読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

釜ケ崎

2007-11-14 23:51:17 | テレビ番組
 8月29日の「ニュース23」の特集で釜ケ崎(通称あいりん地区)が出てきた。「世界陸上開催で労働者街が大人気」というタイトルだ。あいりん地区は日雇い労働者が集中的に暮らす街で、昔から簡易宿泊所が多かったが、日雇い労働者の高齢化に伴いそれらの宿泊所が、今老人向けアパートや格安ホテルに衣替えしているというのだ。円高の影響で普通のホテルに泊まれない外国人がこの簡易ホテルを便利に利用しているらしい。(「やまとごころJ.P.」)
 特集の中で私が注目したのは、ずっと釜ケ崎の労働者支援にかかわってきたという大学の先生が最後に、「今ネットカフェ難民が問題になっていますが、デフレ下で正社員になれなかった若者たちがこれから年を取ってくるといろんな問題が顕在化してくると思います。釜ケ崎は格差の問題を先取りしてきました。これからは日本全体が釜ケ崎化してくると思います。そのとき、ここで行われてきたいろんな取り組みが参考になるでしょう。」という意味のことをおっしゃったことだった。
 
 私は昔、釜ケ崎に行ったことがある。そしてわかったことは、日本の高度経済成長は農村から出てきた若者を安価な労働力として使うことによって達成されたのであり、また、景気の循環による雇用の調節は、主に最下層の日雇い労働者の切り捨てによって行われてきたということだ。釜ケ崎では景気悪化のしわ寄せが一番顕著に現れる。日雇い労働者は雇用の調節弁であるからだ。どうもうまく書けないが、言いたいことはわかるでしょう?朝日新聞の社説をみんな読んでる?私はそんなものはほとんど読まない。だけど毎日必ず読むコラムは「経済気象台」だ。ここでコラムを書いている人がどういう種類の人なのか知らないが、社説や第一面の特集とはまた別のひねくれた独特の見方を教えてくれる。これについてなんか書いてもいいんだけども、切り抜きを探すのが面倒臭いからやめとこう。たとえば第一面で格差特集をやってた後にその裏の方で、「いやー、これはマルクス経済学的にいうとね・・・」と、日経新聞みたいなことを書いてたし(つまり格差なんてないんだって)、「年金なんて政府が胴元の巨大ネズミ講みたいなもんだ・・・」などと天衣無縫なこともおっしゃっていた。きっと、もう何を書いても許されるご高齢の方なのだろうなあ。朝日新聞の人がみんな左翼的な一枚岩だと思っていたら大間違いだ。結構いろんな考えの人がいて、「いやー、でもこれは経済学的にはなあー・・・」なんて低ーい声でぶつぶつ言ってたりする。
 それで、今朝の「経済気象台」では、原油価格の高騰が、社会のどういうところで吸収されてきたかということが書いてあった。
(前略)原油輸入金額は、98年の2.6兆円から08年の11.4兆円へと4倍以上に増大しており、日本全体としてそれだけの所得減が生じていることは事実だ。問題はそれが、誰にどのような形で分担されているかということであろう。
 大雑把な言い方だが、第一次石油ショック時は原油高→値上げ→賃上げ→値上げというプロセスを経てインフレ率が急上昇し、最終的には消費者が原油高を負担した。第二次石油ショック時は収益悪化・賃上げ抑制という形で、企業と家計が所得減を分け合った。
 今回はどうか。企業は原燃料価格の転嫁ができないと言いつつ、高収益を上げてきた。それは、合理化努力もあろうが、労働者の賃金を抑制して原油高の影響を吸収してきたからで、労働分配率は低下した。企業の中でも、中小企業は大企業と異なり、原燃料高のイぽうで製品価格が下落している。つまり原油高の負担は、労働者の賃金削減と中小企業の収益悪化によって吸収され、それゆえインフレ率が高まっていないということになる。

要するに、今回の原油高のしわ寄せは賃金抑制という形で労働者に集中していると言っているのだけど、これは、ここ10年ほどのデフレ下で継続して起こってきたことではないか?企業がもはや下請け孫請けを切ることだけでは持たなくなって、本社の従業員までも派遣、臨時、パートといった雇用形態に替えて、人件費を抑制してきたわけだ。だから、ネットカフェ難民という言葉を聞いたとき、私は真っ先に日雇い労働者の町釜ケ崎のことを思い出した。

