読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

石原・宮台対談

2007-10-30 22:43:18 | 雑誌の感想
 9月6日の朝日新聞文化面「観流」に、石原慎太郎都知事と宮台真司・首都大学東京教授の対談「『守るべき日本』とは何か」(「Voice」(PHP研究所)9月号)の評が載っていたのを読んで少し興味をおぼえた。また古い話ですが。
 
 石原・宮台対談 影を潜めた破壊者ぶり
 ニートは「ただの穀潰しだと思うね」。冒頭、おなじみの“石原節”は健在で対談は始まる。だが、若者の脱社会化から、その要因としての家族や地域共同体の解体、 そしてグローバル化と日本文化の問題へと展開してゆく議論の大半を仕切るのは宮台氏のほう。石原氏は聞き役に回り、素直に説得されている様子ばかりが印象的だ。
 対談は石原氏の希望で実現したというから、拝聴の姿勢は当然かもしれない。しかし、「特攻の母」を描いた石原氏脚本の映画を含め、年長世代が懐かしむ伝統的な人間関係の復活など今の日本にはありえないと喝破されても反論するわけでもなく、「難しいでしょうな」などと、半ば同調している。先の都知事選、これまでにない柔和な笑顔を振りまいた石原氏の「老い」が指摘されたことを、妙に思い起こさせる、一幕だった。

 さらに、宮台氏は、「ポピュリズムと揶揄されるものとは別次元の『感染力』」が石原都知事にはあり、都知事選では「人の『凄さ』の違いが際立つのを実感した」と、ヨイショしていて、対談は和やかに終わったのが物足りないとか、「実際、後進の社会学者やファンの間では、ここ数年の宮台氏の変化が『転向』と語られてきた。」とか、要するに、「右傾化してきた宮台氏と、角がとれて好々爺になりかけた石原氏の慣れ合い対談だ。」と言いたいようだ。

 しかし、都知事選における「人の『凄さ』」みたいなものは私も感じたので、さっそく普段は読まない「Voice」を買って読んでみた。

 
   「守るべき日本とは何か」 文化が個性を失った国は大転換期に生き残れない

宮台
 かねて石原知事は、「次世代を担う子供たちに人間にとって根源的な価値をどう伝達するか」という問題意識をおもちです。私は東京都青少年問題協議会の委員を務めていて、その問題意識をどう政策化するかを検討しています。今期のテーマはニート、フリーター、ひきこもりです。

 ははあ、私は昨年から宮台真司の本を集中的に読んでいるので、わりと理解できるんだけど「ニートは穀潰し」と非難するのはただの「表出」だ。気分はスッキリするだろうが、それで問題が解決するわけではない。社会が変化し、それによって新たな問題が起きているのならそれを防ぐ効果的な対策を考え、さらに、問題が最小限に抑えられるような新たなシステムを作るのが政治家の役目だ。
宮台 彼らが「反社会的」であれば「穀潰し」の批判が有効ですが、「脱社会的」なのです。問われるべきは若い世代から大規模に社会性が脱落した理由です。
石原 ニートのその内面的な虚脱は、何ゆえにもたらされたのですか。
宮台 背景に家族や地域の自立的相互扶助の解体という社会要因があるからです。行政措置はそれに対してなされるべきです。
石原 ニートの悪いところはそういう依存性、甘ったれた考え方だよね。それは何が醸し出したんですか。
宮台 郊外化です。(以下略)

 以後、「郊外化によって地域や家族が空洞化し、それによって社会を生きる力を失った『脱社会的』存在にどうやって規範や価値観を伝達するか」という宮台氏主導の会話が続く。
 いいんじゃないですか。「最近の若者は道徳意識が欠落している」と嘆いて、道徳教育の強化とか風紀の取り締まりとか犯罪の厳罰化とか、いかにも右派政治家が言いそうな対策の一切合財は効果がないと宮台氏は主張している。私は安倍元首相の教育政策にがっくりきたよ。あの教育再生会議ってなに?少なくとも、石原氏は社会学者の分析と提言を聞こうとしているのだ。安倍さんよりはまし。というか老獪な人ですね。
 いくら道徳的な説教をしても、そもそも伝達のベースになる「台」、コミュニケーションが可能になる共通のプラットフォームがないので伝わらない。社会を成立させている基礎の部分が、日本は壊れてしまっているのだ。基礎とは、「世間」を支えている「地域性」で、これこそが日本の守らなくてはならないヘリテージ(相続財産)だ。と宮台氏は言う。うん、著書の中に繰り返し書かれているし、小林よしのり氏なんかとも、この部分では意見が一致しているようだ。「地域性」を失った日本人は、共通の価値観を持たないため砂粒のようにバラバラで、不安からアノミーに陥る。そして見かけの頼りがいに騙されて、自分に不利になるような政策を唱えるカリスマ政治家を支持したり、目先のターゲットに見当違いのバッシングをしたりする。
宮台 社会学的処方箋は、手持ちのリソースから、かつての家族や地域と等価な機能を果たす台をどう構成するか。見かけより機能が大切です。
 家族ならば、感情的安全の保証と子供の一次的社会化を提供する機能。機能を満たせば見掛けはどうあれ行政は家族と見なすべきです。「典型家族から変形家族へ」といいます。

 うん、斬新ですね。さらに、社会変化を引き起こしている原因である「グローバル化」についても論じられている。
宮台 グローバル化で外国人労働者が来て若者や下層労働者と職を奪い合い、暴動が起きたりネオナチ化する事態。今や古風です。グローバル化が進めば外国人を受け入れるまでもなく、中国やインドなど労賃と土地が安い国にアウトソーシングする結果、単純労働への国内需要が減り、失業や非正規雇用化が進むからです。非正規雇用に文句をいえば「国内に工場を置くだけでありがたく思え」という経団連的な物言いが返ってくる。実際、外需で生き残る企業には死活問題です。でもその結果、労働分配率が下がり、内需が萎み、内需で回る国内産業も萎んで、木密地域のごとき地域性も消えます。
 こうした構造への理解が欧州主義のコアです。鎖国的な反グローバル化には外貨獲得を不可能にするから無理です。でも、無防備にグローバル化に棹させば中小企業の大半が消え、地域性を支える内需産毟られます。したがって、1、グローバル化で外貨を稼ぐ企業、2、M&Aや合理化を進めて頑張れば外貨を稼げる企業、3、地域性を支えるべき内需産業を区分し、構成を最適化すべきという発想になります。

 ここ、テストに出るとこですよ。
宮台 チャイナクラッシュ論は昔からあるけど長らくクラッシュしません。市場化を制約する強力な行政官僚制が資本注入を強行できることと、グローバル化で先進国のすべてが中国へのアウトソーシング抜きに経済を回せなくなっているからです。一〇〇〇兆円の公債残高と、大半が焦げ付いた四〇〇兆円の財政投融資残高がある日本もクラッシュしませんね。日本同様の不良債権処理を中国もやるでしょうが、外貨導入を徹底することになる。グローバル化の肯定面です。
 政治学の先端ではグローバル化伴う国家権力の変質が話題です。軍需が最重要の公共事業なのは今後も変わりません。日本はそれが使えないのでハコ物に頼っただけ。でも軍事で借金チャラにしたり、資源をタダ同然で掠奪する国家は時代遅れです。それを示したのが「9・11」以降のブッシュの失敗。十五年前からアメリカがやってきたように、アメリカンルールを国外にも拡げてドルを還流させることが合理的で、それを平和的に推し進める武装した主体が国家という理解が常識化しています。ヒラリー・クリントンの“フィールグッド・プログラム”が明示的に提唱することです。

 あー、長々と引用してしまった。これらのことは「M2」シリーズなどの著書に詳しく書いてあることだけれども、この対談ではその持論がたいへんわかりやすく述べられている。どこが悪い?

