読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

呪い

2007-11-24 11:24:24 | 日記
 子供向けの「アメリカ西部開拓史」(三省堂)という絵本を見ていたら、白人に追い詰められたアメリカインディアンたちが居留地に向けてとぼとぼと歩いている絵が載っていた。「インディアン戦争」というタイトルだ。
インディアンの一隊が、自分たちの土地を離れて居留地へ出発する。首長ジョゼフが最後に降服したとき、インディアンみんなに向かってこう話した。「聞け、首長たちよ。私は疲れはてた。私の心は病み、悲しみに満ちている。太陽が照っている今この時から、私は永久に戦いを放棄する」。

 ジョセフはネズ・パース族の首長で、クリスチャンでもあった。ネズ・パース族が移住した居留地から金が出るということで、合衆国政府は最初の約束を反故にして土地を返せと要求した。次の移住地は広さが10分の1程度しかない遠い土地(アイダホ)であるため彼らは当然拒否する。合衆国は騎兵隊を送り反乱を鎮圧しようとしたがネズ・パース族は戦いながら逃げる。インディアンに比較的寛容なカナダに向かって1550キロの道のりを移動した。そして、あともう少しのところで総動員された軍隊に包囲され、飢えと寒さで疲れ果てて投降したのだった。
土地を奪われ、居留地へ向かったインディアンたちの悲劇は「涙の旅」とか「ロング・ウォーク」と呼ばれている。
この絵本には当時の宗教的な流行であった「ゴーストダンス」も出てくる。
インディアンは、ゴーストダンスが白人を消し去ってくれると信じていた。1890年のウーンテッド・ニーの大虐殺で300人ものスー族が殺されて、ゴーストダンスにはききめがないとわかった。

 私は、そこのところを読んでがっかりした。金に目がくらんで人の土地をむりやり奪い、傍若無人に略奪や殺人を繰り返す白人。それに対してなすすべもなく祈り、ダンスを踊っていただけなのに皆殺しにされてしまったのか。インディアンの呪いもきかないのだなあ。こんな人もいる。ショーニー族族長テクムシ。
COWBOY PICTURE and legendary old WEST より 赤い人「インディアン」最後の戦士たち
「われわれから大地を奪った者こそ呪われよ。われわれの先祖は墓の中から、われわれが奴隷の身分に身を落としてしまったこと、そして卑怯者となってしまったことを非難している。死者たちの嘆き声がひゅうひゅうと音をたてて吹きすさぶ風の中から聞こえてくる。その涙はうめき悲しむ大空から落ちてくる。白人どもこそほろびうせよ」

テクムシとかテカムセとか表記されている、ショーニー族の酋長にして呪術師だった人らしい。アメリカ先住民族は悲惨な末路をたどって大半が死に絶えてしまったが、呪ったはずのアメリカはその後ますます繁栄し、今にいたるまで世界のあちこちで戦争をして人を殺しまくっているのだ。

 2006年3月31日日経新聞「春秋」より
 米英軍は砂嵐に悩まされながらバグダッドに向け北進を続けていた。わずか三年前だが、もっと昔に感じる。クウェートを占領したイラク軍を排除した湾岸戦争となると、記憶はさらに遠のく。日本の大学生にはほとんど歴史に近い。
▼当事者にはそうではない。十五年前の今ごろ、解放されたばかりのクウェート人たちはイラク軍による破壊に茫然自失だった。思いは今に続く。先日閉幕した東京国際劇場祭で上演された「カリラ・ワ・ディムナ」は八世紀にイラクで起きたアッバース革命をクウェート人の視点から描く。それは現代史に重なる。
▼紅一点の登場人物アシアが最後に呪いの言葉を残す。「トルコ人、キリスト教徒、ユダヤ人が壮麗な金の戦車を駆って、アルマンスールの子孫を街路中に引きずり回しますように。イラクがあるマンスールに従うのであれば、イラクに繁栄なきことを。この日より永久に、この地が暴君だけを生み出しますことを」

 「カリラ・ワ・ディムナ」は中東で有名な動物寓話を下敷きにした演劇で、新進気鋭の劇作家スレイマン・アルバーサームの脚本だ。1000年以上前の宗教闘争が現在の中東の政治的混迷につながっているとは根が深すぎて恐ろしい話だ。ウィキペディアより「アブー・ムスリム」

 それにしても、こちらの方は女の呪いが成就したような空恐ろしさを感じるが、いったい呪いの有効性とはなんだろうかとつらつら考えた。アメリカインディアンは、一族滅亡に際してあんなに必死に祈ったのに白人をやっつけられなかったのはなぜかと考えていて、ふと思ったのは言葉の問題だった。きっと白人たちには言葉が通じなかったのだ。「インディアンの呪い」なんてばかばかしいから効くとも思っていなかったのだろう。そんな野蛮な考え方をする未開人は攻め滅ぼして当然だとも思っていたのだろう。だから呪いが罹らなかったのだ。なんせ呪いは「言葉の力」によるのだから。呪いはそれを信じていない人には効かない。

 では、今だれかが呪いをかけるとしたら有効だろうか?
もちろん。「言葉の力」なるものが流行しているし、「ババアが国を滅ぼす」とおっしゃった有名政治家もいらっしゃる。私はほんと感心したのだ。口先三寸で、なんと国の滅びを方向づけていらっしゃるではないか。石原都知事はある討論番組で「この国は成熟しきって腐って落ちる寸前の果物のようだ」とおっしゃった。そうか、これから日本は長い黄昏の時を歩むのだ。ああ、目に浮かぶようだ。多分、石原氏の予言はあたっているのだろう。なにせ社会学者がみとめる「すごい感染力」をお持ちなのだから。
 そして、「たかじんのとんでも委員会」なんかしょっちゅう「呪い」を連発している。よほど「呪い」が好きなのだと見える。あれだけ視聴率がある番組なのだ。きっとよく呪いが効くだろうよ。