9月6日の朝日新聞文化面「観流」に、石原慎太郎都知事と宮台真司・首都大学東京教授の対談「『守るべき日本』とは何か」(「Voice」(PHP研究所)9月号)の評が載っていたのを読んで少し興味をおぼえた。また古い話ですが。
さらに、宮台氏は、「ポピュリズムと揶揄されるものとは別次元の『感染力』」が石原都知事にはあり、都知事選では「人の『凄さ』の違いが際立つのを実感した」と、ヨイショしていて、対談は和やかに終わったのが物足りないとか、「実際、後進の社会学者やファンの間では、ここ数年の宮台氏の変化が『転向』と語られてきた。」とか、要するに、「右傾化してきた宮台氏と、角がとれて好々爺になりかけた石原氏の慣れ合い対談だ。」と言いたいようだ。
しかし、都知事選における「人の『凄さ』」みたいなものは私も感じたので、さっそく普段は読まない「Voice」を買って読んでみた。
ははあ、私は昨年から宮台真司の本を集中的に読んでいるので、わりと理解できるんだけど「ニートは穀潰し」と非難するのはただの「表出」だ。気分はスッキリするだろうが、それで問題が解決するわけではない。社会が変化し、それによって新たな問題が起きているのならそれを防ぐ効果的な対策を考え、さらに、問題が最小限に抑えられるような新たなシステムを作るのが政治家の役目だ。
以後、「郊外化によって地域や家族が空洞化し、それによって社会を生きる力を失った『脱社会的』存在にどうやって規範や価値観を伝達するか」という宮台氏主導の会話が続く。
いいんじゃないですか。「最近の若者は道徳意識が欠落している」と嘆いて、道徳教育の強化とか風紀の取り締まりとか犯罪の厳罰化とか、いかにも右派政治家が言いそうな対策の一切合財は効果がないと宮台氏は主張している。私は安倍元首相の教育政策にがっくりきたよ。あの教育再生会議ってなに?少なくとも、石原氏は社会学者の分析と提言を聞こうとしているのだ。安倍さんよりはまし。というか老獪な人ですね。
いくら道徳的な説教をしても、そもそも伝達のベースになる「台」、コミュニケーションが可能になる共通のプラットフォームがないので伝わらない。社会を成立させている基礎の部分が、日本は壊れてしまっているのだ。基礎とは、「世間」を支えている「地域性」で、これこそが日本の守らなくてはならないヘリテージ(相続財産)だ。と宮台氏は言う。うん、著書の中に繰り返し書かれているし、小林よしのり氏なんかとも、この部分では意見が一致しているようだ。「地域性」を失った日本人は、共通の価値観を持たないため砂粒のようにバラバラで、不安からアノミーに陥る。そして見かけの頼りがいに騙されて、自分に不利になるような政策を唱えるカリスマ政治家を支持したり、目先のターゲットに見当違いのバッシングをしたりする。
うん、斬新ですね。さらに、社会変化を引き起こしている原因である「グローバル化」についても論じられている。
ここ、テストに出るとこですよ。
あー、長々と引用してしまった。これらのことは「M2」シリーズなどの著書に詳しく書いてあることだけれども、この対談ではその持論がたいへんわかりやすく述べられている。どこが悪い?
