習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑩(市長リコール活動)

2013年08月25日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

「巨大ギャンブル場の計画をやめさせる会」は発足当初から市長リコールを視野に入れて(最終目標)いた。
発足時中心メンバーは「市政を考える会※」のメンバーも中心におり、又、元現市会議員(伊波、立崎、木村、中村)
も参加しており一般市民参加の一方で政治的な性格もあった。
(もう一方の「反対の会」も共産党、新社会党の現職議員も中心にいた)
背景には市有地の取得疑惑問題、市長選挙不正開票疑惑、消防費の日当不正支出疑惑等荒木市長や取巻きの悪政を巡る
疑惑や不満が渦巻き今回の公約になかったボートピア建設で一気に「リコール」の声が噴出していた。
一方では「やめさせる会」の運営をめぐり、毎回方向性が決まらず万余の署名は集めたが組織としての機能もなく場当たり的
な方針に不満も出ていた。10月の会議(役割分担や地区割りの決定)を巡り会は事実上分裂した。
会を立ちあげてきた伊波以下数人の中心メンバーが離脱した。残ったメンバーの「やめさせる会」はその後「市民連絡会」
の結成に合流し「やめさせる会」としても「市民連絡会」としても「市長リコール」を方針として掲げた。
しかしその内容は「市長リコールを見据えて」とか「市長リコールも視野に入れて」とか、付け足したような薄いものであった。
「市民連絡会」のメンバーは雑多で、中にはボートピアには反対だが荒木市長を支持している人もおり全面的には掲げられない
事情もあった。又多くの団体の寄り合いで、会として最初からリコールをやる気があったかは疑問である。
「やめさせる会」を中心としたメンバーはリコールには意欲があった。但し有権者の3分の一の署名(約4万人)集めとその受任者
数千人を集めるのはハードルがあまりにも高く「ボートピア」問題だけで全市の運動にするのは厳しいものがあった。
「市民連絡会」がリコールよりも緩い「住民投票条例」や「訴訟」に運動を進めていくことに対し「やめさせる会」を離脱した
グループは不満を持ち独自に2004年12月25日に「市長リコールをすすめる会」を結成する。
※現在活動しているらしい「市政を考える会」とは無関係。

※上記チラシにある5000人の賛同者とは受任者でなく意味がよくわからない言う意見も多かった。
「やめさせる会」もリコールには賛成であり中には「リコールをすすめる会」と二股をかけている者もいた。
然しながら「リコールをすすめる会」の活動もずさんな面があった。無断で呼びかけ人に名前を出されたりされた人もいた。
又予定されていた会議が突然中止になったりボートピアよりも「市民連絡会」に対する批判、誹謗が多くなり運動体としての疑問も噴出した。
又リコールに対する具体的な方針やスケジュールも公表されず一般的には実態が不明に思われた面もあった。
「リコールをすすめる会」は当面は「市民連絡会」の住民投票の動きを眺めることにしたのだろう。
「住民投票条例」は300人近くの受任者を集め1万余の署名を集め「直接請求」としては成功であったが「リコール」の4万にははるか及ぶものではなかった。
ボートピアだけでリコールを行うことの困難さが証明されてしまった(このことについてリコールを方針の一つに掲げていた市民連絡会からの総括はなかった)。
やがて1年後には「リコールをすすめる会」は「習志野市民会議」に名称変更し相変わらず「リコール」方針は維持したが市長市議選を見据えた
政治的な要素が強く具体的な行動も一度もないままやがて消滅していくこととなる。(中心にいた伊波はやがて市議に復活を果たすことになる)
※下記は「リコールをすすめる会」から「習志野市民会議」に名称変更したチラシ。呼びかけ人も減り連絡先の名前も不明(住所は市議の事務所と思われる)

長年更新されないまま残っている習志野市民会議のホームページ http://www.geocities.jp/shiminkaigi2005//

※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
次回は訴訟への経緯について。

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