読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

今朝笑った広告

2008-11-29 22:39:01 | 新聞
 今朝新聞を読んでいると、雑誌の広告に「オバマ・リスク」という見出しがでかでかと載っていた。
  オバマ守護霊にインタビュー!
 「私は日本を捨て、中国を選ぶ」


 ふーん、オバマさんの守護霊って誰だっけ?首席補佐官に就任予定のエマニュエル下院議員?と思いながらふと下を見ると「The Liberty 幸福の科学出版」とある。なんだ守護霊って、ものの例えじゃなかったのか。

 アメリカの「CHANGE」は繁栄か、混乱か?という特集らしい。

 ○「経済危機の克服にいいアイディアはない」
 ○「北朝鮮の日本への攻撃にアメリカは責任なし」
 ○「アメリカはどの国も攻撃しないと約束する」

 日本は専守防衛空母10隻体制を
 ○「台湾併合」なら沖縄は中国の手に!
 ○日本は独立国として存続できるのか!?


 アメリカの次期大統領の守護霊とお話できるなんてすごいですね。でも、実際のオバマさんは全然しゃべってないことばかりだけど、内容がそっくり2ちゃんねるあたりの中国脅威論者の極論みたいだ。この過剰な恐怖心はなんだろう。
 バックナンバーをさっと見てみると、ある種の政治傾向があるなあ。
 麻生さん支持みたいだ
麻生首相の過去世は“神算鬼謀の猛将”真田昌幸 天下分け目の総選挙で“独眼竜・小沢軍”を迎え撃つだってさ。
移民受け入れには賛成?それで中国脅威論?
「教育再生」で義家弘介?安倍政権並み・・・
「格差で騒ぐな」いじめや教育の荒廃を日教組のせいにする単純思考・・・
 うっへー、自民党タカ派的論理に宗教色を加えるとこうなるのか。それで「カルマ」だの「過去生」だのって正当化するんだからたまったもんじゃない!

大川隆法「宗教には人を根本的に変える力がある」
 先日の森達也氏も言っていたが、オウム真理教を見てもわかるように宗教には負の面があって、人を洗脳したり排除したり殺したり戦争を引き起こしたりする力もあるのだ。こんな右翼集団まがいの宗教団体だったら創価学会の方がましだ!


 その隣の雑誌広告は「STORY」1月号。「40代、もう一度女をがんばろうよ!」
「時には、『買わない知性』もある私
「妖精メークと妖怪メーク、(決め手は光と影の簡単メークテクでした)パーティー顔のボーダーライン」
「幸せになるSEX白書」

「買わない知性」って森永卓郎さんの言葉らしい。「妖精メーク」はともかく、「妖怪メーク」ってのを見てみたい。いやー、みんながんばって生きているんですね。私だって「買わない知性」くらいはあるから、こんな雑誌は買わない。


 先日10数年前の新聞紙が出てきたんだけど、一見してその地味さに驚いた。新刊本の広告だって、「俳句歳時記」とかナントカ法令集とかジジ臭い本ばかりなのだ。記事の中身だって愛想も素っ気もない。よく、昔のNHKニュースのシーンが出てきたときにアナウンサーの棒読み調に驚くことがあるが、あんな感じなのだ。きっとその頃はまだ週刊誌の広告だって「幸せになるSEX」なんて特集名を新聞に載せたら「なんてお下品な!」と苦情の電話が殺到していたのだろうと思う。そういうお堅い時代からいつの間にか「ニュースがわからん」とか「ののちゃんの自由研究」みたいな私でもわかるやわらかーい新聞になってきて、なのに購読数も広告収入も減っていくってのがよくわからんなあ。

 ひとつ言えるのは、見出しでダジャレを連発して遊んでいた時期があって、だれがやっていたのか知らないが、ああいうふざけ方はいやらしいと思われる。それから私などを典型的な読者と想定しているとものすごく偏ってくると思うな。私は昔から「下げマン」なのだ。

 政治が迷走すれば新聞も迷走。このところ新聞に過去を振り返るような特集が多いのは変化にどう対応すればよいのか考えあぐねているのだろうと思う。私は最近メディアに失望してしまったので、新聞が斜陽だろうがなくなろうが知ったこっちゃないが、最後の日まで切り抜きをするつもりだ。ターニングポイントを知るために。
 

島田雅彦氏といえば

2008-01-15 18:23:31 | 新聞
 朝日新聞の連載小説、夢枕獏「宿神」が19日で終わり、20日からは島田雅彦氏「徒然王子」が始まるらしい。昨日お知らせの記事があった。
 「作者の言葉」
 宮廷から「夜逃げ」した王子とジリ貧芸人による現代の「奥の細道」。世捨て人や「ポープレス」と交わり、五回分の前世を生き直す王子は果たして元の世界に帰ってこられるのか?「徒然王子」は浮かばれない人々を救うヒーローになれるのか?
 私はまだ恐ろしいものや美しいものをたくさん隠しています。面白いだけでは物足りないクールな読者のために、それらをすべてさらけ出します。毎日、最低二つは笑える教訓と決めゼリフを盛り込みます。プロを甘く見てはいけません。「徒然王子」とともにレッツ・ドロップ・アウト!