 ところで、「都知事選に見られた石原氏の『凄さ』」に関して私が憶えているのは、あのテレビの公開討論会だ。石原、浅野、黒川三氏が一挙に生出演し、政策の違いをアピールしたあの番組で、「こりゃ、石原氏の勝利だな。」と確信した。多分あの番組の影響がものすごくあると思う。どこら辺でかというと、「子供をターゲットにしたような犯罪の増加、凶悪化に対してどのような対策を取られますか?」という質問に対し、黒川氏が「私は建築家だから、都市計画の観点から犯罪を防止する街づくりをめざします。」と答えてた時だ。一言でいえばそうおっしゃったのだが、話が回りくどくて長すぎた。延々とつづくのだ。あれじゃだめだ。「この人は偉い人なのかもしれないけど、こんな人を上司に持ったらたいへんなことになるね。」と私は家族に言った。きっと的外れの指示を次々と出されて業務が停滞し、悲惨な結果になるだろう。それに比べて石原氏の歯切れのよさと、話のわかりやすさは対照的であった。そして、翌日の朝日新聞の天声人語だか社説だかに書かれた「満面の笑み」を見たが、あれ、人間が丸くなったとみんな思った?違いますよ。石原氏は私の父親に顔がよく似ている(まあ、性格もだけど)。だからあの笑いはね、「ふふふ、変なこと言ってるよ。こりゃ、勝ったな。」という人の悪い笑いですよ。狸。じゃあ浅野氏は、というと実は、何をおっしゃったのか全然記憶していない。ただ、家族とその番組を見ながら、「うーん、おかあさんはね、家電製品でも何でもまだ使えるものを捨てるのは嫌いだから、都知事もね、新しい人がきて全く新しい体制を作って今までと違ったことをやるってのはコストがかかって大変だと思うな。浅野さんはね、それだけコストをかけて割に合う人のように思えない。やっぱ、古い人をメンテナンスしながらとことん使い倒したほうがリーズナブルなような気がするな。」と言ったことを憶えている。「都知事と電気製品をいっしょにすな!」と言われたのはもちろんであったが。
 さらに、「東京オリンピックの開催」について「中止」を主張する両氏に対し、「必要だ」と述べた石原氏が最後に「夢を見ましょう」と言ったとき。私は「このセリフなんだったっけな?」と考えた。あ、そうかドラマの「華麗なる一族」で万俵鉄平が言ってたセリフじゃないか?ドラマは見ていないが憶えているのは、「論座」4月号「宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評『中吊り倶楽部』」
宮崎 抗わなくては。私たちには「美しい国」という夢がある。夢を見ることができなければ未来を変えることはできません!
川端 どうしたの?さっき、夢を説く大人にろくなのはいないといってたじゃないか。
宮崎 いいんだよ、万俵鉄平は夢を語っても。さあ、阪神特殊製鉄に新しい高炉を!

というセリフ。宮崎さんはここで他にも「無党派層を動員できるかどうかといことが勝敗のカギ」で「選挙が共同体動員型からメディア型になってしまった以上、それを前提にメディアを利用しながら戦うしかない。」と言っている。石原氏が「論座」を読んだかどうか知らないが、「夢を見ましょう」なんていうアピールは有効だろうなあとその時思ったものだ。 
 しかし、「Vice」の対談では、
宮台 「セカンドライフ」が話題なのをご存じですか。 
石原 いや、知らない。何ですかな、それは。

とおっしゃっていたので、「おい、賞味期限切れかけてるんじゃないか?」とちょっと思った。

原爆「しようがない」発言

2007-10-29 12:33:34 | 日記
 なんの脈絡もないが、忘れてしまうので書いておこう。

 うちの中学2年になる長男は社会科が苦手だ。苦手というより勉強しないってだけだけど、テストの結果は50点満点かと一瞬勘違いする点数をキープしている。そのテストも、私が見たところ60点平均をめどに作られているようなのだが、クラスの平均が45点で、長男の点数はさらに悪い。あんまりひどいので、夏休み中はずっと夜の1時間を社会の勉強にあてさせた。数学ができないのなら「まあ、私の子だもの。」とあきらめるが、社会ができないというのはちょっとあきらめがつかない。だいたい中学の社会なんて教科書を3回読めば80点はとれると思うんだけど、なんでできないのかがわからない。
 そんなわけで長男は、毎夜それまでゲームをやっていたゴールデンタイムに、難行苦行に耐えしのぶ風情で社会の教科書を朗読し、問題集を解き、私の講釈を悲痛な顔で聞くはめになった。問題集は、教科書の文章がそのまんま虫食いになっているような簡単なものだから苦になってはいないのだが、私の講釈を聞くのが苦行なのだ。
 しかし、その甲斐あって、今月の試験では78点がとれた。やればできるのだ。テストの前日に予習をサボってゲーム三昧していなければ、あと5点は取れただろうけどね。
 今回のテストの範囲は日中戦争から戦後の日本までの現代史であったので、久間元防衛大臣の「しようがない」発言の影響もあってか、最後に「原爆投下の理由に対する、A)日本とB)アメリカの解釈の違いを述べなさい。」という難しい設問があった。息子は問題の意味が理解できていなかったので半分しか点が取れていなかったのだが、正解は、A)ソ連の参戦を知って、戦後の占領政策の主導権をアメリカが握るため。B)戦争を早期終結することによって被害の拡大を防ぐため。ということらしい。

 NHK特集なんかでも、10年以上前から原爆投下決定のプロセスを歴史的資料をもとに検証する番組が何度かあって、アメリカ大統領(トルーマン)はソ連参戦の情報を聞いて原爆投下を急がせたというのが日本側の概ねの理解であったように思うんだけど、あの時、久間元大臣の発言が猛反発を食らったわけは、なんで原爆の被害を受けた国の政治家が、加害者の立場を代弁するようなことを言うかということに尽きる。外交とは、自国の利益を最大化するための対話と交渉じゃないのか。よその国の利益になるようなことを、しかもその国に行ってではなくて、自国の国民に向かって言うなんて。さらに、そのことによって被爆者団体などの抗議行動が巻き起こったという状況を、アメリカ人だって喜びはしないだろう。と、誰かが言っていた。たぶん宮崎哲弥さんあたり。

 「原爆投下は仕方がなかった」というのは、アメリカ人の一般的な見解であるようだ。私がかつて大学生だった頃、あー、だから大昔のレーガン大統領の頃、英文学科の学生が発行している学内の英字新聞を読んでいて驚愕したことがあった。アメリカから来たばかりの新任の先生のインタビュー記事にこう書いてあったのだ。
Q,日本についてどう思いますか?
A,日本は、「恩知らず」だと思います。アメリカのおかげで発展したにもかかわらず、傲慢な態度でアメリカに被害を与えている。
 「恩知らず」のところだけonsirazuと書いてあったから日本語でおっしゃったらしい。 
 日米経済摩擦の頃だ。日本の自動車や工業製品が世界を席巻したことによって、アメリカの市場を奪い、自動車や鉄鋼業界が不況に見舞われたので、交換条件として農産物の輸入自由化を日本に迫っていた頃だった。
Q,広島の原爆投下についてはどう思いますか?
A,日本はパールハーバーで卑怯(hikyou)な攻撃を仕掛けたのだから当然だ。原爆投下によって、結果的に多くの人の命が救われた。
 えー、なんでいきなり、来るなりそんなことを言うの?
 私は納得がいかなかったので、サークル顧問の先生に、このことを尋ねてみた。そうしたらその先生は、「まあ、一般的なアメリカ人はほとんどの人がこのように思っているでしょうね。」とおしゃった。「広島に来て、個人的にいろんな人と知り合いになるうちに多少見解が変わるかもしれませんが、そうでない人も多いです。アメリカ人は、『アメリカは正しくて、世界一すばらしい国だ』と信じて疑わない人が多いのです。」そして、「まあ、それは違うと思うのなら、あなたがあの先生に言えばいいじゃないの。学生に議論をふっかけられるっていうのも新鮮な体験で、案外喜ぶかもよ。」とにこやかにおっしゃったのだが、うううっ、それは英語ができません。そういえば、
Q,日本の学生をどう思いますか?
A,みんなシャイで子供じみている
という見解もあったな。

 ちょうどその頃だったが、「10フィート運動」という市民の活動があった。それは、ワシントンの国立公文書館に保管されている原爆関連の8ミリフィルムを買い取ろうというもので、アメリカの公文書は一定期間過ぎると公開されて、だれでもコピーできるらしいのだ。何が写っているのかはわからないが、ともかく大量にあるので、できるだけ買おうということで多くの市民がそれに協力し、私も一口協力した。10フィートが一口で、たしか3000円くらいだったような気がする。協力したしるしにフィルムの端切れで作ったしおりをもらったが、それにはカラーのキノコ雲が写っていた。今では記録映像でよく見かけるが、あのカラーのキノコ雲は、その時買い取られたフィルムの中にあったものだ。
 大量のフィルムを編集したものが記録映画になったというので上映会に行って見たのだが、なんともやりきれない気持ちになった。悲惨だからではない。私は原爆の映画は子供の頃から見慣れている。やりきれないのは記録者の視線の冷たさのようなものに対してだ。ケロイドで崩れた顔や背中を、まるで舐めるようにぐるりと一周しながら撮影してゆく。完全に科学的な研究材料として人々を観察しているその冷静な視線に、心が冷えるようなおそろしさを感じたのだった。
 
