昨日、「エのチカ鏡」で、出産について取り上げられていました。
その中のひとつ、「ソフロロジー」
出産の瞬間は、誰もが苦しみ、うめき、痛みに耐えながらも「もう嫌だ」と泣きながら分娩をするのが
当たり前になりつつありますが、この「ソフロロジー」は、その痛みを赤ちゃんに会える喜びととらえ、イメージトレーニングによってラクに出産ができるという説明でした。
実際、この方法で産んだ妊婦さんは、いきむことなく、とても静かに呼吸をしていて、赤ちゃんが出る瞬間は、微笑みさえ浮かべるという、信じられない映像を見たことがあります。
10年前、私は「ソフロロジー」に挑戦しました。
病院で講習を受け、CDを借りてきて、毎晩寝る前に呼吸法と同時に、イメージトレーニングをしました。
少々面倒だと思っても、あんな出産を自分もしたいという思いで、毎日続けました。
が、結果は失敗でした。
最初は、呼吸法と合わせて、リラックスをすることで、うまく陣痛の痛みを逃していたのですが、分娩台にあがっても、赤ちゃんは下りてこない。ふーっと息を吐くときの腹圧で押し出す要領で、何度も挑戦するのに、全くお産がすすまないのです。
分娩室にはトレーニングに使った曲がエンドレスで流れていました。
「息を吐くのはやめて、息を止めていきみましょう」と言われました。
ソフロロジーは中止ってことですよね?あんなに毎日頑張ったのに(T_T)
結局最後は、いきんでも出てこなかったので、吸引分娩となり、非常に痛い思いをしました。出血が多く、その日の深夜、トイレで意識を失って倒れてしまいました。(
貧血)
妊娠中は、つわりがひどくて、半年もひどい状態が続きました。点滴に通ったりして、起き上がれない日も多く、最初は心配してくれた旦那も、だんだんうんざりしてきて「ちょっと甘えすぎじゃないの?」なんて、ひどい事も言われました。毎日、朝起きて一番に吐くのは当たり前。つわりがおさまってからも、出産当日まで、毎日吐き続けました(-“-)
なので、私は二度と子供を産まないと思います。娘を1人授かることができただけで、大満足です。産むことができてラッキーでした。
昨日の番組で、本当にいいお産ができて、「また産みたい」と言っていたお母さん達がうらやましいです。私も、ここまで出産に対してマイナスイメージがなければ、娘に一人っ子で寂しい思いをさせないで済んだのかもしれません。
私の幼なじみが、もうすぐ4人目を出産します。「私は安産だから」と言っても、産む瞬間はやっぱり、最高に痛いので、お産が終わったら、たくさんねぎらってあげようと思います。
バレンタインが近いということで、バレンタインの話題中心で番組が進んでいきました。
今、注目の店の情報や、流行りの話題、映画の情報などをリアルタイムで教えてくれる番組なので、世の中に疎い私には、非常に勉強になります
「ナイスサーティーズに贈られる・・・」という前置き通り、BGMが、30代に向けて選曲されていて、懐かしのヒットソングが何曲も流れるのですが、どちらかというと、アラフォーに向けられてる感じで、33歳の私には、小学生の時に聞いた覚えはあるけど、曲名もアーティストも分からないものが、多いです。
今日の選曲は、わりと分かりやすかったです
日曜日の夕方5時、FMラジオで放送中の「あ、アベレージ」という
ラジオドラマがあります。
最近100回記念でした。
「かりや いさむ」という登場人物が大好きです。
「あーっはっはっはっは」という、ちょっとイラッとする高笑いと共に登場し、
福山雅治を意識したしゃべり方で、さらにイラッとさせてくれる、愛すべきキャラです。
でも、声は本当にカッコいいんですよ
タイトルの中に、日産プレゼンツという言葉が入っていたので、日産でエンジンの設計を書いてる同級生に、
「ラジオ聴いたことある?」
と聞いたら、
「あ、そんな番組あるんだ。今度聴いてみるよ」
と、番組の存在を知らないようでした。
さらに、モーターショーが開催されるとき、
「出展スタッフではないだろうから、
プライベートで行くなら、一緒に行ってくれる?」
と言ったら、
「あ、モーターショーあるんだ。初めて聞いた。行く予定ないけど(^◇^)」
と言われました。
大きな会社の社員は、イベントの開催日すら意識にないものなんですね
小さな会社は、自社の商品が雑誌に載るだけでも
大騒ぎになります\(゜ロ\)(/ロ゜)/
丁度いま、勤め先の会社は東京ビックサイトの展示会に出展中で、
それはそれは、大イベントとなっております。
一度、スタッフとして参加させてもらったことがあるのですが、とても新鮮で、おもしろかったです
芸能界鉄道研究会という、深夜番組があります。
偶然第1回の放送を見ました。
父も見ていました。
「画面の後ろに映ってる建物、俺が長年通い続けた職場じゃないか」
と、言うではありませんか。
父は、笠寺駅にある名古屋車両区に勤めていました。
臨時列車は予定の1カ月前になると、ダイヤが組まれるそうで、
たまに、大きな撮影機材を担いだ鉄道ファンが、臨時列車の情報収集に
訪ねてきたそうです。
かなりマニアックな話でも、父には分かるようで、毎週DVDに録画して、
見るようになりました。
実は、私は父がJRでどんな仕事をしていたのか、子供の頃は知りませんでした。
毎回説明に、困ります。
「あなたのお父さん、何してる人?」
「JR職員」
「運転手さん?」
「ちがうよ」
「駅員さん?」
「ちがうよ。夜中も起きてる人」
「はぁ?・・・・」
朝6時半に家を出て、次の日の昼頃帰ってきて、翌日は休み。というサイクルを
何年も繰り返していました。
日曜日も、年末年始も、ゴールデンウィークも関係なく、
運動会も授業参観も、もちろん関係ありませんでした。
運動会といえば、数年前までJRがナゴヤドームで社内運動会を開催していたらしいのですが、そういうことにも参加しようとしない人なので、一度もグラウンドに入ることができませんでした。もったいないなぁ