SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

[松代]象山神社

2006年12月12日 21時22分09秒 | 信州の寺社
幕末フリークとしては、うかつにもこの人が松代の人だということを知らなかった。
この人とは佐久間象山のこと。
象山を知らない人でも、この日本人離れした濃い顔は一度見たら忘れられないだろう。

象山は幕末に活躍した人物で、藩主真田幸貫に見いだされ、また江戸で塾を開き、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰など多くの門弟を集めた。
公武合体、開国論をとなえ、54歳で京都・三条木屋町で暗殺される。

大正二年に神社創建の計画が始まり、昭和十三年に県社として創建された。
象山は松代で神になった。



南面して立派な鳥居が立つ。



鳥居を入ってまっすぐ行くと本殿。本殿も相当に立派な建物だ。



紅葉がまっさかりだった。(11月25日撮影)



池にも紅葉が。



池にはなぜかこんなものがあった。「無事カエル」と書いてある。



カエルの前の賽銭受けには一本のパイプが通っている。そのパイプを通してお金が落ちるようになっていた。
ツレが面白がって小銭を入れると「つー」とパイプの中を通る音のあとで、「ちゃりん」と賽銭受けに落ちた。

象山神社

(松代の話、あともうちょっと続く)

積雪

2006年12月11日 00時02分56秒 | 日常
(松代小旅行記の連載中ですが、ここで臨時ニュースです。)

土曜日の朝7時過ぎに起きて、外を見るとうっすらと雪が積もっていた。そのとき降っていたのは雨だったので、このまま融けるかと思ったが、そのうちに本格的な雪になる。

雪景色を見ていたかったが、今日は鎌倉に行く予定がある。
雪の中を車で軽井沢駅前の駐車場に行く。この降り方だと結構積もりそうだと思ったが、後ろ髪を引かれる思いで新幹線で東京方面へ。

翌日、日曜日の夜、軽井沢に戻ってみると雪はすっかり融けてしまっていた。
土曜日、どのくらい積もったのだろうか。



鎌倉の話はそのうちこちらのブログで

[松代]文武学校

2006年12月07日 19時09分30秒 | 日常
文武学校は松代藩の藩校として八代藩主真田幸貫が水戸の弘道館に範をとって計画したもので、名前の通り文武両道をここで教えた。
今回の松代で一番気に入ったのがここだった。



文学所・剣術所・柔術所・弓術所・番所などの建物群が当時の面影そのままに残っている。
それぞれの建物にはそのまま入れるようになっている。
剣術所と書かれた建物に入ると、ひとりの着物の男性が腰の鞘から刀を抜き、エイッという掛け声とともに振りおろし、再び、静かに刀を鞘におさめるという動作を繰り返していた。
どうやら観光客向けのパフォーマンスではなく、自身の鍛練ためにやっている様子。とすると、あの振りおろしている刀は真剣か。
動作に隙はまったくなく、カメラを向けるのもためらわれるほどだった。



文学所から外を眺めてみる。



長い廊下が続く。



いくつもの障子。



文学所ではこの机の前に講師が座り、大勢の受講者を前に講義を行ったことだろう。



すり減った階段の木が歴史を感じさせる。
何人のさむらいがこの板を踏んだのだろう。



ここにも真田の六文銭が。



ひなたぼっこをしたら気持ちが良さそう。



どこを見ても中世の景色で。



クルシュウナイ。チコウヨレ。

松代藩文武学校
(松代の話、もう少し続く)

[松代]真田宝物館・真田邸

2006年12月06日 22時14分29秒 | 日常
松代城を出るとすぐにまっすぐに伸びる単線の線路があった。長野電鉄屋代線の線路だ。



「松代城を出ると」と書いたが、実はこの線路を越えたところもかつての松代城の敷地だった。
この線路を渡り、すこし行くと真田宝物館があった。
ここで、真田家の家宝や資料の数々を見ることができる。



真田宝物館。真田家の家紋である六文銭が使われる。
中の展示、結構面白かった。



そのすぐ近くには真田邸。9代目松代藩主真田幸教の母お貞の方の隠居所として建てられたもので、小堀遠州の流れを汲むとされる庭園がある
建物の方は長期の修復のために覆いをかけられ、その姿をみることはできなかった。
修復が完了するのは平成24年とのこと。