 被爆者を撮影した場所は比治山にあったABCC内だ。今年の夏は、NHKでも朝日新聞でもこのABCCについて取り上げていたが、ここは広島市民にたいへん評判の悪いところだった。比治山の下に下宿していた友人に「あの山の上に見えるかまぼこ型の建物は何?」と聞くと、「放射線影響研究所」と答えたので、「ああ、あそこで被爆者の治療をするんだね。」と知ったかぶりをしたところ、「とんでもない。」と言われた。「あそこは、一切治療しないんだ。検査をするだけで、その検査も本人に結果を知らせるわけでなし、公表もしない。被爆者をモルモットにしているというのでものすごく嫌われている。今では誰も行きやしない。なのに、毎年1億円くらい日本政府からお金が出ていて、非難ごうごうだよ。」ということであった。
 要するに、アメリカは原爆投下の瞬間から、それを冷静に観察し、記録し、焦土と化した街や風景を撮影し、さらには人体への影響を観察するために巨大研究所を建て(日本政府のお金で)、やけどやケロイドや被爆症に苦しんで藁をもすがる思いで訪れた患者たちを研究材料にし、そしてそれらの記録をアメリカへすべて送っていたわけだ。
 夏にそのことをテレビの特集番組で見たときに、一気にいろいろなことを思い出した。また、現在の世界情勢を考えると目の前が暗くなってくる気もした。
 「10フィート映画を上映する下関市民の会」のホームページから
 NHK平和アーカイブス
  
 最近は平和運動だのやっている人をすぐにバカにして、サヨとかプロ市民とかこき下ろすようだけど、それじゃだめだ。歴史的な事実をきちんと掘り起こし、それを冷静に検証し、これからの日本のあり方を考えていくのでなくては、あの記録を収集していた冷たい目には対抗できないと思う。

冷蔵庫の写真

2007-10-28 17:39:16 | 新聞
 「アジアンタムブルー」の最後で、主人公は鬱々とした放心状態を乗り越え、葉子の写真展を開いた。その写真展のことが新聞のコラムで取り上げられる。
 
 昨日、銀座で行われている写真展に行ってきました。何とも風変わりな写真展で、行けども行けども水溜りの写真が並んでいます。水溜りに映る驚くほど青い空、輪になって覗きこむ子供たちの笑顔、空を横切っていく渡り鳥の一群、まるで鏡を見るように覗きこむ老婆の無表情。
 約十年の歳月を費やして、続木葉子さんという女性カメラマンが日本全国を歩き回り映し出した日本の水溜りです。
 そこには、我々がどこかに忘れ去った、あるいは忘れたふりをしている、純朴な日本が確かに映し出されています。水溜りを通して見ると、こんなにも空は青く、子供たちは愛らしく、新宿のネオンは美しかったのかと今更ながらに思い知らされました。

 「なぜ水溜りの写真を撮るの?」と聞かれて「わからない」としか言えなかった葉子。彼女がレンズの向こうに見ていた風景がどんなものだったのかが彷彿としてくる。

 先日の朝日新聞(10月7日)に、漫画家、コラムニストのしまおまほさんが紹介されていた。経歴を読んでびっくりした。作家島尾敏雄・ミホ夫妻の孫娘にあたる人だ。父親の島尾伸三氏は「死の棘日記」が刊行された頃、ときどき新聞でお名前を見かけることがあったが、その娘さんが「女子高生ゴリコ」という漫画を書いた人だとは知らなかった。「女子高生ゴリコ」は宮台真司が「世紀末の作法」の中で取り上げていたので記憶している。
 
 『ゴリコ』にはお気楽なイメージ批判はない。「私たちはそんなんじゃありませーん」なんて昔の女子大生みたいなことは言わない。どんな自意識を持とうが馬鹿オヤジから見れば全部〈女子高生〉なんだろ、本当の自分なんてタイソウなものはないし、女子高生は〈女子高生〉をモノサシにして世界と関わるしかネエよ、といった乾いた韜晦がある。 (「世紀末の作法」 『女子高生ゴリコ』を読む)


 えーと、そのことが書きたいのではなくて、島田伸三氏の奥さんつまり、まほちゃんのおかあさんの潮田登久子さんが「冷蔵庫」の写真を撮り続けて有名なカメラマンであるってことが書きたいのだ。
 10年ほど前のことだ、NHKの「生活ほっとモーニング」で、「冷蔵庫の整理術」という特集があって、そのときに「冷蔵庫の写真を撮り続けている女性カメラマン」という人がでてきた。その人が潮田さんであるらしい。長年、よそのお宅の冷蔵庫を見続けてきたその人は、冷蔵庫の中を一目見ただけでそのお宅の状況がだいたいわかるというのだ。
「まさか、占いじゃあるまいし」
と私は半信半疑だったが、番組であるお宅を訪ねたとき、その人は冷蔵庫を見てレポーターにささやいた。
「ちょっとしんどかった時期があったようですが、今だいぶ持ち直してきたようですね」
 実は、そのお宅では最近夫婦の危機に見舞われていて、どうやらその原因は夫の浮気であるらしい。まるで隠し撮りのようなアングルで「どうしてあなたはいつもそうなのよ!」ときつい言葉を投げかける妻と、無言でうつむいている夫の影とが映像に写っていて、さわやかな朝にふさわしくない話題なので私は一瞬ぎょっとしてしまった。妻のインタビューもあって「もう、一時は顔も見たくない、声も聞きたくない、ほんとにひどい状態でした・・・」みたいなことを言うのだ。
 この女性カメラマンは、それを一目で見抜いたというのか!おそるべし!私には適度に整頓された清潔な庫内としか見えなかったのに・・・。
 私は大急ぎでうちの冷蔵庫のところに飛んで行って、もしこの中を見られたらどう言われるだろうかと考えた。・・・・・あんまりよい想像は浮かばなかったので、また大急ぎでテレビの前にとって返し、「冷蔵庫の整理術」を必死でメモし、その日の午後までかかって庫内の大掃除を敢行したのだった。
 その後、私は冷蔵庫が汚れるたびに、「あの冷蔵庫のカメラマン」のことを思い出してはドキリとして、あわてて掃除をしていた。だから島田伸三氏のインタビュー記事が新聞に載り、その経歴欄に潮田さんのことが一言書かれていたのを見てすぐに、「ああ、あの人か。」と思い出したのだ。
 それにしても、なぜわかるんだろう。いや、自分ちの冷蔵庫は見慣れているからわからないだけで、もしよその人が見たらものすごく変に見えるのだろうか。冷蔵庫ひとつに生活のすべてが象徴されているのだろうか。私にはよくわからない。潮田さんの冷蔵庫の写真を見てみたい気がするけど、こわいような気もする。それは、ちょうど「死の棘」を読みたいような、怖くて読みたくないような気持とおんなじだ。
 たぶん、私は一生「死の棘」は読まないと思う。

大崎善生「アジアンタムブルー」

2007-10-28 01:14:53 | 本の感想
 ネタばれ満載

 ヌードつながりってわけじゃないけども、「アジアンタムブルー」は、近年読んだラブストーリーの中ではダントツ一番の感動作だった。映画にもなっている。ヌードってのは、主人公山崎の勤め先がエロ雑誌の出版社なのだ。雑誌の名前は「月刊エレクト」。この設定は「パイロットフィッシュ」と同じで、出てくる人も同じだ。締切が近くなると、臨時雇いの女性編集者が拡大鏡でネガをのぞきながら目を血走らせ、「このびらびらがねえ、はみ出してなければ完璧なんだけど・・・」などとため息をついていたりする。山崎は今ではとてもまじめなよい編集者なのだが、大学の頃は卒業する見込みもなく引き籠っていた。この会社はガールフレンドの紹介だ。大崎善生の小説には、大学をドロップアウトした青年が、混乱しながらも自分に向いた仕事を見つけて、・・・という話が多い。
 出版社の同僚には、五十嵐という男がいて、この人がおもしろいのだ。今までの人生で一冊しか小説を読んだことがない。「人間失格」だ。仕事はからっきし出来ないけど、「この写真を見て勃つか、勃たないか」という判断にかけては天才的だ。雑誌には毎回大股開きで煽情的なヌード写真が載るが、もちろん、毛もびらびらも写ってはいけない。それが見えるか見えないかぎりぎりのところで読者を惹きつけないと、手が後ろに回ってしまう。写真の選択に迷ったときには、五十嵐の動物的な嗅覚を頼りに選び、それは必ず売れるのだ。
 新人のヌードモデルが、撮影のときどうしても大股開きができなくて泣き出してしまうということがあった。メガネをかけたやり手の女性マネージャーは叱咤激励する。撮影が中止になると派遣事務所が莫大な違約金を払わなくてはならないからだ。モデルの女の子の頬をはっしと打ちすえ、「まんこ出しなさい!さあ、まんこを見せるのよ!」と叫ぶ。
 「限界だ。」と感じて山崎は中止を言い渡すが、「では、わたくしのものでよろしかったら撮影してください」と彼女はなおも食い下がる。「勘弁してくださいよ。そんなもの見せられたら、飯が食えなくなる。」とカメラマンが悲鳴をあげ、
 で、「蜘蛛の子を散らすように、帰ってきたってわけさ。」と山崎は恋人の葉子に話すのだ。
 いやいや、ほんとに静謐で感動的なラブストーリーなんだって。 
 葉子は「水溜り」ばかり撮っているカメラマンだ。SMの女王ユーカの紹介で知り合った。このユーカという人も姉御肌っぽくていい。雑誌でユーカの特集を組むことになり、葉子がカメラマンとして採用されるのだが、その写真は卑猥さの一つもない独特の雰囲気の芸術写真に仕上がっていた。
「使えない、これもだめ、あーこれもだめ、全然勃たねえよ!」と五十嵐が頭を抱えるそばで、葉子は「はあ、勃ちませんかあ?」とにこにこしている。私は見てみたい。この写真。
 その雑誌は異例の評価を受け売れたのだが、編集長の井沢は山崎に言う。「今回の企画はだめだ。」
 「いいか、山崎君、僕らのやっている雑誌は単なるエロ雑誌だ。文化誌ではないんだ。粘膜と皮膚のぎりぎりを写しだして勃起させて売る。それでマスタべーションをして捨ててもらう。それだけが役割なんだ。だけど、今度の君の企画のようなものが続けば、読者は本を捨てられなくなる。捨てられないエロ本はきっといつかは滅びていく。」
 「だから、あれで受けては駄目なんだ。もっと昆虫のような単純で簡単に勃起させて売るような雑誌を目指さなければ。それができないのなら、他の雑誌をやればいい。エロ雑誌の編集者に知性めいたものを感じたら、読者はかけるマスもかけなくなってしまう。そうだろ。」