ところで、「都知事選に見られた石原氏の『凄さ』」に関して私が憶えているのは、あのテレビの公開討論会だ。石原、浅野、黒川三氏が一挙に生出演し、政策の違いをアピールしたあの番組で、「こりゃ、石原氏の勝利だな。」と確信した。多分あの番組の影響がものすごくあると思う。どこら辺でかというと、「子供をターゲットにしたような犯罪の増加、凶悪化に対してどのような対策を取られますか?」という質問に対し、黒川氏が「私は建築家だから、都市計画の観点から犯罪を防止する街づくりをめざします。」と答えてた時だ。一言でいえばそうおっしゃったのだが、話が回りくどくて長すぎた。延々とつづくのだ。あれじゃだめだ。「この人は偉い人なのかもしれないけど、こんな人を上司に持ったらたいへんなことになるね。」と私は家族に言った。きっと的外れの指示を次々と出されて業務が停滞し、悲惨な結果になるだろう。それに比べて石原氏の歯切れのよさと、話のわかりやすさは対照的であった。そして、翌日の朝日新聞の天声人語だか社説だかに書かれた「満面の笑み」を見たが、あれ、人間が丸くなったとみんな思った?違いますよ。石原氏は私の父親に顔がよく似ている(まあ、性格もだけど)。だからあの笑いはね、「ふふふ、変なこと言ってるよ。こりゃ、勝ったな。」という人の悪い笑いですよ。狸。じゃあ浅野氏は、というと実は、何をおっしゃったのか全然記憶していない。ただ、家族とその番組を見ながら、「うーん、おかあさんはね、家電製品でも何でもまだ使えるものを捨てるのは嫌いだから、都知事もね、新しい人がきて全く新しい体制を作って今までと違ったことをやるってのはコストがかかって大変だと思うな。浅野さんはね、それだけコストをかけて割に合う人のように思えない。やっぱ、古い人をメンテナンスしながらとことん使い倒したほうがリーズナブルなような気がするな。」と言ったことを憶えている。「都知事と電気製品をいっしょにすな!」と言われたのはもちろんであったが。
さらに、「東京オリンピックの開催」について「中止」を主張する両氏に対し、「必要だ」と述べた石原氏が最後に「夢を見ましょう」と言ったとき。私は「このセリフなんだったっけな?」と考えた。あ、そうかドラマの「華麗なる一族」で万俵鉄平が言ってたセリフじゃないか?ドラマは見ていないが憶えているのは、「論座」4月号「宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評『中吊り倶楽部』」
というセリフ。宮崎さんはここで他にも「無党派層を動員できるかどうかといことが勝敗のカギ」で「選挙が共同体動員型からメディア型になってしまった以上、それを前提にメディアを利用しながら戦うしかない。」と言っている。石原氏が「論座」を読んだかどうか知らないが、「夢を見ましょう」なんていうアピールは有効だろうなあとその時思ったものだ。
しかし、「Vice」の対談では、
とおっしゃっていたので、「おい、賞味期限切れかけてるんじゃないか?」とちょっと思った。
石原・宮台対談 影を潜めた破壊者ぶり
ニートは「ただの穀潰しだと思うね」。冒頭、おなじみの“石原節”は健在で対談は始まる。だが、若者の脱社会化から、その要因としての家族や地域共同体の解体、 そしてグローバル化と日本文化の問題へと展開してゆく議論の大半を仕切るのは宮台氏のほう。石原氏は聞き役に回り、素直に説得されている様子ばかりが印象的だ。
対談は石原氏の希望で実現したというから、拝聴の姿勢は当然かもしれない。しかし、「特攻の母」を描いた石原氏脚本の映画を含め、年長世代が懐かしむ伝統的な人間関係の復活など今の日本にはありえないと喝破されても反論するわけでもなく、「難しいでしょうな」などと、半ば同調している。先の都知事選、これまでにない柔和な笑顔を振りまいた石原氏の「老い」が指摘されたことを、妙に思い起こさせる、一幕だった。
さらに、宮台氏は、「ポピュリズムと揶揄されるものとは別次元の『感染力』」が石原都知事にはあり、都知事選では「人の『凄さ』の違いが際立つのを実感した」と、ヨイショしていて、対談は和やかに終わったのが物足りないとか、「実際、後進の社会学者やファンの間では、ここ数年の宮台氏の変化が『転向』と語られてきた。」とか、要するに、「右傾化してきた宮台氏と、角がとれて好々爺になりかけた石原氏の慣れ合い対談だ。」と言いたいようだ。
しかし、都知事選における「人の『凄さ』」みたいなものは私も感じたので、さっそく普段は読まない「Voice」を買って読んでみた。
「守るべき日本とは何か」 文化が個性を失った国は大転換期に生き残れない
宮台 かねて石原知事は、「次世代を担う子供たちに人間にとって根源的な価値をどう伝達するか」という問題意識をおもちです。私は東京都青少年問題協議会の委員を務めていて、その問題意識をどう政策化するかを検討しています。今期のテーマはニート、フリーター、ひきこもりです。
