読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

今朝笑った広告

2008-11-29 22:39:01 | 新聞
 今朝新聞を読んでいると、雑誌の広告に「オバマ・リスク」という見出しがでかでかと載っていた。
  オバマ守護霊にインタビュー!
 「私は日本を捨て、中国を選ぶ」


 ふーん、オバマさんの守護霊って誰だっけ?首席補佐官に就任予定のエマニュエル下院議員?と思いながらふと下を見ると「The Liberty 幸福の科学出版」とある。なんだ守護霊って、ものの例えじゃなかったのか。

 アメリカの「CHANGE」は繁栄か、混乱か?という特集らしい。

 ○「経済危機の克服にいいアイディアはない」
 ○「北朝鮮の日本への攻撃にアメリカは責任なし」
 ○「アメリカはどの国も攻撃しないと約束する」

 日本は専守防衛空母10隻体制を
 ○「台湾併合」なら沖縄は中国の手に!
 ○日本は独立国として存続できるのか!?


 アメリカの次期大統領の守護霊とお話できるなんてすごいですね。でも、実際のオバマさんは全然しゃべってないことばかりだけど、内容がそっくり2ちゃんねるあたりの中国脅威論者の極論みたいだ。この過剰な恐怖心はなんだろう。
 バックナンバーをさっと見てみると、ある種の政治傾向があるなあ。
 麻生さん支持みたいだ
麻生首相の過去世は“神算鬼謀の猛将”真田昌幸 天下分け目の総選挙で“独眼竜・小沢軍”を迎え撃つだってさ。
移民受け入れには賛成?それで中国脅威論?
「教育再生」で義家弘介?安倍政権並み・・・
「格差で騒ぐな」いじめや教育の荒廃を日教組のせいにする単純思考・・・
 うっへー、自民党タカ派的論理に宗教色を加えるとこうなるのか。それで「カルマ」だの「過去生」だのって正当化するんだからたまったもんじゃない!

大川隆法「宗教には人を根本的に変える力がある」
 先日の森達也氏も言っていたが、オウム真理教を見てもわかるように宗教には負の面があって、人を洗脳したり排除したり殺したり戦争を引き起こしたりする力もあるのだ。こんな右翼集団まがいの宗教団体だったら創価学会の方がましだ!


 その隣の雑誌広告は「STORY」1月号。「40代、もう一度女をがんばろうよ!」
「時には、『買わない知性』もある私
「妖精メークと妖怪メーク、(決め手は光と影の簡単メークテクでした)パーティー顔のボーダーライン」
「幸せになるSEX白書」

「買わない知性」って森永卓郎さんの言葉らしい。「妖精メーク」はともかく、「妖怪メーク」ってのを見てみたい。いやー、みんながんばって生きているんですね。私だって「買わない知性」くらいはあるから、こんな雑誌は買わない。


 先日10数年前の新聞紙が出てきたんだけど、一見してその地味さに驚いた。新刊本の広告だって、「俳句歳時記」とかナントカ法令集とかジジ臭い本ばかりなのだ。記事の中身だって愛想も素っ気もない。よく、昔のNHKニュースのシーンが出てきたときにアナウンサーの棒読み調に驚くことがあるが、あんな感じなのだ。きっとその頃はまだ週刊誌の広告だって「幸せになるSEX」なんて特集名を新聞に載せたら「なんてお下品な!」と苦情の電話が殺到していたのだろうと思う。そういうお堅い時代からいつの間にか「ニュースがわからん」とか「ののちゃんの自由研究」みたいな私でもわかるやわらかーい新聞になってきて、なのに購読数も広告収入も減っていくってのがよくわからんなあ。

 ひとつ言えるのは、見出しでダジャレを連発して遊んでいた時期があって、だれがやっていたのか知らないが、ああいうふざけ方はいやらしいと思われる。それから私などを典型的な読者と想定しているとものすごく偏ってくると思うな。私は昔から「下げマン」なのだ。

 政治が迷走すれば新聞も迷走。このところ新聞に過去を振り返るような特集が多いのは変化にどう対応すればよいのか考えあぐねているのだろうと思う。私は最近メディアに失望してしまったので、新聞が斜陽だろうがなくなろうが知ったこっちゃないが、最後の日まで切り抜きをするつもりだ。ターニングポイントを知るために。
 

「たかじん」で中山さんを見て思ったこと

2008-11-25 22:21:28 | 時事
 先日、「ハンサムスーツ」という映画を観てびっくりした。「えー、谷原章介って、やっぱりハンサムだったのか。」この年になると人の顔は記号みたいなもので、あんまりハンサムかどうかなんて気にしないのだけど、「王様のブランチ」で司会してる人はいつも目がキラキラして髪形も変だし、まるで雑誌のモデルみたいだと思っていたらほんとにモデル出身のタレントだったのだ。若手の局アナにしてはおかしいと思った。

 久しぶりに笑った愉快な映画だったし、あのぽわんとした色彩も好きだ。だけどそれにしてもどーも、違和感がある。冒頭に出てくるハンサムボーイ達の写真が私には全然ハンサムに見えないのはどうしたことか。最近のハンサムはああいうのを言うのか?だいたい私はヨン様だってハンサムには見えないのだ。(草食動物系じゃん。ちょっと噛んだらすぐに血が出て死にそう)最近のジャニーズ系などは特に、育ちも頭も悪いただのガキに見える。それに、塚地武雅が谷原章介に化けたとしても、あの軽薄なしゃべり方、振舞い方ではとてもかっこいい男とは思えない。なのに顔が谷原章介になった途端、わっと女の子が群がって来るという映画のシチュエーションが変だと思った。

 生物多様性という言葉がある。いろいろな種が多様に存在する状況、そして種の内部でも遺伝子がヴァリエーションに富んでいる状況。人もつがい形成においてそれぞれ好みがばらけていて、いろんな容姿才能の子が生まれるという多様な状況の方が種の存続には望ましいと思う。環境が激変したらどうするんだ。女がみんなああいうヘニャっとしたジャニーズ系の男にばかりなびいていたら、子孫はどんどん細くナヨナヨしてきて、顎も尖って咀嚼力が落ちる。生存戦略上よくないと思う。谷原章介が好きな女性も、塚地武雅の方があったかそうで食べでもありそうなのでタイプだって女性もいろいろいた方がいいのだ。

 ということを映画を見ながら考えていて連想したのは、最近のネット右翼のステレオタイプな発言。あったまカチカチじゃないのか?いろいろな物事の背景を全然知らないのにすぐに善悪、ウヨ―サヨとかステレオタイプな見方で決めつける。最近の日本の男というのはいつからこんなにもの知らずで偏見に満ちてそのくせ変な自尊心を持った鼻もちならない奴になったのかとあきれることばかりだ。きっと韓流なんてものが流行るのも遺伝子が呼んでるんだと思う。このままだと進化の袋小路に入り込んでしまうからできるだけ生物多様性を確保しようという無意識が働いてるんじゃないか?

 日本社会自体がすごくカチカチで息苦しい気がする。いろんな文化を持つ人をどんどん入れた方がいい。というより他に選択肢はない。なのに移民を受け入れると犯罪が増えるとか日本のよき文化が失われるとか言って頭から反対する人は、どっか田舎にゲーテッドコミュニティーでも作って住めばいいと思う。そんな地域おもしろくもなんともない。多様性に対応できる思考振る舞いを身につける他に生き延びる道はない。試行錯誤しながらやっていくしかないのだ。できるだけ早く。
社会】「厚生年金」お年寄り1人を現役世代"2.82人"で支えている 10年前は4.76人…厚労省調査
(2ちゃんねるのマモノ板って役に立つよね)

 ところで・・・・
 23日(日)の「たかじん」には「失言三連発」の中山成彬元国交相が出演していた。出演者のいろいろな批判に対して「私は、子供たちのことを思って・・・」と、最後にはそれしか言わないのでガックリした。妻中山恭子さんからのお手紙朗読というちょっとしんみりするシーンもあったけどおかしいよ。なんでそんなの読む必要があるの?恭子さんはよい人らしいけども、あんなとんちんかんな発言をほんとに正しいと思って信じてるのだろうか?いかにも右翼の人が感動しそうなお手紙だけど、夫婦間のことはともかく、政治家が仮に自分の思い込みで間違った方向に先導してくれたのでは国民はたまったもんじゃないのだ。

