読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

少年倶楽部

2007-11-18 22:02:03 | 本の感想
 昔、少年倶楽部の文庫版というものが出版されて、全集大好きな私の父がひと揃い買ってきた。家には文学全集や美術全集などがいろいろあったけど、なんでこんな古いものを買ってくるのかといぶかしく感じて「懐かしかったから?」と訊ねてみた。すると父は「いや、うちの家は子供に少年雑誌を買ってくれるような家じゃなかった。たまに親戚に遊びに行った時、そこの子がとっていたのを読ませてもらったくらいだ。」と言う。「じゃあ、昔読みたくても読めなかった悔しさから?」と聞くと「そんなんじゃない!」と答えたが、父が次から次へと全集物を、ろくに読む時間もないのに買い込むのはよほど本に飢えた経験があってのことに違いないと思った。

 その少年倶楽部文庫版は、戦前に掲載された作品を集めたものだったが、活字も仮名遣いも今風に直してあって、「のらくろ」や「冒険ダン吉」など漫画も収録されていたので私でも楽しく読めた。
 
 「のらくろ」は、ノラだった犬がひょんなことから軍隊に拾われ、二等兵からどんどん手柄を立てて出世していくというお話だけど、私が覚えているのは、この犬が怠けもの食いしん坊でしょっちゅう仕事をサボっては酒保に忍び込み、盗み食いをしてたというところだけだ。サルの軍隊と戦争をしたときも勇敢に戦ったわけではなく、逃げ隠れしていたらいつのまにか敵陣に迷いこんじゃって偶然手柄を立てることになったのだ。それなのに、ノラクラしているうちに勲章をもらったり、だんだん出世していく。まるですごろくのような楽しい人生で、読んでいるうちに自然と軍隊用語の基礎知識がついてくる。ブルドッグの連隊長がまじめないい人で、私はすっかりファンになってしまった。
ウィキペディアの記述量から見るに、今でも相当ファンがいるようだ。

 小説で覚えているのは「苦心の学友」だ。こんな話だった。主人公の正三君のところにある日、華族のお殿様のところから使いがくる。正三君のお父さんは役人であるけども、家はもともとある藩に仕える武家だった。その主家筋のお殿様からの呼び出しだ。何かと行ってみると、お殿様の長男が正三君と同い年なので、ぜひその坊ちゃんの御学友として屋敷に来てくれという話だった。この坊ちゃんというのが全然勉強をしないやんちゃ坊主で、要するに出来が悪いので、成績優秀な学友でもそばにいてくれたら発奮してやる気が出るかもしれないという親バカな考えから無理を言って来たのだった。そして正三くんは親思いの良い子であったから、その話を受けてしまい、大変な目に遭う。公立の学校から華族の通う私立の名門校に転校し、いろいろ慣れないことも多いのに、この坊ちゃんがまたとんでもない奴だった。こんなことになったのを逆恨みして意地悪をする。もし、試験で自分よりよい点を取ったら、「おトンカチのとんがった方で一点につき一回叩くよ。」などと脅迫する。正三君は、とんがった方は危ないので平たい方にしてくださいと交渉すると、では一点につき二回ならば負けてやろうなどと言う。自分の頭がデコボコになってしまうのではないかと心配しているのを、お屋敷の人たちは不安なのだと誤解している。特に家令の老人は、先祖代代この家に仕える元家老であるためお家大事、若君大事の昔風の人だ。「どんなものだろう?試験で一番になれそうかな?」とこっそり聞いてくる。「はあ、一番は思い切りさえよければなれますが」「一番が無理なら二番でもいいのだが。」「二番といいますと、ちょっと加減がむつかしいですね。」正三君の答えに首をひねって問いただしたところ、トンカチで打たれるよりはいっそのこと白紙で提出してビリから一番になろうとしていたことが判明して、坊ちゃんは大目玉。しかしふてくされて正三君には口もきかない。こんなわがままなバカ息子は締め上げてやった方が本人のためだと私は思った。しかし、誠実で品行方正な正三君はそんなことは夢にも考えない。さらに家令の老人は「君、君たらざれば、臣、臣たらず」とか、難しい漢文を引用して「仮に主君が道を誤ることあれば、家臣は切腹してこれをお諫めするべきです。」などと説教する。正三君は、坊ちゃんがいちいち道を誤る度に切腹していたら僕は命がいくつあっても足らない、と悲観的になる。ほとんどノイローゼ状態だ。

 私はこれはひどいと思った。こんなのを読んで戦前の子供は憤慨しなかったのか?いや憤慨するから書かれたのかもしれない。今検索してみると、そう単純なユーモア小説でもなかったようだ。おしまいには坊ちゃんもなんとか成績が向上し、二人の間には友情が芽生え、めでたしめでたしなのだが、私は後に思った。こういう本を戦前読んできた子供は、いやでも「国と個人」とか「義理と人情」とかそのような相克を考えざるをえなかっただろうなあ。そして、きっと主君のために腹を切るじゃないけど、「会社のために」家庭を犠牲にして経済発展に邁進するなんてことはあたりまえにできたのだろうなあ。