 (ここんとこに感心したから図書館に行ってメモしてきた。)
 この編集長のポリシーもなるほどなあと思う。でも、山崎の目指す方向というのも見てみたいような気もするし。いやいや、ここはストーリーの重要なところではなかった。ともかく、こんなにまじめで有能な編集者である主人公が、「水溜り」の写真ばかり撮っているカメラマンの恋人と暮らし、最後を看取り、悲嘆の淵からなんとか回復するまでを描いた感動的な純愛小説なのだ。久しぶりに泣いた。
 あと、A新聞のコラムが重要な役割を果たしているから、朝日新聞の人は必読な。

乙川優三郎「生きる」

2007-10-27 12:49:52 | 本の感想
 例のあのナントカバーガー  

 私は2ちゃんねるはときどきしか見ない。聞き逃したニュースや詳しい内容、人の感想なんかを知りたいときにニュース速報板をざっと見るのだが、最近は目当ての情報を探すの大変で、しかも大したことは載ってないような気がしてあんまり見なくなった。インターネットには、新聞やテレビでは報じられないようなニュースが大量に、時々刻々と流れているけども、ほとんどは私には関係のない情報だ。しかも、本当に私が必要としているような情報は、おいそれと目には触れないところに潜ってしまっているようなのだ。ネットの世界でも分断化、二極化ですか。
 
 確か去年の10月ごろから2ちゃんねるで「○○毛バーガー」という言葉が何の脈絡もなくポイポイと出てくるのが目について、何のことやらと思っていたが、どうも気になるので検索してみて仰天した。なんてこった!そうか、朝日新聞で稲葉振一郎氏がなんか奥歯にものの挟まったような書き方で、ミクシィの株価急落につながった情報漏洩事件と書いていたのはこのことだったのか。
 もちろん、恋人のあられもない写真をパソコンに入れておいた男はアホです。そんな写真を撮らせた彼女も慎みがない。けども、その身元をほじくりかえしてはやし立てる人たちときたら、情けなくってもう涙が出そうだ。ましてや、ネット上のこんなかわいそうな事件を活字にして書き立てる週刊誌ってなによ!写真まで載せて!
 まったく人ごとではない。私だって個人情報からパソコンの中身まで漏れ漏れで過去の経歴からじーさんの職業まで調べられ(あるいは情報提供されて)、なんのかんのといいように言われまくってるもんな。ケツ毛ならぬ足の指毛だって見られてる。
 この事件を知って、あまりのかわいそうさにがっくりし、身につまされて1週間ほど気もそぞろだった。
 「ねえねえ、自分の絶対知られたくないような個人情報がネット上に流れてしまったらどうする?たとえば、ちんちん丸出し写真とか、おバカなメールとか・・・」と、家族に問いかけてみたが、もちろん例によって眉を顰めて無視される。どこかのサイトにアップされていれば削除してもらうことも可能だろうが、最近はファイル交換で無数に増殖しているだろうから実質回収は不可能だろう。ましてやどこかの閉鎖的ネットワークの中で情報がやりとりされているとしたら、「ある」ということさえ感知できはしない。いったん流出した情報はもはや回収することはできない。では、あの、ロリコン画像の収集がバレてしまった小学校教師のように死ぬしかないのか。

 自分は絶対大丈夫と言える人がいるだろうか。自分は何も悪いことはしていないし、やましいこともないし、インターネットもやってないという人でも、たとえば自宅に盗聴器を仕掛けられ、おならやうんこの回数まで勘定して公表している奴がいないとも限らない。そんな時代なんだ。

 やり場のない憤りでだんだん憔悴してきたが、どん底まで行って持ち直した。
 あの、丸出しヌードの彼女も、ものは考えようだ。かわいいし、肌もきれいだし、なかなかキュートな体ではないか。ここは、ひとつ「無料ヘアヌード写真集」を発売したと考えて、堂々としていればいいと思う。決して恥じるような体ではない。毛が生えていてどこが悪い!ニヤニヤしながらからかうような奴は、その程度の品性の持ち主であると判断して睨みつけてやろう。そして、夜になったら蝋燭を灯して恨み事を言うのだ。あんな品性下劣な週刊誌はすぐにつぶれてしまうよ。きっと。

 乙川優三郎「生きる」
 
 もやもやした気持ちでいたときに、無性に時代小説が読みたくなってきて、図書館で手に取ったのが乙川優三郎だった。知らなかったが、「生きる」は2002年の直木賞受賞作品だ。
 いつも時代小説を読むたびに思うのだが、江戸期の武家社会というのは、私などの想像を絶する窮屈なものだったのだなあ。規範と倫理と義理としがらみでがんじがらめだ。主人公の又右衛門は、主君逝去の折りに追腹を切らなかったというので家中から臆病者とののしられ、口をきくものもいない。実は「このような悪習をなくしたい」と家老に説得され、念書を書かされたのだ。しかし、そのことも口外を許されていないため言い訳すらできない。人から後ろ指をさされ、爪弾きにされてだんだんやせ衰えてくる。これならばいっそ死んでしまった方が楽であるとすら思うようになる。しかし又右衛門は生き続ける。だれに恥じることもないのだから、生き続けようと決心する。ああ、武士っていうのはなんてつらいんだろう。戦場で華々しく討ち死にするよりも、主君に殉じて死ぬよりも、仇討だのして切腹するよりも、人に謗られながら生き続ける方がずっとつらい。そのつらさに耐えて生きることにより人間が磨かれてくるのだろうな。
 又右衛門の晩年は穏やかだ。この小説に勇気づけられ、少し気分が晴れた。

田村裕「ホームレス中学生」

2007-10-26 10:54:53 | 本の感想
 今朝のNHK「おはよう日本」で、「ホームレス中学生」が紹介されていた。発売から1か月で75万部売れたそうだ。聞くところによると、田村くんの印税の取り分は1冊70円であるらしいから、75万部といえば・・・5250万円です!!すごい!よかったね。
 私は普通、タレント本というものは買わない。タレントの私生活にもあまり興味はない。この本を買う気になったのは、9月25日の朝、日テレの「スッキリ!!」を見ていたら、行方不明だった田村くんのお父さんが、アメリカの超能力者の協力で発見されたという驚愕のニュースが伝えられたからだった。田村くんといえば公園生活、極貧の高校時代と笑うには気の毒だけどもつい笑ってしまうエピソード満載で有名な芸人だ。ちょっと興味あった。その模様が夜の特別番組で放送されるというのでさっそく家族で見ていたら、これがひどい。
 住所がわかったものの、スタッフが手紙を出しても返事はなく、連絡が取れないので、とうとう兄弟3人でアパートまで行ってドアをドンドン叩くのだ。「○○さんですか?」「違います。」「ここ、開けてください。」「何の用ですか?」「お父さんじゃないですか?」「違います。」「ここ開けてください。」「何の用ですか?帰ってください」・・・・「おとうさん!」「ああ、・・・」
 ちょっとこれはひどくありませんか?「この父ちゃん、絶対、借金とか何か後ろ暗いところがあるぞ。なんで名前を呼ばれて否定するのよ。あやしい。あやしすぎる。」と、私は憤慨して子供に言った。だいたい子供を捨てて失踪って何?ひどいじゃないですか。
 そんなわけで、早速本屋に走ってこの本を買ってきて読んだのだった。

