあったのでしょうか。

筑摩書房 現代日本文学全集

2007-11-19 11:25:56 | 日記
 私の父は何とか全集というのが大好きだったので、家には世界文学全集や美術全集や漱石全集、「日本の歴史」「世界の歴史」などたくさんの本があった。中でもおもしろかったのは、タイトルははっきり覚えていないのだけど「日本漫画全集」みたいなハードカバーの漫画全集だった。手塚治虫の「ジャングル大帝レオ」や「リボンの騎士」、つげ義春の前衛的な作品などはみんなこの全集で読んだ。この年代の漫画家の作品集だ。家に本が多くなってきたので古い本は片端から蔵の中にしまわれるようになって、昭和30年頃に出版された筑摩書房「現代日本文学全集」もほとんど読まれないまま、蔵の二階に本棚ごとしまい込まれてしまった。

 夏になると毎年うちに泊まりにきていた従兄弟たちの中で、特に読書好きだった神戸の従兄がこれに興味を示した。彼はとても物知りで、私は好きだったのだけど、メダカすくいや蝉取りに誘ってもちっとも乗ってこなかった。うちに来たその日の午後、庭で捕虫網を一時間ほど振り回してチョウを何匹か捕まえると、さっさとそれを標本にして、あとはずっと蔵の中に閉じこもって日本文学全集を読みふけっていた。1週間も2週間もずっと読んでいるのだ。昼ごはん時に呼びに行くとよろよろと出てきて、ご飯を食べたあとまた蔵に籠って読む。従兄のおかあさんは、彼が痩せていてひ弱なので田舎で元気に遊んでほしいと願ってうちに寄こしていたに違いないのに、まったく外で遊ばないので、夏の終わりにはすっかり青白く、前よりやつれて帰ることになってしまった。蔵に籠って読書の夏休みというのは次の年も続いた。筑摩書房の現代日本文学全集を彼が全部読み終わるまで。

 私はそんなにおもしろいものだろうかとパラパラめくってみたが、むずかしい漢字ばかりで、当時小学生だった私には読めやしない。漱石なんかやたらと当て字が多くて判じ物みたいな文章なのだ。どこが「現代日本」なのじゃー!

 ところで、当時神戸では「兵庫方式」という独特の高校入試制度を採用していた。自宅から近ければ近いほど入試に有利になるらしかった。普通ならば従兄は自宅のすぐ近くにある公立の進学校に行けるはずである。ところが「兵庫方式」にはもうひとつの大きな特徴があった。内申点で実技科目である保体・音楽・技術・美術の点数が二倍に加算されるのだ。従兄は国数理社英は得意であったが実技が苦手だった。要するに運動神経が悪くて不器用だったのだ。それで志望校には行けなくてランクを落とし、電車に乗って通う遠くの高校に行くことになってしまった。ちゃんと夏休みに遊ばなかったからだ。

 しかし、もちろんその高校ではダントツ学年一番の成績だったので、大学は名門国立大学に受かった。めでたし、めでたし・・・ではなくて、その後新興宗教にハマってしまった。そして卒業後その教団の関係の仕事をしていたが阪神大震災で会社が倒壊、転職・・・。その後の紆余曲折を聞くに、やっぱり小学生のうちから夏休みに蔵に籠って日本文学全集なんか読んでいるような子は、前途多難な人生を送らざるを得ないのではないかと私は最近思っている。

少年倶楽部

2007-11-18 22:02:03 | 本の感想
 昔、少年倶楽部の文庫版というものが出版されて、全集大好きな私の父がひと揃い買ってきた。家には文学全集や美術全集などがいろいろあったけど、なんでこんな古いものを買ってくるのかといぶかしく感じて「懐かしかったから?」と訊ねてみた。すると父は「いや、うちの家は子供に少年雑誌を買ってくれるような家じゃなかった。たまに親戚に遊びに行った時、そこの子がとっていたのを読ませてもらったくらいだ。」と言う。「じゃあ、昔読みたくても読めなかった悔しさから?」と聞くと「そんなんじゃない!」と答えたが、父が次から次へと全集物を、ろくに読む時間もないのに買い込むのはよほど本に飢えた経験があってのことに違いないと思った。

 その少年倶楽部文庫版は、戦前に掲載された作品を集めたものだったが、活字も仮名遣いも今風に直してあって、「のらくろ」や「冒険ダン吉」など漫画も収録されていたので私でも楽しく読めた。
 