 うちの子の学校の校長先生が常々強調する学校の教育目標のひとつに「ベクトルを合わせる」というのがある。これは元和田中校長、藤原和博氏の言葉だ。社会は刻々と状況が変わっていく。大事なのはそれに対して自分がどのように対応するか、方向を見定め、目標を決めてエネルギーを注ぐ、その無限のベクトル合わせが必要なので、まるであさっての方向にエネルギーを注いでもダメだ。ベクトルを合わせるためには常に正しい状況判断ができなくてはいけない。今まで通りの決まり切ったやり方をステレオタイプに守るだけではやっていけなくなってきていると誰もが感じているはずだ。言われたことしかできないんじゃだめだ。自分の頭で考え、行動する新しいタイプの子を育てる教育をしなきゃ日本に未来はない。それを、既に弱体化している日教組がガンだなんて時代遅れの認識でわざわざ大金をかけて学力テストを復活させてそれで教育がよくなると思い込んでいるってところがすでに老害化しているから失言でやめてくださってほんとによかったと思った。失言ったって、「単一民族」なんてまったくステレオタイプな保守的歴史観とマイノリティーに対する偏見がついポロッと本音で出たわけで麻生総理の漢字の読み間違いとはわけが違う。案の定お題の「田母神発言」に対しても「正しい」と支持されてて、「今までの自虐史観」とか言うし、「過激な性教育」とか現状認識を欠いた決めつけの決まり文句連発だった。

 やはり問題は、こういう善―悪二元論で論じようとする硬直した発想だなあと思った。だから過去を正当化しなきゃいけなくなるのだ。田嶋さんも言っていたけど、なんで過去の戦争を反省したら今の日本がダメだということになるのか。もちろん当時は植民地主義の時代だった。このままでは日本も食われてしまうところだったし石油も止められて兵糧攻めにあっていた。戦後だってアメリカやヨーロッパ諸国は旧植民地で資源や労働力のあくどい搾取をしてきた。でもだからって日本が当時中国大陸や他のアジア諸国でやったことが正当化されることは決してない。植民地争奪戦争で残虐な行為の数々を犯したということを認めて謝罪することでしか発展的な未来の関係は築けないし、今アメリカや中国やロシアの覇権主義を批難することもできないと思う。


 こういう、「日本を守る」と言いながら未来の可能性を害するような政治家はやめてほしいと思う。そんなことをガタガタ言っている暇はないはずだ。
 来週の「たかじん」には田母神氏が出演するそうだ。楽しみだ。中山氏と他の出演者のやり取りを聞きながら思ったが、右翼番組「たかじん」のスタンスは右翼的視聴者のニーズに答えることで特化していくのか、それとも「とんでも右翼」を叩いてみせることで常識的保守の知性教養を見せつけようというのか、あるいは「右翼に発言の場を与えないと先鋭化して暴発する危険性がある」と思っているのか、単に対立軸を作ってバトルをすると視聴率が取れるからか、どうなんだろ。

テロかどうか不明であるけど

2008-11-22 00:56:52 | 時事
 元厚生次官殺傷事件のニュースを聞いて、私がまっ先に思い浮かべたのは、例の自民党のホームページだった。
 
 以前よりもかなり派手派手しくなったが、制作パンフレットはそのままだ。「あきれた社会保険庁の実態」で、「はっきり見えてきました。わたしたちの『敵』の姿が」と言っている。社会保険庁を「敵」認定しているのだ。国民の「敵」なんだから成敗してしかるべきと考える奴が出てくるのも当然だ。先日の森達也氏の警告がとてもリアルに感じられた。「敵―味方」という単純な二分法によって意見が異なるものを攻撃し排除しようとする最近の世論に顕著な思考の傾向が行きつく先がテロであり、戦争であるということをもっと自民党は自覚するべきだ。なんだよ!「ここまで進んだ小泉改革宣言」なんて今ではギャグだよ。先日TVタックルを見ていたら屋山太郎氏が道路特定財源の問題に関して「麻生さんにはシステムが悪いという頭がない」と言っていた。10数年くらい前まではうまく回っていたシステムだけど今ではすっかり時代に合わなくなり、自己肥大化してしまって害を及ぼすようになったから変えなくてはいけない、だから・・・と言って「外部環境がこう変化した。それに対応するためにこのような基本方針でいく。そのためにこのような新しいシステムを構築するのだ」という説明を、政治家は国民にしなくちゃいけない。全然だめじゃないか。麻生さんも自民党も。

 「今ひどいことになっているのは、あいつらが悪いからだ」と名指しして、そいつらを排除すれば万事解決ってなわけないだろ。もしもそういう論法を許すならば、大義のないイラク戦争によって天文学的大赤字を作り(そしていずれはそのツケを世界中に配分するのだろう)ブッシュ政権、・・・サブプライムローンという毒入り団子を世界中にばらまいて経済を大恐慌に陥らせたブッシュ政権、そしてそれに追随してイラクに自衛隊を派遣し、アメリカ型自由主義経済路線を突っ走って大量の貧困層を生み出した小泉元首相なんかは国民の一番の敵じゃないか。小泉さんを(あるいは麻生さんを)殺せば問題解決できるのか?そんなことはないだろう。

 自民党のネガティブキャンペーンは結局、自分で自分の首を絞めることになるだろう。あんなパンフレットを作った人は次の選挙で落選するに違いない。国民の不平不満を扇動して非難の矛先を別なところに持っていこうとする姑息なやり方がいかに危険なことであるかよくわかった。そして、麻生さんを見ていると自民党が賞味期限切れだってこともよくわかる。日本が生き延びるための、その場凌ぎでないきちんとしたビジョンを持っている政治家はどこかにいるのだろうか。

 もし定額給付金が出たら、うちはほとんどはローンの繰り上げ返済に使う予定だけど、私の分は「寄付するからちょうだい」と言ってある。民主党に寄付するつもりだ。将来もっと生活が厳しくなることがわかっているのだからぱっと使ったりできない。貨幣価値を将来に繰り越すためには貯金か借金の返済しかないけれども、民主党を支持するのも将来への投資の一つの方法だと思う。将来の選択肢が広がる。
 今、続々と製造業で派遣従業員が解雇されている。たいへんな規模の失業者が出ることが予測される。浅く広くばらまいている場合じゃない。給付金で景気刺激なんて悠長なことを言っていては餓死、凍死してしまう人が出かねない。まず緊急に失業者対策をするべきだと思う。

 何が不安かって、政府が信頼できないっていうのが一番不安だ。いったい誰が、不況への対処策を知っているかわからないっていうのが不安だ。もしかして首相もブッシュ並みにアホなんじゃないかと思えるのが不安だ。(だいたい安倍元首相が麻生総理を支持してるってところからして傾向がわかるじゃないか)アメリカでオバマさんが党派を超えて協力し合って危機を乗り越えようなどと呼びかけているときに、この国では「ああしようか、こうしようか」と言を左右にしたり、同じ党内で意見の統一がまったくとれてなかったり、閣僚や官僚のレベルの低い失言が相次いだり、迷走という言葉が思い浮かぶような情けなさだ。

 もう、そういうの飽きたからチェンジしてくれ!

「論座」10月号より

2008-11-15 15:24:45 | 雑誌の感想
 嫌だけどまた「田母神論文」

 何か書き忘れたような気がして仕方ないので思いつくままに書いてみる。

 田母神論文の件でびっくりしたのはアパグループという会社が「真の近現代史観」などという右翼くさい論文を募集するほどトップがアレだったのかってこと。まあ、変な宗教を信仰しているような経営者もたくさんいるし、本社ビルの屋上に祠があったりするようなとてもレトロな雰囲気の会社もあるしそれはどうでもいい。
 アパはかつて、派手な服装の女社長が自社の宣伝CMに出たところ、「(ビジュアル的に)ひどい顔を見て精神的に苦痛を受けた」といった類の苦情電話が殺到し、そのお詫びにホテル宿泊無料券を郵送し、また大々的にお詫びのCMを流したため、その真摯な対応に却ってひいき客が増えたというエピソードがテレビで紹介されていた。そのクレーム対応のユニークさはともかく、女社長が夜なべして、客室すべてに置くメッセージ付きの折鶴を折ってるという姿はちょっと熱血体育会系っぽくって嫌だなと思ったもんだがそういう立志伝もどうでもいい。