 すいません、私語彙が貧弱なんですが、「徒然王子」の「奥の細道」だなんて、ハイソでポップでデンジャラスでハイブローですね。「王子」といえば、ずっと以前にテレビをつけたら「英語でしゃべらナイト」の総集編をやってたんですが、「文壇の貴公子、島田雅彦氏が英語で口説き方を指南」というナビゲーションに驚いて、思わず「貴公子だったんかー!」と叫んでしまいました。
 その口説き方というのが、
 「ロシア語で名前を付けてあげよう。○○○○。これは“希望”って意味だよ。僕の希望になってくれるかい。」(さあ、名前をつけたから君はぼくのもの)

とか、
 「ぼくは、石鹸になりたい。そして君の嫌な思い出を全部洗い流してあげたい・・・。」

とか、ベタベタのあま~いセリフで、いかにも「彗星の住人」三部作の著者らしい口説き方でした。あったあった。アーカイブスの中にありました

 連載小説が楽しみです。

記憶しておくために

2007-12-30 23:13:48 | 新聞
アマゾンで買おうとした本に書評がなかったのでWeb検索をしているうちに見つけたサイト。すごいボリュームだ。というよりよくまあずっと続けられたものだ。私など藪からスティックに復活してみたものの何の進歩もないのでもう飽きてきて冬眠に入ろうかと思っているのに。でも、この感想文にあるように確かに「書いて考える」ということは必要だろうなあ。億劫でも書いてないとダメだろうなあ。なにせ私はすぐに忘れてしまって、考えたことが発展していかないのだ。こういうのって何だったかと考えていて思い出した。リディア・デイヴィス「ほとんど記憶のない女」(白水社)

鋭い知性の持ち主だけどほとんど記憶のない女がいた。本をよく読み、ときどきメモを取ったが、昔のノートを開いて自分が書いたメモを読んでもほとんど憶えていないのだ。
 読みかえすメモは、ほとんどが未知のものだったが、ときおり読んだ瞬間に、これは見覚えがあると感じ、たしかにかつて自分が書き、考えたものだとわかることがあった。そういうときは、たとえそのことを考えたのが何年も前のことだったとしても、まるで同じその日に考えたことのように完璧になじみのあるものとして感じられたが、実際にはそれについて読みかえすことはそれについてもう一度考えることと同じではなかったし、ましてその時はじめて考えつくこととも同じではなかった、それにたまたまそのノートを読まなければ、二度とそのことを考えなかったかもしれないのだ。そんなわけで、これらのノートは自分と深い関係があるものだということはわかったが、自分とどう関係があるのかも、それらのうちのどれほどが自分の内から出たもので、どれほどが自分の内ではなく外から来たものなのかも、彼女にはわからなかったし、わかろうとすると苦しくなってくるのだ。

この本は、去年図書館で借りてきたところ、犬が齧ってしまったので仕方なしに弁済して貰って来たものだ。こんな本を齧るとはなんと皮肉なことだろうか。


というわけで記憶しておくために。12月26日の朝日新聞「論壇時評」「近代の超克」「日本の立場の二重構造」より
 小林敏明は、日本近代思想を、「近代そのものをまるごと否定し、その乗り越えをはかる」「超克派」と、「近代の内部にとどまりつつ、その漸進的改革をはかる」「修正派」とに二分する(小林敏明「『近代の超克』とは何か―竹内好と丸山眞男の場合」〈RATIO 04号〉)。戦中に「大東亜共栄圏」の世界史的意義などを論じ、戦後にほとんど袋だたきになった座談会「近代の超克」に前者の名は由来するが、その範疇はマルクス主義にまで及ぶ。
 西洋という中心でもなく、かといって周辺でもない「半周辺」(ウォーラーステイン)ないし「半開」(福沢諭吉)として出発した日本では、近代に「一歩足を踏み入れながら、それへの対抗、抵抗、反撥としてナショナリズム」が出てくると小林は指摘する。しかも、そうしたナショナリズムと超克派の近代批判はいずれも中心への反発なので、結合しうる。
 半周辺は、西洋という「大文字の他者」の「臣下」になりつつ、同時に西洋を内面化し、「主体」になっていくが、それにも限界があり、西洋は「疎遠な他者として意識されつづける」。それへの反撥が、超克派的な言説となって、繰り返し噴出してくると言うのだ。
 日本の立場の両義性を反映して、「大東亜戦争」は「自立のための戦争と侵略のための戦争という二重構造」をもっていたので、部分的には擁護されうると竹内は主張した。論壇で、このような立場への批判の中心にあったのが丸山眞男である。福沢などに依拠しつつ修正派的な立場を示した丸山は、しかし小林によれば、超克派的な面もあり、その緊張関係こそが彼の思想を生きたものにしているのである。

この次に紹介されている中島岳志と小林よしのりの論争でもわかるように竹内好「近代の超克」論は未だにビィビィッドな問題なのだな。

なるほど、超克論がナショナリズムと結びついて「大東亜戦争」擁護論になるっていうなら「超克」か「修正」(あるいは徹底)かという問題はきっと果てしなくつづくのだろう。
安倍元首相が、夏にインドに行ってパール判事の遺族に面会というニュースを聞いた時には、いったいどういう神経かとあきれた。きっとNHKスペシャルの影響があったに違いないが、どうしてこう短絡的に自分の都合のいいように解釈するのかと思った。こんなお膳立てをした側近はきっと頭が悪いに違いない。恥さらしだ。それとも「たかじん」の「中国とインド、どっちと手を結ぶ」というテーマで、まるでお笑い芸人のようなインド人を登場させて恣意的に視聴者を親インドに傾倒させようとしていた番組でも見たのだろうか。(これもNHKスペシャルがあったな「インドの衝撃」

ウィキペディアの脚注1にある「竹内好は終わらない」(朝日新聞11月19日)から
 魯迅の研究者で、主な作品の翻訳者としてよく知られている。ただ、太平洋戦争の開戦時、戦争に自己を賭ける強い意思を表明したことにこだわり続けた。50年代には、戦争に人々を駆り立てたイデオロギーの根源とされ、タブー視されていた「近代の超克」という考えや、アジア主義に真正面から取り組み、思想的な意味をくみ出しもした。
 かと思えば60年代安保闘争の先頭にたち、抗議する形で大学教授の職も辞す。毛沢東を非常に高く評価もする。表層的なイデオロギー区分なんて彼の前では意味をもたない。
 そんな独自の思想が、ここ数年、日本や世界で注目を集め始めている。中国や韓国で彼の著書が訳され、ドイツでも、大規模なシンポジウムが開かれた。日本でも、彼に言及する著書が増えている。インドを中心に、アジアやナショナリズムの問題について近年、活発に発言し続ける75年生まれの中島岳志・北海道大学准教授。「20歳のころ、竹内さんの論文を集めた『日本とアジア』に出会わなければ、研究者の道を歩み出すこともなかっただろう。日本にとって、単に外交や安全保障、そして経済のパートナーとしてのみ脚光を浴びがちな、アジア。そんな時代に、「アジア」とは何か、思想としてのアジア主義を根底から考える姿を見いだし、驚いたからだ。その中から、戦前、日本に亡命したインド独立運動の闘士ビハリー・ボースとアジア主義者たちの数奇な運命を描き、高い評価を得た『中村屋のボース』(白水社)が生まれる。