 「のらくろ」は、ノラだった犬がひょんなことから軍隊に拾われ、二等兵からどんどん手柄を立てて出世していくというお話だけど、私が覚えているのは、この犬が怠けもの食いしん坊でしょっちゅう仕事をサボっては酒保に忍び込み、盗み食いをしてたというところだけだ。サルの軍隊と戦争をしたときも勇敢に戦ったわけではなく、逃げ隠れしていたらいつのまにか敵陣に迷いこんじゃって偶然手柄を立てることになったのだ。それなのに、ノラクラしているうちに勲章をもらったり、だんだん出世していく。まるですごろくのような楽しい人生で、読んでいるうちに自然と軍隊用語の基礎知識がついてくる。ブルドッグの連隊長がまじめないい人で、私はすっかりファンになってしまった。
ウィキペディアの記述量から見るに、今でも相当ファンがいるようだ。

 小説で覚えているのは「苦心の学友」だ。こんな話だった。主人公の正三君のところにある日、華族のお殿様のところから使いがくる。正三君のお父さんは役人であるけども、家はもともとある藩に仕える武家だった。その主家筋のお殿様からの呼び出しだ。何かと行ってみると、お殿様の長男が正三君と同い年なので、ぜひその坊ちゃんの御学友として屋敷に来てくれという話だった。この坊ちゃんというのが全然勉強をしないやんちゃ坊主で、要するに出来が悪いので、成績優秀な学友でもそばにいてくれたら発奮してやる気が出るかもしれないという親バカな考えから無理を言って来たのだった。そして正三くんは親思いの良い子であったから、その話を受けてしまい、大変な目に遭う。公立の学校から華族の通う私立の名門校に転校し、いろいろ慣れないことも多いのに、この坊ちゃんがまたとんでもない奴だった。こんなことになったのを逆恨みして意地悪をする。もし、試験で自分よりよい点を取ったら、「おトンカチのとんがった方で一点につき一回叩くよ。」などと脅迫する。正三君は、とんがった方は危ないので平たい方にしてくださいと交渉すると、では一点につき二回ならば負けてやろうなどと言う。自分の頭がデコボコになってしまうのではないかと心配しているのを、お屋敷の人たちは不安なのだと誤解している。特に家令の老人は、先祖代代この家に仕える元家老であるためお家大事、若君大事の昔風の人だ。「どんなものだろう?試験で一番になれそうかな?」とこっそり聞いてくる。「はあ、一番は思い切りさえよければなれますが」「一番が無理なら二番でもいいのだが。」「二番といいますと、ちょっと加減がむつかしいですね。」正三君の答えに首をひねって問いただしたところ、トンカチで打たれるよりはいっそのこと白紙で提出してビリから一番になろうとしていたことが判明して、坊ちゃんは大目玉。しかしふてくされて正三君には口もきかない。こんなわがままなバカ息子は締め上げてやった方が本人のためだと私は思った。しかし、誠実で品行方正な正三君はそんなことは夢にも考えない。さらに家令の老人は「君、君たらざれば、臣、臣たらず」とか、難しい漢文を引用して「仮に主君が道を誤ることあれば、家臣は切腹してこれをお諫めするべきです。」などと説教する。正三君は、坊ちゃんがいちいち道を誤る度に切腹していたら僕は命がいくつあっても足らない、と悲観的になる。ほとんどノイローゼ状態だ。

 私はこれはひどいと思った。こんなのを読んで戦前の子供は憤慨しなかったのか?いや憤慨するから書かれたのかもしれない。今検索してみると、そう単純なユーモア小説でもなかったようだ。おしまいには坊ちゃんもなんとか成績が向上し、二人の間には友情が芽生え、めでたしめでたしなのだが、私は後に思った。こういう本を戦前読んできた子供は、いやでも「国と個人」とか「義理と人情」とかそのような相克を考えざるをえなかっただろうなあ。そして、きっと主君のために腹を切るじゃないけど、「会社のために」家庭を犠牲にして経済発展に邁進するなんてことはあたりまえにできたのだろうなあ。

 あと、覚えているのは「ああ玉杯に花うけて」。この著者の佐藤紅緑は作家佐藤愛子、サトウハチロー兄妹の父親だ。タイトルの「ああ玉杯に・・・」は旧制一高の有名な寮歌で、これは貧乏で進学をあきらめている千三少年が、数々の苦難にも負けず私塾に通い、成長していって最後に一高に進学するという話だ。この小説について解説したよいサイトはないかと探したら、まさにそういうブログがあった。「学校今昔物語」より[教育の中の近代]7『ああ、玉杯に花うけて』。なんとわかりやすい。こんな話だったのか!さらに探すと青空文庫に収録されていた。わあ、今読み返してみると壮絶な話だ。チビ公の貧乏は半端じゃないし、旧制中学の先生たちもひどい。野蛮なバトルも出てくるし、「なんてひどい時代だったんだろう」と当時の私はあきれ果てたのだった。

