読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

新藤兼人監督「花は散れども」

2008-09-30 17:17:08 | 映画
 95歳の監督が昔を懐かしんで作った映画。「花は散れども」、あーあ。 
 新藤監督が2、3年前に日経新聞「私の履歴書」に回顧録を書いていらっしゃったときには、ひょっとしてもうすぐお亡くなりになるのではないかと思ったものだ。「私の履歴書」を書いてすぐに亡くなる著名人が結構多いからだ。極貧の中病没した母を懐かしみ、恩師を懐かしみ、結核で夭逝した最初の奥さんを懐かしみ、そして自分に人生を捧げてくれた乙羽信子を懐かしんで、最後は「最近はお母さんのことをよく思い出す。お母さんに会いたい。」などとめそめそと書いていらっしゃったので私はあきれた。まあ、未だお元気のようなのでめでたいことだ。

 思い出したのは黒澤明監督の晩年の作品「まあだだよ」。これは内田百と教え子たちの心温まるエピソードを描いた映画だが、「随筆で読むならともかく、映画にしちゃいかんよ」と私は思った。百はドイツ語教師時代のことも少しは書いているけども、とてもよい先生とは思えない。海軍だか陸軍だかの士官学校で椅子に座って生徒に教科書を読ませているうちに眠ってしまって、はっと気付くと、生徒たちが自分を見つめたままシーンと静まり返っていることがよくあって、『いったいどれだけの時間が空白だったのだろう、ここの生徒たちは礼儀正しいから声をかけたりはしないのだ』などと書いている。さらに法政大学の教授時代には毎夜学生たちと飲んだくれて高歌放吟、近所の墓地から卒塔婆を引っこ抜いてきたりとむちゃくちゃなことをしていて、今だったらきっと「あきれた大学教授!」と週刊誌が書き立てるに違いない。それでも教え子たちが慕って集まり、宴会を開いたり、何事かあれば馳せ参じてきて、先生を助けるために奔走したのだ。これは人徳ってばかりじゃない。そういう時代だったんだ。

 「花は散れども」でもそう思った。あれはまあ、いい先生だったかもしれないけど常識の範囲内だ。修学旅行で映画のロケ現場で大暴れしたりすれば、ふつうは懲戒処分でしょ。昔はスルーだ。普通の先生でも戦前だったら「いい先生」で、「たてまえ」が「たてまえ」として通用し、言葉には一字千金の重みがあり、やさしい女の先生だったらみんな「二十四の瞳」になってしまうのだ。実際はほとんど何もしていない。実家が没落した主人公が中学に入れるようはからってくれるわけでもないし、縁談を世話してくれるわけでもないし、戦争を経て不幸になった教え子たちを助けてくれるわけでもない。それでも「いい先生」なんだ。そういう時代なのだ。みんな貧乏で、そこでしか生きていけない。先生だって共働きのくせにずっと下宿住まいで、小さな家を持てたのはやっと退職してから。それも実家から田んぼ一枚相続し、それを売ったお金で買ったのだ。そこでしか生きていけないし、他に比較の対象もないから先生の言葉は絶対で、それを信じるしかないのだ。個人の能力とかほぼ関係なく、普通の人なら誰でも先生になれば(容易になれる)「いい先生」として生徒の人生に足跡を残せる時代だったのだ。

 それを「昔はよかった」みたいな脈絡で今の教師に要求するのは的外れだ。時代が違う。情報量が違う。社会の複雑さが違う。それを「昔のように」戻したいなら、北朝鮮のように鎖国をすればいい。出国を禁止して。

 だから、まあこの手の映画は老監督の回顧録として記録的な価値はあるかもしれないけど、それだけのものだ。「今の教育に対してどうこう」なんていう批評は的外れだ。


 ところで、私の父は師範学校を出て中学の教師を定年まで勤めた人だ。私は小さかった頃、父は体育の先生だとばかり思っていた。なぜなら父の学校に連れて行ってもらって運動場で遊んでいたら、生徒たちがわーっと出てきて「体育の先生の子供だ」と言ったからだ。
 ところが、小学校に上がって念のために確認してみると、「今は国語を教えている」という。それでずっと国語の教師だとばかり思っていたら、高校の同級生で父の教え子という人が「社会の先生だった」と言う。混乱して確認してみると「もともとは社会科の免許しか持ってなかった」って言うのだ。「国語の免許は取ったかどうか覚えていない」らしい。
 数年前、近所のトレーニングジムでエアロバイクを漕ぎながら隣の年配の人と話をしていたら、なんとその人も父の教え子だということが判明したが「美術の先生だった」と言う。あんまり解せないので実家に帰った折に確認してみたら、「そういえば一年だけ美術を教えたことがある。その時の生徒だろう」と言う。「どうしても教員の都合がつかなくて、校長に頼まれていやいや音楽を教えたこともあった」そうだ。「ピアノなんか弾けないのに、どうしたの?」と聞くと「ピアノのうまい生徒に弾かせたり、指揮をさせて歌って、あとはレコード鑑賞をしていた」ということだ。それでも授業が成り立っていて、昔の教え子はみんな「いい先生だった」と言っているらしい。ちなみに教科の無免がなくても教えなきゃいけないみたいなのは僻地にはよくあることで、私の大学時代の同級生は赴任するなり「国語と体育と家庭科を持たされている」と言っていた。その人は病気になってまもなく辞めた。「無免許許教員が教えなくてもよいように教員配置を増やしてくれ」というのは日教組が何年も要求して実現したことだったはずだ。

 私の父なんかは、学校を出るなり瀬戸内海の小島の中学に赴任し、そこで毎日授業が終わると生徒に舟を出させて暗くなるまで釣りをし、保護者が野菜を持って来てくれるので宿直室で魚をさばいて鍋にし、連日近所の人と酒盛りをしていたらしい。「天国だった」と言っているが、今だったら懲戒免職だろう。父は偏屈でおこりっぽくて今ならさしずめ「暴力教師」だ。なのに昔の教え子は懐かしんで家を訪ねてくる。昔は非行もない、学級崩壊もない、偏差値もない。生徒と釣りをして遊んでいても「教育」になったのだ。

 父の教師人生が暗転したのは、市の中心部の大きな中学に転勤してからだ。当時は校内暴力が吹き荒れていた。「たてまえ」が通用しなくなっていた。これは別に日教組のせいじゃないだろ。毎日夜の12時近くに帰宅して、暗ーい顔でご飯を食べ、寝ている間も大声で寝言を言ったり、がばっと起き上がって「おお、あれをしとかんといかん」と言ってまたパタッと倒れて寝たりしていた。警察からしょっちゅう「生徒を補導した」という類の電話がかかるので夜中でも出て行くし、家族よりも警察とのコミュニケーションの方が緊密であった。

 おととしだったか、実家に帰ると父が藤原正彦「国家の品格」を読んでいて「これはいい本だ。」というので「バカいうんじゃねえ!」と私は怒った。典型的な質の悪いナショナリズムの本じゃないか。みのもんたの「朝ズバ!」で中山元国交大臣が薩摩藩の「郷中教育」について言及していた。ふーん、そういうのを理想とするなら、自民党政権が代々やってきた農村社会の破壊をもとどおり修復して、階級制を復活し、国を鎖国して情報遮断するんですね。

中山国交相辞任

2008-09-29 00:08:13 | 時事
はやっ!
国交相辞任】「一体何だったのか」省内に脱力感 産経ニュース(2008.9.28 13:37)
午前10時半から始まった辞任会見で、中山氏は冒頭から「たくさんの方から『よく言ってくれた』『頑張れ』と山のようなメールをもらった」と述べ、日教組に関する発言が国民の支持を得ていることを強調。そのうえで、自らの発言が臨時国会の審議と次期総選挙に影響を及ぼすことを懸念して辞任することを明らかにした。

中山国交相:「日教組ぶっこわす」宮崎での発言要旨 毎日新聞 2008年9月27日 21時53分

最後の発言を聞いたとき、やっぱりおかしいよなあと思った。あの自民党の政策パンフレットにそっくりだ。(体裁はちょっと前と変わっているけど内容はほぼ同じだ)日教組=民主党じゃないと思うけどな。
 あと、どうでもいいけど日教組の組織率と学力テストの結果。(例の阿比留氏のブログ)

 それはともかく、問題は事実誤認による失言ってことじゃない。
1.「さまざまな犯罪が起こっている。あるいは親殺しとか。それは教育に問題があった。」(今の社会の荒廃は戦後教育が悪いから)

2.「特に日教組。何より問題なのは『内心の自由に立ち入らない』と言って、道徳教育に反対する。」(日教組が教育を悪くした)

3.「何とか日教組を解体しなければいかんと思っている。小泉さん流に言えば『日教組をぶっこわす』。この運動の先頭に立つ思いでいる。」(よって、日教組を解体しなければならない)

1について
 思い出したのは内田樹「私家版・ユダヤ文化論」(文芸新書)。P84
 19世紀的近代人はあらゆる事象は因果の糸で緊密に結びついており、その因果の糸を発見することこそが「科学的思考」であるという思い込みに深く領されていた。因果関係の発見こそが科学であるとする思考は「一つの結果には必ず一つの原因が対応している」という機械論的な世界観を不当前提とする。だから、「近代科学主義者」たちは例外なく政治過程を「機械」のメタファーで構想した。つまり、yを「出力」、xを「入力」と取ると、y=f(x)という方程式ですべては説明されると考えたのである。この場合のf(関数)は一種の「ブラックボックス」であって、それがどういうふうな構造であるかには副次的な重要性しかない。分子生物学者のルドルフ・シェーンハイマーはこれを「ペニー・ガム法」と名づけた。「ペニー・ガム法」とは自動販売機にペニー硬貨を投じるとガムが出てくることを、「銅がガムに変化した」と推論する思考のことである。(中略)
 陰謀史観は世界政治をこれに準じた「ペニー・ガム・メカニズム」として理解する。百円のコインを投じると百円分のガムが出てきて、二百円分のコインを投じると二百円分のガムが出てくる。ということは「帝国の瓦解」というような巨大な「ガム」の出力があった場合には、それにふさわしい「帝国規模の侵攻」が「ペニー」として入力されていなければならないことになる。(中略)
 歴史的な変動をある「見えざる工作者」の企図に帰すこの発想を私たちは陰謀史観と呼んでいるが、19世紀の政治思想家でこの弊を免れている者はほとんどいないと言ってよい。あの怜悧なマルクスでさえ、『ヘーゲル法哲学批判序論』ではこう書いている。(中略)
 社会がうまく機能していないのは、社会の不幸から受益している「悪者」がいるせいであるから、「悪者」を滅ぼせば社会はよくなる・・・・という19世紀的な「物語」をマルクスもまたここで繰り返している。私たちの注意を引くのは、マルクスの文言のうちの「でなければならない」の執拗な反復である。彼は社会の不幸のすべての原因であり、社会の不幸からひとり受益している「単一の非行者」が存在することを論証するに先んじてほとんど渇望していたのである。

 一般にある事象の背後には複数の原因が複雑に絡み合って存在している。飛行機事故ひとつ取り上げても、物理的原因、人為的ミス、その他複数の原因が存在していて、あとから検証しようとしてもなかなかわからないことが多い。ましてや「さまさまな犯罪」などという漠然とした事象の原因が戦後教育のせいだなどと考えるのはほとんど妄想の域だ。それに常識的なことだけど、戦後凶悪犯罪が多かったのは昭和30年代で、その後は一貫して犯罪の発生率は減ってきているはずだ。
(ブログ「少年犯罪データベースドア」
Googleブック検索「犯罪心理学」から
そしてこの本に書いてあるように犯罪に影響を及ぼしているのは都市化、情報化、共同体の空洞化という社会の変化だ。

2について
 「道徳教育の強化」と「愛国心教育」を推進してたのはこの人だったのか。そりゃそうだ。教育が個人のこころの内面に立ち入るべきじゃない。立ち入るったって容易じゃない。(先日、うちの子の学校のスクールカウンセラーの先生に子育てに関する話を聞いたけど実のところがっかりした。古臭い教育心理学の授業みたいなことしか言わない。まあ、のんびりしたうちの学校にはちょうどいいかと思った。害もないし)
 宮台なんか言うには、そもそも道徳教育を成り立たせる基盤というか前提がなくなってきているのが問題だ、そして、それは経済的発展のために農村社会を破壊し、共同体を弱体化してきた政治の責任でもあると言ってる。参考(「安藤哲也(Fathering Japan 代表)との子育てトークイベントに出ました」)確か自民党から招かれて話をしてきたとどこかに書いてあったがなあ。きっと中山さんのような人は、自分の都合のいい情報しか頭に入らないようなフィルターができてしまっているのだろう。

3について

 民主主義というのは、いろんな利益団体が多数存在し、それらが政治にさまざまな影響をおよぼしていく中で利害調整していくもんだ。ほら(ウィキペディア「利益団体」「日本の利益団体一覧」
たとえば、経団連の方針が若者の非正規雇用を増やし、社会に不満が高まって秋葉原の事件が起きた(と仮定して。間違っているけど)からといって「経団連をぶっつぶす」なんて政治家が言っていいわけがないし、また、たとえば鴻池さんが「株式会社の医療参入はよいことだ」と発言して日本医師会から猛反発を受けたからって、「医師会は構造改革の抵抗勢力」「ぶっつぶす!」とか言ったら大問題になりますね。それがなんで日教組だけいいのかな。ネット右翼の人たちは本当に日教組をつぶせば教育がよくなると思っているのだろうか。(教師の質はますます落ちると思う。だって組合もなくって1日12時間以上の労働時間で残業手当も出ず、おまけにクラブ指導や生徒指導で日曜祭日もない職業なんかに優秀な人材が集まるはずはないだろ)
 今まで自民党は、よくも悪しくもいろんな人がいる百貨店型の政党で、本来保守的な党であるにもかかわらず実際は公平分配、高福祉政策を実践してきたところが庶民に支持されていたのに、最近は方向転換を目指しているようだ。教育に競争原理を取り入れて上位校を優遇し、エリート的人材を育成しようと思っているのか。まあ、それならそれでいいのだ。エリートにこそ道徳、愛国心教育が必要だろう。エリートが自民党政治でダメになった国を見捨てて海外に出ていかないようにしっかり教育してくれ。