姜尚中×宮台真司「挑発する知」(ちくま文庫)で宮台はこう言っている。
 日本の場合、戦後の反省は、アジアに対する加害者意識から始まったのでもないし、原爆の悲劇を恨む被害者意識から始まったのでもありません。なぜ勝てる戦争に、総力を結集できずに負けたのかというところから、人々は戦後の反省を出発させました。たぶん、それ以外の思考のデザインは、当時はありえなかったのではないかと思います。
 丸山さんは無意識的、あるいは意識的に、そういう土壌を利用して、『超国家主義の論理と心理』を書いた。これは、ものすごく読まれています。そして、考えられないほど多くの読書人が、「近代の超克など片腹痛い。近代の徹底がなかったからこそ、戦争に負けたのだ」という思いを深く抱いた。国民にそういう認識を抱かせることが丸山さんの目的であり、戦後思想史における丸山さんの役割でした。
 丸山さんの設定した課題である、福沢的な「一身独立して、一国独立」、すなわち近代の徹底を、私たちはクリアーしたのか。していません。それをクリアーして、国家を自由自在に操縦しうる国民になったうえで、かつてとは異なるナショナル・ヘリティジ―生活の事実性―を護持するべく、国家を操縦する。そうした段階になってはじめて姜さんのおっしゃったような「丸山の限界」の克服が、つぎの課題になると思うんですね。
 丸山的な課題をなかなか克服できないのは、なぜか、それを理解するために、丸山さんはいろいろモデルを立てています。たとえば、さきほど紹介したような戦時の本末転倒的な振る舞い(軍事物資の横流し、セクショナリズム、状況把握の不在等)がなぜ起こるか。丸山さんは、公私の分離がなかったからだ、といいます。ようは私的な領域がなかった。だから人びとは公を私的に簒奪する以外に術がなかった。よって、同じことが二度と起こらないようにするには、確固とした私的領域を確立し、自律を成すべきだ、と。私の自立をなくして、公なるものの保全はないのだ、と。

 実をいうと、丸山さんだけでなく、1945年の敗戦から55年体制の成立くらいまでの歴史をみると、南原繁さんや竹内好さんも、同じような姿勢を示していました。あるいは、雑誌『近代文学』の同人たちのような文学者たちも、同じような構えをもっていました。
 彼らが進めた仕事は、丸山さんと同じで、「なぜ戦争に負けたのか。自分たちがアホだったからだろう。どうアホだったのか。それはつまり・・・」と観察することでした。竹内さんは、優等生の顔をした奴隷―官僚のこと―が跋扈したから、日本は負けたといいます。
 いまも日本は優等生の顔をした奴隷ばかりじゃないのか。既存のフレームを思考停止的に前提にした上で、保身だけを考える輩ばかりじゃないのか。保身というのが竹内さんのキーワードでした。だったら、何も変わっていない。いまこそ、竹内好先生と丸山眞男先生の亡霊に蘇ってもらいたい。腑抜けた私たちに、喝を入れてほしいと思うんです。

ふたたび「論壇時評」より
 ところで、近代の超克論は、「自立」を賭けて国民国家が争い合うナショナリズムの時代に特有なのか。白井聡はまず、アーネスト・ゲルナーの古典的な議論を引きつつ、ナショナリズムの成立を説明する(白井聡「ナショナリズムの過去・現在・未来」〈神奈川大学評論58号〉)。(中略)20世紀には、経済は閉じた国民経済を単位としていたので、富を労働者に配分して消費させることが資本家にとっても合理的であり、階級対立は緩和されていた、と白井は言う。
 ところが、その後の経済のグローバル化がすべてを変えた。国際的な競争力の違いなどに応じて、国民の間には亀裂が走り、われわれは今や「別々の船に分かれて乗っている」。こうしたネーションの解体状況で必要なのは、再統合でも単なる階級闘争でもないとしつつ、白井は「現にある秩序を全面的に虚偽のものとして認識し、根本的に異なった世界をリアルな実在として感じ取ることのできる意識、ひとことでいえば〈外部〉の意識」を求める。ここに超克派的な響きを聞き取るのは容易であろう。近代の超克は、今なお「思想としては過ぎ去っていない」(竹内)のかもしれない。


姜尚中氏はこう言っている。イギリスにしてもフランスにしてもいったん帝国を形成した国は否応なしに複数の国民を包摂し、多文化状況に対応することを迫られる。帝国をくぐり抜けた国はもはや国民国家に後戻りはできず、たくさんの民族を受け入れざるをえなかった。ところが日本は帝国時代の旧植民地出身者を外に放逐し、田舎から都市へ労働者を移住させて労働力の強化をはかったため、グローバル化の進んだ現在でも移民の受け入れに決心がつかない、混合物を包摂するという覚悟ができていないのだという。そのように植民地をめぐる問題にふたをしてしまったことがいまだに尾を引いていて、歴史問題における二枚舌や北朝鮮問題にもつながっているというのだ。
 それを受けて宮台は、豊かさの水準を維持しようとすれば、外国資本と外国人労働やの流入は避けられないことで、私たちが、過剰な流動性の高さから利益を引き出すアメリカン・グローバリゼーションに抗して、自分たちの「生活の事実性」を守ろうと思うならば、「盟主のいないアジア主義」を構想することが不可欠だという。拉致問題における対応のまずさをみるにつけても「私たちがもっと徹底的に丸山眞男を学習していれば、外交の基本が戦略的コミュニケーションを駆使した目的達成であることをわきまえないような、アホな国民にならずにすんだのではないか」と言う。
「いまの私は丸山眞男の思考を越えている」ではなく、「私は丸山の時代に生れていたら何が言えたか」という観点だけが、意味をもちます。
 逆にいえば、「私たちはいま、丸山の時代には存在しなかったどんな選択肢を手にしているがゆえに、何をするべきなのか」というセンスが大切です。いま私たちがもっている新たな選択肢を浮き彫りにするためにこそ、歴史を振り返る。そして、その時代にどういう選択肢があり、誰がそういう選択をしてどうなったかを検討しながら、新たな選択肢の意味を検討する。そのようにするべきでしょう。


