読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

森達也さんの講演を聞いた

2008-11-10 23:02:02 | 日記
 先週の土曜日(8日)、映画監督・作家の森達也さんの講演を聴いた。
 講演のテーマは「いのちの食べかた~向きあうことで差別はなくせる~」であったけれども、内容はちょっと違っていた。きっと主催者は「いのちの食べかた」(理論社)という子供の本に即した内容をしゃべってほしかったのだろうけど、森さんが今一番訴えたいことはメディアリテラシー関連だったようだ。

 オウム信者とそれを取り巻く世間の人たちを内部から外に向かって撮った映画「A」と「A2」を私は見ていない。だけど「本の旅人」で10月号から連載されている「職業欄はエスパー2」を読んでびっくりした。森さんの番組は普通のドキュメンタリーと全然違う。固定観念がひっくり返ってしまって、そのことに自分でびっくりしたのだ。昔スプーン曲げの少年が一時テレビでもて囃され、途中から「インチキだ!」と大バッシングを受けた事件があった。森さんの彼らエスパーに対する取材を通して浮かび上がってきたのは、何が何でも「本当かそれともインチキか」を決めつけようとするメディアの強引さ(あるいは傲慢さ)だ。物事には白か黒かなんてはっきりと色分けできることなんて本当に少なくて、ほとんどは「だいたい白ときどき黒」とか「白か黒か本人にもよくわからないのでグレーとでも言ってくれ」とかいうものじゃないか?でもそれでは普通の視聴者は納得しない。「要するに白なのか、黒なのか、はっきりしてくれ!気持ち悪いじゃないか!」とチャンネルを変えてしまうから、最初から結論を白、または黒に決めておいてそれに都合のよいような映像を狙って取材するのだ。
(「職業欄はエスパー」は98年制作のテレビドキュメンタリーだ。YOU TUBE に映像が載っている。便利だな。)

 「A」とその続編「A2」も、オウム信者の人たちがいかに普通か、言い換えるとオウムの側から見ると外部の人たちがいかに異常であるかを描いたものだ。当然番組はどこのテレビ局も放送してくれなかったし、森さんは「あぶないヤツ」と言われて制作会社をクビになった。後に作った映画も興行的には失敗だったそうだ。
 世間の人たちはそんな番組なんて見たくないのだ。オウムは兇暴な殺人集団で自分たちとは違うということを確認して安心したいからテレビを見るのだ。そしてメディアは坂本弁護士殺害にかかわるTBSの不祥事を一斉にバッシングしながら、「もしかしたらウチもヤバイかもしれない」と恐れ、自己規制を始めた。

 「放送禁止歌」というドキュメンタリー番組は、'72~'73年頃のラジオで、つい今まで流れていたのに唐突に一夜にして禁止されてしまったいわゆる「放送禁止歌」について調べたものだ。取材を進めていくと驚いたことに、実は「放送禁止歌」なんて存在しなかったという結論に行き着く。放送禁止を命じるようないかなる団体、組織も、どこにもなかった。つまりあれは放送局の自主規制だったのだ。そして、その背景には差別の問題があった。
 メディアって偽善的だとあらためて思った。

以下、講演のまとめ。

 日本の犯罪報道は異常だと森さんは言う。朝から晩まで特定の犯罪の背景を根ほり葉ほり報じる。実は殺人事件の件数は2007年に史上最低(受理件数、1199件、未遂、心中を含む)を記録した。実に喜ばしいことだけれどもメディアはほとんど報じないし警察も大々的に発表しない。政治家も不勉強でこのような統計を知らない。きっと国民に知ってほしくない事情があるのだろう。戦後殺人事件の件数が最も多かったのは1954年頃だ。その後一貫して減少している。にもかかわらず私たちの「体感治安」は年々悪くなっている。それはメディアが不安と恐怖を増幅させるような報道をしているからだ。人はいつ自分が犯罪の犠牲者になるかわからないと恐れる。セキュリティー強化が叫ばれ、街角には監視カメラが溢れ、セキュリティー関連の会社が繁盛する。(そしてそこに警察から天下り)。メディアは視聴者の欲望を反映して善悪の区別ををはっきりと、悪い奴はより悪く描く。敵と味方を峻別して「彼らは自分たちとは違う」と思うことで安心したいのだ。集団内部に仮想敵を作って一斉にバッシングをしたり、犯罪者の厳罰化を求めたりするのもそのせいだ。90年~95年の5年間と2000年~2005年までの5年間を比較すると明らかに死刑判決の数が増加している。光市の事件の裁判を見ても報道が一方的過ぎることは明らかだ。犯罪に対する不安と恐怖、「許せない」という感情がメディアによって増強されている。