食の安全について思うこと

2008-09-28 16:44:22 | Weblog
 中国製乳製品のメラミン汚染と森永ヒ素ミルク中毒事件との類似点

 中国製乳製品のメラミン混入事件を聞いた時、まっ先に思い出したのは半世紀前に起きた「森永ヒ素ミルク中毒事件」だ。検索をしてみると、わりと同じ連想をした人が多いみたいだ。(ブログ「大西 宏のマーケティング・エッセンス」)

 ただ「乳製品に工業原料を添加」という点の類似だけではない。「なぜ添加しなくてはいけなかったのか」という背景の類似もある。牛乳の質が悪かったのだ。
「メラミン汚染、なぜ? 中国産粉ミルク 患者5万人以上」(2008/09/26)北海道新聞「現代かわら版」
餌の質や飼育環境が悪く、生乳の品質が一定の基準を満たしていなかった。そこでタンパク質量をごまかそうとメラミンを混入した、ということだ。

 「森永ヒ素ミルク中毒事件」(ウィキペディア)は、被害状況は有名だけどその背景にあった日本の牛乳の質の悪さということはあんまり知られていないようだ。昔、この事件の被害者支援にかかわっていた人の講演を聞いたことがある。「大元の原因は日本の牛乳の質が悪いことだ。粉ミルクを作ろうとしたら、原料の牛乳が酸化しているので凝固してダマになる。その分ロスが出るし、できた粉ミルクも質が悪かった。それで凝固しないように第二燐酸ソーダを添加することにしたのだ。」ということだ。しかし、実は第二燐酸ソーダを使うことはほかのメーカーもみんなやっていたことらしい。(雪印乳業食中毒事件で分かった「牛乳」の正体
 乳業技術者の間で神様のような存在である藤江才介は、「劣悪な原乳に第二リン酸ソーダを使うことは、たいていのメーカーがやっていた」と認めている。粗悪な原乳に防腐剤などを加え、育児用粉ミルクにして市販することは、メーカーにとって、廃物利用、口当たりのいい言葉で言えば技術革新の成果でもあった。

 問題は、森永が業者から仕入れた第二燐酸ソーダは、日本軽金属から出た「産業廃棄物」で、以前ヒ素が検出されたからと国鉄から突っ返されていたものだったことだ。「まさか、食品に使われるとは思わなかった」って、ふーん、じゃあ乳業メーカーが他に何に使うと思ったのかな。

牛乳の質の悪さ

 「欧米ではそんなものを添加しなくても粉ミルクはできるし、日本の牛乳の質の悪さは今に至るまで続いている。」というのが上記の講師の主張だ。雪印乳業食中毒事件でも製品管理の杜撰さがあらわになったが、それ以前に、日本の牛乳は高温殺菌をしなきゃ飲めないようなシロモノなのだという異常さはあまり知られていないようだ。ヨーロッパで一般的な「低温殺菌、ノンホモ(攪拌して脂肪球を粉砕処理していない)牛乳」は日本ではほとんど見られない。瓶入りの高価なものくらいだ。飲み比べてみると味が全然違う。私たちが子どものころから学校給食で飲まされてきた牛乳はそういう大量生産大量消費に適したシステムに組み込まれ、工業的に作られた質の悪い牛乳なのだ。牛のことも、消費者のことも、まるで考えられていない。

 ずっと前住んでいた借家の大家さんが、昔牧場を経営していたという人だったが、牧場をやめた理由を「牛乳は夏と冬とで味も成分も違う。うちの牛は放し飼いにしていたから春から夏にかけては青草をいっぱい食べてお乳も少し水っぽくなる。ところが脂肪分が減ると買取価格も下がってしまう。他の飼育農家では一年中牛舎に閉じ込めて濃厚飼料を与えているから脂肪分が減らない。だけどうちはお日さまの光を浴びて草を食べさせた方が絶対牛のためにいいと思っていたし、その方がおいしいお乳も出るのだけど、そのおいしさを測る尺度はなかった。手間を掛ければ掛けるだけ儲からなくて、とうとうやめてしまった。」と言っていた。牧場は今は工業団地になっている。
 こういう家族経営の農家が作るものを地元で消費するという地産地消を消費者が大切にしていれば、森永の事件も雪印の事件も起きなかったはずだ。だから「質のよいものにはそれなりの値段を払う」ということを消費者自身が覚悟しなくちゃいけないと思う。小規模経営ならではの質のよい農産物を流通に乗せるような仕組みもなくてはいけないと思う。

給食で脱脂粉乳を飲まなくてはいけなかったわけ

 もひとつ粉ミルクで思い出すのは、長女が保育所に行っていた頃のことだ。保育所では「脱脂粉乳」を溶いたミルクをおやつの時間に飲むことになっていた。それが不味くて長女はなかなか飲めなかった。それだけではなく、アレルギー体質なので、ときどきじんましんが出て休んだり、背中にアトピーの湿疹が出たりしていた。皮膚科にも小児科にもあちこち行ったが、血液検査をしてもはっきりとこれが原因という結果が出てこない。小児科の先生の助言で一週間、卵と牛乳をやめたら明らかに症状がよくなったことがあった。それでひとまず乳製品を抜いてみようと保育所に「ミルクをやめられませんか?」と申し入れた。ところが「医師の診断書がないとやめられない」と強硬に言われる。どうもアトピーの子どもが増えて、そのような申し入れがちょくちょくあったり、「除去食を作ってもらえないか」などという要望もあったことで所長が負担を恐れたらしい。また、当時私が何人かの保護者と一緒に入っていた食生活の勉強会に偏見もあったらしいのだ。

 担任の先生から後で聞いたのだが、「脱脂粉乳はアメリカから輸入しているものだ。これはWTOで毎年何トン輸入しなくてはいけないと決まったもので、給食用に一定の割り当て量がある。この保育所でも消費が少ないから増やせと言われていて、脱脂粉乳が余るときは急きょシチューをメニューに入れたり、四苦八苦している。」というのだ。私は唖然とした。私たちの世代が食べていた給食用のパンは、地元のパン屋さんによると最低品質の小麦粉でできていて、それはアメリカでは家畜の飼料用なのだと聞いたことがある。この豊かな時代にまだ脱脂粉乳を飲ませているってのが解せなかったが、それはアメリカの押し付けだったのか。

 長女はそれからしばらくして小学校に上がり、小学校では給食の牛乳を飲まないという選択ができたので5年生まで止めてもらっていた。そのせいか、アトピーは今に至るまで出ていない。今住んでいるところでは給食の調理師さんや栄養士さんたちによる給食改善の研究会が盛んで、もう、とうの昔に保育所の脱脂粉乳を牛乳に変更していたし、それを飲む飲まないも自由だった。医師の診断書を持って来いなどと言われたことは一度もない。だから長男は小学校低学年まで牛乳をやめていて、赤ん坊の頃心配だったアトピーがその後出ることもなく、牛乳を飲まないことによる成長の遅れもなく、たいへん元気で風邪もひかない(皆勤賞ももらった)。

 私は、これだけアトピーが増加している背景には食品添加物や栄養バランスの問題もあるだろうけども、質の悪い牛乳を子供のころから毎日飲ませているということも原因の一つではないかと疑っている。そしてもうひとつ、日本は戦後、工業国として利益を得るために農業を見捨てたのだなあとつくづく思った。日米貿易摩擦というのは日本では工業製品の輸出の問題だったけども、アメリカでは農産物の輸出の問題だった。自動車なんかとバーターで穀物、乳製品、牛肉、オレンジを輸入しなくちゃいけなくなったのだ。
 石破さんなどは汚染米問題に関して、「日本のコメが海外の7倍も高くて競争力がないので、輸入を食い止めるためにミニマム・アクセス米を輸入せざるをえないので、大元は日本の農業の構造が非効率的なことが原因だ。もっと大規模農家も参入できるようにして農業の体質改善をするべきだ。」と言っているけども、それで食の安全が守れるかとか、農業振興ができるかということはちょっと疑問だ。そもそも、アメリカのコメ作りは補助金にどっぷり漬かっていて、すごくいびつな農業なので従来の農業を破壊する、日本はコメの輸入をしないでほしいと昔来日したカリフォルニアの農家の人が新聞で言っていた記憶がある。(切り抜きが見つからない)

「日本の食糧自給を破壊する米軍特殊工作部隊」2008年05月11日 オルタナティブ通信

 民主党の「農家の所得補償」も、どうも間違った方向に思える。政治家は、人気取りではなくて本当に日本の安全保障の問題として長期的な視野から真剣に考えてほしいと思う。

「シリアナ」つづき

2008-09-27 22:36:20 | 映画
 今度こそほんとに「シリアナ」

 これは夏ごろ観たDVDで、2005年の映画だ。ジョージ・クルーニーが翌年のアカデミー賞で最優秀助演男優賞を受賞している。しかしよくまあ、こんなわかりにくい筋立ての映画がアメリカで作れたものだと思った。主役級の実力派俳優(ジョージ・クルーニー、マット・デーモン。ジェフリー・ライト)、存在感あふれる大物役者(クリス・クーパー、ウイリアム・ハート、クリストファー・プラマー)らが次から次へと出てくる贅沢さ。しかも3つのストーリーが同時並列的に進行していて、だれが主人公だかわからない。見ているときには、いったい今何が起こっているのかもよくわからない。だれも明快な解説をしてくれない。不親切だ。そして、最初に出てきたCIA工作員ボブ(ジョージ・クルーニー)は、最後ミサイルで吹っ飛ばされて死んでしまうのだ。それはないだろう!
 このわかりにくさは、わざとそうしたのかと疑っていたらやはりそうだった。この映画の元になったのは元CIA工作員が実際の体験を書いた本だ。
 元CIA工作員ロバート・ベアが語る映画『シリアナ』の真実(月刊PLAYBOY 2006年3月号)

 簡潔にいうとこういうことだ。シリアナという(架空の)中東の国がある。石油を産出して莫大な利益を得ているが、その利益のほとんどを王族が独占しており、国民には還元されていない。他に産業らしい産業もなく、国民は貧しく失業率も高い。首長の長男ナシール王子はスイスのエネルギーアナリスト(マット・デイモン)と知り合い、社会改革の必要性を吹き込まれる。そこで天然ガスの採掘権を中国企業に発注し、また政治の民主化を進めようとするのだがそれは一族との軋轢を生む。そしてそのことはそれまで採掘権を一手に握っていたアメリカの石油メジャーにとっても都合の悪いことであったので、彼らはナシールを排し、現状維持派の弟を王位継承者として擁立しようと働きかける。CIA工作員ボブはナシール王子の暗殺を命じられるが失敗する。自分の受けた指令に疑問を持ったボブはどこからその指示が出ているのかを探り始める。そして、石油産業と政治家との癒着、正義とはほど遠い利権のための暗殺という真実を知り、ショックを受ける。彼はゲームの駒として動くことを拒否してナシール王子に警告しようとするが王子一家の車もろとも爆破されてしまう。

これでだいぶすっきりしてくる。

 エゴむき出しのアメリカの中東政策ってものがよくわかるじゃないか。映画でCLI(イラン自由化委員会)なるものが出てくる。「中東の女性たちは虐げられている。」などと言ってイランの民主化を推進しようとしているらしいが、実際にはメンバーは石油産業で利益を得ている政財界の大物ばかりだ。ボブが会議で腹を立て、「アメリカのやり方に民衆の反発が高まっていて非常に危険な状況だ」と報告しても「そんなはずはない」と一蹴する。なぜアメリカがイラク戦争を起こしたか、なぜ9.11が起きたか、映像で見せられると「やっぱりそうだったのか」ってよくわかる。こんなアメリカのえげつなさを抉るような映画がよく作れたものだと思った。そして一流の俳優がこぞってこの映画に出たがったっていうことは、やっぱり「テロとの戦い」という欺瞞にみんな気づいているんだな。あー、少なくとも都市部のインテリ層は。

 問題は、CIAがこのような陰謀に利用され、どこから出ているかわからないような危険な指令を受けた工作員が誘拐や暗殺や拷問をしていて、それで世界が変わってしまっているということの恐ろしさだ。上記ロバート・ベアの本を読むとCIAがとんでもない組織だってことがよくわかる。そしてアメリカの標榜する正義とか民主主義って奴が実はアメリカの都合のよいように世界を利用するためのものに過ぎないってことも。

 だからアメリカは北朝鮮との交渉にあんまり熱心じゃないんだな。だって石油も天然資源も出ない貧乏な国だもん。テポドン飛ばしてもアメリカには届かないしね。じゃあどうするかって、やっぱり日本はアメリカへの依存度を徐々になくしていって、東アジア地域で経済や安全保障の協力体制を築いていくしかないんだろうけど、その目的への道のりは遠そうだなあ。

中山国交相発言について

2008-09-27 01:01:06 | Weblog
 これはひどい。あんまりだ。
 中山国交相:成田空港問題「ごね得」 日教組批判も(毎日新聞 2008年9月26日)
 中山国交相「日教組強いところは学力低い」 発言後に撤回(NIKKEI NET 25日 23:43)
 中山国土交通相が成田反対闘争「ごね得」(NIKKANSPORTS.COM 2008年9月25日23時8分)

「単一民族」は当然バツだし、自民党の国家戦略本部はこのあいだ「移民受け入れ1000万人提言」したんじゃなかったのか。あー、ネット右翼方面は反対してるんだー。(ブログ「マスコミ万歳!」

 「ごね得」発言で、「公のためにはある程度自分を犠牲にしてでも」って、ちょっと違うなあと思った。あ、やっぱそうだ。ウィキペディアの「公共」の概念。たとえば共同の井戸を掘るとかいう場合に、
 個人私有よりも共同所有の方が合理的であるという個々人の合意が形成された場合に、はじめて共同井戸が成立する。「公共」の立場からは、「私」や「個」の利益を追求したとしても、全体の利益を考えた方が結局は合理的であるという結論にたどり着くという場合「公共」が成立するのであり、最初から全体の利益を優先して、個人や私人を意図的に信頼・重視しない全体主義とは異なる。

