読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

太田述正氏

2007-11-04 23:02:26 | テレビ番組
 おまけ。
 日曜日の午後はいつも読売テレビ「たかじんのとんでも委員会」もとえ、「なんでも委員会」・・・じゃなくって、「そこまで言って委員会」を見る。
 今日のゲストは先週にひきつづき、元防衛省OBで民主党からも選挙に出馬したことのある防衛の専門家太田述正氏であった。先週「接待なんてね、全省庁でやってることでなぜ今更特に問題にするのかわからない。まあ、守屋氏はガードが甘かったということはいえるでしょうが。」「いいですか、防衛省というのは、予算を本来の使途(戦争をすること)に使うことを禁じられてるんですよ。一人も死んではいけないって言ってるわけですから、他のことに使うしかないじゃないですか。」「国民はこれだけの予算をあげますから戦争はするなよと白紙委任してるんですよ。」などというシニカルなセリフで発言者たちから集中砲火を浴びていたのだが、その視点はたいへんおもしろかった。で、宮崎哲弥氏が言っていた「元自民党員だった民主党の人」というのは、なんだ小沢氏のことだったのか。と今日わかった。
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阿部謹也「ハーメルンの笛吹き男」

2007-11-04 22:38:10 | 本の感想
 昨年、歴史学者の阿部謹也氏が亡くなり、新聞に追悼記事が載ったのがきっかけで著書を何冊か買って読んだ。私はそれまでお名前だけしか知らなかったのだった。最初に読んだのは「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)
 これは阿部氏が西ドイツに留学中の1971年のこと、ゲッチンゲン市の州立文書館でたまたま見つけた一つの古文書に「鼠捕り男」という言葉が書いてあるのが目にとまったことが発端となっている。他の自伝的な著書を読むとよくわかるのだが、中世ヨーロッパの古文書というのは、ちっとやそっとで読めるものではないらしい。まる一日かかっても数行、よく読めて一枚などという日々の連続で、とんでもなく難しいものらしい。そんな中でふと興味を引かれて読んだその文書は、私も知っている「ハーメルンの笛吹き男」伝説成立の背景となったある歴史的な出来事を考察していた。阿部氏は本来の研究と並行してそのてその伝説を追いかけはじめ、そして、それがその後の阿部氏のユニークな中世ドイツ研究に発展していく。
 
 夜、ベッドの中でこの本の初めあたり、「笛吹き男」伝説の背景にどんな事件があったのかという諸説を読んでいるとき、私は「あれ?」と思った。このことを私は知っている。いや、誰かに教えてもらった。誰にだっただろう。読みすすめながら中世ドイツの社会構造の部分に来たとき、誰かの声が聞こえてきた。「皆さんが都市というとき想像するものと、中世ヨーロッパの都市とはまるで違います。ローマ帝国の時代から夷狄(バーバリアン)の侵略や隣国との争いに晒されつづけてきたヨーロッパの都市は、身を守るために石造りの強固な城壁で囲まれています。都市を一歩出るとそこには荘園が広がり、農民はほとんどが貴族である荘園領主のものであるか、教会の所有する農奴でありました。都市にも、諸侯や教会に税をおさめているところがありましたが、自治体制をとっているところもありそれを自由都市といいます。・・・」だったかな。当時の身分制度、職人たちの徒弟制、理不尽な税の数々(結婚するにも、子供を産むにも、死人を埋葬するにも、窓をつくるにも税金がかけられてたとか)、教会と王の権力争い、ユニークな王たちのエピソード(バルバロッサとか)。よどみのないその声が、「ハーメルンの笛吹き男」伝説の背景となった出来事をひとつひとつ紹介してくれている。誰だったか?
 
