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心の箍(たが)を一度外してみる。
つまりこの際、働くというよりは
造る
ことが肝要だ。
地球の話だ。
真面目に働くということの
向かう先が本当に何か本質的なクリエイションに成っているかどうかの
見極めが大切だ。
人生を無意味にするか、有意義に近づけるかの問題である。
むろん、どんなうっちゃりでも受け付け可能。
何せ6,500,000,000人も同時に生きているわけだから。
自己満足を超えた果てにある造形の意義。
宇宙の構築に携われるかどうか。
その喜びは何にも変えがたい。
誰にも出来ないことを仕事にする。
誰にでも出来る仕事に従事しているなら誰にも出来ない事をする。
善を越えた善を代表し、
悪を乗り越えた悪を体現し、
力強く優しく在れるか。
働く、かどうかなどはモハヤあまり重要なことではなく
本当に造っているかどうか
誰かの心に本当に響くことをしているかどうか
自分が満足できているかどうか
などといったことを大事に考えていったらいいと思う。
こじつけでなきゃ
如何なる正当化も許されるのでは、と考える。
これからのライフスタイルの話だ。
三宅ブログ | | Trackback ( 0 )
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>誰にも出来ないことを仕事にする。
ですね,でもまずは出来ることから,でもあると思います.何か特別なことや,やりたいことしかやらないんだというスタンスで構えていて行動にうつらない(うつせていない)人をよく見るので.
誰にでも出来ることを,誰にでも出来ないくらい続けることの方が大事だという言葉の方が好きかもしれません.
働くということは食べるため又は、自分のやりたいことをやるために必要なことだけど、家族と過ごす時間よりも寝ている時間より長くて、人生でこの部分がつまらなかったり嫌々だったりすると不幸だなと常々思っています。
昨日友達と仕事の話をしました。
私はライフラインに関係する事務職に就いていて、友達は野菜を栽培していて、2人とも職種は一般的な中にも自分なりの工夫があったり、日によっても満足いったりいかなかったり、ホントに自分にしかわからないことで普段は誰にも話さないけど、試行錯誤の日々を重ねているんだなあと会話の中で感じました。
・誰かの心に本当に響くことをしているかどうか
・自分が満足できているかどうか
誰かの心に響いているかどうかは、実感するのがとても難しいですね。あんまり気にするのもどうかと思いますけど、1年に数回でも『届いている!』という実感があればそれで万々歳だと思います。
自分が満足できるかどうかは、本人次第ですね。気持ちさえあれば毎日でも満足できるし、私は週に1度でも『ほぼ満足できた』と思えたらそれで満足です。満足いかないことの方が圧倒的に多いんですもの。
仕事に限らず、日々はたいしたことないように思えても積み重ねたり乗り越えたりした人には何かしらご褒美があるものではないかと感じています。
三宅さんは、自分の進むべき道について迷っている若者に向けてメッセージを発信していらしたのでしょうが、健全な身体作りを目指している40代中年にも響いてきました。
新譜楽しみにしています。
自分より歳を重ねてる人に伝わるってのは、ジェネレーションギャップが大海溝化している現代日本においては非常に意義深い、喜ばしいことであります。
長生きしたいものであります。
yo&hey.
思わずこの言葉を書きとめてしまいました。
本当にそうだと思います。そこを忘れていました。。
これからそれを造っていきたい。言霊ありがとうございました。