 問題は、 田母神「侵略否定」論文の背景 自衛隊とアパグループの密接な関係(J-CASTニュース)に見られるような、右翼の論客とグループ代表、および自衛隊との密接な関係だ。このブログ(SHINAKOSAN IS OKINAWAN)に出てくるが、そういえば耐震偽装で問題になったヒューザーの小嶋進氏も、アパ代表の元谷外志雄氏も安倍元首相の後援会幹部だったっけ。してみると安倍さんのいう「美しい国」の中身や憲法改正を目指す自民党保守系政治家たちのものの考え方がわかるってものじゃないか。

 上記ブログに、「鵬友」という航空自衛隊幹部学校幹部会発行の文集に掲載された田母神氏の論文が紹介されている。(リンクは下の方にある)
「航空自衛隊を元気にする10の提言~パートI~」
「航空自衛隊を元気にする10の提言~パートⅡ~」
「航空自衛隊を元気にする10の提言~パートⅢ~」

 論文というには散漫な文章で決めつけが多すぎる。パートⅡの「6 止(や)めない勇気と始める勇気」「7 身内の恥は隠すもの」なんて、あーそー、だから前例悪習が断てないのねとつい思ってしまうし、「また戦後の社会風潮や日教組に牛耳られた学校教育のせいで、何にでも自分の権利を主張したがる人が増えてしまった。」「マスコミもこれをあおり立てるようなところがある。」ってあーそー、やっぱり戦後教育が悪いってことー?社会保険庁をバッシングする番組なんかには制裁を加えてやれって発想も出てくるわなと納得する。「8 戦場は二つある」なんて怖いなあ。世論が相手の戦場でメディア操作がうまくできなくては戦争に勝ってもマスコミに負けてしまうってさ。ブッシュ政権のメディア操作を礼賛してるじゃない。パートⅢの「はじめに」「無実の罪が真実として一人歩きをするようになってきた」「当時の中国大陸や朝鮮半島はいまのイラクのようにテロが日常的に起こり、多くの日本人が殺害され続けていたのだ。治安は不安定でいわゆるゲリラ戦状態である。日本軍が進出したことにより治安は安定こそすれ、決して悪くなることはなかった。テロに会い続けながらも日本は、日本本土に投資する金を削って満州や朝鮮半島に金をかけ続けた。日本の投資があったことにより満州も朝鮮半島も住民の生活は飛躍的に改善されたのだ。」って、イラク侵攻を正当化するアメリカの言い草とまったく一緒だし、過去を反省なんて視点は片鱗もない。次が「攻撃は最大の防御」っていうのだから実に物騒。

 読むだけでぐったり疲れる文章だけど、これが自衛隊幹部の方々には絶賛されてたのか?

 論座2008年10月号より

 軍事関係の上層部はもっと常識的歴史観の持ち主で戦略的な思考の人に就いてほしいものだと思う。それで、実はさっき内田樹氏のブログを読んでいて思い出したのは「論座」2008.10月号(最終号)五百旗頭(いおきべ)真氏(防衛大学校校長)インタビュー、「日中関係の鍵は東シナ海での共同事業にあり」という記事だ。
こういうところ。
 私が福田さんに一番お願いしたのも、東シナ海のガス田問題で合意をつくるために頑張ってほしいという点でした。
 中国の軍事力はこの10年で3倍でしょうか、たいへんに上げ潮になってきています。今は日中中間線あたりで中国が開発しているガス田の上を日本の航空機は自由に飛べます。しかし、その状況は5年、10年たつと変わってくるかもしれません。
 そうなったら日本が既得権のように思っているものと何かの瞬間にぶつかったりするかもしれません。日中軍事衝突が思いがけず起こるかもしれません。それが世界の大ニュースになってしまうと、「第三次日中戦争」みたいな空気になりかねません。
 今は実のところまれなチャンスだと見ています。意外と思われるかもしれないけど、反日暴動のあと、胡錦濤政権は日本との関係に非常に気を使っているのです。例えば、香港の運動家らが尖閣諸島へ船を繰り出していこうというのを、中国政府がきちっと止めていますし、ブログ等での反日的な言動をかなり厳しく抑えている。小泉さんの時は、中国としては関係改善したかったけれども、ブレることなく靖国神社に参拝されたのでは国内がもたない、じっと我慢をしながら、さらなる悪化を食い止めていたんです。
 そこで、首相が安倍さんに交代したとたん、安倍さんが親中派でないことはよく知った上で対応を変えたのです。そういうことを日中友好21世紀委員会で中国側の人に言ったら、「ああ、いいんです。ニクソン大統領と同じです。ニクソン氏は大変な反共の戦士です。だけど、その人が米中改善の歴史的役割を果たす。二クソン氏の真意が反共かどうかということは最重要の問題ではない。彼が歴史的役割をしっかり演じてくれたらいいのです。安倍首相も同じです。安倍さんは他方ではインドやオーストラリアを誘って、中国封じ込め的な政策を試みるかもしれない。しかし、小泉時代に悪化した日中関係を改善するのが、安倍首相にとっても、政治的にプラスのポイントになって、それが一つの政治的資産になるとしたら、裏切れないでしょう。それでいいんです」と話していました。

わお、中国の政治家ってなんて戦略的な考え方の持ち主なんだろう。相手の立ち位置をよく理解した上で、お互いプラスになる方向に導いていく。特攻玉砕的な右翼の方々の行動パターンとなんと隔たりがあることか。
安全保障システムをまともなものにしなきゃいけないというのは、安全保障にかかわる学者、政治家や防衛省の幹部とか、そういう人たちの間では、いわば悲願だった。
 安全保障について先進民主主義国として求められる二つの要件があります。一つはシビリアンコントロールがしっかりできていること。もう一つは、必要な場合にしっかり機能する組織であること。小さくても安全保障を全うする部隊を持っている。あるいは意思決定システムを持っている政治です。この二つがそろって初めて国際水準だと思うんです。

きわめて真っ当だと思う。「たかじん」に出演した惠隆之介とかいう人が、「有事の際に自衛隊の出動が遅れたら大変なことになるから」と現場の裁量権の拡大を執拗に主張していたあれはやっぱ妄言の類か。
戦後日本については、国民が政治家を選び、国会が総理を選んで、民主主義的正統性を帯びる政府に、自衛隊は服するわけです。それは戦後日本社会で当然視されるようになったし、防衛省・自衛隊も、その考えは共有している。私も防衛大学校長という立場で半分、中へ入ってみて、それに対して反発する、かつてのような勇ましい人がいるかと思ったら、そうではなかった。自衛隊の幹部になるエリートは、まともな常識を持っていて、シビリアンコントロールをいわば内面化しています。

ほんとかよ。田母神さんはこういうのも「マインドコントロール」の成果だというんだろうな。
報告書には、ネガとポジというようなものを書いています。マイナスのミス、エラーをしないことが重要な課題ですが、エラーを恐れてダイビングキャッチをしないチームとなっては役に立ちません。ミスの回避を最終目標にするのではなくて、志を持って組織を挙げて立派な安全保障の仕事をやろうと、それに燃える中で、技量を高めて、ミスを極小化していく。そういう観点にたたなきゃいけないという主張をしています。
 もう一つ大事なのは、自衛隊を生かすも殺すも、結局は政治次第であり、国民次第です。部隊レベルでは頑張っているが、国家戦略レベルでは愚行の極みというのでは、かつてのような構図をつくってしまう。それは絶対にやってはいけない。首相官邸が大局に立って外交や内政の基本方針をしっかり打ち出す。それができるような人材を政策を防衛省が用意する。そして、政治が大局から方針を決めれば、それを踏まえて効率的に健全にそれを実施する。いつでもそれができるよう自衛隊は、精強にして規律ある部隊を用意していなければいけない。

私は思うに、あの論文の正否はともかくとして、ああいう人が自衛隊幹部だったのかという失望感があって、漠然と抱いていた自衛隊に対する信頼やイメージが崩れたってのが大きいと思う。それに世界的な金融危機でどこの国も今、生きるか死ぬかの瀬戸際ってときに、過去の戦争が正しいだのどうのと言いだすとんでもない復古調が流行して連日議論してるこの国って何よ、と世界中の人が首をかしげてるだろうなあと思う。2ちゃんねるでも最近バカにされてるっぽい麻生さんはさっさと解散総選挙してほしいよまったく。