 私は一晩かかってやっと思い出した。それは高校のときの世界史の先生の声だ。そう、あのとき先生は一時間かけて、この阿部謹也著「ハーメルンの笛吹き男」を解説してくださった。そして、「中世植民運動」が出てくればそれについて説明し、「子供十字軍」が出てくれば十字軍の歴史を解説し、飢饉、洪水、ペストの流行、魔女裁判に戦争・・・中世の恐るべき社会と世情とをまるで見てきたかのごとく生き生きと語ってくださった。もちろん「笛吹き男」の正体についても。
 当時私たちのクラスには、授業中茶々を入れる生徒が多かったので、「で、結局のところどの説が正しいの?」と訊ねた子がいた。先生は「うーん、歴史はね、これが正しいなんて断言できるものじゃないよ。阿部さんは研究の結果このように考えたということでしかない。」とおっしゃった。「なんだ、偉い人がこれだけ研究してもわからないことがあるの?」とその子が言うと、「そりゃあ、そうです。歴史的な事件で、真相がよくわからないことはたくさんある。むしろわかっていることの方が少ないくらいです。みなさんが大きくなったら解明してください。」とにっこり笑われたのであった。私は、9.11直後にブッシュ大統領が「十字軍」という言葉を使った演説を聞いて驚愕した。十字軍の遠征といえば、多くの血みどろの虐殺と略奪を引き起こした憂うべき事件で、最後の方では子供や女性たちも何かに浮かされたように遠征に加わり、悲惨な末路をたどったのだと世界史の時間に習ったからだ。実のところ、キリスト教の歴史の中の恥ずべき汚点であるとさえ私は考えていたのだが、アメリカでは、十字軍は賞賛すべき栄光の軍隊とでも思われているのだろうか。
 
 歴史はどういった立場から見るかでずいぶん解釈が変わってくるし、時代時代で評価が変わってしまったりもする。だからこそ、つとめて精密な資料を集め、当時の歴史背景を忠実に再現しなくてはならないのだと歴史の先生はおっしゃった。そして、阿部謹也氏もそのようなことを書いていらっしゃった。(どこにだったかは忘れた)つまるところ、歴史を学ぶ意義は、歴史の解釈というものが時代の眼に左右されるものだということをきちんと認識して、それでもなおかつできるだけ中立の立場で真実を追及しようとした先人たちの足跡を学ぶことにあるのだと思う。
 そんなことを考えていた折も折だったが、世界史の履修漏れが次々と発覚し始め、私はなんだか情けなくなってしまった。

 阿部謹也対談集「歴史を読む」(人文書院)の中に、先日なくなった若桑みどりさんとの対談があって、それがおもしろかった。若桑さんが「美術における死」というテーマで東大で講義したとき、まったく学生の反応がなかった。同じ講義を私大(偏差値があんまり高くないとこ)ですると大受けに受けた。この違いはなんだろうって。中世からルネサンスにかけての美術には死をテーマにした作品が多い。美女と骸骨とか、死の舞踏とか、ウジ虫にたかられた死体とか、トランジといって死体が腐っていく様を描いたような絵だとか、そういう死を見据えた作品(『死のメタモルフォーズ』)を100枚くらいスライドにしてみせたのだけど、東大では全然受けなかったそうだ。
 一体どうしてだろうと思って、あれにも書きましたけれども、たまたまその後で、私と同じくらいの世代の友人である東大の先生に会ったんで、その話をしたんです。東大の学生に「死」の話をしたら、シーンとしているというか、はね返しているというか、あざ笑っているというのか・・・・・・。自分は死なない。死んだやつはばかだ。利口なエリートは死なない。まして東大に入るような者はね。1982年に東大の教養学部の1、2年生にいるようなぼくらは人生の成功者であると。彼らの価値観では、死と病は敗北なんです。それは頭が悪いのと同じぐらいにマイナーな事件なんですね。ですから、彼らは病も死も自分に関係がないと思っているんです。
 私はそれは感じてはいたんです。ですけど、東大で教えている先生にきいてみたんです。東大で受けなかった。S大学へ行って受けた。どうしてだと。そしたら、「それは君、決まってるよ」って。彼らは幼稚園からあらゆる難関を突破して、ひたすらに勉強をして、いま東大教養学部に入ったばかりなんだ。まるで極楽にいるような気持ちなんだから、死ぬなんていうことがあってはならない。死ぬなんていうことは彼らの考慮の外にあるんだ。もう一つ大事なことは、彼らは子供のときから死について考える暇なんかなかったんですね。ものすごく勉強して。