削ろうと思ったのにますます長く引用しちゃった!
で、私は今年安倍さんが辞職したときにはほっとした。福田さんが何を考えているかはよくわからないけども、少なくともマシな方向に動いていることは確かだと思うな。

最近の新聞記事から その2

2007-12-26 02:02:30 | 新聞
おもしろい記事は毎日あるんだけど、そんなに毎日新聞記事ばかり取り上げてたらネット右翼まがいのストーカーっぽくなってしまう。

12月22日(土)のコラム「けいざいノート」小林慶一郎「論争はめぐる」が興味深かった。
 最近の経済政策に関する政策論争を見ていると、10年たってまた同じところに戻ってきた、という印象を強くする。道路財源の論議にみられるように、地方への財政支出を増やすべきだとする積極財政派と、財政健全化のために歳出削減や増税を図るべきだとする財政再建派の論争は10年前にもあった。

そーいえばー、橋本総理大臣が最悪のタイミングで増税をやってデフレの悪循環を招いてしまったことがあったなあ。財政構造改革ってあのころから言ってたけど、ちっとも進展してないし・・・。
 それだけではない。論争の枠外に、誰も触れようとしない重要な問題が存在しているように思われる。核心から目をそらしている、という点で論争の「精神構造」が10年前と類似しているのだ。

10年前の隠れた重要課題とは「不良債権処理を焦点とする金融危機の問題」だったのだ。だから不況脱出のために財政拡大をするか、財政赤字を縮小するために景気対策をするかということよりも、機能不全に陥っていた金融システムの健全化のために公的資金の注入や民間からの増資による銀行の資本増強が必要な処方箋であったのだが対策は後手後手に回り、「失われた10年」を招いてしまったのだという。
では、現在の「景気拡大か財政再建か」という議論の影に隠れている最大の課題はというと実は「労働市場の改革」だというのだ。
今年の初めごろには経済財政諮問会議で「労働ビッグバン(労働規制の抜本的な改革)」がテーマに挙がったが、早々に立ち消えた。
 しかし、格差問題の本質は、正社員と非正社員(派遣労働)の待遇差があまりに不公平だ、という不満にある。これは正社員が既得権化して、非正社員が搾取されるという労働者間不公平の問題だ。ちなみに32歳の非正規労働者である赤木智弘氏は、誰もが口をつぐんでいたこの問題を真正面から指摘して大きな反響を巻き起こした(『若者を見殺しにする国』双風舎)
 また、景気回復が5年以上も続いているのに、経済に力強さがない主因は、賃金が上昇しないことだ。労使の力関係にも明らかに問題がある。
 こうした問題を解決するには、解雇や昇給の条件などの待遇を正社員と非正社員で平等化し、一方、使用者側にもより厳しい責任を負わせる、というような労働市場改革が必要だ。労働市場の改革は、格差を是正し、しかも、労働の効率化によって経済全体の生産性を上げるので、経済成長も高めるはずだ。成長にも格差是正にも有効なテーマが、なぜ政策論争の主要論点にならないのか。
 答えは、10年前に不良債権問題がテーマとして取り上げられなかった事情と同じだ。つまり、多くの既得権者が存在し、彼らに具体的ない「痛み」を与える改革だからだ。(中略)
 現在、労働市場の問題で難しいのは、格差を是正するためには、正社員の処遇を現状よりも悪化させざるを得ないことだろう、という点だ。非正社員の待遇を向上させ、正社員と平等化しようとすれば、正社員に「痛み」が発生してしまう。こんな改革をするよりも、財政資金を再配分することで、格差感を緩和し、負担は国民全体で背負う方が政治的には通りやすいわけだ。
 だが、不良債権処理が避けられなかったのと同様に、労働市場の抜本改革は、日本がこれから長期的に発展していくためには避けて通ることはできないだろう。

ははあ、労働ビッグバンというと例の悪名高い「ホワイトカラーイグゼンプション」とかですね。要するに、国際的競争力を維持しつつ格差を是正するためには正社員の賃金の引き下げが必要不可欠であると。なるほど・・・・赤木智弘氏が言っていた「シャッフルする」ということはそういうことなんですね。(まあ、彼は戦争によってと言ってるけど)同一労働、同一賃金というのは当たり前の要求で、そこで正社員と派遣とで格差があってはいけない。また社会保険や有給休暇等の待遇面でも派遣も同様に処遇してほしい。しかし、当然企業側はそれでは人件費がかさんで経営がなりたたないと言う。だったら「シャッフル」して正社員の給料をうんと下げて平均化すればいいと、こういうわけですね。

まあ、理屈としては非常に正しい。だけど圧倒的な反発があるだろうから実現するのは難しいだろうなあ。そんなことを言う政党はどこであろうと選挙で大敗するだろう。仮に実現したとしたら、例えば住宅ローンのデフォルトが増えるとか、消費が低迷するとか、短期的なマイナス効果で一挙に不況が深刻化するように思える。

