M K

遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

横浜 楽天地

2011年06月08日 18時50分00秒 | ◇神奈川
私娼街→RAA施設→カフェー街(赤線か青線かは不明)
昭和20年末、業者数5、従業婦数14
昭和26年9月、業者数8、従業婦数15
昭和31年4月、業者数8、従業婦数23
昭和33年2月28日、売春防止法施行の1ヶ月前に自主廃業。建物は旅館やアパートに。

一目瞭然の遺構は見つからなかった。


このあたりが楽天地への入口だったと思われる。


一瞬、カフェー建築ではないかと色めき立ったが、これは理容店。


こちらも理容店。


電柱に楽天地の表示。もはや唯一の証拠かもしれない。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます (管理人)
2020-11-29 20:06:43
わだ楽天地さん、いらっしゃいませ。
貴重なコメント、誠にありがとうございます。

地域について大変詳細に書き込みいただき、
おかげさまで地図と照合しながら範囲を特定することができました。
想像していたより狭い範囲内だったのだなと感じましたが、
業者数8ということを考えれば、ちょうどそのくらいの範囲に収まりそうだと納得しました。

令和のいま、当時のことを知る方々の年齢が上がっており、
時代の証言を得る機会も年々減ってきています。
その中にあって、わだ楽天地さんにいただいた情報はとても貴重なものです。
あらためてお礼を申し上げます。

また、30年ほど前には、まだ遊里のなごりのようなものが残っていたのですね。
こちらも土地の変遷を知る上で貴重な情報だと確信しています。

また何かありましたらご教示いただければ幸いです。
本当にありがとうございました!
返信する
追記 (わだ楽天地)
2020-11-22 18:21:35
私が長老(90歳くらい)に聞いた話だと、色街のメイン通りは国道16号線の和田町商店街入り口から上星川方面に向かって一番最初の脇道(現在お弁当屋さんと歯科技工作業場の間)だったとのことです。突き当たりがドラッグストアの裏手になりますね。
長老の話だと、その地域は和田町商店街入り口から上星川方面に向かって二番最初の脇道(現在中華料理店)までの間で、奥行きはお団子屋さんまでの範囲、その地域が色街だったとのこと。
今から30年ほど前ですが、この小道を入ってすぐ左(現在、BARになっている場所と思われる)に性的なマッサージの店があり、どうしてこんなところに風俗店があるのだろうと不思議に思っていました。
今、ドラッグストアの裏手になっている場所には、商人宿のような旅館がありました。ドラッグストアは菓子折やせんべいなどを販売する店でした。
返信する

コメントを投稿