 たとえば、うちの市の鞆の浦では今、埋め立て・架橋工事をする、しないをめぐって住民と行政側とが対立している。行政側は、橋を架ければ交通の便がよくなり観光客も増えて経済効果があがると考えている(もちろん公共工事でだれかが助かるというのもあるのだろうが)。しかし、住民は、不便だけども昔の面影を残す町並みと絶景とに価値があるので、そういったものは経済効果などでは推し測れないと思っている。決してゴネていれば得をするとか思っているわけではない。古い町並みと景色に「価値がある」というのは数値的に証明できるようなものではないし、多分、なくなった時初めてそれがいかに貴重なものだったかということに気づくような類のものだと思う。行政側は、架橋と町並み保存をセットにしているのだけども、町並み保存だけはできないのか?観光客が車を連ねて大勢押し掛けるような名所にしなくちゃいけないのか?ここらへんで両者に大きな意見の隔たりがあるので20年以上もめているのだ。
 ウィキペディアにもあるけども、地方自治体を「公」というならば、住民団体も「公」だ。どっちも「公共の利益」のためになると考えて対立している。そして、それは最終的には地元住民の多数決によって決めるべきものだろうと思う。成田闘争について私はよく知らないけども、最近の中国の住宅立ち退きをめぐるトラブルのニュースとか見てると「日本も昔あんな感じだったのかー。」と思う。

 「日教組強いところは学力低い」発言も違うなあ。広島県東部って今はちょっと下がっているけど以前は日教組組織率98%くらいだったはずだ。私らの年代が教育を受けた頃。その頃「広島県は教育県」って言われて高校進学率も全国上位にあったはず。で、ネットでいいかげんな日教組批判のサイトによく書かれているような(たとえば競争を嫌うから運動会で一列でゴールインとか)そんなことは、見たことも聞いたこともない。5時きっちりに帰るとか(そりゃあ校長だ)。クラブ指導をしないとかってのもいい加減だ。いちいち反論するのもばからしい。

 「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力が低い」
って、賄賂を渡して子弟を合格するよう働きかけたのは日教組ですか?校長とか教頭とか教育委員会関係者じゃなかったっけ。たぶんこのあたりの記事を曲解したんじゃないかな。(大分教員汚職 教組と処分前に交渉 県教委 混乱回避へ「配慮」2008年8月30日 西日本新聞ネット右翼の人は「癒着」と書いているけど、大量の採用取り消し者が出て現場は混乱するし、当人は「知らなかった」とショックを受けてる人が多かったらしいから、組合が動くのは当然だと思う。(西日本新聞といえば、亡くなった伊藤元長崎市長の娘婿って人は、西日本新聞の記者だったなあ。「政治は世襲すべきじゃないよ」って誰か忠告してやらなかったんだろうか?)

 「私が(文部科学相時代に)全国学力テストを提唱したのは日教組の強いところは学力が低いと思ったから」
 これは絶対聞き捨てならないね。日教組つぶしのために全国学力テストを提唱したのか!
 学力テストの結果を公表すれば競争力が高まって学力が上がるというのは違うと思う。保護者のあいだに選別意識が働いて二極化が進むだけだ。ただでさえいろんな局面で子どもたちの二極化傾向が強まっているのだ。保護者の中には学区を変えるために住民票を移したりする人もいる。今でも。そういう傾向が一層強まって教育格差が拡大していくばかりになりかねない。結果を分析して、成績の悪い地域、学校に特別に人員配置をしたり、予算を加増したりしてサポートするっていうのならわかるけど、この発言を見るにどうもそんな意図でやったわけじゃなさそうだ。因果関係もないのに「日教組が悪い。戦後の教育が悪い」と一方的に決めつけて、ハマコー並み。懲罰的なことをやれば学力を上げられるとでも思っているのか。この人も!
 そもそも、競争を激しくすれば学力が上がると思ってるところからして発想が貧しい。国際的に通用する人材を育てるための教育ってそんなことでできると思っているのか!こんな人が文部科学大臣をやってたのか。

 OECD生徒の学習到達度調査
あ、やっぱりこの時の文科相か!PISAで日本の順位が下がったといって大騒ぎして「ゆとり教育廃止」ということになったけども、それ、原因が違うって。一位のフィンランドは日本の教育を参考にしてるんだぞ!(比較・競争とは無縁 学習到達度「世界一」のフィンランド asahi.com 2005年02月25日)

 行政が市民社会化をサポートするのでなくて、分断し、格差を広げるようなことをするなよ!自民党はやっぱりダメだね。







映画DVD「シリアナ」

2008-09-26 16:02:22 | 映画
 先日、現在公開中の映画「ウォンテッド」(You Tube予告編)を見た。派手なアクション(殺人シーン)が多くてなかなか楽しかった。
 暗殺を目的とする「機織り職人」の秘密結社?ターゲットの名前が織物の布目に暗号であらわれてくる?そんなもん信じるなよ!“Fate”(運命)ってなにさ!誰が陰で操っているかわかったもんじゃない。見ているうちに「ああ、これってあれだ」という気がしてきた。ほら、「ボーン・アイデンティティー」三部作とかあの類の、「社会的秩序を守るために超法規的行動も許される秘密の組織を作ったところ、その内部のトップにいる奴が私利私欲のためにその組織の鉄砲玉を使って悪いことをする」というパターン。しかも他のセクションからは見えないのでその不正はだれにも知られない。「どうもおかしい」と思った鉄砲玉が独自行動をしてその不正を突き止める、ってやつ。
 ただし、この映画は甘いと思う。リーダーの不正をメンバーの前で暴いたところ、逆に殺されそうになるがその時、「自分の命より、組織より、“Fate”の正統性の方が大切だ」と考える一人がいてメンバーを自分ごと皆殺しにしてくれる。結局、わけのわからん“Fate”とやらはそのまんまじゃないか。主人公はそれに従って生き残ったリーダーを殺し、おそらく正統な後継者として後を継ぐのだろう。それでいいのか?


 「ボーン・アイデンティティー」シリーズは、「ほんとうの自分探し」の物語じゃなくて、記憶が書き換えられていることは事実として、書き換えられる前の「ほんとうの自分」ではなく、上書きされた情報を持つ新たな自分の内発性に従うしかないじゃないかという「トータル・リコール」のテーマを踏襲しているように思った・・・けど、そう単純でもないか(宮台ブログ「大ヒット映画に対する出鱈目な批評の横行に文句が言いたい!」)。どこかに“Fate”(天の目)があって、それに従えばいいっていうのじゃなくて、記憶の書き換えによって人は容易に殺人マシーンになるし、どこにも正統性はないし、しかもそれを「自ら志願した」という事実によって免責もされないってことが大事なのか。
 さらに、そのような状況は何もCIAとかに入ってなくても、「現代社会を生き抜くためには欲望の制御が大事だ」みたいなことを考えてる私なんかにも言えることで、それ自体が「被制御の産物」だ・・・って?まったく救いがない話だ。もっとも、欲望の制御ってったって自己啓発セミナーにも行かないし禅寺にこもるわけでもない私は意思の力だけじゃ実現不可能だけど。
 10数年前に友人たちの間で自己啓発セミナーがはやって、私も青年会議所主催の公開講座(1日限定)に行ったことがあった。心理学の交流分析的手法を使ってて、あれはあれでいいんじゃないかと思ったけど、ネットワークビジネスっぽいところがイヤでセミナーには行ってない。友人の中には発奮して起業した人もいたけど、2、3か月たつとモティベーションが落ちると言ってあれこれハシゴした人もいる(最後に「モティベーションが落ちない」って感激してたのがヒーリング系の「前世療法」ってやつだった。そこに行くのか)。

 先日NHKスペシャル(「戦場 心の傷(1)兵士はどう戦わされてきたか 」「戦場 心の傷(2)ママはイラクへ行った」を見たが、このような、兵士を「戦闘マシーン」にするための訓練によってイラクからの帰還兵たちが社会に適応できなくて苦しんでいる状況が報告されていた。「兵士から人間らしい感情を奪い、条件反射的に殺人ができる」訓練プログラムは年々進化して殺人も精度も増してきているらしいけど、戦場から帰った兵士の心のケアをし、日常生活に適応できるようにするプログラムというものはまだまだ未発達で、実施状況も不十分のようなのだ。社会的にトラブルを起こす人はわずかだけれども、帰還兵の半数近くが何らかの心の問題を抱えてケアを必要としているらしい。こういった問題は自助努力では解決できないので、精神的な治療法がもっと深められなくてはならないし、帰還兵の「戦闘解除プログラム」みたいなものが確立されなくちゃいけないと思う。けれども、人間の心って、そんなにプログラムひとつで「戦闘モード」「日常モード」と切り換えることができるんだろうか?2度も3度も召集されてる人はどうなるんだろう。危険じゃないか?

 あるいは、戦闘的でなくては生きていけない社会に適応するために、自己啓発セミナーに参加して「戦闘モード」に書き換え、みなで経済活動に邁進したとして、その結果が9・11であり、「ダーウィンの悪夢」であり、地球環境の破壊であるとしたらどうすればいいのだろう。「ボーン・アルティメイタム」も結局は悪の大元がいて、そいつを通報して捕まえれば一件落着だけども、現実にはそんなに単純じゃない。誰が悪いやつかなんて、はっきりしない。いや、悪いやつなんてほんとはいないのだ。みんなが現状に適応しようとした結果がこうなのだ。

 とりあえず言えることは、「ただでさえ秘密性の高い組織の中に、さらに特別な組織を作って超法規的行動をとらせるようなことはしてはいけない」ってことだろうな。誰に責任があるかわからないような複雑な組織とか、もしもトップが悪いやつだったらとんでもないことになってしまうノーチェックの組織とかは変えなくちゃいけない、と。アメリカ映画で最近その手の教訓を示唆するようなのが目立つように感じるのはやっぱり「今のアメリカは危険な状態だ。このような教訓を忘れるな」と繰り返し警告することが必要だと思っている人がいるのかなと最近思う。

あ、「シリアナ」にたどり着いていない。
つづく・・・

「思想地図」VOL1

2008-09-25 23:22:37 | 本の感想
 「ロスジェネ」創刊号と一緒に買った「思想地図」VOL1(東浩紀・北田暁大編)でおもしろかったのは、「社会的関係と身体的コミュニケーション」韓 東賢(ハン トンヒヨン)だ。ほとんど、それだけ。あとは難しくてあんまり読めなかった。これもむずかしそうなタイトルがついているけども、要するにケンカの話だ。副題は「―朝鮮学校のケンカ文化から」
 
 かつて1970年代の東京では東京朝鮮高校と国士舘高校の乱闘事件が頻発していたという。映画「パッチギ!」で高校生たちがガラの悪い格好をして喧嘩ばっかりしているのに呆れたけども、あれは校風だったようだ。
 東京朝鮮中・高級学校は、「異国の地にあっても民族の魂を持ち祖国の発展に寄与し日本の社会で活躍できる人材の育成を目的に在日朝鮮人子弟の中等教育機関として祖国解放の翌年(1946年10月5日)に創立」した当初は中級部のみだったが、48年に高級部が併設された。中、高級部ともに朝鮮学校において日本最初に設立された同校は、開校から一貫して日本最大規模の朝鮮学校でありその中心的存在である。GHQと日本当局による朝鮮学校閉鎖政策による都立化の時期(49年~55年)を経て、北朝鮮の海外公民路線を取る在日本朝鮮総連合会(朝鮮総連)の管轄のもとで自主化し、現在にいたっている。

この学校と連日バトルを繰り返していたのが国士舘高校。
 国士舘高校は1917年に国士舘義塾として創立し、48年の学制改革により国士舘中学校・高等学校となった。(中略)近年、改革が進んでイメージも大きく変化したが、80年代頃まではバンカラ、武闘派を代表するような校風で有名だった。創立者で初代総長の柴田徳次郎は保守主義的、右翼的な教育方針を掲げ、50~60年代の天皇誕生日(現昭和の日)には柴田自ら馬に乗って学生を観閲したというエピソードもあるほどだ。(中略)
(1973年入学した木村三浩 ~ 新右翼一水会代表 ~ によると)当時の国士舘高校では、入学式で「軍艦マーチ」が演奏され、入学直後には「共産革命を食い止めるため命をかけろ」などと書かれた創立者柴田徳次郎の著書が配られ、天皇誕生日には奉祝の「分列行進」があり、週一回の「訓話」という授業では関東軍作戦参謀でシベリアの収容所に強制収容された経歴を持つ校長代理が「日本のすばらしさ」を語りながら「維新の志士のように生きる」よう説く講義をし、ガクランを着て教育勅語を暗唱しろという教師が存在していたという。

これはヤバイです。どっちもどっちというか・・・出会ったらケンカになります。朝鮮高校の男子たちはグループを作って駅や電車の中を巡回し、バンカラ系の雰囲気芬々ふりまいているやつを見たら見つけ次第にケンカを吹っ掛けたという。
 彼らはこのように毎日列車内を「流し」て、「敵」を見つけると自らしかけて片っ端から制圧していった。一方で、誰かがやられたとか生意気なヤツがいるという情報が入ったり、「天敵」である暴走族が集会を開くという知らせがあれば「出張」することもあった。「国士舘は象徴的な相手で、他の学校は最初から向かってこない。まともに相手になるのは暴走族と国士舘だけ」(Eさん)だったらしい。


一方、彼らのケンカは、周囲にはどのように受け止められていたのか。
 (先生や大人は)やるなら負けるなとか、そんな感じとかね。あとは捕まらないいようにやれとかね。・・・・・(停学などは)あまり聞かれなかったね。・・・・ケンカではね、怒られるけど、そりゃ学校側もメンツがあるからね、怒られるけど、でもそんなには怒られないかな。(Aさん)
 
 誰に聞いてもだいたいこのような感じで、ケンカで警察に捕まっても停学や退学などの処分を受けることはほとんどなかったという。ではそれは学校の方針だったのか。「学校の方針としてというのは別になかったが、そんな風に厳格にしていたら、どれだけ多くの生徒が退学になって、いなくなっていたか」と語る元生活指導担当教師のFさんは当時、「生徒たちの学ぶ権利を守る生活指導部」というスローガンを掲げていたという。


お、おもしろい。「パッチギ!」のあの一種ヤクザ映画みたいな天真爛漫な明るいケンカはそれだったのか。 そのような朝鮮高校の「ケンカ文化」が日本の不良高校生たちの畏怖や尊敬の対象となり、また一種のカッコイイスタイルとして隠語に取り入れられたりしたらしい。
 そして、それだけ毎日毎日集団で乱闘して、警察にもしょっ引かれてたのに、死人が一人も出ていないっていうのはすばらしいことだ。
 集まってケンカするのはいけないことだったかもしれないけど、団結することを知り、団結してケンカするのが、自分たちの権利を守ることだと思ってたし、生活を守ることだと思ってたから。(Fさん)

 彼らの論理の「正しさ」はケンカでの勝利はもちろん、周囲の好意的な対応を通じて再認識され、警察沙汰になった際の差別的対応などを通じてさらに補強され、「伝統」となっていく。このように、彼らにとって「正しい伝統」であったからこそ、恐怖を感じながらも使命感を持ち、決死の覚悟、捨て身の「ハッタリ」で、強い敵を相手に精神的優位に立つ先手必勝の戦法で挑んでいけたのだ。

 彼らにとって、ケンカは「集団的伝統」であり、一種の「身体的コミュニケーション」であり、「マジョリティー/マイノリティー間の権力関係を(一時的にでも)無化するフィルター装置としての機能」であり、「マイノリティーとしてのアイデンティフィケーションの困難を回避するための一つの装置」となっていたのではないかと著者は推測している。めちゃめちゃおもしろい。死人が出ないのならどんどんやるべきじゃないのか?