でも、長期的には日本が生き残るためにはそのような労働市場改革を「避けて通れない」のだそうだから、どんな状況で実現するかはわからないけど、「年収300万円台の生活」を覚悟しておかなくてはならない。私は常々思うのだけど、子どもが成人してちゃんと暮らしていけるという保証があるのだったら、もう一生旅行とか外食とかしなくてもいいやとあきらめられる。大学を卒業しても就職がなくて派遣で転々と職を変わるとか、家を出ることもできず一生独身とかってかわいそ過ぎる。だから「年収300万円」でも子どもが暮らしていける社会のためだったら我慢しようと思う。
唯一の心配は住宅ローンが払えなくなるのではないかということで、それで去年、貯金をかき集めてローンのボーナス払いにしていた部分を丸ごと一括返済した。これで仮にボーナスがなくなったとしても生活を切り詰めればなんとか生活をしていけるということになる。(理屈上は)

ところで、もしも小林慶一郎氏の言うようにそんな労働市場改革が実現したとしたら、それって「無血の社会主義革命」ということにならないか?資本主義が高度に発達した社会における社会主義的革命ってことで、きっと歴史に残る快挙とされるだろうと私は思う。

最近の新聞記事から

2007-12-25 23:55:13 | 新聞
去年、映画「ラストキング・オブ・スコットランド」を見て、何であんなことになるのかと唖然としたが、10月17日から始まった朝日新聞の連載「国を壊す ジンバブエの場合」を読んだらもっと唖然とした。これ、昔のことじゃなくてつい最近の状況だ。
 「アフリカの希望の星」と呼ばれた国があった。80年に白人支配から独立を果たした南部のジンバブエ。農産品は需要を満たし、輸出で外貨収入の3分の1を稼ぎ出した。識字率は90%を超え、労働力の質は高く、鉄道の独自運行も可能だった。それが今―。農地はやせ細り、飢えが広がる。インフレ率は7千%を超えた。苦しさに耐えかね、国民の4分の1が近隣国に脱出している。(編集委員・松本仁一)

 「アフリカの希望の星」と呼ばれた豊かな国から一転「破綻国家」に転落した理由はひとえにムガベ大統領の支離滅裂な政策の失敗による。98年、ザイール内戦に大軍を派遣したため、巨額の軍事費で財政が悪化した。国民の不満をかわすために大統領は白人農場の占拠をあおるなどして農業生産が激減。物価は高騰し、今年7月のインフレ率は7634%(!)だそうだ。

 00年2月、与党政治家が突然、「元ゲリラは白人農場を占拠せよ」と呼びかける。政府がそれをあおり、農場占拠は全国に広がった。政府への不満は白人攻撃にすり替わってしまった。
 「商業農場組合」によると。07年までに白人農場の土地はほとんど国有化された。4500人の農場主のうち、農場に残っているのは400人だけになった。
 元ゲリラに接収された農場の多くは生産が落ちた。大農場経営のノウハウがなく、必要な投資もしなかったためだ。
 国連の世界食糧計画(WFP)によると、00年に8億5千万ドルあった農産品輸出は、06年には3億7千万ドルに減った。07年はその半分にも届かないだろうと予測されている。(10月25日「国を壊す ジンバブエの場合」⑥)

インフレ率は2006年-1281%、2007年5月末時点4530%(!)であったが、2007年6月26日、価格半減令の出た後はさらにインフレが激化する。すべての商店から物が消え人々は食料の調達に一日の大半を費やさなくてはならなくなった。
12月20日の朝日新聞国際面記事より
 年率8千%の超インフレが起きている南部アフリカ・ジンバブエの中央銀行は20日、75万ジンバブエ(Z)ドル。50万Zドル、25万Zドル、25万Zドルの超高額紙幣を導入した。最高紙幣を10万Zドルから20万zドルに換えたばかりだった。現在の公定レートでは20万Zドルが約753円、闇レートでは約14円。クリスマス時期で市民は買い物のための現金を求めて銀行前に泊まり込んでいるという。(ナイロビ)

ウィキペディアの記事
2007年8月23日ジンバブエ政府が国内の外資系企業に対して株式の過半数を「ジンバブエの黒人」に譲渡するよう義務付ける法案を国会に提出、9月26日に通過した。これにより経済の崩壊が決定的になると見られる

ほんとか?そんなことしたら外国の企業はみんな撤退してしまうだろうが。
2ちゃんねるのスレでもとりあげられてる。
【ジンバブエ】白人系企業の株式の過半数を地元住民に付与する法案が下院で可決 (09/28)
やっぱり、特定の政治家や政党に強大な権力が集中するような国はだめだな。財政が悪化してインフレを招いた時点でムガベ大統領は責任を取って辞めなくてはならないはずなのだが、そうならなかったということは独裁政権化しているってことなのだろう。「83歳のムガベ大統領は来年の大統領選に出馬の意向だ」とある。じょーだんじゃない!

検索をしていたら、ジンバブエに留学をしていた人のブログがあった。
「さくらだあゆみの 今日もジンバブエで」
Q&A 「経済」から
ほとんどの住民が公的に雇用されず、GNPが下がりっぱなし、ハイパーインフレ、商品不足。こんな経済の中でお金儲けなんてできるのー?できる!特にブラックマーケットで働く人たち、つまり外貨のブラックマーケット・トレーダーや、品不足の商品をブラックマーケットで高値で売る人たちや、最近国内で見つかったダイヤモンドを国内外でこっそり取引する人たちはしっかり儲けているようだ。さらに、政治家たちももうけている。政治家は、政府から直接安く販売される燃料(ガソリン、ディーゼル)へのアクセスがあり、これをブラックマーケットで100倍くらいの値段で売ってものすごい利益を出しているのだ


そーかー、経済が破綻したら、闇の担ぎ屋になればいいのか。
アフリカのことなんて人ごとだと思っていてはいけません。いろんな状況をシミュレーションしてどんな変化が起こってもサバイバルできるようになっておかなくてはならないと思う。