 本を買って読んでいるうちにまた憤慨する。だいたい破産したからって、普通は親戚を頼るだろうに、この兄弟の場合父親のせいで絶縁状態になっていた。家族が「解散」した後も、この父親は、お兄ちゃんの名義で借金をしていたり、なんだかロクな人じゃないようだ。お兄ちゃんは大学生だったし、お姉ちゃんは高校生だったし、一家でアルバイトして、生活を切り詰めればなんとか生活していけると思うのだ。「解散」なんて言われたら子供はたまったもんじゃないよ。でも、お母さんが亡くなり、病気に失業にといろいろなことがあって疲れたんだろうなあ。同情はできないが、きっと一家の大黒柱であるという重荷に耐えられなかったのだと思う。
 田村くんはそんなお父さんのことを恨んでいないと書いている。むしろ、それまでがんばって育ててくれたことに感謝している。
 
 しかし、お父さんの父親としての役目はまだ終わっていない。僕達が親孝行するために帰ってこなければならない。
 今度は僕達がお父さんを守る番。
 1日も早くそうしたいと願っています。

ええ子やなあ。

 ホームレス状態だった田村君を救ってくれた同級生の一家、生活保護の申請などに尽力してくれた近所のおばさん、家のことはなんとかするからとにかく高校だけは行けと説得したお兄ちゃん、「僕、生きていること自体に興味がないんです」と相談したときに手紙で一生懸命励ましてくれた担任の先生、折々に思い出す亡くなった母親の顔、いろんな人に支えられて今の田村君がある。野たれ死にもせず、グレもせず、ちゃんと大人になれたのはこういった周囲の人たちに守られてきたからだと思う。印税が入ったら、まずこういう人たちに恩返ししたいと語ったそうだ。ええ子やなあ。今朝の「おはよう日本」では、うんとお金が入ってきたら、あの「まきふん公園」を買い取りたいと言っていたそうだ。それはちょっとどうかな?

中村哲・編/ペシャワール会日本人ワーカー・著「丸腰のボランティア」

2007-10-26 00:18:32 | テレビ番組
 先日の土曜日(10月21日)、朝の情報番組「ウェークアップぷらす」ペシャワール会の中村哲医師がゲストとして出演していた。中村さんはアフガニスタンで医療活動などをおこなっている民間ボランティア団体の代表で、確かテロ対策特別措置法成立の際に国会で参考人発言をしたこともある。
 これだ。「テロ特措法」はアフガン農民の視点で考えてほしい
 
 ウェークアップぷらすでは、ペシャワール会の活動の軌跡、そして現在進行中の用水路建設事業が紹介されており、アフガニスタン東部農村地域で中村氏の活動が大きな成果をあげていることがよくわかった。
 実は、私は8月に尾道で中村さんの講演を聴いている。それまでペシャワール会の名前は知らなかったし、アフガニスタン救援活動といえば、かつて20年ほど前にあやしげな団体が街頭募金をしていて(たぶん統一教会あたり)その胡散臭いイメージがあるので本当なら、難民救済だ井戸掘りだといっても、うかうかと聴きに行ったりはしないところだ。行こうと思ったのは、去年朝日新聞に中村さんと鶴見俊輔さんとの対談記事(2006年11月28日)が載っていたのを記憶していたからだ。
 
 講演の前に、NHK教育テレビの講座「知るを楽しむ」で紹介された映像が流れたので、私はたいへん感銘を受けた。NHKですよ。すごいです。講演では「なぜ用水路建設などという大事業に乗り出したのか」ということが詳しく語られた。山岳僻地に自前の診療所をいくつも建設し、今まで医療に見放されていたような人たちでも治療が受けられるよう援助したが、事態はどんどん悪くなっていく。戦乱による難民の増加。アメリカの経済制裁による飢餓。そして大干ばつによって農業用水はもとより飲料水の確保もおぼつかなくなってしまう。汚水を飲んだたくさんの子供たちが下痢で命を落とす。これは医療以前の問題だとして中村さんは安全な水を確保するために村々に井戸を掘ることを決意した。このあたりの事情は著書「医者井戸を掘る」に詳しい。アフガニスタンで井戸を掘る活動をしている外国のボランティア団体はほかにもたくさんある。けれども中村さんたちのやりかたは他の団体とは少し違う。大型掘削機械を使うのではなく、ほとんどが人力による手堀りで、中の壁も石を積み上げて作る。これは以前から現地でおこなわれていた井戸掘りのやり方で、工事も村の人たちを雇って行う。そして、水が出るようになってからは、村に管理を任せ、道具一式も置いていく。譲渡式というものがあるのだ。地下水位が下がっているので井戸は枯れる。枯れたらまた掘る。村人自身がメンテナンスをし、何度でも深く掘っていく。欧米の援助で作られた井戸の多くが使い物にならなくなっている中、ペシャワール会の井戸は追加掘りを何度も繰り返し、今も使われているそうだ。
 
 現地の人の協力を得て、昔ながらのやり方で、というのは用水路建設でも行われている方法だ。用水路壁は蛇籠というワイヤーを編んだ網のようなものに工事で出た石を詰めて固める。蛇籠もワイヤーを買ってきて自前で作るのだ。このような工法は中村さんが独学で学んだもので、おもに日本の江戸時代の治水技術が参考になったという。この報告に比較があるが、コンクリートで護岸を固めると現地の人には修復できない。ペシャワール会の水路は柳の根が強固に守っており、崩れても修復が簡単だ。この用水路によって1万ヘクタール以上の農地が灌漑され、干ばつによって難民化していた何万人もの農民が帰還することができた。

 タリバーン政権崩壊後、政府は国際社会からの援助を受けて、難民帰還事業なるものを推進したが、その時に帰還した難民の多くが、乾いた田畑を見て耕作をあきらめ、またパキスタンや首都カブールに舞い戻ったという。この時に使われた莫大な海外援助金はいったいどうなったのか。海外のNGOやボランティア団体の多くは現場を見ないために、非効率的で、現地事情を無視した一方的な援助をおこなっており、さらに法外なお金が中間業者に抜き取られて必要なところまで届かないという構図もあるそうだ。莫大なお金に引き寄せられて、甘い汁を吸っている人たちがたくさんいるのだ。しみじみ海外援助事業の難しさを感じる。中村さんたちの活動のすごいところはアフガニスタンの人たちの中に入って、寝食を共にし、現状に即したやりかたで援助を進めるところだ。このあたりの状況は「丸腰のボランティア」に書かれたペシャワール会日本人ワーカーたちの報告書に詳しいが、飢餓難民が大量に出ている中、国連職員やNPO団体は毎夜パーティーをしていて、それをアフガン人がどう思うか考えないのだろうか?とか、こちらがシャベルカーひとつ買えなくて難渋しているのに、隣の事務所ではプールやテニスコートを作る工事をしているとか、また、せっかく苦労して育て上げた医師や看護婦が技術を身につけるとさっさとやめて高給な病院に移ってしまうとか。
 「論座」3月号、4月号に掲載された論文「グローバルな公衆衛生の課題 ~
潤沢な援助がつくりだす新たな問題」(ローリー・ギャレット 米外交問題評議会シニア・フェロ-)にもこういった援助事業のさまざまな問題点が論じられている。ペシャワール会が稀有な成果をあげているのは、相手の価値観を尊重し、部族長や長老会、現地政治家を通してものごとを進めるというやり方と、そして何よりも、アフガニスタンに骨を埋める覚悟で人生を捧げる中村医師の情熱に賛同する現地ワーカーやボランティアが大勢活動を支えているということによると思う。やはりどんな事業も、人ありきなのだなあとあらためて考えさせられた。

 「ウェークアップぷらす」でも中村さんはおっしゃっていたが、石油を米軍に供給しているということだけでもかなり不信感を与えている、日本がもし自衛隊を派遣することになったら、たとえ国際治安支援部隊(ISAF)であったとしても反感は免れないだろうということだ。アフガン人にとっては国連も米軍も同じ穴のムジナなのだ。日本は平和憲法を堅持しているということによって信頼されてきたのだから、国連軍に参加すればいっぺんに信用をなくしてしまう。「テロとの戦い」で多くの一般人が爆撃を受けてなくなった。テロリストでなくても家族を殺されて報復を誓う人たちが大勢いるという。今まで国連や欧米のボランティア団体の事務所は襲撃されてもペシャワール会は襲われたことはなかったのだが、テロ特措法の動向によっては活動ができなくなるのではないかと、会の人たちははらはらしながら見守っている。
 しかし、番組の他の出演者たちは「一般人のボランティアと国のやり方とは違っていて当然だ。そこは分けて考えなくてはいけない。日本が国際社会と、どのように付き合っていくのかはこれからの国の命運を分けることであって重要な課題だ。テロ特措法は今のところ最善」という意見であった。