――長年にわたって、陸海空は予算比率が同じという直接的体質をもっています。そのため脅威の変化を踏まえた組織改革ができないでいます。こういう問題は報告書の中からどう読み取ればいいのでしょうか。
五百旗頭 私の最初の案では、一番事情を分かっている陸海空がそれぞれ予算案を作った後、内局で全体案をまとめればいいとしていました。(中略)そしてたら当時の石破大臣が、「20年にわたって3幕の予算比率がほとんど変わってないことをご存じですか。一度、陸海空が自己完結的に予算を作ったら、その後は聖なる戦いになってしまい必死で守る。そのため予算比率を変えられないのですよ」と「全体最適化」論を説かれました。そこのところはもっともと思い、修正しました。
 大きな変化も起きています、例えば陸上自衛隊はソ連軍の北海道上陸作戦に備えて戦車を1200両持っていましたが、それをまずは900両に減らし、いずれ600両になります。
 だけど、こうした変化は誰が考えてもそうでしょうということになって、実感がじわっと出てきたところでやっとできるのが日本の通例です。聡明な人を集めれば「国際環境がこう変わって、これから日本が関与するであろう活動を考えたら、こんな大型戦車を使う機会は極めて少ない。もっと機動性のある、軽くて、しかも情報能力の豊かなもの、それが要るんじゃないか」というふうに、すぐに結論が出せると思うんです。世界の主要国もその方向で動いてます。しかし、自衛隊の場合、日本の多くのお役所と同じく、ジワッとみんなが諦めるまで待っている。これは遅いですね。

「歴史観」とかどうでもいいから、もっと現場の効率性とか機動力とかお金の使い方の適切さとかを真剣に考えてほしいです。


映画「イーグル・アイ」

2008-11-15 05:21:44 | 映画
 アメリカ映画を見ていると、映画のストーリーとは別に、ささいな一シーンでびっくりすることがある。たとえば「ブラックサイト」のサイバー犯罪取り締まりの素早さ。あるいはJ・ボーンシリーズでのエシュロン。あんなふうにメールや携帯の音声を国家機関に盗聴され、特定の言葉を拾い上げられていたらと思うとぞっとする。「テロ」とか「アホのブッシュ」くらい誰でも言いそうじゃないか。
 
 「ボーン」は、そのような権限を持つ機関の内部に、それを悪用する機密性の高い殺人組織ができてしまったら・・・という怖さだったが、「イーグル・アイ」は、人間ではなくシステム自体が意思を持って暴走してしまったらどうなるかという話で、こちらの方が怖かった。私たちは普段、「監視は嫌だけど、テロや犯罪を防止するためだったら仕方ないんじゃないの」と漠然と思っている。政治家や治安関係者もきっと「個人のプライバシーよりも国家の安全の方が優先する」と思っているに違いない。だけど、テロ防止のための監視システムが非常に賢くて、『テロが頻発する現在の状況を引き起こしたのは、私の警告を無視して身元の曖昧な容疑者をミサイルで村ごと吹っ飛ばす決定を下した大統領以下の現政権であって、テロを根絶するためには現政権を排除しなくてはならない』と判断したら・・・。

 ネタバレ!
 アメリカでは合衆国憲法で「武装する権利」が認められている。それは何も猟銃を所持して鴨や鹿を撃ち殺す権利が保障されているってことではなくて、政府が人民を虐げる圧政を行った場合には民兵を組織して政府軍と戦ってもよいってことを言っているのだ。その憲法の修正条項を盾に取って軍の巨大コンピュータシステムが、テロの最大の脅威と見なした現大統領以下の閣僚をみんな殺してしまおうと目論む。携帯、ファックス、無人のクレーンや信号、電光掲示板、空港の荷物検査装置などありとあらゆるデジタル制御機器を思うがままに動かして人を誘導し、殺人を実行させるのだ。「これはマズイ!」と思っただろうか、政治家の皆さんは。

 だけども、私はふと「これ、必ずしも間違ってないんじゃないの?」と思った。イラクだけでいったい何人の犠牲者が出たことか。そしてテロの激化で世界中でどれだけの犠牲者が出ていることか。テロの根源は憎悪の連鎖を発生させる「テロとの戦い」そのものにあるに違いない。かくも緻密なシステムがあって、そのシステムが「やめとけ」と言っているのに警告を無視して葬儀の真っ最中の人々を吹っ飛ばすような大統領には死んでもらった方がいいと思う。

 もちろん善良な主人公はそのようには考えないので、必死に体を張って暗殺を阻止しようとする。そしてよくある結末だけども「私たちは安全を保とうとして逆に大きなリスクを負った。」「けれども、このシステムを廃止することは考えていない。」となるのだ。
 すべての情報が一か所に集積されるようなシステムがあるってことがいかに怖いか、そして、いくらよくできたテロ対策システムでもそれを運営する者がアホだったら却って危険性が増してしまうとか、システムが原則を貫徹した結果人間の方が殺される可能性もあるとか、そういうことをわからせてくれる映画だった。

 それからこの映画を観ながら思い出していたのは、オバマ氏が大統領に当選したと決まった日のことだった。私はテレビを見ながら子供に、「アメリカはね、他に選択肢がないんだよ。」と言った。マケインだろうと誰だろうと共和党候補が引き続き大統領になったとしたら、世界中が落胆してアメリカを見放していただろうから。「それでね、あとはオバマさんが殺されないように守らなきゃいけないの。殺したら、元々大統領にならなかったときよりもひどいことになるの。」と言ったのだった。なんて危ない橋だろう。だけど他に選択肢はない。考えてみるがいい。他の候補者は、みんなこのシステムに暗殺されそうな人ばかりじゃないか。

 うーん、いくつかの映画評で「2001年宇宙の旅」の影響が指摘されているけども、たとえば「このままいくと地球は環境破壊で滅びてしまうから、人間を皆殺しにして地球を生かす」という発想もありうるな。
 それって地球が静止する日の予告に出てきたっけ。まだ公開されてないけど。

田母神前幕僚長の論文とか・・・

2008-11-12 13:37:07 | 時事
 従軍慰安婦への謝罪・賠償要求

 今朝、新聞を読むと「台湾の立法院が従軍慰安婦への謝罪・賠償を求める決議を採択した」という記事が目についた。
「決議案は、与党国民党と野党民進党の議員らが共同で提出。」おいおい、台湾は親日で従軍慰安婦は存在しないってことじゃなかった?「たかじん」で金美鈴さんが「私はずっと聞き取り調査をしたけれども、無理やり連れて行かれたなんて人は一人もいなかった。」とか言って、「そんなことはない!」という田嶋さんは猛烈にバッシングされてなかった?
ウィキペディア 金美齢
日本統治時代を批判してきた金だが1996年、産経新聞が始めた新しい歴史教科書をつくる会の運動に連動するかのように「台湾で生きている日本精神」を発表する。日本の保守派は歓迎してこれを受け入れ、日本統治を賛美する本が日本人の手で次々に出版されるようになる、

2001年2月に勃発した小林よしのりの『台湾論』騒動では、台湾立法院(台湾の国会に相当)が小林の台湾入国禁止を決定。これに対し金は、「民主主義と言論の自由への弾圧」「言論の自由は守られるべき」と抗議のため帰国。メディアを通じて、立法院で多数を占める野党国民党を激しく批判。

日本の台湾統治は清国政府や後の蒋介石よりはましであったにしても植民地は植民地だ。人権侵害も抑圧もあったし、いくら親日派が多いからって「だから日本の統治は台湾に発展をもたらした」などと胸を張っていうものじゃないだろう。金美齢さんの右翼的な発言を聞きながら、台湾の一般人はそうは思ってないはずだということを知っている私は、あの人が台湾を代表する評論家として日本のメディアでもてはやされている状況を、あちらではどう見ているだろうかといつも思っていた。きっと、中国に飲み込まれないためには日本と「仲良く」するしかないと必死にヨイショしてるんだと思ってた。
金さんを国策顧問に任命した陳水扁総統も汚職で逮捕されちゃったし・・・。

台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 
台湾の政治はこれからも二転三転するかもしれないが、アメリカでも人権問題を重視する民主党が政権を取ってこれから日本を見る目はますます厳しくなるだろうと思う。そんな時に田母神論文ですよ。ワシントンポストの意見広告がアメリカ人の対日感情を悪化させ、結果的に謝罪決議案が可決される状況に至ったと同様なことが起こるだろうと思う。(あのとき、私は恥ずかしさと怒りで目がくらむ思いだった。あの広告を出した人たちの名前をよく覚えておこう。おお、映画「靖国」騒動の発端になった稲田朋美さんもいたなあ。「たかじん」の常連やゲストがいっぱいじゃん。)

