Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

Happy End とはいかなかった帰国

2018年09月06日 | バリ

 9月4日の0時45分発のガルーダ880便は時間通り、ングラ・ライ空港を離陸した。そして太平洋から近畿地方に接近する台風を避けるように、日本海を経由して大回りで成田空港に1時間遅れで到着したのだった。成田は多少の風があるものの、台風を感じられる空気の変化はない。ああ、よかったと思い、急ぎ東京駅へ向かった。
 タイミングがいいことに11時03分発のひかりに飛び乗れた。
「通常運転ですか」の私の質問に駅員は、「はい時間通りの出発です」と何の躊躇もなく答えた。私は安心して自由席の窓側の席に座って、浜松まで深い眠りにつく予定だった。なかなか夜中の飛行機はぐっすり眠れるものではない。新幹線でそれを取り戻そうと考えていた。しかしその考えは甘かったのだった。
 新横浜に止まると、そのまま新幹線は動かなくなった。台風21号の影響による米原~京都間が強風のため、というアナウンスだったが、風がおさまり次第出発する、と何度も繰り返していた。なんとなくうとうとしながらそのアナウンスを夢の中で聞いた。しかし待てども待てども動かなかった。
 4時間半待ったところで、「架線が切れて復旧の目途がたたない」というアナウンスにかわる。そのとき決断した。国分寺の実家に帰ろう!と。しかし、ここは新横浜である。在来線も遅れているし、東京までやっとのことで戻り、切符をキャンセルし、さて中央線に乗車しようと思ったところで、これもまた全線運転が止まっている。仕方がないので、改札口の前で立ったり、座ったり。夜9時を過ぎても新幹線は動かないようだ。新幹線改札口には人があふれている。
 東京に実家があって本当によかったと、そのとき思った。そんなとき中央線復旧の知らせが入る。家に戻ったのは23時前だっただろうか。バリを出てから25時間でようやく東京の実家まで到達したのだった。そういう意味で、本日のタイトル、Happy Endとはいかなかった帰国となったわけである。写真は新横浜にずっと停車していた新幹線の中で撮影。誰一人声を発せず、シーンとしていたのが印象的だった。