 しかし、実際にはそのような「ケンカ文化」は80年代後半から90年代には限りなく下火になり、その代わりに「チマ・チョゴリ切り裂き事件」のような個人、弱者をターゲットにした陰湿な襲撃事件が頻発するようになった。で、著者は言う。
そこに身体の対等性や、アイデンティフィケーションの困難を回避するフィルターとしてのコミュニケーションは、おそらく、存在しえない。
 こうした「コミュニケーション」の様態の変化は、当然のように日本社会の変化の問題でもあるが、同時に、60~70年代の高度成長80~90年代のバブル経済を経て、「変化」してきた在日の側の問題でもあるだろう。では内と外の境界線は変わったのか、変わらないのか。その裂け目は埋まったのか、深まったのか。

 うーん、やっぱり、こういうネアカな乱闘が可視的に存在するっていうのはいいことじゃないのかなあ。一見穏やかで平和に見えても、親が子を殺したり、陰湿ないじめが全国津々浦々で頻発して死人がボロボロ出るような今の社会はとても健全とはいえない。朝鮮高校の生徒も国士舘の生徒も、イデオロギー対立が背後にあったわけだけど、それが韓国のように流血の大惨事に発展するのじゃなくて小競り合いをやってるうちにガス抜きができて、またそれを容認するような雰囲気が当時の日本社会にあったということだろうと思う。韓国の反共主義者たちは当時の日本を批判していたらしいけど、私はこういう緩衝地帯(日本)があったことはよかったんじゃないかと思った。もちろん、朝鮮総連の活動と韓国の民主化運動とはいっしょくたにしてはいけないけども。そして、ちょっと誤解されるかもしれないけど、人間多少のストレスがあった方が長生きするらしいから、こんなふうに「相容れない思想」の他民族が隣に住んでいて、時々はらわたが煮えくりかえるような思いをして、健全なバトルをするっていうのはかえって日本社会にとってプラスの方向に働くのではないかなあと思った。

日曜日のテレビ アジアプレス 石丸次郎氏の北朝鮮最新事情

2008-09-25 03:24:02 | テレビ番組
 いやー、たまたま検索をしていてネット右翼系のブログにあたったら、またむちゃくちゃ言ってますね。まだ40代の若さだというのにこの年代の人が「天皇」だの「反日」だの、勝谷さんみたいに「教育勅語を復活せよ」などと口走るってのが私にはわけわからん。コメント欄も、メディアは「、在日、中国」に支配されているとかその類の暴言だらけ。こういうのがランキング上位ってことはIZAってのはよほど偏向してるってことだな。ところで、「民主党政権で日本経済が崩壊したさいは、古舘一郎氏には私財を一切合財、国庫におさめて欲しい。彼がやっているのは報道ではなくアジテート(扇動)・工作活動なのだから当然だ。」とおっしゃっているけども、一報道番組のキャスターの前に自民党の政治家(特に政権投げ出した総理2人とか)及び官僚、歴代日銀総裁の方々がまっ先に私財を国庫におさめるべきじゃないでしょうか。それから「定額減税」を強力に推進した公明党の政治家ももちろん。で、もし民主党が政権を取れなかった場合、日本経済が崩壊したさいはIZA周辺の人はぜひ私財をなげうって頂きたいものです。

 それにしても、古舘さんは「モンスター」とか「怨念」とか「呪い」とかいう類の気にかかる発言が多くて、「悪い宗教にでもはまってらっしゃるのでしょうか」と心配してた人もいたから気をつけた方がいいと思う。もちろんそこらへんは朝日新聞も同じで、この21世紀の世の中に、「呪い」だのって新聞やテレビがおおっぴらに言うことじゃねーだろーが!ノータリンめ!

 日曜日のテレビから

 21日(日曜日)の「報道2001」や「サンデープロジェクト」で北朝鮮の最新事情の映像が紹介されていた。アジアプレスの石丸次郎氏が北朝鮮の取材パートナーに依頼してビデオ撮影したもの。平壌の裏通りにたむろする浮浪児や家を失って野宿する家族たちなど、困窮する庶民の生々しい映像が衝撃的であった。市場は、まるで日本の戦後の闇市にそっくりで、一般の市民が日用品など自宅にあるものを切り売りしている状態であることがよくわかる。浮浪児は、竹で作ったピンセットみたいなもので人のポケットからお金を抜いたり食べ物をかっぱらったりして生きているようだ。それができない子はごみの山から残飯を漁って食べている。ゴミを食べた後吐いていた。お寺のお堂みたいなところで野宿している一家に「なぜここで寝泊まりしているのか」と取材者が尋ねると「借金のかたに家をとられたのだ」と答えていた。河原にそのようなホームレスの人々がたくさんいて、石丸氏は「服装がそれほどひどくないので、ごく最近、少なくとも今年の春以降にホームレスになった人々のようだ」と言っていた。今年の春、穀物価格が高騰したため、中国からのコメの支援がストップし、また中国の民間支援団体が北朝鮮に穀物を送ることを中国政府が禁止したのだ。さらに、ここで李英和氏が書いていたように、韓国の李明博大統領の「非核・開放・3000」に挑発されて腹を立てた北朝鮮は意地になって、韓国からのトウモロコシ5万トン支援を断っている(2008年6月30日の記事)。庶民の生活はますます困窮し、なんとか食いつなごうと家を売ったり借金のかたに取られたりした人たちが続出している状況らしい。
 
「論座」の記事から

 ここで、社会主義の国である北朝鮮で、国有財産であるはずの家を売り買いすることができるということにまず驚くべきなんだろう。論座8月号にちょうど石丸次郎氏の「市場経済の増殖で激変する北朝鮮 固定化した『北朝鮮モデル』を乗り越えよう」という記事が載っていた。
 北朝鮮では、土地は国家または、協同組合所有で、住宅もごく一部を除いて大部分は国家の所有である。朝鮮戦争後の50年代後半からベビーブームが起こって以来、北朝鮮ではずっと深刻な住宅難が続いてきた。特に都市部では、2世帯同居、一間をカーテンで仕切って2家族が使うということも珍しくなかったという。(中略)
 住宅問題が構造的に変化したのは、90年代の大飢饉が発端だった。食糧難にあえぐ人たちが、最後の手段として住宅を売ろうとする動きが現れたのだ。また、200万~300万(石丸推定)に及ぶ大量の餓死者の発生もあり、住宅の大量供給がにわかに発生した。これは生活に余裕のある人々にとっては、より広くて便利な場所に家を手に入れられるきっかけになり、住宅売買は一気に活性化した。

 食糧にしても、住宅にしても、国からの配給が滞っているため、闇市や住宅取引の仲介業(コガンクン)が自然発生的にできてなんとか市場がまわっている状態だし、給与もまともに支払われないので食べていくためにみんな内職をしている。
 例えば、盛んに行われているのは、縫製の仕事だ。今の北朝鮮は布地をほとんど生産できなくなっており、衣類は中国から既製品を輸入するか、布地を輸入して縫製加工する。衣類の商売人が、北朝鮮で縫い子を組織し、布地と糸を与え、一着あたりいくらかの加工賃で契約縫製されるのである。縫い子は人目につかぬよう家で縫製作業をするが、働けば働くほど収入が増えるので、家族総出で作業をしているケースも珍しくないという。

 これは私的雇用だ。職場に一定の金額を納めて暇をもらって商売をしたり、主婦や学生が私的に労働力を売っているという。
 教員たちも外で稼ぐ。既定の給料は日本円に換算すると100円前後にしかならない。これではとても食べていけないので、生徒にあれこれ持って来いとたかったり、放課後、家庭教師や私塾を開いて稼いだりしている。韓国の「教育ママ」は熱心さで有名だが、北朝鮮も負けていない。数学などの教科だけでなく、将来役に立つと見込んで、都市部では、子供に中国語、英語、コンピューターなどを学ばせることが珍しくなくなっている。教える側も、企業所などの空き部屋を借りて、教室を開くなど規模を大きくする。これも既存の教育制度、労働制度から外れているので、取り締まりの対象なのだが、教育に対する需要を国家が満たせていないために発生した現象で、止めようがなくなっているようだ。

 社会主義が崩壊しかけてるんじゃない?また、「情報の流通」という点でも大きな変化が起こっているという。5年ほど前から、韓国の映画やトレンディードラマが入ってきてブームになっているとか、って日本とおんなじじゃん。
 韓国の主要地上波放送は、衛星でも同時放送されていて、パラボラアンテナとチューナーさえあれば、中国東北部や日本でも視聴することができる。北朝鮮ではもちろんご法度で、決して直接は見ることができない。いったん中国を経由して入っていくのだ。中国には190万人にのぼる朝鮮族が居住しているが、この朝鮮族の間でも韓流ドラマは大人気である。ドラマは衛星放送でオンエアされた数日後には、違法にCDロムにコピーされ、市場に並ぶ。価格は新しいもので10元(約150円)、古いものだと1元(約15円)。この海賊版がさらに複製されて、国境の川・豆満江と鴨緑江を渡って北朝鮮に密輸されていくのだ。(中略)
 韓流ドラマは北朝鮮内の闇市場でよく売れた。儲かるのだから商売人たちは、新作をせっせとコピーしては密輸し、北朝鮮内に流通させた。もちろん、北朝鮮の警察当局は「不純録画撲滅」キャンペーンを繰り返し行って取り締まりをつよめた。しかし、いかんせん、取り締まる側の警察官たちも、韓流ドラマが見たいのである。このように、北朝鮮内部には人の好奇心に根ざした需要が「情報の闇市場」を生み出した。この力は、厳しい統制を乗り越えて、金正日政権がもっとも警戒していたはずの、韓国の映画を大量に流通させるという事態を生みだしたのである。

 おもしろい。韓国のドラマや映画、そして以前市場に出回っていた大量の支援物資によって、北朝鮮の人々の心に豊かな南へのあこがれが芽生えてはじめたと同時に、現状に対する不満が鬱積してきているというのだ。番組で紹介された中にも「金正日将軍ははやく死んでほしい」と言ってる人がいた。「以前は体制に誇りを持っていたが、北朝鮮がアジアの中で最も貧しい国だということを知ってショックを受けた。食っていけないのになぜ将軍様を尊敬しなくてはいけないのか」と言うのだ。(今頃知ったんかい!)北朝鮮の内部は私たちのステレオタイプな想像を越えて大きく変化してきている。石丸氏は今年「北朝鮮内部からの通信 リムジンガン」という雑誌を創刊したという。

 仮に将軍様が死んだとしても、北朝鮮が急激に変わることはないだろうというのが多くの評論家たちの見解だ。だけど思うに、韓国の「太陽政策」は効果がなかったと言う人がいるけど、こんなふうにじわじわと北朝鮮の人の心に効いてきているっていうことはやっぱり効果があったってことじゃないか?「変化率が大事」(宮台)なんで、アメとムチで粘り強く交渉しながら核放棄、市場開放という方向に導くためには経済制裁解除もしなきゃいけないと思う。拉致問題になると強硬派の意見が幅をきかせて「経済制裁解除断固反対」という人が多いけれども、あんな非常識な国と交渉するのに倫理道徳を説いたって効果がないのじゃないか。

 TVタックルで

 以前、TVタックルで三宅さんが他の発言者の言葉を遮って「北朝鮮は言語道断!早く返せ!」と言っていた回で、帳景子さんとか金慶珠さんとかが「日本が原理原則を言うのはわかるけども、実際問題としてそれでは交渉が進まない」と言ってるのはその通りだと思った。「拉致家族をいったん返すべきであった」という発言に対して三宅さんが激怒したのだ。それで私が思い出したのは、イタリアや南米では誘拐犯と交渉してくれる専門の交渉人がいるという話だ。昔ニューズウィークに載っていた。
 警察が無力で、下手をすると裏で犯人とグルになっている可能性もあるから頼れない。しかし、いくら金持ちでも何億という金額を工面するわけにはいかない。それで交渉人を間に立てて、身代金を支払い可能な額まで値切る。時には交渉に1年も2年もかかることがあるらしいが、その間人質が死なないように待遇の改善を要求する。拉致問題は国家の犯罪であるけども、北朝鮮はゴロつき誘拐犯の類と一緒で常識を説いても通じない。だったら専門家に任せてネゴシエーションをするしかないじゃないか。誘拐犯との交渉中に、相手の信用を裏切るようなことをしたらもはやそれ以降交渉は継続できない。それが「拉致家族一時帰国問題」であったのだと思う。国民の激怒の声に押されて結局長期的な問題解決よりも短期的な成果を優先してしまったのだと思う。小泉首相は。
 ネゴシエーターに不信感を抱いている誘拐犯の信頼を取り戻そうとしたら大変じゃないか?よっぽどの譲歩をしないと口もきいてもらえない。そもそも日本人自身がネゴシエーターを信頼して、全権を委任していたわけじゃないのだからどうしょうもない。(石原都知事の、爆弾仕掛けられても「あったりめえだ」発言もあったしね)