 あと、覚えているのは「ああ玉杯に花うけて」。この著者の佐藤紅緑は作家佐藤愛子、サトウハチロー兄妹の父親だ。タイトルの「ああ玉杯に・・・」は旧制一高の有名な寮歌で、これは貧乏で進学をあきらめている千三少年が、数々の苦難にも負けず私塾に通い、成長していって最後に一高に進学するという話だ。この小説について解説したよいサイトはないかと探したら、まさにそういうブログがあった。「学校今昔物語」より[教育の中の近代]7『ああ、玉杯に花うけて』。なんとわかりやすい。こんな話だったのか!さらに探すと青空文庫に収録されていた。わあ、今読み返してみると壮絶な話だ。チビ公の貧乏は半端じゃないし、旧制中学の先生たちもひどい。野蛮なバトルも出てくるし、「なんてひどい時代だったんだろう」と当時の私はあきれ果てたのだった。

 かすかに覚えているのはここのところだ。私塾の卒業生である安場が、黙々先生の教えを受けながら一高を受験したときのこと、
 おれは貧乏だから書物が買えなかった。おれは雑誌すら読んだことはなかった。すると先生はおれに本を貸してくれた。先生の本は二十年も三十年も前の本だ、先生がおれに貸してくれた本はスミスの代数(だいすう)とスウイントンの万国史と資治通鑑(しじつがん)それだけだ、あんな本は東京の古本屋にだってありやしない。だが新刊(しんかん)の本が買えないから、古い本でもそれを読むよりほかにしようがなかった、そこでおれはそれを読んだ、友達が遊びにきておれの机の上をジロジロ見るとき、おれははずかしくて本をかくしたものだ、太政官印刷(だじょうかんいんさつ)なんて本があるんだからな、実際はずかしかったよ。おれはこんな時代おくれの本を読んでも役に立つまいと思った、だが、先生が貸してくれた本だから読まないわけにゆかない、それ以外には本がないんだからな、そこでおれは読んだ。最初はむずかしくもありつまらないと思ったが、だんだんおもしろくなってきた、一日一日と自分が肥(ふと)っていくような気がした。おれは入学試験を受けるとき、ほんの十日ばかり先生が準備復習をしてくれた。
「こんな旧式(きゅうしき)なのでもいいのか知らん」とおれは思った。
「だいじょうぶだいけ」と先生がいった、おれはいった、そうしてうまく入学した。

 冗談じゃねえ!参考書とも言えないような古い本を与えられて東大に合格できるはずがない。それだけではない。この旧式の先生は、へそが大事だと事あるごとに言って腹式呼吸をさせる。そりゃ、丹田も大事ですよ。メンタルトレーニングというものもありますから。しかし、これは単なる精神主義じゃないのか?胡散臭いにおいがぷんぷんする。旧制中学の先生の「中江藤樹」や、「英文訳を右から書け」もひどいけど、この先生のはまだひどいと思う。こういうところ、
「日本の歴史中に悪い人物はたれか」
 いろいろな声が一度にでた。
「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)です」
「蘇我入鹿(そがのいるか)です」
「足利尊氏(あしかがたかうじ)です」
「源頼朝(みなもとのよりとも)です」
「頼朝はどうして悪いか」と先生が口をいれた。
「武力をもって皇室の大権をおかしました」
「うん、それから」
 武田信玄(たけだしんげん)というものがある。
「信玄はどうして」
「親を幽閉(ゆうへい)して国をうばいました」
「うん」
「徳川家康(とくがわいえやす)!」
「どうして?」
「皇室に無礼を働きました」
「うん、それで、きみらはなにをもって悪い人物、よい人物を区別するか」
「君には不忠、親に不孝なるものは、他にどんなよいことをしても悪い人物です、忠孝の士は他に欠点があってもよい人物です」
「よしッ、それでよい」
 先生は、いかにも快然(かいぜん)といった、先生の教えるところはつねにこういう風なのであった、先生はどんな事件に対してもかならずはっきりした判断をさせるのであった、たとえそれが間違いであっても、それを臆面(おくめん)なく告白すれば先生が喜ぶ。

これがよい先生なのか?私はこういう教育を受けた人たちが日本のエリートになって戦争をしたのだから、負けて当然だったなあと当時思った。これは正しい読み方ではないかもしれないけど。

 私は、あの頃少年倶楽部を読んで戦前のむちゃくちゃな社会と教育を読み取って辟易した。あれは合理主義的精神からかけ離れたものだ。それ以来、第二次大戦時に兵站を無視した無謀な戦略によって何万人が餓死、病死などという話を聞くと、決まって少年倶楽部を思い出す。