家電製品

2007-11-30 22:11:49 | 新聞
 今朝の新聞に、
うちエコ!省エネ製品に買いかえよう。
という全面広告があった。
みんなで入ろう「チーム・マイナス6%」
だと。
 この広告の写真に載ってる古いエアコン、お義母さんちのとおんなじだ!古いエアコンってすごく電気代がかかると書いてある。最近は、むやみと古い家電製品は、修理して使うより買いかえた方が安上がりについて、地球にもやさしいらしい。

 そういえば2、3年前のことだが、お義母さんのところの古い冷蔵庫を買いかえたら電気代が半分になったことがあった。使っていたのは20年以上昔の冷蔵庫で、捨てるのがもったいないからといって、保存食品やビールなどを入れておく専用の冷蔵庫として納屋に置いて使っていたのだった。差し込み口がよく抜けて、差すたびに火花が散るので私は怖くてさわれなかった。それをお義父さんに言おうものなら自分でコードをちょん切って修理しかねないから、お義母さんの方に「危ないですよ」と言ったのだけど、全然気にせず使っていた。私はさすがに心配になったから、独断で電気店に行って同じ大きさの冷蔵庫を買い、そして古いほうは引き取ってもらった。お義母さんは「まあ、もったいない」と言ったけど、その後2か月たってから、「電気代が半分になってる!」と驚いて報告に来たのだった。検針が間違っていやしないかと検針員に確認したし、中国電力に電話もしたそうだ。そうしたら、今まで使っていた古い冷蔵庫がものすごく電力を食っていたことが判明したのだと。
 
 だいたいお義母さんのとこは電気製品をあんまり使わない家だ。夏でも滅多にクーラーはかけないし、電子レンジもないし、テレビもあんまり見ない。そんな家で20何年か前の冷蔵庫が他の電気製品全部合わせたくらい電力を食っていたのかと思うと、すごく悔しかったらしい。「もう、古いものは全部捨てよう。」と言って、「反転するときピカッとあやしい光が走る二槽式洗濯機」とか、「不気味なうなり声を発する扇風機(これも20年もの)」とか、「目とのどが痛くなる石油ファンヒーター」とか、「ゴミ捨て場で拾ってきて再生と録画をそれぞれ担当している二台のビデオテープレコーダー」とか、その他もろもろを一挙に処分したのだった。

 でも、まだエアコンが残っていましたがな。

 それにしても、20年とはよく寿命があったものだ。うちの家電製品なんか10年目を境に次から次へと故障してきたところを見ると、どうやら家電は10年の寿命をめどに作られているのだという気がする。修理に出して出来ないことはないのだが、買いかえた方が結局お得だったりする。去年は、洗濯機を二度も修理して結局あきらめて買いかえたし、石油ファンヒーターの修理代が新しいのを買っておつりがくるほど高かったりしたので、私の「直して使う」というポリシーも修正しなくてはいけなくなってきた。

 してみると、知事とか総理とかそういう人も、もしかすると次々と新しい人に入れ替えた方が、結局はエネルギー効率がよかったりするのかもしれないなあ。

シンクロニシティ その2

2007-11-29 22:12:27 | 新聞
 こちらは盗聴とかじゃなくて本当に偶然の一致。
2006年5月7日 日経新聞文化面のエッセイ、藤原智美「不注意にも深い嘆息」
 著者は、川崎市の路上で天然記念物のオオサンショウウオが見つかって保護され、飼い主の男が書類送検されたという事件を聞いて、無性にオオサンショウウオを見たくなる。そこで上野動物園へ出かけてゆき、両生類館で身動きしない彼らを観察するのだが、そのうち井伏鱒二『山椒魚』を思い出す。
 亀井勝一郎は新潮文庫の解説で、この作品にこめられているのは「畏怖であり、自虐であり、悔恨であり、狼狽であり、また傲慢でもあったろう」と書いている。そこには、人間のもつ負の感情がほとんどすべて詰まっている。けれど最後に、蛙から「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と許しを受けることで、読み手の心は突き動かされる。そのときぼくらは、畏怖、自虐、悔恨、狼狽、傲慢として存在するオオサンショウウオの側に、わが身を置きかえているのだ。
 たしかに彼らは、その奥深い一角にひとつの情感をかかえているようにみえる。そいつと対面したとき、いったい何を考えているのか、問いかけたくなるという人は少なくないはずだ。何か重大で深遠な思想を秘めているのではないかと思わせるような、超然とした風格と雰囲気が備わっている。


 その朝、私はエッセイを読んだ後、「山椒魚」ってどんな小説だったっけなと考えながら寝室に掃除機をかけていた。そして夫のベッド脇をふと見ると、サイドボードに本が伏せてあって、それがなんと!文芸春秋社「現代日本文学館29 井伏鱒二」であった。

 夫はこの全集を少し前、人に貰ったのだった。買いはしたもののほとんど読むことなく長らく段ボールに入れて物置に放置していた人が、持て余して捨てようとしたところを貰い受けて帰ったらしい。ほとんど開かれたことのない本は中はきれいだけども外側はゴキブリのフンらしきシミなどがついていて汚く、私はいやだと言ったのに夫は物を捨てるのが嫌いなのだ。湿気てカビだらけだった下の方を除いてあとはきれいに汚れを拭き取り、それを本棚に入れるために、私の新聞の切り抜き帳を捨てようとしたから一悶着あった。お互い相手が本棚に入れようとしているものがゴミに見えるのだ。結局そのために新しく本棚を買うことになった。(廃棄寸前の文学全集のためというのだから引き合わない。)やっと片付いてほっとしたところで、最初に手に取ったのが井伏鱒二だったらしい。なにせ井伏鱒二は郷土の作家だから。