 加藤紘一氏の発言にまた「売国奴」といって怒る人がいるけども、「交渉を継続させるためには必要だった」と言ってるんで今の状況から見ればその通りだ。右翼の鈴木邦男さんも「たかじん」で加藤氏を擁護してボロカスに批判されたそうだ。(鈴木邦男をぶっとばせ!『ある「売国奴」の告白』
 「李英和さんとタッグを組んで、右翼と闘った!」って、鈴木さんが「右翼」って言う人たち、どんだけ右翼よ。「文句を言う人々が北朝鮮に行って対決し、取り戻してきたらいい。」って同感だ。三宅さんなんかは常々「老い先短い命だから」とおっしってるから「私が身代りになります」と申し出たら向こうは喜んで交換してくれるのじゃないかな。なんせ日本の政治評論家ですよ。それに勝谷さんはいつか、「10年にいっぺんくらい死にそうなところに行くといい」とおっしゃってたから北朝鮮に潜入してルポを書くといいと思う。「イラク生残記」よりも売れるんじゃないかな。

追加

2008-09-21 23:41:25 | Weblog
 ウィキペディアで「レイテ島の戦い」から次々とリンクを辿って読んでいったのだけど、これはひどいね。レイテ島だってそもそもは軍上層部が「戦況優位」と勘違いして、ここで一気に決戦に打って出ようと戦力を集中したことで大惨事を招いたわけだ。
 その勘違いというのは、台湾沖で米軍の航空母艦他多数の戦艦を撃沈したという誤った戦果報告による。(台湾沖航空戦)番組では台湾沖海戦に出撃した航空兵は訓練期間が半年程度の未熟な者が多く、戦果を見誤ったのではないかと言っていたが、どうだかわかったものじゃない。誤った情報に基づく大勝利を大本営発表してしまうのだ。
アメリカ軍は戦果を赫赫と伝える日本の放送を傍受し、第3艦隊はニミッツが中継した通信傍受情報を受け取り、虚報を信じ込んでいる事を把握していた。そのため、被害を受け、味方の魚雷で処分されてもおかしくなかった2隻の巡洋艦の曳航を命じ、これを囮として、追撃をかけてくるであろう日本軍に更なる打撃を与える準備をしていた。実際、志摩中将率いる第五艦隊が遭難中の日本海軍操縦士の救助及び残敵掃蕩のために派遣されることが決まっていた。しかしこの掃蕩方針も、14日にはアメリカ側に漏れていた。

ああ、なさけない。レイテ沖に結集しつつあるアメリカ艦隊はこの台湾沖の残党であるから大したことはないだろうと楽観視して、ほんの数日でけりがつくものと思って決戦を決めたそうだ。(作戦を決めた寺内寿一元帥
 「レイテ島の戦い」の日本軍の指揮系統・・・
はじめの一文に、第14方面軍司令官は全比島の防衛に任じると書かれてあるが、実際は違っていた。それは日本軍の指揮系統の統一が図られていなかったからである。陸軍と海軍とが完全に独立していたことはいうまでもなく、同じ陸軍内でも第14方面軍の上部機関である南方軍がマニラにあり、方面軍司令官は、第 4航空軍司令官、第3船舶司令官と同じ立場にあって、南方軍総司令官寺内寿一元帥の隷下にあった。つまり、第14方面軍司令官はフィリピン全島の防衛という任務にもかかわらず、フィリピンに所在する同じ陸軍航空や船舶部隊すらも指揮できなかったのである。作戦考案一つにとっても、海軍司令長官、航空軍司令官、船舶司令官と協議して、その賛同を求め、そのあとで上司の寺内元帥の許可を得なければならなかった。

ひどい・・・
日本側は増援作戦を続けていた。12月までに合計5万名に及ぶ兵力をレイテ島に運んだが、その大半が輸送途中に敵襲を受け、海没する船舶が相次いだ。例えば第1師団の次に送られた第26師団主力は、11月9日に無事オルモックに入港したものの、上陸用の大発動艇の不足からほぼ兵員のみの上陸となり、さらに後続の補給物資船団は到着前に次々と沈められた。


そしてレイテとおなじく飢餓戦といわれたガダルカナル島の戦い
日本軍の暗号が筒抜けだった理由 海軍乙事件。この時の海軍中将は、戦後こういうところの理事をやってたんだって。作戦書を奪われ、暗号を解読されたために「絶対国防圏」(サイパン島など)を占領され、そこが本土への爆撃基地となったのだ。靖国っていうのはそういうのをみんな覆い隠して美化してしまうんじゃないか?

 
 どれもこれもひどすぎる。どうしてこうひどいのか、軍事オタクの人はぜひ分析してくれ。最近の年金問題や厚生省農水省の有様を見るに、この「無責任体質」は戦後の日本にも引き継がれてるなあと思う。
 で、無責任体質といえば丸山眞男の「無責任の体系」ということばを思い出すが、丸山眞男の経歴を読んでみたら、たいへんな目にあっていたようだ。
1944年、30歳の時に、東京帝国大学法学部助教授でありながら、大日本帝国陸軍二等兵として教育召集を受けた。大学の現職教授・助教授が徴兵されることは珍しく、二等兵の例は他にない。思想犯としての逮捕歴を警戒した、一種の懲罰召集であった。大卒者は召集後でも幹部候補生に志願すれば将校になる道が開かれていたが、「軍隊に加わったのは自己の意思ではない」と二等兵のまま朝鮮半島の平壌へ送られた。その後、脚気のため除隊になり、東京に戻った。4ヶ月後の1945年3月に再召集を受け、広島の陸軍船舶司令部へ二等兵として配属された。8月6日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下され、被爆。1945年8月15日に敗戦を迎え、9月に復員した。

 こういう人を殴りたくなるのは人でなしだ。ああ、今の日本は、人でなしを大量に生み出す社会だって言いたいわけね。

NHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」

2008-09-21 18:11:33 | テレビ番組
 さっき「たかじん」を見ていたら、今日は総集編ということで過去の蔵出し放送だったんだけど、ここで言及した「ロスジェネ」の浅尾大輔さん出演の回には鴻池さんは出ていなかった。その後の方で度々見かけて腹を立てていたのでごっちゃになってた。オンエアリスト
 しかし、未公開部分で宮崎さんが「ミクロの話はよくわかるけど、マクロで見ていくと、非正規雇用が増加した背景には中国など安い賃金で製品を作ってるようなところと同じ価格で競争をしなくてはいけないっていうのがあるわけで、そのしわ寄せが来ている。じゃあ国際競争力を維持しながらどうやって雇用の問題も解決していくのか。」という問題を提起して、三宅さんとかが「やっぱり企業の利益ということだけを優先していたからこんな貧困問題が起きるので、国がかかわらないと」みたいなことを言って、志方さんが「組合がだめだ。おとなしすぎる。もっと『立て、万国の労働者!』みたいに声をあげなきゃ」と、立場が逆みたいなことを言って(いや、だから団結することもできないくらい孤立しててコミュニケーション能力ないんだけども)、わりとまっとうな回だったなあと思った。

カズオ・イシグロ「私たちが孤児だったころ」

 何ががっくりするかって、図書館で借りた本を読んでいるうちに、それが既に以前借りて読んだことのある本だったということに気づき、しかもそれにようやく気づいたのが半分近く読んだ後だったってときくらいがっくりすることはない。最近2冊立て続けにそういうのに当たって自分の記憶力にすっかり自信がなくなった。
 そのうちの一冊が「私たちが孤児だったころ」(ハヤカワ・ノヴェルズ)だけど、そもそもこの小説自体、人の記憶なんてあてにならないものだということを言っているのだ。皮肉なことだ。
 主人公は上海の租界で両親をなくし、イギリスの親戚に引き取られる。寄宿学校に入って、いつか両親の失踪の謎を解きたいと願っていた彼は探偵になることを志し、やがて社会的に成功する。それはいいのだけれど、学校時代の友人と再会して思い出話をしているとき、彼らと話が食い違うのだ。ささいな出来事もあるのだが、友人たちの主人公に対する印象が「孤立していた」「変わっていた」というのに対し、主人公本人はまったくそのような自覚がないのだ。「いや、自分は非常に注意深く周囲を観察し、言葉づかいから振る舞いまでそっくりまねて周囲に溶け込むようにしていたはずだし、感情の表出も極力おさえていたので決して目立つようなことはしていない。」と何度も言っている。私もそれにだまされて、「この友人は上流階級の鼻もちならないボンボンで、こいつから見たらこうなるんだろう」とか「この人は年を取って、昔のことは何でも自慢したがるんだろう」とか思っていたのだが、主人公が両親を捜しに上海に行って以降は奇妙なことばかり言うのでやっとおかしいと思い始める。
 戦争が始まって、日本軍が上海に攻め込んで来ているというのに彼は貧民街に自分の両親が監禁されているものと思い込み、戦闘の真っただ中に捜索に行こうとする。国民党軍と日本軍と共産軍が三つ巴の大混乱の中で、昔お隣に住んでいた幼馴染の日本人アキラを見つけ、「アキラ、アキラ、僕だよ。クリストファーだ!」と言って、日本兵の彼を助け出すのだが、はたしてそれは本当にアキラだったのか、それさえもよくわからない。憔悴しきってようやくホテルに帰ってきたら、市の役人がきて「ぜひ歓迎の記念式典に出席してくれ」とくどくど言う。こんな非常事態なのに。まるで不条理小説みたいな展開についに堪忍袋の緒が切れて私は6年前にここで読むのをやめたのだった、ということを、ここまで読んでやっと思い出した。なんなんだよ、これは!

 どーせ、両親が誘拐されたってのも何かの勘違いだろうと思って今回は最後まで読んだのだが、半分違ってて半分当たってた。つまり、父親は愛人を作って出奔したのだが、母親は本当に誘拐されていた。しかも、アヘン売買を手掛ける闇の組織が絡んでいた。何もかもが明らかになった後の哀れさときたら・・・。

 (ネタバレ)父親の働いていた貿易会社は中国にアヘンを売って儲けていた。衰退しきった清朝末期だから、政権にそれを取り締まる力もなく、アヘン中毒患者が急増して悲惨な状況であった。母親はそれに憤って、アヘン反対運動を組織した。そして中国のマフィアのボスをそれに引き込もうと働きかけたのだが逆に裏切られる結果となった。マフィアは確かにアヘンの荷を奪ってくれたが、それを自分で売り飛ばしてしまったのだ。莫大な利益を目の前にして「自国の民衆のため」などというきれいごとは通じなかった。激怒した母親に侮辱された仕返しにマフィアのボスは彼女をさらい、自分の妾にしてしまう。


「NHKスペシャル」

 そういえば、イギリスはアヘンを中国に輸出して侵略しようとしたんだった。ひどいじゃないか!と思っていたら、ちょうど新聞に日中戦争当時「アヘン王」と言われていた里見甫の手記が見つかったという記事が載っていてびっくりした。(朝日新聞8月16日このブログに記録が)そして翌日8月17日にはNHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」があってくわしく検証されていた。アヘン戦争後世論が高まり、人道的見地からアヘンを国際的に規制しようとする動きが主流であった中、日本は関東軍が暴走し、勢力拡大のための戦費としてアヘンを大量に占領国に流通させる。(ブログ「ささやかな思考の足跡」より)里見甫については、佐野真一「阿片王 満州の夜と霧」という本が詳しいようだ。(ブログ「首都圏リーシングと不動産活用のビジネス戦記」より)アヘン取引を一手に仕切っていた興亜院の総裁は内閣総理大臣(東條英機)であったけど、その他の人脈がすごい(ブログ「日々是生日」より)。実に衝撃的だった。こんな非道でみじめったらしい戦争で、それを一部の軍人が先導し、悲惨な結果を招いたのかと思うと情けなくてはらわたが煮えくりかえるようだ。

 「私たちが孤児だったころ」は、世界が猛烈な勢いで一方向に動いているときに、個人がそれに立ち向かってもなすすべがないということ、その無力さに対する悲しみを描いているのだと思う。戦闘による一般人の被害のひどさに衝撃を受けて、主人公が日本軍の将校に「ひどいことだ」と言うのだが、将校はまったく上の空で「ああ、そうですね。でも、これからもっとひどいことが起こりますよ」などと言う。実際にその後の世界はもっとひどいことが起こったわけだ。何もかもが手遅れになる前に、それを押し止めることも、母親を救い出すこともできなかったということに深い悲しみを抱きながら彼はのちにこの出来事を回想する。

 私がNHKスペシャルを見たのは深夜の再放送で、「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」もいっしょにやっていた。(ブログ「どこへ行く日本。」 この番組を取り上げた「赤旗」の記事がアップされている)いやー、レイテ戦は大岡昇平の「レイテ戦記」(中公文庫)に詳しいし、以前やっぱりNHKで特集番組があったけども、あらためてその悲惨さと軍部の無能さに涙が出た。部下を守ろうと無謀な切り込みを拒否した隊長は処刑されてしまうし、撤退が決まって、隣のセブ島に渡るのに船がないので1万余りの兵を海岸に残して行くのだ。「各自、自活しつつ抗戦せよ」とか言って。それでその残った兵士たちはジャングルの中で飢えと病気とゲリラの恐怖におびえながら迷走し、みんな死んでいったわけだ。(ウィキペディア「レイテ島の戦い」