 田母神論文

 テレビで「ザ!世界仰天ニュース」を見ていたところ、顔にシリコン注射をし続けた挙句、化け物のようになってしまった女性のエピソードが出ていた。最初はエラの張った輪郭を隠すため、ヤミ医者に注射してもらったのが病みつきになり、とにかく「きれいになりたい」とシリコン注射をし続けたのだ。ここに動画があった
 人間は過度のストレスに曝されると、かくもわけがわからなくなってしまうものなのか。この女性の場合「整形依存症」という心の病気であって、まず精神科で治療を受けなくてはいけなかったのだ。寄付によって何十回も再生手術を受けたけど、崩れて変色した顔はもう元には戻らない。これから一生後悔しながらあの顔で生きていかなくてはならないのだ。

 その番組を見た後で、NB online 伊藤乾「KY空幕長の国益空爆」を読んでいたら頭の中で不思議な融合が起きて「そうか、あの論文や広告や、右翼の方々の勘違い発言なんかは、自分が醜くなってしまうとわかっていてもシリコン注射をしないではいられないという症状とおんなじなんだ」という考えが浮かんだ。これまで積み上げてきた歴史的検証も、海外からどう見られるかという視点も、国益もまるで眼中にない。昨日の田母神氏の発言「日本はいい国だと言ったら解任された」などというのはほんとアホ過ぎる。アジア2000万人の犠牲者に対してはどう思っているのか。軍部の無謀な作戦で餓死、病死した多くの日本兵、大空襲や原爆でなくなった200万の犠牲者に対してどう思っているのか。今まで日本が行ってきた戦前の軍国主義への反省も、戦後の国際貢献、平和主義外交も台なしだ。しかも例によって、「インターネット上でのアンケートでは過半数が支持している」と中山さんみたいなことを言う。一応タカ派の麻生総理でさえ、外交を考えて「村山談話を継承」と発言して2ちゃんねらーをがっかりさせていたのに。無責任に言いっぱなしの人はいいよな。

 今回唯一の救いだったのは、私が保守派と思っていた人がちゃんと批判をしていることだ。前防衛大臣の石破さんはブログで論文批判をしてコメント欄が大繁盛してるし、「たかじん」では保守派の三宅さんが田嶋さんも顔負けの剣幕で批判をしてた。「日本は文民統制でいくと決めてるんだから、もしもの時に(自衛隊の出動が)遅れたってそれは仕方ないんです。」とゲストの軍事評論家、惠隆之介氏に言っていた。(動画が載ってる・・・)親米保守はわりと理性的なんだと思った。




森達也さんの講演を聞いた

2008-11-10 23:02:02 | 日記
 先週の土曜日(8日)、映画監督・作家の森達也さんの講演を聴いた。
 講演のテーマは「いのちの食べかた~向きあうことで差別はなくせる~」であったけれども、内容はちょっと違っていた。きっと主催者は「いのちの食べかた」(理論社)という子供の本に即した内容をしゃべってほしかったのだろうけど、森さんが今一番訴えたいことはメディアリテラシー関連だったようだ。

 オウム信者とそれを取り巻く世間の人たちを内部から外に向かって撮った映画「A」と「A2」を私は見ていない。だけど「本の旅人」で10月号から連載されている「職業欄はエスパー2」を読んでびっくりした。森さんの番組は普通のドキュメンタリーと全然違う。固定観念がひっくり返ってしまって、そのことに自分でびっくりしたのだ。昔スプーン曲げの少年が一時テレビでもて囃され、途中から「インチキだ!」と大バッシングを受けた事件があった。森さんの彼らエスパーに対する取材を通して浮かび上がってきたのは、何が何でも「本当かそれともインチキか」を決めつけようとするメディアの強引さ(あるいは傲慢さ)だ。物事には白か黒かなんてはっきりと色分けできることなんて本当に少なくて、ほとんどは「だいたい白ときどき黒」とか「白か黒か本人にもよくわからないのでグレーとでも言ってくれ」とかいうものじゃないか?でもそれでは普通の視聴者は納得しない。「要するに白なのか、黒なのか、はっきりしてくれ!気持ち悪いじゃないか!」とチャンネルを変えてしまうから、最初から結論を白、または黒に決めておいてそれに都合のよいような映像を狙って取材するのだ。
(「職業欄はエスパー」は98年制作のテレビドキュメンタリーだ。YOU TUBE に映像が載っている。便利だな。)

 「A」とその続編「A2」も、オウム信者の人たちがいかに普通か、言い換えるとオウムの側から見ると外部の人たちがいかに異常であるかを描いたものだ。当然番組はどこのテレビ局も放送してくれなかったし、森さんは「あぶないヤツ」と言われて制作会社をクビになった。後に作った映画も興行的には失敗だったそうだ。
 世間の人たちはそんな番組なんて見たくないのだ。オウムは兇暴な殺人集団で自分たちとは違うということを確認して安心したいからテレビを見るのだ。そしてメディアは坂本弁護士殺害にかかわるTBSの不祥事を一斉にバッシングしながら、「もしかしたらウチもヤバイかもしれない」と恐れ、自己規制を始めた。

 「放送禁止歌」というドキュメンタリー番組は、'72~'73年頃のラジオで、つい今まで流れていたのに唐突に一夜にして禁止されてしまったいわゆる「放送禁止歌」について調べたものだ。取材を進めていくと驚いたことに、実は「放送禁止歌」なんて存在しなかったという結論に行き着く。放送禁止を命じるようないかなる団体、組織も、どこにもなかった。つまりあれは放送局の自主規制だったのだ。そして、その背景には差別の問題があった。
 メディアって偽善的だとあらためて思った。

以下、講演のまとめ。

 日本の犯罪報道は異常だと森さんは言う。朝から晩まで特定の犯罪の背景を根ほり葉ほり報じる。実は殺人事件の件数は2007年に史上最低(受理件数、1199件、未遂、心中を含む)を記録した。実に喜ばしいことだけれどもメディアはほとんど報じないし警察も大々的に発表しない。政治家も不勉強でこのような統計を知らない。きっと国民に知ってほしくない事情があるのだろう。戦後殺人事件の件数が最も多かったのは1954年頃だ。その後一貫して減少している。にもかかわらず私たちの「体感治安」は年々悪くなっている。それはメディアが不安と恐怖を増幅させるような報道をしているからだ。人はいつ自分が犯罪の犠牲者になるかわからないと恐れる。セキュリティー強化が叫ばれ、街角には監視カメラが溢れ、セキュリティー関連の会社が繁盛する。(そしてそこに警察から天下り)。メディアは視聴者の欲望を反映して善悪の区別ををはっきりと、悪い奴はより悪く描く。敵と味方を峻別して「彼らは自分たちとは違う」と思うことで安心したいのだ。集団内部に仮想敵を作って一斉にバッシングをしたり、犯罪者の厳罰化を求めたりするのもそのせいだ。90年~95年の5年間と2000年~2005年までの5年間を比較すると明らかに死刑判決の数が増加している。光市の事件の裁判を見ても報道が一方的過ぎることは明らかだ。犯罪に対する不安と恐怖、「許せない」という感情がメディアによって増強されている。

 森さんは関西テレビの「納豆騒動」で「なぜプロデューサーがウソを見抜けなかったのか」なんて言う人がいるけど「見抜けなくてあたりまえだ」という。「映像メディアの嘘は見抜けない。」そもそもメディア自体が嘘なのだ。同じ現象でも別の角度から見るとまったく違ったものが見えてくる。メディアは一番刺激的で絵になるようなドラマチックな視点を切り取って伝える。それを丸飲みで信じてはいけない。視点を変えて見るということが必要で、これがメディアリテラシーなのだと言われた。たいへんよくわかる。例の光市母子殺害事件にしても、被害者の遺族にばかりスポットが当てられて、弁護団をキチガイのように言う人たちの大合唱があったけれども(橋下さんとか)これを弁護団の側から撮ったドキュメンタリーで見ると、まったく別のものが見えてくるらしい。
これに言及したブログ)。このドキュメンタリーを制作した東海テレビのプロデューサーが先日朝日新聞の人欄で紹介されてたなあ。
光市事件 加害者側に焦点 東海テレビが制作「光と影」
遺族感情からすれば、犯人を死刑にしてほしいのは当たり前であるけども、メディアがそちら側ばかり一方的に加担するような報道をするのはおかしい。また、良識ある評論家であらせられる三宅久之さんが「出獄してきたら、私がこの手で殺してやる」みたいなことを言うのもおかしいんじゃないか。