 開いてあったのは「屋根の上のサワン」。傷ついた鳥を手当して「サワン」と名づけ、自分の手元に置いておこうとするが、渡り鳥であるサワンは仲間の声に引かれてある晩飛び立ってしまうというお話。寂しさが身に沁みて私は嫌いだ。
 ぱらぱらっとめくって「山椒魚」のところを出してみると、後は掃除をほっぽらかして読みふけってしまった。
 山椒魚はうっかりしているうちに太りすぎて岩屋から出ることができなくなる。
彼は背中や尻尾や腹に、ついに苔が生えてしまったと信じた。彼は深い嘆息をもらしたが、あたかも一つの決心がついたかのごとく呟いた。
「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ。」
 しかし、彼に何一つとしてうまい考えがある道理はなかった。

 彼は岩屋の入り口に顔をくっつけて外の景色を眺める。そしてメダカのことを笑ったりするのだ。

彼らのうちのある一ぴきが誤って左によろめくと、他の多くのものは他のものに後れまいとして一せいに左によろめいた。もしある一ぴきが藻の茎に邪魔されて右によろめかなければならなかったとすれば、他の多くの小魚たちはことごとく、ここを先途と右によろめいた。それゆえ、彼らのうちのある一ぴきだけが、他の多くの仲間から自由に遁走して行くことははなはだ困難であるらしかった。
 山椒魚はこれらの小魚たちを眺めながら、彼らを嘲笑してしまった。
「なんという不自由千万な奴らであろう!」

だけどお前は引きこもりで外に出ることさえ不可能じゃないか!どちらが不自由なのか?
山椒魚は泣く。
「ああ神様、あなたはなさけないことをなさいます。たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯この穴倉に私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。私は今にも気が狂いそうです。」
 諸君は、発狂した山椒魚を見たことはないであろうが、この山椒魚にいくらかその傾向がなかったとは誰がいえよう。諸君は、この山椒魚を嘲笑してはいけない。すでに彼が飽きるほど暗黒の浴槽につかりすぎて、もはやがまんがならないでいるのを了解してやらなければならない。いかなる瘋癲病者も、自分の幽閉されている部屋から解放してもらいたいと絶えず願っているではないか。最も人間嫌いな囚人でさえも、これと同じことを欲しているではないか。


 悲嘆にくれているものを、いつまでもその状態に置いとくのは、よしわるしである。山椒魚はよくない性質を帯びてきたらしかった。そしてある日のこと、岩屋の窓からまぎれこんだ一ぴきの蛙を外にでることができないようにした。


「一生涯ここに閉じ込めてやる!」
 悪党の呪い言葉はある期間だけでも効験がある。蛙は注意深い足どりで凹みにはいった。そして彼は、これで大丈夫たと信じたので、凹みから顔だけ表わして次のように言った。
「俺は平気だ。」
「出て来い!」
と山椒魚は呶鳴った。そうして彼らは激しい口論をはじめたのである。
「出て行こうと行くまいと、こちらの勝手だ。」
「よろしい、いつまでも勝手にしろ。」
「お前は莫迦だ。」
「お前は莫迦だ。」
 彼らは、かかる言葉を幾度となく繰り返した。翌日も、その翌日も、同じ言葉で自分を主張し通していたわけである。


ああ、これって、私のことじゃないか?藤原智美氏はどういう意図で「山椒魚」を引き合いに出したのだろう。エッセイの終わりの方に、日本丸という船が出てくる。この船は半世紀にわたり航海した後、役目を終えて横浜のみなとみらいに係留され、今は一般公開されている。著者は心配する。その後、横浜ベイブリッジができたのだが、この船はメインマストが高すぎて橋桁をくぐれないのではないか?「それではまるで岩屋の山椒魚ではないか。」と。しかし気になったので著者が調べてみたところ計算上はかろうじてくぐれることになるらしい。
なんだかホッとした。日本丸は岩屋の山椒魚ではなかった。もしそうだったら、ほんとうに哀れなことになる。
 ぼくがオオサンショウウオにたいして感じるシンパシーのようなものの正体は、この哀れさにあるのだろうか?それとも幼形という生命の核のようなものが、皮をかぶらないまま現前に生きているという不可解さに魅せられるのか?来年も上野に足をむけてしまいそうで、岩屋に潜む彼のごとく、ぼくもついため息をもらす。

 私もため息をついた。山椒魚と蛙は二年間ののしり合った末に共倒れになってしまうのだ。身につまされる話だ。
 私は、自分の顔に苔でも生えていはしまいかと鏡を見に行き、それからまるで今初めて見るように家の中を見回したのだった。

「ベトナムODA事業の橋落下事故」

2007-11-08 11:38:49 | 新聞
 今朝の朝日新聞で目を留めたのは「世界発 2007」「日本の技術神話 崩壊」の記事だ。ベトナムで日本の政府開発援助事業によって作られていた橋が崩落したという事故を追跡取材したものだ。これって9月に起きたんだよね。私はよく憶えていない。かすかにこの記事が記憶に残っているんだけど、よく理解していなかった。こうやって写真と地図つきで詳しく説明してなければ事の重大さがわからなかったと思う。だいたい、私なんかはニュースを見たり聞いたりしても、それがどれだけ重要なことなのか、そのニュースの背景にどういう事情があるのかなんてすぐにはわからない。私が日経新聞をやめたのもそれが理由で、日経はわかりにくいのだ。同じ日に同じニュースが載っていても、日経では見逃して、朝日で「なに?これ」と切り抜いたことはたくさんある。いくら情報量の多さと専門性とで他紙を凌駕していても、私には猫に小判。最近目が疲れて読めなくなり、日経を見ると眩暈までしてきたので、「日経なんて、なくても生きていける」と思い切ってやめてしまった。
 このニュースに関してはさすがネットの方が速いし取り上げているブログも多い。
『構造工学の薦め』 ~「高層の谷間に落ちる夕日かな」から
日本人が知らなかったシリーズBlogから
コラコラコラムから
ニュース ベトナム橋崩落事故の日本主要3社に談合歴あり