 ふーん。私は大学の時、一般教養の美術史の講義を取り、マニエリスムについてレポートを書いたので若桑みどりさんの著書は何冊か読んでいる。あれを生で聴いておもしろいと思わない人なんかとはあまり口をききたくはないが、そういう人が今、日本の官僚や実業界の第一線で活躍してるんだろうなあ。

追記 読み返してみたらもっと面白い部分もあった。「自分がペストに感染したとわかったらだれに会いに行くか(うつすために)?」とか阿部さんの言う中世の世界観(ミクロコスモスとマクロコスモス)で、現代はほとんどのものが人間に統御されてしまったけども、「死」と「性」だけはいまでも統御されていない、だからこそ隠ぺいされているのだとか・・・。

映画「鬼婆」(新藤兼人)

2007-11-04 02:19:36 | 映画
 三砂ちづる「オニババ化する女たち」は、結局まだ読んでいない。本の趣旨はまあ、わかるんだけど、「やっぱりいくら女性の社会進出が進んで一生独身の選択肢もアリになってきたからって、セックスや妊娠、出産という動物としての本能みたいなところは大事にしないと、エネルギーが発散できなくて、性格ねじ曲がってオニババになっちゃうのねえ。」というふうに素直に感心はできないんだなあ。これからは女も一生仕事をしていかないと食っていけなくなりそうだのに、子育て支援も十分でないし、男性の意識もまだまだ保守的だ(というよりますます保守的になってきた気がする)し、子供なんか産んでたらへろへろになって倒れてしまうんじゃないか?それをまた追い詰めるようなこと言われてもなあ。みんな後ろから銃撃されたようなイヤーな気がしたのは当然だろう、と思ったものだ。そして、柳沢元厚生労働大臣の「産む機械発言」。
 私はあのとき、テレビのニュースを聞きながら娘に、「子供、生まなくてもいいよ。」と言った。
「女性は~機械という言葉が問題なんじゃなくてね、これはね、何て言っているかっていうと、『お金がないので政府は少子化問題に対して何もできません。自助努力でやってください。』と言ってるの。そういうときに何も考えずに行動するとひどい目に合うからね。動物はね、身の安全が保障されていないときには子供が産めないの。子供よりまず自分の生存を優先するのよ。自分が生きていけない状況じゃ子供どころか結婚だってできないでしょ。もー、若年世代の低賃金だとか、保育所の不足だとか、母子家庭の貧困だとか、育児休暇後の仕事の復帰だとか、問題はいっぱいあるってわかってるのにね、『政府は安心して子育てができるよう、これこれの支援をします』じゃなくって『女性にがんばってもらわないと』ってなに?3人以上産みましょうってことか?ともかく、国が『産めよ、増やせよ』って言ってるときには生まない方がいい。」
 娘は、また変なことを言っているなという顔で「将来結婚して、産める状況で子供が欲しいと思ったら産むから」と言っていたが、「もしかして、これからは昔みたいに普通に結婚して子供を二人くらい持って家を建てて定年まで働くという生活は、ごく一部の恵まれた人たちだけのライフスタイルになるんじゃないんだろうか。」という気がして、私は悲観的になってしまった。
 柳澤元大臣を検索したらWikipediaのページが保護されていた。見てなかったけど、きっとすごい荒しがあったんだろうな。ホワイトカラー・エグゼンプションの影響?ホワイトカラー・エグゼンプションと「産めよ、増やせよ」の組み合わせですよ。国民を機械だと思っていらっしゃるんでしょうか。

