南湖神社の日び

福島県白河市南湖公園に鎮座する南湖神社のブログです。

翠楽苑 紅葉ライトアップ

2011年10月31日 | 白河で拾った小ネタ

朝晩すっかり寒くなりましたね。

南湖の紅葉も少しずつですが赤みを増してきています。

いつもの年よりはやや遅いかな?という感じはしますが

それでもなかなかいい感じになってきています。

さて、南湖神社に隣接した日本庭園「翠楽苑」では

明日11月1日~6日まで紅葉のライトアップを行うそうです。

http://shirakawa315.com/news/post_585.html

詳細はリンク先で見ることができます(白河観光物産協会HP)

入場無料ということです。

 

南湖神社にとってもありがたいイベントなので

何か協力協賛できないいものかと考えたのですが

なにしろ常夜灯が震災で壊れたまんまですので

ここはひとつ、御祭神の石像をライトアップして(ささやかですが・・・)

皆様に歓迎のお気持ちを表したいと思います。

 

そろそろ七五三のお参りもピークを迎えつつあります。

秋色が美しい南湖できれいに着飾ったかわいらしいお子さんの写真をいっぱい撮って

楽しい思い出を作ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 


七五三の日程~11月15日以降のお参り~

2011年10月22日 | 南湖神社からお知らせ♪

七五三のお祝いの日が近づいてきて

時に避けられないアクシデントなどが発生して、写真撮影やご祈祷をキャンセルを余儀なくされるということはよくあります。

一番多いのは「身内に不幸ができた」というケースです。

この場合、当然お葬式が優先されますから七五三の方は日延べするということになりますが

では、いったいいつごろになったら神社のお参りができるのか

今日はお話をしてみたいと思います。

一般に、神社はそのお家に不幸ができた場合に「鳥居をくぐることを遠慮する期間(忌の期間)」が定められています。

地方によって多少差はあるのですが

神社本庁の定めた日数を一覧にして当社HPに掲載しております。

http://www5.ocn.ne.jp/~nanko/hukumokikan.htm

 

この表をごらんいただくとわかるのですが、亡くなった方との関係の深さによって期間が違っていて

一番長くて50日間なんです。

そう、四十九日過ぎればOKなんですよ。

ただ、やはり遺族の心情として葬式を出して間もないわけですから

あくまで身内だけのお祝い事にとどめ、対外的に派手にしないということが肝心なんだと思います。

 

実は先日「今日祖父が亡くなった。今月末に七五三をする予定だったんだが、四十九日過ぎるのを待ってると

12月になってしまう。11月15日より後に七五三をしても大丈夫なのか?後の日程にするのは縁起が悪いんじゃないのか?」という

問い合わせをいただいたんです。

 

いわゆる年忌法要の日程を決める時「命日かその前に行う」といいますが

この方はそれと混同なさっているんじゃないかなと思いました。

「命日かその前に行う」のは、悲しいことは後まで引きずってはいけないという考え方から来ていますので

この考え方をそのまま当てはめれば、七五三やお宮参りなどのお祝い事はそれにあたらないですよね。

 

実は、物忌だけではなく仕事の関係や海外在住であるなどの理由で

11月後半や12月、あるいはお正月に七五三をなさる方ってザラなんですよ。

南湖神社ではお問い合わせをいただければいつでも七五三を行うことはできますので

あ、時期をはずしちゃったという方もご安心ください。

ただし、神主の都合とちとせあめの手配がありますので

できれば事前に電話をいただければありがたいです。

 

さて、明日いいお天気になりますように

これからてるてる坊主でも作ろうかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タイムリーなお守り

2011年10月20日 | ひとりごと

秋の観光シーズンということもあってか

団体でのお参りが少しずつ多くなってきました。

震災の自粛ムードがもうほとんどなくなってきたことが大きいかなと思います。

(もっとも原発の風評被害に関してはまだまだ落ち着いておらず、某俳優とその取り巻きたち・無責任な学者・市民グループw・マスメディアのキャスターやコメンテーターの無知からくる妄言には日々腹が立つことばかりですが)

お参りに来られた方は私の顔を見るとつかつかと寄ってきて

「凄いですねぇ・・・あれ、全部崩れちゃったんですか・・・」と話しかけてこられます。

あれってここでは毎度おなじみのこれ↓なんですが

そんな方々には当日の揺れの様子とか、神社にその時いた人たちの行動とか

事細かにお話しているんですよ。

あまりに細かく長々と話し出すもんですから、お客さん引き気味になってるような気もしますが・・・

 

さて、今日お参りに来られた方がこのお守りを手にとってこんなことをおっしゃっていました。

「これ、震災があったから作ったんだぞ!危ない時に鳴らしましょうって!!」

お客様、あなたは重大な事実誤認をなさっています。

この「いのちの護り笛」は今回の震災を受けて作ったものではありません。

もう10年位前からおいてあります。

なので「さすが神社は商売上手だ」なんて言わないでくださいよ頼みます(泣)

神社のお守りというのは厄除けとか交通安全の他に

時にはその時代を反映したお守りが誕生したりするんですね。

そしてその多くは「こういうお守りってないですか?」というお客様の声から生まれるんです。

この笛のお守りなどはまさにそう。

その他にペットのお守りとか

 あるわけなんですよ。

 