今朝の朝日新聞記事より
 
日本にとってベトナムはインド、インドネシアに次ぐ援助先。事故を教訓に「ひもつき」の是非や事故対応などODAのあり方を点検する必要があるとの声が政界にもある。山内康一衆議院議員(自民)は「外務省は独自の調査団を派遣し、ODAの事故対応マニュアルを作るべきだ。遺族ひとりひとりへの謝罪などやるべきことがある。危機感が足りない。」と指摘している。

 こんな折だから、もしこの工事の発注に談合があったとか、政治家の汚職があったなんていうことがあったらもー、怒るよ!国民の税金を使ってやってるんだし、国の信用にも係るのだから、工事費を中抜きして下請けに丸投げなんてことだったら冗談じゃない。ぜひ真相究明してほしい。

冷蔵庫の写真

2007-10-28 17:39:16 | 新聞
 「アジアンタムブルー」の最後で、主人公は鬱々とした放心状態を乗り越え、葉子の写真展を開いた。その写真展のことが新聞のコラムで取り上げられる。
 
 昨日、銀座で行われている写真展に行ってきました。何とも風変わりな写真展で、行けども行けども水溜りの写真が並んでいます。水溜りに映る驚くほど青い空、輪になって覗きこむ子供たちの笑顔、空を横切っていく渡り鳥の一群、まるで鏡を見るように覗きこむ老婆の無表情。
 約十年の歳月を費やして、続木葉子さんという女性カメラマンが日本全国を歩き回り映し出した日本の水溜りです。
 そこには、我々がどこかに忘れ去った、あるいは忘れたふりをしている、純朴な日本が確かに映し出されています。水溜りを通して見ると、こんなにも空は青く、子供たちは愛らしく、新宿のネオンは美しかったのかと今更ながらに思い知らされました。

 「なぜ水溜りの写真を撮るの?」と聞かれて「わからない」としか言えなかった葉子。彼女がレンズの向こうに見ていた風景がどんなものだったのかが彷彿としてくる。

 先日の朝日新聞(10月7日)に、漫画家、コラムニストのしまおまほさんが紹介されていた。経歴を読んでびっくりした。作家島尾敏雄・ミホ夫妻の孫娘にあたる人だ。父親の島尾伸三氏は「死の棘日記」が刊行された頃、ときどき新聞でお名前を見かけることがあったが、その娘さんが「女子高生ゴリコ」という漫画を書いた人だとは知らなかった。「女子高生ゴリコ」は宮台真司が「世紀末の作法」の中で取り上げていたので記憶している。
 
 『ゴリコ』にはお気楽なイメージ批判はない。「私たちはそんなんじゃありませーん」なんて昔の女子大生みたいなことは言わない。どんな自意識を持とうが馬鹿オヤジから見れば全部〈女子高生〉なんだろ、本当の自分なんてタイソウなものはないし、女子高生は〈女子高生〉をモノサシにして世界と関わるしかネエよ、といった乾いた韜晦がある。 (「世紀末の作法」 『女子高生ゴリコ』を読む)


 えーと、そのことが書きたいのではなくて、島田伸三氏の奥さんつまり、まほちゃんのおかあさんの潮田登久子さんが「冷蔵庫」の写真を撮り続けて有名なカメラマンであるってことが書きたいのだ。
 10年ほど前のことだ、NHKの「生活ほっとモーニング」で、「冷蔵庫の整理術」という特集があって、そのときに「冷蔵庫の写真を撮り続けている女性カメラマン」という人がでてきた。その人が潮田さんであるらしい。長年、よそのお宅の冷蔵庫を見続けてきたその人は、冷蔵庫の中を一目見ただけでそのお宅の状況がだいたいわかるというのだ。
「まさか、占いじゃあるまいし」
と私は半信半疑だったが、番組であるお宅を訪ねたとき、その人は冷蔵庫を見てレポーターにささやいた。
「ちょっとしんどかった時期があったようですが、今だいぶ持ち直してきたようですね」
 実は、そのお宅では最近夫婦の危機に見舞われていて、どうやらその原因は夫の浮気であるらしい。まるで隠し撮りのようなアングルで「どうしてあなたはいつもそうなのよ!」ときつい言葉を投げかける妻と、無言でうつむいている夫の影とが映像に写っていて、さわやかな朝にふさわしくない話題なので私は一瞬ぎょっとしてしまった。妻のインタビューもあって「もう、一時は顔も見たくない、声も聞きたくない、ほんとにひどい状態でした・・・」みたいなことを言うのだ。
 この女性カメラマンは、それを一目で見抜いたというのか!おそるべし!私には適度に整頓された清潔な庫内としか見えなかったのに・・・。
 私は大急ぎでうちの冷蔵庫のところに飛んで行って、もしこの中を見られたらどう言われるだろうかと考えた。・・・・・あんまりよい想像は浮かばなかったので、また大急ぎでテレビの前にとって返し、「冷蔵庫の整理術」を必死でメモし、その日の午後までかかって庫内の大掃除を敢行したのだった。
 その後、私は冷蔵庫が汚れるたびに、「あの冷蔵庫のカメラマン」のことを思い出してはドキリとして、あわてて掃除をしていた。だから島田伸三氏のインタビュー記事が新聞に載り、その経歴欄に潮田さんのことが一言書かれていたのを見てすぐに、「ああ、あの人か。」と思い出したのだ。
 それにしても、なぜわかるんだろう。いや、自分ちの冷蔵庫は見慣れているからわからないだけで、もしよその人が見たらものすごく変に見えるのだろうか。冷蔵庫ひとつに生活のすべてが象徴されているのだろうか。私にはよくわからない。潮田さんの冷蔵庫の写真を見てみたい気がするけど、こわいような気もする。それは、ちょうど「死の棘」を読みたいような、怖くて読みたくないような気持とおんなじだ。
 たぶん、私は一生「死の棘」は読まないと思う。