 森さんは関西テレビの「納豆騒動」で「なぜプロデューサーがウソを見抜けなかったのか」なんて言う人がいるけど「見抜けなくてあたりまえだ」という。「映像メディアの嘘は見抜けない。」そもそもメディア自体が嘘なのだ。同じ現象でも別の角度から見るとまったく違ったものが見えてくる。メディアは一番刺激的で絵になるようなドラマチックな視点を切り取って伝える。それを丸飲みで信じてはいけない。視点を変えて見るということが必要で、これがメディアリテラシーなのだと言われた。たいへんよくわかる。例の光市母子殺害事件にしても、被害者の遺族にばかりスポットが当てられて、弁護団をキチガイのように言う人たちの大合唱があったけれども(橋下さんとか)これを弁護団の側から撮ったドキュメンタリーで見ると、まったく別のものが見えてくるらしい。
これに言及したブログ)。このドキュメンタリーを制作した東海テレビのプロデューサーが先日朝日新聞の人欄で紹介されてたなあ。
光市事件 加害者側に焦点 東海テレビが制作「光と影」
遺族感情からすれば、犯人を死刑にしてほしいのは当たり前であるけども、メディアがそちら側ばかり一方的に加担するような報道をするのはおかしい。また、良識ある評論家であらせられる三宅久之さんが「出獄してきたら、私がこの手で殺してやる」みたいなことを言うのもおかしいんじゃないか。

 アクセスという番組で、神浦さんという軍事評論家が、「北朝鮮脅威論」に対してこう言ったそうだ。「北朝鮮など何ら怯えることはありません。石油備蓄はほとんど尽きているし武器、装備は時代遅れ、日本の10分の1の武力しかない。だから絶対に北朝鮮は戦争をしかけてきたりしない。負けるとわかっているから。」だけども後で森さんに「今日は思い切って言ったけど、こういうことを言うとメディアで干されてしまう」と言われたそうだ。北朝鮮なんかちっとも脅威でないということが国民に知れると困る人がいるらしい。
 神浦元彰さんのサイトJ-RCOM韓国、新計画策定へ 北朝鮮混乱に対応策  朝日 10月30日 朝刊 の記事に対するコメントでもそのようなことを書いておられる。)
まさに仮想敵を作って憎悪し、バッシングするという構図だ。
麻生首相は「やられる前にやれ」と言った人だ。田母神元幕僚長は論文の中で「日米戦争は防衛戦争であった」と言っているが、20世紀以降の戦争はほとんどそうだ。ナチスだって「このままではゲルマン民族は滅びてしまう、危ない、やられる」というプロパガンダによって戦争を始めたのだ。アメリカだって「共産主義の脅威」というドミノ理論によってベトナム戦争をはじめ、大量破壊兵器、アルカイダに対する恐怖からイラクに侵攻した。「敵」に対する恐怖心から「家族を守るため、同胞を守るため」戦争を始める。ところがその結果は焼け野原じゃないか。過剰なセキュリティーが人を殺すのだ。まるで、人の免疫細胞が暴走してアレルギーを引き起こすメカニズムにそっくりだ。日本には思想、信条、表現の自由があるから発言はすればいいけども、自衛隊の幹部がこのような自覚に乏しいということが問題だ。
 不安だから人は群れる。群れて安心したい。みんなでまとまって行動し、異物を見つけて攻撃する。集団に同調しないものはKYと言われ、自己責任と言われる。このような傾向はすべてオウム事件をきっかけに始まった。少数派が生きづらい世の中になってしまっている。メディアが本来の機能を果たしていない。世界史の中で初めてファシズムのような全体主義的な政治形態が起こったのは1910~1930年頃だ。音と映像のマスメディアが広がったのがこの頃だ。メディアによって多くの人に一斉にプロパガンダが広まり、危機意識が植えつけられた。ファシズムは終わり、こんなに治安はよくなっているのに人々の不安はかえって増している。見るものに気をつけないといけない。日本のメディアは末期症状だ。だけども、ぼくらが変わればメディアも変わるのだ。(以上、講演の抜粋)

検索していて見つけたのでメモ。
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▼森達也(映画監督、テレビディレクター)その1
森達也(映画監督、テレビディレクター)その2/個保法と住基ネットとの基本的関係
森達也(映画監督、テレビディレクター)その3/橋本派が有事法制に慎重
森達也(映画監督、テレビディレクター)その4/テロリズム定義に失敗ASEANテロ会議
森達也(映画監督、テレビディレクター)その5/宮台真司の指摘
森達也(映画監督、テレビディレクター)その6
森達也(映画監督、テレビディレクター)その7/車いす席一部は当日渡し/TBC、 38000 人個人データ流
森達也(映画監督、テレビディレクター)その8/発生前に容疑者みつけられた? 911テロ/テロ犯捜索に
森達也(映画監督、テレビディレクター)その9(止め)/野中、個保法案や有事法制を批判/平沼経産相、国

 あと、興味深かったのは、「今年は殺人事件が増えるのではないか」と言われたこと。イメージに実体が合わせようとするので、みんなが「危ない」と思っていたらそのとおりのことが起こるというのだ。セキュリティーが裏目に出ているという皮肉な状況だ。また「理由のない殺人」が増加した原因について①、メディアのアナウンス効果で「理由がなくても人が殺せるんだ」とそそのかされた。②「理由がない」という動機をみんなが認めたため、動機のひとつとして認められるようになった。③自殺が増加しているということに関係がある。自分を殺せる人は他人も殺せる。自殺が他殺に反転した。などと分析されていた。
 「最近はどうも戦前に似ているのではないかと思う。不安が人々の望むのとは逆の現象を引き起こす。」と言われたので、なるほどじゃあ最近の傾向を見るに日本はロクなことにならないなとつい思ってしまった。これがいけないんだな。

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