ははあ、私は昨年から宮台真司の本を集中的に読んでいるので、わりと理解できるんだけど「ニートは穀潰し」と非難するのはただの「表出」だ。気分はスッキリするだろうが、それで問題が解決するわけではない。社会が変化し、それによって新たな問題が起きているのならそれを防ぐ効果的な対策を考え、さらに、問題が最小限に抑えられるような新たなシステムを作るのが政治家の役目だ。
宮台 彼らが「反社会的」であれば「穀潰し」の批判が有効ですが、「脱社会的」なのです。問われるべきは若い世代から大規模に社会性が脱落した理由です。
石原 ニートのその内面的な虚脱は、何ゆえにもたらされたのですか。
宮台 背景に家族や地域の自立的相互扶助の解体という社会要因があるからです。行政措置はそれに対してなされるべきです。
石原 ニートの悪いところはそういう依存性、甘ったれた考え方だよね。それは何が醸し出したんですか。
宮台 郊外化です。(以下略)
以後、「郊外化によって地域や家族が空洞化し、それによって社会を生きる力を失った『脱社会的』存在にどうやって規範や価値観を伝達するか」という宮台氏主導の会話が続く。
いいんじゃないですか。「最近の若者は道徳意識が欠落している」と嘆いて、道徳教育の強化とか風紀の取り締まりとか犯罪の厳罰化とか、いかにも右派政治家が言いそうな対策の一切合財は効果がないと宮台氏は主張している。私は安倍元首相の教育政策にがっくりきたよ。あの教育再生会議ってなに?少なくとも、石原氏は社会学者の分析と提言を聞こうとしているのだ。安倍さんよりはまし。というか老獪な人ですね。
いくら道徳的な説教をしても、そもそも伝達のベースになる「台」、コミュニケーションが可能になる共通のプラットフォームがないので伝わらない。社会を成立させている基礎の部分が、日本は壊れてしまっているのだ。基礎とは、「世間」を支えている「地域性」で、これこそが日本の守らなくてはならないヘリテージ(相続財産)だ。と宮台氏は言う。うん、著書の中に繰り返し書かれているし、小林よしのり氏なんかとも、この部分では意見が一致しているようだ。「地域性」を失った日本人は、共通の価値観を持たないため砂粒のようにバラバラで、不安からアノミーに陥る。そして見かけの頼りがいに騙されて、自分に不利になるような政策を唱えるカリスマ政治家を支持したり、目先のターゲットに見当違いのバッシングをしたりする。
宮台 社会学的処方箋は、手持ちのリソースから、かつての家族や地域と等価な機能を果たす台をどう構成するか。見かけより機能が大切です。
家族ならば、感情的安全の保証と子供の一次的社会化を提供する機能。機能を満たせば見掛けはどうあれ行政は家族と見なすべきです。「典型家族から変形家族へ」といいます。
うん、斬新ですね。さらに、社会変化を引き起こしている原因である「グローバル化」についても論じられている。
宮台 グローバル化で外国人労働者が来て若者や下層労働者と職を奪い合い、暴動が起きたりネオナチ化する事態。今や古風です。グローバル化が進めば外国人を受け入れるまでもなく、中国やインドなど労賃と土地が安い国にアウトソーシングする結果、単純労働への国内需要が減り、失業や非正規雇用化が進むからです。非正規雇用に文句をいえば「国内に工場を置くだけでありがたく思え」という経団連的な物言いが返ってくる。実際、外需で生き残る企業には死活問題です。でもその結果、労働分配率が下がり、内需が萎み、内需で回る国内産業も萎んで、木密地域のごとき地域性も消えます。
こうした構造への理解が欧州主義のコアです。鎖国的な反グローバル化には外貨獲得を不可能にするから無理です。でも、無防備にグローバル化に棹させば中小企業の大半が消え、地域性を支える内需産毟られます。したがって、1、グローバル化で外貨を稼ぐ企業、2、M&Aや合理化を進めて頑張れば外貨を稼げる企業、3、地域性を支えるべき内需産業を区分し、構成を最適化すべきという発想になります。
ここ、テストに出るとこですよ。
宮台 チャイナクラッシュ論は昔からあるけど長らくクラッシュしません。市場化を制約する強力な行政官僚制が資本注入を強行できることと、グローバル化で先進国のすべてが中国へのアウトソーシング抜きに経済を回せなくなっているからです。一〇〇〇兆円の公債残高と、大半が焦げ付いた四〇〇兆円の財政投融資残高がある日本もクラッシュしませんね。日本同様の不良債権処理を中国もやるでしょうが、外貨導入を徹底することになる。グローバル化の肯定面です。
政治学の先端ではグローバル化伴う国家権力の変質が話題です。軍需が最重要の公共事業なのは今後も変わりません。日本はそれが使えないのでハコ物に頼っただけ。でも軍事で借金チャラにしたり、資源をタダ同然で掠奪する国家は時代遅れです。それを示したのが「9・11」以降のブッシュの失敗。十五年前からアメリカがやってきたように、アメリカンルールを国外にも拡げてドルを還流させることが合理的で、それを平和的に推し進める武装した主体が国家という理解が常識化しています。ヒラリー・クリントンの“フィールグッド・プログラム”が明示的に提唱することです。
あー、長々と引用してしまった。これらのことは「M2」シリーズなどの著書に詳しく書いてあることだけれども、この対談ではその持論がたいへんわかりやすく述べられている。どこが悪い?