 やっぱりNHKって教育的だなあと思う。右翼の人がいくら過去の戦争を正当化しようとしてもだめだ。どんなに悲惨でみじめでも、やっぱりこういう過去の歴史を直視して学ばなきゃ。櫻井よしこさんもそう言ってたじゃないか。で、「日本を恥じ、過去を否定するような歴史ばかり教える」ってのは間違いで、うちの県、日教組組織率高いけど、結構中立的に補助教材使ってABC包囲も南京事件も軍部の暴走も北方領土もシベリア抑留も全部教えてるし、かえってこういう日本のバカさ加減とか軍隊の非効率的状況とか無謀な戦略とか情報操作による国民の動員とかその結果が引き起こした悲惨な状況とかを教えた方が子供の将来のためになると思うな。むしろ、今の国際情勢を分析判断するのにも役に立つ。中国やロシアが今やってる侵略は帝国主義時代に列強がやってたのとおんなじことだ。「おまえらそれでひどい目にあったんじゃないか。同じことをやっているぞ。世界はそれを克服して国際協調の時代になったじゃないか。」と提示してやれると思うな。

「論座」10月号から

2008-09-20 12:14:38 | 雑誌の感想
昨日のつづき

 このブログサービスはカテゴリー毎の表示が可能なので、昨夜「本の感想」の過去記事をさらっと読み返してたら、どうも昨日の「論壇誌や文芸誌で吹き上がっている、時代に取り残された中間管理職知識人」ってのがどういう方面の人を指すのかわかった気がしてきた。やっぱり読んだものをメモっておくって役に立つなあ。この記事(田口ランディ「生きる意味を教えてください」)と、次のページ。あと(太田光・中沢新一「憲法九条を世界遺産に」)の憲法談義関係だ。右は「新しい教科書をつくる会」とかその周辺で、左は憲法9条死守の昔風知識人ってことか。私は
憲法改正を実現するには左翼平和運動家の前にまず「日米同盟堅持」の保守と対決して倒さないといけない。そのための政権交代。
と書いたが、宮台はブログで、まず9条死守の左翼の方を倒さないといけないと書いていた。
 そーかー、私はまっ先に倒されてしまう側かー、と思った。そーだろーなー、私なんか、朝日が当たって体温が上昇してくるまでぼーっと岩場に座ってるガラパゴスのイグアナなんか見ると非常に親近感をおぼえるもんな。しょーがないな。朝日新聞にさえバカにされてるし。

 で、この方面のことだとすると、「決断主義」っていうのはつまり、「憲法問題を曖昧なままにしておくことはもはや許されないので、改正という方向でいろんな状況をシミュレーションして議論する」ってことか?

「論座」

 「論座10月号」に柄谷行人×山口二郎×中島岳志の座談会
理念、社会、共同体 現状に切り込むための「足場」を再構築せよ
が載っていた。
 
 ここで柄谷氏は「憲法9条にはカントの思想が生きている」と言っている。
柄谷 カントは1795年に国際連邦を構想しました。よく世界連邦は設計主義だと言われますが、カントの考えでは、世界連邦は、統整的理念としての「世界共和国」に近づくための第一歩にすぎないのです。彼の考えは、まずヘーゲルによって嘲笑されました。実際に強国が存在しないと、国際連邦など機能しない、と。イラク戦争の際、アメリカのイデオローグは、カント的理想主義を古いと嘲笑しましたけど、彼らは古いヘーゲルのまねをしていることに気づかなかったのです。しかし、カントの理念は滅びなかった。強国がヘゲモニーを争った第一次大戦の廃墟の上に、国際連盟ができたのです。さらに、第二次大戦後に国連ができた。日本の憲法9条もその一環です。これを否定しても、結局はカントの理念が徐々に実現されるだろうと、僕は思いますね。

柄谷 僕は別に国益ということから発想しているわけじゃありませんが、憲法9条を掲げていくのは、国益にかなうと思います。憲法9条でやっている限り、将来的にまちがいはない。たとえば、日本は国連の常任理事国に、憲法9条を掲げて立候補すればいいんですよ。それなら、圧倒的に支持が集まると思います。
中島 僕は保守に向かって「今は間違いなく、9条を保守すべきだ」と言っています。なぜならいま9条を変えると、日本の主権を失うことに近づくからです。これだけ強力な日米安保体制の下でアメリカの要求を拒否できるような主権の論理は、今や9条しかないと言ってもいい。アメリカへの全面的な追従を余儀なくされる9条改正は、保守本来の道から最も逸れると思います。
山口 9条を巡る議論は、先ほど話が出た政治の官僚化の、いちばん極端な現象なんでしょうね。100年、200年というスパンで見れば、軍事力が有効性を失っていることは明らかですから、思想的な文書としては9条は絶対に正しいし、歴史の方向はこちらに向かっているんだという自信を持てばいい。ただ、日本の政治の議論としては、現実的な安全保障の政策を言わないと信用されないという変な磁場というか、呪縛みたいなものがあるわけです。しかし、9条を守れと言っている政党が政権を取ったからといって、即自衛隊解体、即安保解消なんてできないことはわかっているい。内田樹さんじゃありませんが、そこは矛盾があってもいいんです。進むべき趨勢として9条を認識するかどうかだと思います。

 「憲法9条を世界遺産に」みたいじゃないか。

例の赤木さんの件
山口 「論座」に掲載された上の世代からの応答なんて全く読むに値しない、ピント外れな反応ばかりです。このような寄る辺ない、希望のない若者をつくりだしたことに対する自分たちの責任という意識が皆無だったのが驚きでした。
 「闘えばいい」なんて全くナンセンスな反応もありましたが、アトム化された個人ではどうしようもないんですよ。それに手を差し伸べて、ある種取り込むというか、あるいは居場所なり拠点なりを与えるのが、先ほど言っているような中間団体です。高度成長期の頃までは、たとえば創価学会のようなところがアイデンティティーの役割を果たしてきた。しかし80年代後半から90年代以降は、セーフティーネットとしての中間団体がなくなってしまった。そのことに対してすごく無防備でしたよね。それは政治学の怠慢だと思います。
 だから、現代の日本でここまで貧困問題が起こっている、あるいは実存的な危機状況にさらされているという問題提起を若い世代がしてくれたんだったら、それをきちっと受け止めなきゃいけない。落ちぶれたりといえどもある程度力を持っている中間団体が、少し外縁を広げるというか、メンバーシップの壁を崩していけばいいんです。たとえば解放同盟が人権擁護全般に関する「よろずカウンセリング」を引き受けるとか、労働組合が不利な状況で働いている人間を支えるとか。少し枠を広げるだけである種のセーフティーネットにはなれるでしょう。

 「アトム化」とか共同体の崩壊とか、みんなおんなじことを言う。私も2、3年前までは地域や田舎の親戚との人間関係がとても煩わしくて、なくなってしまえばいいと思っていたけども、内田樹氏がよく書いているように、実はそういう繋がりは「セーフティーネット」の一種で、今後は、そういったものをいかにたくさん持っているかということが個人の含み資産になってくるのかもしれないと思った。。そう考えたら、最近は親戚の葬式や法事や結婚式や開店祝いや盆や正月や出産や入院や老母の迷子や何かでいちいち右往左往するのもあまり苦にならなくなってきた。(いやまあ、親戚多すぎるんじゃないかと思うこともあるけど)

「アトム化」
山口 近代主義というのは、所与なり自然を拒絶して、作為で社会関係を構築していくという、丸山眞男以来のモデルがあります。土着的なものや共同体は息苦しい。そこから解放されて自由になるんだという発想で政治的にも近代化を求めていた。人間が個人として自立して権利の主体になって・・・・・ということをずっと追いかけてきたわけですが、どこかで足元を掬われてしまいました。
 作為によっていろんな関係を構築し直せばいいんだと、高度成長期以降は地方交付税と公共事業で人為的に共同体を支えてきたという側面があるわけですが、それをどんどん減らしていく。それを改革だとみんな勘違いしていたわけです。
 その結果出てきたのは、本当にアトム化された個人であって、政治学における近代主義者が考えたような、自立した権利の主体でも何でもない。本当に不安定で方向性のないアトムで、カリスマ的なリーダーが出てきてテレビで煽ると、砂鉄が磁石にくっつくようにワッーと動いていく。そういう政治の動きが90年代以降始まりました。私自身も、個人主義というか、個人を基盤とした民主政治というモデルをずっと追いかけてきましたから、この数年間、自分がやってきたことはいったい何だったのかという壁にぶつかった感じがありましたね。
 逆にいうと私も、中島さんの影響なのか、保守化した部分がかなりあるんです。(笑い)。政治参加の単位としてコミュニティーや社会がないと、これは危なっかしいなということはすごく感じています。

 じゃあ、個人がどういう形で政治参加していく社会を目指すべきか。冒頭の論文
「砂のように孤立化していく個人をどう救うか デモクラシーと集団を考える」川出良枝 東京大学教授(政治思想史)
ではデモクラシーを「多元主義」と「共和主義」という二つのタイプで説明している。

 「多元主義」モデル ― 地域のコミュニティーや各種の集団(利益集団、宗教団体、エスニック・グループから趣味のクラブまで)の活動が活発で、そのような社会的ネットワークに参加することで公民権運動のような市民からの政治的な働きかけをしていくタイプのアメリカ型デモクラシーと「共和主義」モデル ― 個人が民族・宗教を超えて、中間集団を介することなく直接国家と結びつき、公共利益を追及していくというタイプのフランス型デモクラシーがあるのだが、「スカーフ事件」の大論争によってその難しさがあらわになったように、グローバル化の進む今日ではもはや、自由で平等な個人が出自にとらわれず、理性的にデモクラシーに参加するという前提の共和主義は困難であるとして、
多元主義モデルを基礎とし、市民社会のさらなる活性化をめざしつつも、諸集団をゆるやかに統合する外枠として共和国が遠景のように控えている、そのようなあり方が、これからのデモクラシーのモデルとなっていくのではないか。

という。また日本については
 日本においては、長い間、個人が集団に埋没するような形での集団主義が横行したことは事実である。そのため、集団のしがらみからの解放は、しばしば、無前提に歓迎される傾向がある。しかし、個人と集団は、必ずしも常に「あれか、これか」の関係に立つわけではない。アメリカの例が示すように、個人がその利益と権利を追及するために積極的に社会的ネットワークを形成し、それを武器として活用するという方向性も十分あり得る。もともと十分に恵まれた強い個人がさらに数の力を頼んでますます強い自己主張を展開するというのは、なるほど、いささかげんなりさせられる光景ではなり。しかし、既存の社会的紐帯がただほどけていくだけで、その後には、かつて集団に守られて自ら判断することを停止していた弱い個人が、仲間づくり、ネットワーク作りのスキルをもつこともなく、ただ砂のように孤立していくという状況が今の日本にみられるとしたら、それは、デモクラシーにとって著しく危険な状況である。デモクラシーにとって集団は敵ではないという命題を正確に、また、真剣に考えるべきなのは、まさに現代の日本においてであると言えよう。
「アメリカの例」ってのはボストン、ダドリー地区のコミュニティー再生運動「私たちの街にゴミを捨てるな」運動みたいなの。

あー、疲れた。たった4,50ページ読んだだけなのに疲れた。しかも、目新しいことじゃない気がする。

 「中吊り倶楽部」宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評は「週刊朝日」に移るかもしれないそうなのでとりあえずよかった。年内に連載をまとめた本が洋泉社から出るそうなのでぜひ買おう。

村田喜代子「雲南の妻」

2008-09-19 23:54:47 | 本の感想
 「決断主義」のところで引用した宇野常寛×宮台真司の対談の最後の方に
宮台 でも宇野さんが「頭のいいネオコン」的立場に立つなら、時代に取り残された中間管理職的知識人や少し頭の変な連中が、安全に吹き上がれる論壇誌や文芸誌が存在するのは、いいことじゃない?居場所の提供という意味で。

という発言があって、「論壇誌はともかく、文芸誌で吹き上がっている『少し頭の変な人』って、たとえばだれよ?」とちょっと気になった。

 もしや、論座6月号で特集が組まれていた私の好きな笙野頼子さんかっ?!あ、あのロリコン嫌いと容姿コンプレックスと憑依体質はあの人独特のスタイルで、そこがいいところなんで・・・違うか・・・はっ、もしや「核シェルター」のところで引用した春日武彦氏?・・・いや、あの人は「頭の変な人」を治療する側だって・・・いやいやもっと近い知識人っていえば「素粒子」並みに怨嗟たっぷりの「モテない男」小谷野敦氏?・・・はたまた逆に「モテ過ぎて困る男」し、し、し、(以下略)
 もっと大物かもしれないけど「頭の変な」だけで思い浮かぶ人がいろいろいる文芸誌ってのはちょっといかがなものか。論座も休刊してしまうし、文芸誌もあぶないんじゃないか。
 
 先月(8月27日)の朝日新聞 文芸時評「デビュー後のレース」で斎藤美奈子さんが「最近の新人の作品はどうも換気が悪い、閉塞的だ」というようなことを書かれていた。「群像」の「新鋭創作特集」でデビューした作家たちの短編小説のタイトルが「教師BIN☆BIN★竿物語」「ちへど吐くあなあな」「ちんちんかもかも」だそうだ。
 うそだろー、と思ったらほんとのようだ。(読まれた方のブログのメモ)「ちんちん」と「あなあな」で換気が悪かったらインキンになるだろーが。とても読む気になれない。「ちんちん」はほのぼの日常系で、「あなあな」は妄想炸裂系だそうだ。元気で暇な人が読んでくれ。私的には、歯がどーしたこーしたとか、卵子がどーしたこーしたというような感覚に訴えるのもちょっとパス。もーこの年になったら、わび・さびが入ってて「遠山に日の当たりたる枯野かな」みたいなんで十分です。


 と、思っていたところ、スカートの中をさわやかな風が吹き抜けていくような滅法風通しのいい小説にあたった。村田喜代子「雲南の妻」(講談社 2002年)。図書館でたまたま借りたのだけど、やっぱり村田喜代子はいいよねー。

 ちょっと前に読んだので忘れてる部分もあるけど以下はあらすじ。

 主人公は、以前ある団体で講演会を主宰したのだが、その時の講師であった地雷撤去のボランティアをやっている男性から不思議な話を聞く。その男性が昔、交通事故で重傷を負って生死の境をさまよっていた時に見た夢の話だ。一か月もの間ずっと意識不明でいる間、夢の中でどこか別の国にいて、別の人生を生きているという夢だ。東南アジアの田舎らしい小さな家で老いた父親と妻と子どもたちとでおだやかな生活をしているというのだ。夢の中でとても幸福であったのだが、目が覚めてしまった瞬間、元の自分に返っていて、猛烈な激痛と、長い闘病とリハビリ生活が始まったという。