 かすかに覚えているのはここのところだ。私塾の卒業生である安場が、黙々先生の教えを受けながら一高を受験したときのこと、
 おれは貧乏だから書物が買えなかった。おれは雑誌すら読んだことはなかった。すると先生はおれに本を貸してくれた。先生の本は二十年も三十年も前の本だ、先生がおれに貸してくれた本はスミスの代数(だいすう)とスウイントンの万国史と資治通鑑(しじつがん)それだけだ、あんな本は東京の古本屋にだってありやしない。だが新刊(しんかん)の本が買えないから、古い本でもそれを読むよりほかにしようがなかった、そこでおれはそれを読んだ、友達が遊びにきておれの机の上をジロジロ見るとき、おれははずかしくて本をかくしたものだ、太政官印刷(だじょうかんいんさつ)なんて本があるんだからな、実際はずかしかったよ。おれはこんな時代おくれの本を読んでも役に立つまいと思った、だが、先生が貸してくれた本だから読まないわけにゆかない、それ以外には本がないんだからな、そこでおれは読んだ。最初はむずかしくもありつまらないと思ったが、だんだんおもしろくなってきた、一日一日と自分が肥(ふと)っていくような気がした。おれは入学試験を受けるとき、ほんの十日ばかり先生が準備復習をしてくれた。
「こんな旧式(きゅうしき)なのでもいいのか知らん」とおれは思った。
「だいじょうぶだいけ」と先生がいった、おれはいった、そうしてうまく入学した。

 冗談じゃねえ!参考書とも言えないような古い本を与えられて東大に合格できるはずがない。それだけではない。この旧式の先生は、へそが大事だと事あるごとに言って腹式呼吸をさせる。そりゃ、丹田も大事ですよ。メンタルトレーニングというものもありますから。しかし、これは単なる精神主義じゃないのか?胡散臭いにおいがぷんぷんする。旧制中学の先生の「中江藤樹」や、「英文訳を右から書け」もひどいけど、この先生のはまだひどいと思う。こういうところ、
「日本の歴史中に悪い人物はたれか」
 いろいろな声が一度にでた。
「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)です」
「蘇我入鹿(そがのいるか)です」
「足利尊氏(あしかがたかうじ)です」
「源頼朝(みなもとのよりとも)です」
「頼朝はどうして悪いか」と先生が口をいれた。
「武力をもって皇室の大権をおかしました」
「うん、それから」
 武田信玄(たけだしんげん)というものがある。
「信玄はどうして」
「親を幽閉(ゆうへい)して国をうばいました」
「うん」
「徳川家康(とくがわいえやす)!」
「どうして?」
「皇室に無礼を働きました」
「うん、それで、きみらはなにをもって悪い人物、よい人物を区別するか」
「君には不忠、親に不孝なるものは、他にどんなよいことをしても悪い人物です、忠孝の士は他に欠点があってもよい人物です」
「よしッ、それでよい」
 先生は、いかにも快然(かいぜん)といった、先生の教えるところはつねにこういう風なのであった、先生はどんな事件に対してもかならずはっきりした判断をさせるのであった、たとえそれが間違いであっても、それを臆面(おくめん)なく告白すれば先生が喜ぶ。

これがよい先生なのか?私はこういう教育を受けた人たちが日本のエリートになって戦争をしたのだから、負けて当然だったなあと当時思った。これは正しい読み方ではないかもしれないけど。

 私は、あの頃少年倶楽部を読んで戦前のむちゃくちゃな社会と教育を読み取って辟易した。あれは合理主義的精神からかけ離れたものだ。それ以来、第二次大戦時に兵站を無視した無謀な戦略によって何万人が餓死、病死などという話を聞くと、決まって少年倶楽部を思い出す。

 

福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

2007-11-17 23:10:24 | 本の感想
 先月、夜テレビをつけたら偶然「心に刻む風景」という番組をやっていた。取り上げられていたのは野口英世。驚いた。相変わらず立志伝中の人物として扱われているのだな。
 