ところで、「都知事選に見られた石原氏の『凄さ』」に関して私が憶えているのは、あのテレビの公開討論会だ。石原、浅野、黒川三氏が一挙に生出演し、政策の違いをアピールしたあの番組で、「こりゃ、石原氏の勝利だな。」と確信した。多分あの番組の影響がものすごくあると思う。どこら辺でかというと、「子供をターゲットにしたような犯罪の増加、凶悪化に対してどのような対策を取られますか?」という質問に対し、黒川氏が「私は建築家だから、都市計画の観点から犯罪を防止する街づくりをめざします。」と答えてた時だ。一言でいえばそうおっしゃったのだが、話が回りくどくて長すぎた。延々とつづくのだ。あれじゃだめだ。「この人は偉い人なのかもしれないけど、こんな人を上司に持ったらたいへんなことになるね。」と私は家族に言った。きっと的外れの指示を次々と出されて業務が停滞し、悲惨な結果になるだろう。それに比べて石原氏の歯切れのよさと、話のわかりやすさは対照的であった。そして、翌日の朝日新聞の天声人語だか社説だかに書かれた「満面の笑み」を見たが、あれ、人間が丸くなったとみんな思った?違いますよ。石原氏は私の父親に顔がよく似ている(まあ、性格もだけど)。だからあの笑いはね、「ふふふ、変なこと言ってるよ。こりゃ、勝ったな。」という人の悪い笑いですよ。狸。じゃあ浅野氏は、というと実は、何をおっしゃったのか全然記憶していない。ただ、家族とその番組を見ながら、「うーん、おかあさんはね、家電製品でも何でもまだ使えるものを捨てるのは嫌いだから、都知事もね、新しい人がきて全く新しい体制を作って今までと違ったことをやるってのはコストがかかって大変だと思うな。浅野さんはね、それだけコストをかけて割に合う人のように思えない。やっぱ、古い人をメンテナンスしながらとことん使い倒したほうがリーズナブルなような気がするな。」と言ったことを憶えている。「都知事と電気製品をいっしょにすな!」と言われたのはもちろんであったが。
さらに、「東京オリンピックの開催」について「中止」を主張する両氏に対し、「必要だ」と述べた石原氏が最後に「夢を見ましょう」と言ったとき。私は「このセリフなんだったっけな?」と考えた。あ、そうかドラマの「華麗なる一族」で万俵鉄平が言ってたセリフじゃないか?ドラマは見ていないが憶えているのは、「論座」4月号「宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評『中吊り倶楽部』」
宮崎 抗わなくては。私たちには「美しい国」という夢がある。夢を見ることができなければ未来を変えることはできません!
川端 どうしたの?さっき、夢を説く大人にろくなのはいないといってたじゃないか。
宮崎 いいんだよ、万俵鉄平は夢を語っても。さあ、阪神特殊製鉄に新しい高炉を!
というセリフ。宮崎さんはここで他にも「無党派層を動員できるかどうかといことが勝敗のカギ」で「選挙が共同体動員型からメディア型になってしまった以上、それを前提にメディアを利用しながら戦うしかない。」と言っている。石原氏が「論座」を読んだかどうか知らないが、「夢を見ましょう」なんていうアピールは有効だろうなあとその時思ったものだ。
しかし、「Vice」の対談では、
宮台 「セカンドライフ」が話題なのをご存じですか。
石原 いや、知らない。何ですかな、それは。
とおっしゃっていたので、「おい、賞味期限切れかけてるんじゃないか?」とちょっと思った。