 主人公はその話を聞きながら25年前の自分の体験を思い出す。改革開放が始まったばかりの中国で、中国茶の輸入の仕事をしていた夫とともに雲南省に住んでいたときのことだ。希少価値のあるような高級なお茶は僻地の少数民族の村でつくられていることが多いので、夫の北京語だけでは用が足りず、英姫という通訳の娘を雇っていた。少数民族出身の英姫は才色兼備のキャリアウーマンだ。夫は警戒心の強い少数民族の村でなんとか信用を得て取引をしたいと悩む。そこで英姫がひとつの提案をする。主人公と英姫とが結婚すれば、出身の村で姻戚関係ができるからお茶の仕入れに食い込むことができるだろうと。
 彼女の生まれ故郷あたりでは女同士で結婚する風習がある。男嫌いだったり、仕事を大事にしたいのでまだ結婚をしたくないという娘が、それでは社会的に一人前と認められないので、仲の良い年上の女性のところに嫁ぐのだ。女性がすでに夫持ちでもかまわない。一緒に暮らし、茶摘みや家事で協力する。夫の2号さんになるわけではない。あくまで夫婦なのは女性の方となのだ。えー、と最初主人公は躊躇するが、だんだん英姫のことが気に入り、その気になってプロポーズをする。夫には商売のためだからと言うが、実はそれだけじゃないいろいろな心の動きもある。だけど、とうてい説明してもわかってもらえそうもないからそこらへんは黙っている。なんかわかるなあ。大学のころ、同じ下宿で生活していた上級生と毎晩ご飯を食べながら話をするのがとても楽しかった。同性同士で一緒に暮らすということはこんなに気楽で、以心伝心で、楽しいのかとしみじみ思ったものだ。「結婚したいくらいだ」とあの頃言っていた。もし、あのまま独身であの人と一緒に暮していたとしたら私はきっともっとましな人間になっていただろうとちらっと思うこともある。
 主人公はひとつ屋根の下、夫と英姫の寝室を代わる代わる訪ねて泊まる。合歓の木か何かの下に二人座り、夕飯のもやしの根を取りながら英姫は村に伝わる昔話をする。(男は黴の息子なのだそうだ)。足を開いてスカートに風を入れ、「風を入れたほうがよいのです」と言う。なんて風通しのよい小説だ。世の中は広く、いろんな人がいて、いろんな風習もあるんだということを思い出させてくれる。ちんちんとあなあなだけじゃないよ。こういう、友情でもなく、男女の恋愛感情でもない同性のおだやかな愛によって結ばれた関係ってものもあるのだ。

 やがて突然の別れがやってきて、日本に帰った主人公は半身をもぎ取られたような喪失感を抱きながらも決して雲南のことを誰にも話すことはないのだ。まるで、あの男性の夢のように、雲南で妻を持ち、幸福に暮していたという記憶が、どこか遠い別の世界の出来事だったように、ほんとうにあったことだったのかどうか自信がなくなるくらいおぼろに霞んでくるのだった。


 やっぱり村田喜代子っていいなあとそのあと図書館に行ってありったけの本を借りて読んだが、やっぱり短編も長編もよかった。よい小説を読むと、よい中国茶を飲んだような、寿命が延びたような気がする。

映画「大統領暗殺」

2008-09-18 22:40:01 | 映画
 ウイルスとの格闘
 息子が「フリーのゲームソフトを落としたらウイルスの警告が出るようになってしまった。」と言う。警告が出ても、ブロックしたということだからと心配していなかったのだが、昨日見るとタスクに見慣れないアイコンがいて、やたらと警告を発する。消しても消しても立ちあがってくるので、やっとおかしいと気づいた。このセキュリティー警告を発するソフトそのものがウイルスなのだ。
 警告の一文を検索すると、シマンテックのサイトがヒットした。複数の偽の警告を出してセキュリティーソフトのバージョンアップ版を買うよう誘導する。もちろんそんなものはインチキで、お金をだまし取ろうとしているのだ。

 パソコンのセキュリティーソフトとスパイウェア駆除ソフトでスキャンして、書き換えられたレジストリも削除したが、「システムの復元」機能を切ってなかったため、敵はゾンビのように再び蘇り、けたたましい警報を発し続ける。
 ヨレヨレになりながら再度検索すると、よく似た症状で困っている人を発見。「教えて!goo」 回答にあった駆除ツールをダウンロードしてセーフモードで起動してやっと解決した。ほぼ半日がかりの格闘であった。

新聞の見出し
 一昨日の記事を書きながら、朴正煕大統領の暗殺事件も思い出していた。と言っても、あの頃はまだ子供で政治や世情にはまったく興味はなかったのだが、あの日ふと新聞を見ると、「朴正煕韓国大統領暗殺」という禍々しい真黒な見出しが第一面トップに載っていたのでとても驚いた。「見出し」にだ。そんなものはそれまで見たこともなかったのだ。「これ、何?この見出し。変じゃない?」と父に聞いたところ、「これは、天皇の崩御や国家元首の死去の際に使われる見出しだ」と言ったのでその新聞は記念に取っておいた。次の「崩御」見出しはいつだろうかと思っていたら、一年もたたないうちに大平総理がぽっくりと亡くなり、再び見ることができた。その新聞も保存しておいたので、今も実家のどこかにあるはずだ。
 ウィキペディアにも書いてあるけど、大平総理が亡くなった際には自民党に同情票が集まり総選挙で大勝したんで、「こんなことで同情票を入れるなんて、日本人はバカだ!」と父が怒っていたのを覚えている。だから最近思うんだけど、自民党は麻生さんか誰かが、脳溢血かなにかでぽっくり死ぬようなことがあったらきっと選挙で持ち直すんじゃないかな?これがほんとの起死回生、って・・・。あー、でも福田さんじゃだめだろうな。

 「大統領の暗殺」
 ウィキペディアを読みながら、朴大統領は金銭的には潔癖な人であったらしいし、朝鮮戦争、南北の分断、冷戦、ベトナム戦争という厳しい世界情勢の中で疲弊した国を立て直すには強権的な手腕も必要であったかもしれないとも思ったが、それにしたって独裁的手法、言論弾圧や人権侵害、権力への固執はやっぱり典型的な独裁者で、決して許されるものではない。「光州5・18」を見ている時も、自分がもしあの時代に韓国に生きていたら、ほぼ100%民主化運動に参加しただろうと思った。正しい情報が入ってこないからきっと「軍事独裁より、共産主義体制の方がなんぼかましだ」と、もしかしたら北に亡命して、そして餓死していたかもしれない。

 それにしても、独裁者を暗殺してもすぐさま揺り戻しがきて、まるでそっくりな軍事独裁政権がゾンビのように蘇ってくるというのはなぜだろう。やっぱり、社会が成熟していないってことなのだろうか。そして「暗殺」という政権転覆の手法は役に立たないってことなんだろうか。
 ということを考えさせてくれたのが、ブッシュ大統領暗殺をシミュレーションした「大統領暗殺」というDVDだ。「光州5・18」の後に借りて見た。

 テレビの「ケネディー大統領暗殺」の検証番組さながらに、周辺の人物の証言で構成されていて、ものすごくリアリティーがあった。セキュリティーのSPとか演説の原稿を書く女性とかが、あの時ああだった、こうだった、大統領は私にこう言ってくれたみたいなことを事細かに証言するのだ。まるでブッシュ大統領が歴代大統領の中でも断トツのすばらしい人物みたいじゃないか。そしてイラク戦争に反対する過激な市民団体のリーダーとデモ隊の映像も出てくる。悪役みたいに憎たらしい。悲劇的暗殺シーンがニュース映像のように流れ、広報担当の女性が涙をこらえながら「大統領夫人と一緒にお祈りしました」なんて言う。
 やがて何人かの容疑者がつかまり、狙撃犯がいたとされるビルで働いているアラブ系の技術者がもっとも怪しいと決めつけられる。その男の妻の証言から、それは間違いであると私たちにはわかるのだが、男がテロリストグループの軍事訓練に参加したことがあるという経歴が明らかになって、もう何をどう弁解しても「イスラム原理主義テロリスト」というレッテルが貼り付けられて容疑は深まるばかり。要するに世論にわかりやすい「テロ」という図式にぴったりはまるので、この人物を犯人に仕立てあげたいのだ。
 実際は、現場近くにいた別の人物が事件直後に自殺し、暗殺をほのめかす遺書を書いていたのだが、その事実は誰も注目しない。その人物は退役軍人で、息子の一人をイラクでなくし、「ブッシュがアメリカをだめにした」と恨んでいたそうだ。これはマズいだろうな。
 悲壮感に満ちた荘厳な国葬が執り行われ、ブッシュは英雄に祭り上げられる。テロリストにされてしまった容疑者の妻は最後に言うのだ。「犯人は考えなかったのでしょうか。自分の行為がどういう結果を引き起こすか。自分の息子や妻のことを、ちらっとでも考えなかったのでしょうか。私はそれを聞きたい。」

 おお、これはなんと教育的な映画だろうか。国をボロボロにするダメ指導者がいたとして、政権を変えたいと暗殺なんかしてしまったら、かえって逆効果だってことがよくわかるではないか。きっとさ、ブッシュが暗殺された後も同情票が集まってまたおんなじような共和党の大統領が出てくるに違いない。「だから、どんなに憎たらしくても、絶対に暗殺はしちゃダメよ。きっちり最後まで生かして責任を取らせましょ。」と言っているのだ。すごいブラックユーモア。楽しいね。商業的なアメリカ映画はだめだけど、こういうのが作れるってところはすばらしいと思う。(某圧力で公開劇場数が予定の5分の1以下に減ってしまったそうだけども)

映画「光州5・18」

2008-09-16 14:59:27 | Weblog
 「光州5・18」公式サイト 
 この映画は昨年夏韓国で公開され、750万人の観客を動員した大ヒット作だそうだ。私が観たのは6月頃。この映画の影響か、光州事件に言及したり特集した記事が昨年から新聞に目立っていたが、私はこの映画で初めて事件の詳しい状況を知った。それもそのはず、この事件は軍政下で長らく封印され、韓国内のメディアでは一切報じられていなかった。現在に至るまで事件の詳しい状況や、正確な死者数などもはっきりとはわかっていないのだとか。韓国でもこの映画によって事件を知ったという若い人たちが多いという。

 1979年の朴正煕大統領暗殺事件後、民主化要求運動の高まりによって、一時は民主的な政治体制に移行するかに思われた韓国だが、1980年5月17日クーデターによって政権を掌握した全斗煥保安司令官は非常戒厳令を全土に発令し、反体制派の政治家、知識人、学生らを一斉に逮捕。そら、みんな怒るでしょう。大学が休校になっても学生たちは集まり、街頭に出て「軍事政権反対!」を叫ぶ。自然発生的なデモだ。しかし当然軍事政権側はこれを鎮圧しようと全力を注ぐ。映画の冒頭で、大量の兵士たちが移送されるシーンが出てくる。良心的な中佐が行き先を上司に聞くが「よけいなことを聞くな!」と一喝される。(盧泰愚元大統領にそっくりな指揮官も出てくる)兵士たちは、とうとう北と一戦交える時が来たかと思うが、輸送機が南に向かっているので不審に思う。向かったのは全羅南道光州市。投入された兵力は、映画の PRODUCTION NOTES 「『華麗なる休暇』と名づけられた作戦」によると総勢47の大隊、2万人以上の兵士と航空機30機、戦車7台、装甲車17台、車両282台。これ、あんまりじゃないか。

 学生デモがめちゃめちゃに蹴散らされ、市街地は逃げ惑うデモ隊とそれに巻き込まれた群衆とで阿鼻叫喚。ヒロインのシネは映画館から避難しようとしたところを兵士に追われ、あやうく殴り殺されそうになる。きっとこの時、巻き添えになって殺されたり、負傷した市民も多かったに違いない。田舎の少年のような顔をした兵士が「この共産主義者め!」と、憎しみに満ちた顔で棍棒を振りかざし、殴りかかってくる。彼らは「祖国を共産主義の魔の手から守る」ことが自分たちの使命であり、それが正義であると信じているのだ。話にならないと思う。だけど、当時の南北の政治的緊張状況もあるだろうし、実際、北朝鮮の特殊部隊が光州市に潜入して蜂起を扇動していたという情報もある(朝鮮日報 2006年12月21日の記事)から、あながち妄想だとは言えないし、市民側が完全に正しいとか、被害者だとかも言い切れないとも思うのだ。あ、この件、ウィキペディアに未解決問題として載っている。

 第一、武器庫を襲って武器弾薬を奪い、道庁に立てこもるってなに?いくら兵役経験がある者が多くて、武器を扱い慣れているからってちょっとやりすぎじゃないか?そこで映画では、最初傍観的だった市民が軍隊の暴虐に憤って次々と抗議デモに参加していく様子を感情的なドラマに仕立てている。掃討部隊とにらみ合っている中、軍が午後3時に撤退するという情報が流れ、デモ隊は快哉を叫ぶ。そこにスピーカーから国歌が流れ、皆が直立不動で胸に手をあてて斉唱した直後、撤退ではなく銃撃命令が出て丸腰の市民に向けて一斉射撃がされる。デモ隊は逃げ惑い、主人公の弟が銃弾に倒れる。大通りは死傷者で埋まり、父親を亡くした少年が号泣する。「これはいけない」と思う。軍隊が自国の市民に向かって発砲するなんて決して許されないことだ。この大惨事に憤った市民が、軍事政権から自分たちの街を守るために立てこもって戦ったというのがこの映画の見方だ。

 そうか、この時点で彼らは当然、軍事クーデターで政権の座についた大統領などに正統性はないと思っているのだ。そして、正統性のない政権による暴力に対しては、武力を持ってして交戦する権利があると思っている。ここらへんは日本人の私らからは理解しにくいかもしれないが、韓国の民主化はそのようにして血と涙で達成されたのだなあと映画を見ながらつくづく思った。


