読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

集英社 世界文学全集

2007-11-20 21:45:11 | Weblog
 そう言えば中学2年の頃、父が芥川全集を買ってきて私にくれたことがあった。だから私は芥川の全作品と日記、書簡を読んでいるのだけども、あの本はその後ある事情で開かずの間になってしまった部屋にあって、取り出すことができない。愛読していたシャーロック・ホームズや怪盗ルパンも一緒にそこにある。いつか取り出すことができるだろうか。

 高校の頃、父がまた集英社の世界文学全集を買い揃え始めた。その頃私はいろいろな人の随筆を読むのにハマっていて、ちょうど中野好夫の「英文学夜ばなし」「シェイクスピアの面白さ」を読んだところだったので、全集の中から真っ先にシェイクスピアを手に取った。ちょうど夏休みだった。「真夏の夜の夢」「ベニスの商人」「冬物語」「あらし」ときて、そのあと「ソネット集」を読んだときにはぎょっとした。

 バラが出てきて花の詩かと思ったら、その後に続くのは「蛆虫」「老醜」「墓」「死神」。「どんなにあなたが今美しくとも、時がたてばしわが寄り、目は落ちくぼんで人にはボロ布のように見えるのですよ。そしてやがて死んだあとには、冷たい墓の中で蛆虫があなたの体を這いまわり、あとには何も残らない。」だから今のうちに結婚して子供をつくりなさい。というお説教だ。
 その次には愛の賛歌がくる。
小田島雄志「シェイクスピアのソネット」(文春文庫)より
    18
あなたをなにかにたとえるとしたら夏の一日でしょうか?
だがあなたはもっと美しく、もっとおだやかです。

    24
私の眼は画家となってこの心のタブレットに
あなたの美しいからだを見たままに刻みつけている、

    26
わが愛の君主よ、あなたこそ私が臣下として
心からの忠誠を捧げるにふさわしいかた、

どんな美しいお方だったのか?!
しかしその愛はやがて曇ってくる
    35
ご自分の犯した罪を嘆くのはもうおよしなさい、
バラには刺があり、銀色の泉には泥がひそみ、
太陽や月にはかげらせる雲やむしばむ蝕があり、
かぐわしい蕾には忌まわしい虫が棲むのだから。

    49
愛する人よ、私の愛するものすべてを奪いとるがいい、
それであなたはこれまで以上に財産がふえるだろうか?
あなたがこの恋人を奪う前から私の愛はすべてあなたのものだった。
私の愛ゆえに私の恋人を受け入れたのであれば、
私の恋人をものにしたからといってあなたを責めはしない、

なんのこっちゃ?!「愛する人」は男性だったのか?そして「私」の恋人を奪ったと?
嫉妬、苦痛、猜疑、懇願、自己卑下、哀願、未練、あなたが~すると、あなたが・・・、あなたが、あなたが。
なんと愛とはおそろしいものだろうか。愛も恋も知らなかった私はおそれをなした。
    66
こういうことには倦みはてたので安らかに死にたい、
たとえば貴重な価値が乞食として生まれ、
たとえば無価値な空虚が美々しく飾られ、
たとえば清純な誠意が無惨にそむかれ、
たとえば金ピカの栄誉が場ちがいに与えられ、
たとえば無垢の美徳が乱暴にも淫売あつかいされ、
たとえば正当な完璧さが不当にも侮辱され、
たとえば真の力が無能な権力に無力化され、
たとえば学芸が時の権勢に口をふさがれ、
たとえば知識が識者ぶった無知に支配され、
たとえば素朴な真実がばか呼ばわりされ、
たとえば囚われた善がいばった悪の奴隷にされる、
 こういうことには倦みはてたのであの世に行きたい、
 ただ私が死んで愛する人をひとり残すのがつらい。

ああ、おそろしい。
そして唐突に出現する謎の「ダークレディー」
    130
私の恋人の目は輝く太陽にはくらぶべくもない、
彼女の唇の色より珊瑚のほうがはるかに赤い。
雪が白いとすれば彼女の胸は灰褐色でしかない、

