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「しまくとぅばの日」ではなく「琉球諸語」(うちなーぐち)の日ですね!

2018-08-10 22:54:17 | 沖縄の過去・現在・未来

しまくとぅば、は地域語の意味です!沖縄のアイデンティティーを表示する「くとぅば」ではありません。違和感があるままですがー。沖縄芝居なのに、しまくとぅばの日、関連企画です。日本語は東京語が共通言語になっているのでしょうか?首里・那覇語が沖縄語の中央言語で、それが現代沖縄の古典音楽や古典芸能の中心でしょうか?

中軸が定まらず、一様に地域語として位置づけるやり方が「しまくとぅば」で島々を大事にしようということでしょうか?この条例に至った経緯とそれを推進した研究者の意図がとても曖昧に見えます。おきなわの中途半端な曖昧さが貫かれているのですね。それも同化と異化の狭間にいる沖縄を浮き彫りにしていますね。中央言語の推進でさえ危うい現状ですね。それでもしまくとぅばです。

しまくとぅば推進の根っこに「沖縄芝居役者」や古典音楽の大家の公演パフォーマンスなどが企画されています。これも矛盾ですね。決められた県条例の「しまくとぅば」のことばに支配されている現在のウチナーグチ推進の有様は、違和感だけです。

「沖縄芝居」はウチナーグチ芝居で、ウチナーグチで演じられ歌われます。宮古島出身の詩人でさえ、真喜志康忠氏の著書の編集出版に携わった時、ウチナー芝居が全琉球諸島を巡演し、その時に共通沖縄語として芝居ことばが流通したのだという率直なことばに同意したのでした。

どこもかしこも条例に縛られて「うちなーぐち」ではなく「しまくとぅば」推進です。独自の島のアイデンティティーさえ払拭する言語復活、あるいは修復戦術(方法論)でしょうか?ウチナーグチやウチナー人意識とXX島出身アイデンティティーは重ならないでしょうか?戦後になって沖縄アイデンティティーが強くなったとも言えるでしょうか。八重山出身の研究者が強烈な琉球・沖縄独立論を推進しています。異なる島々の島のことばで詩を書いたり、小説を書いている方々もいます。それもいいですね。少なくともXXXことば、あるいはXXことばとはっきり示しています。しまくとぅばとは書いていません。今帰仁言語(くとぅば)であり宮古言語(くとぅば)です。ただ独自の読み方があるはずですね。

地名と言語との重なりもあります。それらを払拭した「しまくとぅば」です。

さてチラシですが、琉球歌劇保存会・会長の吉田妙子さんが「しまくとぅば講座」です。吉田さんは「うちなーぐち講座」ではなく「しまくとぅば講座」の名称に違和感を持たないのでしょうか?お尋ねしたいですね。

しかし、このしまくとぅばの日関連企画「沖縄芝居鑑賞教室」の演目は、いつも決まった琉球歌劇保存会の保持者の登場ですね。他の保持者は皆さん舞台に立てない身体なのでしょうか?

演出が高宮城実人さんや金城真次さんで、いつも自主公演の常連さんです。また配役を見ても、地謡を見ても同じ顔ぶれですね。多少の新しい顔も見えますが、メインは動かないですね。『沖縄芝居研究会』が主体でその集団の指導者の皆さんの顔ぶれも同じですね。檜舞台の常連さんですから広告もばっちりで宣伝効果もばっちりのメンバーです。

地謡を含め、毎回同じ、同じ顔ぶれで、そうかこのメンバーが今の沖縄の沖縄芝居のきらきら星なんだと、思い込まされてしまいますね。その通りかもしれませんね。きっと面白い、見ごたえのある舞台になるはずです。ぜひ「俳優協会」の中堅の力量のある役者にも同じような恩恵を与えてみてください。10回ほど!すると彼らはこれらのきらきら星のみなさん以上のいい舞台を見せてくれるはずですね。何しろ舞台を踏んだ経験は豊富なはずです。

琉球古典音楽の地謡の方々が芝居の地謡まで独占しないで、芝居に軸を置いている方々にもチャンスを与えてくださいね。

天才は作られるのです。誰でも主役を何度も演じていると、天才になるかもしれませんね。誰でも何度も桧舞台で歌三線、筝曲、太鼓他を演奏しつづけると、天才になるはずですね。

特にピアノやバイオオリンの器楽や舞台芸術は環境と稽古・練習のたゆまない努力ですね。機会を与えられ水を得た魚のように泳ぐのですね。何千回と舞台を踏んでいくのです。現在の沖縄の舞台芸術の場合は、頻度が限られてくるのですが、それでも恵まれた方々は何度も新しい作品に挑戦できるような体制になっていますね。そこから舞台の華となる芸能者が登場していくかと思いますがー。特権者ということで、ピリオドにしましょうか?

しかし中にはそれほどの技量がない方々が混じってもいますね。それも稽古と出演機会の頻度が天才に育ててくれるようですね。

 先天的な才能と後天的な才能の問いにもなります。いい機会を与えられた者と、その環境にない者との差異もあります。育てられる、養成される才能があります。機会均等がどこでも問われるのですが、組織的な取り組みもあるのですね。地域なり県、劇場の取り組みとして、きらきら星を養成することができるのですね。その功罪があるのも事実なのでしょう。成功している点とどこかにシステムの陥穽もあるのかもしれませんね。文化政策として、これで成功しているのかもしれませんね。研修生制度もあります。きらきら星の継承者を育てる目的でシステムが動いているのですね。拍手!で----? 

つまり継承者を養成し、活躍する場を提供しているのですね。その目的に照らすとこの仕組は是とされるということになるでしょうか?問題を感じる方々は選挙で選ばれた知事さんや、県会議員や市会議員にクレームをつけることが先決かもしれませんね。メディアはたとえば阿波踊りが新聞社によって私物化されているとのツイター情報が拡散しているように、メディアも利得で動いていますので、第三者の客観的分析が要求されているのかもしれませんね。あるいは類似のコミュニティーとナショナル劇場との関係性についての比較研究が問われてもいるのでしょう。

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-08-11 13:36:52
数値化は研究者でいらっしゃる先生がなさるべきミッションだと思います。いつも同じと断じられているので、概数はお持ちだと思いますので。概数だけでも公開よろしくお願いいたします
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統計化、数値化を企画課に要求しても良いですね❗️ (nasaki)
2018-08-11 14:15:18
この間の自主公演のプログラムと出演者について、15年間の記録を元に開示を要求できると考えます。個々のデーターの集約をお願いします。具体的な予算も知りたいですね。情報は全て企画課が把握しているはずです。
チラシを見たら同じ顔ぶれがよく見られるので、もちろん、研修生や修了者も出場しています。主役級に同じ顔ぶれが多いのでしょうか。
データーは消えませんので、誤解や曲解を正す意味においても、企画課は作品と出演者について、グラフにしてほしいです。よろしくお願いします❗️
税金の使われ方もわかりますね。
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