 アクセスという番組で、神浦さんという軍事評論家が、「北朝鮮脅威論」に対してこう言ったそうだ。「北朝鮮など何ら怯えることはありません。石油備蓄はほとんど尽きているし武器、装備は時代遅れ、日本の10分の1の武力しかない。だから絶対に北朝鮮は戦争をしかけてきたりしない。負けるとわかっているから。」だけども後で森さんに「今日は思い切って言ったけど、こういうことを言うとメディアで干されてしまう」と言われたそうだ。北朝鮮なんかちっとも脅威でないということが国民に知れると困る人がいるらしい。
 神浦元彰さんのサイトJ-RCOM韓国、新計画策定へ 北朝鮮混乱に対応策  朝日 10月30日 朝刊 の記事に対するコメントでもそのようなことを書いておられる。)
まさに仮想敵を作って憎悪し、バッシングするという構図だ。
麻生首相は「やられる前にやれ」と言った人だ。田母神元幕僚長は論文の中で「日米戦争は防衛戦争であった」と言っているが、20世紀以降の戦争はほとんどそうだ。ナチスだって「このままではゲルマン民族は滅びてしまう、危ない、やられる」というプロパガンダによって戦争を始めたのだ。アメリカだって「共産主義の脅威」というドミノ理論によってベトナム戦争をはじめ、大量破壊兵器、アルカイダに対する恐怖からイラクに侵攻した。「敵」に対する恐怖心から「家族を守るため、同胞を守るため」戦争を始める。ところがその結果は焼け野原じゃないか。過剰なセキュリティーが人を殺すのだ。まるで、人の免疫細胞が暴走してアレルギーを引き起こすメカニズムにそっくりだ。日本には思想、信条、表現の自由があるから発言はすればいいけども、自衛隊の幹部がこのような自覚に乏しいということが問題だ。
 不安だから人は群れる。群れて安心したい。みんなでまとまって行動し、異物を見つけて攻撃する。集団に同調しないものはKYと言われ、自己責任と言われる。このような傾向はすべてオウム事件をきっかけに始まった。少数派が生きづらい世の中になってしまっている。メディアが本来の機能を果たしていない。世界史の中で初めてファシズムのような全体主義的な政治形態が起こったのは1910~1930年頃だ。音と映像のマスメディアが広がったのがこの頃だ。メディアによって多くの人に一斉にプロパガンダが広まり、危機意識が植えつけられた。ファシズムは終わり、こんなに治安はよくなっているのに人々の不安はかえって増している。見るものに気をつけないといけない。日本のメディアは末期症状だ。だけども、ぼくらが変わればメディアも変わるのだ。(以上、講演の抜粋)

検索していて見つけたのでメモ。
メールマガジン Publicity
から
▼森達也(映画監督、テレビディレクター)その1
森達也(映画監督、テレビディレクター)その2/個保法と住基ネットとの基本的関係
森達也(映画監督、テレビディレクター)その3/橋本派が有事法制に慎重
森達也(映画監督、テレビディレクター)その4/テロリズム定義に失敗ASEANテロ会議
森達也(映画監督、テレビディレクター)その5/宮台真司の指摘
森達也(映画監督、テレビディレクター)その6
森達也(映画監督、テレビディレクター)その7/車いす席一部は当日渡し/TBC、 38000 人個人データ流
森達也(映画監督、テレビディレクター)その8/発生前に容疑者みつけられた? 911テロ/テロ犯捜索に
森達也(映画監督、テレビディレクター)その9(止め)/野中、個保法案や有事法制を批判/平沼経産相、国

 あと、興味深かったのは、「今年は殺人事件が増えるのではないか」と言われたこと。イメージに実体が合わせようとするので、みんなが「危ない」と思っていたらそのとおりのことが起こるというのだ。セキュリティーが裏目に出ているという皮肉な状況だ。また「理由のない殺人」が増加した原因について①、メディアのアナウンス効果で「理由がなくても人が殺せるんだ」とそそのかされた。②「理由がない」という動機をみんなが認めたため、動機のひとつとして認められるようになった。③自殺が増加しているということに関係がある。自分を殺せる人は他人も殺せる。自殺が他殺に反転した。などと分析されていた。
 「最近はどうも戦前に似ているのではないかと思う。不安が人々の望むのとは逆の現象を引き起こす。」と言われたので、なるほどじゃあ最近の傾向を見るに日本はロクなことにならないなとつい思ってしまった。これがいけないんだな。

出戻りネコ

2008-11-05 16:31:38 | Weblog
 やっと貰い手が見つかったと思ったネコがたった一晩で戻されてしまった。

 娘が「貰い手を探すから」と言って拾って来たのに本気で探していなかったためとうとう生後6か月(推定)のふてぶてしいネコになってしまったシロ(仮の名)に、やっと先日声がかかった。スーパーに張ったポスターを見たというおばあさんで、死んだ飼い猫にそっくりだという。そのスーパーの駐車場で待ち合わせて顔見せをし、「まだ予防注射が一度だけだから二度目の注射が終わってからお渡ししましょう。」ということになった。去勢済みだと言うと「大事にされてるんですねえ。」とおっしゃる。そうです。昔と違っていろいろと面倒になってきています。

 この10年で二匹のネコが車にはねられて死に、一匹が行方不明になった経験から、できるだけ室内飼いにしようと悪戦苦闘している。みんなうちの近所に捨てられていたネコだ(ネコを捨てるな!)。最初に飼い始めたネコは国産の粗悪なエサのせいで腎臓を悪くして、死ぬまで高い療法食しか食べさせられなくなった。去勢が遅れると独特のおしっこ臭に悩まされ、悪臭の発生源を探して床を這いずりまわる苦行の日々。消臭スプレー代もバカにならない。風邪をひけば所かまわずくしゃみをして四方八方に青っ洟を飛び散らせる。いろいろと痛い目に遭ってきたので最近は拾ったらすぐ動物病院に駆け込んで、耳ダニ、ノミ、回虫の駆除、ワクチン投与をするようにしている。6か月過ぎたらすぐに去勢、避妊。

 「子猫かと思っていたら、もう大きいんですね」とおっしゃったので「ええ、でも去勢も済んでるしお得ですよ」と、商品の売り込みみたいなことを言ってトイレとエサ付きで連れて行ったのだけど、一晩明けた今朝電話が掛ってきて、「飼う自信がなくなった」と言われたのでちょっとがっくりきたけど引き取りに行った。顔を見ると灰色に汚れている。網戸を開けて外に飛び出したり、勝手に二階の押入れを開けて天井裏に上がったり、廊下をダダダッと走りまわったり、朝っぱらから大声で鳴いたりしたそうだ。お気の毒に、疲れた顔をしておられた。お家は築50年の古い田舎の家だからどこもみな木枠の引き戸だ。鍵もついてなくて爪を引っかけて開けるのは朝飯前。室内飼いは不可能な様子。やれやれ。

 娘と喧嘩しながら、こうなったらこのネコも一生面倒を見るしかないと覚悟を決めて、でももう一度募集をかけてみようということになった。なんだか最近犬とネコの世話で明け暮れてる毎日のような気がする。ふと大島弓子さんを思い出してぶるぶると首を振る。そうそう、映画「グーグーだって猫である」は、主人公の麻子さん(小泉今日子)がかわいかったけど、マンガの原作とはまるで別モノ。マンガのあの独特のテイストが好きな私はちょっと幻滅したな。


ソーシャルへ

2008-11-04 02:29:02 | Weblog
 さっきたまたま見つけたブログの記事に「EU労働法政策雑記帳」の濱口氏の赤木論文批判が載ってておもしろかった。
 赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ
 上記記事に対する松尾匡さんのコメント
 市民派リベラルのどこが越えられるべきか
 それに対する濱口氏のコメント
 松尾匡さんの「市民派リベラルのどこが越えられるべきか 」


 なんだか昨日考えたことと重なってる部分がある。
濱口氏の記事から
赤木さんはあとがきで、こう言います。
>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。
>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。
それは全然無茶ではないのです。
そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。
逆なのです。
「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。
それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。