    131
君はそのようにいわゆる黒い女なのに、暴君ぶりは
美貌を鼻にかけて残酷になる女にも劣らない。

どうもあまり美しい人ではなかったようだ。(心映えも)
    144
私には慰めになる人と絶望させる人と、二人の恋人がいる、
二人は守護霊のようにたえず私にささやきかける。
善霊のほうは色の白い実に美しい男であり、
悪霊のほうは色の黒いまことに不吉な女である。
女の悪霊はすぐにも私を地獄にひきずりこもうと、
男の善霊を誘惑して私のそばから引き離す、
そして淫靡な華麗さで彼の純情をかき口説き、
私の聖者を悪魔にまで堕落させようとする。

なんと三角関係のようだ!
しかしなぜ・・・・(以下省略)

 シェイクスピアという人の饒舌と執念深さに辟易した私は、気を取り直して、今度はジェーン・オースティンを手に取った。中野好夫さんが「ジェーン・オースティンは当時の教養小説に比べると読みやすく、ビクトリア朝のレディーたちは長椅子に寝っ転がってお煎餅でもかじりながら読むような感覚で読んでいた。」と書かれていたのを思い出したのだ。全集に入っていたのは「マンスフィールド・パーク」。お煎餅を食べながら寝っ転がって・・・
とはいかなかった。すぐに目がどんよりしてきて眠くなる。次の日も、その次の日も、根性を入れて読み始めたがすぐに寝てしまう。あれは寝っ転がっているうちに寝てしまう本という意味だったのか?どうも腑に落ちない。結局読み終わるのに二週間くらいかかった。遅すぎる。

 納得がいかなかったので新学期が始まって学校に行ったとき、英語の先生に聞いてみた。「ジェーン・オースティンが読みやすいと書いてあったので読んだのですが、もう退屈で、退屈で・・・・」「ははあ、ジェーン・オースティンね。私は、あの人はお金のことばっかり書いているから嫌いです。」「えっ?」私はうろたえた。「お金のことなんか出てきましたか?結婚の話だと思うんですが?」「ええ。結婚の話がつまりお金の話なのです。」「えっ!えーっと、あのかたは今は貧乏な牧師だけれども伯母さまから何百ポンド相続することになっているとか・・・・」「そうそう。」「あのかたは、見た眼はお金持ちそうだけど、何エーカーの土地しか持ってなくて、実情は苦しいとか・・・」「そうそう。」「ははあ。」
 先生が説明されたところによるとこうだった。18世紀の女性たちは相続権を持っていなかった。父親が死んだとき、残されたのが娘ばかりであれば財産は甥にいってしまう。このようにして一挙に貧乏になってしまった姉妹を描いたのが「高慢と偏見」だ。当時の女性の職業は限られており、貴族階級の娘ができるのは他家の家庭教師くらいのものだ。だから、年頃になったらいかにお金持ちの男と結婚するかが大事なのだ。それで一生が決まってしまう。それでわかった。彼女らにとって、結婚は人生の最重要課題だったのだ。幸福の実現はその一点にかかっている。勝つか負けるか、資源の争奪戦だ。ああ、それならばわかる。当時の女性たちがジェーン・オースティンを好んだわけが。はらはら、どきどき、推理小説も目じゃないくらい頭を悩ませながら主人公の恋の行方を見守ったに違いない。そうだったのか・・・。

 後にイギリス映画で「いつか晴れた日に」(1995年 エマ・トンプソン、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント)や「エマ」(1997年 グィネス・パルトロウ)を観たとき、はじめて私はジェーン・オースティンのおもしろさに目が覚めた。やっぱり映像の力というのはすごいものです。映画の中のレディーたちの、なんと美しいこと。その後原作を読み返してみて、やっと書いてあることが理解できた。

 それにしても、ゲーテとかバルザックとかドストエフスキーとかホーソーンとかツルゲーネフとかエミリー・ブロンテとかプイグとかボルヘスとか・・・どれもこれも読むと私は体調が悪くなっていたのは、やっぱり鉄分が足らなかったのでしょうか。それとも、愛にアレルギーでもあったのでしょうか。