 野口英世について思い出すのは小学生の時のこと。当時国語の教科書にあの有名な母親シカの手紙が載っていた。私は「わあ、なんて偉い人なんでしょう。やっぱり努力すればかならず報われるのね。」と単純に感激して、担任の先生に「早くこの単元に入ってください」とお願いに行った。ところが、先生はフッと笑い、「これはね、野口英世が偉いのではなくて、お母さんが偉かったっていうだけのことだよ。そこのところを誤解してはいけない。野口英世の研究成果はね、今では結局間違いだったて話だよ。」とおっしゃった。
 この先生はよく、「アメリカのニューディール政策というのは、要するに公共事業で失業者対策をしたっていうことに意義があっただけで、テネシー渓谷の開発なんてね、結局失敗だったんだよ。」とか「ソ連の計画経済というのは、生産や流通を政府の統制下において目標を定めて食糧や工業製品を作り、消費しようというものです。ところが教科書に載っている第○次五か年計画というのは、実はほとんどが失敗でした。経済というのは長い単位で計画を立ててうまくいくものじゃないんだよ。」などと、時々小学生にはよく理解できないことをおっしゃった。今にして思うと、その先生の知性教養は並のものではなかったし授業もとてもユニークなものだったのだけど、ド田舎の無知な小学生である私たちは、まったくその価値がわからなかった。そのときも私はムッとした。「野口英世は偉人伝のシリーズに載っているのだから偉い人に違いないのだ!先生のいうことはわからん。」
 
 先生の皮肉っぽい笑いの意味がわかったのは中学に入ってからだった。図書室の伝記シリーズのそばに一冊の古い本があるのを見つけた。それはボロボロで活字も古めかしい大人向けの野口英世の伝記だった。早速借りて読んでみて大ショック。子供向けの伝記では、野口英世はあまりに賢かったので先生が学費を援助してくれて、刻苦勉励の末医者になったと書いてあるが、この本ではそんな健気な人ではない。もらった学費を使いこんで連日連夜の遊郭通い、お金がなくなると哀れっぽく嘘をついて無心し、それもすぐに使い果たす。アメリカに渡航する際も、送別会までしてもらったにもかかわらず、渡航費用として貰ったお金を使い込んでニ回くらい送ってもらっている。とんでもないペテン師だ。
 その英世が奮起したきっかけは、当時流行っていた小説に、自分そっくりな放蕩者の書生というのが出てきて、しかも名前もそっくりな「野々口精作」であったということらしいのだ。「まさか、これは自分のことじゃないだろうな?」と驚愕し、その書生が結局身を滅ぼしてしまう結末を読んで厭な気がして遊郭通いを改めたのだという。大体、アメリカに行ったのも日本では信用がなくなり、行き詰っていたからで、頼って行ったロックフェラー医学研究所のフレクスナー博士とも実は一度しか面識がない。なんてずうずうしいヤツなんだろう。
 その後もこの伝記作者はあんまりいいことを書いていなくて「黄熱病の病原菌を発見したというのも後に間違いであったとわかる。ワクチンによって流行を食い止めたというのも疑わしい。」などという。えー!ここがクライマックスじゃなかったのか?子供向けの伝記ではこのように書いてある。「この研究室には、毎晩遅くまで明かりがついています。守衛さんはあきれてこう言います。『日本人は眠らないのか?』。この部屋で顕微鏡をのぞいている人こそ、だれあろう、天才医学者野口英世です。当時アフリカで大流行していた黄熱病の原因をつきとめるためにアフリカにやってきたのでした。『みつけた!とうとうみつけたぞ!これが黄熱病の細菌だ!』ある日、英世は小おどりしながら叫びました。」
 見てきたような文章ですが、全部うそです。偉い人の伝記などというものは信用してはいけないのです。私はこの本を読んでからというもの、世間の通説は疑ってかかれということを肝に銘じました。

 それなのに、野口英世が新千円札の顔になったときには本当にびっくりした。これは何かの陰謀ではないかと思った。きっと世の中には、本当のことを言ってはいけない項目というものがあって、私以外はみんな知っているに違いない。それでもって、迂闊に口に出すと「空気読めない」とかいわれるんだ!その証拠に、あの頃お札をネタに「野口英世ってね、実はとんでもない人だよ。今だったら絶対研究成果のねつ造とかって世界的なニュースになって罵倒されるよ。人柄だってね、放蕩者でうそつきよ。」といろんな人に言ってみたが、誰にも相手にされなかった。
 その次に思ったのは、「こんな人をお札にしなきゃいけないくらい日本人は顔が不足してるのかなあ。きっと、『日本人はお金だけじゃないんだ。国際的に偉い人だっているんだ、いるんだ、いるんだ!』と声を大にして言ってる人がいるんだろうなあ。」ということだった。そういうのに付き合うと疲れる。「あー、はいはい。日本人は誇り高くて立派なんだよね。野口英世も障害を克服して苦学して世界的な業績をあげて凄い人だよね。」と言っておくに限る。

