読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

「たかじん」で中山さんを見て思ったこと

2008-11-25 22:21:28 | 時事
 先日、「ハンサムスーツ」という映画を観てびっくりした。「えー、谷原章介って、やっぱりハンサムだったのか。」この年になると人の顔は記号みたいなもので、あんまりハンサムかどうかなんて気にしないのだけど、「王様のブランチ」で司会してる人はいつも目がキラキラして髪形も変だし、まるで雑誌のモデルみたいだと思っていたらほんとにモデル出身のタレントだったのだ。若手の局アナにしてはおかしいと思った。

 久しぶりに笑った愉快な映画だったし、あのぽわんとした色彩も好きだ。だけどそれにしてもどーも、違和感がある。冒頭に出てくるハンサムボーイ達の写真が私には全然ハンサムに見えないのはどうしたことか。最近のハンサムはああいうのを言うのか?だいたい私はヨン様だってハンサムには見えないのだ。(草食動物系じゃん。ちょっと噛んだらすぐに血が出て死にそう)最近のジャニーズ系などは特に、育ちも頭も悪いただのガキに見える。それに、塚地武雅が谷原章介に化けたとしても、あの軽薄なしゃべり方、振舞い方ではとてもかっこいい男とは思えない。なのに顔が谷原章介になった途端、わっと女の子が群がって来るという映画のシチュエーションが変だと思った。

 生物多様性という言葉がある。いろいろな種が多様に存在する状況、そして種の内部でも遺伝子がヴァリエーションに富んでいる状況。人もつがい形成においてそれぞれ好みがばらけていて、いろんな容姿才能の子が生まれるという多様な状況の方が種の存続には望ましいと思う。環境が激変したらどうするんだ。女がみんなああいうヘニャっとしたジャニーズ系の男にばかりなびいていたら、子孫はどんどん細くナヨナヨしてきて、顎も尖って咀嚼力が落ちる。生存戦略上よくないと思う。谷原章介が好きな女性も、塚地武雅の方があったかそうで食べでもありそうなのでタイプだって女性もいろいろいた方がいいのだ。

 ということを映画を見ながら考えていて連想したのは、最近のネット右翼のステレオタイプな発言。あったまカチカチじゃないのか?いろいろな物事の背景を全然知らないのにすぐに善悪、ウヨ―サヨとかステレオタイプな見方で決めつける。最近の日本の男というのはいつからこんなにもの知らずで偏見に満ちてそのくせ変な自尊心を持った鼻もちならない奴になったのかとあきれることばかりだ。きっと韓流なんてものが流行るのも遺伝子が呼んでるんだと思う。このままだと進化の袋小路に入り込んでしまうからできるだけ生物多様性を確保しようという無意識が働いてるんじゃないか?

 日本社会自体がすごくカチカチで息苦しい気がする。いろんな文化を持つ人をどんどん入れた方がいい。というより他に選択肢はない。なのに移民を受け入れると犯罪が増えるとか日本のよき文化が失われるとか言って頭から反対する人は、どっか田舎にゲーテッドコミュニティーでも作って住めばいいと思う。そんな地域おもしろくもなんともない。多様性に対応できる思考振る舞いを身につける他に生き延びる道はない。試行錯誤しながらやっていくしかないのだ。できるだけ早く。
社会】「厚生年金」お年寄り1人を現役世代"2.82人"で支えている 10年前は4.76人…厚労省調査
(2ちゃんねるのマモノ板って役に立つよね)

 ところで・・・・
 23日(日)の「たかじん」には「失言三連発」の中山成彬元国交相が出演していた。出演者のいろいろな批判に対して「私は、子供たちのことを思って・・・」と、最後にはそれしか言わないのでガックリした。妻中山恭子さんからのお手紙朗読というちょっとしんみりするシーンもあったけどおかしいよ。なんでそんなの読む必要があるの?恭子さんはよい人らしいけども、あんなとんちんかんな発言をほんとに正しいと思って信じてるのだろうか?いかにも右翼の人が感動しそうなお手紙だけど、夫婦間のことはともかく、政治家が仮に自分の思い込みで間違った方向に先導してくれたのでは国民はたまったもんじゃないのだ。

 うちの子の学校の校長先生が常々強調する学校の教育目標のひとつに「ベクトルを合わせる」というのがある。これは元和田中校長、藤原和博氏の言葉だ。社会は刻々と状況が変わっていく。大事なのはそれに対して自分がどのように対応するか、方向を見定め、目標を決めてエネルギーを注ぐ、その無限のベクトル合わせが必要なので、まるであさっての方向にエネルギーを注いでもダメだ。ベクトルを合わせるためには常に正しい状況判断ができなくてはいけない。今まで通りの決まり切ったやり方をステレオタイプに守るだけではやっていけなくなってきていると誰もが感じているはずだ。言われたことしかできないんじゃだめだ。自分の頭で考え、行動する新しいタイプの子を育てる教育をしなきゃ日本に未来はない。それを、既に弱体化している日教組がガンだなんて時代遅れの認識でわざわざ大金をかけて学力テストを復活させてそれで教育がよくなると思い込んでいるってところがすでに老害化しているから失言でやめてくださってほんとによかったと思った。失言ったって、「単一民族」なんてまったくステレオタイプな保守的歴史観とマイノリティーに対する偏見がついポロッと本音で出たわけで麻生総理の漢字の読み間違いとはわけが違う。案の定お題の「田母神発言」に対しても「正しい」と支持されてて、「今までの自虐史観」とか言うし、「過激な性教育」とか現状認識を欠いた決めつけの決まり文句連発だった。

 やはり問題は、こういう善―悪二元論で論じようとする硬直した発想だなあと思った。だから過去を正当化しなきゃいけなくなるのだ。田嶋さんも言っていたけど、なんで過去の戦争を反省したら今の日本がダメだということになるのか。もちろん当時は植民地主義の時代だった。このままでは日本も食われてしまうところだったし石油も止められて兵糧攻めにあっていた。戦後だってアメリカやヨーロッパ諸国は旧植民地で資源や労働力のあくどい搾取をしてきた。でもだからって日本が当時中国大陸や他のアジア諸国でやったことが正当化されることは決してない。植民地争奪戦争で残虐な行為の数々を犯したということを認めて謝罪することでしか発展的な未来の関係は築けないし、今アメリカや中国やロシアの覇権主義を批難することもできないと思う。


 こういう、「日本を守る」と言いながら未来の可能性を害するような政治家はやめてほしいと思う。そんなことをガタガタ言っている暇はないはずだ。
 来週の「たかじん」には田母神氏が出演するそうだ。楽しみだ。中山氏と他の出演者のやり取りを聞きながら思ったが、右翼番組「たかじん」のスタンスは右翼的視聴者のニーズに答えることで特化していくのか、それとも「とんでも右翼」を叩いてみせることで常識的保守の知性教養を見せつけようというのか、あるいは「右翼に発言の場を与えないと先鋭化して暴発する危険性がある」と思っているのか、単に対立軸を作ってバトルをすると視聴率が取れるからか、どうなんだろ。

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