 私はおおむね民主党の意見に賛成なのだが、もっとこうなんとかならないのだろうか。中村さんのような人があと100人くらいいたらいいなあと思う。

映画「キングダム・見えざる敵」

2007-10-25 00:56:57 | 映画
 「丸腰のボランティア」について書くための長い前置き。
 
 今日は映画「キングダム・見えざる敵」を観てきた。去年、「ナイロビの蜂」「ブラッドダイヤモンド」そして「ダーウィンの悪夢」と立て続けに社会問題を扱った映画を見て驚いたのだが、そこには今までのアメリカ映画にはほとんど見られなかったような、一段深く掘り下げた視点があった。先進諸国の繁栄が南側の貧しい国々を踏みつけにした上に成り立っていること、もはや我々はそのことに関して知らないと言っては済まされないし、アフリカや中東諸国の社会的混乱は「テロとの戦い」などというアホな善悪二元論では解決できない複雑な事情があるのだということに対する自覚だ。「ダーウィンの悪夢」を見て、ナイルバーチが湖の生態系を破壊していることがわかったから、じゃあその魚を食べるのをやめればいいなどという単純な問題ではない。湖から地元漁師が締め出され、自活の道が断たれたために元々の村落共同体が崩壊し、貧困、麻薬、エイズ、ストリートチルドレンといったさまざまな問題が引き起こされている。そして、ナイルバーチを外国に運ぶ輸送機はまた、この国に武器をも運んでくるのだ。わたしたちは発展途上国から資源を吸い取るかわりに、病気や貧困や紛争を輸出しているのか。
 「キングダム・見えざる敵」でも、FBI捜査官が一応ヒーローのように描かれてはいたが、最後にこれで事件は解決したのではないということが示唆される。テロで親友の捜査官を殺されたとき、泣き崩れる女性捜査官に「奴らを皆殺しにしてやる」と慰めた主人公。そしてテロの首謀者である家長が撃たれて死ぬ直前、孫娘に言い残したのは「仲間が、奴らをみんな殺してくれるだろう」という言葉。自爆テロや銃撃のシーンを見過ぎて「もう、お願いだからやめてくれ」と居たたまれない気持ちになった。9・11テロ以後、死者に対する報復と、その報復。報復合戦が泥沼化していて、もはや暴力では解決できないということはみなわかっているのにこの憎悪の連鎖を止められない。
 映画にはまた、華麗な宮殿とそこで豪奢な生活をしている王子も登場する。「王子は1000人以上もいるんだろう。みんなこんな立派な宮殿に住んでいるのかい?」「もっと豪華な宮殿もあります。」「どこから金が出ているんだ?」「○○○○・○○○○・○○○○」(忘れた。石油関連の合弁会社らしい)
ほんとかな?と思ってさっき検索してみたらありました。サウジアラビアの王室事情。
 
 HP「中東経済を解剖する」
(王家の構図―MENAの王族シリーズ・サウジアラビア篇)
 
 現在の正確な王族の人数は不明であるが2,000人前後であると考えて間違いなく、王位継承権者である男性王子(HRHの称号を有する)も1,000人を超えているものと思われる。
 ガー!!もっと驚くのはその下の肩書き一覧。そうそうたるものです。映画でなぜ唐突に王子が出てくるのかと思っていたが、国家警備隊の司令官など要職はすべて王族が占めていたのだ。石油が欲しいアメリカと結託した王室が富を独占して贅沢三昧。池内恵「アラブ政治の今を読む」を読んでもわかるように、民主主義的な選挙など行われようはずはないから、政権を倒すためにはクーデターしかない。貧困層や少数派が過激な思想に走るのも無理はないなあと私でも思う。が、テロリストに共感してしまってはいけないのだ。何の罪もない子供や女性たちが無残な死に方をし、一般市民が銃撃戦の巻き添えになる。映画でFBIを狙ったロケット弾が向かいの住宅に着弾して阿鼻叫喚の大惨事が引き起こされているときに「おい、マジか!」と思わずつぶやいてしまった。そこはあんたたちの同胞の家だろうが。
 テロリストにとって、破壊行為は社会の不安と混乱を引き起こすためのもので、そのようにして社会システムを寸断し、クーデターを成功させようとしているのであるから、いくら人が死のうと知ったことではないのだ。やはり決して許すことのできない行為だ。
 だが、テロリストをせん滅するためと称して軍隊を派遣し、拠点をしらみつぶしに空爆してもそれでテロがなくなるわけではない。イラクがよい例だ。映画では、テロリストの首領を「みんなからロビンフットのように思われている」と言っていたしFBIを警護するはずの兵士や警備隊員も過激派に大なり小なりシンパシーを感じている様子だった。きっと彼らが死んだあとも影響を受けて続々とテロリストが生まれるに違いない。
 いったい、どうすればいいのか。
 

高野秀行 「ワセダ三畳青春記」

2007-10-23 00:26:27 | 本の感想
 今年の夏、何気なく書店で手に取った文庫本「ワセダ三畳青春記」以来、高野秀行の本にはまっている。これは著者が11年間暮らした古い木造アパートの生活を描いた実話らしいのだが、私は最初これを何か別な小説と勘違いして、フィクションだとばかり思っていた。だって、登場人物がみんな変。主人公はもとよりアパートの住人、友人、後輩、アパートの大家さんに至るまで、変な人ばかりなのだ。しかも主人公「私」は早稲田の学生らしいが、例の悪名高き探検部の所属だ。大真面目にUFO基地の調査をしたり、植物性幻覚物質(サボテンだのチョウセンアサガオだの)を試したり、「河童団」という水泳チームを組織して水泳大会に出たり、学校には行かずに、およそロクでもないことばかりしている。その合間に「テレビのクイズ番組のネタ探しで」アフリカに行ったり、コンゴで怪獣探しの旅をしたり、その体験を本に書いたり、いくらなんでも現実離れしている。なんせ最初に書いたその本の題名が「幻獣ムベンベを追え」ですよ。てっきりギャグだとばかり思っていた。
 
 それがギャグではなく実話だと気づいたのは、本を床に落とした時だった。落とした本を拾い上げるときにカバーの折り返しにある「集英社文庫 高野秀行 作品」に「幻獣ムベンベを追え」とちゃんと書いてあったのだ。えっ!ほんと?これ全部ホントの話?私は何度も本をめくったりひっくり返したりした。じゃあ、大学6年だか7年だかで卒業が危うかったのに、たまたま巡り合ったコンゴの小説家の本をを翻訳したことが卒業論文として認められたために卒業できたとか、ビルマの奥地でケシ栽培をしてアヘン中毒になったとか、その体験記「アヘン王国潜入記」が英訳されてTIME誌からインタビューされたとかってのもホント?うっわー、この人おもしろい。こういう人は大学を卒業するなんて小さいことに拘らず、ぜひ世界を飛び回っていただきたい。
 ということで、次に読んだのは「アヘン王国潜入記」。それから「西南シルクロードは密林に消える 」。どちらも抱腹絶倒で、本人が大真面目に淡々と事実を書いているのがよけいおかしかったりするのだが、実際には命がけのルポルタージュ だ。私だったら2,3回死んでいますね。
 
 と、笑いながら読んでいたら、ミャンマー(ビルマ)で、デモを取材中のジャーナリスト、長井健司さんが銃撃されて亡くなったという事件が起きて笑いごとではなくなった。なんて危ないところだろう。高野氏の本にはミャンマーの歴史や実情が裏の方まで書いてあって非常にわかりやすい。まさにタイムリーだった。今回の事件がきっかけとなって、国際社会の関心が集まり、ミャンマーの政権が変わればいいなあと思うのだが、道はまだ遠いようだ。

 著者について検索をしていたら公式ブログがあった。
 高野秀行オフィシャルサイ
 スケジュールを見ると、2007年は、「1月15日 インド行きを祈願し自転車で神頼みの旅に出る。」と書いてあるきりなので、ちゃんと無事お帰りになったのだろうかと一瞬不安に思ったけど、オフィシャルブログも稼働していて大丈夫そう。

 「ワセダ三畳青春記」で私がもっとも「おもしろい」と思ったのは最後の章「遅すぎた『初恋』」。33歳にしてはじめての恋人が出来、アパートに泊まったその人を、朝、地下鉄の駅まで送って行く。見送るときのせつなさに耐えられなくて、つい切符を買ってついて行き、途中の駅、彼女のアパートまでと見送る距離がだんだん延びていく。つまり、彼女と一時も離れているということがつらくて耐えられないのである。ついに彼女と一緒に住むことになり、あの住み心地のよいアパートを離れることになる。ああ、普通だ。なんて普通なんだろう。ここらへんの心情は私のうん十年前の体験を思い出しても実によく理解できる。この常人離れした経歴の著者が、恋をしたとき、はじめて私に理解のできる「普通の人」に見えたのだった。