 福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社新書)は、たいへんわかりやすい最新の分子生物学の解説書だけれども、私が一番うれしかったのは、一番最初にこのことが書いてあったということだ。
 パスツールやゴッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうならなかった。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく顧みられていない。彼の論文は、暗い図書館のカビ臭い書庫のどこか一隅に、歴史の澱と化して沈み、ほこりのかぶる胸像とともに完全に忘れ去られたものとなった。
 野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データを捏造したものなのか、はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか、それは今となっては確かめるすべがない。けれども彼が、どこの馬の骨ともしれぬ自分を拾ってくれた畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いに常にさいなまれていたことは間違いないはずだ。その意味では彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。

 福岡氏もときどき利用したというロックフェラー大学の図書館には野口英世の胸像があるらしい。彼がお札の肖像になってからというもの、日本からの観光客がここを訪れ、胸像の前で記念写真を撮る風景がたびたび見られるようになったことを、大学の広報誌が皮肉な口調で報じているという。アメリカでの野口英世の評価は日本とはまったく違うのだ。ああ、恥ずかしい。
 しかし、上記の文章を読んでいるうちに、私は少し納得した。そうか、彼は典型的な日本人であったのだ。だからこそ、外国で国を背負って虚勢を張り、嘘をついてまで業績を上げようとしたのだ。なんてかわいそうなんだろう。これからは、千円札を見る度に、典型的な日本人の悲惨な人生に思いを馳せながら、「日本人であるということはどういうことか」という問題を考えよう。
 それから、今ウィキペディアで検索したら、ちゃんと正しい情報が書かれていたのでちょっと安心した。

 野口英世は、その当時決して見ることができるはずのないものを見ようとして失敗した。「存在するのだから見えるはずだ」という前提で見たから間違えたのだ。そうではなく、「存在するけど、見えないかもしれない」可能性を考えればよかったのだ。結果を急がず、考え続ければ大きな一歩になったかもしれないのに。科学者というのは、国を背負ってはいけないのだ。地位とか名誉とかにも本当は目をくれてはいけないのだ。ただ、真実のみに忠実でなくてはならない。

 そう言えば「爆笑問題のニッポンの教養」でもそのようなことを言っていた人がいる。比較解剖学の遠藤秀紀先生だ。確かバクの頭の骨を見せながら遠藤先生が「この顎はね、なぜこんな形をしているかというと・・・」と説明していると、太田光がいきなり、「先生、こういうことやっててばかばかしいと思わない?俺はね、学者ももっと社会と直結したというか、大衆にわかるような研究をしなきゃいけないと思うんだ。ほら、旭山動物園みたいな・・・」みたいなことを言い、それに対して遠藤先生が「それは違うよ。そうじゃない。研究者というのは、それが現在どんな意味を持つかわからなくても研究しなくてはならないんだ。だから最近の成果主義って間違いだよ。研究というのは本来、どんな成果があるかよくわからないものなんだ。この骨だって、標本が作られたのは何十年も昔だよ。その頃、この顎の構造がなんでこうなってるかなんてわからなかったんだけど、それでも何十年も取っておいたから今解明されたわけだよ。」と顔を真っ赤にしておっしゃったのだ。私はそれを聞いてなるほどと思った。成果主義が学問分野でも行き渡ったら、きっと骨格標本を作って取っておくような地道な仕事をする人はいなくなるし、バクの骨の研究なんてなんの役に立つかわからないようなことをする人もいなくなっちゃうだろう。だけど、それは基礎的な研究の分野がどんどんやせ細ってしまうということで、そのうち日本の学問のレベルは全体的に低下しちゃうのだろうなあ。

 この番組では福岡伸一氏も出てきた。おっしゃったことの内容ではなく、話し方で頭のいい人だなあということがわかった。やさしい言葉で話していても「なんて頭がいい人なんだろう」とわかってしまう人が時々いる(私のまわりにはいないけど)。この本もそういう種類の本だ。生物学の教科書みたいだけどずっとわかりやすい。「存在するけど見えないもの」=ウイルスが発見されるまでのドラマ、DNAの二重らせん構造とアミノ酸配列の発見に関する裏話、まるで推理小説を読んでいるような気になる。歴史の表舞台で華々しく脚光を浴びる人もいれば、ちょっとしたタイミングで名声を逃す人もいる。どれだけ多くの研究者が理解されず、お金とも幸福とも無縁のまま研究に人生を捧げたのだろうと思うと少し痛ましい気持ちになる。してみると、野口英世は最高に幸福な人生であったとも言えなくもない。

 「見えないものを見る」ためにはやっぱり超能力とか霊感とかじゃなくて地道に一歩一歩やっていかなくてはいけないんだなあという気がした。