 私が釜ケ崎に行ったのは、もう、うん十年前になるのだけども、「こどもの家」という隣保事業をやってる牧師さんが大学に講演に来たことがきっかけだった。釜ケ崎は労働者の町ではあるけども、普通に住んでる人もいるし子供もいる。共働きや片親家庭が多いので学校が終わっても一人で部屋に閉じこもっていることが多い。また、何かの事情で学校に行っていない子もいる。そういう子供たちをフォローする場所を提供しているのが「こどもの家」だった。この牧師さんは日本キリスト教団の人であったが、釜ケ崎にはカトリックの神父さんもいて、労働者支援の活動で共闘していた。「ふるさとの家」というのはホームレスに炊き出しをしたり、高齢になって働けなくなった労働者に宿泊を提供したり、安く食べられる食堂を経営したりする施設だった確か。私も一瞬くらいはかすった。
 なぜ行くことになったかというと、その講演会のあとの座談会で「釜ケ崎ってなんですかあ~?」とノーテンキな質問を投げかける私たち学生に牧師さんが絶句して、「まあ、一度見に来てください」とおっしゃったからだった。それは秋のことだったが、寒くなってくると青カン(野宿)をしているホームレスの人たちが凍死するので毎日炊き出しや布団の配布をしているという。大勢のボランティアが来るから、まあ、あなた方も一度来て手伝ってみなさい。釜ケ崎を見るとニッポンが見えるよ、と言われたのだった。
 今にして思えばおもしろいのは、その牧師さんに同行して来た日雇い労働者の組合の書記長という人の話が聞けたことだ。この人は日雇いといってもちゃんと家があって奥さんも看護婦なのだが、なぜ組合を作ったかと言えば、だいたい日雇いは立場が弱くてすぐに首を切られたり、賃金不払いにされたり、手配師のヤクザに中間搾取されたり、けがをしても治療費がもらえなかったり、アパートが借りられなかったり、失業手当がもらえなかったり、就労手帳を取り上げられたり、タコ部屋に監禁されたり、殺されたりするからなのだ。この書記長はこれではいけないと日雇い労働者の組合を作って労働者の権利を守ろうとしたわけだけど、もちろん手配師として甘い汁を吸っていたヤクザがものすごい妨害をしてきたそうだ。ヤクザだけではない。労働者を使ってる建設業の孫請けの会社なんかにもひどい目に合わされたし、警察にも睨まれて尾行された。警官に暴言を吐かれたりビラ配りを妨害されたので腹が立ってコップに入った水をぶっかけたら、それが靴にかかって公務執行妨害と暴行の容疑で逮捕されたのだそうだ。「え~!警察は市民の味方じゃあなかったんですか~?」と学生が言うと、「市民というのはね、あなた方のことで、警察は日雇い労働者は市民と思ってませんよ。それからね、ヤクザと警察は裏でつながってる。これは確かなことで、賄賂が流れてるんです。僕らが一番に闘わなくてはいけないのは、まずヤクザ。それから警察。それから役所。」と言われたので私らはみんなポカーンと口を開けてしまった。西成区役所は窓口に金網が張ってあるという。失業手当をもらいに行っても一日分のハンコが足りなかったらお金が出ない。いくら「これはちゃんと働いたのだけど向こうがハンコを押してくれなかった」とか「就労手帳を取り上げられとって証明できない」とかいっても木で鼻をくくったような対応しかしてくれない。それで労働者が暴れて壊すから金網が張ってあるのだそうだ。今はどうか知らないが。

 当時から、日雇い労働者の病気(結核、栄養失調、アル中)や高齢化が問題になっていて、それをなんとか援助しようとする人たちが釜ケ崎にはたくさんいた。だからニュース23で発言されていたように、確かにホームレス支援のノウハウは蓄積されているだろうなあと思う。公園にテントを張っているホームレスのテントを撤去して、外見はきれいになったと感じるかもしれないが、根本原因はなくならない。そのホームレスが明日の私らの子供たちかもしれないと思ったら「勝手に公共の場を占拠しやがって」とは思わないだろう。そもそも、自分は絶対に何があってもホームレスにはならないと言い切れるか?わずかの貯金とか、仕事とか、家(ローン付き)とか、親類縁者とか、そんなのはいつなくなってもおかしくはない。だから問題の本質は、ホームレスが公園を占拠しているってことではない。

 ねむくてうまく書けない。
 つづく(たぶん)