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若い頃風俗業界にいた知人と映画「彼女は夢で踊る」を桜坂劇場で観た!

2020-12-19 11:40:48 | 映画
               (琉球新報12月16日) 





若い頃、と言ってもアメリカ留学から戻った頃の80年代に桜坂にはストリップ劇場があり、1度だけ知人といっしょに観た記憶が甦った!この映画を見たいと思ったのは、紙面でこの映画の監督へのインタビュー記事が掲載されていて、「なぜか」と興味を持ったのが見る気になった動機だった。

いわゆる若い頃、ストリップ劇場を見た印象は、女性たちの裸がライトの中で美しいということだった。身体が細身でも太っていても女性の身体は美しいという印象が強く残っている。女性二人のレズビアンショーや、黒人兵と思われる男性が本番に臨むような場面もあった。一方で美しい女性が薄い衣装を脱いでいきながら大きく下肢を広げたり、挑発する行為もあり、ダンスを見せるというより裸の美とセクシュアリティーへの誘いに見えた。そしてハイヒールを履いた女性は自らの裸体を存分に見せながら見据える多くの男性の目線に対して女王様のような傲岸さ【尊大さ】を表情の中に見せているように思えた。ライトの下で美しい裸体、どちらかというと映画は生々しい部分を削除していたが、女性たちの身体の曲線の美しさを幻想的に映し出していた。

「彼女は夢で踊る」の中ではストリップダンスが好きで、全国の劇場を渡り鳥のように飛び回って巡業している女性たちの姿があった。失恋の切っ掛けでストリップ劇場に来た踊り子と出会った一人の若者が、その夢のような、幻想的な空間に、彼女に惹かれてやがてその劇場を引き継いでいく物語だが、過去を追想しながら現在の劇場とつなげた構成なので、途中分かりづらかったが、ああ過去と現在のすり合わせなのだと納得し、その物語に乗って最後までみると、なぜか確かに泣けてきたのは事実だ。何度か閉館の掲示を出しながら続けてきて、2019年に実際に劇場が閉じられたというストリップ劇場のドキュメントになっている。

閉館前に多くの観客が押し寄せる。幻のストリップダンス、束の間の夢に酔いしれたい思いで、押しかけるのだろうか?
劇場の内部の規約が興味深かった。踊り子たちは大切にされ、決して指一本触れてはいけない存在だった。彼女たちとの恋はご法度だった。例外はあり、ヒモのような男性がいっしょに過ごしたような表出もあった。劇場の社長木下と看板ストリップダンサーとの愛・ラブストーリーが物語に組み込まれていた。ダンスの美しさとセクシュアリティーも人間の観念的な実存を映し出している。死ぬべき存在/mortalityである実存を生きているがゆえに、いかに人間が観念的な生き物か、と思えてくる。劇場の壁に残された口紅を塗った唇の跡形。女性たちが劇場で踊った、実存の証のように精彩を放っていた。

ストリップ劇場の数はかなり減少しているのらしい。新聞記事によると300館あった劇場は今19館ほどだという。AVやSNSやコミック、その他諸々の性風俗の時空間があり、そこへ横滑りしているのだろうか。郷愁を引き立てるストリップ劇場の存在とは何だろう。連れの女性はかつてのコザでは本番のストリップ舞台がよくやられていたという。フィリピン人の女性たちがダンサーとして踊り、セクシュアリティーの磁場に掠め取られていたとも~。かつて「沖縄の少年」に描かれた沖縄の女性たちの中にもまた幻想的なストリップダンスに興じて多くの夢を与えた女性たちがいたのだろうか?ストリップダンスは一つの芸術美を持っていると言えるのだろう。男性のヌードダンスの魅惑、美はありえないのだろうか?←ありえる?
(ネットを検索すると男性のストリップダンス劇場もあるのですね。)

いっしょに見た知人から興味深い比較談がこぼれてきた。渡り鳥のように踊って飛ぶ(歩く)女性たちの美はどう枯れていくのだろうか。美しい花は咲きほころんで枯れていく。人生、多くの人々は枯れて(老いて)死んでいく宿命。誰でも美しい幻想を夢を見たい。記憶にとどめたいと思う。その美、幻想はもちろん個々に多少の類似はあっても異なるに違いない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54440?page=3関連サイト

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