誰だって神社じゃなくても行った先のお店で望む品物があったらうれしいじゃありませんか。

それと同じことだと思うんですが

どうして神社だと「商売うまいな~」とわざわざ大声で言われなくちゃいけないんでしょうか。

・・・と複雑な思いを感じたりするのですが、もうこうなったら開き直って「いのちの護り笛」を

「震災をきっかけに生まれたお守り」にしちゃおうかなと

こっそり考えている私がいます(こらこら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おりこうさんなおまいり

2011年10月16日 | ひとりごと

子供というものはいつの世も大人の予期しない行動をするものです。

いくら下準備を万全に整えておいたとしても、ナナメ上の出来事に振り回されてしまうことがあります。

そんなの子供のやることなんだから当たり前、とわかっていても、です。

 

その日は午後から団体のご祈祷が入っていたので、ご本殿の中にいつもより多めにイスを並べてありました。

お昼前、七五三のお参りが入り

お子さんとご家族の皆さんが本殿に上がり、神主が祝詞を奏上し始めました。

祝詞奏上が始まりますと、神主はお客様に背中を向けてしまいますので

皆さんが何をなさっているのかはまったくわからなくなります。

いや、普通は皆さん「頭を下げて」座っておられるはずなのですが・・・

 

カチャ、カチャという音が聞こえ、さらに女の子の「お片づけしてるの」と話す声がしました。

何かやってるのか?と思っても、祝詞を中断して今まさに起こっていることを確認するわけにはいかないので

結局最後までそのままご祈祷をやり遂げるわけなのですが

 

さて、その女の子が何をしてたのかと言いますと

団体さん用にきれいにセッティングされていたイスを全部片付けてくれていました(泣)

こういうのって怒るに怒れないんです。本人は「かんぬしさんのおてつだいしたの」としか思ってないわけですから。

でもね、せめてまわりにいた大人の皆さん

ここにあるものは勝手に動かしてはいけないんだよと

かんぬしのオジサンがなんかわかんない言葉を唱えている時は

しずかに座っていようねって

教えるのも大事なことだと思うんですよ。

 

神社だからとか関係なく

公共の場所のマナー、人が大勢いる場所では迷惑をかけないようにどうするべきなのか

「まだ3歳だから」教えなくてもいいとは思わないです。

なぜなら、たった3歳でもいいことと悪いことの区別は教えられればわかるからです。

結構多いのは

「●●さんに怒られるからやめようね」っていう注意をしてしまうケースなんですが

これはよくないよくないと言われながら、なぜよくないのかわからず

一番安易に使ってしまうことが多いように思います。

 

実は、私「●●さんに怒られるからやめようね」をリアルに言われたことがあるのですが

これ、想像以上に腹が立ちます。

別に私は怒らないですよ。むしろ「●●さんに怒られるからやめようね」の方が怒りたくなりますがw

意地悪な見方をすれば「●●さんは君をしかりつける怖い人なんだよ」とそのお子さんに教えていることに他ならないわけですからね。(別にいいんですが。実際怖い大人だと思ってるし)

 

それはともかく

「みんなが困るからやめようね」

「危ないからやめようね」っていうのが本来の注意の仕方なんじゃないかと思うんです。

 

でも、子供ってかわいいですよ。

どんなハプニングが起こっても、やっぱり七五三シーズンが楽しいのは

たくさんのお子さんのいろんな様子を毎日眺めることができるからだと思います。

 

 

 

 


「見られてる」意識

2011年10月11日 | ひとりごと

人間たるもの、よほどのことがない限りは常に他人の目に晒されながら生きています。

それが気になる人、ならない人それぞれではありますが

いくら「他人の視線などキニシナーイ」大雑把でズボラな人であっても

最低限、こうすればこう見られるという観点は忘れちゃいけないものだと思います。

 

こう書きますと「神社を参拝する服装について」どうこう言うつもりなのかと誤解なさる方が必ずおられるのですが、

今日はそんなことを申し上げるつもりはございません。

 

では、何かといいますと

「申込書の字」なんですね。

ここで言うのは字の上手い下手ではありません。

かくいう私だって決して字がうまいわけではありません。

 

ちょっとまわりくどい言い方ですが、要するに「他の人にきちんと読んでもらえるかどうか」が大事なんです。

・・・他の人ってまぁ、神主のことなんですが。

正月や七五三シーズンになりますと

一度に何十件もの名前やら住所やら会社名やら読まなくてはいけないのですが

たま~に、何これ?どう読むの?な申込書があるんですね。

中には達筆すぎて読めないというものもあるんですが

大半はもう「書き殴った」ものなんです。

もう、自分さえわかればいい・神主さんが読むんだということはすっぽり抜け落ちた思考なんです。

 

繰り返しますが、字の上手い下手ではありません。

誰が読んでも普通に読めるような丁寧さというのが必要なんです。

 

もし、せっかく丁寧に書いたのに読み間違ったとすれば

それはたぶん神主の老眼のせいなので

本当に申し訳ないとしかいいようがありませんが

やはり読み間違いを最低限、いやゼロにするためにも

申込書はたとえ面倒くさくても丁寧に書いていただきたいんです。

いくらスーツや和服でビシっと服装をキメていたとしても

肝心なところを疎かにするようではちょっとどうかなと思います。

 

 

 

 

 

自戒をこめて・・・ひたすら自戒をこめて・・・