松尾氏の記事から
【利害を見下すのではなく】

 そんな「配慮の連帯」はもういらない。「利害の連帯」の時代になっているのだ。濱口先生も、利害を語ることは恥ずかしいことではない、むしろ語るべきだ、オールド左翼はそうだった、と言っている。その通りである。しかし私が濱口先生に言いたいのは、少数の貧困層だけが利害を叫んでも力にはならない、そうではなくて多くの幅広い層の労働者がそれぞれ自己の暮らしの利害を追求しながら、なおかつそのためにこそ団結できるようになったのは、今述べたとおり、まさに現代資本主義のおかげだったということである。
 それを称して私は「現代資本主義は労働者を普遍化させるので進歩だ」と言っているのである。濱口先生は、私の現代資本主義評価を解釈して、労働者がすべからくみんな非正規化・流動化した果てに、共通の利害に結ばれることを待望する議論のようにみなしているようである。しかしそれはあくまで最悪のシナリオなのであり、放っておけばそうなってしまうことを理解すれば、人々は自分より低い境遇の者を引き上げることを目指すだろう。それもまた「普遍化」のひとつなのである。

 先日「外国人労働者の生活支援」をしている人をPTA講演会の講師に招いたのだけども、それというのも、自民党の国家戦略本部とやらが「移民受け入れ1000万人」を提言したり、経団連が「定住化を前提とした移民受け入れ」を提言したりしているってことは、もはや他に選択肢はないってことを示してるんだろうなと思ったからだ。講師もも少しソフトな言い方でそう言っていた。

 そういう方向に向かってるとして、企業が「さらに人件費を削減できる」なんて考えてたらおそろしいことじゃないか。だからといって、もしも不安定雇用の人たちが、「私たちの職を奪う」と外国人労働者を目の敵にして外国のように襲撃したりすれば、お金持ちは「やーい、バーカ、バーカ」と思いながら遠くから「内ゲバ」を嘲笑って見てるに違いない。彼らの思うつぼだ。外国人労働者を賃金のディスカウントの道具にしてはいけないのだ。そうさせないためには外国人労働者も含めた不安定雇用の賃金、待遇改善を訴えなくてはならない。同様に、正社員も自分だけ逃げ切りということはもはやありえない。正規雇用が非正規雇用に次々に置き換えられていく中で正社員の仕事はますます過酷になっていくだろう。だから労組は非正規雇用も含めた待遇改善と「同一労働、同一賃金」を訴えて戦わなくてはならない。みんな一連托生なんだ。

 また、「多文化共生」という楽しそうな言葉で「NPOと連携して外国人支援をする」と言っている行政が、もしも「できるだけ経費を抑えたいから市民団体をうまく使おう」なんて考えてたらとんでもないことだと思う。民間にできることとできないことがある。お金がかかること、教育や医療の援助は行政にきちんとやってもらわないといけないし、外国人労働者を雇う企業には生活支援を義務付けるというようなこともしてもらわないといけない。
と、思ったので招いたのだった。人権は経済の問題と密接に結びついてるのだ。決して心の持ちようをなんとかすればいいって話じゃない。

 先日の朝日新聞の記事で、「ロスジェネ」の編集委員大澤信亮さんが、「もはやどこにも安全な場所はないのだから」と書いていた。きっとそうなのだろう。日本は沈みかけた船だ。一連托生。

 私は、年金はもういいです。自分の老後とか考えません。困窮したら家土地うっぱらって、それもなくなったら野垂れ死にしてもかまわないと思っている。ただし、子供だけは将来ちゃんと生きていけるような社会であってほしい。そういう基準で政策も判断しようと思っている。


 ところで私も「市民派リベラル」ってやつの分類に入るのかなあ?
 「ブエノス・ディアス・ニッポン~外国人が生きる『もうひとつの日本』」の著者、ななころびやおきさんのブログ「いしけりあそび」から 
 ええ、オレって市民派リベラルなの?
「ぜーんぶ階級問題だ~」って、おもいっきり赤旗じゃん!

昨日のつづき

2008-11-03 23:59:08 | Weblog
 昨日の講演会では藤原和博さんのあと、和田中地域本部長、衛藤寿一さんの報告があった。うちの地元でも、和田中に学んで学校支援地域本部を立ち上げようという試みをしているモデル校が二校あって、その関係者が衛藤さんのインタビューをした。

 衛藤さんは淡々と話す普通の人だ。ゆるやかな語り口は催眠術のように聴衆を午後の心地よい眠りに誘い込んだが、藤原さんとはまた違って、こういう人が学校に常にいて生徒たちに接しているというのはよいことだと思った。淡々と話されるので、スゴイことをしているのに全然スゴイように聞こえない。百マス計算が難しくてついていけない生徒に「らくだメソッド」という独自のトレーニングをDSで(!)やらせていて、「その全段階を作成しました」とかおっしゃるのだ。そういうの詳しくないけど、これ、すごくない?

 それからインタビュアーが、「子どもたちの『豊かな心をはぐくむ』ためにどういった取り組みをされていますか」(PTAくさい!)と聞くと、「えー、特に・・・、これが心の豊かさというものはなくて、図書室を整えたり、校庭に田んぼを作ったり、・・・すべての活動をする中で子どもたちの心の豊かさが培われるのだと思います。総合力ですね。・・・それから、和田中では『あいさつをしよう』ということを言っていますが、何か問題を抱えている子は、あいさつに元気がないので、そういう子は特に気をつけて見るようにして、何かあれば先生に報告しています。そういうことですかね。」などと淡々とおっしゃるのだ。実にまっとうだなあ。「挨拶をしよう」などというスローガンを掲げて、みんな元気に挨拶をすれば明るく心の豊かな子が育まれるっていう発想じゃないんだなあ。挨拶ができないほど家庭が暗かったり、勉強についていけなかったりする子は、早めに見つけてサポートできるという発想なんだ。

 最近誤解を受けるような短絡的発言が多い橋下知事は、スピーチ原稿を書いてくれるようなブレーンを雇うべきだと思うな。
 「国旗、国歌意識して」 橋下知事が高校生に呼びかけ(産経ニュース)
「PTAは解体」を謝罪 橋下知事「表現間違えた」(産経ニュース)

 人集めはうまいんだから。
百マスの「陰山」、小河式の「小河」、夜スペの「藤原」 大阪の橋下知事は人材集めが巧い(ブログ「山椒(参書)を入れるとニュースも辛い?」)



 昨日、「そうか、『教育の重点目標』が変わってるんだから、『こころをはぐくむ』だとか『いのちの大切さ』とかそういう安倍政権、中山文科相くさいスローガンからシフトしなきゃだめだったんだな。」と思った。うちの校長先生は機会がある度に、新しい重点目標と学校の「3つの目標」を話されていたのだけども、保護者は和田中の実践を全然知らないからよく理解できていなかった。それに藤原さんの言っていることは実はかなりレベルが高いんじゃないかと思う。大半の人は、文部省が何を言おうと「あ、そうですか」くらいにしか思っていない。既存のフレームが間違っているんじゃないかとか、これではうまくいかないから別のやり方をやってみようとか、AとBのよいところを取って「進化」させようとか、そんなことは考えないようなのだ。私は「あの話は古臭いんだ」と言った途端、猛烈に嫌われた。
 
 教育長さんは「(教育目標が)スイングバックしている」と言われたけども、教育行政がこう揺れ動いてたんじゃ親はたまったもんじゃない。私のしゃべり方も、もっとゆるやかに(気づかれないように)方向転換しなきゃいけなかったかもしれない。
 私だって、あの2003年のPISAの問題がどんなものだったか、それに対してブログ論壇でどういう反応があったかをインターネット上でリアルタイムで見ていなければ、そして宮台ブログを読んでいなければ昨日の藤原さんの話は一言半句もわからなかっただろうと思う。だから普通わからなくて当然なんだ。

 しかし、考えてみれば、人権教育推進委員なんて部署も、さらにもっと古臭いもんだ。同和教育が必修で、PTAとしても取り組まなきゃいけなかったからできたんだろう。このやる気のなさはソフトになし崩しにしていこうという暗黙の了解でもあるのかと疑ったくらいだ。