異文化コミュニケーション

2007-10-21 12:31:06 | 日記
 「煉瓦を積む」で、コミュニケーションのあり方について考えされられるところがあって、思い出したことがあった。これまた少し古い話になるが、2,3年前のお盆に親戚が集まった際、夫の伯母にあたる人が、「今年の夏はほんとに大変だった。」と愚痴をこぼしていたことがあった。なんでも、ライオンズクラブの縁で海外から高校生のホームステイを受け入れることになったのだそうだ。
 
 伯母の家に来たのは台湾の女子高校生で、言葉は通じないが、漢字の筆談と片言の英語でなんとか意思の疎通はできる。伯母がお習字の練習をしていると、「私も」と筆を持ち、独特の流麗な書体で漢文を書くので驚いたが、なんでも5歳から書道をやっているとか。ただし困ったのは食事で、せっかく日本に来たのだからと毎夜のようにすきやき、しゃぶしゃぶ、海鮮生き造りと料理屋へ連れて行くのだが、どれも口に合わないようでほとんど食べない。こう食欲がなくては体が持たないのではないかと心配し、家でいろいろ作ってみるが、家庭料理も口に合わない。では、あなた作ってごらん、とご飯を作ってもらうと、持参してきたなんだか独特の香辛料をふんだんに使ってあって、今度はこちらの家族が食べれない。どうしたものかと頭を痛めたが、本人はいたってマイペースで、持参の「ふりかけ」をごはんに山盛りかけて、おかずにはあまり手を付けずに「おいしいおいしい」と機嫌よく食べる。
 「おいしいからおばあちゃんも食べて。」とたくさんくれたその「ふりかけ」は大袋に幾つも持参してきて、お土産にもしてくれたのだけど、やっぱり味が濃くて自分にはそんなには食べれない。「でんぶ」に似た味なのでタラのような魚が原料ではないかと思うがなにせ八角っぽい香辛料と甘辛い味付けの濃さが日本人向きではない。家族が持て余したので、それではと飼い犬「あふちゃん」のご飯にふりかけてやっていたら、犬も賢いから余りものの処理に使われていると感づいて不機嫌になり、ご飯ごとひっくり返すようになってしまって・・・。
 そこで、高校生になる伯母の孫が口を挟んだ。
 「犬?今犬の話をした?あれが賢いって、冗談じゃないよ。あれはすごいバカ!名前呼んでも来ないもん。お手だってお座りだってしない。名前を呼んでも知らん顔している犬っている?あれはぜってー犬じゃない。ひつじの血が混じってるんじゃない?顔の黒いやつ。」
 伯母は眉を顰め、「まあまあ、ひつじだなんてあんた、高校でちゃんと理科の勉強したのかって笑われますよ。あふちゃんはね、バカだから振り向かないんじゃありませんよ。ちゃんとわかっていてわざと振り向かないんです。その証拠に、あとでチラッとこっちを見て、ニッと笑いますからね。きっと賢いんです。」と弁護する。
 「あー、根性わるー!なにそれ?絶対あいつは犬じゃないぜ!」と孫は激昂する。あふちゃんはアフガン犬だ。アフガン犬はどうも難しい犬らしい。
 「ともかく、そんなこんなで持て余しちゃったからそのふりかけをあげようと思ってここに持ってきたの。」と伯母さんは大量のおみやげの中からごそごそとその袋を取り出した。昭和1桁生まれは「もったいない精神」が骨身にしみているのである。ほんとに業務用並の大袋でラベルには「風味絶佳 栄養満点」みたいな漢字の宣伝文句がずらずらと書き連ねてある。いかにも栄養満点そうなのでありがたくもらっておいた。
 
 「で、食事も困ったけどももっと困ったのはね、」と伯母さんの話はつづく。
 商売をやっているから日中は家族が出払って、その子と伯母さんの二人だけが取り残される。ライオンズクラブのイベントがある日にはいいけど、その他の日には時間のつぶしようがなくってね。片言の日本語と筆談じゃあ会話にも限りがあって、仕方なく、カルチャーセンターで教わっているちぎり絵だの木目込み人形だのをいっしょにやってみるんだけど、これがまあ不器用で、習字はあんなにうまいのになんで折り紙ひとつできないんだろう。幼稚園で折り紙やらないの?って聞くと、やったことも見たこともないって。そうそう、それでね、ちょうど8月6日に広島の平和記念式典をテレビでやっていて、それを見てたら「おばあちゃん、あれはなに?」って聞くの。千羽鶴をよ。「えっ、千羽鶴知らないの?8月6日の原爆記念日は?」「知らない」「学校で習わないの?」「うーん、見たことない」広島、長崎って世界的に有名だと思っていたんだけど、知らないのかねえ。
 「原爆投下については日本と外国とでは解釈が違うんですよ。特に日本の植民地だったアジアの国々では、原爆投下は日本の敗戦につながったということで、植民地支配から解放されるために必要であったのだという理解がされているようなんです。」と私が言うと、伯母は首をかしげて、「なんでだろうねえ、私にはよくわからないけども、学校で教えた方がいいと思うよ。」と頷く。よく伝わっていなかったようだ。「台湾はどうだか知りませんが、8月15日の終戦の日は日本からの植民地解放記念日としてお祝いをするところもあるようです。」「え、そう?まあまあ、そんなわけで私はあの子に折鶴の折り方を教えてやりましたよ。時間がかかったけど。」

 うーん、これは異文化コミュニケーションというのだろうか。結局、異文化理解は難しいということなのだ。で、当人たちはきっと誤解したままでコミュニケーションをしたと思いこんでいるだけなのだろうなあ。と考えながら思い出したのはうちの義母の家で広島平和式典のもようをニュースで見ていたときのことだ。義母が、「こんな式典は、日本じゃなくって原爆を落としたアメリカですればいいのに。『過ちは繰り返しません』って、その過ちを犯した国に言ってほしいもんだ。」と言う。たまたまその席にいた義母の叔父さんが「アメリカで原爆写真展をするのだって大変なのに、アメリカ人がそんなことをするはずがないだろう。」と答えると、義母はにっこり笑って「まあ、日本は南北に長いから、どこかに原爆が落ちても被害は一部ですむけども、アメリカは平べったいからね、みんな被災してしまうだろうよ。」と自信満々で言う。「おまえ、そりゃー、違うよ、面積が・・・」と言いかけた叔父さんも、この誤解をどう説明していいか、言葉に詰まってしまい、私も、何をどう言えばいいのやら、ともかく、戦後の義務教育はなんのかんの言いながらも質が高いんだなあということを、戦時中に勤労奉仕ばかりさせられていたのでまるで勉強していないという義母のこの誤解から実感したのであった。

 異文化コミュニケーションどころか、家族とコミュニケーションするのだって難しいのだ。飼い犬の気持ちもわかりはしない。人になにかを伝えるというのは、ほんとに難しいことだ。

堀江敏幸「雪沼とその周辺」

2007-10-19 22:56:01 | 本の感想
 昨日のつづきで今年1月某日。
 アマゾンから届いた「雪沼とその周辺」。さっそく読んでみると、これは雪沼という架空の土地周辺に住む人たちが主人公の短編集らしかった。各短編は独立しているが、ちらりと他の短編の登場人物が触れられたりしていて、なんとはなしに繋がりを感じさせる。最初に読んだのはもちろん「送り火」であった。
 やはり絹代さんは陽平さんと結婚していた。ずいぶんと年が離れているけども、似合いの夫婦に思える。そして一人息子の誕生。と思ったらこの子は事故でなくなってしまっている。「送り火」とはそういうことだったのか。なぜ、こんな世渡りが下手で無欲でやさしい二人が、ごくささやかな幸せを大切に生きているだけなのに、こんなに悲しい思いをしなくてはならないのか。取り返しのつかないことへの悲しみをしみじみと感じる。陽平さんは、もう老境といってもよい年だ。二人は十三回忌の法事の夜にたくさんのランプを庭に吊るす。
 
 これは「あたり」です。この本は「あたり」でした。ベストセラーだろうが文学賞の受賞作だろうが、近頃はロクでもない本が多い中、「あたり」を探すのは一苦労で、年に3~4冊しかない。ほとんどは「まあまあ」「多少難あり」で、時たま「買って損した!金返せ」モノがあって、そういうのに当たった時には1週間くらいムカムカして、罵倒したくて別な意味でエネルギーがわいてくる。そんな中、堀江敏幸の小説は希少な「あたり」モンであったのでたいへん気分よく読めた。

