毎年、七夕に近くなると学内での野外ガムランコンサートを企画している。だいたい沖縄は6月中旬以降に梅雨が明けて、この時期は本格的な「晴れ日」が続くからである。
ガムランのコンサートにつきものなのは、楽器運びである。東京にいるときには、大森のスタジオにいくのに2時間、搬出に1時間、会場まで電車で1時間以上、そして帰りも同じだけ時間がかかるなんてざらだった。だから沖縄にきて、その楽器運搬が相当に楽になった。異なるキャンパスにスタジオがあるとはいえ、今回は大学のトラックを借りて、1時間以内にはすべてが終了してしまった。
確かに時間的には楽だ。しかしその一方で大敵が存在する。それは異常な暑さである。昨日もゆうに30度を越す気温の中で汗を流しながらこの作業を行わなければならなかった。「夏はガムランの季節」なのかもしないが、演奏する側は正直、本番の演奏にたどりつくまでに、相当に披露が蓄積するはずだ。しかし若いメンバー達の音をを聴いていると、そんな気配を全く感じない。青銅の響きは、首里城のすみずみまで届いて、魂をもつものすべてに享受されているかのように風に運ばれていく。
さて、昨晩行われた今年のコンサートであるが、200人近くの観客が集まって、一時の真夏の夜のガムラン音楽を夕涼みがてら楽しんでくれた。毎年来てくれる沖縄のガムランファンの方々、演奏者の友人たち、そして何よりも遅くまで帰らずに私たちの演奏を待ってくれていた学生の方々には感謝!
コンサートのあとの爽やかな余韻が残るような感覚、もう何百回と経験してきたはずなのに、この感覚だけは色褪せない。だから次も私は「会長」「監督」におさまることなく、彼らに混じって重い楽器を運ぶのだろうと思う。演奏者は楽器を運び続けなければならないのだ。バリの先生たちが皆そうであるように。
ガムランのコンサートにつきものなのは、楽器運びである。東京にいるときには、大森のスタジオにいくのに2時間、搬出に1時間、会場まで電車で1時間以上、そして帰りも同じだけ時間がかかるなんてざらだった。だから沖縄にきて、その楽器運搬が相当に楽になった。異なるキャンパスにスタジオがあるとはいえ、今回は大学のトラックを借りて、1時間以内にはすべてが終了してしまった。
確かに時間的には楽だ。しかしその一方で大敵が存在する。それは異常な暑さである。昨日もゆうに30度を越す気温の中で汗を流しながらこの作業を行わなければならなかった。「夏はガムランの季節」なのかもしないが、演奏する側は正直、本番の演奏にたどりつくまでに、相当に披露が蓄積するはずだ。しかし若いメンバー達の音をを聴いていると、そんな気配を全く感じない。青銅の響きは、首里城のすみずみまで届いて、魂をもつものすべてに享受されているかのように風に運ばれていく。
さて、昨晩行われた今年のコンサートであるが、200人近くの観客が集まって、一時の真夏の夜のガムラン音楽を夕涼みがてら楽しんでくれた。毎年来てくれる沖縄のガムランファンの方々、演奏者の友人たち、そして何よりも遅くまで帰らずに私たちの演奏を待ってくれていた学生の方々には感謝!
コンサートのあとの爽やかな余韻が残るような感覚、もう何百回と経験してきたはずなのに、この感覚だけは色褪せない。だから次も私は「会長」「監督」におさまることなく、彼らに混じって重い楽器を運ぶのだろうと思う。演奏者は楽器を運び続けなければならないのだ。バリの先生たちが皆そうであるように。