 でも、私が2ちゃんねるを初めて見たとき、驚愕したのは差別発言や誹謗中傷のひどさと、それが野放し状態になっているという状況だ。「差別なんて時代とともに自然になくなる」という意見が誤りであったことが証明されてるじゃないか。私らの世代は少なくとも、「差別は封建社会において権力者によって意図的に形成されたもので、なくすべきものだ。差別は恥ずかしいことだ。人権の侵害だ。」という共通認識があったと思うが、今の掲示板の状況では「差別がかつてあった。それを利用してとことん貶めてやろう」としているように見える。韓国や中国に対する根拠のない優越感とその裏返しの嫌悪感。歴史的経緯を全く顧みない在日差別。「移民政策反対」という外国人恐怖。人権教育の必要性はますます高まってきていると思うんだけどなあ。それを訴えても全然通じない。何を言っても通じない。「人権、怖い」「うかつに発言してはいけない」とでもいうような雰囲気がある。

 そして、保護者も先生も、年々忙しく、余裕がなくなってきているような気がする。お母さんたちもみんな仕事で疲れている。できるだけ行事を増やしたくない(なのに年々増えていく)。PTA行事の参加者も年々減ってきている。経済的に大変で「人権どころじゃない」みたいなかんじ。そういった状況はこれからも加速していくだろうと思う。この「全部あなたにおまかせ」的な態度も精神的な余裕がないからで、きっと私だって職場や家庭で大変な状況だったらそうなっちゃうだろうとも思う。

 だからPTA組織も見直してスリム化し、地域本部でやれるとこは肩代わりしてもらえるように体制を組み直すというのも時代的な必然性があるのだろうと思う。そういうことをわかりやすく話さないと、いきなり「PTA解体」では保護者は自分が攻撃されてるように思うから拒否反応を起こすだろう。

 ああ、ディベートとプレゼン能力がますます重要になってくる時代なんだなあ。トホホ・・・


藤原和博氏の講演を聴いた

2008-11-02 23:37:42 | Weblog
 福山市ロータリークラブ主催の講演会「これからの公立学校と地域のあり方」藤原和博氏のお話を聞いた。ナマ藤原を見れてうれしかった。
 私は講演会の時には前の方の席に座ることにしている。こういう時にいつも思うんだけど、何でみんな前の方から座らないの?映画じゃないんだから。私の二つ前が講師席で、そこに藤原さんが入場して着席された。ほんとに背後から見ても「どこかで見たことがあるような懐かしい感じがする」方であった。

 和田中の実践について紹介したTV番組の録画を、藤原さんのフォローを聞きながら見て、やはりすばらしいなあと思った。講演自体も「よのなか科」の授業の実践みたいで、驚きと笑いの絶えない楽しいものだった。こんな感じ。


 【講演の内容】
 現在は社会が多様化、情報化し、もはや親や教師が情報の独占ができなくなった。親や教師がテレビのキャスターやお笑い芸人に太刀打ちできるわけはない。どんなに個人的に努力したって親や教師の教育力は相対的に下がっていく。

また、昔なら「できる子」「ふつうの子」「できない子」という三段階くらいの分類で事足りていたものが今は、「できない子」の中にも「小学校段階でついていけなくなって算数ができない子」「計算はできるけど読解力がついてなくて文章題ができない子」「軽度発達障害の子」「家庭的に問題があって落ち着いて勉強できない子」・・・などいろいろいる。「できる子」だってそれぞれ一様ではないのだから、先生がそれにみんな対応できるわけはない。

 和田中の場合3人に1人は家庭的に問題を抱える子であった。そこで、土、日に家にいると悪くなってしまうような子を、なるべく学校に囲うという目的で始めたのが土曜日寺子屋(通称ドテラ)だ。1人の学生ボランティアと10人の生徒からスタートした。最初は机に座っていることもできないような生徒もいたのだそうだ。現在は100人ほどの生徒が参加し、学校や塾の宿題、英検、漢検の勉強、苦手克服、それぞれに合わせた学習を教師志望の学生ボランティアの助けで行っている。さらに成績のよい子(または普通の子)を伸ばすのが「夜スペ」で、今ネット検索をしてみると批判も多いようだけど、親は助かると思うな。これは私の意見。「陰山メソッド」も「和田中の実践」も批判する人はするけども、試行錯誤しながらなんでもやってみればいいと思う。「あれが悪いこれが悪い」と言っていても何も解決しやしない。


 昔は普通にあった地域社会や大家族の中で培われていた子供の社会化が、今は少子化、核家族化で失われてしまった。学校がそのような機能を補って、あれもこれも一身に担うことは不可能だ。そこで地域のボランティアを学校に呼び込み、いろいろな雑務を引き受けて、先生たちにより授業に専念できるようにしようとしたのが地域本部だ。これはPTAとも別組織だ。

 ドテラにおけるマンツーマンの指導によって目覚ましい学力の向上がみられた他、親や教師という「タテの関係」とは別に地域のおじさん、おばさん、お兄さんなどといった「ナナメの関係」が入ったことであきらかに生徒によい影響が見られるのだという。たとえばボランティアによって明るく改装された図書室は第二の保健室とも言われ、勉強が苦手な子たちがここでたむろしていたが、本のバーコード化の手伝いなど喜々としてお手伝いをし始めた。いろんなボランティアと接し、褒められることで生徒は自己肯定感を持ち、また多様な価値観や考え方を知ることができる。
 この図書のバーコード化も学校が頼んだわけではなく、ボランティアが自発的に始めたものだ。園芸のボランティアは校庭に水車まで作ってしまった。地域本部は、学校を核とした地域の活性化にもなっている。このような、学校と地域とをつなげた「ネットワーク型の学校」でなくてはもはや、これからの教育はムリだと藤原さんはおっしゃるのだ。(ゼイゼイ・・・。今日は午前中学校清掃が終わったあと講演会に行って、疲れて眠いのでなかなか言葉がでてこない。)


 今までの教育は情報処理力を養うものだった。「正解」がある問題をいかに早く解くかというものでこれはTIMSSという学力テストで図られる。しかし、社会に出たら「正解」がない問題の方が多いのであって「情報編集力」が問われる。自分の得た知識、技術、経験を総動員して「正解」のない問題を解き、自分と他人を納得させる能力のことで、これが測られるのが2003年に問題になったPISAという学力テストだ。これからの日本に必要なのはこの情報編集力で、そうしてみるとあのときメディアで「日本の学力低下」と大騒ぎし、「ゆとり教育の弊害」と決めつけたのがどれだけ的外れだったかわかるってものだ。
朝日新聞「希望社会への提言 11.「アポロ13号」に教育を学ぶ」
和田中藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その1
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その2
藤原校長の「フィンランド調査報告」を読む その3

 
 内容が前後するけども、ちょっとショックだったのは「あと10年後には日本のすべての業界で淘汰が進み、10社が5社に減少してしまうだろう。そのうち半分は外資系。アングロサクソンか中華資本になってしまうだろう」と予言されたことだ。「彼らは情報編集力を鍛える教育をしっかり受けてきている。これからはそれに対抗して生きていかなくてはいけない時代なのだ」そーかー。

 昔みたいに「いい大学を出ていい会社に入って結婚して一戸建て」みたいな絵に描いたような「幸せ」なんてもはや存在しない。価値観が多様化し、複雑で変化の激しい時代なのだから自分なりの世界観、人生論、幸福論を持たないと「幸せ」にはなれない。「みんな一緒」の時代から「それぞれ違う」時代。その時代の変化に教育のシステムがついていっていない。「正解主義」から脱却し「修正主義」にしていかないといけない。

と、まあかいつまんで言うとそのような内容だった。


 先月この講演会の紹介がうちのPTA理事会でされたときに、校長が「この人は私がお手本としている人です」とおっしゃった。常々うちの校長は真っ当なことをおっしゃる人だと思っていたらやっぱりそうだったのか。そして、県と市の教育長もそろって出席されていて、講演の前に祝辞を述べられたのだが、先日和田中に見学に行ったとおっしゃっていた。
 コロコロと変わるけども最近の「教育の重点目標」は「少人数教育の推進」「地域と学校の連携」だそうだ。藤原さんが「彼(榎田好一教育長)は頭の切れる人だ」と言っていたし、話を聞いてて私もそう思った。とりあえず変なところは一つもなかったので安心した。

 そして、最近、PTAの委員会で情けない思いをして落ち込んでいたけども少し元気が出た。「この当事者意識の欠如といきあたりばったり感はなんだ」「守るべき伝統なんてものは最初からなかったのか」「動員と外部向けの形式だけの専門委員会だったらやめてしまえ!」と思っていたが、私のコミュニケーション能力とプレゼンテーションにも問題があったのだと講演を聞きながら思った。まあ、沈黙と陰口よりは「脱線してる。おかしい。早く終わってくれ」の方が少しましか。