 「雪沼とその周辺」の中で私がもっとも気に入った短編は「レンガを積む」であった。
 東京の大手レコード店で店長をやっていた蓮根さんは、母親の病気と仕事の行き詰まりから故郷にもどることにして、商店街のなかほどにあるレコード店を居抜きで買い取る。そこは三軒つづきの二階建て長屋の真ん中で履物店とお茶屋に挟まれている。うわっ、それって、うちの近所の寂れた商店街にありそう。このレトロな情緒たっぷりのレコード店で、開店準備のために家具調ステレオの置き場所をあれこれ考えているところだ。レンガは、スピーカーの音質をよくするために下に積むのだ。私はそういうのに疎いのだけど、スピーカーは置き方によって随分音が違うらしい。
 この蓮根さんには一つの特技があって、お客の様子を見ただけでだいたいその人にぴったりのレコードを推測できる。その人の印象、天候や体調や気分に合いそうなその曲をさりげなく店内でかけるとお客の耳がぴくりと反応する。そんなわけで、東京のレコード店でアルバイトをしていたときから蓮根さんの売上は群を抜いていた。店長に抜擢されたのもそのおかげであるけども、やがてコンパクト・ディスクが流通するようになってから、お客の好みが読めなくなり、またあたらしい音楽の傾向にもついて行けなくなる。東京から田舎の商店街に引っ越すことにしたのはそのせいだ。
 ああ、ここにも時代の変化についていけなくて、というよりも古きよきものを弊履のごとく捨て去ることが厭で、愛着を持ち、大切にしようとしている人がいる。この小説は全編そのような人たちの話だ。
 ところで、蓮根さんがスピーカーの設置をやっと終えた店の前に、履物店の安西さんがのぞきに来る。
 
 不世出とうたわれたあの演歌の歌い手が大好きな安西さんは、なにかと言えばそれをかけてくれと言い、あとは浪曲一筋で通している。そうだ、こういうときこそ、ちがう種類の音楽に引き寄せてやりたい。自分の趣味とはかけ離れているのに、おや、と感じるような曲だ。なにがいいだろう?ふたたびちゅんちゅんと台から台へ飛び移る雀となった蓮根さんは、しばらく考えた末に、かかっていたシューマンの交響曲を止め、店の奥のレコード棚からフィッシャー=ディースカウの歌う「美しき水車小屋の娘」を取り出し、家具調ステレオのターンテーブルに載せて、重いノブ式のスイッチを三十三回転の目盛りのほうへがちゃりとひねった。トーンアームがあがり、レコードの縁にむかって移動すると、リード部分の沈黙の帯にゆっくり針が降りていく。伴奏の抜けがいい。案じていた低域もしゃきっとして、明るいバリトンが響く。十数秒後、そろそろかと視線を移すと、安西さんが口をすぼめた思案顔のまま、でもひどく心を打たれた乙女のように頬を赤らめて、レジの横に立てかけたジャケットのほうにちらりと目をやるのが見えた。

 いやー、ぞくぞくしますね。演歌と浪曲しか聞かない中年男に「美しき水車小屋の娘」ですよ旦那。なんでわかるんでしょう。私も自分にぴったりの音楽を選んでもらいたい。ひどく心を打たれた乙女のような気持を味わいたい。こんなレコード店があったら週1で通いますとも、ええ。これってすごい才能じゃありませんか。それに、言葉を介さなくっても、むしろ言葉を介するよりもはるかに強力に、感動を伝えることのできるこんなコミュニケーションの仕方ってあるんですねえ。もう、うれしくなってしまった。

堀江敏幸「熊の敷石」

2007-10-18 11:33:53 | 本の感想
 今年の一月のこと、大学入試センター試験を受けてきた娘が、帰るなり勢い込んで、
「ねえ、お母さん、堀江敏幸という人の『送り火』って小説知ってる?」と言った。
 国語でその一節が出題され、続きを読みたいと思ったらしいのだ。不勉強な娘を心配してずっと気をもんでいた私に、そのような思いがけない質問を投げかけてきたことについ苛々してしまって、「ちょっと、問題文に読みふけるんじゃないの!時間なくなっちゃうでしょ。なんであんたはいつもどうでもいいようなことを気にするの?」と叱ってしまったが、考えてみれば娘はすでに推薦入試で合格をもらっていて、センター試験の結果をどうこう気にする必要はない。
 
 それにしたって、これが受験生の生活かと情けなくなるほど、その後のほほんと構えている態度を見ると心穏やかではいられず、説教のひとつでもしてやりたいと思っていたとこだった。
 「だって、しっとりしていい小説なんだって。読んでみてよ。」となおも言いつのるのを聞いて、私は今度は少し意外な気がした。娘は、普段小説など読まない子だ。本棚には漫画がぎっしりだが、活字の本は本当に少ない。そういう子が大学入試に出題されるような小説を「もっと読みたい」と言うのだ。考えられない。
 『送り火』の出題部分はこれ
読んで納得した。なるほど、絹代さんと陽平さんの今後が気になるではないか。そして、「送り火」という少々不吉なタイトルはなんだろうか。私もこのつづきが知りたくなってきた。
 なぜだろう、絹代さんはそのときはじめて、陽平さんのこれまでの人生を、あれこれ聞いてみたいとつよく思った。ほとんど毎日顔を合わせて食事をしているこの不思議な男の人の過去と未来を知りたい気持ちがどんどんふくらんで、それを押しとどめることができなくなっていった。

 ふーん、これは恋ですね。「あの人のことがもっと知りたい」というのは恋のはじまりです。こんなところで切られたのでは、つづきを知りたくなるのも当然です。そのように見破ったつもりでにんまりとほくそ笑み、そして、次の日私は図書館にこの本を探しに行ったのだった。
 実をいうと私も偉そうなことは言えず、堀江敏幸という作家名は、おぼろげにしか覚えていない。確か芥川賞を受賞した人でその本を読んだか読んでないか。日経新聞にエッセイが載ってたっけなあというくらいのものだ。『送り火』は「雪沼とその周辺」所収の短編だが、あいにくと近所の図書館には入っていなかった。失望しつつ、かわりに芥川賞の「熊の敷石」を借りて帰り、探している本はアマゾンで注文することにした。
  
 「雪沼」が届く間のつなぎのつもりで「熊の敷石」を読み始めたところ、この本を確かに前借りたことがあるということは思い出したのだが、実はきちんと読んではいなかったのだということもわかった。なぜなら、肝心かなめのこの本のタイトル「熊の敷石」の意味を、全くわかっていなかったからだ。図書館で借りた本が期限内に読みきれなくてさっとあらすじに目を通すだけっていうことが私にはよくあるが堀江敏幸の本はそのような読み方をするべきではない。そのことが今回再読してわかった。
 「熊の敷石」とは、ラ・フォンテーヌのたとえ話に出てくる言葉だ。こちらのブログに詳しい。
  石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」
 GHOST CRITIC

 老人と同居している熊は、老人が昼寝しているあいだ、わずらわしい蠅を追い払うのを日課にしていたが、ある日老人の鼻先に止まった一匹の蠅を追い払うために敷石を一つ掴んで投げつける。
 
 かくして、推論は苦手でもすぐれた投げ手である熊は、
 老人をその場で即死させたのだ。
 無知な友人ほど危険なものはない。
 賢い敵のほうが、ずっとましである。


 この寓話から、いらぬお節介という意味で「熊の敷石」という表現が残っているらしいのだが、主人公はそこで自省する。「もしかするとヤンにとってこの私は、ラ・フォンテーヌの熊みたいなものだったのではないか。話す必要のないことを『なんとなく』相手に話させて、傷をあれこれさらけ出させるような輩は、素知らぬ顔の冷淡な他人よりも危険な存在なのではないだろうか。」と。それを読んだとき、私の脳裏には、自分のしてきたあれやこれや数々のいらぬお節介が思い浮かび冷汗が出る思いがした。言う必要のないことを、最悪のタイミングでおもわず口走ってしまうのは私の十八番である。どれだけ多くの敷石を他人に投げつけてきたことだろう。しかしまた、私自身もとびきりでかい敷石にあてられた経験がないでもない。忸怩たる思いでいろいろと考え込んでいるうちにまた思い至った。かつて日本は「列強の植民地支配を排するため」と「熊の敷石」のごとき石礫を近隣の国々に投げつけ、多大な被害を与えたではないか。そして、今「熊」の例えにもっともふさわしい国はどこか。「テロとの戦い」と称して一般市民の頭上にミサイルの雨を降らせているアメリカではないか。そのようなことを、アマゾンから新しい本が届くまでの数日間、つらつらと考えていた。

 2007年の読書はこの本から始まった。今にして思えば象徴的なことであったような気がする。