 内田樹×三砂ちづる「身体知」(バジリコ株式会社)の中で内田樹氏は謡曲『安達原』を思い出したとおっしゃっている。『安達原』の鬼婆は、発現を阻害されたエロスが暴力的に発動してくるという話なのだそうだ。えっ、そうだったの?『安達原』は私も思い出しのだけど、ただ、何かの原因で村から追い出されて生活している女が人食いになって旅人を襲うという話だと思っていた。
 人里遠きこの野辺の。松風烈しく吹き荒れて。月影たまらぬ閨の内には。いかでか止め申すべき
とは、「私はまだ閉経していませんから男性はお泊めできません」と、旅の僧に言っているのだそうだ。しかし、なおも強引に言われるので根負けし、
 さらば留まり給えとて。樞を開き立ち出ずる。異草も交る茅筵。うたてや今宵しきなまし。強いても宿を狩衣。
ときて、そのあとに
今宵留まるこの宿乃。主の情け深き夜の
とか、 
月もさし入る 閨の内
などという意味深な詞章が続くのだとか。
で、事が終わったあとに、女が「ここは開けてはだめよ」と言って薪を取りに行ったのに、開けて見ちゃってびっくり仰天、死屍累々。
 まったく!女が「見ないで」と言ってるんだから見るなよ!このアホ!そりゃー殺さなきゃいけません。
内田 エロスと社会性は構造的にリンクしていないといけない、ということだとおもうんですね。どれほど劇的にエロティックな経験であっても、たとえば何か月に一ぺん、何年に一ぺんというような頻度であれば、それだけではエロスを核にした安定的な社会関係は作れない。人間は恒常的な性関係のうちにビルトインされていないと、いろいろとトラブルが起きるよというのは、この種の鬼婆譚が発信している重要なメッセージだと思いますね。
『安達原』の鬼婆も性行為の数だけ言えば、そこそこやっているわけです。だけど、相手はつねに旅の男との一夜の交情に過ぎない。エロス的な対関係が構築されるわけではないから、もちろん地域社会の日常活動、共同体の活動にも鬼婆的エロスはコミットしていない。これは完全にプライベートな「密室」の出来事なわけです。エロスが「社会化」されていない。そのことの社会的な危険を告知している物語じゃないかと思うんです。エロスが社会性から解離すると当人の心身の問題だけではなくて、社会的にもネガティブな影響がある。単にエロスの問題でもないし、社会の問題でもなくて、エロス的なものと社会性をどうやってきちんとリンクするのか、それはとても重要な社会的技術なんだ。そういうことだとぼくは思います。

 ふーん、たぶん10年くらいセックスしていない私はどうなるのかな。あー、そうか、私はすでにもうオニババ化しているのかもしれない。なーんだ、それで腹が立つんだな。
 と思っている頃にレンタルビデオ店で新藤兼人監督の「鬼婆」を見つけた。

 物語は戦乱の時代。村を焼かれて芦原に隠れ住んでいる老女とその嫁。落ち武者を撲殺して武具を奪いそれを売って生活している。そこに、同じ村出身の足軽が落ちのびてきて・・・という話だ。老女と言っても昔のことだから四十歳かそこらだろうし、嫁も二十歳そこそこに違いないが、なんともはあ、凄まじく醜く見える。人間の荒々しい欲望がテーマらしい。小さな子犬が迷い込んできたのを「あらまあ、かわいい」と言うかと思っていたらそうではなく、「それ!」と飛びかかって、次のシーンでは串刺しにして火に炙った犬の姿焼を二人で貪り食らっていたのには愕然とした。そうか、犬も猫も、食べられるものは何でも食べなきゃいけないんだ。私はため息をついて、つくづく感心した。この映画のテーマとかはどうでもいいです。後半の、仏教説話か何かにある「鬼の面が取れなくなる話」もどうでもいいです。人を殺して追剥やっていて何が不倫の罪だ。鬼よりおまえの方がよっぽど怖い。でも、戦乱で家を焼かれ、息子を殺され、田畑を耕すこともできなくなった老女は、鬼にでもなって人殺しをするしか生きるすべがなかったのだろう。それを「人でなし」と罵る資格は私にはない。
 そして思った。たとえ戦乱で生活が破壊されても、そのようにして生き抜く人たちはいつの世にもいたのだろう。そうやって生き延びてきた人たちの子孫が私たちなのかもしれない。だとすると、もしもまた、世の中が同じようにめちゃめちゃになったときには、同じようにして生き延びればよいのだ。芦原や山奥に隠れ住み、鳥や獣を喰らい、人を殺して衣を剥ぐ。そのように想像するとなんだか気が楽になってきた。 なんだ、「年を取ったらどうしよう」なんて何も心配することはなかった。私はすっかり鬼婆になった気分でニンマリと笑い、その晩は久しぶりに安眠した。