真田邸の庭園。赤とオレンジの紅葉が印象的。



池には紅葉が浮んでいた。



瓦にも六文銭が使われていた。

真田邸

(松代の話、まだ続く)

[松代]松代城跡

2006年12月05日 22時06分29秒 | 日常
先週、松代に行った。

松代は江戸時代、真田家が治めた松代藩があり、松代城の城下町として栄えた。
真田家とは真田十勇士の話のもとになったあの真田である。

上信越自動車道を北上し、長野ICで降りると程なく松代の町に入っていく。

ここに松代城跡が残されている。



北不明門。ここをくぐると本丸だ。
新しく見えるのは2004年に復元されたため。



天守(戌亥櫓)台から臨んだ北アルプス。
この山々は、実は軽井沢から北に向かって車を走らせている間、ずっと見えていた。
峻厳な姿を見せる北アルプスと、対照的に柔和な表情の里山が混在する景色は信州らしく美しい。




海津城址之碑と書かれた石碑。
ここ松代城は武田信玄が川中島の合戦の際に、前進基地として築いた海津城があった場所であると考えられている。
石碑の裏に廻ると大正十年に建てられたことが掘り込まれていた。



イチョウの落ち葉が木の根元を埋め尽くしていた。



モミジも負けじと可憐な葉を落としている。



静かに水をたたえるお堀に橋の姿が写り込む。

松代城

(松代の話、続く)

今日の散歩写真061203

2006年12月03日 17時13分36秒 | 散歩写真
天気のいい日曜日。
今日も散歩にゴー。



知らない道に入り込んでみると、やがて砂利道になった。



しかし道は行き止まりに。



草津に抜ける国道146号線を北に向かって歩いていると、浅間神社とかかれた神社が道端にあった。



入ってみると古びた石の祠が2つ。



中軽井沢駅まで1キロ。標識のサビ具合が冬の軽井沢らしくていい。



更に北に向かって歩いていくと馬頭観音の碑が2つ。右端の四角い石はどうやら戒名が書かれたお墓であるよう。
こんな道端にぽつねんとあるということは、この街道を歩いて行き倒れになった人だろうか。



星野温泉のすぐ手前に北原白秋の碑があった。
車で何度か来ているが、気がつかなかった。歩いてみないと見えないものはたくさんある。



白秋は軽井沢でからまつの詩をいくつか残している。

からまつの林を過ぎて 
からまつをしみじみと見き 
からまつはさびしかりけり 
たびゆくはさびしかりけり




長倉の牧という碑があった。
長倉の牧は、平安時代初期に佐久三牧のひとつで、ここから朝廷に馬を献上していたという。
かつて東山道と呼ばれた中山道を通って馬を京都まで運んだのだろう。



今日の浅間山は、中腹あたりまで白っぽいくなっていた。
容貌の美しい山というわけではないが、筋肉質な山肌がセクシーだ。




明日はどっちだったか

2006年12月03日 15時52分11秒 | 日常
昨日の天気予報対決の結果。

この日、午後から空を覆うほどの雲が出たが、雪が降ることはなかった。

Yahoo!天気は一日晴れの予報。
WetherNewsは午後から曇り、雪も降るという予報。

WetherNewsがどっちかというと近かったが、雪が降ると言って、降らないのでは心情的に大きくハズレた印象がある。

なので、どっちもハズレ。
明日はどっちにもなかった。
アシタヲサガサナケレバ。





明日はどっちだ

2006年12月01日 13時56分26秒 | 日常
今日のYahoo!天気の軽井沢ピンポイント予報



ご覧のように一点の曇りもない一日晴れの予報。


今日のMapion(WetherNews)の軽井沢ピンポイント予報



午後は曇りで雪が降る模様。

雪が降るのと降らないのとでは大違いだが、果たして明日はどうなるか?

追伸

立つんだジョー!
ハタ坊だじょー
と書いてなんのことだか理解できる人は少ないかもしれません。