 この光州のある全羅道は、歴史的に見ても冷遇され、差別されてきた土地であるらしい。パンフレットのコラム「光州事件とは何だったのか?」真鍋祐子(東京大学東洋文化研究所準教授)から
 
現代韓国政治と光州事件
 光州事件の背景には、深刻な全羅道差別があったとされる。冒頭シーンに新緑の稲がうねる広大な田んぼが映し出され、次に爆音を轟かせる空挺部隊の連なりを見上げる農民たちの姿が描かれる。そこは昔から寄生地主たちに牛耳られ、農民たちは肥沃なるがゆえの貧困を余儀なくされ、小作争議の絶えない土地だった。もとより風水思想では反逆者を生む地勢として冷遇されてきた土地でもあり、頻発する小作争議は「逆郷」のイメージをいや増した。60~70年代、工業化と観光化を推し進める朴正煕大統領はソウルや郷里の慶尚道を重視し、全羅道を冷遇した。こうして働き手の多くが安価な労働力として都市部の工場に吸収され、農村は疲弊しきっていた。光州事件の起こった80年当時、この一帯は「韓国の第三世界」と比喩され、人々の間には歴史的に鬱屈した感情が共有されていた。(中略)
 朴正煕が近代化を急いだのは、冷戦構造が深刻化する国際情勢の中で、親米反共国家として軍事的・経済的に「北」を凌駕し、やがて吸収統一することが第一義とされたためである。映画に頻出する「アカ」「不純分子」「暴徒」などの言葉はそうした政権や政策に異を唱える者に貼られたレッテルである。それは事実上、社会的な抹殺を意味していた。大統領の独裁体制が確立された70年代以降、この傾向はいっそう苛烈になっていた。

 そうだ、そもそも朴正煕大統領にしてからが、日本の植民地統治時代の落とし子的存在ではないか。そして韓国を共産主義の防波堤にするために、軍事クーデターで政権についたような大統領を、日本とともに積極的に支援してきたのがアメリカだ。アメリカは一方では「民主主義を世界に広める」とか言いながら、共産主義に対抗するためならば、ナチや旧日本軍の戦犯でさえも利用できるものは利用し、言論弾圧や虐殺をする南米の軍事政権に資金援助するような国だ。
 (同上)
 光州事件がその後の時代に与えた影響は、空挺部隊の投入を駐留米軍が容認したことで惨禍が拡大したとの見方から、反米ナショナリズムへの転回として現出した。アメリカはわが民族を分断し、分断状況は「北」に勝つための軍事独裁政治を招き、政権が推進する不均衡な開発は地域格差を招き、そこに鬱積した全羅道民の不条理感が光州事件を招いたのだ―。87年6月29日の民主化宣言を勝ち取った80年代の学生運動は、このテーゼによって牽引された。それから15年の歳月を経て、米軍装甲車が二人の中学生を轢き殺す事件が起きたとき、かつての学生運動世代を中心に反米ナショナリズムは再び息を吹き返す。こうして誕生した盧武鉉の親北政権は皮肉にも、光州事件の副産物であった。

 アメリカに対する落胆は映画の中でも語られる。光州市が封鎖される中、市民たちは「きっとこのことが報じられたら、軍事政権に対する世界的な非難が巻き起こるだろう。米軍だって黙ってはいまい。韓国沖に米軍空母が来ているそうだ。」と期待するのだが、元軍人のリーダーであるパク・フンスだけが懐疑的だった。「空挺部隊を動かすためにはアメリカ軍の許可がいるはず。きっと米軍の同意の上で動いているのだ」と。実際、メディアの情報は操作されて、この事件は共産主義的な「反乱」であると決めつけられてしまう。駐留米軍は5月22日、その指揮下にある四個師団の投入を承認して、27日に市民軍は武力制圧される。正義の味方と思っていたアメリカが、実は軍事政権と同じ穴の狢だったと悟るのだ。


 この映画、歴史的事件の掘り起こしという意味でも意義があるだけでなく、ドラマとしても感動的だった。ヒロインのシネ(イ・ヨウォン)は健気で素敵だし、その父親パク・フンス役のアン・ソンギもかっこよかった。この人「シルミド」でも秘密部隊の部隊長として出演していたっけ。国民的俳優だそうなんで他の出演作を見ようと「ピアノを弾く大統領」のDVDを借りたが、やっぱりラブ・コメディーは似合わんわ。(チェ・ジウはかわいかったんだけど。)

最近の朝日新聞から

2008-09-15 01:05:53 | Weblog
 8月28日(木) 「論壇時評」松原隆一郎 「医療危機」「『歳出削減』にかすむ安心」より
 舛添要一「“観客型民主主義”が医療を破壊する」(中央公論9月号)についての論評。
 
 医療水準が上がり、機器・薬品・手術が高額になって、一人で毎月1500万円もの医療費を使う人がいる、皆保険を守るには現役世代の合意こそ重要で、高齢者が1割、残りを税と現役で負担する仕組みは合理的である、と語っている。
 舛添は「『観客型民主主義』を改めよ」と国民を叱っているが、それはマスコミの尻馬に乗って安易な政権批判をしないのみならず、自身が病気にならないよう努力したり、不急の診療を求めないよう心がけることを指す。新制度ではメタボ検診や「かかりつけ医」を求めているが、病院での無駄な診療をなくす予防医療と理解できる。

 ははあ、今日の「たかじん」で勝谷さんが言っていたのはこれのことか。「柏原病院の小児科を守る会」(伊関友伸のブログより)
 つづき
 だが、厚労省が財務省に歩調を合わせて医療費の急増を言い立てるのには、絶対額はともかく外国との相対比較にかんし疑問がある。そもそも我が国の医療費の対GDP比は約8%、欧州平均は9.2%で05年時点ではOECD30カ国中22位、先進国では最低である。25年には75歳以上が2千万人を超えるが、「小さすぎる福祉国家」のまま乗り切れるとは思えない。
 元財務官僚の村上正泰が告発するように(村上正泰「医療費削減の戦犯はだれだ」文芸春秋9月号)、「小泉改革以降、あたかも『歳出削減』が何よりも優先すべき至上命題であるかのように捉えられ」、財務省は医療に代表される必要な行政サービスをも削らせるべく各省に圧力を加えた。竹中平蔵元大臣らは「国民負担率(租税+社会保障が国民に占める比率)が増えると経済成長にマイナス」と喧伝したが、国民負担率が高いイギリスやスウェーデンの成長率が高いことからしても、この因果律は嘘である。

 しかも97年の橋本財政構造改革以降、歳出の削減を進めるほど逆に赤字は危機的な水準まで累積した。むしろ、必要な行政サービスの削減こそが財政赤字の原因だと考えたくなる、社会科学で言う「意図せざる帰結」である。村上は社会保障は「弱者保護のためだけではなく、長期的な社会の安定性を保障するもの」とするが、そうした安定性が揺らいだために投資や消費といった内需が伸びず、成長率が低迷しているのではないか。介護を家庭に押し戻されても、生活も安定しないままではやっていけるはずもなかろう。


 9月11日(木) 「オピニオン」 小野善康 大阪大社会経済研究所教授(マクロ経済学)
 「自民党の経済政策」 「お金を渡すだけではだめ」

 自民党総裁選挙では、経済、財政政策が対立軸になっている。候補者は財政再建派、上げ潮派、積極財政派に色分けされ、それぞれまったく違って見える。だが3派の本質は実は同じで、お金を渡すか渡さないかという発想しかない。お金を倹約するだけ、右から左に渡すだけでは、日本の富は増えも減りもせず、経済はよくならない。
 与謝野経済政相は財政再建派とされている。歳出削減と増税で財政健全化を優先する立場は国庫だけを見て国全体を見ていない。国債は負債であると同時に立派な資産であり、返せば資産も減るから純資産額は変わらない。
 そのために財政支出を抑えれば、失業が増え、地方も疲弊して経済が冷え込む。税収も減って財政健全化も遠のく。小泉政権時代の緊縮財政で、かえって国債を過去最大幅で積み上げたのがよい例だ。
 経済成長を重視するという上げ潮派はどうか。小池元防衛相や石原元政調会長がこの立場だとされる。小泉改革路線の堅持を訴える上げ潮派は、法人減税や投資減税、規制の撤廃を掲げ、企業など供給側にお金を渡すことを主張する。
 しかし、供給不足の現状で供給側を優遇しても、物が売れない以上、総所得は増えない。それどころか、優遇される強い企業が弱い企業のシェアを奪い、失業と格差が拡大して景気はさらに悪化する。
 では、財政出動を主張する麻生幹事長ら積極財政派がいいのか。彼らは。定額減税や公共事業で民間にお金を渡せば、消費が増えると思っている。
 だが、定額減税なら、その分の支出削減か赤字国債の発行、あるいは別の増税が必要で、同規模のマイナス効果を生むことを忘れている。地域振興券の失敗を繰り返すだけだ。

 うーん、なんだかすごくむずかしいゲームみたいだ。むかし「シムシティ」というゲームをやったが、私はどんくさいのでいつも橋とか道路とかつくるのが遅れ、その間に人口が増えすぎてトラブルが続出し、財源確保のために税金を上げると暴動が起き、怪獣も暴れてめちゃめちゃになっていた。ゲームならリセットすればいいが、国政ではそうはいかない。
 つづき
 公共事業はどうか。穴を掘って埋めるような事業なら、経済への波及効果はゼロだ。見かけ上は国内総生産(GDP)が増えるので政府はその効果を強調しがちだが、実体はお金を渡すだけの失業手当と同じだ。
 公共事業で重要なのは、払うお金の額ではなく、どれだけ雇用が増え、どれだけ価値が生まれるかだ。労働者を失業状態のまま放置したり、無意味な仕事をさせたりするほどの無駄はない。同じお金を使うなら、少しでも役に立つ仕事をさせて、給与で支払った方がよい。
 公共事業というと従来型が思い浮かぶが、環境や介護・医療なども考えられる。
 環境分野では、省エネルギー技術や代替エネルギーの開発、産業廃棄物処理など多くの仕事がある。またリサイクル可能な製品の規格化や環境規制の整備によって、税金を使わずに投資や雇用の機会を生み出せる。たとえば世界的な景気後退の中で省エネ車が好調なのは、環境意識の高まりと原油高が原因だが、環境規制はこの種の需要を確実なものにするから、企業は安心して投資し、素材・機械産業も潤う。それで収益を得た個人や企業から税収も見込めるから。税制健全化にもつながる。
 また、需要の大きな介護産業や医療分野の育成も有効で、そのために診療や介護の自由度を増やすことも考えられる。
 こうした政策が実現に向かわないのは、政治家や国民が目先で誰にお金を渡すかしか考えないからだ。政権が短期で崩壊する袋小路にいる今こそ、従来の発想から抜け出し、何が価値を生むかを考える本物の景気対策を競い合う好機だろう。

 もういっこ似たようなの。9月12日(金)「経済気象台」「バラマキ減税をやめよ」
 バラマキ政策は、これまで一般に歳出面でとられてきた。民主党が公約に掲げる農家の個別所得補償、高速道路の無料化など、選挙目当ての人気取り政策がその典型である。
 しかしながら景気後退とともに、減税により景気浮揚を図ろうとするバラマキの動きも最近顕在化してきた。
 このバラマキ減税の代表が、公明党の主張する定額減税であろう。これは所得税・住民税から所得水準に関係なく一定の金額を減税の対象にするというもので、低所得層により恩恵がいくとされている。
 問題は1年限りの時限的な減税で、どれだけ個人消費が喚起されるかである。この減税は、バブル崩壊後細川、橋本、小渕内閣の経済対策に盛り込まれ、さしたる景気回復に資することもなく財政赤字増大に一役をかった。時限が来て廃止しようとしても、増税と受け取られるのでその廃止が政治的に難しい。
 もう一つの例が、株価対策の観点からの証券税制の緩和である。有力な総裁候補の一人である麻生氏は景気回復優先策の一環として、1人当たり年300万円の株式投資からの配当を非課税にするという証券税制見直しを主張している。
 このような株価対策もバブル後、しばしば用いられてきた。どれだけ政策として効果があるかわからないのに、税制をゆがめ、かつ高所得層に減税の恩典がいく金持ち優遇となる欠陥がある。
 このように税制上短期的な視点でかつ政策的にあまり有効でないこの種のバラマキ減税を取るべきでない。もっと中長期的な視点から少子高齢化の元、社会保障の財源を公平に確保できるような税制改革を抜本的に行うべきである。(安曇野)

 簡潔に言うと、
 9月7日(日)「耕論」「混迷の政治」から劇作家・評論家 山崎 正和さん 「虚のテーマで偽の対決」「劇場型でなく調整型を」
 「もっとも重要なのは『高福祉・高負担』か『低福祉・低負担』かを選択すること。これを正面から国民に問いかけた政府は世界にありません。相当しんどいことになるから。しかし避けられない。日本社会の根本の問題だ」
 「今の日本人は身の丈に合わない生活、過剰な生活をしている。全員で生活水準を少し、たとえば1割ほど下げたらどうか。株による荒稼ぎを少し制限したり、物作りに専念できるようにしたり、あるいは地産地消を広げ意図的にグローバル化を一部ストップさせたり。これこそ本当の『保守主義』なのだが。でも実際に打ち出したら、その政党は勝てないでしょうね。」

早稲田大教授 榊原 英資さん 「抜本改革には政権交代」「党と政府二重構造崩せ」
 「与党を入れ替えるだけではなく、システムそのものを変える必要がある。小泉構造改革は偽物だった。世の中、特に公的セクターの仕組みを抜本的に変えないと、永田町と霞が関の関係、中央と地方の関係を変えねばならない」
 「小沢さんがやろうとしてるのは革命ですよ。自民党とはまったく違う。民主党は、それを国民にわかるように訴える必要がある。今度は本物の構造改革をやるというメッセージを発信すれば、国内だけでなく世界からも注目される」


 私としては、だれでもいいけど、とりあえずこの文章を理解できる人というのを最低ラインにもって来ておきたいんで、麻生さんは「新聞は読まない。見るだけ」とか言ってたからパス!